【輪湖】大相撲の思い出【若貴】
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あのころ相撲は輝いていた。
輪湖、千代、若貴…
さあ語ろう。 ボクらの消防時代はなんといっても貴ノ花!貴乃花のお父さんのほうね。次に輪島、若三杉(のちの若乃花、現間垣親方)、高見山、魁傑、旭國。後になって千代の富士。北の湖は典型的な悪役。今の朝青龍以上の嫌われっぷりだった。 麒麟児・富士桜・高見山
荒 勢・鷲羽山・青葉城
朝 汐・黒姫山・玉ノ富士栃赤城・豊 山・播竜山
金 城……
よく上位で活躍しましたね >>2>>4
自分もその頃小中だったけど、当時平幕に北○海って人がいて、突然引退したけど、
自分の周りでは、マゲが結えなくなって引退したんだって話で盛り上がってた。
ちなみに今の自分も北○海状態ですw 若貴時代は結構脇も役者揃ってた。
F1相撲琴錦
塩撒きの水戸泉
怪力の魁皇
仕切りの朝乃若
平成の鉄人寺尾
平成の怪物武双山
技のデパート舞の海
先生智ノ花
南海のハブ旭道山
角界の松平健こと旭豊
土俵際の魔術師三杉里
時間前の浪之花
曙キラー貴闘力
ミスター1分琴の若
いぶし銀琴稲妻
金星男安芸乃島
元大関霧島
元大関のデブ小錦
すきな取り組みは
貴が横綱昇進きめた6年九州の千秋楽の曙戦
若が小錦と投げの打ち合いで流血した一番
舞の海が北勝鬨相手に見せた大ジャンプ
小錦が大関陥落後に見せた横綱貴乃花戦で見せた体当たり
こんなとこかな あれ以降、漫画に出てくる相撲部のボスとかみんな若貴だったよな 若貴時代は当方幼稚園だったけど、相撲ごっこやってたな。
貴花田、若花田、小錦、曙、霧島、水戸泉、舞の海、千代の富士
でキャラがあって、デブは無条件で小錦で若貴がだいたいじゃんけんで人気、水戸泉になったら砂を撒き散らしてたwww 》5
北瀬海?
一回旭国と鷲羽山と三賞を受賞して小兵トリオって言われてたな。
はげといえば琴稲妻。
廻しの色も渋茶みたいな色でじじくさかった。
最近なら白露山、北桜あたりかなw
髪の毛の薄い人はどうしても子供たちのネタになってしまうなw 〉〉15
魁傑って一度大関陥落して何年かあとに復帰したよね。
色がやたら黒かった覚えが。
若貴フィーバー以前、相撲ファンは変質者と同じ扱いを受けたものだった。
「ワカシマヅ」と聞いて若嶋津六夫を連想するのは、学校内で一人だっただろう。(クラスでは一人だった)
みんなは「若島津健」を連想し、実在の大関の存在を認識していなかった。 益荒雄旋風
いつのまにスペ体質になって消えてしまった。
白いウルフとか言われてたな。
昨日、元若麒麟のニュースで千代の富士を見た。
老眼鏡wかけてたけど相変わらずカッコ良かったなぁ 巨砲
引退間際の舞の海戦での大ジャンプ。もうポンコツだったから驚いた。
琴富士
謎の平幕優勝。相撲見はじめた頃に優勝したから強いと思って見てたらそんなでもない。後に多くの相撲雑誌の回顧記事からスルーされる。 >>24
強すぎて人気が無かったのが北の湖
強くて人気もあったのが千代の富士だったね 晩年の北の湖がある場所の13日目か14日目で優勝争いをしていて
結び前にとって勝ち残りでいたのだが,競争相手が負けたのを見て
にやっと笑って支度部屋に引き上げたことがある。
それを見てアナが「北の湖が笑いました!」と実況したことがあった。
あんな北の湖は,後にも先にもその時だけ。 いつもムスっとした顔だったもんなあ…北の湖
今思えばこの人が元祖ヒール横綱かな
中学時代、部活に北の湖そっくりな顔の先輩がいたなー、しかも♀W
昇降口に新聞社のニュース画像の掲示板があって友達と北の湖の写真に向かって
「○○先輩おはよーございまーす」って言ってたWW 北の湖 ‐ ( @ )
輪 島 ‐ ( A )
若乃花 ‐ ( B )
三重ノ海 ‐( C )
貴ノ花 ‐ ( D )
旭 国 ‐ ( E )
魁 傑 ‐ ( F )
