--佛教論議の伽藍スレ-- 第四巻
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仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。
-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
(チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。内容を一つに纏めてから投稿しよう)
3.コピー転載やリンク貼りのみの投稿は慎んでください。
4.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
5.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主の判断で即刻、退場してもらいます。
6.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
(1950年の世界仏教会議にて決議した)
7.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
8.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
9.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(及びレス番2の戒律と資料リンク)を変えないこと。厳守!!
以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。 (少し上にも、宝珠の反論が載ってるが)、
出会った頃から一貫して、神智学という体系に抱く印象は、やっぱり
「西洋キリスト教的ピラミッド」なんだよね。
そこには、 「みんな違って、みんな(・∀・)イイ!!」 という視線が欠如してる。
仏教の五道六道の階層は、
確かに「能力」の差異に基づくヒエラルキーと言えなくもないけれども、
けど、そこに優劣は無い。
あるのは、
「仏の教えに近接する機会が多いか少ないか(人身受け難し仏法聞き難し)」
でしかない。 >>332
色々水面下では連絡しあってたんですねw
宝珠さんは相変わらずって感じですがベンジャミン・クレームさんも死んで
今神智学系でリーダー的に情報発信してる人なんているんっすか?
クレームさんで終わりな感じ? ベンジャミンクレームは神智学を利用しているだけで、ブラヴァツキー直系の神智学とは言えないだろ。
神智学を自分のカルト宗教に利用した。
神智学自体はおそらく本物なんだよ。
だけど、ベンジャミンクレームは悪質な偽物だ。
神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。
これを本物の神智学の継承と思っちゃうといけない。
なぜこういうのにダマされちゃうかというと、その宗教が何を目指しているのか、その先に何があるのかということを、
教義抜きに語れる本質的な幸せ(ゴール)というものを分かってないから。
宝珠はこのゴールを語れない。
ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。
それがカルトの特徴でもあるわけだ。
ニューエイジと言われる連中もそういう発想で、本質的な人間の幸福のゴールというものを問題視せず、
ただ表面的な奇跡や、我欲的な幸福を求めてる。
しかし、本物の新しい霊的進化を語る人達は、その中にはもちろん、ブラヴァツキーの神智学も含まれてると思うが、
「我」無い世界が人類の真の幸福の世界だと知ってて、そこを目指してる。
またそういう世界が間もなく来ることも分かってる。
根本的に我欲を満足させる思想と違うんだよ。
凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、
我欲を満足させるんだよね。
自分が人より高みに立ちたいと思ってる人は注意しないといけない。
真実の新時代を求める人でも、そういう方向に振られないよう、どんな世界が来るかということよりも、
今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。 >>335承狂
>ひょっとして、在日なのかな?
>(^。^)まさか、本当にカルト信者って在日二世あたりが組織的に?(笑)
本来、「在日」という言葉そのものには、何らの差別的意味合いもないのですが、
しかし、あなたのように相手を馬鹿にするための“差別言葉として意図的に使用”する人が時折、見られます。
こういうのは今、社会的にも大きな問題となってきていますから、今の内に辞めといた方がイイですよ!
あなたも一応、仏教徒のレッテルで見られる人間でしょうから敢えて言っておきます。
あなた一人の行う恥ずべき醜態が、そのまま仏教徒に対する低評価へと繋がってしまいますから...。
つまり、仏教徒に対しての悪評の一つになっていきますよ。
だから、今後は辞めておきなさい。 >>334
>(^。^)はぁ、誰かが推定したら、それで「全宇宙に」その法則が「作用している」事になるんですか?(笑)
>え?あんた頭おかしいの?(笑)
あのだね...
変わってるのはあなたですから。
この地球だけが唯一にして特別。
従って、人類(文明を持つ知的生命体)もこの地球人類しかいない、
などという見解にある科学者などというのは、まずいないですから。
そういうものこそが“キリスト教”的な思考でしょうよ!
なので、これはドレイク氏一人による勝手妄想ということではありませんから
(だから、基本概念として広く支持されているのです)。
この地球だけが唯一の特別ではなくて、
確率論的に他にも同様の惑星が生じていて、その中の何分の一という発生確率において、
地球人類のような異星人がいるものというのが一般的なものであり、そして、これが主流派の見解ですよ。
あとは、その存在の発見確認と、そして、コンタクトの有無成功の問題だとなる。
だから、つまり「エネルギー」→「鉱物」→「有機物」→「生命」→「知的生命体」という
宇宙空間におけるこの発動的な展開は、全宇宙のすべてにおいて同様に働く一定法則に基くものだ、
という意味になる。
また、
では何故、異星人とのコンタクトに成功していないのか? について、
その原因と理由を考察したものが“フェルミのパラドックス”ということになる。
もちろん、この中には地球人類しかいないからであるというのも、確かに一つの可能性としては含まれることになる。
まっ、あくまでもこれは正統科学での一般論にしか過ぎませんが...。
まっ、解らないなら、もうイイからね!
そもそも実際、あなたもココ“論議スレ”には向かないんじゃないの?
レベル的に ???
参考:
(この宇宙に、宇宙文明はいくつあるのだろうか? - 京都大学宇宙総合学)
https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/etc/symp7/ohta_k.pdf
(Wikipedia/フェルミのパラドックス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 >>340
私自身も、まだまだ理解が浅いですけれど...
ベザント第二会長の時代以降〜大分裂を起こして、
様々に分派していったこの神智学からの流れですが...
アディヤール派の本家『神智学協会』、ジャッジ派の『米国神智学協会』や『ドイツ神智学協会』、
そして、レーリッヒ派の『アグニ・ヨガ協会』、シュタイナー派の『人智学協会』、
それから、ベイリー派の『アーケン・スクール』とクリシュナムルティ派
などがあって...
レーリッヒとベイリーについては、
ハイアラキーの覚者からのコンタクトをとりつつの活動でしたが、
しかし、今ではどうでしょうか...。たぶん難しいものと思います。
ベンジャミン・クレーム氏によるこのグループ(クレーム派『シェア・インターナショナル』)は、
クレーム氏の師であるヒマラヤの覚者(名前は非公開でしたがベイリーを指導していた覚者である可能性が指摘されています)
からの徹底した指導のもと、非営利・非組織を理想としてやってきました。
たとえば、メンバー間には特別な地位を与えてはならないことや、非メンバーとの如何なる垣根も作ってはならないという指導の通り、
今でも会員制というものを敷かないので会費徴収という収入すらもなく、当然、非会員との区別すらもありません。
日本の新興宗教というのはすべてが会員制です。それは、つまり会員イコールで信者ということであり、
そして、会員を増やすことがそのまま会費集めとなる。 しかし、覚者とのコンタクティーであったクレーム氏がいなくなって、
今は、この日本においてはカリフォルニア在住の通訳担当:石川氏が中心になっています。
これまでの歴史を見れば、必ず誰かがまた新しい覚者のコンタクティーとして出現してきたのですが、
今のこの私程度の情報収集力では、その情報は残念ながら得られてはいません
(私がこの活動を知った時<約30年前>には、すでにクレーム氏は高齢だったので、
いつかそういう日がくるものという覚悟はもともと持っていましたけれど)。
もしも、新しいコンタクティーが出現しないならば、
それは“その必要性がもうない”ということだろうと思います。
>>306 >>329
私の説明がヘタということもあると思います。
公式サイトで、正確な情報を得ることをお薦めします。
参考:
sharejapan.(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト)
https://sharejapan.org/ >>341
>宝珠はこのゴールを語れない。
>ゴールを語ることより、超人たちの出現の方が重要なんだよな。
いえ、まったくそんなことはありませんから。
決め付けないで下さい!
>凄い世界が来るんだー、みんなの知らない超偉人達が出現するんだー、というのは、
>我欲を満足させるんだよね。
いやいや.
