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無矛盾な自然観について
0003Nanashi_et_al.
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2021/01/06(水) 13:32:14.98
今月くらいにはわたしの理解を、と
0005anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/08(金) 14:15:02.30
無矛盾な自然観について

はじめに
漠然とですが、生きる、人間、社会、知、自然とはをわたしは考えてきました。
知には当然学問が含まれます。

ソ連崩壊を予測したある政治学者は科学に及ばない経済学に政治学は及ばないと嘆きます。
一番確かな学問と思われている科学もその基礎は実はまだまだのようです。
大科学者ファインマンは時間について尋ねられた時に「そんな難しいことは聞いてくれるな。」と語ったと紹介されています。
前世紀末にあるドイツ学者は時間が存在しない可能性を語り、今世紀に入ってからは時間はもちろん重力も存在しないと主張する科学者たちがテレビや雑誌で紹介されています。
0006anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/08(金) 14:35:41.37
日本の物理学者がノーベル賞を受賞した際にある著名なジャーナリストは量子力学の分野では新しい理論が模索されていて研究者たちはアインやボーアに成れる可能性に活気づいていると報告しています。

半世紀前にハイゼンベルク、武谷三男氏らは現代科学の傾向に疑問を呈しています。
また二十世紀末に科学革命が必要な段階だと主張したり新たな考え方が求められていると語る科学者たちが出現しています。

宇宙論は宇宙背景放射の確認でビッグバン仮説が受け入れられたとされますが、ある天文学者はその現象は違う理解が可能だと指摘する論文を発表して、これでノーベル賞を受賞したスムート博士はその可能性は否定できないとコメントしました。
記事では十九世紀末に火星に〈運河〉を発見した天文学者と同じ過ちの可能性があると記しています。
0007anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/08(金) 15:05:16.17
「失敗の科学史」という本の中には科学者が犯した様々に過ちが述べられています。
酸素を発見した科学者は燃素説が否定されたとは理解できず生涯燃素説を信奉しました。
N線は存在しないのですが十年ほどその存在は信じられ国家の科学賞までしたようです。
森鴎外は海軍の白米を止めれば脚気が激減するという実験結果に対して白米で栄養は十分だとして白米を陸軍に供給し続け、結果戦死者より脚気の死者が多いという事態を招きました。
脚気は当時発見されていないビタミンの不足が原因ですが、その時点の学問を絶対視することによって起きた悲劇です。
科学史で最も有名な失敗は天動説です。宇宙論ではビッグバン仮説で何もかも説明できるとある科学者は主張しましたが、いわゆる大構造形成に要する時間はビッグバン仮説が主張する宇宙年齢の三〜四倍で未だに未解決です。
ある科学者はビッグバン仮説には何も証拠はないとまで言います。

現代の学問で一番確かだとされる科学でさえこの現状です。

ここでは現在に至るまでわかっている科学の事実から導いた自然観から論理、知、人間、生きることを問うことにします。

微力ですが納得できる結論を導きことに努力します。
0008anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 09:36:01.16
無矛盾ということについて
科学は無矛盾な自然理解を目指します。
ある理系会議室では「非物理は物理として存在可能か」と疑問を呈した方がいました。
ビッグバン仮説では宇宙と非宇宙が前提、つまり否定関係の存在が想定されているのです。
この仮説は自然に終始が在ると主張します。
人間も含めて自然に存在する物理は或る物理状態からまた或る物理状態に生成していく過程として存在しています。
〈わたし〉が生まれた、死んだというのは物理状態の運動変化の生成過程としてであり、物理としては何も生まれませんし無くなりません。
エネルギー保存則です。
わたしにはビッグバン仮説は無矛盾な理解を放棄しエネルギー保存則等の科学の前提、原理法則を否定するものに映ります。
0009anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 09:38:33.25
量子力学では観測問題がその理解は未だに未解決です。
現代科学では波と粒子は対立すると理解されています。
光速度一定の原理は現在も繰り返し実験され確認されていますが、その不可解さに未だに否定する人たちは絶えません。
わたしはこの原理は自然が無矛盾であることを示し、自然理解の基礎であり出発点だと主張します。
この原理は座標原点、つまり静止は存在せず、運動が自然の存在形態であることを示します。
また始まりが存在しないことを示しますから終わりも存在せず自然は無限であることになります。
運動を前提に否定関係は導けませんから自然は運動するエネルギーの濃淡であり、科学は自然は無限で自然以外存在しないことをこの原理で保証されます。
ディラックの海で判るように真空はエネルギーは基底状態と理解します。
0010anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 09:52:29.74
自然は運動して過程で反発親和を経、様々な物理状態の生成過程として在ります。
自然はいわば海ですから波が渦の状態に成ったのが粒子として現象していると理解します。
自然には否定関係は存在しないのです。
素粒子、地球、銀河系、わたしたちは自然の運動変化による生成過程として在るわけです。

