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阿含宗という宗教300
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001口下手番長300
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2019/01/09(水) 17:04:21.48ID:g77MwC6N
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

■阿含宗関連サイト■

考察資料の総合案内「agama考察室」
  http://agama.zouri.jp/
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
  http://jbbs.shitaraba.net/internet/3419/
過去のザビビ復活!ザBBS(過去のザビビよるデータをFC2に譲渡)
  http://thebbs.fc2.com/ (阿含スレは”桐山氏と阿含宗について”)
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
  http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://agama.zouri.jp/kakoindex.html (1〜100まで)
http://agama.zouri.jp/kakoindex2.html (101〜200まで)
http://agama.zashiki.com/kakoindexmenu.html (201〜239まで)[リンク切れ→天照さんよろしく]
※ 以降は5ch(旧称 2ch)が転載防止策を講じたのもあり、転載できなくなっているのもあり、
※ 239で処理を中断しています。
※ なので、まとめサイトとしての agama考察室での過去ログ閲覧は239までとし、
※ 以降はネットで見たい掲示板のタイトルを検索して探して見ることをお奨めします。

過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.zouri.j...kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
  http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC 
  http://agama.jounin.jp/


前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1544433675/
0105神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 09:27:18.98ID:OO+EYVi+
桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。
0106神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 10:06:45.32ID:LznMJinu
>>58>>94
お仲間ありの自作自演劇場とすぐ判るwww
0107神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 10:22:35.55ID:crxnJwjA
>>105
無上止息とやらを体得もしないで よく言えるなボケ。
認めてほしいのなら、おまえは今すぐ宗務局にいくんだゴミ屑w

いいか、こう言うんだぞ!
「わたしめは5ちゃんねるでヨル公と異名をとる者です。
ヨル果を得ているので分かるのですがヨル向は聖者ではないと
宗務局でお認め頂きたい。
それから無上止息を体得理解しているので狂団でお認めください。
和田中僧正様にお取り次ぎください。」

分かったな妖怪ヨル公の基地害野郎w
氏示!
0108ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 10:49:55.66ID:+8BAw/uw
>>103 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:04:38.56 ID:OO+EYVi+
>桐山師はまだ発現していない業報告=因縁、を無くすことが出来ると言っているのであって、既に発現している業報告を無くすと言っているのではない。但し、発現してしまった業報告でも、慢性疾患みたいなものは無くす、あるいは軽くすることが出来るわけです。

業報は変えられないとは、発現のことを言っているのではなく、 その悪因縁とやらをいつ作ったかということを問題視しているのです。
前世に作った悪業の報いが そうであるならば 、その方法は変えられない避けられないと仏教は言っているのです。
ちなみに桐山因縁とは そういう過去になした悪業からの業報です。
だから因縁解脱なんて言葉は無く、またおかしな言葉なんだが、 あえて言うと業報解脱の方が 意味だけは通るのです。
もちろん解脱には業報解脱なんてものはありませんが 、そこであなたの出し古苦と新苦です。
既に作ってしまった悪業の報いは 避けられません。これがあなたの言う古苦ですね。
ところがこれから悪業を作らなければその報いは受けることはありません。これが新苦ですね 。
例えば これから罪を犯さねば 牢屋に入るなんてことはありません。
当たり前ですよね 。ところが桐山さんは 刑獄の因縁というものが元々その人にあって、この人は悪いことをして 刑務所に入れられるということは運命だと言っているのです。
それはそういう条件を過去世から作ったと言っているのです。
つまり桐山因縁とはあなたの言う古苦であり 、古苦解脱を 説いたのです。 それはあなたも否定したはずなんです。
0109ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 10:51:38.94ID:+8BAw/uw
その方法は変えられないと仏教は言っているのです。

その業報は変えられないと仏教は言っているのです。
0110ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 10:56:01.97ID:+8BAw/uw
>>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。

止息経読んだことがあります?
短い経典ですよ。
その経典の文脈に従って その表面意識、 潜在意識 、深層意識 についてどう語っているか 作文してみなさい。いや、訳してみなさい。
0111ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:01:06.56ID:+8BAw/uw
ちなみに桐山さんは止息経を4つの呼吸法を説いていると述べています。
しかしこの止息経は短い経典であるにもかかわらず、 原文を示して 現代語訳を示して解説などしたことがありません。
本来ならば アゴンマガジンで解説して、 仏陀の真実の教えを説くの著書にも載せておかしくない経典のはずなんですけれどもね。
なんで載せないんでしょうかね(笑)
0112深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/12(土) 11:07:59.65ID:DtA28Oe3
>>94神も仏も名無しさん2019/01/12(土) 00:34:50.59ID:zVfudQqR
>生きている間は、十善戒を守り、人助けの修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教を実行すると

宝生創価さんは自分では十善戒を守っているつもりなんですね。
あなたが上記で引用した釈尊の言葉に相当する内容を私が毎回示しても、
食堂の食品見本だと小馬鹿にして、「代案を出せ」と始まる。
あなたが引用した言葉が仏教の全てだから、「是諸仏教」なのです。

見過ごせない間違いがあるから、一つ注意しておきます。
宝生創価さんに注意などしても何の意味もないのは知っているから、
読者の他の信者さんたちのためです。
くり返すが、宝生創価さんのためではない。

×「修善奉行、諸悪莫作、自浄其意 是諸仏教」
○「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」

あなたは自分では記憶力が良いつもりで、記憶だけで書いたのでしょう?
だから、文字の間違いはともかく、順序を間違えている。
この釈尊の言葉の順序はちゃんと意味がある。
あなたは言葉の意味も仏教も理解していないから、順序を間違えるのです。
「諸悪莫作」が最初に来るのにはちゃんと理由があり、
この順序でなければいけない。
0113ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:10:10.23ID:+8BAw/uw
それではヨル公さんが、桐山さんの遊行経解説で出てきた表面意識、潜在意識、深層意識に着目したので、私が前スレにて論じた
遊行経桐山解説批判を貼りましょう。

608 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:04:21.80 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