全くそういうことではありませんから。
世界人類は今、大変な危機の中にいる。
世界の工業先進国が天然資源の3/4を消費し、世界貿易の80%を支配し、工業技術と科学的研究成果の殆ど100%を独占している。
それにもかかわらず、先進工業国に生活している人々は全世界の人工の1/4にも満たない。
他の3/4の人々はその残りもので、何とかやっていかなければならない。
こうして、数千万の人間が貧困の中で飢え死にしている傍らで、
金持ちは金銀紙幣を見せびらかし、先進国の庶民らはポケモンGoで遊んでいる。
この人間としての尊厳、その霊性を踏みにじるような冷淡な行為によって第三諸国との間には埋められない不均衡が生じた。
そして、それが紛争とテロの原因にも繋がっている...。
無実の子供たちが戦場で銃を持たされ、少女たちは身カラダを男たちへと売られている。
この日本おいても地震と津波が襲って、多くの人々がコンクリや岩石の下敷きとなって潰されて死に、そして、大切な家族と家を失った。
また以前として、核ミサイルの脅威も残っており、原発事故からの放射能の恐怖も続ている...。 なのでこれは、
地球人類からすべての戦争を止め、国家や人種や宗教間の違いを超えて全人類が互いに兄弟姉妹として認め合い、
貪欲にもとづいた資本主義競争の狂気から目覚めて、互いに分かち合って飢餓貧困を終焉させること。
地球人類すべてが同じ兄弟姉妹として、互いに愛し合うこと。そして、共に幸せに暮らすべきであるという訴えです。
その「(Maitreyaからの)呼掛けにみんなで応えよう!」ということをこのグループは伝えている。
もちろん、それは個人の我欲というものが破滅的なものであることを教えるものですよ。
>今やるべきことに意識をシフトさせていった方がいい。
今の自分に何ができるか?
何をすべきかを重視するのはもちろんですよ。
>神智学の内容をそのまんま利用し、自らのカルトに流用した。
そういうレッテル貼りをする人を相手する気はありません。
まっ、ご自由にして下さい! こちら北海道では、21日の午後9時22分過ぎに、
北海道胆振東部地震の最大余震として、M5.8最大震度6弱という大きな地震が再び襲った。
そのために震源付近の厚真町は、またまた断水の被害を受けました。
私の地域は、幸い震度3で何事もないけれども、緊急地震警報の音は怖いものがある。
まっ、前日に20年近く飼育している愛魚クラウンちゃん(淡水熱帯魚のドジョウ系/クラウンローチ)が、
大暴れしていたので「こりゃ〜来るな!!」というのは、妻と二人して事前に分かっていた。
この魚は真面目に凄いよ!! かなりの的中率として太鼓判を押せる筈です。
たまたまだけれど、
NNHKで夜中にやってる『オトナの一休さん』をついつい見てしまうw
『室町時代に実在した「一休さん」は、とんでもないお坊さんだった!
リアル一休さんの破天荒エピソードを、一休さんや弟子たちが残した文献を基にアニメ化。
すべてのオトナたちへ、クスッと笑えて心が楽になるひとときを。』
http://www4.nhk.or.jp/P4039/ それから、
七セブンに是非とも視聴をお薦めをしたいのがコレですw
かなり優秀に現象を捉えた“座敷童”の心霊現象ですよ!
確かに、覚者の起こす奇跡に遭遇できるというのはなかなか難しいけれど、
しかし、唯物主義を打破する一役と成り得るものであり、
そして、容易にスポットへといくことができるのが心霊現象ですからw
(尚、TV番組などは所詮、すべてヤラセだと決めつけてる人は見なくてもいいですから。無意味なので...)
『世界の何だコレ!?ミステリー』
2019年02月06日山形県の座敷童の話(22:10〜35:16)
https://www.youtube.com/watch?v=Pfzxffsxg10
2019年2月20日島根県出雲市(25:36〜36:21)
https://www.youtube.com/watch?v=1U4D8uXv8V4 >>343
>>301で
>では、何故に何処の銀河においても、>やがて無機物から有機物が生じて、
>最後には意識を持つようになるのかを>まともに考察してみなさいな!
>そして、その物質を認識するのは意識>によってだ
とあるが、
その根拠を出しなさいと言っているんだよ。
確率論的に知的生命体がいるというのは常識だが、
地球と同様に有機物から人類のような知的生命体がでるかは「推定」しか出来ないのは、君のコピペからも明らか。
地球外では、まだ有機体の痕跡らしきものしか発見されてないのに、
何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。
科学的根拠無しに、推定を断定にしただけでしょ。
日本語が解ってないとしか、思えませんな。(笑)
(^。^)「推定」の意味を解ってないなら、知能に問題があるか、外国人かのどちらかだろ?
それとも知能障害者扱いしてほしかったかな?(笑) >>350
ハァ?
(科学的には)未確認なのだから、
それはもちろん推定であり、ただの理論に過ぎないに決まってるでしょ!
何をいってんの???
>何を根拠に「意識をもつようになる」と断定しているのか、答えなさいと言っている。
だから、
地球だけの唯一の出来事とすることこそが無根拠なの。
わかります? ここに起きたということは、他でも起こるものと考えることがごく自然な発想であって、
従って、それが科学的な思考なの。
やってられんわ!
勝手にしてくれ〜 >>345
誤字訂正:
×(70億人に伝えない/シャア・ジャパン公式サイト)
○(70億人に伝えたい/シャア・ジャパン公式サイト)
大変、失礼しました-大間違いです。 宇宙に対して「ま、こんなものだろう」という態度の人は、
仏教に対しても同様に「ま、こんなものだろう」となるし、
自分の信念に対してすら「ま、こんなものだろう」となる。
こうした人は議論しているつもりでも、勝手なレッテルを張り付けて我を通して空気を読む事が出来ない。
悪いとは言わないが、そんなことをしていると、
「人類の霊的進化がー」とか「今、人類は大変な危機にー」なんて言う痛い子になっちゃいますよ。(笑)
(^。^)あ、もう手遅れかな?(笑) 因みに、俺は>>350にも書いたように、
「確率論的に地球外生命体がいるのは常識」
として知っているし、否定したこともない。
しかし、宝珠としては俺がキリスト教的であってほしいので、この文章は無視して、
承狂は「地球だけの唯一の出来事」だと考えていると断定する。
同様に
「ここで起きたことは他でも起こるのが」「科学的」だと断定する。
地球で起きたことと、他の星で起きていることが同様だろうと推定する事と、断定することは科学的にも確率論的にも全く違うにも関わらず、だ。
これが、「ま、こんなものだろう」と言うこと。
因みに、「人類の危機」なんてものは人類発生から今まで、つねに直面している。
人と同じで、何時まで大丈夫、なんて保証は一切ない。
ウィルス、隕石、ポールシフトなど、運が悪ければ簡単に人類は絶滅していた。
霊的な進化もあり得ない。
この辺は長くなるから割愛する。(笑)
(^。^)数十レス使って説明書いても、宝珠みたいに都合の悪い所を改変して読むからね。(笑) >>354
訂正
×霊的進化もあり得ない
⬇
○人類の、霊的な進化もあり得ない >>346
ほらほらボロが出た〜〜
宝珠さん、違うんですよ。
工業先進国がぁ〜〜 金持ちがぁ〜〜 戦争がぁ~~ 数千万人の貧困がぁ〜〜
テロが、地震が、津浪が、少女たちがぁ〜〜
だから、これら一つ一つの問題を解決すべく、超人的な指導者が出現して、
リーダーシップを取るってことでしょう・・・?
お互いが人類兄弟と認め合うようにして、互いに分かち合うようにする。
互いに愛し合うようにする。
これはね、仏教とは違うんですよ。
マイトレイアが人類が兄弟として仲良く幸せに暮らしましょうなんて呼びかけをすることが
マイトレイアの役目じゃない
宝珠さんの新時代ってのは、やっぱり予想通り、二元性の世界の中から脱しきってないんですよ。
二元性の世界の中でなんとかしようとしてる。
それでよくなりますか・・・?
