AN.T
5、『求輝品』
49. 比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり、
それはまさに、些末な煩悩によって染まっている、と。 
(これが、心清浄を求めるに際して知るべき九つ目である。)
50. 比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり、
それはまさに、些末な煩悩から脱し得るものである、と。
(これが、 ―― 十箇目である。)

6、『仙衣品』
51. 比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり、
それはまさに、些末な煩悩によって染められたものである。
教えに与っていない者(凡夫)は、このことを、そのようなものと知らないので、
「凡夫には心が制御されるということがない」と、言われるのである。
これが第一偈。
52. 比丘たちよ、この、清らかに輝く「心」というものがあり、
それはまさに、些末な煩悩から脱し得るものである。
教えに与る者(聖聞の弟子)は、このことを、そのようなものと知っているので、
「聖なる弟子には、心の制御がある」と、言われるのである。
これが第二偈。


ポイントは、
前後の文脈も併せ、「心を整え、煩悩に影響されないようにして」、
そのようにして、むしろ、「善なること・正しきことによって修める・制御する(≒染める)」ことが
要求されている点。 確かに、白い布を汚れ(煩悩)から守ることも重要だが、それだけではだめで、
そこに、正しき心業を上書きする必要がある点で、最終的な無垢なる善・完全な自我とは程遠いと言えそう。