坐禅と動中の工夫9
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坐禅の仕方
一息を離さないようにして念が入る隙を与えないようにします。
しかし、いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
吸う息と吐く息と両方意識します。
スゥーハァースゥーハァーと息になり切って行きます。
また念が出ても次の念、次の念が出る度に前の念が忘れて行きます、そして坐禅が終わったら何も残ってない感じになるのもいいです。
そして、念が認識出来ない、時折り念が出なくなる事もあります。
念が出る前のところにいる感じです。
これが正念相続です。
また、坐禅をして楽になってもそこに安住する事なしに楽に流されないよう息を離さないようにして楽を切って行きます。
ここが仏道です。
こうやって空っぽになって行きます。
動中の工夫
何もしてない時は坐禅と同じで息に意識を置き余念の入る隙を与えない。
歩いてる時は息ではなくメインの歩いてる事だけに意識を置き歩くに成り切ります。
ご飯を食べる時はご飯を食べるだけ。
他ごとを考えながら歩いたり食べたりしない。
つまり動作によって余念が入る隙を与えないようにします。
動作はゆっくりと丁寧なほうが良い。
動作に隙を作らない油断しない。
真剣に命がけでする。
今やってる事を一心不乱にやればいい。
自分から目を離さない。
こうやって余念が入る隙を絶えず与えないようにして行きます。
そうすると四六時中、禅になります。
禅とは単を示す。
これだけをやって行く事が禅です。
徹し切った姿が只なんです。
菩提心を持ってやって行く、菩提心とは努力、忍耐、求道。
これが仏道の一本道です。
この道は 単を練る他 道は無し
単を練るとは今だけのことを真剣にやる。 >>1
乙
雑音は相手にしないこと。
誰か言っていた。豚に真珠。 坐禅と動中で
プラマイ、ゼロ!
_
/ノ 0ヽ
__L __|__
/ ´・ω・`)
_, ‐'´ \ / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ
{ 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl
'い ヾ`ー〜'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、 ー / ー 〉
\`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-/ スレ立てご苦労さん。
バカムイは先ず仏教聖典って本があるから、そこからだなぁ。
あれは仏教の要所をよく抑えてるし、出典も書いてあるし、初心者には丁度いいと思う。
ただ、浄土系寄りの様な気もするけどね。 そらから😚
カムイさんねぇ😩
ハッキリ言うけど、あなたはスレ立てをしてるだけで、W悟りスレはちょっと…Wという人がレス回数が多いここを利用してるのが実情なんですよ😲
そこは勘違いしないでね😩
でおーやカムイさんは論外だけど、このスレの住人は一見識お持ちの方が多いのは事実ですからね😌 ゆるっとデリシャス
https://www.yurubossa.com/syuryougonkyou/
『 大仏頂如来 密因修証了義 諸菩薩万行 首楞厳経 』
だいぶっちょうにょらい-みついんしゅしょうりょうぎ-しょぼさつまんぎょうしゅりょうごんきょう十巻。
般刺密帝(ばんらみたい)が、8世紀(700年)初期(唐の時代)に漢訳。
このお経は、中国で撰述した疑経の可能性が高い。宋の時代以降、中国の禅の世界で流行する。注釈書は多い。禅定を力説。
第七巻には、「佛頂光明摩訶薩怛多般怛羅無上神呪」(ぶっちょう-こうみょう-まかさったんだ-はんたら-むじょうじんじゅ)の陀羅尼を説く。
略して「佛頂神呪」。阿羅漢になれる真言という。
第九巻・第十巻では、禅では有名な【魔境】について詳しく解説。
五陰(ごうん)を通じて表れる50種類の魔境を説く
●色陰の魔10種・・・視覚、聴覚、触覚などリアルな感覚をともなって表れる魔
●受陰の魔10種・・・心象作用の魔、感情や情緒に表れる魔境
●相陰の魔10種・・・思考・欲が引き起こす魔、妄想の魔、
天魔(自在天)の誘惑
●行陰の魔10種・・・邪見を生じる魔、誤った見解を抱く魔
●識陰の魔10種・・・最高度の迷い、魔境。空や寂滅を体感するもここで誤る魔 ゆるっとデリシャス
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● 一切の物事は無いとする宋の時代の禅が盛んだった頃に流行したお経
ちなみに、この「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」は、中国の宋の時代に盛んになります。当時、このお経は流行したようですね。
で、宋の時代では、禅では、【無事の禅、無の禅】が盛んになります。一切の物事は無いとする禅ですね。「無じゃ」といえばわかりやすいかもしれません。
【無事の禅、無の禅】は、碧巌録、臨済録にみられる禅ですね。禅が変容して、 最終形態を迎える時代です。
で、この頃の禅では、あらゆるものを否定し、無いとします。
【無、無、ム、ム、ム・・・】
で、この頃に【大仏頂如来 密因修証了義 諸菩薩万行首 楞厳経】が流行したということですね。
● ちなみに、中国禅は、
初期の禅・・・・・・「戒・定・慧」による四禅八定型
菩提達磨系の禅・・・「戒・定・慧」に沿う智慧の禅(乾観者、頓悟&漸悟)
南宗系の禅・・・碧巌録、臨済録にみられる無事、無の禅(頓悟のみを認める)
といった3種に大きく分けることができます。
● 日本の禅は【3】の禅です。だから【 頓 悟 】しか認められていません。
本当は【 頓 悟 】も【 漸 悟 】も両方あったわけです。
☆ ゆるっとデリシャス
https://www.yurubossa.com/syuryougonkyou/
● 『 首 楞 厳 経 』は最勝最高最善の《 禅 定 》のことを説いたお経
以上の通りとなります。
「首楞厳三昧」とは、最勝最高最善の禅定ということでしょうね。
で、「首楞厳経」には2種類あるってことですね。それぞれ異なる中身。どちらかといえば「魔境」のお経として、後者の「首楞厳経」が有名かもしれませんね。
首楞厳経を読んでいますと、【禅定が必要】であることがわかってきます。禅定の効能には、
◎ 心身の浄化善根の強化修行をしやすくする能力の獲得
◎ 現世(一般社会)に応用すれば、人間関係、財、能力等の面で優れ生きやすくなる希望や願いがかないやすくなる(その希望や願いそのものが世間に益する願い)
◎ 菩薩的な生き方ができるようになる
といったメリットがあります。
ただし禅定の進め方を【 失 敗 す る と 】、性格に偏りが出てきたり、気難しくなったり、欲が強くなるなどの【 魔 境 的 な 作 用 】が出てくると、
デメリットになるリスクもあります。これは、いわゆる【 邪 定 】(ミッチャーサマディ)といわれるものです。 ゆるっとデリシャス
https://www.yurubossa.com/nonduality/
● 禅においても当初は教えも重視していた
そもそも「禅」にしても、『 中 国 で 何 度 も 変 容 しています。』残念なことに、禅をしている人の間で、この歴史そのものがほとんど知られていません。
● 仏図澄は【 倶 分 解 脱 者 】《 禅 定 を 経 由 す る 悟 り の 道 》を説く
中国では、「仏図澄(ぶっとちょう)」が登場した3世紀では、禅は「三学(戒定慧)」に基づいた原始仏教のやり方が主流だったんですね。
仏図澄は禅定を経由して観察する【 智 慧 で 悟 る 】アプローチを提唱します。つまり【 倶 分 解 脱 者 】です。
5〜6世紀、《 菩 提 達 磨 》が登場したときも、三学(戒定慧)は重視されていたわけです。禅定も有用とされていたんですね。
《 菩 提 達 磨 》は乾観者【 智 慧 】の道も説く
菩提達磨は【 二 入 四 行 論 】を説き、『学ぶこと』と『実践』の両方が必要であることを述べています。
ただ瞑想の仕方は【 あ る が ま ま 】になります。『 菩 提 達 磨 』の登場によって、瞑想の仕方に大きな変化が起きます。
原始仏教でいうところの【 乾 観 者 】(けんかんしゃ)の歩みです。
つまり【 智 慧 だ け で 悟 る 】やり方ですね。
☆☆☆ ゆるっとデリシャス
https://www.yurubossa.com/nonduality/
● 思考・言葉・観念・思想は後世の禅の性格
ところが『 慧 能 』が登場し、その配下の【 神 会 】(じんね)という人が、禅をねじ曲げてしまったわけです。
またその後、中国では【 無 の 禅 】が流行。これが日本にも伝わり、【何も無い】としての禅が広まります。
◎ 瞑想の歴史を知りませんと、中国禅の歴史の陥穽にハマって、
《本質を見失います。》
【慧能】以降の禅は【乾観者】(智慧の道)ということです。で、後世の中国では、これが極端になって、《暴力ですら容認する》ようになったということです。
● ノンデュアリティ(非二元)にも継承されている歪んだ禅の歴史
で、これがノンデュアリティ(非二元)にも継承されているわけなんですね。禅の影響を受けているわけです。が、【なにもない】とするのは、後世の中国禅の特徴です。