良くならないんですよ。
血で血を洗うようなもんです。
親鸞はそこに気付いたわけです。
自分の思考でああしようこうしようってやったって、どうにもならないってことに気が付いた。
ああしよう、こうしようってのは業なんですよ。
思考は業ということ。 二元性の世界ってのは、業の世界ってこと。 マーヤーだ。
夢の苦しみをどうこうやったって、夢から目覚めない限りいつまでも苦しみは続くんですよ。
夢の中の苦しみを夢の中で解決しようとするんじゃなくて、ただ目覚めればいい。
そこを目指せばいいわけ。
そこを目指すのが仏教であり、弥勒であり、新時代なんだよ。 宝珠さんの新時代は、全部マーヤーの中の出来事。
血で血を洗ってる。
泥で泥を洗ってる。
そうじゃない。 蓮の花は泥に影響を受けないということを知らないといけない。
泥と蓮の花は全く相いれないということに気付かないといけない。
そして、泥がいくらあろうと、花は最初からそこに咲いていると気づかないといけない。
自分で泥の中に花を咲かせるんじゃない。
泥の中に花を咲かせても泥まみれだ。
親鸞はいくら泥を被っても、仏の世界には全く影響しないということを知っていた。
泥の汚れ具合が1であろうが5であろうが、泥の中で丈比べをやっててもしょうがないわけ。
1であろうが100であろうが、泥の中にいる限り、同じマーヤーとして平等なんだよ。
仏の世界からすれば関係ない。
泥というカルマは過去世の記録がそのまま回ってるわけだから、自分ではどうしようもないわけ。
泥はそのままに、蓮の花の方にシフトした方がいいわけよ。
それが親鸞の場合念仏だった。
この泥から蓮の花へのシフトが新時代であって、宝珠の言うように泥の中を浄化して
花を咲かせるのが新時代ってことじゃない。
泥ってのは二元性の世界であって、人間の思考が作り上げた世界。
その中でいくら泥を退治したところで、本当の仏の世界、新時代にはたどり着けない。
宝珠はまさに、二元性の世界に捉われた新時代感を
語っているということになるよね
仏教のいう本当の幸せとは何かということも分かっていない。
仏教の大眼目である二元性を越えるということも分かっていない。 浄土系A 浄土系B 浄土系C 一神教系(その他新時代系)
涅槃 涅槃
↑
浄土 ↑
↑
現世 現世→浄土 現世→浄土(=涅槃) 現世→神国 >>357
バカカルトの信者さんですか?(笑)
よくもまぁ、そんなバカな妄想を仏教だなんて言えますね。(笑)
恥を知りなさい。と、言いたい所だが、君らカルト信者は言うだけ無駄だしね。(笑)
(^。^)俺はもう、地獄の亡者相手にするのは諦めたんだ。(笑) ☆
>>357
http://true-buddhism.com/shuha/jodo/
たとえば
宝珠殿の場合は
(中国経由の)日本の大乗の
「自力の諸行では往生できず
仏そのものによって救われる」
ということが理解できないジャマイカ?という感じもする
ちなみに
おじゃるも理解できてないけど…
道元。普勧坐禅儀
(仮設としての)無明に依存することもなく
安心立命に在るのなら
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである
みたいな? おじゃる? >>359
カルトってのは指導者を崇め奉ることが重要になってくるわけ。
人を幸せにする原理というよりも、指導者を崇めることの方に重きが置かれている。
宝珠の語る信仰はまさにこれで、原理が存在しない。
覚者方の存在がより重要になってる。
こういうのがカルト典型なんだよ。
我の無い世界が本当の幸せな世界なんだ、だから今に在ろう、今為すべきことに気付きを向けていこう、という時に、
どこに覚者方がいる・・・? どこにカルト教祖がいる?
人ととしての幸福の在り方、原理だけじゃないか。
なぜこれがカルトなのか?
カルトの場合は、これを拝めば運が良くなるとか、教祖を崇めれば人生が良くなるとか、得体のしれないこういう修行をすれば運命が良くなるとか、
きちんと説明できる原理がないじゃないか。
そこを区別しないといけない。
また、我を無くすと言えば、過剰反応を起こす人がいるけど、人間関係でも我の無い方が上手くいくってことは明かだよね。
自分の人生でも我を出さない方が上手くいくことはあきらか。
我が無ければ夜遅くまでゲームをすることもないだろう。
我が無ければ何事も正しい道が選べる
何故これがカルトと言うのか・・・?
>>358
それだとCが正しいわ。 >>360
「自力の諸行では往生できず
仏そのものによって救われる」
まず基本は完全円満な縁起の世界があるってことなんだよね
それが仏の世界ってこと。
この縁起で一体の世界を思考・分別、我によって分断した世界が
今我々が見ている世界というわけ。
分断していると言っても、それは思考・分別による錯覚ということで、完全円満な仏の世界はいつでもそこにあるわけ。
なので、錯覚から脱すれば、そこが仏の世界だということ。
で、「自力の諸行では往生できず」というのが、血で血を洗うということ。
錯覚の中でその世界を良くしよう、良くしよう、夢の中で夢の世界を良くしよう、良くしよう、
想ったってしょうがない。
それではいつまでも夢や錯覚は覚めず、救われない。
「 仏そのものによって救われる」ってのは、最初からそこにある仏の世界が救いだということ。
錯覚から目覚めれば、自然と救われていく。
道元の言ってることもそれと同じだ。 ☆
>人間関係でも我の無い方が上手くいくってことは明かだよね
それゆえに
>>169とかの
ごく一般的な会社の中で
『知るものと知られるものの二元性を超えている実有が在る!』
というような我見?妄言?を発してたら
『頭が、おかしい人か?』と思われるでしょ?ということで おじゃります
ちなみに
おじゃるの場合は
外道なので
アートマンが有でも無でも
どちらでも良い(興味がない)けど >>361
面倒臭いヤツだなぁ。
「我を無くす」ねぇ。
君は、どこからどこまでが「我」だと思ってんの?
完全に自我がないと植物人間になるしかないが、そういうことかね?
仏教で言う五蘊十二処十八界のどこが我なんだろうね?
或いは大脳生理学または解剖学的に脳髄のここだと言えるのかね?
具体的な話が何も出来ずに、ただなんとなくそー思う、じゃあ、お話に成りませんよ。(笑)
(^。^)その程度で、どーして宝珠を笑えるのか、理解出来ないね。(笑) >>364
我というのは「思考」のこと
五蘊十二処十八界というのも思考で感得されてるだろ?
思考分別を越えればそれらは空となるんだよ。
大脳の話が出たついでに、この動画でも見てみなさいな。
https://www.youtube.com/watch?v=xGiOU_U4P1Q ☆
>どこからどこまでが「我」だと思ってんの?
ふ〜む =^・ ・^=
これは確かに難しいかもしれない
たとえば
唯識学会
第九意識 = 涅槃
知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマン?
あるいは
さとりに達するための修行の障害(覆)がない。無覆無記
それでも
激流のごとく活動している。暴流の如し
(仮設としての)阿頼耶識?
あるいは
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
我癡・我見・我慢・我愛
(仮設としての)第七識? >>365
人類が思考出来なくなれば良いって話か?(笑)
思考出来ないってことは、本能のままに野性動物のようになるってことかね?(笑)
隠居か。(笑)
それと五蘊十二処十八界が思考で感得?
言葉の意味も判らんのに適当な事を書くんじゃないよ。(笑)
(^。^)何が「空となる」だよ。(笑) >>363
『知るものと知られるものの二元性を超えている実有が在る!』
真に実有なのは何か・・・? ということを考えた場合、世界に存在する唯一のものは
「今この瞬間の世界」ということだよね。
われわれの今見ている世界は、たとえばAさんは20才でBさんは40才と見ている。
Cさんには10分前にあってその印象で見ている。
それぞれ時間軸の違う見方でみている。
今この瞬間のすべての一体の世界を、一枚の大きな写真として見ていないわけ。
実有があるとすればこの一枚の大きな写真なんだよ。
仏の世界も神の世界も、今この瞬間の一体となった世界のこと。
それが実有ってこと。 実有があるとすればそれだ。
ただそうすると矛盾が生じるのは、確かに今本当に存在するのは、今この瞬間の全ての一体となった世界ということなんだけど、
そうなると、あらゆるものは存在出来ないんだよね。
今この瞬間しかなければ、あらゆるものは存在出来ない。
存在とはわずかながらでも「継続」を必要とするからだ。
じゃあ、我々のこの世界で何が存在を継続させているのか・・・・?
