スピな人が「人はそのままで神である」と語る
伝統教会はその思想の危険性を知ってるから、そういう態度をそのまま受け入れることはない

教会は人は神に似せて作られたから神性は持っている
しかし原罪でそれはくすんでしまったから、回復する必要がある

みたいな説明の仕方を行う

自分がそのままで神である、みたいな主張は繁栄の神学のようなカルトが好んで行う
伝統教派は行わない

なぜなら、人はまだ原罪があがなわれても罪の重力の中にあり、自由意志でその重力に抗い、キリストに似たものにならなければいけないから