科学革命を簡単に振り返ります。
地動説は地球もまた諸天体同様に運動し、進化論は人間もまた諸生物の仲間で自然の運動変化の過程で生成され特別な生物ではないことを示します。
光速度一定の原理は自然は運動するエネルギーの濃淡で否定関係の存在は無いことを示します。

自然は無矛盾で理解可能ということを科学は示しました。
0011anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 10:21:21.32
規定は否定
ー物理学の自然はたわめられた自然
          ー朝永振一郎
ウィルスは生物非生物と分類困難な対象です。
物理存在としては生物非生物は差異ですが同一で否定関係ではありません。
〈わたし〉は赤ん坊から現在に至るまで同一であることはありませんが同一の〈わたし〉と規定されます。
〈わたし〉は他の物理存在は否定関係ではありませんが、あなたではない、金属ではないと規定されます。

ここでは、同一を非同一、非同一を同一で規定していることを指摘しておきます。

中世オランダの哲学者スピノザは規定は否定としました。
光速度一定の原理は運動を静止で理解することを示します。
古代ギリシャのゼノンは「飛ぶ矢の逆説」で仮に自然が大きさの無い点で出来ているのなら運動は不可能だと示しました。
飛ぶ矢は空間の一点を常に占める。
静止もまた空間の一点に存在するから飛ぶ矢は静止していると論証します。
つまり点で自然は構成されていないのです。
この逆説は運動をその否定である静止で規定していることを示します。
0012anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 10:30:41.48
自然は無限ですが有限で理解されます。
ポーは自然が無限なら重力で潰れると有限宇宙を主張しました。
しかし無限は有限の集合ではありません。
また理論はたわめられた自然ですから自然自体ではありません。
また或る物理状態は或る物理条件下にこう生成されるということに理由はありません。
0013anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 11:01:26.83
自然は無矛盾であり存在形態が運動でそれを静止という否定で規定することが、対象をその否定で規定するとはどういうことかを考えてみましょう。

古代ギリシャは「クレタ人の逆説」を提出しています。
「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」というものです。
クレタ人が嘘つきならクレタ人は嘘つきだということをクレタ人は正直に言いません。
クレタ人が嘘つきならクレタ人は嘘つきということも嘘になり数学でいう決定不能になります。

決定不能は対象をその否定で規定するからです。
「クレタ人は嘘つき」という対象をその否定である正直にクレタ人が規定しますから決定不能になります。
ヘーゲルは「運動とは存在すると同時に存在すること」と定義します。
これは運動を静止で規定するからです。
存在という規定は静止で、運動は決定不能になります。
このことは自然は無矛盾ですが運動をその否定の静止で規定しますから決定不能となることを示します。
微分積分では0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義が出てきますが、有を無で規定しますからこのような定義に成るわけです。
イギリスの哲学者バークリーはこの定義に否定的ですが、この定義は決定不能ということであり正当です。

物理学は自然の自己言及です。
人間もまた自然の一部であり、自然について理解することは自己言及になります。

此れが何を意味するか考えてみましょう。
0014anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 13:36:18.10
表現は対象と対象を認識する側、つまり客体と主体の関係で為されます。
〈わたし〉という表現は自己言及ですが、客体が主体になります。
客体と主体は否定関係ですから決定不能になります。
三浦つとむという言語学者は〈観念的な自己分裂〉という概念を提出しました。
地図を描く場合、頭の中で空中から家、町、日本、地球、銀河系も俯瞰可能です。
また赤ん坊、老人を見て自分の過去、未来を想像し、テレビ、小説の中の人物にもなれます。
主体と対象は物理としては否定関係ではありません。
認識は頭の中、観念ですから対象化された物理は認識の在り方に規定され、物理自体ではありません。

有は無で規定されます。

量子力学の不確定性原理は有を無で測定するのですから当然です。
エネルギー保存則の破れは測定が=ということはないのですし、自然以外存在しないのですからあり得ませんし、何も生まれませんし、無くなりません。

