観測問題・コペンハーゲン解釈ってマジすか? 5
堀田がtwitterで、哲学者は物理の最新知識を知らずに物理を論じるからダメだとか文句を言っていて
哲学者からは哲学の最新知識も知らずに哲学をバカにするなと返されていた。
どっちも馬鹿だなあ、と思った。 哲学の最新知識って何よ?
そもそも哲学は科学なのけ? 観測される前は波の重ね合わせ状態、
観測された瞬間にその一つが採用される
つまり観測によって粒子として測定される 観測される前はユニタリ性が保たれた状態
観測の瞬間にユニタリ性が否定され、一つの可能性のみが採用される ユニタリ性が保たれた状態とは
波動関数Ψ(r,t)において、時刻tや位置rがどのように変化しようともΣpi=1が保たれていることをいう
観測の瞬間に非ユニタリ変換が起こり、Σpi=1が成立しなくなる
つまり重ね合わせ状態ではなく、その一つだけが採用される
重ね合わせ状態とは「確率的可能性」の重ね合わせであり、サイコロの出目の確率分布と同じ類のものだ
だから「観測する」とは確率的可能性の一つを採用しただけのこと 「観測する」ことと「サイコロを振る」ことは本質的に同じことなのである 粒子の状態は常に2つの分岐がある
「A:観測されない」分岐と
「B:観測される」分岐だ
粒子の状態は常にAと仮定されているが
観測にかかるとBの分岐に進む
しかしAがなくなるわけではない
それはある可能性を写真のように切り取る(あるいは取出す)イメージだ 「観測」とは写真を撮影するようなもの
例えば同一の景色を毎日撮影すれば晴れや曇りや雨が撮影され、それは一定の確率分布に従うだろう
人が写ったり犬が写ったり、いろいろな「物理量」が内在してもそれらは統計的にはある確率分布に従うだろう
写っている映像はある瞬間を切り取った1舜の記録に過ぎない
しかし多数の写真を撮影すればそれは確率分布に従うことになる
そして何枚写真を撮ろうとも元の景色が変化するわけではない
違うのは景色は実在するが、波は実在しないということ
だから「1舜の記録」という言い方は不正確ではある
「可能性の具現」とでも呼べばいいかもしれない
「観測」はあくまでも「観測者側」の問題
粒子の状態(=「A:観測されない分岐」) とは何の関係もない https://twitter.com/hottaqu
Masahiro Hotta@hottaqu
>何が新しいかというと、例えば実験事実から量子力学という理論を構築するという点。またその中で状態ベクトルや波動関数の物理的な定義が成され、その定義から観測で状態ベクトルや波動関数は収縮すべきということを強調した点が挙げられます。観測問題は存在しないのだと、読者が安心できる構成です。
堀田氏流の量子力学では観測問題は原理的に生じないというが、それは観測行為を{理論の最も基本的な概念=無定義語}としてしまうことと同じ。♪
それはニュートン力学が質量や力を理論の最も基本的な概念に据えるのと同じ。
しかし、それらを無定義語と約束することは、それらの概念の本質を明らかにしたことにはならない。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) {まず一番基本に観測行為があり、次に観測結果としてさまざまな値が得られる確率があり、その平方根としての波動関数があり、その「時間」発展方程式としてのシュレーデインガー方程式がある}
と言うのが堀田流の量子力学。 物理原理からの演繹推論による結果を、結果から原理へ逆方向にする馬鹿がいるだけ
基本論理の包含関係が理解できない馬鹿な奴がおおい。 観測者と観測対象の関係
観測者がいなければ全宇宙の摂理は記述できない…という考え方と
観測者がいようがいまいが全宇宙の摂理があるべきだ…という考え方と
人間中心に考えるか全宇宙を中心に考えるか
そこが面白いところだな
ちょい似のアナロジーとしては
唯心史観と唯物史観
ヘーゲル流に従えば人間が存在しなければ論理を組み立てられないから「我」が優先という唯心史観
かたや人間がいようがいまいが歴史事実は否定できないことという唯物史観
主観確率と客観確率