高見山、麒麟児、栃赤城、富士桜、玉ノ富士、荒 勢朝 汐、黒姫山、増位山、鷲羽山、栃 光、青葉城、蔵 間、 若貴フィーバー以前は、相撲なんて世間は見なかったよな〜
相撲ファンは変質者の扱いを受けた。電波もそうだった‥‥
※漫才コンビがウケていた。「毛むくじゃら」の例として「若瀬川みたい」‥‥
それまで笑っていた観客が静まり返った。後は急にウケなくなった。
※ウケた芸人が調子に乗って関取の物真似をしようとしたら、司会が「そんなの誰も知らねーよ」と言って止めさせた。 ↑昭和47年秋場所。
千秋楽、貴輪の両関脇が水入りの大熱戦、
場所後に両者の大関昇進が決まったことで有名だが、
不眠症を理由に夏場所は途中休場、名古屋場所では全休。
当時、ひとり横綱だった北の富士が復活の全勝優勝した場所でもある。
なかでも優勝を左右した輪島との一番は大熱戦。
この場所以外にも前年46年九州場所、翌48年春場所と北の富士は輪島と争って、
優勝賜杯を手にしたが、すべて輪島の挑戦を退けている。
両者の対戦は当時、力と力の激突とも呼ばれた。
輪島は複数対戦成績で負け越してる力士は北の富士と高見山ぐらいである。
輪島と北の富士は、年齢差のわりには、あまりに全盛期がズレてるからなあ。
あと2年ぐらい北の富士が現役なら、ボコボコにされてたと思うし。
実際、最後の方は「後ろを向いてても勝てる」なんて輪島に言われてたらしい。 この人、優勝決定戦で曙に勝ってそれで大関に昇進したんだよ。 全盛期にこの世を去った玉の海(直近6場所82勝8敗)
日の出の勢いだった頃の貴輪湖との対決が見たかった。 俺の場合は玉の海といえば解説者の梅吉さんしか知らないけど
その急死した玉の海さんって将来が期待されてた人みたいね
リアルタイムで一度見たかったな ライバル玉の海の死のショックで北の富士も抜け殻みたいになっちゃったからね。
もし生きてたら昭和47年角界の勢力地図も違ったものとなってただろう。 漏れの小中時代は相撲ファンはプロレスファンと重なってた 全然効かなかった舞の海の猫だまし
舞の海・旭道山・寺尾・智の花
軽量力士が好きだったな・・・ 自分の世代なら貴ノ花、旭国、北瀬海
今なら日馬富士ね 俺が中学校に入る頃に益荒雄が横綱大関を総なめにしていたが、クラスの女子に「益荒雄」の字を見せて「わかる?」ときいたが、読めた女子は一人もいなかった。 男子も、一人もいやしなかったんじゃ?
それでも「ますらお」という力士がいるらしい、と知ったアホが
「マス・ラオ〜」と妙な言い方して悦に入っていた。
「ラオウ」を連想する響きが面白かったのだろう、ホンマに馬鹿なヤツだった 若貴フィーバーの時、「世間の相撲への知識の欠如」が露見したよな。
関脇を「せきわき」、賜杯を「ようはい」と誤読。
それも、エリートのはずの局アナがやってしまうのだからな。
(「ようはい」はヒドイ。「賜」を「シ」と読むのは基本的な学力のうち) 好角家なんて、それこそ「田代まさし並みの変態」にみられていたもの。
それが若貴フィーバーで一転
それまで大相撲を軽蔑していた輩が、急に相撲ファンになった。
そんな世間の風潮に嫌気がさして、
平成3年名古屋以降、長期間大相撲を見なくなった。
(だから、舞の海の活躍を知らない) スーパーカー消ゴムのちょっとあと、ガチャガチャで相撲消ゴムというのがあって、5年生の俺だけ盛り上がっていた。 >>58
輪島 北の湖 若乃花
三重ノ海 貴ノ花 旭国
魁傑 増位山 麒麟児
高見山 富士桜 朝汐
マグネットのもあったね 北尾の騒動を通して世間とかマスコミとかを信用しなくなったね、子供ながらに。
「優勝してないのに横綱になった」と今でも叩いてる向きがあるけど、
それは当人の責任ではない。
そんなの見てると、「日本人の非論理性」を実感する。
また、横綱昇進問題が、小錦や貴乃花の際に蒸し返されたけど、
「だったら北尾の時に反対したのかよ!」と言いたい。
あの頃は相撲人気なんてゼロに近く、世間は北尾の存在すら知らなかった。
絶対に反対してないよ、あいつら。
その証拠に、蒸し返すのなら旭富士の時にすべきなのに、やってないだろ?
