阿含宗という宗教 305
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>>686 神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad >★★「心の安定」にしがみついても無意味★★ ペテン大作さんはまた、自分のしていることを私がしていると言い変えた。 「心の安定」にしがみついているのはペテン大作さんでしょう。 十年もの間、しつこく、執念深く、年に何度も、心の 安定(統一)を出しているのはあなたであって、私ではない。 今回も、前回も、その前もすべてあなたです。 霊障のホトケのように心の安定の話に憑りついている。 桐山カルマ解脱「神通力によってカルマを断ち切り解脱する」 この桐山さんの解脱の件はどうなったのだ? この十年間、あなたは何一つ根拠を示せていないのですよ。 私もユビキタスさんも釈尊の解脱について説明した。 しかも、今回が初めてではない。 ユビキタスさんからも、あなたに解脱とは何かと質問すると いっさい答えないという指摘があった。 実際、今日もあなたはただ私に難癖をつけて自爆しただけで、 桐山カルマ解脱については何もなかった。 毎度のその見苦しい自爆ネタはもう見飽きたから、 本題に戻してください・・・もちろん、卑怯者の ペテン大作さんがするはずがない。 これだけ卑怯なのに、良くまあ、朝からギンギンなんて書いたものだ。 全然、男が立たないじゃないか。 ああ ペテン大作が深山氏とチカラ自慢したいのなら、無理だな。 仏教を理解しないで資料のみで語ろうとしているのは見え見えで、 それはペテン大作の見栄見栄がデカいから、 つまり執着という煩悩で目一杯なのだよ。 だから絶対に負けを認めない。 だが男がたたないってのは男が廃るってもんだよ。 お〜〜い、ペテンよお いいかげんにせーよ〜〜♩ 今こそおまえが阿含宗さんでやってきたパールちゃんの法で 男をおっ立てる神通力 出すんだぞ〜〜♩ ついでに「荒恵比寿尊さん」のお色気も活用して ギンギンになれよ〜〜♩ W W W 心の安定、が解脱というのは、大乗仏教の解脱なのです。阿含教学では四禅は色界の禅定であるから、四禅で解脱することはあり得ないのです。その説明の中で、煩悩もなく、とあるのは、色界の煩悩のことなのです。その上に無色界の禅定があるのです。 いかに批判派が愚かだとはいえ、四向四果についての深山ユビ説は理解しています。 阿羅漢=阿羅漢向+阿羅漢果 預流 =預流向 +預流果 だという深山ユビ説です。これが正しいか、間違いかは、今後何百年にも渡って影響を与える大事なことなのです 阿含教学では、四向四果の流れでしか成仏出来ないのですから、四向四果の仕組みを理解することは重要なのです。それを、深山ユビ説みたいな、間違い解釈では永遠に成仏出来ないのです。だからこそ私は四向四果の原点に拘わるのです。分かりましたか? たぶん、深山ユビは、四向四果説についても、自分の説が勝つか負けるか、とのレベルの低いところで考えている。間違い理論は、将来に渡って人々を誤らせるのです。自分の面子だけの問題ではない。だから、間違いに気づいたら表明する責任がある。正しいと思うならそれ表明せよ はああ愚かだな しょせん四向四果ってのはアビ達磨教学であって行きがかかり上、 釈迦は、修行に向かものと修行を達成したものの話をしただけですから。 それに食いついたのが、解脱を理解できなかった往時の仏教学者だったのや。 ここの三馬化連合と同じだな、ものの見方が。 そんなのはなぁ、説法のいきさつでは当り前の話しだろ。 聖者の4段階と修行者の8つの在り方を混同するのは、自分が仏教無知と 言っているのと同じや。 桐山さんも認めた話に異を唱えるとは、阿含宗異端者だってことな。 >>706-709 お疲れさま。 ヨルコウ職員(=ペテン大作職員)、あんたスレ荒らしやって ペテン阿含宗を擁護しているつもりなの? 仕事なんだろw ずいぶんおまえは業が深い野郎だなw 恥を知れ 恥を! ペテンが引っ込んで、ヨルコウが短文連投。 10年間 そうやって 当スレを荒らしてるもんなw バカみたいだねw 現 阿含宗は「荒恵比寿尊のご神託」とか、わけの分からん ものを大量発行して、桐山靖雄の詐欺手法遺産は食い尽くしたぞ。 もうおしまいなんだよw ゴミクズのあんたが(ペテン大作職員=ヨルコウ職員) スレ荒らし やっても状況は変わらんぞw 氏示! W W W 桐山故館長は幸福の科学大川総裁を名指しで、「脳障害の顔でしょう、分からないのですか」と言っていました。 翻って現在のW田理事長の顔を見るとまるで爬虫類のようです。 偶像を拝む者は偶像のようになる、とはまさにこのことです。 >>712 おそらくウルトラマンのダダと、 レインボーマンの死ね死ね団隊員、 ゲゲゲの鬼太郎に出てく悪い人間、 この三つを合体させてチビにすると、 「荒恵比寿尊のご神託」腹話術の糞ババアライターの面になると 存じますw 貧相この上ないですねw すでに物笑いのネタになっているのに、いい調子で気づいていない のは、ご本人だけでしょうw チビは、低脳なので一生わからずに終わるでしょう(笑) 愉快♩愉快♩ めでたい♩めでたい♩ まあしょせん阿含宗というのは依存宗教ですよ。 何だって御利益があればそれにしがみ付けというご神託を作って、信者は永久にATM化し お金を搾り取られるという図式だね。 なんでも図式化して物事を覚えたい連中なのに、肝心の阿含宗教義の搾取メソッドには 気づかない知性しか持ち合わせていない。 バロウなんて読んでるんだ、ビツクリ。 それにしては、その辺に転がってる石でも木の根っこでも、有難い謂われをご神託と 称されれば目の色を変えてそれにしがみ付いている信者さんの形振りは気の毒だが、 桐山さんから欲を植え付けられているからどうしても条件反射するのだろう。 自らを世界宗教だと宣伝している割には桐山氏は日本語しか話せず、 英語については片道理のスペーチを丸暗記しただけで会員の前で自慢げに語るありさま。 英語のスピーチくらい文系の大学生なら当たり前に出来ることなのにバカじゃないですか。 エレクトロニクスと霊性の結合とかほざきながら、ワープロすら打てなかった桐山開祖。 信者から「インターネットの導入についてはどう考えてるか?」という質問を受けて、 「インターネットはまだ様子を見ないとわからない」と言ったエレクトロニクス開祖。 >>717 >「インターネットはまだ様子を見ないとわからない」と >言ったエレクトロニクス開祖。 こういうのもありますよ! 「俺は(桐山靖雄開祖さん)、コンピューターというものが出てきた ときに、直感的に、これが時代をリードすると、こう思ったんだ。 君たちはコンピューターを入れて 何をしようとしてるんだ!」 自分が「人間改造工学」とかいう教団パンフレット作ってさぁ、 「霊感とエレクトロニクスの結合」とかこいていたのに!? 「インターネットはまだ様子を見ないとわからない」は、 桐山開祖さん 一世一代の迷ギャクの一つでしょうね! まあね、様子見ているうちに、お骨になちゃってさぁ。 最後はチンドン屋みたいな恰好で、お神輿に乗せられて、 回転式のイスに座って、「エイッ」で ウハウハの ガッポリよw 騙される家畜がいけないね。 W W W >>716 キリヤマさんて尊敬と言うか敬愛していたらしいリポット・ソンディ博士(Lipot Szondi)を著書によってはR・ソンディなんて書いていたお人ですから(笑)。 思い出したけど、キリヤマさん著者と筆者の使い分けも出来ない、本当に作家志望だったのか疑わしい人ですね。 Aさんが書いた文章でBさんの書いた文章を引用した場合、Aさんを筆者、Bさんを著者と記述するのが文筆家の常識です。 だがしかし、キリヤマさんは自著で自分を著者って書いていましたね。 >>718 2ちゃんねると噂のチャンネルの違いがわからなかった人ですからねwww エレクトロニクスは苦手で、何が何だかわからないが、エレクトならば・・・ いや、糖尿病からEDになったから、それもダメかw なにが超人だかw 結局のところ時代の流れについていけないタダの老人でしたねw 90年代にはいっても頭ン中は70年代でしたね。 なんかの話で若者にもナウいって言われる阿含宗(ナウいってw、もう死語だろw) そんな法話も(呆話)もありました。 >>722 YANのトレーナーを若者たちは着たいのだ! とか、世迷い言も駄弁ってましたw ナウイって 言ってた♩言ってた♩ 本当に効果のある「求聞持堂ドーム」を作りゃあ それだけで充分。だが大嘘だから それができなかった。 W W W >>722 >>724 ナウい www 笑えるw でも、もうお陀仏! だけど、お骨のクセに喋っている。 案外しゃべるお骨らしいやw セコイ 腹話術だわw バカみたいな集団だよw 基地害だな。 せんだみつお とかが、ギンザナウ放送してた時代だね! ナウいってさ。 お陀仏ジジイは無理して若モンにあわせてな。 現ババアは、爬虫類みてえな面でな、ざまあねえよw 「荒恵比寿尊のご神託」だとよw 低脳で芸なしにチビなw 何が中葬上だよなw いいかげんにしろよなクズなw お骨が喋るわけねえし、 おまえらなんかに神さまが話しかけたり、神示なんかねえよ。 くだらねえ作りごとやってると ロクなことねえぞ! >>718 >最後はチンドン屋みたいな恰好で、お神輿に乗せられて、 猿回しのサルみたい(号泣) 自分で駆け回ることができなくなる前に 自殺するって言ってた希ガスるんだけど ききちがいかな? >>722 最近はナウいと言わずにイマいって言うんですよ。イエーイ♪ >>728 六本木で パーテー でもやって盛り上がりますかーぁ! 阿含宗さん、グッドなアイディアが浮かんだので お知らせするね♩♩ ペテンスレ荒らし報告職員(=ヨルコウ職員)さん、 よーく、ダボの爬虫類に伝えておくんだぞ! いいな三下の小僧w 来年の阿呆の星まつりでよお、 荒恵比寿せんべい 荒恵比寿あんぱん 荒恵比寿司 荒恵比寿おにぎり きわめつけが「密教食入り 荒恵比寿松花堂弁当」な、 これらを販売してくれよw 密教食入りだからな、宣伝文句でな「牛骨粉たっぷり」と 入れるんだ。消費者に嘘はつけないからな。 唐揚げにキャベツも入れて 松花堂弁当を作れ。いいなw これだけのアイディアを授けたんだから、普通は顧問料を 支払うべきだが、まあな桐山親分さんとは昔の馴染みだからな 今回はまけといてやるw 全部の商品に密教食を混入させるんだ! いいなw 光和(ミツワ)食品のほうにも伝えろよw YANって言えば、「核兵器が飛んできた時に念力で信管を抜く」とほざいてたアホがいましたね。 核兵器使用されるような状況になる前に念力とやらで、 世界を救うっつう考えに至れよ幼稚なバカどもと言ってやりたかったですが、 YAN自体ダークトライアドの桐山氏の、 「テロリストがトランクに入った核爆弾を持ち込んで大都市を壊滅させる」説に洗脳されていて、 哀れこの上なかったですよ。 そう言えば当時のYANの空想妄想アニメ的なノリと、今回の荒恵比寿尊の神託の幼稚さと共通するものがあるね。 いや、最近の職員ってどんなのがおるか知らんし、当時のYANメンバーが職員やってるとかわからんけど。 何これ!? 「共にこの日の本の怨敵降伏せしもう哉」 変なご神託。 「怨敵降伏せしもう哉」 程度が低く杉w おそろしい妄想w こんな子供騙しで銭を集めるんだ。 いいかげんに阿含宗の信者さんも、現阿含宗と距離おいたほうが いいよw 人生やり直しはできるからね! 爬虫類は仏教徒じゃあないからねぇ〜w ↓ ↓ ↓ ----------------- 〔阿含宗さん公式認定〕 『荒恵比寿尊のご神託 』 「我白さん 今まさにこの日の本に怨敵あり その様羽虫(イナゴ〉の群れの如き邪軍なり 彼らは情け持たぬ邪まなる者なり (中略) 願わくば 荒魂顕現し 我が神軍に加わり その豪猛なる武神軍を率いて 共にこの日の本の怨敵降伏せしもう哉 我らは日の本の守護神なり 必勝の神なり 我らの末の子の為に 情け持たぬこの邪軍を討ち降伏せしむ戦いに臨もうぞ」 (『アゴンマガジン』102号、36〜37頁) これが阿含宗信者の正体です! (魑魅魍魎コテンパンレスの実例) ↓ ↓ ↓ ------------- >>706-709 お疲れさま。 ヨルコウ職員(=ペテン大作職員)、あんたスレ荒らしやって ペテン阿含宗を擁護しているつもりなの? 仕事なんだろw ずいぶんおまえは業が深い野郎だなw 恥を知れ 恥を! ペテンが引っ込んで、ヨルコウが短文連投。 10年間 そうやって 当スレを荒らしてるもんなw バカみたいだねw 現 阿含宗は「荒恵比寿尊のご神託」とか、わけの分からん ものを大量発行して、桐山靖雄の詐欺手法遺産は食い尽くしたぞ。 もうおしまいなんだよw ゴミクズのあんたが(ペテン大作職員=ヨルコウ職員) スレ荒らし やっても状況は変わらんぞw 氏示! W W W 荒恵比寿尊は、阿含宗信者の深層心理の現れ 【恵比寿】は、世間福とりわけ経済的に裕福になり、かつ情欲を満たしたい信者の貪欲・煩悩をキャッチする。 【尊】は、尊大なプライド。自分が否定されることを拒否したい心性を神仏にかこつけて 安全柵をはりめぐらせて防御のかまえを見せている。 【荒】は、世間から自分のこと阿含宗のことを認められたいのに認められず、 優越感が満たされない信者の対社会的不満や攻撃性、 プライドやそれが充足されないコンプレックスの突破口。 【アラエッサッサー】は、羽目を外したいのに人目が気になって小マジメぶってる 信者の、社会的に許容された範囲内での仮面外し。 けっきょく許された範囲での羽目外ししかできないで小満足してる。 それらの現われが、爬虫類顔の荒恵比寿尊。 靖雄大覚尊「おい、アラエビスとやらよ。キサマその物言いといい、態度でかくないか? キサマなんぞ解脱してないだろ?因縁解脱もしてないだろ? 因縁解脱はシャカの成仏法でなければ不可能なんだからな。 キサマは所詮この俺の想像の産物に過ぎないことを頭に留め、ほどほどにせいよ」 靖壽中僧正「あら、それ違うわよ。アラエビスはあたしの創作よ」 ヤス壽 『荒恵比寿を作ったのはアタシなのよ、なのよ〜』 ヤス雄 『なななんだ、おまえだったのか〜。あたらしい集金術 、、、、なら、そう言ってくれよ〜。それらしい話をこさえて 、、、、事前に仕込んでおいたのにー』 ヤス壽 『どうせ 荒は「アラーの神」につうじているとか 、、、、言うんでしょ』 ヤス雄 『バカ言え、もっとすごいんだぞ! 、、、、「荒恵比寿尊」は実は準胝尊のヘンゲだという手があるぞ。 、、、、これはわたくし独自ですねぇ〜〜』 ★なんじゃ? つまらんギャグのやり取りは、批判にもならないから少しは控えたらどうか。 ここは、 鬱憤晴らしの落書き板じゃないとみていたがね、、、、。 深山さんの書き込みを読むと心が洗われるんだけどなあ。 ちょっとご無沙汰してました。 フムフムなるほど。 結局深山は>>520 の二つの質問には答えず長文でごまかしてるね。 まあこれがいつもの手口なので気にしないけど。 ところで>>700 だけど引用している本の注釈では、心が安定は解脱だとは解釈してないよ。 それについては触れないのかい? 【河口湖事件】幸福の科学殺人事件 https://ponkichi-muragon.muragon.com/entry/160.html 【祖父母メッタ刺し惨殺事件】 信者の祖父母を、信者の孫が殺害した河口湖事件 https://twitter.com/JusticeTruth8/status/1185257300065280000?s=20 暗闇の中で血塗れの包丁を握り締め、激しい動悸に襲われながら、少年は何かを祈ったのだろうか。 信仰心の厚い家族の間で起きた凄惨な事件。 実は、犯行の動機にも“宗教”の影が取り沙汰されているのだ。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>738 それも確かにそうなんだが、しかしコンスタントにネタを書き込むことも 一つのスタイルとして考えている。 と言うのは、ペテン大作さんみたいな人がスレ違いの話を持ってきて、その時にだけ反レスしている ように見えるのはこちらにとっても不本意な話です。 だからペテン大作さんの相手をするよか荒恵比寿尊の話書いていた方がスレに合っているのです。 だから実はそういうことも意識して書いてます。 ま、内容のレベルの低さはさておきw だから>>739 みたいのを相手にするよりアラエビスで盛り上がる方が価値がある。 あらえびす タレント漫画家の蛭子さんの怒り顔を想像してしまいましたwww >>739 ペテン大作職員(=ヨルコウ職員)は出てこなくていいよw スレ荒らしだけが目的なんだろ。なあゴミ屑w おまえは爬虫類 配下の塵だろう。「荒恵比寿尊のご神託」でも 後生大事にかかえてればいい。シッシっ!来るな来るなクズw ↓ ↓ ↓ ----------------- 〔阿含宗さん公式認定〕 『荒恵比寿尊のご神託 』 「我白さん 今まさにこの日の本に怨敵あり その様羽虫(イナゴ〉の群れの如き邪軍なり 彼らは情け持たぬ邪まなる者なり (中略) 願わくば 荒魂顕現し 我が神軍に加わり その豪猛なる武神軍を率いて 共にこの日の本の怨敵降伏せしもう哉 我らは日の本の守護神なり 必勝の神なり 我らの末の子の為に 情け持たぬこの邪軍を討ち降伏せしむ戦いに臨もうぞ」 (『アゴンマガジン』102号、36〜37頁) 唐突にユビキタスさんへお伺いですが… 30年位前の星まつり準備か後片付け奉仕か忘れてしまいましたが、夕刻に「急遽再び修法地へ登る」奉仕者を関西本部食堂前で声かけされていませんでしたか? >阿含宗という宗教150 >332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 >仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。 >全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。 >この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。 >自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、 経典に合わせて解釈するのです。 自分勝手な解釈の典型ですね。 正に「妄想脳ここに極まれり」です。 経典に合わせて解釈すれば 「心が統一され、・・・」の文言には 解脱の意味など全くありません。 その根拠をいくつか並べてみましょう。 1 上記の経典では、比丘は四諦を認識した直後に 以下の文章があります。 「このように知り、このように見るかれには、欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します。 解脱したときには、解脱したという智が生じます」(沙門果経100節) もし「心が統一され、・・・」 が解脱なら何故 この様な文章があるのですか? これは>>520 の質問と同じです。 答えは「比丘は「心が統一され、・・・」ではなく 四諦認識直後に解脱したから」です。 これについては岩波仏教辞典に記述があります。 【解脱】 阿羅漢はまた貪愛からの解脱(心解脱)、無明からの解脱(慧解脱)、智慧と禅定の両面で得る解脱(倶解脱)を得ているとする。 (『岩波仏教辞典』初版、 225頁) >>748 続き >>746 この抜粋コメントした人が続けて>>747 のコメントをしているなんて穢らわしい。 >>745 そのような声かけはしたことはありませんし、 また別な人がしているのを目撃したこともありません。 星まつりが終わって関西本部道場に戻って、その日の晩は泊まり、翌朝は大雪で、後片付けのために大勢登るバスがない、 山に登れない、ごく限られた一部でないと登れない言われ、その場で帰っていった ことはありますが。 >>747 私もそれを心配して、たまには抜いた方がいいと思っているのだが、 なかなか抜く気にもならず、出す気にもならず、それでなんとか間に合っているw つい先日も生命保険の担当者がそれまでのおばちゃんに代わって、若い人に変わり、 これがなかなか可愛かったので、彼女が帰った後、私は一人で部屋にいたので 、 ち●こ挿れたいなあ、ち●こ挿れたいなあ、ち●こ挿れたいなあと 腰をカックンカックンカックンしていたけれども、 結局その日の晩も抜くことはありませんでした。 >>750 違う人でしたか、残念(><) 以前のユビキタスさんのコメントで似た情景があったので、もしかしたらと。登山っぽいスタイルのお兄さんで、泥つき長ネギを抱えて運ぶ私に「美味しい豚汁作っておいて」と言ってくれた人を思い出したのでw >>752 自分が何を書いたか覚えてないですが、まあその時の大雪で山に登れなかったことぐらいかな? それからこれは書いたことがないが、 星まつりが 終わったその日のうちに 火消しの作業に入りますよね。 私も一度は火消しの作業を経験してみたいと願い出たのですが 、その格好では無理だと 言われたので結局やらなかった。 >>746 続き >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 根拠2 「心が統一され、・・・」の文言は三学「定」であり、この段階では比丘は解脱していない。 深山ユビキタスは戒定慧には順序がないと主張しているが、これは真っ赤な嘘ですね。 それは大般涅槃経にある釈尊の言葉に明らかです。 「戒律とともに修養された精神統一は大きな果報をもたらし、大いなる功徳がある。 精神統一とともに修養された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。 知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」 戒律(戒)→ 精神統一(定)→知慧(慧) →解脱 の順に法が説かれています。 この様に、戒定慧には順序があるのです。 釈尊の言葉以上の証拠はありません。 >>753 >その格好では無理 ここではそのお兄さんの特徴明記できないのが残念ですが、ドレスコードに引っ掛かりそうなハッピ無しの登山スタイルではw >>752 おお「う」さん! それ私じゃあないの!! >>746 >>747 >>754 ↑ 下品な荒らし野郎w ヨルコウ=ペテン台無し阿含宗現役信者w >>756 えー玄関で大量の長ネギを持っていってって言ったのが氏示さんで、氏示さんの声かけに応じたお兄さんがいてw ユビキタスさんの前のコメント情景が似ていたので。詳しい姿をコメントできませんが。 あのイレギュラーって何だったのですか? >>758 玄関って脇の方じゃなかったかな。 「う」さんは わたなべめぐみ似のかわいこちゃんだったでしょ。 >>754 続き >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 根拠3 「心が統一され」の原語は「 samahite」であり、これは「入定した」という意味です。 入定したとは禅定に入定したのです。 根拠4 「心が統一され」の仏教学者達の解釈は「四禅に入ったことの表現」「八等至の自在」等であって、解脱だと解釈する人はいない。 深山よ。 あなたの理屈はいいから、よその経典ではなくて沙門果経の「心が統一」「心が安定」を解脱だと解釈している仏教学者を出しなさい。 あなたは学者の全員が解脱と解釈すると言ったのだぞ。 あれはハッタリだったのだろう? ごまかしをやめて駄目なら潔く認めなさい。 >>739 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 19:06:19.40ID:cF61T0DI>>744 >結局深山は>>520 の二つの質問には答えず長文でごまかしてるね。 ペテン大作さんの読解力では、私が何をどう返事しても、理解できないのは あなたの知性の問題であって、私の責任ではない。 なぜなら、私はあなたの国語の家庭教師ではないからです。 釈尊本人が心の安定を解脱だと言っているのに、 これ以上、ド素人のあなたと私が何を議論する必要があるのだ? 私はその経典を示した。 ある経典で心の安定を解脱と述べているなら、他の経典でも 心の安定は解脱です。 こんな当たり前のことがあなたの知性では理解できない。 釈尊本人が心の安定を解脱だと述べたら、学者の解釈も解説もいらない。 心の安定が解脱だなんて、あまりに当たり前ことだから、あなた以外、 だれもそんなことは議論しないのです。 釈尊本人が心の安定は解脱だと述べているのだから、 あなたの質問自体が無意味なのです。 なんで私があなたの無知と理解力の低さに十年以上も 付き合わなければならないのだ? スレ違いな書き込みを「居間でオシッコをする子供」と例えられて、 あれから十数年もたつのに、まだあなたは居間でオシッコをしている。 >>760 続き >>546 深山 >桐山さんの引用した黄廬園経で、「解脱した後」に過去世を見ていることを 引用して、神通で解脱するのではないと指摘した。 【三明】 仏や阿羅漢がもつ3種の神通(超能力)のこと。 サンスクリット原語はもと三ヴェーダのことを意味したが、仏教では別の意味内容を付与した。 智慧の働きによって愚闇を破るので〈明〉という。(岩波仏教辞典) 「智慧の働きによって愚闇を破るので〈明〉という」とあります。 この様に、三明は解脱に関与しているのです。 三明は慧学なのだからそれも当然です。 大般涅槃経の釈尊の言葉とも矛盾しません。 >>739 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 19:06:19.40ID:cF61T0DI >ところで>>700 だけど引用している本の注釈では、心が安定は解脱だとは解釈してないよ。 当たり前です。 ペテン大作さんと違い、普通の国語力のある人には必要がないのです。 釈尊は、「煩悩からの解放」を説いたのであり、解脱とはその表現の一つにすぎない。 解脱「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」 (『岩波仏教辞典』) 経典を読む時には、 大前提「煩悩からの解放=解脱」 です。 これを大前提として読んだら、 「心に付随する小さな煩悩をも離れ = 解脱」です。 こんなことは当たり前すぎて、いちいち学者は解説しない。 沙門果経の中は解脱だらけだからです。 だが、ペテン大作さんはこの大前提を記憶することができない。 >>746 のように、解脱という言葉がないと解脱だと思わないのでしょう? 釈尊が他の言葉で表現すると、とたんに何の話なのかわからなくなるのでしょう? でも、それはあなただけです。 >>759 イレギュラー詳細避けていますね?…w あのあと長ネギの青い部分切り棄てて(関東では青い固い部分は省く)、平均年齢75のお姉さんたちに叱られましたw 正直な話、ここの板で「釈尊を前座に据えた桐山さんの霊諭」を目にしていなければ、一からと教団に戻っていたかもしれませんね…。 ところで>>746 の下品でストーカーな人って阿含宗信者さんです?その後、品性まで崩壊したんですか? 「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、 行動に適用し、不動なものとなると、かれ(修行者)は、(次のような)理解動作に対して心を傾け、(心を)むけます。」 森祖道訳(『原始仏典1 長部経典T』春秋社、96頁) 普通の人は、「煩悩からの解放=解脱」を大前提として読むと言われれば、 「心に付随する小さな煩悩をも離れ = 解脱」 は当たり前すぎて、わざわざ学者の解説などいらない。 説明してもらわないとわからないのは、ペテン大作さんや 1.5来補さんみたいに読解力に問題のある人だけです。 いや、二人とも説明してもわからない人でしたね。 だから、>>700 も私はあなた方に説明したのではなく、 他の、普通の国語力にある信者さんに説明したのです。 次に、普通の国語力のある人は、 「心が安定」「清浄で純白」「汚れなく」「心に付随する小さな煩悩をも離れ」 「柔軟」「行動に適用」「不動」は同じ内容であり、 同じ内容の繰り返しだと理解する。 これは経典の解釈ではなく、国語の読解の問題です。 だから、二人には無理でしょう。 >>762 >釈尊本人が心の安定を解脱だと言っているのに、 これ以上、ド素人のあなたと私が何を議論する必要があるのだ? ついに放棄したね。 いいですよ、答えなくても。 私もその方が時間を無駄にせず都合が良い。 ただしこれからも好きな様に書いていく。 あなたはそれをスルーしなさい。 両者はそれでうまくいく。 「このようにして、心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する小さな煩悩をも離れ、柔軟になり、 行動に適用し、不動なものとなると、かれ(修行者)は、(次のような)理解動作に対して心を傾け、(心を)むけます。」 森祖道訳(『原始仏典1 長部経典T』春秋社、96頁) 例え仏教の知識がなくても、普通の国語力のある人が、 「煩悩からの解放=解脱」という大前提でこの経典を読むなら、 「心に付随する小さな煩悩をも離れ = 解脱」 と解釈する。 次に、釈尊が強調のために、別な言葉で繰り返すことを知るなら、 「心が安定」=「清浄で純白」=「汚れなく」=「心に付随する小さな煩悩をも離れ」 =「柔軟」=「行動に適用」=「不動」 だと理解する。 この二つのことから出てくる結論は、 「心が安定」=「清浄で純白」=「汚れなく」=「心に付随する小さな煩悩をも離れ」 =「柔軟」=「行動に適用」=「不動」=解脱 です。 こういう読解がペテン大作さんは理解できないのでしょう? 念のためにいうが、これは仏教の解釈ではなく、国語の読解です。 十年間、説明してもあなたの頭では無理のようだから、あきらめなさい。 >>766 >「心が安定」「清浄で純白」「汚れなく」「心に付随する小さな煩悩をも離れ」 「柔軟」「行動に適用」「不動」は同じ内容であり、 それ全部が三学の「定」です。 経典がそういう構成になっているのです。 どうしてそれが分からぬのか。 阿含宗の元信者は低脳だということですね。 >>739 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 19:06:19.40ID:cF61T0DI>>744 >ところで>>700 だけど引用している本の注釈では、心が安定は解脱だとは解釈してないよ。 やはりペテン大作さんは自爆したことが理解できないのですね。 きっとそうだろうと思った。 自分の書いた文章を読んでみなさい。 >>686 神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad >他の経典で解脱の意味で使われているからといって、三学経典でも解脱であるということにはならないのです。 あなたは、私が引用した中村博士訳の「心の安定」を上記のように 「解脱の意味で使われている」と認めてしまった。 中村博士は心の安定も統一も同じ意味に用いているのです。(>>686 ) だから、中村博士は、心の統一も解脱の意味で使っていることになる。 その中村博士は沙門果経では心の統一という訳をしている。 つまり、沙門果経の心の統一とは解脱という意味になります。 ペテン大作さんはこういう説明も理解できないのでしょう? AとBからCという結論が出てくると言われても、 あなたはAを考えればBが脱落し、Bを考えればAが脱落する。 両者を同時に考えることができないから、Cという結論が どうして出てくるのかがわからない。 >>767 ちなみに私は、降参降参、あんたは偉いと書いてますよ。嬉しい? こちらが降参宣言をすることによってあなたがもう二度とこのネタで書き込まないというのだったら、 こちらは喜んで降参でも何でもしてあげますよ。 >>767 これからも好きなように書いていくだとな? まあそれであなた以外の誰かが1人でも納得してくれるんであれば、あなたにとっても幸いなんでしょうけれどもね。 >>746 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 20:31:58.57ID:/V74g9P8 >もし「心が統一され、・・・」 が解脱なら何故 >この様な文章があるのですか? 他人の反論をまったく無視して、また同じ指摘が始まった。 十年前から一歩も進んでいない。 それもペテン大作さんの勝手な前提からの指摘です。 解脱という文言がそこでしか出てこないから、 これが解脱なんだというのは、あなたの勝手な解釈です。 解脱「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」 (『岩波仏教辞典』) 釈尊が説いたのは厳密には解脱ではなく、煩悩からの解放です。 煩悩からの解放を様々な言葉で表現した。 解脱はその一つにすぎない。 あなたがこちらの反論を納得しなくても一向にかまわない。 なぜなら、沙門果経の解脱がどれなのかなど、ここでの 議論の対象ではないからです。 ここはあなたの解脱論を議論する場ではない。 桐山カルマ解脱「神通力によってカルマを断ち切り解脱する」 だが、あなたはこれを論じるわけにはいかない。 論じれば、ビタ負けするからです。 好戦経の質問に答えられず、E川裁判についても何の根拠も示せない。 それでスレと関係のない心の安定や三学という「いつもの巣穴」に 逃げ込んで、「深山は答えられない」と犬の遠吠えをくり返している。 阿含宗の議論ができないのだから、こういう点ではあなたは 1.5来補さんよりも能力が低い。 >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 深山さんの説明は、信仰しない人にも勇気を与えてくれる。 自分の生きてきた人生を顧みて、後悔し自業に苛まれても、 ということです。 なにも仏教とか何かに依存することでもないただ自分と向き合う覚悟と意思を 教えてくれます。 阿含宗をやめてホント良かったなと思います。 >>754 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 21:00:16.16ID:/V74g9P8 >この様に、戒定慧には順序があるのです。 ペテン大作さんが引用した釈尊の言葉から、 あなたは戒→定→慧という順序を説いたと読めるのですね。 沙門果経と同じで、あなたは書いていないことを読むのが得意です。 私の目には、どこにもこの順序でするという文言は見えない。 英語とともに勉強すれば大きな果報があり、 数学とともに勉強すれば大きな果報があり、 国語とともに勉強すれば、受験に合格するだろう、 と先生が言ったら、 ペテン大作さんは断固として英数国の順序で勉強し、 絶対に英語が百点取れるまで数学は学ばず、数学が百点取れるまでは 国語は学ばないのですね? ペテン大作さんも1.5来補さんもそうであることは知っています。 だから、そうすれば良い。 だが、世間の人たちは、あなたが引用した釈尊の言葉を読んだら、 英数国の勉強と同じように、戒定慧を同時並行的に行います。 なぜなら、この三点は単独で成り立つものではないことを知っているからです。 単独では成り立たない、と言われても、あなたは何のことかわからないのでしょう? >>754 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 21:00:16.16ID:/V74g9P8 >この様に、戒定慧には順序があるのです。 桐山さんは戒律を破っていました。 髪の毛をそらず、一日一食も守らず、禁酒も破っている。 他にも女性問題などがあるが、それを除いても、わかっているだけでもこれだけある。 あなたの理屈から言うなら、戒を守らない桐山さんに定があるはずもなく、 当然、慧もないから、解脱したはずがない。 つまり、ペテン大作さんは桐山さんの解脱を否定して、 桐山さんは解脱者ではなかった、解脱宣言は嘘だというのですね。 それどころか、桐山さんの定さえも否定しているのだ。 順序説は間違っているが、桐山さんに戒定慧のどれ一つもなかったことには大賛成ですよ。 珍しく、意見が一致しましたね。 ★★★深山はとうとう尻尾を出した★★★ >>768 あなたはつくづくインチキな人だね。 あなたの引用した森祖道訳の文章の注には この様に書いて書いてある。 神通を行なうときには、その前に色界の第四禅に入定し出定しなければならないとされる。 この禅は「基礎となる禅」と呼ばれる。 ここの「心が安定し」はその基礎となる禅に入ったことを表現している。 『原始仏典〈第1巻〉長部経典1』春秋社、中村元監修、605頁) これが翻訳者の森祖道氏の注です。 深山さんの解釈とは全く違います。 彼はこれを隠したのです。 何という嫌らしさだ! ついに正体が暴露されました。 >>763 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 21:40:26.50ID:/V74g9P8 >大般涅槃経の釈尊の言葉とも矛盾しません。 ペテン大作さんは解説を適当に引用して、いかにも自説の正しさを 示したかのようにみせかけたつもりだろうが、ごまかしです。 あなたは神通力で解脱するという桐山説を支持した。 だが、黄廬園経では、解脱した後で神通を示したことになっている。 神通力で解脱するなら、神通力を示した後で解脱するはずです。 だが、黄廬園経では逆です。 あなたの引用のどこがそれに対する反論になっているのだ? どこに、神通によって解脱したとあるのだ? そんな言葉は一言もない。 引用を並べて、引用にはないのに、あなたはまるであるかのように 錯覚するのが得意ですよね。 それとも、錯覚ではなく、騙そうという魂胆ですか。 書いていないのに、書いてあるかのようなあなたの解釈は無用です。 あなたが>>754 で引用した釈尊の言葉にはどこにも戒定慧の順序で するという文言はないし、あなたが>>763 で引用した岩波仏教辞典の どこにも神通で解脱するなど出てこない。 もちろん、因縁解脱もカルマ解脱もありません。 示せないから、誤魔化そうと必死なんでしょう? みすぼらしい男ですよね。 「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 釈尊は煩悩から離れた境地をこれだけ複数の豊かな表現をしていることに注目してください。 単にに心の安定、心の統一、この単一表現であれば、それって三昧、サマーディの境地に過ぎないでしょ? なんて取る奴もいるでしょう。 しかし確かにサマーディの境地も安定であり統一ではあるが、単に それだけの表現ではないのです。 もっといくつも豊かな表現を添えて肉付けをしているのです。 その表現の全体を見てこちらはそれは解脱だと理解できるのです 。 汚れなく 柔らかで巧みで確立し不動、小さな煩悩も離れという複数表現をしているのです。 これで単なるサマーディの境地ではないとわかるわけです。 それはたまたま四禅を終えた後の所に表現されているのだが 、四禅そのものをやっている真っ最中の境地とも書かれていないのです。 それをやり終えた後の 心を表現しているのです 。 だから単なる三昧の境地でもないわけです 。 もちろん三昧は三昧で統一ではあるがそれだけではないプラスが表現されているのです。 そういうところを読み取れないで、単に安定とか統一とかそういう単一単語だけで理解しようというのが、 いかにも受験勉強から卒業してもっと上の段階の学習ができていないペテン大作さんらしいと言えます。 >>776 >英語とともに勉強すれば大きな果報があり、 数学とともに勉強すれば大きな果報があり、 国語とともに勉強すれば、受験に合格するだろう、 と先生が言ったら、 この場合の英語、数学、国語は並列の関係です。 個々が横並びで等級に違いは無い。 ところが戒定慧の場合は戒→定→慧→解脱というようにより高いレベルに向かうわけで階層を成している。 だから両者は違います。 いつもの様に下手クソな喩えで失敗ですね。 >>778 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 22:22:53.69ID:/V74g9P8 >★★★深山はとうとう尻尾を出した★★★ 勝利宣言するのは後にしたほうが良いと何度言われてもわからないのですね。 この注釈をあなたはどう読んで、私の反論になると思っているのですか? 自分の言葉で説明してみなさい。 あなたはただ引用して、頭の中で勝利したと思い込んでいるだけで、 何一つ説明をしていない。 神通を行う時には、心の安定が前提となるというのが解説です。 私は、心の安定は解脱だと説明している。 解脱しているのだから、四禅に入出して、神通を示したとして、 何か不思議ですか? 解脱者が神通を持っていても何も不思議はなく、 現実にかなりの解脱者たちが三明六通を持っていた。 彼らは心の安定を維持していたからです。 >>779 >だが、黄廬園経では逆です。 黄廬園経が絶対なわけでもない。 沙門果経では都合が悪いからといって 乗り換えないで下さいね。 >あなたが>>754 で引用した釈尊の言葉にはどこにも戒定慧の順序で するという文言はないし、あなたが>>763 で引用した岩波仏教辞典の どこにも神通で解脱するなど出てこない。 それはあなたがそう思うだけです。 精神統一(定)と、神通(慧)の両輪で 解脱するのです。 >>781 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 22:38:32.63ID:/V74g9P8 >ところが戒定慧の場合は戒→定→慧→解脱というようにより高いレベル 「戒→定→慧」はペテン大作さんの解釈ですよね。 これを階層だというのはあなたの解釈であって、誰も認めていない。 まるで「戒→定→慧」であることが確定しているかのようにあなたは錯覚している。 自分が証明しなければならない結論を使って証明しようとする。 「戒→定→慧」自体が違うとこちらは言っているのです。 「戒定慧 → 解脱」です。 もっというなら、戒定慧が完全にそろったことを解脱というのです。 英数国の点数を取ることで合格できるという例えのままです。 >>782 >神通を行う時には、心の安定が前提となるというのが解説です。 >私は、心の安定は解脱だと説明している。 あなたの説明など要らない。 森氏はどうして心の安定は解脱だと書かないのだ? あなたは仏教学者の全員が解脱だと解釈するはずだと言った。 どこにそんな学者がいるのだ? 出せるものなら出してみなさい。 ハッタリ屋さん。 >>783 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 22:51:55.10ID:/V74g9P8 >沙門果経では都合が悪いからといって >乗り換えないで下さいね。 黄廬園経は私が引用したのではなく、桐山さんです。 そんなことも覚えていないので、議論しているのですか。 沙門果経はあなたが出しただけで、沙門果経の議論をしているのではありません。 桐山さんの神通力による解脱という説が阿含経に根拠があるかないか、 それを議論しているのだから、阿含経を限定する必要はない。 勝手にルールを決めないでください。 >精神統一(定)と、神通(慧)の両輪で >解脱するのです。 「神通(慧)」?? なんですか、これ。 あなたの自分教など誰も興味がない。 阿含経でも学者の解説もでもいいから、神通で解脱するという 文言を具体的に引用してください。 などと言っても卑怯者のあなたには無駄なのは知っています。 何も示せないから、どさくさに紛れて、こういうでたらめを書いたのでしょう。 >>785 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 22:59:08.18ID:/V74g9P8 >あなたの説明など要らない。 >森氏はどうして心の安定は解脱だと書かないのだ? 釈尊本人が心の安定は解脱だと書いているのに、 どうして学者の解説が必要なのだ? 学者もそんなことは当たり前ことだから、書かないのです。 なぜなら、沙門果経はいたるところ解脱だらけだからです。 あなたみたいに一カ所しか出てこないなんて学者は解釈していない。 沙門の果報ですから、沙門の最大の果報とは解脱です。 それを釈尊が手を変え品を変え、名称を変えて表現しているにすぎない。 釈尊は解脱を説いた人ですよ。 修行の果報を聞かれて、解脱の説明かせ一カ所しかないなんてあるはずがない。 切り口を変え、言葉を変え、表現を変え、何度も何度も 釈尊の説く解脱がどれほどすごいものかを説明したに決まっている。 あの経典は解脱の話で満載です。 ペテン大作さんの頑迷で狭い視野の目に見えないだけで、沙門果経は解脱だらけです。 >>786 >「神通(慧)」?? >なんですか、これ。 えっ? 知らなかったの? 神通は慧に出て来ます。 沙門果経の慧学(85から100節)には十智 (或いは八明)の説明が出て来る。 >>787 >釈尊本人が心の安定は解脱だと書いているのに、 どうして学者の解説が必要なのだ? >学者もそんなことは当たり前ことだから、書かないのです。 とうとう逃げに入ったか。 当たり前なら最初から書くなっての。 【河口湖事件】幸福の科学殺人事件 https://ponkichi-muragon.muragon.com/entry/160.html 【祖父母メッタ刺し惨殺事件】 信者の祖父母を、信者の孫が殺害した河口湖事件 https://twitter.com/JusticeTruth8/status/1185257300065280000?s=20 暗闇の中で血塗れの包丁を握り締め、激しい動悸に襲われながら、少年は何かを祈ったのだろうか。 信仰心の厚い家族の間で起きた凄惨な事件。 実は、犯行の動機にも“宗教”の影が取り沙汰されているのだ。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>788 神通神変も慧に含まれますよ。 そのように書かれてあるわけですから。 ただしもちろん慧は神通神変だけではない。 神通神変もあるというだけです。 つまり慧=神通ではなく、慧⊃神通です。 そしてその神通神変だが、あなたに面白い経典を紹介してあげましょう。 これは実は桐山本にも 和訳だけ示されていますが、詳しい解説は無し。 示現経という経典です。 これによると釈尊は身体から水を出したり他人の心を読む人神通神変を示したわけです 。 そして釈尊は最後にこのように説くのです。 教誡神変こそが最上であると。 教誡とは文字通り教え誡めるということです 。 人が人に教えて誡めてその効果を得る、この神変こそが最上であると釈尊は 説明したわけです。 身体から水を出す神変や心を読み取る神変なんかよりもそちらの方が重要なんだと言っているわけです。 それはまさに慧といえましょう。 超能力でもないこういう地道な努力による成果をこそ最上のものとし、それこそがまさに 慧、智慧であるわけです 。 つまり智慧とは なんか言葉では説明できない ものではなく、ちゃんと言葉で論理的に説明できて、頭で理解でき、実行もできる話なんです。 あなたに限らず阿含宗の信者は 、それよりもなんか超能力的な、言葉で説明できない力だと捉えることによって、現実から 背を背けているだけの話です。 そして相変わらず神通だの慧だの、それはどういうものであるかということを誰にでもわかる言葉で 具体的にわかりやすく説明するなんてことはできなくて、単語を連ねるだけですよね。ペテン大作さんは。 これは仏教を理解する上で一番やってはならないことなんです。 仏教とは本当に子供でもわかるように説明できてこそ初めて分かったと言えるのです。 なんか難しそうな単語を並べているだけなのは、実は全然わかっていないことが多い。 あなたのはその典型であり全く間違って理解している。何も理解していない。 単語を並べてなんかわかったような気になっているだけです。 仏教とはそういうものではありません。 深山さんの書いていることが心に染み通ると書いた人が今日いましたよね。 それは実はこのように誰にでも分かりやすく説明しているからなんです。 それがあなたとの違いです。 あなたは自分の表現で 他人にそのように思わせることなどできません。 それが深山さんとあなたとの 大きな差です。 「神通(慧)」、この書き方に、ペテン大作の異常性が 溢れ出ている。超能力、神通力大好きで、しかし桐山妄想 ヤスオ洗脳に犯されている。 「慧」とだけ書けばいいのに、わざわざ「神通(慧)」と 異常性を秘めた書き様をする。 さすがに パール迷走崩 肯定者だけのことはある。 阿含宗は仏教ではないからね。 ペテン大作職員が仏教経典持ち出して外道の異説を まき散らかしたり、独自のへんちくりんな妄説を出しても ここは阿含宗スレだからなw 邪道外道の阿含宗批判のスレだからな。 ペテンは、阿含宗教学の邪説だけ擁護してりゃあいいのであって 仏教なんか必要ねえからな。 ペテンは「荒恵比寿尊のご神託」でも擁護してりゃあいいの。 バカみたいw 神通大好きの基地害w >阿含宗という宗教150 >332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M >「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」 とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。 >仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。 >全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。 >この段階で釈尊はすでに解脱しているのです。 >自分の勝手な解釈に経典を合わせるのではなく、 経典に合わせて解釈するのです。 解脱と解釈する仏教学者はいないでしょう。 解脱は四諦の後の節にあるからです。 「このように知り、このように見るかれには、 欲望の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無知の煩悩からも心が解脱します。 解脱したときには、解脱したという智が生じます」 パーリ語の原典では「心が解脱し」は cittam vimuccati で、vimucattiは「解脱」です。 一方の「心が統一され」は samahite citte で、samahiteは「入定した」という意味です。 四諦の後にvimucatti(解脱)が出てくるのに 仏教学者たちがsamahiteを「解脱」と解釈する訳がない。 vimucatti≠samahiteです。 「心が統一され」が解脱だとは、妄想脳が考えた戯言に過ぎない。 反論するなら「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」は解脱だ、と書かれた学者本を出すしかない。 それ以外の本は駄目です。 独り善がりの作文もお呼びでない。 >>794 お宅は自分で考え、判断する頭脳持ってないからね。 ママに決めてもらわねば何も出来なかったクチかな? >>794 →>>780 サマーディの話もしている。 そして肝心の解脱とは、具体的には、何がどうなることか、絶対に答えやしない。 これがきちんと説明できないと解脱を論じても無意味なのに。 悔しかったら解脱とは何がどうなることか、書いてみ。 >>794 のような「マニュアル人間」さんでは、議論は無理と思います。自身(ペテンさん)は自己流解釈押しつけるくせに、相手(深山さん)からはマニュアルを求めている。 まだ(ペテンさんは)気づいておられないようで… 深山さんは、ペテンさんに斬り返しレスしているのではなく、「教団と縁のある(または、あった)読者さんたちに向けて」話しておられるのですよ…。 >>794 神も仏も名無しさん2019/10/20(日) 08:07:22.70ID:Snq+i3tW >反論するなら「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」は解脱だ、と書かれた学者本を出すしかない。 >それ以外の本は駄目です。 >独り善がりの作文もお呼びでない。 釈尊本人が、心の安定とは解脱だと説いているのに、 どうして学者の説が必要なのですか? あなたも、私が引用した経典の心の安定が解脱だと認めた。 >>686 神も仏も名無しさん2019/10/15(火) 12:04:13.69ID:6a2jbbad >他の経典で解脱の意味で使われているからといって、三学経典でも解脱であるということにはならないのです。 つまり、釈尊が心の安定を解脱の意味で使っていることをあなたも認めてしまった。 釈尊が「心の安定=解脱」と説いているのなら、 どこの経典だろうが、「心の安定=解脱」です。 桐山さんやペテン大作さんと違い、釈尊はその場しのぎの言葉使いをしない。 一貫して同じ主張をした方です。 釈尊が認めているのに、どうして学者の解説が必要なのですか? 普通の知性と国語力を持つ人は、そんな当たり前のことを要求しません。 >>794 神も仏も名無しさん2019/10/20(日) 08:07:22.70ID:Snq+i3tW >解脱は四諦の後の節にあるからです。 沙門果経が解脱の順序であるという前提での主張は意味がありません。 沙門果経は順序ではなく、修行の果報を説いた経典であることを 釈尊もそのように説明し、学者たちも認めている。(>>612 ) 四諦の節にあるとペテン大作さんは最近主張している。 どうして神通の節ではないのですか? 経典では漏尽智の後に四諦の話が出てくる。 ペテン大作説では漏尽智の神通力によって解脱するという。 だったら、どうして四諦まで待つのだ? 四諦の前に漏尽智で解脱したんでしょう? 前からあなたは漏尽智で解脱すると主張した。 だが、桐山さん本人から足払いをかけられた。 それで四諦に話を引越ししたんでしょう? では、神通で解脱するという説を撤回するのですね? 神通で解脱するという桐山説は間違いだと認めるのですね。 なんて質問しても、もちろん卑怯者のペテン大作さんが 正面から答えるはずがない。 他の信者さんたちはペテン大作さんが自家中毒に陥っているのを見てください。 その場しのぎの我流解釈を並べれば並べるほど矛盾して、自滅する。 だが、彼は恥知らずだから、自爆しようが、自滅しようが、 がむしゃらに深山に攻撃する自分を格好良いと思っている。 >>794 神も仏も名無しさん2019/10/20(日) 08:07:22.70ID:Snq+i3tW >解脱は四諦の後の節にあるからです。 あなたは、解脱が出てくることは漏尽智の後だけだと 書いているが、私の引用している経典には解脱とはありません。 煩悩から「解放された」とあるのを、学者がカッコ書きで解脱と 書き加えているだけです。 カッコ書きは原文にはないが、理解する上でわかりやすく 学者が書き加えたものです。 釈尊はこの経典の中で、解脱とは表現していないことになります。 実際、釈尊は、あなたの好きな漏尽智の所でも、 「欲望の煩悩からも・・(中略)・・生存の煩悩からも・・」 と煩悩からの解放と繰り返し繰り返し述べている。 学者はそれをわかりやすく解脱と解説しただけで、 釈尊本人は煩悩から解放としか述べていない。 元々の沙門果経には解脱という言葉がないことになる。 解脱がここにしか出てこないというペテン大作さんの説は 成り立たない。 この経典では釈尊は煩悩からの解放を述べているのです。 だったら、 「心に付随する煩悩も離れ」 という一文も煩悩からの解放、つまり解脱という意味です。 「心の安定」と「心に付随する煩悩も離れ」同じ意味なのだから、 心の安定は解脱という意味です。 >>788 神も仏も名無しさん2019/10/19(土) 23:26:24.21ID:/V74g9P8 >神通は慧に出て来ます。 >沙門果経の慧学(85から100節)には十智 >(或いは八明)の説明が出て来る。 そんな質問をしているのではありません。 戒定慧の「慧=神通」であるかのように書いているのを指摘したのです。 ユビキタスさんも書いているように、神通は慧の中に含まれ、 慧の一つにすぎないのに、あなたは意図的に「慧=神通」であるかのように見せかけた。 ペテン大作さんの姑息な意図、誤魔化しだと知っているから、質問したのです。 あなたは神通で解脱したと言いたいからです。 ペテン大作説では、「戒→定→慧→解脱」という順序だから、 「戒→定→神通→解脱」とすり替えて、 神通で解脱するのだと言いたいのでしょう? 他人がそういうすり替えやゴマカシに気が付かないと思っているのですね。 順序でもない事を順序だと決めつけている誤魔化しです。 ペテン大作さんて本当にコスカライ男だ。 これまでの人生でも、こういう小手先のゴマカシで周囲を煙に巻いて、 それで周囲を騙せたと思っていたのでしょう。 彼らは騙されたのではなく、あなたを信用しなくなっただけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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