>>578 自己レス

>安那般那念は呼吸法ではないとのことですが、自分の経験からは呼吸はヨガのように細く長くして瞑想した方が気持ちが良いですし、
>身体が消えて鼻から胸までの一本の呼吸器官だけがあるような感じがすると同時に精神集中しやすいですし、気持ちが良いせいか組んだ足も疲れません。
>でも伝統では呼吸法ではないようです。

と書いた私ですが、私が貼ったリンク先の真言宗法楽寺の安那般那念(数息観)を見直して見ると

「初め呼吸をのみ対象としてこれに集中し、心を鎮め、そしてさらに呼吸の状態をただ淡々と見つめる。
その結果として、心に妄念無く、喜楽が生じる。
これに伴って、呼吸は長く深く、そして細く、やがて極限まで少なく「なっていく」。
しかし、それもやはり淡々と見て、それら感覚にとらわれずに心の状態を見続け、ついには無常・無我・苦を現観して涅槃に到達するのが安般念です。」

とあり、涅槃に到達するはないですが、自分の数息観もこちらかなと思いました。
最初から息を細く長くしようと思っても出来ないものなんですよね、苦しくなって。
坐禅している内に段々と『勝手に』呼吸は長く深く少なくなっている、というのが自分においても現状だなと思います。
私でさえそうなのだから、同じような経験をしている方は多いのでないかな……と勝手に思ってしまいますがw

そして最後まで読むと、何よりも必要なのは地道に続けること、諦めないこと、とありますが、
正精進が八正道の一つになっている理由が読んでるだけで分かったようなw
さて、こちらも不退転の覚悟で数行き数息観をしますかね、一日20分で。