付け人に暴力振るった、と酷く非難されたけど、
そんなこと角界では全く問題ないこと。
叩くのなら、角界自体の体質だろ?
(あの時それをしなかったから、20年も経って騒いでやがるマスコミは)
顔に変な絵を描いている人や、何かを隠しているとしか思えない帽子をどんなときも被っている漫画家は品格とか言わないでください。
横審のあのおばはんは本当に相撲好きだから仕方ないが。 「ドカベン」で、山田の当初のライバル
不知火 と 雲竜
これなんて、相撲からまんまパクった名。
でもドカベンに喜んでる低能って、「すごい名前だ」って感心してる。
世間に相撲の知識が浸透していれば、
ありきたりな相撲用語に感心するワケはない。
C翼の若島津にも、同じことが言える。
「ワカシマズって、かっこいい名前」と当時のガキどもは喜んでいた。
当時現役の四股名を、そのまんま盗用してんのにな。 >>57 好角家なんて、それこそ「田代まさし並みの変態」にみられていた
あなたが好角家をどう定義しているかはわからないが
その書き方だと相撲を見ている人はすべて変態という感じにもとれる。
だけど,若貴が出てくる前にも見ている人はたくさんいたし
女性もたくさん見ていた。
それを変態よばわりとはかなり極端な見方ではないの? だから、「世間が相撲ファンを変態扱いした」んだよ。
一種の冤罪だよ。
「私はお相撲が好きです」なんてギャルが言うと、相当な変人だと思われたもの。
当時の相撲誌を見てみろよ、女子中高生の相撲の相撲ファンの嘆きの投稿が
よく載ってるから。
それが、若貴フィーバーで一転した。
「相撲ギャル」なんて輩の登場で、大相撲を見なくなったね。
それまで相撲ファンを宮崎勤と同様の変態だと見下していた連中が相撲好きになったのだから、
昔からのファンは嫌になって当然だよ。
× 女子中高生の相撲の相撲ファンの嘆きの…
○ 女子中高生の相撲ファンの嘆きの… 昭和の地方巡業って野外興行だった。そのため雨天決行も多かった。 稽古しない、と北尾は叩かれた。
しかしもっともっとチャランポランの朝潮は、叩かれなかった。
北尾は角界を追放された。
朝潮は高砂親方になり、今や一門の総帥だ。
「改革、改革」言うなら、北尾の名誉回復をしろ!
朝青龍をなぜ逮捕しない?
やっぱり警察は、弱い者をイジメて、強い者には腰砕け
キャプテン翼のアニメ放映がきっかけで、全国の男子児童はサッカーに夢中に。
学校でのサッカー遊び、
PKの場面、GKが「(オレは)若島津だぁ〜」と叫ぶ。
キッカーの僕は、「大関・若嶋津かぁ?(笑)」。
キーパーのそいつ、四股を踏む真似・・・
「この人ら何やってんの?」といった感じで、
クラスの女子どもがあきれた表情で見ていたもの。
ああ、あの頃に戻りたい―― 小五の冬・・・ 野球賭博問題で親方衆がテレビに映し出される度に
親方名でなくて現役時代の四股名を思い浮かべてしまう
三重ノ海、千代の富士、鷲羽山・・・ スポロガム、ハエ捕り紙、DATSUN.....
思わず古い名前を浮かべてしまったよ 昔から賭博三昧の暴力集団だった角界を急に叩きだしたから、
不祥事続きに見えるのだけ。
★巡業休んでサッカー
→それがどうした?