で、結局、【思考・言葉・観念・思想】は大事なんですね。これがありませんと初心の者は、どう歩めばよいのかがわからなくなります。
👑【思考・言葉・観念・思想】👑を手放すのは、
👑【 修 行 が 進 ん だ 人 】👑に限るわけですね。
www >>1
乙です。
動作に隙を作らない。
これはマインドフルネスに通じますね。 本スレが混沌としてるので
今、ここが事実上の悟りスレです。 >>14
禅を参考にして作られたのがマインドフルネスです。
これがマインドフルネスの位置付けです。 >>2
それ、自分が真珠を持っているからこその言葉だよね。 >>16
禅は素晴らしい。
なんとかしようとする(思考)から苦しむ(これもまた思考)。
思考をやめてただ在ることで
あとは縁起が解決へ持って行ってくれる。
私はなにもしない。 >>17 それ、自分が真珠を持っているからこその言葉だよね。
みんな頭上20cmに自分の仏性が存在しています、それが真珠
豚には真珠(仏性)が分からないけど、人間は自分が持っている故に判る可能性を絶対的に有しています
頭(考える)の心と胸(感情情緒)の心が空になると、頭上20cmに位置する仏心(無名・無形の純粋意識)として存在します
これも身心脱落・脱落身心と言えるでょうね
☆ >>18
転ばぬ先の杖はいらない、その時その時で対処する感じですね。 【第十八章 花(6〜7)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
6.うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実(み)のりがない。
7.うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも良い香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実(み)のりが有る。
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52310406.html
【第十八章 花(8〜10)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
8.蜜蜂は(花の)色香を害わずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村のなかを行くときは、そのようにせよ。
9.他人の過去を見るなかれ。他人のなしたこととなさなかったことを見るなかれ。ただ自分の(なしたこととなさなかったこととについて)それが正しかったか正しくなかったかを、よく反省せよ。
10.うず高い花を集めて多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、人として生れまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなすべし。
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52310538.html 禅は思考停止じゃないよ😦
ただ在るだけじゃないよ😦
全体作用であって随縁の応用ではないんです😌
そんなのだったら植物人間と変わりませんから😩 【第十六章 さまざまなこと(1〜3)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
1.未来になすべきことをあらかじめ心がけておるべきである。−−なすべき時に、わがなすべき仕事をそこなうことのないように。準備してなすべきことをつねに準備している人を、なすべき時になすべき仕事が害うことはない。
2.目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ。−−希望したとおりになるであろうと。
3.起て、つとめよ。自分のよりどころをつくれ。鍛冶工が銀の汚れをとり去るように、自分の汚れをとり去れ。汚れをはらい、罪過(つみとが)がなければ、汝らはもはや生と老いとを受けないであろう。
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52307785.html
1は「いつやるの?今でしょ」という感じですかね
私は今は寝ることが専務なので、寝ます
おやすみなさい 例えば、お寿司。
海外では日本の代表的な食べ物として知られていて、また、日本食ブームもあって海外でも作られ食されているけど、中には変なものもあるんでしょ?
歪でぐちょぐちょしたシャリを軍艦にして、その上にハンバーグだのキムチを乗せて寿司だとか🤮🤮🤮
宗教板での仏教理解はそんなのが多いんですよ😓
特に禅とかね。
酷いもんです。 >>19
人が頭上の仏心を知ると、全ての人の頭上にも仏がおわすことが分かります
お釈迦様がお悟りになられた時、衆生皆に仏心が具わっていることを如実に知られたと言われています
人が悟りを得るとそれと同じく、皆に仏心が具わっていることが見え判るということが起こります
☆ >>25
仏像の頭上に小さな顔があるものが有りますが、属性を便宜上表すだけでは無いんですよwww
見える人が見るとあの様に見えると言うことですね
◇ >>22
鹿野園は発狂作用だけなのは解る
笑。
>>24
お前もな
笑
西洋哲学カブレ禅
笑 >>8
>悟りスレはちょっと…?という人がレス回数が多いここを利用してるのが実情なんですよ😲
鹿野園がグスで栄進をチョーシに乗せてのさばらせたんだよ笑。
昔は、コジをチョーシに乗せてのさらばせて、
悟りスレを劣化させた悪の権化は
鹿野園。
恥を知って
消えろ笑 再掲します😔
例えば、お寺や教会から出禁を喰らい、口を半開きにしてヨダレを垂らしながらロンパッた眼でW第四禅定だじょ〜、仏像が礼拝を要求してきたじょ〜、魔法陣回したじょ〜Wとか言ってる知障とは、対話が成立しないのは自明ですよね😟 緊緩中道という言葉があります😌
言わずもがな、お釈迦様は中道を説かれました😌
それ故、ある方には張り詰めなさいと説かれ、また、ある方には緩めなさいと、真逆の事を説かれた事もあった事でしょう😌
ところで、馬鹿の一つ覚え宜しくW今になり切れとかW執拗にいうのが居ますけど、それは果たして中道なんでしょうかね😦 ズバリ言わせて貰うけど、禅という事で有れば>>1は間違いだらけです😩
呼吸って言いますけど、息は吐く方にウエイトが置かれます。
例えば、吐く息は長く吐いたら軽く止めストンと落とす様に息を吸うとかです。 >>20
感じて動く、だね。
過去は振り返り、未来は予測出来てもどちらも感じることは出来ないから。 >>22
植物人間なら、禅はしなくてもよい。
苦しむ事が無いからね。
彼はそのままで完全な仏性です。
不慮の事故でそうなってしまった。
誰もが自分の意志でそうなりたくないはずだ。 >>33
>彼はそのままで完全な仏性です。
私はそうとは思いません😲
人が生まれて来るのは結生の識に依ると言われておりますが、その因を尋るに無明にあるとされております😌
一二支縁起で説かれておりますが、無明の滅なくして生の滅もありません😌
ところで、無明の滅は智慧の発現に深く関わるのですが、その智慧の発現の自覚(自内証)なし無明の滅はないのでは🤔
植物人間の方にそうした自覚があるとは思えませんし、また、仏性は作用のあるところに同時に発現するのではありませんか😦
何故なら、仏教は基体と作用の区別をしませんから😌 再掲します😔
例えば、お寺や教会から出禁を喰らい、口を半開きにしてヨダレを垂らしながらロンパッた眼でW第四禅定だじょ〜、仏像が礼拝を要求してきたじょ〜、魔法陣回したじょ〜Wとか言ってる知障とは、対話が成立しないのは自明ですよね😟 名利馬鹿園くんは
狂乱する無明を自覚できずに
無明について語る、
それはギャグなのですか?笑 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ口から出任せホラ吹き厚顔ニワトリ頭の悪霊オェー
精神科通いのガイジの分際でお前の末那識なんとかしろよ妄想ババア
オェー
前スレ明け渡して新スレ作ってくれても
新スレにまで嫌がらせに来る悪霊ですからねwww
オェー
だから娘が発達障害になったと思いますよ
嫌がらせに来て地獄に引きずり込もうとしているって誰だか言っていたけど頷けますねwww
0740 神も仏も名無しさん 2021/01/05 05:19:33
>>626
お前とことん性根が腐ってるな?
底意地悪いから罰が当たって娘が発達障害になったと思いますよ
2.悪逆非道のひょっこり女 野良(※出禁)
3.野良のダッチハズバンド 極く >>35
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ無明から生まれてきたんですか?
仏性から生まれてきた気がします でおーの記録🤣🤣🤣🤣
↓
80 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:13:22.66 ID:maCfZlOC [5/21]
高野山もキリスト教も、入会やってません、
裏口から入り、高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたい病なので笑。ほぼキリスト教と同じパターン笑、 >>41
>仏性から生まれてきた気がします
ただうまれた、ただ在るというところで生を享受しているのであればそうでもあるのでしょうが、「W私がW生まれたと」いう思いのそれは無明に起因するのでは。 名利馬鹿園くんは
ナルシズムからレスが生まれるんだよね〜〜
笑 >>43
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ母体(体)受精(相)出産(用)
赤ちゃんに区別は無いと思います >>45
結生の識があるから生まれて来るのであって、その結生の識は我執から生じるのでは😦
もっとも、菩薩の誓いをたてて生まれて来られる方は別でしょうけど😌 >>46
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ結生の識は無分別の分別ではありませんか? 仏性、仏心は確かに各人に具わってはいるが、それがそのまま生まれて直ぐに人間に顕れるとはならない、あくまで潜在的可能性として内在しているのです
仏性仏心は5次元にあるが、人間の顕在意識は4次元で働いていて、普段は5次元にアクセス不可能なのです、位置としては頭上20cmに小さな座像の様に在るとされますが、5次元なので人間の5感で捉えることができません
またインドのoshoは、人は今生で精神に異常を来した場合、悟りに至ることはできないと言いました、それは完全に行っちゃってる人の場合ですけどね
しかし、次元が違えど個個人に仏性仏心は有るのですから、相対的に守護霊として祈る事で意識を向ければ、繋がり疏通されます、頭上20cmですから一寸意識を上に向けて、感謝しどうぞこの身心に宿りたまえと祈れば良いんです
明け渡しですね、これは
☆☆☆ >>32
そうですね過去を用いず即今で判断する感じですね。 仏性……
道元さんもおっしゃってる。
この法は人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし。
ってね。 >>50
∞ノノハ∞
川^〇^ハレバグった卵子や精子も分別して生まれて来るんですか? 出家して毎日坐禅しても悟れない?
大馬鹿者め!
なら還俗してSEXしまくれ
プラマイ、ゼロ!である
_
/ノ 0ヽ
__L __|__
/ ´・ω・`)
_, ‐'´ \ / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ
{ 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl
'い ヾ`ー〜'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、 ー / ー 〉
\`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-/ >>51
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ響きそのまま事事無碍法界だと思いますけど?
赤ちゃんがオギャーオギャーと泣くお母さんが抱っこする証ぜられていませんか? >>52
阿頼耶識中の結生の識が父母となる方の性交を観察し、その紅白(卵子と精子)の結合体を認識すると生命(有情)になると言われてます。
つまり、卵子や精子は草木の様に無情と見られているといえます。
唯識仏教では有情には仏性が具わるとされていますけど、無情のそれに仏性はなく、法性が備わると説かれております。 >>31
以前はわたしも吐く息の方に意識を置いてました。
すると吸う時意識が薄れて吸ってる時に余念が入る事に気付きました。
ですから吸う吐くと意識して余念が入る余地をさらに無くしたわけです。 >>54
赤ん坊にも根本智は具わっていると思いますけど、後得智は殆どないと思います。
確かにWオギャーWは無碍・無心なのでしょうが、そのW修Wがないとそれがなんであるかも分からず自覚(自内証)もないのでWうることなしWです。 >>55
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ草木国土悉皆成仏 無情なものも仏性を具有して成仏すると道元さん親鸞さん日蓮さんも説かれているようですけど? >>56
意識の話はしてなません😦
意識は掌の上辺りに置いてるます。😌
>スゥーハァースゥーハァーと息になり切って行きます。
とか、擬音はともかく、
ハァ〜〜〜〜……スゥ、ハァ〜〜〜〜……スゥ
ってなると思うけどね😯 >>57
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ声聞乗や縁覚乗も修になりますか? >>58
そうですね。
おそらく法相宗以外の殆どの宗派はそう説いてると思いますけど、そこに関しては私は仏性ではなく法性と呼ぶ方を支持しています。 訂正
>>56
意識の話はしてません😦
私は意識は掌の上辺りに置いてます😌
>スゥーハァースゥーハァーと息になり切って行きます。
とか、擬音はともかく、
ハァ〜〜〜〜……スゥ、ハァ〜〜〜〜……スゥ
ってなると思うけどね😯 >>61>>63
∞ノノハ∞
川^〇^ハレありがとうございました 【第二十二章 学問】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
1.問いて学ぶことは善い。正しく行なうことも善い。また住むべき家の無いことも善い。正しいことわりにしたがって出家して遍歴することも善い。ーー以上のことは修行者の境地にふさわしいことである。
2.この世でことわりをはっきりと知らない愚かな者どもは、自分たちが不死であるかのごとくに振舞う。しかし正しい真理をはっきりと知っている人々にとっては、(この世の生存は)病める者どもにとっての夜のごとくである。
3.よく密閉してあって暗闇(くらやみ)にみたされた家に入ると、そこにある諸の見事な物を、眼のある人でも見ることができないようなものである。
4.この世では人間もまた、つねにそのようなものである。知識はもっているかもしれないが、教えを聞くことが無ければ善悪のことがらを識別することができない。
5.眼のある人は燈火によって種々の色(いろ)かたちを見るように、ひとは教えを聞いて、善悪のことがらを識別する。
6.教えを聞いて、諸のことがらを識別する。教えを聞いて、悪を行なわない。教えを聞いて、ためにならぬことを避ける。教えを聞いて、束縛の覆いの解きほごされたところ(=不死の処)に至る。
7.或る人が、たとい博学であっても、徳行に専念していないならば、世の人々はかれを徳行の点で非難する。その人の学問は完全に身に具わっているのではない。
8.或る人が、たとい学問は僅かであっても、徳行はよく専念しているならば、世の人々は、徳行についてかれを称讃する。その人の学問は完全に身に具わっているのである。
9.もしも或る人が学問も少なく、また徳行にも専念していないならば、世の人々は(学問と徳行と)両方の点でかれを非難する。その人の誓戒は完全に身に具わっているのではない。
10.もしも或る人が博学であって、また徳行にもよく専念しているならば、世の人々は(学問と徳行と)両方の点でかれを称讃する。その人の誓戒は完全に身に具わっているのである。
11.博学であって、徳行をたもち、明らかな知慧があり、つねに心が安定し統一している人は、ジャンブー河から得られる黄金でつくった金貨のようなものである。その人を誰が非難し得るであろうか?
12.色(いろ)かたちによって、わたしを測り、また音声によって、わたしを尋ねもとめた人々は、貪欲や情欲に支配されているのであって、(実は)わたくしのことを知らない。
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/cat_50051343.html 【第二十二章 学問】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
13.内を知らないが、外をはっきりと見て、外のほうの結果ばかりを見ている人は、実に音声に誘われる。
14.内を明らかに見ているが、外を見ないで、内のほうの結果ばかりを見ている人は、実に音声に誘われる。
15.内を知らないが外をも見ないで、(内と外と)両者について結果を見ない人は、実に音声に誘われる。
16.内をも明らかに知り、外をもはっきりと見て、よりどころにとらわれないで明らかに知る人は、実に音声に誘われることがない。
17.耳で多くのことを聞き、眼で多くのことを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて信じてはならない。
18.みごとに説かれたことばは、それを聞いて理解すれば精となる。聞いたこと、識(し)ったことは、心にじっととどめておくと精になる。しかし人が性急であって怠けているならば、かれの知識も学問も大きな目的を達成することはできない。
19.聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、そのとき、かれらの説くことをことばでも実行する。かれらは忍耐と柔和と瞑想とのうちに安定し、学問と知能との真髄にも達したのである。
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/cat_50051343.html >>56
ですから吸う吐くと意識して余念が入る余地をさらに無くしたわけです。
カムイ君のこれは正解‼
意識は吐く息に乗って深くなります、クリヤヨガのスリユクテスワがサマディーに入る時、3回深い呼吸をし、最後に深く息を吐いて無呼吸になります
また、人は死に際して最後は一回息を吐いてあの世に就きます
なので吸って深く吐くで良いと思われます
