阿含宗という宗教 320
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前スレ
阿含宗という宗教 319
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607571214/ >>951
分けても解脱と解脱知見の間に断層などありません。
解脱の内容は全く変わりません。
認識したかしないかの違いだけです。 遊行経の「修戒獲定 修定獲智 修智心浄得等解脱 尽於三漏 欲漏有漏無明漏 已得解脱 生解脱智 生死已尽 梵行已立 所作已辨 不受後有」が、五分法身を具えて阿羅漢=仏陀になる次第です。学者の説明もいいが、これは釈迦直説の説明です。文盲でないなら解ります。 後有を受けない輪廻の滅を得るならば解脱だけでよく、解脱知見は省略表現されていてもよい話です。
省略されないのは、仏陀釈尊が諸漏の解脱を得た後にこれを真理として悟る思索を行ったからです。
それで菩提樹の下で成道を得た(12月8日などとされていますね)というのは真理を悟り覚者となったわけです。 >>953
学者の説明をあなたが読んだ本で引用もしないのは、そちらにとって都合が悪いからですか?
あなた個人の考えじゃ、誰も納得しませんよ。 俺は煩悩を全て断ったのだ。
だから来世に生まれることはなく輪廻は止んだのだ。
と悟ったわけです。
悟ってから輪廻が止まったわけではない。 >>956 <貴方は見事に全て煩悩を断ちましたね、神々は祝福します>
もう貴方には以後に身体を以っての輪廻転生は在りません、
此れを今後衆生にお伝えください。
お釈迦様の場合は梵天が顕れ活き仏として活動してくださいと有名な
梵天勧請が有りました。
この逸話が示す神話は、ユビキタス氏も輪廻転生の後生が消滅したなら
神々が教えて下さるのです。 釈迦が「已得解脱 生解脱智」と、解脱と解脱智見をはっきり分けているのは、漏尽解脱だけでは阿羅漢=仏陀ではない、とはっきり教えるためですよ。解脱の後に生じる解脱智見を具えたら阿羅漢=仏陀だというのです。釈迦の場合は、解脱の後、一晩で解脱智見を得られた。 釈迦の場合は、漏尽解脱の後、幸い、一晩で解脱智見を得られたという。夕に宿命智、中夜に天眼智、後夜の漏尽智を得たという。
しかし、個人差があるので、他の解脱者の場合、解脱してから解脱智見を得るまで、どのくらいの日時がかかるか、分からないわけです。 だから、釈迦は、業と五道輪廻の実相を知る天眼智や漏尽智の解脱智を得て、自分の生死輪廻の尽きたことを自覚するまでは阿羅漢=仏陀ではないぞ、と教えているのです。
深山ユビ説には、それが欠けている。
漏尽解脱した瞬間に、仏陀の完成としている。 >>959
だから一番最後に得たのが漏尽智ではないですか?
漏とは煩悩でありそれが全て尽きてなくなったことを認識したわけです。
だから結局煩悩しか問題にしていないではありませんか?
漏尽智を得た後、宿住智やら天眼智を得て、すげー、俺様って超能力者じゃん、
単なる煩悩解脱の小解脱者ではない大解脱者じゃんと認識したなどとどう読んでも読めません。
なんで三明の究極最後は結局漏尽(煩悩滅)の智なんですか? でなんで解脱知見を得ると、桐山因縁解脱みたいに癌にならないだの事故死しないだのなんて関係ない話になるのですか?
桐山因縁解脱なんて仏教の解脱には全くありません。 ユビキタスの一押しAV嬢 AVに転落したアイドルたち
現在、名古屋、那覇、土浦、浜松、菊川、沼津など
デリヘルで回ってます。
http://idoltoav.com/entry25.html オン チシュッタ マニ ジュンテイ アパラジッタ ジャエンチ タニテイ ソワカ
これは、阿含宗の無能勝大王真言にジュンテイの文字が入っただけのものですが、もう少し詳しく
見ると、無能勝大王ではなく無能勝明王は胎蔵曼荼羅釈迦院の中において、釈迦の脇侍として
描かれています。同じく無能勝妃という無能勝明王の妻も描かれていますが、 無能勝明王と
無能勝妃の二尊は釈尊が四魔を打ち破った降伏の徳を表します。
ただし、無能勝明王の真言は、上記のものではありません。
そもそも、オンで始まる真言は、金剛界の諸尊に多く見られるものであり、胎蔵の諸尊の真言は
ノウマクサマンダボダナンで始まるのを通例とします。
そのうえで、無能勝明王の真言は、
ナウマクサンマンダボダナン・ジリンジリン・リンリン・シリンシリン・ソワカ
無能勝妃の真言が
ナウマクサンマンダボダナン・アハラジテイ・ジャエンテイ・タニテイ・ソワカ
となり、無能勝妃の真言を引用したのがわかります。真言蔵品
その真言を改ざんし、ナウマクサンマンダボダナをオンに、その上で
チシュッタ(立ち上がれ)、マニ(宝珠の総称)など、原文に無いものを加えて無能勝大王の
真言とし、そこに、準提を意味するジュンテイを加えたものが、桐骨真言となります。 阿含宗は、無能勝大王真言の意味を以下のように書いている
オーン 起てよかつて他に征服されたることなく、カルマを打ち砕いて常に勝利をわがものとする
法主を持する無能勝の大王よ
無能勝妃の真言である
ナウマクサンマンダボダナン・アハラジテイ・ジャエンテイ・タニテイ・ソワカ
のうち、アハラジテイが無能勝を意味するアパラージタ、アパラジッタと同じであるが、そもそも
この単語自体が、古代インドにおける伝承の悪魔の長を意味し、不敗の者を意味する。
無能勝明王の密号は勝妙金剛であり、最勝金剛大阿闍梨耶靖雄大覚尊たる御大層な名前と
齟齬が生じる。ジュンテイは言語はチュンデイ、仏母、最勝金剛から引用されたとみるべき。
そうなると、桐骨真言には、ジュンテイとアパラージタの両尊がごちゃまぜで存在している。
何も知らないくせに、とりあえずそれらしい真言を作るから、このような意味の通じない真言になる
のだが、まぁ、いつものことだな。 >>875 ユビキタス
>しかしそんなことよりも阿含宗の現役信者であるアラカンポ大先生のこの件に対する見解を待ちましょうよ。
待ちましょうよ、と言いながら >>879でチャッカリ反論しているところが
如何にも指ちゃんらしい。
>>879 ユビキタス
>戒定慧の三学は常に三つが揃っているのです。
>最後に慧が出てくるのではない。
>最後には無漏の慧の成果を得るが、慧の修行は最後になされるのではなく、
最初から有漏の慧がされて、それはずっと続けられているのです。
それでは沙門果の意味が無くなります。
この経典は仏道修行によって得られる果報を修行の段階別に説いた経典なのですよ。
修行者はこの段階ではこういう果報が得られるということを説いている。
だからこの経典では、修行の順序はとても重要なのです。
あなたのような解釈をしたら 、もう沙門果ではなく別の経典になってしまう。
昔話の桃太郎は、犬、猿、雉子をお供にして鬼退治をする話です。
これを順序を替えて鬼退治をしてから犬たちをお供にしたのなら桃太郎ではない。
これと同じです。
>だから解脱した人が神通も示す前に四禅に入れば、単なる三昧の境地だけでなく
解脱の境地も得ていることは当たり前と言える。
ところが、>>943では指ちゃんはついに寝返った。
>>943 ユビキタス
>「そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱し、解脱した
>と全く同じ文であることがわかります。
>遊行経であれ沙門果経であれ、他の多くの経典に共通して見られる常套句です。
解脱したのは
>「そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱し、
の箇所だと認めるわけですね。
これで深山さんもさぞかし喜んでいることだろう。 >885 神も仏も名無しさん
>漏尽智は幅広い智ですね。
>漏尽したことを知ることの他に、漏を滅ぼす智も含めて、漏尽智なのですね。
その通りです。
広説佛教語大辞典にある中村博士の説明では、
漏を滅ぼす智が漏尽智で、漏尽を確認するのが漏尽通です。
しかし漏尽智=漏尽通を唱える学者の立場に従えば、
漏を滅ぼすのも漏尽を確認するのも漏尽智です。
いずれにしても漏尽智は漏を滅ぼす智です。
大学者がそう述べているのだから、これを素直に受け入れればよいのに、
深山ユビの両氏は飽くなき反論を続けるから議論が一向に終わらない。
困った人たちです。 >>887 ユビキタス
>ペテン大作さんは漏尽智で煩悩を断滅し、漏尽通でそれを知るなどと途中から訳のわからないことを言い出しましたが、
中村博士が訳のわからないことを言っていると云うのかね?
指ちゃんも偉くなったものです。
望月佛教大辞典の説明でも、智が生ずれば解脱し、それを確認するのが漏尽通です。
このように学者の解釈は一致している。
これに異を唱えるのはあなた方しかいない。
それを稀少で貴重な存在だと思う人は、当人たちを除いていないだろう。
また漏尽智が阿羅漢に属することについて執拗な追求があったが
↓
>430 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2021/01/17(日) 18:56:05.33 ID:U/2MVvDS
>「【漏盡智】あらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)
>漏尽智(=漏尽通)は阿羅漢に属する。
>阿那含は漏尽智は持っていないのです。
>では、どうやって阿那含はカルマを断ち切って解脱するのだ?
漏尽智を得たから解脱したのです。
しかし漏尽智を得れば即阿羅漢なので、漏尽智は羅漢に属し阿那含には属さない。
という明確な答で決着がついています。 >>888 ユビキタス
>だから沙門果経において四禅を終えたところの表現で、この時この比丘は覚者仏陀になっていたのだなどと
深山さんがもし発言したのであれば、私もおいおい、それはこの文脈で言い過ぎだろうと反対しますよ。
>しかし深山さんは覚者仏陀になったなどと言わず解脱を得ていたと書いたのです。
>ここをペテン大作さんも取り違えてもいるのではないかと思いますね。
何を取り違えたのかな?
作り話をしないでもらいたいですな。
四禅を終えた時に解脱を得たのは嘘だと言ったが、
覚者仏陀になったのが嘘だとは言ってないよん。
>>898
>四禅を終えた時に解脱の境地も得ていた比丘をこの表現だけで覚者仏陀と言うわけには行かない。
それは大智度論にある「四禅比丘」というもので阿鼻地獄に堕ちるとされています。 【1】押し花の額の裏に書かれた詩
高原の千草の影の風さやか
そぞろに君のしのばるるかも
靖.
1993.9.12
【2】料亭吉兆にて桐山氏、e川姉妹、他1名での会食時
割り箸包み紙に書かれた詩
吉兆で君の名を問う 春の醉
信者の浄財を使って高級料亭で愛人と会食ですか?
豪奢なもんですねえ。 >>966 神も仏も名無しさん 2021/01/31(日) 16:19:24.71 ID:ko4WauoB
>それでは沙門果の意味が無くなります。
>この経典は仏道修行によって得られる果報を修行の段階別に説いた経典なのですよ。
>修行者はこの段階ではこういう果報が得られるということを説いている。
>だからこの経典では、修行の順序はとても重要なのです。
>あなたのような解釈をしたら 、もう沙門果ではなく別の経典になってしまう。
>昔話の桃太郎は、犬、猿、雉子をお供にして鬼退治をする話です。
>これを順序を替えて鬼退治をしてから犬たちをお供にしたのなら桃太郎ではない。
段階的に果報を示すという考えに囚われない方がよい。
もちろんある程度段階的に示されています。
初歩の戒から説明を始めてますし、最後は漏尽智ですからね。
しかしその中間行程の「順番」にこだわってはならず、実はあなたの喩えで言うならば、猿と犬と雉は常に揃って鬼退治をしたわけです。
鬼退治の前にお供をしたなんて当たり前で、その逆はあり得ない。
しかし猿と犬と雉同士の順番は割とどうでもよい。桃太郎(比丘)と力を合わせるだけで十分です。
またゴールと思える漏尽智ですが、その前に欲漏、有漏、無明漏が尽きていた漏尽があったことを忘れてはならない。
漏尽智は漏尽を観察によって認識していたのです。
だから観察して漏が尽きていてもはや後有を受けないことを認識できたことを
めでたしめでたしの最終段階にしてもよいが、解脱していたのはそれより少し前と見るべきです。
なぜなら今ここでは悟りよりも解脱の状態をそういう命題だからです。
順番ではなく、これは解脱なのか?解脱ではないのか?という命題です。
となると心に随煩悩を晴れていた境地はまさに解脱の境地になります。
ならばその人がいろいろ観察するならば漏尽智に必ず至ります。
なぜなら解脱していたのだから。
なんでそう言うのか?と言うと解脱の定義が煩悩の滅なんだから、それが四諦の理なんだからそうなります。
単に心の安定だけならばそこまでは判断しませんでした。
また慧の果報の解説となると、やはり輪廻の観察から苦集滅道の理の観察になるのですが、これを説明するならばやはり中間行程ではわからず、
最終成果で説明するのが一番よくわかると思いませんか?
なぜなら仏教の仏教たる特徴はこの智慧にあるのだから、真理なんだから、ここの説明は大切です。
ならば最終成果たる漏尽智の場を利用するのが最も賢明と言えます。
だから一番最後に四諦の理が出てくる。
しかしこれはもっと前からこれに取り組んできたはずだ。
物事は何事は仮説試論があり、それを実践により検証する。
その証明が最後の観察で証明できたという話です。
四諦の理はその時初めてポコッと生まれたのではなく大真面目にその仮説の基に道諦=八正道に取り組んできた。
そしてたしかに煩悩滅の解脱を成し遂げ、観察でそれを悟りとして真理として証明してみせた話です。 なぜなら今ここでは悟りよりも解脱の状態をそういう命題だからです。→なぜなら今ここでは悟りよりも解脱の状態を指標に考えるそういう命題だからです。 物事は何事は仮説試論があり→物事は何事も仮説試論があり >>966 神も仏も名無しさん 2021/01/31(日) 16:19:24.71 ID:ko4WauoB
>ところが、>>943では指ちゃんはついに寝返った。
>>>943 ユビキタス
>>「そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱し、解脱した
>>と全く同じ文であることがわかります。
>>遊行経であれ沙門果経であれ、他の多くの経典に共通して見られる常套句です。
>解脱したのは
>>「そのように知り、そのように見るものには、欲の漏から心が解脱し、また有の漏から心が解脱し、また無明の漏から心が解脱し、
>の箇所だと認めるわけですね。
>これで深山さんもさぞかし喜んでいることだろう。
いいえ、違いますよ。私は「そのように知り」以降の文は漏尽智の常套句だとアラカンポ先生に説明したのです。
そこで解脱した話ではなく解脱はその少し前にあり、漏尽解脱していたから観察によって漏尽解脱できていたと
知ったのだと説明してあげたのです。
これが漏尽智の内容なんだからこの文章を途中で時系列的に切ってはならず一まとまりにこれを知った、悟ったと読むべきだと説明したのです。
彼はあなたとも違って煩悩解脱は小解脱でありそれより上の解脱智があると主張したのだから
それは違うよと教えてあげたのです。
あの引用は解脱した瞬間ではなく漏尽智の説明の常套句です。
だから深山さんからも文句も言われる筋合いもない話ですw >>967 神も仏も名無しさん 2021/01/31(日) 16:22:49.28 ID:ko4WauoB
>>885 神も仏も名無しさん
>>漏尽智は幅広い智ですね。
>>漏尽したことを知ることの他に、漏を滅ぼす智も含めて、漏尽智なのですね。
>その通りです。
あなたの中村博士の説の曲解の問題は この際相手にしないことにしても、
アラカンポ先生が漏尽智は幅広いちと 書いたことに関しては微妙な言い方だと私は書きました。
なるほど確かに私も幅広い智であるようにも思えます。
というのはこういうことです。
煩悩が尽きたことを知る絶対必要条件は煩悩が尽きているという事実です。
逆に言うとこの事実さえあれば、本人が自覚きるできないに関わらず、絶対的なものを獲得します。
何が大切かと言うと煩悩が尽きて無くなっているということですね。
だからすごく極端な話をすると解脱知見なんてなくても解脱だけでも十分ではないかとさえ思えるような話です。
無師独覚の釈尊は これを真理として人に伝えるためにもそのように示す必要はあったわけですが、
後進の弟子であるならば解脱知見が得られればより幸いだが、解脱だけでも十分とさえ極端な話言える。
しかし経典でちゃんと解脱知見まで表現しているのだから、 今度は読む側として何に気をつけねばならないかと言うと、
あなたのように心に随煩悩が離れている境地を読んでも、これはまだ解脱ではないと認めないなんて
変な順番説にこだわることを我々は避けねばならないのです。 >>970 神も仏も名無しさん 2021/01/31(日) 16:33:26.30 ID:ko4WauoB
>何を取り違えたのかな?
>作り話をしないでもらいたいですな。
>四禅を終えた時に解脱を得たのは嘘だと言ったが、
>覚者仏陀になったのが嘘だとは言ってないよん。
説明してあげます。
もちろんあなたは各しゃぶった なんて指標ではなくあくまでも解脱を指標としています。
しかしあなたはこの経典の最後に出てくるゴールと見える成果を最終解脱という頭で固まっているが、
よく読むとそれは解脱知見であり、解脱した成果を踏まえて観察により真理を悟って大覚世尊仏陀になった
というゴールなんだから、この「悟り、真理の認識証明」という部分と「解脱している」という部分は
もっと厳密に分けて考えるべきではないかと 問題提起をしたのです。
だから真理を認識できたという部分をここで初めて解脱したと取り違えてはならないと書いたのです。 各しゃぶった なんて指標ではなく→覚者仏陀なんて真理ではなく
wwwwwwwww 覚者仏陀なんて真理ではなく→覚者仏陀なんて指標ではなく
変換の選択肢がふにゃふにゃしてて正しく選べてないなあw 星まつりまであと1週間。
天気は良さそうですね。
しかし緊急事態宣言下のコロナ禍なんだから信者さんたちは極力現地に行かない選択をしましょう。
「私は現地に行かない選択で教団に協力する」くらいの気概を持ちましょう。 「現地に行かない選択で教団にも世の中にも協力貢献する」ですね。 だって昨年38万人の参拝者があったならば、これはよほど厳しく大幅に参拝者を減らすことを
呼びかけねばならないではありませんか?
信者以外の一般参拝者もたくさんいるのであれば、そこに対してもなるべく今年は来ないようにと呼びかけねばなりません。
しかしその必要もなく、 今年は全国60箇所の道場での生中継やネット配信も ありますから、
そちらでも参拝可能ですよ、と示すだけで今年の現地参拝者数は5000人は下回ることは 目に見えています。
つまり38万人なんて嘘だったことが証明されます。
また参拝者のほとんどが信者で占めていたことも証明されます。
しかし参拝者よりも現地運営修行者こそ本当に厳重に感染防止に 努めなけれ 危険な面もあります。
少し体調が悪かったら参加をキャンセルする勇気も必要です。
もちろんちゃんとその理由を言って堂々とです。 だから現地修行者たこそ当日当時間の検温が絶対必要だと思うんだよな。
これは花山現地だけではなく、全国の各道場での修行者も同様ですが。
一応当然やるでしょうと見てますが。 煩悩はなぜ、どこから生まれるか、というと、業による業力、業報から生まれる、と釈迦は説いている。だから、煩悩だけ滅しても、無駄なのです。というよりも、煩悩だけ滅するのは不可能なわけです。それを、深山ユビは、理解出来ない。煩悩滅だけなら学校でも教えてます。 仏教の目的は苦滅であって、煩悩滅ではない。
苦滅のために、煩悩滅が必要だということ。
釈迦が五比丘を弟子にする時も、ヤサの友人達を弟子にする時も、カッサバ兄弟を弟子にする時も、言う言葉は同じ「修行して苦滅を得るがよい」です。煩悩滅を得るがよい、ではない。 仏教は苦滅を得るのが目的だ、ということを認めると、桐山師が説く、〇〇の因縁を切る、という教えを否定出来なくなるから、深山ユビは都合悪いのだろうね。
〇〇の因縁とは、全て「〇〇苦」の、苦滅を説いているわけだから。 >>987
じゃあ桐山は何故因縁が切れなかったんだ?
脳梗塞になった、これを阿含宗では『脳障害の因縁』という。
桐山夫人はガン死した、これを阿含宗では『ガンの因縁』という。 次スレを立てました。このスレが終了したら移動してください。
阿含宗という宗教 321
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1612150409/
昨日は勘違いで別板の別スレを立ててしまったが、こっちだったか。 >>987 神も仏も名無しさん 2021/02/01(月) 10:14:46.81 ID:+N6qe/t/
>仏教は苦滅を得るのが目的だ、ということを認めると、桐山師が説く、〇〇の因縁を切る、という教えを否定出来なくなるから、深山ユビは都合悪いのだろうね。
>〇〇の因縁とは、全て「〇〇苦」の、苦滅を説いているわけだから。
苦滅だの○○苦だの曖昧な単語で自分の考えすらもごまかすな。
あなたが示せた煩悩滅以外の苦滅は輪廻滅しかない。
ところが桐山因縁とは○○ではなく癌の因縁だったり横変死の因縁だったり夫婦縁破れる因縁だったり具体的だ。
もちろん輪廻滅ではなく生きている間の現世利益の話だ。
夫婦縁は煩悩滅でなんとかできるかもしれないが、癌や事故死などがなくなるわけではない。
釈尊の二大弟子の阿羅漢であるモッガラーナなどは異教徒の攻撃に遭って、
それが原因で死んだのだから他殺されたのであり横変死の因縁だ。
しかもモッガラーナは死ぬ前に自分が攻撃を受けるのは前世の行いの報いであるから
これは避けられず受けるしかないと言って死んだのだ。
阿羅漢が横変死の因縁が切れてない?
つまりそんな因縁解脱など説いていなかった。
煩悩滅以外の智慧だが、どれが病気も事故死も無くす智慧よ?
宿明智、天眼智などで前世来世輪廻の諸相が見渡せれば、癌も事故死も滅することができるのですか?
ほら、説明にもなっていない。説明できない。
つまりそんな智など無い。
癌や事故死と解脱は関係ない。
桐山因縁は嘘か妄想に過ぎない。 阿含宗批判にもならない雑談レベルの話ですが、昨日のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」では
光秀が八上城と黒井城を陥落させ、丹波平定を成し遂げた話がありました。
八上城と言えば、阿含宗と土地浄霊法要の草分けの地ですね。
波田野一族の怨念が今の丹波篠山の災害事故などの不幸の元だからこれを鎮めるという話です。
で波田野兄弟は昨日の放送でも説明されていたように信長に謁見されるわけですが、信長は光秀の配慮などをよそに
いとも簡単に波田野兄弟を斬殺して首を塩漬けにしたという話です。
この波田野斬殺は史実とされているようですが、実はこの話にはこれまで続きがあって、
信長の所に謁見連行する条件として光秀が自分の母親の牧を人質に出したという話です。
そして波田野兄弟は殺されたので八上城では光秀の母をはりつけにして殺したという話です。
「秀吉」の時は、光秀の母を野際陽子が演じてはりつけにあって絶叫死を遂げている。
今回石川さゆりのはりつけを楽しみに待つ視聴者もいたとかw
これが怨恨となって本能寺の変を起こすという説ですが、昨日は私の予想通りこの話は出しませんでした。
というのは今ではこれは後世の作り話であるといつ説が有力だからです。
だからそんな史実がなければ石川さゆりのはりつけもなかったわけですが、
桐山さんの当時の法話では、実はこの時光秀が人質に出した母というのは、実は京の都で
乞食をしている老婆を拾って母と差し出し欺いたと説明してました。
今回の麒麟がくるでは、もしそんな話が本当でもそれは光秀のイメージが台無しでドラマのテーマが崩壊しますw
まあ光秀はドラマの虚像よりも実はかなり残忍だったともされてますが。
とにかくその人質の母が偽者で欺いたという伝説がネットで見つかりません。
まあ母親人質説自体が作り話で史実でない説が有力だとはいうものの、その欺き説が
なかなか見つかりませんね。
もちろん桐山さんはこれを霊視したなんて示してなく単にそんな伝承を紹介したという話ですが、
その伝承は本当にあったのか?
あの桐山さんのことだからまた別の話と混同したなんてことはないか?なんてことも思ってます。 阿含宗と土地浄霊法要の草分けの地→阿含宗の土地浄霊法要の草分けの地 >>987
じゃあ桐山ゲイカの色情の因縁は?
でもゲイカは色情の因縁
で苦しむというより楽しんでいたような気もするけどねw
I川さんとマツケンサンバ観に行って、おひねり投げて楽しんでいたという話も聞いたし
ゴルフいったこともありで べつに因縁=苦じゃねえじゃん
バカらしいwww
まあ逆恩の因縁というのもあるな
なんでもかんでも因縁にして運命が決まるみたいな
それが仏教だと今でも信じているのか
ホント頭がめでたいよなw >>994
桐山さんの漫談呆話で「色情の因縁だけは切らないでくれ」と言った信者がいたとかいないとかw
それ、そもそも作り話で、色情の因縁切らないでくれなんて言うのは桐ちゃんしかおらんでしょw 桐山さんは信者に手を出したのがまずかった
私でも将来ヤバいことになると透視できるレベルです。 緊急事態宣言は栃木県を除いて3月7日まで延長されます。
東京都も減少傾向と言いますが、自分の身の回りを見る限りとんでもない!と言わざるを得ない。
皆さん、くれぐれも気をつけて。
誰が感染しても不思議ではないが、感染してしまったらとにかく無事回復を願います。 節分の豆まき中止の寺院と規模縮小で行う寺院がありますが、
ニュースで参考にする意義はありますね。 >>999
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