※朝潮(胸毛の横綱)はケガ療養中に映画出演
★暴力団との癒着
→そんなの昔から
※大鵬は、山口組組長から贈られた化粧廻しで土俵入り
※大麒麟は、服役中の組長を慰問した
★賭博
→知らないのか、過去の事件
※龍虎は、現役時代に麻雀賭博で逮捕
※今の二所ノ関は15年まえに賭博で逮捕、でも今では理事に
なんでその時、騒がなかった?
★弟子への暴力
→それが角界
50年前に問題にしとけ、マスコミよ
東 西
北の湖 横綱 輪 島
若乃花 張横
貴ノ花 大関 三重ノ海 張大 旭 国
荒 勢 関脇 麒麟児
増位山 小結 隆の里
玉ノ富士 前頭 魁 輝
>>78,80
いかにもありそうだけど実在しない番付。
二代若乃花が横綱になって以降、貴ノ花が
三重ノ海より上位になったことはないはず。 小さい頃、テレビで優勝杯を渡しているオジイサンを指差して、オヤジが
「あれが昔69連勝した偉い人なんだよ」と教えてくれた・・・・ 輪島、北の湖らの時代は毎場所いろんな展開に変わって見応えがあったね。
千秋楽の表彰式のときも、『ひょーしょーじょ!あんたはエライ!』なんて口調で笑わせてくれた外国人もいたし。 輪島は高見山に負け越していない。
若島津は歌手と結婚した昭和60年頃から急激に弱くなったが、アニメの若島津健は
30年経っても衰えしらずだな ちょうど輪島・北の湖・
若乃花・三重ノ海の四横綱が活躍してる頃から大相撲に興味をもつようになり
相撲というのは身体の大きい(太っている)力士が強いと思い込んでいたから
当時好きだった高見山が小さい鷲羽山や貴ノ花に簡単に負ける場面を見て不思議に思ったものだ。
あとテレビの画面で取り組み前に字幕で出る力士の名前の横の前頭十四〜横綱の意味が解らずに
十三とか十四の数の多い者が偉い力士かと勘違いしてた。 くだらないフェミニストのババアが、土俵に上がりたいとか、訳わからん寝言をほざいてる!八百長の問題は、共産主義者の陰謀だ!本場所が中止になったから、未曾有の大災害が起きたのだ! 小5くらいのころカトちゃんが
「来た、来た、来た、来た、来た!日刊アルバイトニュース!」のあとに
「来た、来た、来た、来た、来た!北の湖〜」というギャグを飛ばしていた。
数年前までは「江川、ピーマン、北の湖」と呼ばれ嫌われていたのが嘘みたいに。
関係ないけど今「北の湖」と打ったら一発で出なかった。
昭和末期に買ったワープロ「文豪」では一発で出たのに・・・ >>88
来たぁ!来た!来た!来た!来た!
(少し無言の合間があって)北の湖〜!
覚えてる人いたんだねw
俺は当時の全員集合を毎週カセットテープに録音してたからw
この当時、北の湖は憎らしいくらい強かった時期ですね。
千代の富士が14日目で優勝を決めた時に全員集合のオープニングで、いかりやさんが、
「千代の富士が優勝しましたよ!全員集合も優勝しましょう!」と言ってたのもあった。 輪島? 北の湖?
なつかしいね。
読んでいて涙が出てきたよ。
あのころは、夢も希望もあったもんね。
今じゃ、2ちゃんねるの住民だよ・・・。
あの頃に戻りたいね。 北の湖 横綱 若乃花
三重ノ海 張横 輪 島
貴ノ花 大関 増位山
栃赤城 関脇 隆の里
朝 汐 小結 魁 輝
千代富士 前1 出羽の花 巨 砲 前2 黒瀬川
鳳 凰 前3 双津竜
蔵玉錦 前4 満 山 >>91
いいね〜
魁輝、出羽の花、そして黒瀬川・・・
なつかしい、というか、正直いうと
忘れかけていた。
それと、輪島が西の張出というのがイイ。
ありがとう。 いいもの見せてもらった。 >>62
昭和55年頃の番付を想像で書いてみたのですけどね。
輪島は、この頃は少し低迷してて東西の正横綱の位置になることは少なかったですね。
あと麒麟児、富士桜、高見山、荒勢、玉ノ富士、鷲羽山、黒姫山といった実力者は番付中位から下位の方を上がったり下がったりでしたね。
千代の富士、隆の里が大化けする前でケガで幕下まで落ちた琴風も猛スピードで上位に上がってきたのも
この後でしたね。 >>94
鷲羽山・・思い出すね、若乃花戦での「はりま投げ」。
負けではあったけど、あれはインパクトあったね。
玉ノ富士・・なんと言っても必殺の「はたきこみ」だ!!!