量子力学の観測問題、不確定性原理は光速度一定の原理から理解できます。

光速度一定の原理は自然が無矛盾であることを示し、また物理認識の在り方、つまり物理学の自己言及と言えます。
0015anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 14:22:17.59
次元について
自然は運動するエネルギーの濃淡で運動が存在形態ですから、静止、座標原点、つまり0次元は存在しません。
ある小説家の短編に森の中に耳の不自由な人間が居て、木が音をたて倒れたらその音は存在するのかという問いがありました。
物理現象として音波は存在しますが、それを認識する媒介となる耳が機能せず音として認識できないわけです。
高音は一定年齢になると認識できなくなります。
認識に対象化されない物理も存在します。
認識に生成された自然は自然の在り方自体ではないことは天動説が示しました。
宇宙空間は真空と認識されますが運動していますしディラックの海を考えるとエネルギーの一形態と理解されます。
わたしたちは自然をそのままでは認識できません。
自然は一であり濃淡ですがわたしたちには多、数として現象するということです。
静止は否定されていますから0次元は存在しません。
一、二、三次元は個々として現象する濃を測ったり比較するための物理存在の抽象です。
三次元は運動しません。
四次元も次元ですから存在しません。
時間は周期運動する物理、例えば振り子、太陽等で測られます。
太陽が真上に在った地点で歩き始めます。次に太陽が真上に在る到達点で1日とし距離で運動量を計ります。
午後0時には前日の午後0時も今日の午前11時59分はありません。
どんなに縮めても同じです。
結局〈今〉しか存在しないのです。
過去は過ぎ去り未来は未だ来ていません。
太宰治は小説の中で、〈今〉は指で押さえるうちに飛びさると書き、ヘーゲルは〈今〉〈ここ〉は指示すると飛び去ると書きました。
規定は否定ですから運動は静止で規定されます。
有を無で規定しますから0に限りなく近いが0ではないと決定不能で理解し、量で測られます。 
エントロピー学説は閉鎖系の中で成立しますが宇宙は開放系です。
天動説は諸天体が地球の周りを運動しているように見えると限定すると真理です。
あらゆる科学理論は基準が必要でありその中では真理です。
0016anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 14:40:01.81
近年科学者の中で重力は存在しないと考える人がいます。
ライプニッツは遠隔作用するというニュートンの重力概念に魔術だと否定的でした。
自然は一であり遠隔作用ではなく直接で、運動関係変更に必要なエネルギー量だとわたしは理解します。
その他の諸力は運動しその過程で或る物理状態を生成するのに必要なエネルギー量であり力としては存在しません。
次元で理解しますが次元自体は物理存在の抽象であり自然には存在しません。

自然は運動するエネルギーの濃淡が親和、反発して様々な物理状態に生成する過程として在り、次元は自然の抽象であり、力は運動とそれに伴う生成に必要なエネルギー量に還元されます。
自然は〈一〉であり切り離せません。

光速度一定の原理は自然には否定関係は存在せず〈一〉であることを示します。
0017anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 14:58:38.12
哲学上の諸問題
ゼノンの逆説は師であるパルメニデスの自然は一であるという理解に対しピタゴラス学派の自然は多、一であるという理解に対する反駁です。
「競技場の逆説」では時空に最小単位が在ると仮定するとその半分が在ること、つまり最小単位は無いことを証明します。
「二分の一」「アキレスと亀」の逆説では数に大きさが無いとすれば目的地に到達することはなく、アキレスは亀を追い抜けないことを証明します。
「アキレスと亀の逆説」では自然が点で出来ているのならば飛ぶ矢は静止していると論証します。
ゼノンは自然が数で出来ているのならばと仮定してそれを否定したのです。
光速度一定の原理は点、つまり数の存在を否定してパルメニデスの自然観を裏付けました。

カントの二律背反は時空に終始が在ることも無いことも証明しましたが、これは終始が無い、つまり無限の自然を有限で理解するということです。

ヘーゲルの運動規定は運動をその否定である静止、つまり対象をその否定で理解するから決定不能となることを示しました。
0018anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 15:11:47.72
自然は無限ですが科学は否定を本質とする規定で理解します。
クレタ人の逆説は否定で規定すると決定不能になると示します。
不完全性定理で、わたしたちは何もかもわからなくなったとする主張もありますが、わからないこと自体はわかったわけです。

わたしの自然観は無矛盾を前提としてエネルギー保存則、光速度一定の原理から考えた極めて単純なものです。

今のところは確かな自然観はありませんから自分が納得できるものをと思い考えました。

奇説ですが、もの言わぬは腹ふくるるわざなりです。
0019anonymous ◆/Pbzx9FKd2
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2021/01/09(土) 18:05:30.64
自然は運動するエネルギーの濃淡で
〜になるだけです。素粒子に、人間に地球に銀河系に、超紐に。
条件が許せば幾らでも小さく成るわけです。
最小単位はありません。
0020Nanashi_et_al.
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2021/01/13(水) 14:16:12.64
わたしの自然観
自然は運動するエネルギーの濃淡で無限であり、反発親和の過程を経て多様な物理状態として現象します。
最小単位はありません。
素粒子、紐、人間、地球等に成ります。
重力は運動関係変更に要するエネルギー量で他の力はその物理状態に生成するエネルギー量です。
濃として生成した個々の物理状態は認識の在り方に現象したものです。
その物理状態はまた違う物理状態に生成する過程として在ります。

次元はその運動する物理状態の大きさ、運動量を測ったり比較対照するための物理自身の抽象です。

自然はエネルギーが運動変化しているだけです。
0021Nanashi_et_al.
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2021/03/01(月) 17:50:06.62
理解するから理解しがたいことが生じる
理解すること自体が宿痾ということです
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