ベイズ流に従えば限られた情報で確率を予測する人間の経験値を重視するのが主観確率
経験を積むほどに事後確率の精度があがるから、客観確率に収束するはず…という考え方
かたやすべての情報は(神にとっては)既知なので客観確率が存在するという考え方と
面白い 最近の科学史の常識 「統一されたコペンハーゲン解釈というものは存在しない」
ボーア、ハイゼンベルク、その他大勢の解釈はみな違っている。
これが一括りにされるきっかけは、ソ連がボーアらの解釈をまとめて「コペンハーゲン学派」と呼んで禁止したこと。
その理由は、主観主観的・観念論的・実証主義的であって唯物論に反するから。
それにハイゼンベルクが便乗して、自身とボーアの繋がりを強調するために「コペンハーゲン解釈」という言葉を作った。
さらにポパーなどの哲学者が仮想敵としてコペンハーゲン解釈を構築して批判したことで、この言葉が広まった。
だから統一されたコペンハーゲン解釈というのは虚構で、初めからそんなものはなかった。
解釈は人によって異なり、共通しているのは計算手法くらい。 科学史の重要な事実として、ボーアは「波動関数の収縮」や「状態の収縮」という考えを一度も用いていない。
なのでボーアが波動関数の収縮を認めていなかったという意見は多い。
少なくともボーアの哲学と合致する考えではなかった。
またボーアは量子系と観測者(観測装置)を分離するという考えも認めていなかった。
このようにボーアの考えはかなり独特だが、
ボーアの書いた文章が曖昧で不明瞭なのを利用して、自分の解釈の権威づけとしてボーアを持ち出す例は多い。 そもそも100年前の知見を前提に今の時代にそのまま持ってくるなよ
100年間量子力学が進歩してませんと言ってるようなもんだろ 電磁気学はコピペ荒らしする割に、量子力学は短文でうわべだけのレスしか出来てないの笑うわ
付いて行くのもできないってことが伺える コペンハーゲン解釈(ボーア)とは
操作を記述できる素朴直観的な古典世界が存在し
その世界での操作と結果を結びつける理論だけが存在する。
その背後の世界は考えない。
コペンハーゲン解釈(一般)とは
ミクロな量子世界とマクロな古典世界の二つが存在し
この間のインターフェイスとしてコペンハーゲン解釈(確率解釈、射影仮説)が存在する
エヴァレット解釈とは
古典世界など存在しない全ては量子世界であるという
量子一元論である。 @gejiqmq
>量子情報または量子計算系統だと、コペンハーゲン的、あるいは多世界的、あるいはそれらの混合がほとんどだと思う。 おまえらの話は物理学の論争ではなく宗教論争にしか思えんわ
不毛 だいたいさー!
カンソク問題、いきなり言われて
はぁ?そもそも「観測」ってな〜に?
ってまず思わない奴いるの?🤓☺
それが無反動砲の観測、
とか出てくるとますます…😭 量子脳理論って批判されたり、ばかにされがちとおもうが
その理論が正しいかはべつにして
細胞や原子も根源的には量子からできてるんだから自明だし当然だが? 真空もダイナミックに変化するから意識が生じてもおかしくはない 状態ベクトルの存在は量子力学の範囲内で、粒子の同一性を前提にしている。
同一性が不成立だ(粒子に個性が生じる)と重ね合わせが消え、波動性も消える。
正確には粒子の同一性でなく、現象の同一性(原理的な区別不可性)が干渉して、
波動性として表現される。同一性が不可になる(個性が生じる)と古典力学の世界になる。
その分かれ目がどこになるのか。デコヒーレントの発生領域とは。 ハイゼンベルクという芝居がNYで受けているらしい
見たわけでないが人間関係と不確定性をかけたものか 観測した瞬間波束が収縮するってのもなんかおかしいよな。
人間は二重スリットを通ってスクリーンに写った電子の跡を観測してるんだから。
厳密には電子とスクリーンの原子が相互作用したときに波束が収縮するというべき。
そこに人間の意識が介在する余地はないはず。 観測した瞬間じゃねーよ
波束が収縮したと決めた時さ
問題の再設定に過ぎないから何時でも構わん 電子が存在する可能性のある領域の半分のエリアを観測してそこに電子が存在しなかった場合残りのもう半分のエリアの電子の存在確率はどうなりますか?