魁皇引退したけど、この人、
良くも悪くも思い出に残る力士だったね。
北 旭 魁 こ
の れ
湖 国 傑 よ
┃ ┃ ┃ り
輪 若 貴 三
三 ノ 役
島 杉 花
亡くなった29代式守伊之助。元々はそんなに下手ではなかったが、
立行司の重みに負けたと言うか、酒辞められなくて、肝硬変になってしまった。
謹慎処分もうけていたし、長野オリンピックの開会式にも庄之助と三役は出たが、
伊之助は出られなかったよな。 「テレビジョン」で優勝旗を渡す時津風理事長を指差して
オヤジが「あの人はな、戦前は双葉山といって69連勝した偉い横綱
だったんだぞ」と言っていた。
更に調子に乗ると「野球のほうでは沢村とかヴィクトル・スタルヒンとか
凄い人がいて・・・・」と続くので堪らず、そっと自分の部屋に帰った。 今みたいに外国人力士が多すぎるってのも、あまり好ましくないな。
大銀杏は日本人力士がして初めて似合うもの。
>>99
木公のバ〜カ!
こんなところにも出てきたか
誰にも相手にされない寂しがりや
もっと素直になれよ!
おっと、スレ違い ゴメン D旭 國−金 剛J
I荒 瀬−若三杉A
G高見山−魁 傑F
C長谷川−貴ノ花H
L輪 島−三重ノ海C
A北の湖−北の富士J >>113
俺なんか貴方のレスでたった今知ったばかりだ
まだ26歳なのに気力の衰えって・・
ひょっとして裏でプロレス転向とか考えてるんじゃないの 李というシコ名だった韓国の力士だよな?
引退か…
それもよかろう。 >>97
北の湖vs輪島
若三杉vs旭国
三重ノ海vs貴ノ花
というのが続いたような印象。だからこの順に強いものだと思ってた。
なお輪島が休場した時は繰り上げで、
北の湖vs若三杉
三重ノ海vs旭国
玉の富士?vs貴ノ花
だったような気がする。 阿夢露を知らないガンヲタども
世間が相撲に無関心な証拠
阿夢露なんて名を見たら「アムロだ、アムロだ」と馬鹿騒ぎするはず…
がしてないのだから、無関心なんだよ 海外の富豪向けの日本人女性カタログが出回っているようです。
(全裸画像なので閲覧注意)
http://hosyusoku.com/trading.html 昭和53年初場所10日目、豊山に乾杯した輪島に萌えた。 昭和53年夏場所6日目、苦手・高見山に寄り倒された輪島の、あの記録写真の格好はエロ過ぎるぞ。 輪島の
対北の湖戦や対若乃花戦でのガップリ四つから
最後上手を切られて寄り切られる時の
もうダメ〜!って表情に
萌え 昭和57年秋場所初日の太寿山−北の湖戦のショッキングシーンには激萌えした。 千代の富士の最後の一番、貴闘力のとったり喰らって転がった相撲、
やはり、らしくない脆い負け方で萌える。
初日の貴花田戦ばかりVで流れてツマラン。 双津竜
播竜山
玉ノ富士
玉輝山
大豪・大剛
大登
栃赤城
尾形・天ノ山
満山・嗣子鵬 麒麟児
大錦
黒瀬川
青葉城
栃光
長岡=朝汐
照の山=岩波
三杉磯=東洋 北尾が小錦潰した一番、
北尾の身体能力の高さはわかったが小錦が哀れに感じた。 輪島はコメントを出したが若乃花は……
同時代の大関・横綱では、三重ノ海、旭国、増位山がまだ御存命だね。
増位山も7時のニュースに出てた。長生きしてください。 若乃花Uが大錦の小股掬い喰らい、大開脚して宙に舞ったところは萌える。 10年ぶりの日本人力士の幕内優勝、
栃東がもはやセピアな存在になってたね。
次の日本人の幕内優勝はいつになることやら。 ――後半は勇気づけられた。後半だけを見れば我々が勝っていた。そう考えなければいけない。
このハリルホジッチ監督のコメントが、完敗に打ちひしがれているであろう選手達の、メンタル面を考慮してのものであることを祈る。
もし本気で思っているのだとしたら、はっきり言って救いようがない。
後半の日本代表が、なぜ“見た目上は”盛り返すことができたのか。それは日本が良くなったからではない。
3点のリードを得たブラジルが、ギアを落としたからである。
前半17分までに喫した2失点が、すべてだった。
VARによりPKがブラジルに与えられてしまったことは、多少不運だったかもしれない。
しかし、映像を見れば確かに吉田麻也の手が相手に掛かっており、審判が見ていればその時点でファウルを取られていたはずだ。
それにしても、なぜあんな簡単に「手を使って」しまうのか。ペナルティエリア内での競り合いである。
相手がファウルを誘ってくることもある……そんなことは、彼ほどのキャリアを積んだ選手であれば、当然分かっているはずなのだが。
手で掴んだり押さえたりして、相手を倒してしまえば、高確率で笛が吹かれる。
それを立ち上がり10分でやってしまうなど、プレーがあまりにも青すぎる。
この試合に限らず、吉田は前回W杯以前から、度々失点に直結するミスを犯してしまうことが目立つ。
これだけのキャップ数を重ねても改善されないのであれば、一旦レギュラーから外すべきだと思う。
さらに呆れてしまったのは、2失点目のシーンだ。クリアボールが小さくなり、マルセロに渡ってしまったのは仕方がない。
しかし、体を投げ出してシュートを防ぎにいく選手が一人もいなかったのだ。
マルセロはダイレクトで右足を振り抜き、いとも簡単にゴール左隅へ突き刺す。日本の選手達は、ただそれを傍観していただけだった。
絶対に点をやらない、シュートは打たせない……そういう気迫が伝わってこない。こんなことは、戦術以前の問題ではないか。
ブラジルは、確かに強かった。とりわけスピードに乗ったパスワークは、敵ながら「これが世界のトップレベルなのだ」と感嘆させられた。
しかし、それはもう“分かりきったこと”だろう。実際にどんなプレーをするのかも、南米予選等のVTRを見れば把握できたはずだ。
このスピードに乗ったパスワークは、簡単には止められない。であれば、優先すべきは「スピードに乗せない」ことだろう。
例えば中盤を厚くして、相手が縦に行くコースを切る。あるいは無理にボールを奪いにいくのではなく、
しつこく纏わりつき、少しでもスピードダウンさせる(昨年のCWCで、鹿島アントラーズがレアルマドリード相手にやったように)。
強い相手に勝機を見出すためには、こういうことを積み重ねていくしかない。
表面的な戦術論ではなく、その判断と覚悟こそが、サッカーにおける“知性”である。
チームとしての気迫も、知性も持ち合わせていない。指揮官までもが「後半は勝っていた」などと嘯く――
相手が後半、控えのGKを試すなど、明らかに日本を“ナメていた”という現実に目を背けて。
できることを全部やりきって、それでも敗れたのなら仕方がない。
たとえスコアは同じだったとしても、精一杯抵抗したのであれば伝わるし、結果も受け入れられる。
昨日は、そういう敗戦ではなかった。そもそも本当に精一杯抵抗した結果であれば、まず「負けて悔しい」という言葉が口をつくのではないか。
指揮官が本心で「後半は勝っていた」ことに満足しているのなら、彼はブラジルを倒すつもりで試合に臨んでいなかったということではないか。
これでは、勝てるはずがない。 相撲好きの女は今では「スー女」ともてはやされているが、30年くらい前は相撲好きの女は変に思われた。
ましてや、女子中高校生の相撲好きは大人以上に変に見られた。好きな力士のポスターを学校に持って行ってクラスメイトに見せたら、「男の裸の写真を持ってきた」と変態扱いされたという中学生の投書が相撲雑誌に載った。
先生に見つかって没収されたかは不明だったが、男子が学校にヌードのポスターを持ってくるのと同じに見られたようだな。 セピアのように金が手に入る方法とか
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JEW33 北尾が死んだというのに世間の話題にはならず、角界は完全無視を決め込む。 >>146
今では「背筋ピン子さん」なる女性がもてはやされる時代になりました。 プロレスで北尾と輪島の 『横綱ウォリアーズ』 が見たかった。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています