信仰のみ、が強調されて、今や「生前の行為は関係ない」みたいな曲解まで堕落したのはカトリックの免罪符へのプロテストのせい

免罪符は生前の罪が免罪符で赦される(んなわけないだろ)といったもの

上記のような曲解が生まれてしまったのは元を遡るとカトリックの腐敗であることは言うまでもないが

プロテスタントでもカトリックでも正教会でも「大罪を犯すものが地獄に堕ちる」が変わることはない

大罪とは生前の行為の結果であることは言うまでもない