>>467 神も仏も名無しさん 2021/01/18(月) 22:44:52.67 ID:RPb/W1yg
>では前と同じ質問をするけど、どうして水野博士は
>「四禅四無色定といわれるような、高い禅定に熟達した者がさとりを開くときには」
>と書いたのですか?

四禅四無色定に熟達した者=八等至の自在ではないですか。
四禅までの修禅記述しかないのに。
だからいつでも悟りを開ける状態だったわけですね。
いつでも神通力を発揮できる状態だったわけですね。
ちなみに神通力はそこから特別な修行してなんて書いていない。
心を向けたら神通も示したというだけです。
そして悟りについても四諦に心を向けたら解脱していることを確認したというけです。
特別な主義はしていない。
心を向けただけです。
ならば四禅までの修行で(順番で戒と定しかやっていない)そこまで行けたのか言うとそんなわけはない。
ちゃんと慧の修行もしていた。
四諦八正道の修行もしていたから禅定においては八等至の自在、四禅四無色定に熟達しているだけで、
心を向けただけで己の解脱を確認できたのです。(漏尽智)
これは入門以来の戒定慧の戒定慧=八正道の修行が実って解脱したのです。
だから四禅を終えた後でも小さな煩悩も離れていたのであり、解脱していたのです。