それは、「思考」だよね。
思考分別があらゆるものの存在を作り上げている。
なので仏教では、今に統一して思考分別を越えることを目指す。
つまり、二元性を越えていくということ。
二元性を越え、思考分別が消え、今に在る、ということは、
みな同じなんだよ。
だから、『知るものと知られるものの二元性を超えている(思考分別を越えた)実有が在る!』
というのは、今この瞬間の全てが一体となった世界で、それは実有でありながら、分別で確認できる存在ではない、
ということになるね。 ☆
↓隠居師匠って何ぬねの?ということで、とりあえず
117 :神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 10:56:42
生命は、思考や議論の対象にはならない
(仮設としての
無明に依存して
さとりに達するための修行の障害(覆)がある
我癡・我見・我慢・我愛に依存して)
ただひたむきに生きる以外には、方法がない
思考も議論も、生命の機能の極一部に過ぎないからだ
_ _ _
ふ〜む =^・ ・^= これは
何を主張してるのか?わからないので おじゃります >>368
「思考が存在を継続」(笑)
するわけねーだろ。(笑)
「仏の世界も紙の世界も〜」(笑)
一緒にすんな、バーカ。(笑)
(^。^)全く話にならない、あやふやな適当な話だ。(笑) >>367
「思考が出来なくなる」ってのは「思考の停止」を意味していて、
本当の意味で思考を越えたことにはならない。
「思考の停止」ということは、「思考の活動」がうらはらにあるからだ。
たとえば禅をやっている時に、無理矢理雑念を消して思考を停止させても、それは真に
思考が無くなった状態ではないというのと同じ。
根は同じなんだよ。
コインの裏表は一体になっていて、片側だけ語ってもそれは一枚のコインを
「越えた」ことにはならない。
>思考出来ないってことは、本能のままに野性動物のようになるってことかね?(笑)
版画家の宗像志功は、自分が版画を掘ってる時は、手が勝手に掘っている
というようなことを言っていた。
自分が掘っているんじゃないと。
また、弓と禅の中に出てくる阿波研造は、暗闇の中で的の中心に当たった矢の筈の部分に第二射目を当てて、
「それ」が射るのです、私が射るのではない、と言った。
本能のままに野生動物になると、最高の芸術が創作出来て、暗闇の中でも
的の中心に矢を当てることが出来るようになるのかね・・・?
また、もし、これらのことを思考で熟考してやろうとした場合、果たして最高の芸術作品、あるいは、
神業的な技というのは為すことが出来るのかね・・・?
もっと極端に言うと、花はいろいろ熟考して、綺麗な花を咲かせるのかね・・・?
熟考しなければ汚いメチャクチャな花が出来るのかね・・・?
実を成らせるのにいろいろ考えてやってんだ。
いや、考えたら出来ないだろ。 >>370
3歳の自分が20歳になったと君は言うかもしれないが、3歳の自分は20歳にならないんだよ。
もしなったら、20歳の自分の中に、もう一人、3歳の自分が隠れていることになる。
もしそれでも3歳の自分が20歳になるというのなら、3歳になっても20歳になっても変わらず在り続ける
「自分」というものをその中から出してみろ。
その「自分」こそ、思考・分別で継続させているものではないか。 >>361
「我のない世界が本当の幸せの世界」
>>365
「我とは思考のこと」
>>371
「思考が出来なくなるとは、思考の停止を意味していて、本当に思考を越えた事にはならない」
思考を越えた世界が幸せなのか、
思考のない世界が幸せなのか。(笑)
何にせよ、単なる思考停止の快楽主義、刹那主義で、仏教ではない。
適当な話を切り継ぎして、判ったふりをしてるだけの悟ったちゃんは、そーゆースレがあるからそっちに行きなさい。
(^。^)あ?ひょっとしてVIPかどこかの板から来てるのか?(笑)
この板は、お前みたいなバカな話を本気で書いてる基地外が大半だから、何も面白くないぞ。(笑) >>373
承狂が面白いのは、こちらの話を仏教的に理解出来ていないで、
批判しているってこと。
本人もそれに気が付いていない。
仏教かじった人だったら分かるんだよね。
だけど、承狂も仏教の本質というか、本当に言いたいことが分かっていない。
だからこっちの言ってることが得たいの知れないカルトのように見える。
ようは、ついていけないわけ。
さて、宝珠も仏教的知識の深い人であれば、たとえそれがスピリチュアル的な主張でも、正しい真理を語っているならば
それが分かるはずだと期待していたわけだけど、それには全く賛成なんだけど、
だけど同じことを宝珠にも言いたい。
そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか
気付くだろ。 「観るものと観られるもの」
「二元性を超える」
「思考がじゃまなんだあああああ」
・・・・・・というようなレベルの話は、ここでは相手にされないよw
そういうのは、悟りスレでやるような話w ☆
>そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか気付くだろ
仮設としての
無明に依存して暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)
仮設としての
無明に依存して
渇愛に依存して
たとえば
知るものと知られるものの二元性を超えている
アートマン
という掴もうとしている『想い』が
刹那滅して変化して現れているので
それゆえに
(仮設としての)今この瞬間においても
散りゆく桜と人生の儚さ。という無常であり
(たとえば掴もうとしても、それは)掴むことはできない。というような対機説法であるかもしれない? え〜〜〜とねえ、おじゃる。
君は確か、宝珠にこのスレへの書き込みを禁止されていたと思うが?
承狂のスレではOKされてるんだから、そちらに書き込むべきでは? ニコニコだったら、「あたし、そうゆうの嫌いじゃないから」とかコメが流れてきそうだな。(笑)
さて、キモいパーマンは置いといて、(笑)
>>1でも「無我」と「アートマン(我)」とあるし、悟ったちゃんも「我」について変な妄想書いてたから、「我」についてでも。(笑)
俺が昔、聞いたのは「大我と小我」で大我は肯定的に語られてた。
勿論、他の仏教同様に、我とは煩悩に捕らわれた自我という意味で語られてもいた。
悟ったちゃんは「我をはる」という日本社会での常識と仏教の我を混同してたが、
この「我をはる」のが悪いってのは、儒教由来の視点ではなかろうか。
仏教では、「小我」、或いは「我」は凡夫の常であり、人道を含む六道は迷いの世界ではあるが「悪」等とは言わないと思う。
いや、悪趣とか言うな。(笑)
あれ?(笑)
あー、何というかキリスト教的なアレなんだよ。(笑)
仏教等の東洋的なアレじゃなくて、キリスト教的なアレだからアレな訳だ。(笑)
(^。^)まぁ、その、何だ。衆道は悪趣味ってことで。(笑)
補足して蛇足を加えると、キリスト教的な視点では「悪」への恐怖があるんだが、
東洋的な視点では「悪」が通常、常態なんだよな。
だから仏教は慈悲と言い、ヒンドゥではシヴァ神を立て、神道では祟り神を祀る。
宝珠が「仏教はヒンドゥをバカにしてる」とか変な妄想をするのも、悟ったちゃんが「二次元を越える」とか痛いオタクみたいな事を妄想するのも、
この「悪」への恐怖心から、つまりキリスト教的な視点だから生じたものと推定出来る。
(^。^)アレだからアレなんだよな、で判ってくれる奴が少ないから困る。(笑)
え?一人くらい判ってくれるよな?(笑) >>377
パーピ、ありがとうございました。m(__)m >>378
>「我をはる」という日本社会での常識と仏教の我を混同してたが、
これは非常に浅はかな考えで、究極的には「我をはる」ということと、仏教の我というものは同じなんだよ。
承狂 は洞察力の足りない批判が多すぎる。
相手がAを踏まえてBを語っている時に、Aを知らないでBを語ってると思っちゃう。
だからBがてんで分からない。
それで「おまえはAをわかっていない」と見下しちゃう。
パッピーマンもその口だろう。 >>380
うんうん、そうだねw
オレは、分かってなくて、あんたは分かってるw ちがうちがう、俺は分かってるんだってことを言いたいんじゃなくて、
きちんと誰にでも分かるように具体的に説明してるだろ?
これはこうだ、これはああだと、説明無しに「オレは分かってる」というようなことは言っていない。
だから、説明には適切な反論をしなきゃいけない。
ところがその反論が出来なくて、相手を誤って見下したり、「はいはい、あんたは分かってて俺は分かってないんだね?w」と
相手を分かったちゃん呼ばわりする。
これはこのスレで真っ当な議論をすることを放棄している…、あるいは、真っ当な議論をする能力が無いことを意味してる。
だから、スレにふさわしくないから出ていけ、というんなら、そういう人こそ出ていかないといけない。
正当な議論でかみ砕いて説明しているものを、わずかな意味もない短文で批判する…
これはちょっと問題があると思うよ。 >>382
いやいや、貴方はわかってるんでしょ?w
オレは、バカだから分かりません。
貴方と議論する気も、反論する気もありません。
これで何がいけないの?w
ただ、お前さんの言ってることは、このスレの趣旨とは少しずれてる気がしたんで、
そういうのは、「悟りスレ」で好きなだけ、自分の境地を語ればいいと思っただけさww
スレ主の宝珠がそういう話をここでやりたいと思うのならば、全然OKさw
オレがとやかく言う筋ではないんでねww >>383
だからズレてないって。
たとえば中論の自性を扱うと、ここではズレてることになるのか?
