>>468 神も仏も名無しさん 2021/01/18(月) 22:49:54.89 ID:RPb/W1yg
>実践してはいるが認識はしていませんね。

認識しないで実践なんかできますか?
四諦とは苦諦、集諦、滅諦、道諦という真理ですよね。
苦しみは煩悩を集めているから起こるのであり煩悩を滅すればよいのだが、
滅する道が八正道という真理です。
これを理解せずにどうして実践にとりかかれる。
そして八正道を実践して煩悩を滅して苦から離れたと認識できるようになる。
この認識を得るには八正道の実践を日常生活でしなければならないのだが、
それは四禅を終えて神通も示してそれから初めて実践するのですか?
そうではなくもう長年実践してきている。
そして煩悩滅して苦から離れた。苦とは心が安定してないことだった。
依然として人間は老いて死ぬ。
しかしそんなことは当たり前であると悟り、心はそんなことに動かされずに安定している。
だからそんな比丘が心を向けただけで心の安定=解脱を得ていたと知るのです。
だから回りくどい表現にも思えるが、解脱していたという事実が先にある。
心を神通に向けたら神通が示されたし、心を真理に向けたら解脱していたと知るわけです。