--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻
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仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。
-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
(チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)
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5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。
6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
(1950年の世界仏教会議にて決議した)
7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2/資料リンク)を変えないこと。厳守!!
10.円滑な議論のために、当スレでは「コテハン」(固定ハンドルネーム)の使用を推奨します(ただし、強制ではありません)。
以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 有我←( )→無我・非我
( )=ニルヴァーナ
だと思う >>951追補
常住論者が自ら非我を主張することは愚人故
断滅論者が自ら無我を主張することは愚人故 >>950
非我はだいたいが na AtmAの訳語だよ https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_503/_pdf/-char/en
付記
以上の所論は錯雑で不明瞭な点があったので、それらを表示して明確にしたい。
この表のAは正邪善悪が混在した諸法で【黒白未分の】本浄(無自性)を示し、
Bは未分が分かれて凡夫の染汚不浄の輪廻の状態を指し示し、
Cは未分から分かれて聖者の清浄解脱に向かう還滅の状態を示す。
(別表 https://i.imgur.com/om5kpz4.png )
この本覚はバラモン教の自我(Atman)と同じものと考えられるかもしれないが、
これを【実体我】と見れば邪説である。
〔なおここに仏性や如来蔵を本覚とともに無自性のAに入れているが、
仏性、真如、法界、如来蔵などは、それらの完全態としての
常住不変の規範(norm、Sollen)は【具体的な現象ではなく】
【形式的な理法】であって、今のA、B、Cの問題ではない。〕
AやCにこれらの規範が関連しているが、
Aに含まれている仏性(buddha-gotra)は
仏の姓(家柄)であって【仏となる可能性】を意味し、
如来蔵(tathAgata-garbha)も如来そのものではなく
「如来の胎児」であって、いずれは出産して如来となるべき可能性のあるもの
である。これは心性本浄の場合に心は本来清浄無垢の仏陀となる可能性もあるが、
有垢雑染の極悪者ともなる可能性のある【無自性のもの】である。
【本覚もここでは可能態として見た】のである。
無自性のものであるから、善浄の完全者となる可能性があり、
それに向かって理想意識をもち、常に理想に向かって精進努力することが
仏教の根本趣旨であり、右に掲げた無常偈や三法印などはその最も一般的なものである。
釈尊が入滅近くに、自洲・法洲(自灯明・法灯明)の教えを説かれ、
【無自性の自己】を 理想規範によって、常に理想に向かって進む〔進ましむ(引用者注)〕
べきであるとされ、
また入滅直前にもvaya-dhammAsaNkhArA,appamAdena-sanpAdetha
(諸行―すべての現象―は衰滅無常のものであるから、
お前たちは放逸ならず―我儘勝手な振舞いをせず、―
法に従って理想を現成せしむべきである)と最後の遺誡をされたと伝えられている。 このように自己と法の関係が極めて大切であって、
親鸞聖人が機(自己)と法との一体化を説き、己れを捨てて阿弥陀仏に任せきるという
機の深信と法の深信を浄土信仰の最要であるとされたのも、
心性本浄の教説と深く関係している ことが知られる。
なお『中論』の三諦偈も立場が違うけれども、心性のA・B・Cに関連するとも見られる。
すなわち、
因縁所生法、 我説即是空(A)、 亦為是仮名(B)、 亦是中道義(C)
(無自性) (流転) (還滅)
となって、
無自性空の因縁所生法が、凡夫流転界の仮名となり、
それが非有非空の聖なる第一義ともなるのである。
さらに仏性等の問題で注意すべきことは、
仏性などの可能態が完全態に向かうために必要な正しい努力についてである。
その努力は各人が生得的にもっている生命力に由来する。
生命力一般は根(indriya)とされ、これは前章で述べたように二十二根である。
根はすべての生物がもっているが、単純な動植物では生命力と雌雄の性力かおり、
それが進んで外界と接触対応する五官等の感覚力を生じ、
これを認識判断する知覚力を生ずるようになる。
人類ではさらに正邪善悪を判断し、理想目的を立て、それに向かって努力するようになる。
信・精進・念・定・慧の五根がそれである。
さらに人生の究極目的としての完全態を求める三無漏根という力が生じ、
その最後の具知根によって完全の証悟に至るとされる。
「自然法爾」とか「無義を義とする」とか言われるのはそれである。
心の作用が無我無執で自由自在の完全態となったものである。 ところで道元禅師は仏性を可能態とせず、
右の完全態を仏性と呼んでいる。例えば、『正法眼蔵』の「仏性」巻で、
「仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成道よりのちに具足するなり」
とされるのはそれである(『曹洞宗全書』宗源上、一八〇頁以下)。
その他にも随所にこの意味で説かれているが、例えば「行仏威儀」巻には、
日常生活が「仏の威儀」を行なうことであるとされ、
本覚の意味について「凡夫の本覚と活計すると、
諸仏の本覚と証知するとは天地懸隔なり」(同、一九七頁上)とし、
未悟の凡夫が説く本覚や仏性は
仏の立場からの完全態としての本覚や仏性とは全く異なる
ことを指摘されている。この点は仏教一般についても言えることである。
“【”“〔”記号、及び一部は引用者が付した。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
水野選集の心性本浄には付記が追加されてたようで、
参考までに。 ということで、以下、増支部(AN.1.5(49-50)、1.6(51-52))
の心性本浄箇所の解析。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
5 paNihita/accha/vaggo(41-50)『清志品』(浄信品)( 志向と浄信の章(片山)/向と陰覆との章(荻原)
志向、意図、意識、(信心)/透明な・透き通った/章)
49、pabhassaram/idaM/ bhikkhave/ cittaM.
輝ける/これが(ある)/比丘たちよ/心が
*「比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり」
taM/ca/kho/Agantukehi/upakkilesehi/upakkiliTThaM/ti.
それは/また/実に/外来の「によって」(から)/煩悩「によって」(から)/汚れた・染められた(ものである)/と
*「それはまさに、些末な煩悩によって染められている、と。」
(navamaM/第九偈(がこれである))・・・(*「これが、心清浄を求めるに際して知らるべき九つ目である。」)
50、pabhassaram/idaM,/bhikkhave,/cittaM.
*「比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり」
taJca/kho/Agantukehi/upakkilesehi/vippamutta''n/ti.
それは/実に/外来の「から」/煩悩「から」/脱する(脱し得る)もの
*「それはまさに、些末な煩悩から脱し得るものである、と。」
(dasamaM.(第十偈(がこれである))
6. AccharA/saNghAta/vaggo(51-60)『弾指品』( 弾指の章(片山)(荻原) )
弾指/ぶつかり合う、指を当て合う/章
51、pabhassaram/idaM/, bhikkhave,/cittaM.
*「比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり」
taJca/kho/Agantukehi/upakkilesehi/upakkiliTThaM.
*「それはまさに、些末な煩悩によって染まったものである。」 Acc、?
taM/assutavA/puthujjano/yathAbhUtaM/na/ppajAnAti.
このことを(の)/聞かれたことのない/凡夫(普通の人)は/そのようなものとして/ない/知ることが
→教えに与っていない(知らない)
*「教えに与っていない人(凡夫)は、このことを、そのように、知らずにいるので」(ある。)
tasmA/assutavato/puthujjanassa/cittabhAvanA/natthI/ti/vadAmI/ti.
それ故/知らない/.凡夫「には」/心の修習が/ない(…されていない)/と言われる/と
*「だから)、「凡夫には、心が制御されるということがない」、と、言われるのである。」
■教えを知らない者(凡夫)は、このことを、そのようなものと知らないので
「凡夫には心が制御されるということがない」と、言われるのである。(PaThamaM. 第一偈(がこれである))
52、
pabhassaram/idaM/, bhikkhave,/cittaM.
*「比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり」
taJca/kho/Agantukehi/upakkilesehi/vippamuttaM.
*「それはまさに、些末な煩悩から脱し得るものである。」
taM/sutavA/ariyasAvako/yathAbhUtaM/pajAnAti.
このことを/聞かれた/聖聞の弟子は/そのようなものとして/知る
*「教えに与る人(聖聞の弟子)は、このことを、そのように、知っているので」(ある。)
tasmA/sutavato/ariyasAvakassa/cittabhAvanA/atthi/ti/vadAmi /ti.
*「だから)、「聖なる弟子には、心の制御がある」と、言われるのである。」
■教えに与る者(聖聞の弟子)は、このことを、そのようなものと知っているので、
「聖なる弟子には、心の制御がある」と、言われるのである。(DutiyaM. 第二偈(がこれである))
補:舎利弗阿毘曇論巻27
心性本浄為客塵染、
凡夫未聞故不能如実知見、亦無修心。
聖人 聞故 如実知見、亦有修心。
心性清浄離客塵垢、
凡夫未聞故不能如実知見、亦無修心。
聖人 聞故 能如実知見、亦有修心。 5になってからは、容量関係なく1000逝くまで良いのかね? >>962
たぶん1000レスまで大丈夫みたいです。 >>961
>補:舎利弗阿毘曇論巻27
『舎利弗阿毘曇論』はプドガラを認める法蔵部の所属やね
cf. 天野, 信 - 『四分律』「受戒ノ度」における仏伝の編纂 : 法蔵部の仏伝と菩薩蔵との関連性(p.91)
http://hdl.handle.net/10519/1786 バカ宝珠は、宗教問題とは何か、を理解していない。
大爆笑である。
経典バカも同じである。
大爆笑である。 >>961
>vadAmi /ti.
>と、言われるのである。」
よく見たらわざわざ原文も出してるのに人称も理解してなかったり
どこから持ってきたのこの翻訳? >>968
ですね。適当なことしてすいませんでした。 m(_ _)m
当時、ふと頭に浮かんだ言い回しを、
人称照合をさぼってそのまま捨ておいたのだと思われますw
宝珠が最初に出した言い回しが正しい。
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1247932847/578
> ・・・・・・それゆえ、凡夫は心を実修していない > 【と私は説く】。
> ・・・・・・心を実修した【と私は説く】。』(『増支部経』I)
比丘たちよ・・・と始まってる一人称だから、
第三者的描写でなく、
「と、私(お釈迦さん)が語る」ですよね。
また、
お釈迦さん自身の教えであり台詞なのだから
「だから、そういうのを○○だと云うんだよ!(怒」
「と、言われるのです」みたいな
他人事(伝聞)のような謂い方はおかしいですね。
(文法無視になるし)。
ありがとうございました。
他の方からも、
こういう指摘・チェックをお願いしたい所です。 七 拝 かなり詳しそうだから、文法無視ついでに、
ここ↓まで無視した場合の可否について、御意見いただけると幸いw
>>968 m(_ _)m
49.この清らかな心あり、些末な塵に染まりたり。
50.この輝ける心あり、些末な塵を離れ得ん。
51.この清らかな心あり、些末な塵に染まりたり。
未だ教えに触れざるものは、それと知ることなき故に、
心調うこと無からん。
52.この輝ける心あり、些末な塵を離れ得ん。
教えに与る聖なる弟子は、それをそれと知る故に、
彼の心は制せらる。
※(別に反抗反発じゃなくて、真面目な、極々個人的興味の範疇の依頼(´・ω・`) ) あ、出典無しの自作・・。 >>970
(片山訳もまだだし。
図書館に他各種翻訳を見に行けばいいと言われたら、返す言葉もないが・・・) >>970
とりあえず2点だけ
・Agantukaを「些末な」と訳す根拠は何かな?(これは外部からの、客来のが通常の解釈)
・意訳しすぎ
あと基本的なことだけど、誰かの訳を合成して新しい日本語訳を作るのはダメでしょ
パーリ原典に当たろうよ >>972
> ・Agantukaを「些末な」と訳す根拠は
入滅前、波羅夷以外は廃してよいと言われた時の如く、
三毒のような根源根本的煩悩でない、
「多くの、細々した」「個別に細分化された」煩悩
という意味合を取ったからだと思う(多分)。(upakkilesのPTSがminor stainだったりとか)
(又、PTSに、incidental、adventitionの語があって、
その中の付帯的付随的なんてニュアンスを見てもいいかな、と。(多分w))
自分の最初のメモは、ちゃんとその意味(外来の)で分解してたみたいだし。
https://i.imgur.com/mSHvPWT.png
>Tanca kho ?gantukehi upakkilesehi upakkili??ha’’nti. Navama?.
>それは、 実に 外来の(…客塵の)、 inst. によって 汚れた・染められた
>それはまさに、些末な煩悩によって染められている、と。
で、結局「些末な」で書込んだ↓、と。
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1474820531/295
最初のメモを作った時から、
意図的に「細々した小さな煩悩」と読み替えてたんだな。
>>960でも、自分でちゃんと「外来の」が残ってるのに・・w
怖い怖い・・。
けど、ここでは、(宝珠や在家の)「汚されちまった真我」
という大意を巡っての話なので、御指摘の通り
「外部から付帯した、感化影響している」煩悩
という意味を、しっかり出すべきですね。 >>972
> ・意訳しすぎ
ですよねぇ・・(汗
これに関しては、端折った情報の多さの自覚はありました。
ただ、(これ(ANのココ)を何かに使おうとかいう具体的話ではないけれど)
和讃とか“そういうもの系”の中へ落とし込もうとすると、
勢い大胆に端折った形になっちゃうのよね・・。
でなきゃ、漢訳の専門用語をそのまま使って、音数字数を節約するとか 。
そうすると今度は、硬くて小難しい文になるし。
昔、片山さんが(Snに関しては)色んな人のが幾つもでているけれど、古いけど、
水野訳を絶賛してたから。 確かに、水野さんのは、
ちゃんと意を取りつつ、且つ、詩文の形になってるし。
いや、偉大ですわ・・・。
*(中村さんも、岩波文庫化に際し、本来は詩文調にすべきだが、
内容の解り易さ(意の直訳)の面で、散文にしたけれど、
「聞いてわかる」「話し言葉」になるようには気を配った、と言ってる。)
> パーリ原典に当たろうよ
一応、当ってはいるんですけどね・・。
毎回必ず「全単語辞書引き直す」わけではないけれど。
(雑かもしれないけどw)
いずれにせよ、
(得意げに)調子に乗って、裏取りを疎かにしたのも事実なので、
少し反省自重しますw(自嘲)。 そして御意見に感謝。 その岩波の末尾解説見てたら、
他のどの訳よりも、(簡潔で解り易い)原文に近い『直訳』を目指した、とも。
宝珠は、中村さんこそ見事な「意訳」で、
片山さん他その他大勢は「伝統に固執した(原理主義的)直訳」だ
”というような”言い方をしていたけど、
こうなると、何が意訳で何が直訳かわからんくなるね・・w
さて、誰が直訳で誰が意訳となるだろうか。 >>972
今、上を書き込んだあと、あれこれ再考しててふと思い出したのが、
(忘れちゃってるだけかもしれないけど)
経の終わりの語をどう読むか、がこんがらがっててw
たとえば、経名があるものは、
niTThita、samatta、aTThamaとかと(主格での?)セットで、「○番目の※※※経を終わる/の終わり」
の意味だったと思うけど、
上のANやSNなら、数詞(序数)の曲用になることが多いけど、
やっぱり、他の経と同じく「○版目が終わる/の終わり」の意味で、
niTThita等が略された曲用主格かな?
(目的格だったような気もしないでもないでもなかったり)
*(岩波中村は(たとえばSNなら章(vagga))に関しては、
品名に序数しか付いてないけど、第○章終わる、とかにしてある。 (´・ω・`) ) あ、aTThamaはコピペの消し忘れ。8番目ってだけだ。 >>976
こういうとこですわなw 急いて勢い・流れに乗っかって、念が確立できてない見事な証。
何言われても仕方ないね・・。 >>973
>入滅前、波羅夷以外は廃してよいと言われた時の如く
そんな記述はないよ
思い込みが激しい人みたいだから
もうちょっと基礎的なことから勉強しなおした方がいい
水野弘元の入門書でも読んで >>979
>そんな記述はないよ
だとしたら、たぶん、貴方と私は違う大般涅槃経を読んでいるのでしょうね。
「言い回しが違う」でなく「記述がない」ということならば。
*(それとも、「波羅夷以外」という言い方が不正確だ(―原文の言い方を誇張している―)
ということかしらん?) 「アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、
『些細な』『小さな』戒律箇条は、これを排ししてもよい。」 大般涅槃経W.3
(奈良康明)
・・・・・これかな?w >>981
これを「波羅夷以外は廃してよい」と解釈するのは致命的に文献が読めてないから
会話が成り立ちませんな 上記Y.3の奈良氏の解説・・・・・
「それほど重要でない戒律を『小戒』、それよりさらに必要性の少ない戒律を『小小戒』と
言います。この小小戒は⇒『都合によって廃止してもよい』と釈尊はアーナンダに告げています。」
オレは奈良氏の見解を了解するだけのことw
それから、何を勘違いしてるのか知らんが、オレはお前と会話する気など初めからないからww
セブンが大般涅槃経に言及してたので、確認にちょっとあげただけww >>985
会話する気がないならレスしなければいいのに ちなみに、セブンが、
>入滅前、波羅夷以外は廃してよいと言われた時の如く ・・・・
という表現をしたが、これは⇒「仏教の根幹ともいえる重要部分以外は、時代、
社会の必要性、その他の諸事項を鑑み、変更、廃止も可である」と釈尊は言われた
・・・・の意味で発言したと思われる。
大般涅槃経のY.3をどう読むか? については、オレは個人的に
⇒「釈迦はガチガチの原理主義者なのではなく、本質を失わないのであれば細部には
拘らないという柔軟性をもった人物」という解釈でいいと思うがね。
それは「毒矢の喩え」にも表れているし、戒律に関しては提婆達多の「五事の戒律」の
却下にも表れていると思う。 波羅夷が「重要な戒律」であることはこの場では異論はないと思われる。
>それほど重要でない戒律を『小戒』、それよりさらに必要性の少ない戒律を『小小戒』と
言います。
そして奈良氏の解説に沿うならば、(1)波羅夷、以外に(2)小戒、(3)小小戒があることになる。
>この小小戒は⇒『都合によって廃止してもよい』と釈尊はアーナンダに告げています。
廃止してもよいとされたと奈良氏が解説するのは(3)の小小戒であり、
(3)小小戒を都合により廃止してもよいことは、(2)小戒までも廃止してよいことにはならない。
>という表現をしたが、
>・・・・の意味で発言したと思われる。
こうやって「Aの表現は字義通りではなく実はBの意味である」とするならば、なんとでも言えましょう。
>戒律に関しては提婆達多の「五事の戒律」の却下
デーヴァダッタの五事は(1)(2)(3)へのさらなる(4)付加なのだから、ここで五事を持ち出すことは『大般涅槃経』の
>「アーナンダよ。修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、
>『些細な』『小さな』戒律箇条は、これを排ししてもよい。」
の解釈の根拠にならないことは明らかでしょう。 なんかアホが、論点ずらして絡んできてるのでww
まず、「波羅夷以外・・・」という表現は、俺が上記したように「仏教として妥協できない根幹を
破るもの以外」という意味合いねw
それ以外をさらに細分して「小戒」「小小戒」として、「小戒」はダメだが「小小戒」は廃止Ok
などとすることは、ここでは意味がないわw
要は「仏教として廃止不可」以外の重要事項以外は、場合によっては変更廃止可という趣旨が
読み取れればいいだけだよw
では、「小戒」と「小小戒」の差異は? 小戒は廃止は不可でも変更は可か?
実際、何をもって廃止可能な決まりなのか?を長老たちに突っ込まれている、アーナンダはw
(結局は、それに答えられず、「仏教として重要事項」以外は、廃止も可 とする理解しかない。)
それから、提婆達多のエピは、あくまでも、釈迦がガチガチの原理主義者ではないことの証左の
一例としてあげたのw
このバカ、まさに「些末な」語句の解釈にこだわって、本質が見えてねえ典型じゃんwww 要するにオレオレ仏教に適合するように学者の意見だろうと仏典のエピソードだろうと持ち出すのであって
オレの考える仏教の本質にケチをつけるのは些末な議論なのね
すっごいレベルの低いスレだな まとめ
まず、釈迦はアーナンダに「仏教における重要事項以外は」廃止可能 と言った。
@あまり重要でない事項を「小戒」という
Aさらに重要でない事項を「小小戒」という
「小小戒」は廃止可である。 では、「小戒」は廃止可であるのか? それについては
言及がない。 それでは、「小戒」は廃止は不可でも変更は可なのか?
それについても言及なし。 それ以前に、何が「小戒」で何が「小小戒」なのか?さえも
わからない。 (アーナンダがそこを釈迦に聞いてないw)
結局、「仏教として重要でないこと」以外は、場合によっては、変更、廃止も可であると
理解するしかない。
「波羅夷」という語彙の射程をどこまでにするか? という問題はある。
これが、仏教として許容できない事項 という意味であることは異論ないであろうが、
これが「小戒」の一部をも含めるのか?は、わからん。w
なにせ、「小戒」の定義自体がわからんのだからw
以上より、「波羅夷以外は廃止可」と釈迦が言った・・・・・・は、
その意図を慮れば十分、あり得る言い回しだと思えるねw >では、「小戒」は廃止可であるのか? それについては言及がない。
言及がないゆえに廃止してもよい、と書いたら勇み足
>結局、「仏教として重要でないこと」以外は、場合によっては、変更、廃止も可であると理解するしかない。
結論ありきやね
>これが「小戒」の一部をも含めるのか?は、わからん。w
”@あまり重要でない事項を「小戒」という”のだから
「仏教として許容できない事項」=「波羅夷」に小戒は含まれないのは明らかだけどね
↓
>「波羅夷」という語彙の射程をどこまでにするか? という問題はある。
>これが、仏教として許容できない事項 という意味であることは異論ないであろうが、
>以上より、「波羅夷以外は廃止可」と釈迦が言った・・・・・・は、
>その意図を慮れば十分、あり得る言い回しだと思えるねw
何だ「その意図」って >>993
>以上より、「波羅夷以外は廃止可」と釈迦が言った・・・・・・は、
>その意図を慮れば十分、あり得る言い回しだと思えるねw
それは
https://i.imgur.com/62LrNWo.jpg
この一部の比丘の意見でしかありませんよ。 >”@あまり重要でない事項を「小戒」という”のだから
>「仏教として許容できない事項」=「波羅夷」に小戒は含まれないのは明らかだけどね
wwwwwwwwwwwwwwwww
だったら、「波羅夷」 以外 は、変更、廃止可でいいじゃん?www
今、問題となってんのは「廃止可」なのは何か? ということw
@波羅夷・・・・・仏教上重要なので廃止不可
A小小戒・・・・・重要度が大変低いので場合によっては廃止可
Bそこで、問題なのは小戒・・・・・これは、「あまり重要でない」ので、波羅夷ではないが
小小戒に比しては重要度が高い。 では、廃止可なのか? それとも不可なのか?
言及がないのでそれを判別することができない。よって、もしかしたら、その中には重要度が
ある程度あるので波羅夷と同様、廃止不可。または、小小戒と同様廃止しても構わないほど
重要度が低いものもあるかもしれない。・・・・・そこは不明なのw
そして、今、問題となっているのは「廃止可」「廃止不可」という観点における分類なのだから、
波羅夷と小戒の間に厳格な壁を作って、小戒は波羅夷にあらず とやってしまうと、グレーゾーン
を消し去って、小戒を小小戒と同様に「廃止可」と分類することになるw
オレとしては、そのような乱暴な断定を避けるために、「波羅夷という語彙の射程」と言う表現で
小戒の中にも重要度において、波羅夷に匹敵するほどの戒の存在する可能性を残したわけだがww
wwww お前、おれの書き込みを否定したいだけのバカだろ?
>何だ「その意図」って
釈迦はアーナンダに何故、そのようなこと(場合によっては、戒律の廃止も可)ということを
言ったのか?
釈迦にとって最重要なのは、「仏弟子たちが解脱できること」・・・・・これなわけw
将来的に(今はよくても)仏弟子たちが修行するのに妨げになる戒律が出てくるかもしれない。
そのようなときは、そんな戒律は廃止しちゃいなさい。ただし。仏道に外れるようなことをしちゃ
だめだよ ってことw
ならば、「波羅夷(仏教上、絶対ダメなやつw)以外は、廃止も可」という表現も許容範囲と
いうことww >小戒は波羅夷にあらず とやってしまうと、グレーゾーンを消し去って、小戒を小小戒と同様に「廃止可」と分類することになるw
そう考えるってことは「波羅夷以外は廃止してもよい」という結論をすでに出してますってことになるのに
自分で気付いてないのがアレだな >>997
wwwwwwwwwwwwww
お前は真正のバカか?w
論点が全く理解できてねえじゃんw
996を百回読み直せ、バカたれがw パーピマンの言ってることは可能性の話だし
実際に当時の長老で「4波羅夷以外が小小戒である」という見解を示した長老もいたという裏付けもある
パーピマンの言ってることはもう一度、可能性の話なのでおかしくはない
しかし7の
>>973
>入滅前、波羅夷以外は廃してよいと言われた時の如く、
このように可能性の話ではなく小小戒とは波羅夷のことであると断定したかのように書いた文章は誤解を招く元になるのでまずかった
普通に「入滅前、小小戒以外は廃してよいと言われた時の如く」と書いてれば何の問題もなかった このスレッドは1000を超えました。
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