諸法無我の無我について語ると、ズレてることになるのか?
で、そこに繋がるような、その系列で話しをしている時に、スレ違いだと思うのは
相手の主張を理解せずに、勝手に自分で判断してるってことだろ?
オレ分かったちゃんは実はあんたの方なんだよ。
応用的な話が応用過ぎて、つながりが理解出来ない…、
だから相手の話はスレちがいだ、
こういう発想なのよ。
もともと釈迦の主張する無我とはなんぞや、本質的にどういうことを言いたかったのか?、ってことを
対象にしてもいいわけだろ?
なんで上のレスがスレ違いになるのか。
己が分かったちゃんになって勝手に仕分けしてるからそうなるんだろ。
俺知ってる、っていうオゴリがあるからそうなるんだよ。 >>384
はいはい、ずれてないねw
好きなだけ語ってくれw
オレは、とにかく関わりたくないのでこれで終了w 宝珠、まさかパーマン側には立たないよな?(笑)
君は勿論、悟ったちゃんサイドに立つんだよな?(笑)
d(^。^)仏教を唯物主義者どもより判っていらっしゃるんだもんな!(笑) しょきょは気に入ってないようだがw、
>>362(及び>>357中段)は、(一代じゃないが若干擁護スタンスで行けばw)
浄土系の骨格として、実に解り易く端的だと思ったが?
ああ、しょきょは362にはレスしてないのか・・。 なるほどwww ああ、勿論、本物の一代なら、
「いや、浄土系でも、縁起無我の前提の上にあって、
決して、(近代真宗教学のような)一神教系・神国建設系ではない!」
と力説するだろうけどw 宝珠は否定するんだろうが、
この悟ったちゃんと宝珠の立ち位置は
「伝統仏教が継承した仏教と釈尊の本当の教えは違う」
「霊的な進化」
という点で同じだろ。
尤も、悟ったちゃんは「伝統仏教と僕ちゃんは同じなの」とか言いそうだが、その辺の説明は宝珠には不要だろう。(笑)
で、「全く視点が違う」とか言われそうだが、
「霊的な視点を欠いた伝統仏教はー」
ってのは散々宝珠が言ってたよな?
これと物質主義って対立軸を出したのもね。
宝珠と悟ったちゃんの違い同様に、その「物質主義」にも様々なイメージが人の数だけあるって事にはならないかな?
またアプローチも人の数だけある、とね。
現に俺は霊的な事象を肯定し、尚且、所謂「霊的な進化」という概念は否定するという立場だ。
宝珠は「それも物質主義」と断定したが、じゃあ今回の悟ったちゃんという存在をどう見るんだ?(笑)
(^。^)これも物質主義なのかな?(笑) >>387
浄土系のとか、ここで話し出したら余計ややこしくなるだろう。(笑)
個人的には一応法流の内だから養護してたが、思想的にはー、って前にも書いたように思うが、この辺は金剛との絡みもあるから余計面倒臭いし。(笑)
(^。^)大体、お前もあの時「この件は、まだ判断がー」とか言ってただろ。(笑) それは、
個人的見解として、或る図面・或るスキームは想定できるけれども、
それが、当事者に受け入れられる、或いは業界の一説として適しているかどうかは
第三者委員会に委ねた方がいいな、ということw >>390
極々個人的感想としては、(一代は嫌な顔しそうだがw)、
浄土系の骨組みは、(最終的に解脱・涅槃・正覚がゴールとしても)、
その前段階として、一神教的「すがり」「祈り」「委ね」は、
「信」の在り方として、一番解り易く、堅固で、次(の段階)への土台とし易いだろうな、と。
類似は否めないな、と。
勿論、それら他力的に見えるものも、実は見え方として他力なだけであって、
自力の異相でしかないんじゃないかという気はするけれど。 いつの時代も、
異人(異界の者、外国人、他共同体の者)は、
「新気」をもたらすものであり、「変革と破壊」をもたらすものであり、
生物的には、「近親交配の異形」を回避させるものであり、
思想的には、「停滞」と「固定化」を溶かすもの
だからね・・。
宝珠スレ議論スレ外道スレ等、結果的に見れば、今から思えば、
色んな人間が口を挟んだことによって、
色んな拡がりを持ちえたからね・・。 もう承狂とかパピーマンとはバカとしか言いようがない。
洞察力が非常に低レベル。
相手の言ってることを洞察する範囲が非常に狭い。
たとえばこれ。
「思考が存在を継続」(笑)
するわけねーだろ。(笑)
これも。
(^。^)何が「空となる」だよ。(笑)
相手の言葉も理解出来てないのに、非常に稚拙な「反論」で返してる。
万事が万事こういう感じ。
洞察力の低いヤツの典型だよ。
普通だったらそれはどうなんだ、こうだろう、って、洞察的に議論が始まるんだが、
こういう輩はそれが出来ない。
洞察に乏しくて相手の言ってることが飲み込めない。
それで稚拙な言い返しだけして、相手は全然ダメ、自分は何でも知っているって顔するからタチが悪いよ。
そもそもこういうやつは「空」とか、「自性(我)」とかの説明をさせたら、
ボロ出しまくりでさっぱり分からんだろ。
ただの仏教論的な回答で、それも本質を理解してないから途中で曲がる。
だからマトモな議論を避けて稚拙な言い返しに始終するわけ。
そもそも相手の言ってることが洞察的に理解出来ないレベルって、知識を詰め込んだ幼児だろ。
その知識がなんの役にも立たない。
自分の中で組み立てられない。
こういう連中を見ると毎度ヘドが出るよ。 >>391
それは当然、言うまでもない話。(笑)
そもそも大乗初期から仏菩薩へのそれは方便として使われてたんだし、元より自他力の差別はないよ。
但し、あんなのと浄土宗を一緒にされたら法然上人も浮かばれまいよ。(笑)
悟ったちゃんみたいな連中と一緒にするのは失礼すぎ。(笑)
こんなのとは全く別の話として、あそこは現在反日勢力と合流したってところが個人的に否定する最大要因。
シオンを忘れたらダメでしょ。(笑)
>>393
可能性だけなら、明日、俺がキリスト教徒として目覚める可能性もあるわな。(笑)
縁起して斯くあるんだから、そうゆう業と自戒するならまだしも、議論スレでそーゆー態度はどうかねぇ。(笑)
(^。^)てか、俺のはご当人も言ってる様に、パーマンのと大差ないだろ。(笑) 仏教でいう「我をなくす」とは「生存の素因を断ち切ること」をいう。
生存の素因を断ち切れば生は尽きたと知ることになる 宝珠殿、そなたは左に傾いているぞ。
左を見なければならんが、偏って歩いてはならんぞ。
そなたは右を歩きながら、それを中道と思って御座るぞ。
そなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じているが、
それでは足らんのう。
立体の道を早う悟りなされよ。
正中の大道あるのであるぞ。
左でも右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界じゃ。
原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、立体に入りさらに復立体、復々立体、
立立体の世界を知らねばならんぞ。
相対では争いじゃ。戦じゃ。
真の世界平和は今のやり方考え方では成就せんぞ。 道は三つと申してあろう。
三とは参であるぞ。
3スリーでないぞと申してあろう。
無限であるぞ。
平面的に申せば右と左とだけでないぞ。
その右の外にまた左の外に道でなき道あるぞ。
それを善の外道、悪の外道と申す。
外道多いのう。
中の中には中の道あるぞ。
中の中の点は無であるから動きないぞ。
動きないから無限の動きじゃ。
その点の外の中は人民にも動きみゆるぞ。
この道は中行く道ざと申してあろうが。
中の点の道は大神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道じゃ。
わかりたか。 >>356-357 >>361へ
明日、日中に投稿するので宜しくお願いします。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/
なんか、イライラするw
それなりに的確なレスなんだけどね、あっちの980、981も。
けど、なんか気にくわないwww >>401
イライラは瞋という煩悩です
あなたも仏家なら手放しなさい 原因が一個(一分野、一領域、一事象)だと思ってるとしたら、
社会生活が浅いんじゃないか? >>402 ああ、
自分の鏡像だから、嫌いなのかwww 自己解決
