ローマカトリック教会 2
468ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2021/04/08(木) 17:34:10.60ID:GdkRoOtL >469
使徒信条の説明(抜粋)

使徒信条の標準本文とされるものに近いテキストは
8世紀(700年代)頃から現われ始めます。

使徒信条の標準本文とは、
公認本文(TextusReceptus、Tと略称)とも呼ばれものです。
それはコンスタンツ湖近くのベネディクト会修道院の創立者
ピルミニンの『スカラプスス』という著作において見ることができ、
710年から724年の間のものとされています。

またこれと非常に類似したテキストが、
『ボッビオのミサ典礼書(ガリア秘跡書)』(7世紀もしくは8世紀〔700年代〕初頭)、
『ベンゴール交唱集』(680〜689年)、
『古ガリア・ミサ典礼書』(8世紀〔700年代〕)にも見られ、
こうしたことから、
「現在の使徒信条の普及がカロリング・ルネサンス、
並びにそれに関わったベネディクト会の修道士たちとに
関係していたことが推定されます。

こうして、それがまず南ガリア、
ピレネー山脈からローヌ川での地域からガリア全域、
ドイツへと流布しその権威が確立して、
更にローマのものとして確立されることになった」と考えられています。

しかし当のローマ教会では、
6世紀(500年代)頃からニカイア信条(クレド)を使うようになっていました。

そこでローマ教会が、使徒信条を用い始めるのは
8世紀(700年代)以降のことで、
「この使徒信条のローマ教会への再導入は、シャルルマーニュの時代の
典礼統一の動きに伴うものと考えられています」。

フランク王シャルルマーニュは自国の文化統一という企図を持ち、
典礼や礼拝式文を一つにすることに熱心で、
特に使徒信条とアタナシウス信条と主の祈りとを公式に用いることを命じます。