また、観測した領域を半分、さらにもう半分、と狭めていったとき最終的に電子一個分の領域を残してすべての領域で電子が存在しないことが確認できた場合その領域の電子の存在確率は100%になったと言えますか? 意識がどうのこうの言ってる説を信じろという方が無理
単なる相互作用だろ 半分だろうと1/1000だろうと100%に決まってるじゃん >>692
波束が収縮してなくても100%そこに存在してる状態が作れるってこと? 素人的に「観測」とはそこに電子が有ると測定するような意味にとるだろが
量子力学(物理学)の「観測」はそこに電子が無いことを測定する意味でもある
「観測」した後は確率が変るのが当然だ。
全領域に1個の電子が有る確率が1ならば、半分の領域の観測で無いなら確率0
で他の半分の領域に有る確率は1に変ることが中学生でも理解できる。
2重スリット思考実験でも同様、片方のスリットだけ電子が通過してる状態になり
干渉縞は発生しない。 なにもないところを観測したタイミングで波束が収縮するってこと? >>697
観測、というかミクロの物質とマクロの物質が相互作用した瞬間、だろう。
人間が存在する前から宇宙は存在してたんだから意識は関係がないのは明らか >>697
>なにもないところを観測した・・・
間違い
>>694 つまり
空間領域の1/2が始めの不確定状態(一定確率 >0)から、観測により確率0の状態に変わる
当然、もう一方1/2の領域の確率が変わり(全体で)確率1が保存される。 >>700
ありがとうございます
だからやっぱり電子一個分だけ残してその他の領域の存在確率を0にすることは可能ということですね >>701
現実の実験では個々の電子が観測されるか、観測されないか選択不能だから
観測した領域で電子が検出された事象を統計処理から除く。 【2月、2万人】 超過死亡が東日本大震災より多い
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/lifeline/1651735156/l50
>>691
でもそれじゃ説明出来ないんだお!🐤🌸( ̄▽ ̄;)🌷 >>706
あのね、へんさちって知ってる?(*´∇`) 漁師力学なんて根本から間違ってるんだから
まず、ドブロイ波が正しいことを示してみろ
ボーアの原子模型まではいいが、そこからおかしな間違いに入り込んだ こんなやつに物理を教えるよりも猿に手話でも教える方が簡単だろう チンパンジーは人が教えなくても仲間同士で手話を使ってるそうだ 頭と心が悪い人に量子力学を教えようとすると、「こんなの間違ってるムキー」となる。
一種の防衛機制。
程度に応じて、行列も微分方程式も間違いだという話になる。 Sabine Hosenfelderも言うように、コペハーゲン解釈も多世界解釈も観測問題を解決していない。
確かに、Shrodinger方程式と観測は両立しない。そして、その関係を示す物理理論が不在だから、
いろいろな解釈で誤魔化している。 >>Shrodinger方程式と観測は両立しない
??? Shrodinger方程式は線形な方程式だが、観測は非線形。
そこをつなぐ理論がない。ただ解釈だけ。
Sabineは多世界解釈も分岐時は非線形であり、問題は解決されてないという。
多世界解釈の支持者Sean Carrollは、観測の前後でShrodinger方程式は連続していて、
ただ観測者がそれぞれの分岐にい行ってしまう、と言っている。 古典物理の世界では測定したものが唯一の正しい結果と考える
量子力学の世界では測定したものは確率的可能性の一つを入手しただけ
なので正しい結果ではあるが唯一ではないし、元の対象の代表値というわけでもない 今は研究者にアンケートをとるとコペンハーゲン解釈はトップではなく、
多世界解釈がトップになるようだ。教科書は相変わらず前者だが。
もちろん、双方にいろいろなバージョンがあるし、それ以外の解釈もある。
しかし解釈ばかりで理論が出ないのは、実際にはどう解釈しても、
ちゃんと計算はできるし、実用上、不便がないからだろう。 >>727
量子コンピュータの計算理論では多世界解釈の方が理解し易い。
2^n状態の量子コンピュータは同時並行的な多世界に2^n個のコンピュータが有ると解釈できる
どの多世界に分岐しても多項式時間で計算が終わるアルゴリズムを発見するのが目的となる
例えば、n=100 でデジタルコンピュータ計算量が2^100 ならスパコンでも現実的に不可能だが
量子コンピュータ1回の観測で1/2に計算量を減らすアルゴリズムならば、n回の計算で終了する。 「世界が分岐する」
とかいう説明は、何をどう「理解」してるの?
世界の分岐とやらは観測できない概念のようだけど、
一体なにに納得してるのか聞いてみたい。 >>729
例えば
人間が観測できるマクロ世界では量子コンピュータは物理的に1機しか存在しないが
多世界解釈では内部の量子状態数の数だけの多世界が有るという意味になる。
1回の観測でその状態のどれか一つのマクロ世界に確定するが、他とは絶対に干渉しない。 >>730
確率分布は単純に重ね合わせができるだけ
現実の世界は重ね合わせなどできない
どうしても重ね合わせたいのならその理論構築でもしたら? 素人だけど、量子コンピュータでは多世界から目的の解が得られる世界線を選択していることにはならないの? コペンハーゲン解釈と多世界解釈とは別の理論かと言えば、実は同じ理論だ。
観測問題についての解釈が違うだけで、しかもその違いを事実(=実験)で
示すことはできない。
「不確定性原理」や「量子もつれ」については、そういうものかと納得できる
けど(アインシュタインは最後まで拘ったが)、観測問題の不思議は納得できない。
多分、もっといい理論ができるに違いない。 >>733
この簡単なアンケートで初めて知った。
Unifying the Inflationary & Quantum Multiverses (Max Tegmark)
https://www.youtube.com/watch?v=PC0zHIf2Gkw
Many-worlds interpretation
https://en.wikipedia.org/wiki/Many-worlds_interpretation#Polls
でも、幾つかのpollについて言及している。
最近になるほどMWIが多くなってる感じ。
大々的なアンケートなんてのはやられていないだろうけど。 観測できない事象についてあれこれ考えるのは科学ではなく宗教 解釈に理論なんぞねーわな
納得できない人が無理に納得する手段なんだから
人間だけの心理問題に過ぎん 観測できないとするのは、単に現在の量子力学の枠組み内での話。
新しい理論なら、観測問題を克服できるかも知れない。
物理学の歴史では、観測できないと思われた多くのものが、観測できるようになっている。 どの解釈も結果は同じと分かってる以上
観測でどうにかなるわけがない 理論と違う観測ができたら理論修正
解釈は理論じゃないからどうにでもなるだろ 観測するたびに世界が分岐するという説明より、神が決めてるという説明のほうがよほどマシ ベルの不等式って高校生でも理解可能なレベルなん?
何度かチャレンジしたけどいつも確率苦手でちゃんと理解できないわ 解釈は千差万別、理論は正しければ真理しかない
観測問題は量子物理学だけの問題として扱えばただの解釈で良いと思う 理解するためには解釈が必要とは思うが、例え話が下手すぎて混乱することもある