*** 麦も病んでいるなあ笑
あんな名利馬鹿園に教えを乞うなんて笑 >>68
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ赤ちゃんは羊水を吐いて生まれてくるって聞きました
生まれた時は吐く死ぬ時は息を引き取るから吸うだと思いましたけど? >>68
ん!やはり、クリヤヨガの呼吸の奥義でも、吸う息→吐く息、この順だ
吸う息を吐く息に供給し、吐く息を吸う息に供給する、
これですね‼
*** >>70
俺は吐くって記憶してるね死ぬ時は
五井先生が禅定で神界へ入った時の表現が・・・ >>35
植物人間そのものが智慧だ。
持てるだけの作用によって生かされている。調和してるんだよ。 私は吐く息に乗って意識は上昇して神界に至った(だいたいの意味合い)
だったはず、これ本にあった
まあ、俺自身が昔禅定で無分別三昧に入る時も、だいたい3回くらい最初普通に吸って吐き次に大きく吸って吐き、3回目に軽く吸って軽く吐き切ってから微細な呼吸になって行って無分別に入ってたし
吸う吐くの順は禅定の経験から言って間違いないですよ
◇ 調和が取れている、いない、どちらでもなくどちらもある何もかもひっくるめて、
捕らわれのない心、執着から解放された心を円相と呼んでいるのでしょうか 大円相、大円鏡地、等々
『 一 心 の 動 き 始 め に 、よ く 注 意 す る な ら ば 、
心 に は も と よ り 妄 念 の 始 め な ど は 無 い の だ 。
そ れ は 、 微 細 な 妄 念 の 動 き を 遠 離 し て い る の で あ り 、
そ う し た 心 の 内 面 を 見 と ど け る こ と が で き て こ そ 、
心 は つ ね に 安 住 す る の で あ り 、
こ れ を 《 絶 対 の 目 醒 (めざめ)と 名 づ け る。』
👑『 大 乗 起 信 論 』👑
これはお気に入りの名言ですね
☆☆☆☆☆ >>62
掌の上辺りに意識を置くと息を意識出来ませんけどね。 >>74
吸う吐くの身体の弛緩の応用で、
リラックスと集中の運用を研究中、
集中のテクニックはだいたいできてるけど、
リラックスのテクニックが未完でね。
むろん、瞑想以外の場面な、
スレタイに相応しい実践、
名利馬鹿園の屁理屈ではなくてな笑 >>77
>掌の上辺りに意識を置くと息を意識出来ませんけどね。
延長線上で、かめかめ波できるでしょう。 >>74
昔、悟りかけたとき、下腹の振動が起こって(今思えばクンダリニーチャクラの振動)、
腹の底から絶対的な幸福感が湧き上がってきたとき、その間、吐く息がずーっと長くつづいてた
密教の印を組んだときも、クッって息を止めるような感じになって、
しかし、微細に吐いてる感じ
それが続きながら、それに連動して下腹の振動が起こり、
幸福感が湧き上がってくる >>78
息に効果を求めない方がいいような気がするね…
もちろん、型としてやるのはそれ相応の意味があると思うけど、
実際には、境地が上がれば上がるほど、自然に呼吸は吐く息が長くなっていく
微細に長くなるというのは、意図的にはとても出来ない感じ
大切なのは、今と一つになること
これは、何もカムイ氏の言葉ではなくて、あらゆるところで言われてる
基礎的なことだよね
今に一致すればするほど、呼吸もそれに従って整ってくる 意識が深く集中するときって、確かに息が微細に吐いてゆかれてる時なのよ
それは呼吸を止めているように感じるくらい、本当に微細に吐かれている >>81
過去の息、未来の息はなく息は今してます。
ですから息に徹し切り今を自覚していくんです。 >>83
そうそうそう、確かに、呼吸を意識するということは、
今に在るを意識するということに繋がるよね
だから、それを修行方法にしてもいいんだけど、
たとえば、呼吸によって境地を上げようとか、そういう風には思わない方がいいかもしれない
そうすると、境地を上げようとする想いが働いて、過去未来の時間のありかたになっちゃう
息にただ意識を向けるということで、息を行の対象にするならいいでしょう
そこで今に在るが熟成してくると、自然に息が整ってきて、
吐く息が長くなるということが起こるかも
それとこれとは別という感じだね ただその際も、吐く息に乗って集中が深くなるということを前提にして、
吐く息を微細に長くするよう心掛けるといいかもしれない
おそらく、呼吸に意識を向ける行で、吐く息のやり方に注意が置かれるのは、
それを狙ったためかもしれない
正しい悟った時の呼吸を型としてやっていれば、今と意識を一つにするということと
マッチしてくるのかも >>84
そうです
徹して行こうとする意識だけでいいんです。
境地をあげようとかの意識は邪魔になります。
ただそう言う意識を菩提心に変換すればいいんですが。 >>73
>植物人間そのものが智慧だ。
>持てるだけの作用によって生かされている。調和してるんだよ。
心作用が顕現してないでしょ😦
無理してレスをしなくてヨロシ😔 >>77
>掌の上辺りに意識を置くと息を意識出来ませんけどね。
カムイさん?
あなたはその息って何処でしてる?
鼻先?口?喉?肺?
腹でしょ?
腹式呼吸してるんでしょ?
掌の上辺りっていうのはそういう事です😌
法界定印って、つまり、そういう事です😌 今時は学校で武道が必修かどうか存じませんけど、隙は息を吸う瞬間に出来るって教わりませんでしたか😲
また、話術ですけど、相手が何か言おうと息を吸い込んだ時にこちらから言うと、相手は詰まりませんか😲
(悪用しないでね🥴) >>76
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ無情なものにも仏性を具有しているとすれば
受精する時も分別は無い事になりますね
母体(体)受精(相)出産(用)
赤ちゃんに区別は無い >>72
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ瞑想の指導の仕方は流派によって異なっているみたいですね
赤ちゃんは息を吐いて生まれてくるけど
死ぬ時は息を吸う努力をしているけど実際は呼気で終わるみたいですね
五井先生凄い!
医療法人和楽会 理事長 貝谷久宣
抜粋
人は生まれてくるときオギャーと言って息を吐き、死ぬときは息を引き取って天国へ行きますと記した。
「呼吸」という言葉自体も吐く方が先で吸う方が後である。
>坐禅瞑想の場合、曹洞宗や臨済宗の多くの大乗仏教の指導者はまず息を吐くと述べている。
ところが、小乗仏教のアーナーパーナーサティ・スートラ 安般守意経―入息出息に関する気づきの経―では息を吸う方から始まっている。
>生まれるまでの赤ちゃんのいる子宮体内は羊水で満たされているので、赤ちゃんはまず羊水を吐き出すという。
そして息を吸ってからオギャと泣くのだと説明を受けた。
息を吸うときは戦いのときに優勢になる交感神経が働く。すなわち、息を吸うのは吐くよりも努力を要する動作である。
私たちは緊急時にはっと息をのみ、安堵した時は胸をなでおろし、息を吐くのである。
赤ちゃんは生まれてすぐまず空気を吸うという努力によって人生を始めるのである。
あの世に行くときは息を引き取るといわれている。
本当はそうではなさそうである。死が近づいて体力が低下し、横隔膜がもはや収縮する力を失うと下顎呼吸となる。
横隔膜を中心にした胸郭を使った呼吸が不可能となり下顎で喘ぐように呼吸する。
懸命に息を吸う状態だ。そして、最期は溜息のような大きな息を吐いて亡くなることが多い。
すなわち、吸息の努力を懸命に続けた後に呼息状態で終わる。
要するに、人生の最後は副交感神経支配の安楽な呼気で終わるということのようだ。
死は苦しい生から安息の世界への入り口だと考えられる。 >>81
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ交感神経支配の安楽な呼気がでおーたんの言われるリラックスだと思います
>呼吸は自分の意志でもその速度や深浅を変えることができる。
>“瞑想修行者は息を吸い、気をつけて瞑想修行者は息をく”と。
そして、
“「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する”と最初の4考察目に記されている。
とあります訓練によって自然に整ってゆくのかと あまり呼吸の際の意識の持って生き方とか拘らない方がいいよ。
いろいろ言っても、その方法で大悟した? となる。
大悟してないのに、細かいこと推測しても空しいだけ。暇つぶしにはなるが。
要は、 「今という瞬間」に重要な「何か」があるらしい。
そして、そこに肉迫するには、思考や念が邪魔になること(経典知識も邪魔)。
息はその思考や念を切る手段になる。
先ずはそうやって大悟すること(白隠)
その後のことはそれからでいい(知識、思考も再び重要となる)。
そこのところをわきまえておれば、細かいことや仏教用語などどーでもいいこと。
下手するとヨガ、スピリチャル挙句の果てにオカルトに迷い込む。
最後に、カムイは大悟していない。だから語ることは推測の範囲を出ていない。
ただ、分かっていない輩の中では、そこに一番肉迫出来ている人物。
>>94
🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
精神病院に行きなさい🏥💊 >>75
植物人間が奇跡的に元の健全な意識を取り戻したら、また従来のように一切皆苦の波に乗るんでしょうけど >>94
>要は、「今という瞬間」に重要な「何か」があるらしい。
🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
無所得・無所悟😌
>そして、そこに肉迫するには、思考や念が邪魔になること(経典知識も邪魔)。
>息はその思考や念を切る手段になる。
🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
邪魔とか切り捨てるとかじゃない。
そのままに超越するのです😌 >>98
ですから、心作用が顕現してないでしょ😦
無理してレスをしなくてヨロシ😔 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています