老婆には老木のような積年の美があるのに、それに気づかず老いを憎み若さに執着するのは醜い。
老いとは人生の精華であるはずなのに、戦後広告社会が生み出した若さへの妄信に憑りつかれ、
自分が歩んできた道に唾を吐く。「老醜」とはこういう人にのみ使われる言葉だ。
そしてその象徴的な人物は”永遠のアイドル”吉永小百合である。サユリストとやらも同類だろう。
全く最近は尊敬できる老人が少ない。加えてこの超高齢社会だ。
そりゃあ若い人から「老害」なんて言葉を吐かれたって仕方がない。