404は忘れてくれ。 補:
ただ、
上座部系に傾倒すると、
ややもすれば、自分の向上(悟り)以外を蔑ろにしがちかな、と。
あっちのスレも、結局、
一人で生きている人だけに許される選択・生き方の話しかしてないわけで。
そこで、
周囲の人間と、協調しながら、支え支えられながら生きねばならない者
(現実的に世俗的生き方から外れることが許されない人々)の呟きに対して、
(それこそw)勝義一辺倒の「いや、欲望の。自我意識の滅は・・・」
なんて話が、どれほどの意味を持つだろうか・・。
現実生活・世俗を捨て得る人間が、この世にどれだけいるか、っつう話でね。
そりゃ、大乗仏教が発生する筈だわw >>406
釈尊の時代だと、社会の繋がりは狭く、人命も軽く、世界も解らないことだらけ。
老後に出家する、という風習もあった。
大乗は、勿論上座に対するアンチテーゼもあったろうが、
社会の安定によって社会が老人を抱える余裕が出て、
社会に様々な意識改革が出来るようになったという側面もあるんじゃないかと思う。
約二千年前に人類の思想は出尽くしたって話もあるが、仏教はその転換期に成るべくして成ったのかなと。
この社会の複雑化、多様化への対応は「進化」と言えるが、
しかし、前にも書いたように単なる「適応化」に過ぎず、どちらが上という話ではないんだよね。
(^。^)上座から見たら、大乗は堕落、世俗化したってのも一面の真理だし。(笑) >>401
981ってこれのこと?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544370283/981
これ的確じゃないよ
もしも悟った人が「見る」、「聞く」とするならば、
「見た」「聞いた」ということが起こったということになる
止まった(気を取られた)ということだよ
つまり執着ということ
もし止まらなければ、「見た」「聞いた」ということが起こらない
見ることと完全に一致していれば、0(ゼロ)だよ
そこには「見る」ということもなければ、「見ない」ということもない
これは、「見るものと見られるものが一つになる」という状態とおそらく同じ まあ、龍樹まで突き抜けちゃえば、
そういうことになるんだろうけど。 >>408
覚ったからって、霞を食べるようになるわけでもなし、
村の立地通りに道を歩いて托鉢に巡るわけだし、
見えて聞こえてなければ、質問にも答えられず、お説法もできやしない。 >>404
ひとの邪曲(よこしま)を見るなかれ。
ひとのこれをなし、かれをなさざるを見るなかれ。
ただおのれの何をなし、何をなさざりしを想うべし。
『法句経第50偈』 はいはい、わかっております。
ちょっと、リアルの方でイライラ案件があったもんで。(あっちのスレに書いたとき)
ただ、
オウムに入信した子たちの愚かさを、それを自分で見れてなかったからだ、
と、(―彼らを愚かだったと言い切ってしまう姿勢自体も、慈悲が足らん言い方かもしれんが・・w―)
バッサリ言ってるように読んでしまったんでね。
次の日読んだら別に普通だったんで、
咬み付いたワシが愚かだわな。 すまんかったw m(_ _)m >>401
ヴィパッサナー等々...
それはただ、思考活動に対する制御について様々な手法があるということに過ぎない。
もちろん、それ(思考活動の厭離/遮断)は“悟り”というものでもない...。
私たちのグループやヨーガの技法メソッドはもっと科学的でオートマチックです。
マントラを使用して、チャクラの特性を用いるから。
つまり、思考活動の制御には“苦労”は要らない。
それがヨーガの科学です。
>>406
>ただ、
>上座部系に傾倒すると、
>ややもすれば、自分の向上(悟り)以外を蔑ろにしがちかな、と。
例えば...
アリス・ベイリーに連なり、私たちのグループが掲げる主要テーマは“人類と世界奉仕”です。
私たちの行う伝導瞑想は、エネルギーを世界に伝導する奉仕であり、世界の進化にとって役立つものとして自己を提供するものです。
その内容については、エネルギーの大家にして管理者である覚者方がすべてを行います。
これは純粋にして、世界に奉仕したいという想いがあれば誰にでもできるものです。
自己(の霊的な)成長というのは、あくまで“その結果として起こるもの”であって、自己(の成長)そのものが目的ではない。
本当に、奉仕に没頭するようになったときには、すでに自己のことなどは忘れているでしょう
(これが“忘我”です)。 >>394
う〜む、お見事!!
承狂さんの資質がものの見事に見抜かれてしまっている。
そして、文書力も高くて上手。
こりゃ〜承狂さんでは、とても太刀打ちできそうにありませんね...。
エーと、まずは質問です。あなたについて少し教えてください。
あなたはヒンドゥーも(肯定的に)学んでるのですか?
例えば、“不二一元論アドヴァイタ”とかラマナ・マハルシの教えなどを...。
また或いは、その他ですか?
それから、あなたにだけではありませんけれど、
論議に参加して何度も投稿しようとされている方は、なるべくコテハン(固定ペンネーム)の使用をお薦めします。
何を何処まで対話済なのかを互いに確認して、より円滑に議論を進めるためです。
もちろん、強制ではありませんが。 では、宜しくお願いします。
情報を含めやや長文の連投になりますが...。m(__)m
>>361
>カルトってのは指導者を崇め奉ることが重要になってくるわけ。
>人を幸せにする原理というよりも、指導者を崇めることの方に重きが置かれている。
>宝珠の語る信仰はまさにこれで、原理が存在しない。
>覚者方の存在がより重要になってる。
>こういうのがカルト典型なんだよ。
人の集まる新興宗教を何でもかんでも悪者扱いしたくなるのも分からないでもない
(日本における新興宗教教団の質の悪さは酷過ぎたから...)。
しかし、「カルト」の意味と定義くらいは知ってから使って欲しい(参考ページを読まれたし)。
そして、その上でわたしが支持しているこのグループが、
果たしてカルトに該当するものであるかどうかの判断を願う。
皆さんは、まったく何も知らないでしょうから、
>>344-345に続けて、更に説明させてもらいますと...。 このグループは、ハイアラキーの(ヒマラヤ在住の)覚者からの指示を受けて、既存の組織活動に拠らない徹底した非営利非組織を理想として掲げて
おり、そのために本部と支部組織だとか、日本仏教のような総本山・大本山・別院等々といったものはなくて、ただ単に、この情報を発信して伝達す
るための制作発行所と各国の翻訳発行所が点在するだけです。それも実態としては、殆んどがただの個人宅であり普通にPCとFAXがあるだけです。
そして、全員が有志による自発的なボランティアにしか過ぎず、それは、この活動を立ち上げた覚者のコンタクティーであるクレーム氏当人といえ
どもまったく同じです。普通、日本仏教も含めて宗教団体というものは、そこの教祖を中心にして諸幹部らと聖職者たち(といった教団出家と呼ばれ
る人たち)がいて、彼らは信者たちからの献金によって生活していますが、しかし、ここは違う。クレーム氏を含めて全員すべての者がそれぞれ職業に
就いて働いています(クレーム氏は画家です)。
もちろん、クレーム氏は参加者からの尊敬を一心に集める方ではありますが、しかし、それは奉り上げる崇拝の対象ということではなく、新興宗教
の教祖たちのように何やら銅像を建てていたり、大きな肖像画や写真を礼拝対象として祀っているなどということもありません。
一人の導師グルをおいて、その導師に従うというやり方はすでに時代遅れです。その導師が間違えば全員が間違う...。このグルーブでは覚者や師に
対する“献身”を説かない。このグループでは覚者からの指導のもと、“グールプ全員による合意”という新時代のまったく新しい未知のやり方をし
ています。このようなグループは、世界中どこを探しても他には存在しません。 クレーム氏は情報を発信する講演者であって、その依頼を受ければまったくの無報酬で自身のご老体に鞭打って、ロンドンから世界中どこへでも向
かいます。たとえば日本では、毎年5月始め頃〜全国の数ヶ所での講演をして頂いていましたが、それは講演を希望する地域のボランティアたちが自
らの浄財を持ち寄って初めて実現するのです。日本講演では、必ずカリフォルニア在住の翻訳者一人と合わせて二人一緒で招待するので、例えばロン
