経典貼ってる人がマインドフルネスで野狐の危険の事を言っていたが
(だからマインドフルネスの奴らは経典を読みやがれと言うわけ)

認識している世界の全てにコンパッション、慈悲を向けられる心すなわち観察者が
自分にあることを発見した人は、決して野狐にはならないw

経典の彼がマインドフルネス知らないのかもしれないが、
マインドフルネスのつもりでマインドフルネスになってない人が
野狐になるということは十分にある
慈悲の瞑想が観察と同じだとわからないなら、十分野狐になれる資格はある

恐れる必要はないが、心に留めておくべきこと

マインドフルネスはどこまで行っても自己観察なのだから
そこに苦を見出すのは当然のことだよ

かく言う自分も「この世に苦などあるものか」と思っていたからねw
二十年くらい前の子供の頃は
そういう人ほど、嫌というほど見たくないような自分の姿を見るよ
だから、マインドフルネスを得る