護摩木1本を阿含宗の信者に勧められて書いて、それで阿含宗に縁ができて、
困った問題が解決して救われたという報告があったのだそうです。
だからそういう人のために護摩木勧進にすることは大切な梵行なんだというのが桐山さんの話ですね。
ちなみに私も信者時代はお恥ずかしながらその考えでやっていたわけです。
しかし考えてみたら護摩木1本で救われたなんて言っても、それって本当に護摩木とか阿含宗の力によって
問題が解決したのかどうかなんて実際のところわからないし、 単に思い込みに過ぎないし、
それすらも非常に稀な例としか言いようがありません。
ほとんどは護摩木を書いても書いたこと自体を忘れてる人も多いだろうし、
何も変化のない人がほとんどだろうし、そんな超稀な成果を得ることを想定して護摩木勧進をするなんてのは、
自己満足の自己陶酔に過ぎません。