ドン→カリフォルニア→東京〜日本各地→カリフォルニア→ロンドン、という経路で、その飛行機代と各地での滞在費のすべてを招待する側の有志た
ちが自腹で受持っています。
そして、肝心の講演会においても、それがどんなに大きな会場を借りた場合でも、すべて“入場無料”を基本としています。これも地域の有志のボ
ランティアで負担しています。東京などでは、2、3千人規模の会場ということもありますが、お蔭さまでいつも大盛況の満員御礼の状態で早い者勝ち
状態ということになっています。希望者でも入れないということすら多々、生じているので、一度でも視聴経験のある方についてはまだ初めての方へ
と席を譲るよう呼びかけています。
奉仕メンバー間においては、特定の誰かに対して特別な役職を与えたりということはなく、全員が基本的に平等対等の立場にあります。
そして、このグループでは“会員入会制度”を設けていないので、会員非会員いった区別すらも存在しません。当然、会費徴収すらもない。
参考:(宝珠編著『カルトの特徴とは』)
http://houjugusya.web.fc2.com/cult.htm では、
私たちがMaitreyaを“崇拝せよ”といっているかどうか、
Maitreya御自身が、自らを“崇拝するよう”主張しているのかどうかについてです。
以下の一部抜粋が、Maitreyaからの言葉メッセージです。
『「あなたがわたしを見るときでさえ、わたしの後を追いかけてはならない。わたしは信奉者をつくるために来たのではない。
あなたがわたしをひけらかすようなら、あなたはわたしが誰かを知らない。あなたが自分自身の裡に経験するところのものがあなたの富である」
「教師としてのわたしを探すものはより的に近い。わたしは教える者であるから」
「わたしは独占されることはできない。わたしはすべての人々に属する」
「わたしはあなたがわたしを信じることを欲しない。まず初めに、わたしをあなたの裡に体験しなさい。あなたがわたしを体験すると、あな
たは自分の裡にあるわたしの存在に気づくようになるだろう。まず初めに信じなければならないということではない」
「わたしを崇拝してはならない。もしわたしを崇拝するならば、あなたは自分を低めようとしている。わたしはそれを欲しない。わたしは、
あなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる存在の閃光(きらめき)である。あなたはわたしよりも低い存在と考えてはならない」
「わたしを喜ばせようとしないで、自分自身を幸せにしなさい。そうすれば、それがわたしを幸せにする。もし、あなたが自分自身を大切に
するなら、あなたはわたしを大切にすることになるのである」
「まず最初に、わたしがあなたのところに『夜中の盗人(ぬすっと)のように』やって来る。というのは、あなたがあまりにも興奮しすぎない
ようにである。少しずつ認識していくにつれて、あなたが食べたもの≠ゆっくりと消化する≠アとができる。認識の中で、あなたはわたし
を知るだろう。主義≠フ中では、あなたはわたしに逆らって戦うだろう」』
(ベンジャミン・クレーム監修『いのちの法則』シェア・ジャパン出版) >356
>思考は業ということ。 二元性の世界ってのは、業の世界ってこと。 マーヤーだ。
>夢の苦しみをどうこうやったって、夢から目覚めない限りいつまでも苦しみは続くんですよ。
>夢の中の苦しみを夢の中で解決しようとするんじゃなくて、ただ目覚めればいい。
>そこを目指せばいいわけ。
>そこを目指すのが仏教であり、弥勒であり、新時代なんだよ。
>>357
>宝珠さんの新時代は、全部マーヤーの中の出来事。
>
>>374
>そこまで宗教を研究しているならば、そろそろ二元性を越えるということはどういうことか
>気付くだろ。
要するに、それはこういうことですか?
「世界における戦争紛争、自然災害、貧困飢餓...のすべては、
所詮は、その人達の業のなせるわざであって、つまりは彼らの自業自得に過ぎないということ。
だから、そんなもの相手にすることはない。
そもそも、物質現象界そのものが非実在であって、そこには何ら実体がなく、すべてが幻影マーヤーに過ぎない、と。
だから、そんなことにいちいち注意を奪われることなく、ただひたすら自己の修行に専念すべきである。
自己完成の暁には、それら現象界の幻影マーヤーなどは完全に消散するから、元々、無問題だ」と。
もしも、そうであるのならば、
それはとんでもない勘違いだとこの私は思います。
少なくとも、私たちの提示しているMaitreyaの見解(教え)とは、まったく異なる。 では、あなたはこのように呼びかけているMaitreyaに対して、
不必要に苦しみ死んでいく者たちをあなたと同じ兄弟であるとして示そうというMaitreyaに対し、
「あなたは、彼らは自業自得で苦しんでいる。そして、それは実体ではない」と、
直接、Maitreyasと対面したときにも「あなたは間違っているよ!」と、面と向かって言えるのですね?
『わたしはあなたがたの助力を必要とする。わたしの仕事を手伝ってくれるよう、あなたがたに呼びかける。どうしてわたしはこの大量殺戮を
傍観し、わたしの幼き者たちが死ぬのを眺めていられようか? 否、我が友よ、それは出来ない。だから、わたしは再びあなたがたの中に速やか
に戻り、方向を示し、道を教えに来たのである。しかし、わたしの使命の成功はあなたがたにかかっている。真なる人間として分かち合い、共に
平和に生きるか、完全に死滅するか――このどちらかをあなたがたは選ばねばならない。私の心は、あなたがたの答えを、選択を知っている。そし
て喜んでいる。(p.50−51)
わたしの任務は、あなたがたが兄弟同胞として共に平和に生きる方法を示すことである。これは想像するよりも単純なことである。我が友よ、
なぜなら、必要なのは、分かち合いを受け入れることだけであるから。分かち合いは、実に、聖なることである。人間のすべての進歩の根底にある。
それによって、我が兄弟よ姉妹よ、あなたがたは神との正しい関係を築くことができる。これが、我が友よ、あなたがたの人生の根底にある。分か
ち合うとき、あなたは兄弟の裡に宿る神を認める。これは真理である。単純なのだが、人はこれまでこのことを本当に把握することが困難であった。
この真理を証明する時が来た。 (p.240−241) 現在不必要に苦しむ者たちのために、わたしの心は痛む、非常にわずかな変化で、彼らの状況を改善できるのに。我が友よ、あなたの兄弟たちが、
みじめななかで、悲惨な退廃のうちに死んでいるのに、いかで傍観していられようか。わたしの計画は、これらのわたしの子供たちを救い、彼らを
あなたがたに兄弟として示すことである。わたしの計画はあなたがたすべてを含む。わたしと共に新しい時代へ歩む用意のある者たちは、すべて呼
ばれた。我が友よ、あなたがたの世界を再建するために、わたしを手伝いなさい、そしてこの世界を光の任務に送り出そう。(P.336-337)』
(ベンジャミン・クレーム伝『Maitreyaのメッセージ/いのちの水を運ぶ者』同)
参考:
恐らく世界配信されたMaitreyaの姿は、ケニア・ナイロビでのキリスト教の集会に出現された時のものと、
それからこのシリアのニュース報道の映像だけだと思います。
・(キリストの再来と奇跡の水/94年頃放映/日本テレビ『スーパーテレビ』)
http://www.ユーチューブ.com/watch?v=ajp5p0b0-6E
・(シリア騒乱の中で“白い天使”の出現としてメディアに現地報道された傷ついた人を助け出すMaitreyaの姿/0:42〜1:10)
白いローブを纏った大きな謎の男/度々、負傷者を救出するその姿が目撃され話題になったが現地では彼を誰も知らないという。
https://www.ユーチューブ.com/watch?v=sSGVtJOeXAo
Maitreyaは“慈愛の権化”といわれています。
人間一人一人の悲しみ苦しみの想いを我が事のように感じ取っているといい、
世界大戦での人類の泣き叫ぶ声を聞いて、Maitreyaは今回、時を速めて人類の中に入られたのだという(降臨/1977年7月)。
それを“分かってない者のやることだ”と、嘲笑するというのかな?
ならば、あなたのいう
「すべては彼らの自業自得だから放っておけ! 実体のない幻影マーヤーの出来事(世界人類のこと)など気にするでない」
が、本当に正しい仏教だというならば、そのように教えたというブッダからの言葉を、
仏典(原始経典)の記述をここに提示して下さい! そして、ハイアラキーの覚者方の見解によれば、
「宗教」というものは戦争の原因になりこそすれ、
“人類の世界平和”の達成という観点から見た場合にはまったく役には立たなかった。
宗教者はただ祈るだけで良いとする者も多く、中にはあなた方のように非実在のこととして冷淡な無関心へと至る者すらもいる。
そういう意味においては、“失敗であった”と見ています。
この私もかつて若い頃の一時期はそうだった。あなたと同じように見なしていたのです。
人類社会そのものにまったく興味を失って、家族の繋がりすらも邪魔なものでしかなかった。
すべてを捨てて山野にでも籠りたい、そういう心境に至っていた...。
そのような私を変えてくれたのが、このクレーム氏からの情報でした。
尚、全面的に信頼を寄せるようになるまでには、確認のために丸一年以上を費やしましたが...。 『私は元来、宗教組織というものが好きではなかった。いずれの教団にもみられる狂信的態度がやりきれなかった。自分達の師や教祖を崇拝し、
教えを感情的に受け入れ、己の幸せにのみ執われ、社会の不正義に無関心な人々の集まりがいやだった。教団という組織の壁を真理の河の自然な
流れをさえぎってしまう。
心を開いて学べば、各宗教の教えの根本は皆同じである。真理であれば、これは自然なことなのだが、何故か、どの宗教も、宗派も、自分たち
の教祖こそ最高であり、その教えこそ唯一の救いの道だとか、最も正しいのだとして執われてしまう。世界の歴史の中で、宗教の名においてあま
りにも多くの残酷な流血の戦いが闘われて来た。そして現在も、最も野蛮で残酷な戦いが狂信的なイスラム教徒やキリスト教徒やヒンズー教徒の
間で繰り返されている。
--(中略)--
アリス・ベイリーの著書を通じて、西洋の秘教学徒の間で親しまれているジュワール・クール覚者はこう述べている――
「人間の神性(霊性)がいつも宗教とか教会や寺院の独占物のように語られてきたことは、地上における悪の勢力の最大の勝利であった」と。
人間の精神性、霊性が宗教の世界だけで語られ、政治や経済や社会がどれほど堕落した不公正なものであろうとも、切り離して考えられる。
そのような思考態度こそが、今日の世界の状況を創り出したのである。--(略)--』
(訳者/石川道子の紹介『いのちの水を運ぶ者』訳者あとがきより)
http://www.sjsh.co.jp/Pages/yaku.html
取りあえず、今の私からいえることは以上です。 こういう書き込みを見る度に思うのは、
そもそも登ってる山自体が違うんじゃないかな・・、とw >>仏教と神智学
その目指してる所が、根本的に違ってるのかもなぁ・・と。
登山だから、あちこちに類似性は見られるとしても、
又、頂上からは俯瞰して下界を臨むとしても、
そもそもの立っている場所が違うな・・と。
で、改めて思うのは、
神智学は、希望願望の上に世界を構築するのに対して、
仏教は、事象の在り様の上に世界を構築しているのだな・・・と。
>>宝珠
やっぱ、君とは、未来永劫相容れない。(断言 補:
で、大乗仏教(及び特に浄土系)もまた、
希望願望の上にその世界を構築することになる。
だから、特に浄土系近世教学に於いては、
キ教―特に旧約でなく、新約イエスに近接する形で―と相似形になる、と。 その意味で、
以前から感じていて、今もまた確信的に思うのは、
【神智学は大乗仏教】だな、とwww ああ、>>408に一つ補足レスを入れるなら、
P大般涅槃経の阿難への助言かも。(正念相続としても)
阿「(我等出家者・梵行者は)、女性に対してどう接すべきでしょうか?」
仏「見なければよいのです」
阿「見なければ(会わなければ)ならないとき?」
仏「喋らなければ・会話しなければよいのです」
阿「会話しなければならないときは?」
仏「念を確立していればよいのです」
勿論、初期仏教地代には、あまりないケースだろうが、
((近世)禅宗で逸話が何種か伝承されるが如く)、以下の一つを挟んでもいい。
阿「会話しなければならないときは?」
仏「触れなければよいのです」
阿「触れなければならないときは?」
仏「念を確立していればよいのです」
当時としては、喋る以上のことが、出家者と(在家)女性の間に生じることはないかもしれんが、
比丘尼とは、接触する機会も当然あり得るわけで。
(そこで、比丘比丘尼双方に、種々注意事項が加えられていくわけで・・。)
この、「念を確立する(し続ける)」(正念相続)ということが、
即ち
「見ていて聞いていて、且つ見ていない聞いていない。見ずにいて聞かずにいて、且つ見ている聞いている」
ということであり、
「見てい乍ら聞いてい乍ら、それに左右されていない、影響されていない、惹かれていない」
ということなのだろうしね。 「バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。
『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。
バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。
バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、
思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、
バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。
バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。
これこそは、苦しみの終極“おわり”です」と。
そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤですが、世尊の、この簡略なる法(教え)の説示によって、まさしく、ただちに、〔何ものをも〕執取せずして、心は、諸々の煩悩から解脱しました。
(ウダーナ 1.10 バーヒヤの経(10))
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-3.html >>430
ざっと見たが、大東亜を侵略とか書いてる人が縁起云々とか、片腹痛いわ。(笑) そこしか見えてないのか・・・w >>431
上の方に、幾つかレスもあるけど、
お前に日本仏教を云々する資格はねーわ。
ちゃんと目を開けとけ。 ( ゚听)、
これが25年前の論考で、山内さんの一石は更にそれ以前にも拘わらず、
寺院業界全体どころか、当該宗門(曹洞宗)に於いてさえ、
いまだに何の変化も無いってトコが、味わうべきとこであってだなw
また、
「法灯明に偏っている」というのは、片山さんも憂いていた事象だよ。
http://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/35
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110007019221.pdf?id=ART0008941450 >>415
まずですね、何が一番問題かっていうと、ベンジャミンクレームが何を継承して
教えを説いてるかってことなんですよ。
ベンジャミンクレームが神智学を正統に継承しているかってこと。
ベンジャミンクレームがブラヴァツキーなりアイリスベリーなりから、このものは霊的能力は本物だとか、
このものの覚者方とのコンタクトは本物だとか、このものは神智学をよく収めていて、継承者としてふさわしいとか、
そういう風に認められたかってことなんです。
誰にも認められてないんじゃないんですか?
神智学の一信者が、突然自分は聖者と交信していると言い出して、自分が独断でいろんな話を
勝手にしてるだけなんじゃないですか?
神智学の有名な誰かに認められましたか?
聖者とコンタクトしていると言うのも自分。 マイトレイア云々言うのも自分。
全部ベンジャミンクレームが一人で勝手に言ってることじゃないですか。
ベンジャミンクレームは神智学の話を聞いているうち、そこに出てくる登場人物エル・モーリヤとかクートフーミとかを勝手に自己の創作に利用して、
自分が来るべき新時代の幕引きをするかのような誇大妄想に浸って悦に浸ってるんですよ。
なぜ一人の人間がなんの継承もなく突然私は聖者とコンタクトしている、もうすぐマイトレイアが現れて新時代来る、と言い出したのを
丸ごと鵜呑みにしてしまうのか。
その個人はなんの証明もされていないのにですよ。
言ってることが素晴らしいというのなら、それは神智学から流用したものですよ。
神智学の信者だったわけですから、いくらでもそういう知識はある。
そこに自分の妄想を重ねて創作すればいいだけだ。 >>417
そこで語られてるマイトレイアのメッセージも、神智学的な考え方が反映したものでしょう。
実際にブラヴァツキーが聖者とコンタクトしてメッセージを貰ったとか、アイリスベリーの考え方なんかも学んでいるだろうから、
救世主は宗教を作るものではない(真理を実践するもの)ということは、何もベンジャミンクレームから始まったことじゃなくて、
ニューエイジの考え方の中でも一番の基本的なものでしょう。
誰にでも言えることです。
ましてや、ブラヴァツキーやアイリスベリーの受け売りをするのならなお更。
なので言ってることが素晴らしい、真実の教えを説いてるんだと写るなら、
それはこの手の思想の見識不足というしかない。
初めてこの手の思想を読んじゃうと、ああ今までとは違う、ほんものだ、と思っちゃうでしょう。
だけどいろいろと学んでるものにとって、この手の思想はゴロゴロ転がってる。
受け売りにしか見えない。
(余談ですが、この間までアイリスベリーの著書を持っていた。 古雑誌に出しましたが。) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています