>>262
天国も地獄も裁きも象徴ではありませんな

キリスト教の公審判を仏教のような「個人」に結び付けられるだけのもの、と捉えると理解できない

キリスト教は神の創造を人(人類)の救済において啓示する宗教

従って、天国も地獄も審判も「人類」に対してなされるもの

公審判の後、キリスト教では「全宇宙が新たにされる」と語られます
見える宇宙が具体的に一新されると語られる

地獄は神や至福者たちとの交わりから永遠に離れ去る具体的な状態におかれることを指す
その結果、霊魂も肉体も滅ぼされます

教会ではこの地獄への自由意志をもって神から離れたもの、大罪を犯しても悔い改めないものの行くところと語ります
しかし同時に神は誰一人として地獄に予定してない、それは人の自由意志にかかってるとも語る
従って教会としては回心を促す概念として地獄を使います

最後の審判はキリストの再臨の時に、全て死者が復活し、生前の神との関わり方(信仰)と記録される行った善と悪を用いて裁かれる

これらは象徴ではなく、具体的に現実になるもの、として信じられとりますな