それでは新著の批判を再開しますが、この遊行経に関しては声聞品のように いくつも批判点をあげるのではなく、一点に絞って批判したいと思います。
批判点がそれしかないというのではなく、声聞品と同じようにいくらでも指摘はできるのですが、
私はこの遊行経に関してはこの点を特に重視して批判したいと思うところがあります。
それは桐山さんの得意とする表面意識、潜在意識、深層意識と 分けて 物事を考えているところです。
遊行経は 大パリニッバーナ経、大般涅槃経と同じ内容構成ですから大変長いのですが、桐山さんはその中の一部を抜粋して示したわけです。
どの部分を抜粋したかと言うと、ナーディカ村において病気で亡くなった在俗信者に対して 12人がアナゴンとなって天上界に生じている、
50人がシダゴンとなっている、500人がシュダオンとなっていると示したところです 。
これら死後の行き先は法の鏡と言う 道標があるのだから これに照らし合わせればよいと阿難に示すわけです。
そこの部分の抜粋で 、十結煩悩の解説、 四沙門果などについて解説をしていくわけです。
私が問題視するのは 桐山さんがこの表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識を使って、勝手にシュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を 分類しているところです。
これについて批判する前にまず桐山さんの特処の三つの意識を示したいと思います 。

したがって、阿含宗の心の分類ではこうなります。
表面意識=意識している心
潜在意識=幼児期に生じた無意識
深層意識=生まれる前の無意識
人間の心はこのように三層に分かれているのです。
ところで、さきほど、古代仏教もまた無意識の意識を発見しており、それを「随眠」という名でとらえていたと申しましたが、

(166ページ)
0114ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:11:10.13ID:+8BAw/uw
609 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:20:13.01 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

この桐山さんが人間の心を三つの意識無意識に分類できるとして物事を考えようとしたことに対する批判をよりも先に、
桐山さんがこの三つの意識に基づき、シュダオン、シダゴン、アナゴン、阿羅漢を独自に分類した表を示しましょう。(170ページ)
●シュダオン
・表面意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている
・潜在意識の欲貪・瞋恚→一部断ち切っている
・深層意識の欲貪・瞋恚
→残っている

●シダゴン
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→残りが薄らいでいる
深層意識の欲貪・瞋恚→薄らいでいる

●アナゴン
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている
・深層意識の欲貪・瞋恚→完全に断ち切っている

●阿羅漢
・表面意識の欲貪・瞋恚→なし
・潜在意識の欲貪・瞋恚→なし
・深層意識の欲貪・瞋恚→なし
0115深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/12(土) 11:12:18.92ID:DtA28Oe3
「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」
(『真理のことば・感興のことば』中村元、36頁)

漢文で覚えないで、上記の普通の日本語で覚えたらどうか。
宝生創価さんは漢文で書いて、自分は漢文を空で覚えているのだと、
自分の教養を示したつもりなんでしょう。
だが、宝生創価さんのは中身のないハッタリだから、こうやって馬脚を現す。

そのハッタリぶりが桐山さんや1.5来補さんとそっくりです。
1.5来補さんも経典を漢文で記憶したつもりで、何度もここに引用したが、
次のように、引用するたびに漢文が違っていた。
「四双八輩是聖賢之衆」(55章266、6月23日)
「四双八輩 是如来弟子聖賢之衆」(55章633, 7月9日)
「四双八輩 是如来弟子衆也聖賢之衆」(56章7、8月6日)

彼の持っている平河本には和訳が書いてあるのだから、現代文を書けばいいのに、
漢文を書いて、自分が漢文の素養があるのを誇示したいのです。
上記のように引用するたびに違う漢文を並べられても、恥じることもなく、
また記憶に頼ってデタラメな漢文を書いた。
この信者たちのハッタリは桐山さんが模範を示していた。
0116ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:12:35.95ID:+8BAw/uw
610 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 21:45:36.06 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

>>609の 桐山分類表は三結断のシュダオンでも実は欲貪や瞋恚は 表面意識のそれは 断ち切っていることを示したものです。
もちろん経典にはこんな話はありません。
桐山さんが勝手に自分の考えを添えたとしか言えません。
そもそも経典では無意識だの潜在意識だの深層意識だの説いていないからです。
そんなことはない随眠があるではないかと言うかもしれませんが、実は随眠は無意識のことではないんです。
そのことは後で詳しく述べていきたいと思うが、 三結とは身見、疑惑、戒取であるが、 この三結を断じた者をシュダオンというのだが 、
じゃあ欲貪や瞋恚はどうなっているのかと言うと、一部切れているのだとした。
ヨル公さんは 欲貪や瞋恚なんてものは シュダオンになってから初めて考えればいい話だなどと戯けたことを書いていたが、
桐山さんはそれを否定している。
桐山さんは身見を因縁因果の道理がわからない ことだとしているので、因縁因果の道理のわからないことに基づく欲貪や瞋恚は
もう表面意識上ではなくなっているとしたのです。
桐山さんの勝手な理屈の前に、私はこれは切れているかどうかはともかく 、ある程度そういうことは言えるなと思います 。
なぜならば 三結が切れているけれども 、欲貪や瞋恚が丸ごと野放しに残っている奴なんているはずがないからです。
仏教を信仰することを表明して貪ってはならない怒ってはならないと教えられたからには
皆それを守ろうと意識して努力するからです。
実は意識をそこに置くということは非常に大切なことなのです。
それだけで改善されるものがあるのです 。
例えば昔はゴミのポイ捨てが当たり前で、分別ということは全く 考えずにひどいものでした。
ところがゴミの分別、ポイ捨て禁止を 呼びかけるようになりました。
私の父などは当時そんなエコロジーだの説いたところで と馬鹿にしていました。
ところがどうでしょう?
それから十数年何十年も経ってこれはかなり浸透してきました。
その父もちゃんとゴミの分別を守り、タバコのポイ捨て、ゴミのポイ捨てなんてことはしなくなったのです。
もちろん一部の人は守らず根絶したわけではないけれども、かなり改善されたと言えるのです。
それほど言葉による教えと言うか意識を持つということは、実はすごく効果のあることなんです。
だから仏道修行者が欲貪や瞋恚を野放しにしているなんてことは考えられないのです。
0117ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:15:05.86ID:+8BAw/uw
611 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:02:03.98 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

そこで>>609の桐山分類表は経典には何の根拠もない話だということながら、 欲貪や瞋恚に関して言うならば、シュダオンでも実は かなり制御されていると見るべきだと だけ言っておきます。
問題としたいのは、 表面意識、潜在意識、深層意識の三つの意識に分けて物事を考えようとすることです。
実は仏教には 経典にはそんなことは説かれていません。
言うならば常に表面意識と言うか意識の中に置いてだけ 注意をしていくということしか説かれていないのです。
無意識なんて説いていない。
唯識などは阿頼耶識だのそういう深層心理学的な方向に釈尊の考えとはよそに
暴走していってしまったが、 釈尊の仏教では あくまでも意識の努力しか説かないわけです。
随眠ですか? これは深層心理学的な無意識とは違うのですよ。
例えば私が今石鹸という言葉をここに書きます。
皆さん方はそれまで石鹸のことについて頭の中にはなかったでしょうが、私が石鹸という言葉を書いたことによって 石鹸のことを思い出すでしょう。
じゃあ皆さんは皆さんの頭の中に石鹸ということがなかったのかと言うとちゃんとあったわけです。
それは眠っている状態だっただけです。それが思い出されたということに過ぎません。
だから桐山さんは自分が聖者のような 気持ちで法話を 話していた。
この時の 彼の気持ちの中には 得意満面のおごりはあっても 怒りというものはなかった。
ところが突然おばちゃん信者が管長猊下は嘘つきですと言ったことによって、桐山さんは 怒りが彼の心に芽生えたわけです。
そしてキサマ!キサマ!を連発し つまみ出せ、このバカ!とその怒りを爆発させた。
これは桐山さんの中にある 眠っていた怒りが呼び覚まされたという話です。
これの説明するのに 無意識、深層心理学は必要ありません。
そしてこれこそが随眠という考え方なのです。
0118ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:16:48.36ID:+8BAw/uw
612 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:19:48.50 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

だから随眠という言葉は煩悩の代名詞です 。
煩悩というものは 常に意識下にあるものでもないが、 油断していると出てしまうものなのです。
それを随眠という名で警告しているのです。
ちなみに自分の中の赤の他人が自分の表面意識とは関係なしにおかしな選択行動をしてしまうなんて話ではありません。
随眠という煩悩に対処するには常に意識しているということが大切なのです。 油断をしないということです。
眠っている煩悩、随眠が表面に現れたことを纏といいます。
纏もまた煩悩の代名詞です。
ならば随眠が纏となって現れ出た時を見逃さずにこれを意識的努力で抑止するということが大切なわけです。
自分の中の赤の他人だの、 わかっちゃいるけどやめられないなんて言い訳は許されないのです。
わかっちゃいるけどやめられないのではなく、わかってないのです。
わかろうとしたくないだけです。甘ったれてるだけです。
生まれる前の無意識って何ですか? そんなわけのわからないものは説かない。
そうではなくちゃんと自分の中で分かるものしか釈尊は説かないのです。
寝ている間に見る夢はどうか という質問が スマナサーラさんに寄せられたことがあります。
スマナサーラ老師はこう答えました。 夢を見ている最中が その人にとっては(表面)意識なのだ。
だったらそこにおいてそれを注意するのだと。
これが寝ている間も自己観察を怠らないということです。
つまり無意識の意識なんてものは考えずに常に自分が今面している意識のみをに注意を払うのです。
0119ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:17:58.51ID:+8BAw/uw
613 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR sage 2018/12/30(日) 22:29:22.31 ID:WnR+H5Aa
「仏陀の真実の教えを説く 下」遊行経桐山解説批判

そこで、この本の中でも解説されているフロイトの無意識の意識を説く人がいますが、実はフロイトの精神分析なんてものは
現在においてそれは科学などと認められていません。
皆さんはフロイトの心理学をこれは科学だと信じているかもしれませんが、現代におけるそれは単なる一思想に過ぎないのです。 文学といってもよい。
だから無意識の意識の存在そのものを疑問視する 心理学だってあるのですよ。
もちろん記憶というものは 膨大なものですが、自分の中の赤の他人みたいな無意識なんてものは否定する人は否定するのです。心理学者であっても。
皆さんは 桐山さんが示したからといっていつまでもそんな時代遅れを科学などと しない方がよいですよ。
フロイトを否定しているのではなく、 フロイトの説いた思想をこんな形で活用して 何の利点がありますか ?
それって単に自己責任を回避する言い訳に過ぎないではありませんか?
だったらフロイトなんて捨てた方がよい。
繰り返しが釈尊の説いていることは常に意識的努力だけです。
煩悩の制御を示す仏教に対して、潜在意識だの深層意識だのわけのわからないものを導入して、
訳の分からない話にしようなんて策略に乗ってはなりません。
0120深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/12(土) 11:18:01.85ID:DtA28Oe3
「人を殺すに眼をさっせざる底の英霊漢なるべし」
(『師の一言』76ページ)

これを桐山さんは『碧巌録』から引用したと書いたが、
原文にはそんな文章はありません。
自分で原文を引用しているのだから、確認すればいいのに、間違っている。
つまり、頭が良いつもりで見ようともせず、記憶に頼って適当に文章を書いた。
宝生創価さんや1.5来補さんと同じです。
抜群の記憶力を持つはずの桐山さんが、自分の書いたわずか6ページ
ほどの文章でさえも記憶できず、整合性のない引用をしてみせた。

ここに桐山さんの頭の中がそのまま出ている。
・抜群の記憶力があるという根拠のない自惚れを持っている、
・原文を確認しようともせず、記憶だけで書くくらい愚か、
・実際の記憶力はいい加減だから、実際に間違っている。
もう一つ、
・自分は碧巌録のような難しい本も読んでいる教養人である、
と自慢したいのです。
簡単に言えば、頭が良いと自惚れているが、シッポが出ていることにも
気が付かないくらいの脳味噌です。
1.5来補さんや宝生創価さんの模範を示しているが、
教祖様だけあって桐山さんの仏教無知はこんな程度ではない。
0121深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/12(土) 11:24:25.47ID:DtA28Oe3
応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)

阿含宗には「応供の如来」という奇妙というよりも、恥ずかしい如来がいます。
信者さんたちの中で、普通の知性と普通の恥じる心を持っているなら、
応供の如来なんて言葉は使わないほうが良い。
なぜなら、仏教の無知と無教養がばれてしまうからです。

応供の如来は二つの意味で桐山さんの仏教無知と無教養ぶりが
ばれてしまった事例です。
一つは、応供も如来も同じ仏という意味だということを知らなかった点です。
応供の如来なんて言ったら、如来の如来、仏の仏、なんて
変な意味になってしまう。
こんな基本的なことも知らない仏陀の智慧の持ち主は、
応供の如来というキャッチコピーを作り出した。
0122深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/12(土) 11:29:31.95ID:DtA28Oe3
応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)

二つ目の桐山さんの無知と無教養は、応供を「供養に応える」などと、
「レ」点をつけて読み、自分が漢文が読めるのだと自慢したことです。
中途半端な漢文知識を自慢するのは1.5来補さんや宝生創価さんとそっくりです。

仏教辞典を引けば、すぐに応供には供養に応えるなんて意味ではないことが
わかるのに、知ったかぶりをして、「レ」点つけて読んで、教養人のふりをしたかった。
応供は、岩波仏教辞典にもあるように、供養を受けるにふさわしい
くらいの意味で、供養に応えるなんて意味はありません。
教祖の無知と慢心が阿含宗の教義になってしまったのだから、爆笑です。
阿含宗がいかに知性の低い宗教かをわざわざ示している。

信者さんたちは、供養に応える、などという解釈はさもしいと思いませんか?
如来に供養して、その見返りをもらいたいという桐山さんの餓鬼の心が
そのまま出ている恥ずかしい解釈です。
如来など清浄の比丘たちに供養しても、何もくれません。
三福道などという言葉も教義も釈迦仏教にはありません。
0123深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/12(土) 11:40:39.45ID:DtA28Oe3
応供「供養を受けるにふさわしい者の意」(岩波仏教辞典)

桐山さんは信者さんたちにとって反面教師です。
それは間違いは誰にでもあるが、間違いに気が付いたら、撤回して
修正しないともっと恥の上塗りになるという点です。

桐山さんは応供の如来を教学試験に出した。
すると信者の一人が、応供も如来も仏の十号の一つだと、正しい答を書いた。
正面からではないが、桐山さんの間違いを指摘したのです。
ところが、桐山さんは応供の如来は違うと自分の餓鬼解釈をまた並べて、
間違いを認めなかった。

一切事経の八法十六法の話も同様で、桐山さんは八法の数え方を間違えた。
例祭の講義の後、信者から、法次法向は一つと数えるべきではないという質問が出た。
この指摘が正しく、桐山さんの数え方が間違っていた。
だが、桐山さんは間違いを絶対に認めないから、ついに本にして出してしまった。

間違い指摘されると、居直るという桐山さんの人生では珍しくない反応です。
信者から指摘された段階で修正していれば、教団内の話で済んだ。
ところが、せっかく、間違いを修正するチャンスがありながら、
自分の非を認めず、頑迷不屈に主張するから、そのチャンスを逃し、
ついには本にまで書いて世間に公表してしまい、大恥をかいた。
しかも、桐山さんは大恥を書いたとさえも気が付かなかった。
この桐山さんを信者さんたちは良く見てほしいのです。
0124深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/12(土) 11:46:46.33ID:DtA28Oe3
信者さんたちに、この桐山さんが、1.5来補さんや宝生創価さんと
そっくりであることに気が付いてほしい。
「預流向=聖者」であることは、経典にも、仏教辞典や学者の解説でも、
そして桐山さんも新刊で認めている。
だが、1.5来補さんは私が書いてもいないことを書いたと難癖を
付けながら(>>89)、今でもまだ「預流向≠聖者」と書いている。
何をどう示されようが、頑迷不屈に他人を非難しながら、自説に凝り固まっている。

宝生創価さんは「深山=創価信者」と頑迷に主張し、絶対に譲らない。
相談者さんの書き込みに、他宗の坊さんと喧嘩しているなどと
ピント外れなインネンを付け(前スレ915)、それを指摘されても素知らぬ顔で、
今度は知りもしない十三仏大曼荼羅を護摩木の法施でくれたなどと言い出した(>>12)。
その間違いを指摘されても無視して、今度は阿含宗は創価の天敵などと始まった。
どこが天敵なのかと反論されても、創価がどうのこうのと関係ない話をして逃げた(>>65)。

二人とも頑迷に自分の間違いを認めないという点では桐山さんとそっくりです。
0125深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/12(土) 11:52:49.35ID:DtA28Oe3
宝生創価さんと1.5来補さんに共通するのは、間違いを指摘されても、
絶対に認めず、頑迷不屈にどこまで主張し続けることです。
桐山さんとそっくりです。
では、信者さんたちはどうか。
信者と元信者の間違いは、桐山阿含宗を宗教や指導者として
選んでしまったことです。
桐山さんの口車に乗せられて、阿含宗こそが真実の仏教であり、
オシャカをこの日本に蘇らせ、因縁を切り、超人的能力を体得して、
新しい人類を作り出す、なんて宣伝文句にまんまと乗ってしまった。
だが、現実の桐山さんは美食飽食を繰り返し、愛人を囲い、信者を騙して、
他人の不幸を踏み台にして、社会的な成功を得るためにお金を集めて
名誉を買い集めただけだった。
大作さんとそっくり。
しかも、大物俗物の大作さんにはるかに及ばない小物俗物だった。

桐山さんが亡くなって何年もたつのだから、冷静に過去の自分の信仰を
振り返ってみてはどうでしょう。
行歴の長い信者なら、因縁切りや超能力開発を目指した若者が
どのような姿になり果てたか、鏡をしっかりと見てはどうでしょう。
言われたくはないだろうが、ある意味、1.5来補さんや宝生創価さんの
醜悪な姿こそが信者さんたちの姿を映す鏡です。
0126ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 11:57:05.26ID:+8BAw/uw
>>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。

てかこの人は まず 私が四つの止息は同じものだとレスしたと言っているが、 どう同じなのかということを 書いてみなさい と言いたい。
つまり相手が何を 述べたかを正しく理解しているか が大切なわけです。
私はあなたの主張、すなわちシュダオン向は まだ三結を断っていない状態だから聖者ではない。
だから1000人の 仏弟子がいたら1000人とも最初はシュダオン向であるはずだから 1000人とも最初の段階は聖者でないと書きましたよね。
これはあなたの主張を理解したからです 。
もちろんその内容は否定しますが、しかしあなたが何をどう主張したか、そこだけはちゃんと理解しているのです。
だからあなたも同じように 、こちらの止息経の桐山解説が四つの呼吸法としたことが間違っている、 これは呼吸法などではない、
この四つの表現は こういう意味なんだ ということを 私らは示しています。
その私たちの 示した内容をあなたは正しく自分の言葉で 書けますか?
0127ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 12:28:59.61ID:pPstqaFD
>>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。

桐山止息経解釈は止息法として、これは四つの呼吸法を説いたものだと、ここであなたに教えたことは、
私の早まりのミスだったかもしれませんね。
あなたはその呼吸法であるという桐山主張すら覚えてないかもしれないからです。
私らは○○の止息を説いたものだとした。
もしあなたが止息の正しい意味をこちらの書き込みから学んで覚えていたとしたら、
あなたは今回の新著の桐山表面意識、潜在意識、深層意識を読んで、○○の止息も表面意識、潜在意識、深層意識を駆使した
四種類あるのだと解釈したのではないですか?
0129ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 13:22:05.74ID:xq/fVcsx
ちなみに出入息止息も出てきますよ。呼吸ですね。
でもこれが出てくる場面を比較してください。
0130神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 14:22:30.72ID:OO+EYVi+
釈迦も、桐山師新書も、預流向を聖者だとは認めていない。ただ八輩をひとまとめに聖者たちと表現しただけです。預流向は聖者予備軍であって、三結を断じたら聖者預流になるのです。深山くんも、金塊の例えを考えてみなさい。
金山の金塊は全て純金、というわけではない。
0131神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 14:29:04.06ID:OO+EYVi+
桐山本上巻には、「わたくしたちは聖者に向かって修行しています。これを須陀温向といいます」と、書いてあります。これで須陀温向は聖者でないことが分かるでしょう。これを理解した人は、下巻も正しく読めるのです。字面だけ単純に追うな、と桐山師が言っていますよ。
0132神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 14:40:37.81ID:OO+EYVi+
ユビくん提示の大念住経も読んで見たのだけどね。私が二十年程前に、スリランカの僧侶から聞いた七覚支解説ともかなり違うね。まぁ、今回の大念住経に似たような訳は他にも読んだことがあるけどね。考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。
0133神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 14:49:44.35ID:OO+EYVi+
桐山新書の念覚支解説は、念を強めることと四念処観修行の二つとしているね。これは輪廻する葦本の七覚支解説とほぼ同じです。輪廻する葦本にも七道品経が提示されているから、ユビくんは確かめてみなさいよ。四念処の結論は、空観を悟ることだから桐山解説で善しだね。
0134神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 14:58:33.07ID:OO+EYVi+
ユビくんは、念を強める、を大げさに考えているのでは?気づきの瞑想だって、注意力は必要でしょ。ボーと観察するのでなく、注意力集中力を強めることは必要なのでは。別に力んだりしないでさ、肩の力は抜いてさ。その延長線上に念力ゴマあっても悪くないでしょ。
0135神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 15:09:19.33ID:OO+EYVi+
たぶん深山くんは、四向四果の聖者を考えるとき、向と果の一対でひとつの聖者の位と考えた。イメージとして青年を例に挙げよう。15歳から25歳までを青年と定義した場合、二十歳未満を青年向、二十歳以上を青年果と名づけたら、青年向も青年果も同じ青年だからさ。
0136神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 15:12:17.46ID:OO+EYVi+
↑そのようなイメージで、うっかりミスをしたのだろう。そして後に引けなくなった。
0137神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 15:24:08.23ID:OO+EYVi+
しかしね、ユビくん提示のネットの大念住経の訳など、どこまで信用出来るのだろう?中村元師や増谷文雄師やその他高名な学者先生の阿含経訳に、なぜ気づきの瞑想法がないのかね?ユビくん説を聞かせてたもれ。
0138ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 15:59:30.26ID:7VlxUlHd
>>132 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 14:40:37.81 ID:OO+EYVi+
>ユビくん提示の大念住経も読んで見たのだけどね。私が二十年程前に、スリランカの僧侶から聞いた七覚支解説ともかなり違うね。まぁ、今回の大念住経に似たような訳は他にも読んだことがあるけどね。考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。

前スレの最後に貼った 大念住経(大念処経 )をちゃんと読んだのですね。えらい。
それから相応部経典の覚支相応も貼って、ちゃんと七覚支が出てきて 、その中の念覚支とは 四念処 であることが書かれていることを示しました。
でその四念処については大念処経を読めばこれは観察のことであると分かるわけです 。
そこであなたがこの経典の訳に疑問を感じようが信じまいが、実はこういう経典があるという事実を見て欲しかったわけです。
というのはあなたはスマナサーラ氏の 念処解説についてあれは彼が勝手に考えたものだろうとしているけれども、
それは大変な侮辱であり、ちゃんと昔からこういう経典があるから経典に根拠のあることを説いているわけです 。
それだけでもわかったんじゃないですか。
それまでの自分の不勉強を恥じるべきです。
0139ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:11:27.72ID:7VlxUlHd
>>132 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 14:40:37.81 ID:OO+EYVi+
>考えて見れば、夢遊病者でもない限り、自分の行動には気づいているよね。

ところが気が付いているようでいて人間は やはり見落としているのです。
これは大切なことです
私は数ヶ月前 医療安全対策の講習会を聴きに行ったが、そこの講師はヒューマンエラーというものは絶対になくならないものなんだけれども
しかしどうしてヒューマンエラーが起きるのかということはこれは全部科学的に解明できると話していた。
そして人間は意識することが大切だと述べていた。意識をそこに置くわけですね 。
ところがやはり意識をそこに置けないミスがある。それがヒューマンエラーです 。
その原因が例えば寝不足で疲れていたとか 、悩みがあったり、多忙で一度にあれこれやって注意力が散漫であったとかそういったことです。
だから本当に意識をそこにおいて注意し続けるということが実は一番大切な話なんです。
だからこれはよく書く話だけれども 、桐山さんはこの四念処をやっていたのであれば、常に自分の行動を観察できていたはずだ 。
ところが例祭の最中おばちゃん信者に嘘つきと言われた。
もちろんこのおばちゃん信者に対して 注意を与えてたしなめる必要があります 。
しかし桐山さんのそれはたしなめるなんてものではなくもう怒り狂っていた。 自分を見失うほど 。
これはやっぱりどんな時であれ 自分の言動について注意をするという修行がされていない証拠ですよ。
修行していればもう少し賢い対応をしますよ。
私はあの怒鳴り散らして 言葉の暴力 強制退去という暴力にしか訴えられないというのは賢明とは思えません。 愚かだと思う。
つまり桐山さんの四念処の修行なんてその程度のものだったのです。
0140神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 16:11:32.14ID:LC6syBA8
>>137 何故に阿含経の教えに瞑想のテクニックに関しての体験談や成果の報告が無いか?
気が付きましたか?ユビキタス無知氏に成り代わり言いましょう。お釈迦様の残された
こんな高級で難解な修行は出来ませんと開き直った怠け者の阿保弟子が上座に居座って、
死ぬ日まで布施を貪り、大事な大事な体験記録を消したからさ。
その直弟子の阿保たちは、今なお 以下省略する事にした。
 
 
0141ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:13:02.61ID:7VlxUlHd
>>140
いいところに出てきましたね 。
後でレスをします と言うか あなたの存在を使います。
0142ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:20:30.52ID:7VlxUlHd
>>133 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 14:49:44.35 ID:OO+EYVi+
>桐山新書の念覚支解説は、念を強めることと四念処観修行の二つとしているね。これは輪廻する葦本の七覚支解説とほぼ同じです。輪廻する葦本にも七道品経が提示されているから、ユビくんは確かめてみなさいよ。四念処の結論は、空観を悟ることだから桐山解説で善しだね。

実は今回の 七覚支に関する経典の桐山解説の批判の中で書き忘れたのだが、桐山さんは四念処を四念処観と言う 瞑想としたわけだが、
そこに貫かれている不浄観を否定しましたね。
浄不浄というのはおかしい。
物事は空なんだと大乗の般若思想に基づきました。
でもこれっておかしいですよ 。
やはり 原始仏教では 一切皆苦で全てを見るのが 大切なことであり、 不浄であると見るのが 大切な話なんです 。
だからこそ 執着も捨てることができるわけなんです 。
だからここで般若空をの立場に立つというのが 随分おかしな反応なんですね。
阿含経を批判したいのか。
0143ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:29:33.12ID:7VlxUlHd
>>134 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 14:58:33.07 ID:OO+EYVi+
>ユビくんは、念を強める、を大げさに考えているのでは?気づきの瞑想だって、注意力は必要でしょ。ボーと観察するのでなく、注意力集中力を強めることは必要なのでは。別に力んだりしないでさ、肩の力は抜いてさ。その延長線上に念力ゴマあっても悪くないでしょ。

などともっともらしいことを言っても駄目です。
桐山さんの解説は知情意の 全てにおいてその力を強めるなどと書いている。
これではまず目の前にあることに 注意を集中する ということに気がつきませんよ。
だからキーワードは観察です。
観察という言葉が一言もなく解説されているというのは、 この経典のと言うか念処の何たるかが分かっていないんですよ。
とにかく 桐山さんは四念処を解説したいと思ったら大念処経などに書いてあるその経典を読んで、
その内容を手短でいいから示すことです。その上でこれは強いものでなければならないなどと書かねばならないのです。
それが経典の根拠も示すことなく、仏教大辞典から思いを平らかにする 、そこしか読んでいないじゃないですか。
そして自分の修行体験などとほざくが、自分の修行体験の前にまず経典ではこのように説かれている
ということを書きなさいと言いたい。
でも読んでないから無理なんですね。
0144ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:34:59.22ID:7VlxUlHd
>>137 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 15:24:08.23 ID:OO+EYVi+
>しかしね、ユビくん提示のネットの大念住経の訳など、どこまで信用出来るのだろう?中村元師や増谷文雄師やその他高名な学者先生の阿含経訳に、なぜ気づきの瞑想法がないのかね?ユビくん説を聞かせてたもれ。

今回は書籍からの引用でなくネットで拾えるものをあえて示しました。
そうしないとあなたは読まないですからね。
まあそれも読まないと思ったのだが、読んでくれたのだからえらいものだとしたわけですが 。
だからこれ以外にもちゃんと春秋社の原始仏典の第2巻にも大念処経が載ってますよ。
ちなみに中村元博士も編著 のものです。
また片山一良訳のパーリ仏典もありますし 、スマナサーラ師来年大念処経も書籍としても売られています。
だからご自分で調べてみてはどうですか 。
それよりもそちらこそ念を強くすると 書かれた経典があるんですか?
ちなみに桐山さんは修行体験としか書いてませんが。
0145ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:42:37.18ID:7VlxUlHd
ところでヨル公さんから止息経のことが話に出されましたので、私は>>128に止息経の原文(書き下し文)を貼って示しました 。
これが雑阿含経止息経の書き下し文訳の全文です。
今回の桐山さんの新著にもあるように雑阿含経というのは本当に短い経典を集めたものですからね。あのぐらいの長さです 。
そこでヨル公さんがこれは表面意識、潜在意識、深層意識 のことについても その四つの止息が関係していると あなたは理解したのだそうだ。
だったらあなたの理解をもとに この原文から 意訳でも構わないから 示してみなさいと言いたい。
0146ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 16:50:29.39ID:7VlxUlHd
そして桐山さんは止息経の止息法とは4種類の特殊な呼吸法だとしました 。もちろん単なる呼吸法ではなく呼吸も用いた 禅定瞑想法だと したわけですね 。
笑える話なんですが 。
そこで>>140の 宝生創価さんの出番です。
宝生創価さんは>>140にも書かれてあるように現存する阿含経には具体的な修行法が書いていない、分からないと 彼は言っている。
そこで止息経が4種類の特殊な呼吸法について示されたものだとすると、ますます分からないんじゃないですか 。
勝止息、奇特止息、上止息、無上止息という単語だけですよ。
この単語だけでどうして具体的な呼吸法がわかるのか?
しかも原文はあそこに書いてある通りです 。
これだと 宝生創価さんが言うように具体的には何をどうしたらいいのかなんて実は何も分からないことになってしまいます。
0147神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 17:15:08.60ID:OO+EYVi+
一言で言うと、勝止息・無上止息などは、最上級の瞑想法で、深層意識の煩悩を滅してしまう。ここまで到達出来ない修行者は、禅定を出ると煩悩が戻ってしまうわけだ。ウッダカ仙人は解脱までもう一歩だったわけだ。禅定を出ると煩悩が戻ることは経典を読めば分かるね。
0148ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 17:20:38.67ID:7VlxUlHd
ところが>>128に示した止息経について解説すると、まず九次第の各禅定においてこうした止息が可能であると書いています。
ちなみに止息とは息を止めるだの呼吸とは全然関係ありません。
この場合の息とは休息とか息災とか使われるように、止と同じように、止める、やめるという意味があります。
つまり止息とはとめる、やめる、なくすという意味があるわけです。
九次第の禅定によってこういったものを 停止させていく力があると示すわけですね。
その中には出入息というこれは文字通り呼吸のことですが、 呼吸を止めると言うか 調整制御することも入っています。
しかし一番最後に貪欲心に於いての解脱 、恚癡心に於いての解脱を示します、つまり、貪瞋癡の 煩悩からの解脱こそ、
勝れた止息であり、奇特な止息であり、上なる止息であり、無上なる止息 であると四つの形容詞で 賛嘆したものです。
そして一番最後に、 「諸の餘の止息に過上なる者無し」と名づくとありますが、これはこの四つの形容詞で表現した
貪瞋癡の煩悩をなくす止息に比べて、 これを過ぎたる上の物は無いとしたわけです。
つまり先に述べた九次第定の禅定においてと言うか、可能な止息効果よりも、 貪瞋痴の煩悩をなくすことが第一なんだぞ
と いつも説く教えを述べた経典です。
これのどこが4種類の呼吸法なのか?
また具体的な修行法としては、煩悩をどうやって止息していくかということは経典全体で 書かれていることなんだから、
それを実践すればよく 、4種類の呼吸法などと言う 実際には具体的に何も示されていない呼吸法なんか考える必要もないのです。
0149神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/12(土) 17:22:44.48ID:OO+EYVi+
例えば第四禅定は、心が清浄、安定、煩悩無く、とかだ。経によって表現が少し違うだけで内容は同じだ。だいたい煩悩があったら心が清浄安定なわけがない。しかし、この状態は禅定に入っているときの一時的なものだ。だから大解脱ではない。
0150ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 17:24:22.62ID:7VlxUlHd
>>147 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 17:15:08.60 ID:OO+EYVi+
>一言で言うと、勝止息・無上止息などは、最上級の瞑想法で、深層意識の煩悩を滅してしまう。ここまで到達出来ない修行者は、禅定を出ると煩悩が戻ってしまうわけだ。ウッダカ仙人は解脱までもう一歩だったわけだ。禅定を出ると煩悩が戻ることは経典を読めば分かるね。

おっ、煩悩を滅してしまうと書きましたね。
つまり止息とは とめる、やめる、なくすということで、何をなくすか滅するかと言うと、煩悩だという
こちらの主張とそこだけは一致したわけですよね。
桐山さんが示した4種類の呼吸法ではないとあなたも認めたわけだ。
0151神も仏も名無しさん
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2019/01/12(土) 17:26:17.28ID:OO+EYVi+
深山ユビくんみたいに、煩悩解脱を涅槃だと考えていると、第四禅定の心の状態を大解脱だと間違えてしまうのだ。
0152ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 17:31:43.07ID:7VlxUlHd
>>149 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 17:22:44.48 ID:OO+EYVi+
>例えば第四禅定は、心が清浄、安定、煩悩無く、とかだ。経によって表現が少し違うだけで内容は同じだ。だいたい煩悩があったら心が清浄安定なわけがない。しかし、この状態は禅定に入っているときの一時的なものだ。だから大解脱ではない。

だから書いたでしょ ?
桐山さんの示す大解脱と小解脱の区別というのはそんな話ではない。
桐山さんは煩悩をなくしただけでは小解脱だとしたのです。
本煩悩をなくすだけではダメで、例えば身体の病気がなく健全になったり、運命が改善されたりとかそういうことがなければ
大解脱とは言わないとしたのです 。
禅定から 覚めたら煩悩が戻るとかそういう話ではなく、常日頃から煩悩をなくした状態でもそれだけでは足りないとしたのです。
だから阿羅漢果とは十結煩悩を全て断った人ですよね。でも十結というのは所詮煩悩に過ぎないから、
十結煩悩を全て断った阿羅漢果も小解脱だと桐山さんは言ったことになります。
0153神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/12(土) 17:39:51.07ID:OO+EYVi+
安般念経の桐山解説は、細かい説明を省いて、一気に本質に迫ったものだと思う。安般念経の、有覚有観寂滅純一、の語だけで、これは九次第定の初禅から滅尽定まで表していると、私クラスでも分かる。桐山師の手法は一気に本質に迫ったものだね。
0154ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 19:50:34.56ID:7VlxUlHd
>>153 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 17:39:51.07 ID:OO+EYVi+
>安般念経の桐山解説は、細かい説明を省いて、一気に本質に迫ったものだと思う。安般念経の、有覚有観寂滅純一、の語だけで、これは九次第定の初禅から滅尽定まで表していると、私クラスでも分かる。桐山師の手法は一気に本質に迫ったものだね。

それは結局、安那般那念についてわかっていないということではないか?
私が>>128に 貼った止息経も 寂滅止息と しているが、寂滅=止息だとわかる。
九次第定の9番目の想受滅は想受寂滅であり、 そして九次第定全体を
「是れを漸次に諸の行寂滅すと名づく」
と表現している。
その後に 貪瞋癡の煩悩の解脱を
「是れを勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして、諸の餘の止息に過上なる者無しと名づく」
と表現している。
つまりこの経典の文章構成は九次第にの行の寂滅止息の価値と、貪瞋癡の煩悩を解脱する寂滅止息の価値を対比したものと分かります。
そして後からのべたら貪瞋痴の煩悩の止息の方をこれ以上のものはないと 比較したわけです 。
だから九次第定に全く価値がないというわけではないが、 求めるのはそこでないということです。
あなたの言うように安那般那念経が九次第定を説くのであればウッダカ仙人の 禅定瞑想になってしまいます。
そうではなく九次第定とはまた別の視点の寂滅があるのだと そう見るべきですね。
ちなみに寂滅というのは煩悩から離れた悟りの境地と言う 仏教用語でもあるわけです。
それにはこういう対比構造も用語成立 に くみした面もあると見るべきです。
今日深山さんが指摘したように、あなたは漢文を書き下し文どころかそのまま引用する癖がある。
でもこれって内容もよく分からずにただ単語を並べているとしか私には見えませんよ 。
こういう風に分析的な に考えねばならないのです。
あなたはただ単純に漢文の単語を読んでみて、反応してるだけで、わかったような気になってるだけです。
そしてその実何もわかっていない。
だから漢文の単語を誰にでもわかる、説明できる自分の言葉にしてみるという努力が必要です。
そうでないと仏教は理解できません。
0155ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 20:16:17.73ID:qszMgV/R
そしてこれは桐山さんの阿含経典提示の手法にもその意図が見られます。
漢訳経典ばかり示しますよね。
本来ならパーリ仏典の方が、より初期のものを伝える信憑性が高いはずです。
漢訳とかになるほど原意も変遷してしまうとは、桐山さんも身命経の解説のタンハーで述べているし。
パーリ語はさすがに読めないだろうが、専門家の日本語訳などあるわけです。
だったらそちらこそを積極的に紹介し、解説すべきと思いませんか?
それをしないのは、パーリ文の現代語訳だとごまかしがきかないからです。
漢文の単語を駆使することにより、いろいろとわけがわからなくなるように操作できるのです。
最も初期のスッタニパータの現代語訳から、どうして桐山教的なものが導き出されようか?
0156ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 21:19:57.55ID:6ehTSTZy
>>105 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 09:27:18.98 ID:OO+EYVi+
>桐山新書のP170に、表面意識、潜在意識、深層意識の煩悩を説いている。私がここで思ったのは止息経の勝止息、奇特止息、上止息、無上止息です。長年の疑問が半分解けた。いつぞやユビくんがこの四っの止息は同じものだとレスしていたが、やはりそれぞれ違う止息だよ。

>>147 神も仏も名無しさん 2019/01/12(土) 17:15:08.60 ID:OO+EYVi+
>一言で言うと、勝止息・無上止息などは、最上級の瞑想法で、深層意識の煩悩を滅してしまう。ここまで到達出来ない修行者は、禅定を出ると煩悩が戻ってしまうわけだ。ウッダカ仙人は解脱までもう一歩だったわけだ。禅定を出ると煩悩が戻ることは経典を読めば分かるね。

そもそも単に思いついたという話に過ぎないわけですよね。
桐山さんの遊行経解説も 表面意識、潜在意識、深層意識なんて三分類で考える必要はないのです。
遊行経のどこにもそんなことは書かれていない。
ただ随眠という言葉が仏教にあることから、この随眠の意味を深層意識のように履き違えて論じてみたというだけの話です。
あなたも勝だの奇特だの上だの無上だのそれだけでは何のことやらわからない 単語を、 表面意識や潜在意識や深層意識に当てはめてみたらどうだろう
と思いついたそれだけの話です。アホらし。
0157ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/12(土) 21:48:56.13ID:6ehTSTZy
止息経

初禅正受の時、言語止息し、
二禅正受の時、覚観止息し、
三禅正受の時、喜心止息し、
四禅正受の時、出入息止息し、
?空入処正受の時、色想止息し、
識入処正受の時、空入処の想止息し、
無所有入処正受の時、識入処の想止息し、
非想非非想入処正受の時、無所有入処の想止息し、
想受滅正受の時、想受止息す。
是れを漸次に諸の行止息すと名づく

貪欲心に於て解脱を楽はず、
恚癡心に解脱を楽はざる。
是れを勝止息・奇特止息・上止息・無上止息にして、
諸の餘の止息に過上なる者無しと名づく
0158神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 02:05:33.61ID:qvQ4qbcB
>>157 3分間息を止めると多くの人は酸欠になりますが、大丈夫ですか?
    その後に酸欠を補う必要上、呼吸を沢山しますよね其では
    修行に成らないんじゃなかろうか?心の安定に結び付くとは思われません。
    そんな無暗に苦しいのは無意味じゃないですか、貴方の体験では如何でした?
0159深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/13(日) 09:35:39.19ID:Ikdeeoep
>>158神も仏も名無しさん2019/01/13(日) 02:05:33.61ID:qvQ4qbcB
>>157 3分間息を止めると多くの人は酸欠になりますが、大丈夫ですか?

息を止める??・・・宝生創価さん、もしかして、>>157の止息経の
「止息し」を息を止めることだと思っているのですか??!!
すごい!
ここまでユビキタスさんに説明されても、まだ止息を呼吸法や息を止めること
だと思っているのだ!!
ユビキタスさんが絶句して、倒れそうなのがわかる。
彼の丸一日の努力が宝生創価さんには何の意味もなかった。
しかも、止息については十年前から私も何度も何度も
呼吸法などではないと書きこんでいたが、宝生創価さんには何の効果もなかった。
0160深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/13(日) 09:43:49.31ID:Ikdeeoep
>>158神も仏も名無しさん2019/01/13(日) 02:05:33.61ID:qvQ4qbcB
>>157 3分間息を止めると多くの人は酸欠になりますが、大丈夫ですか?

宝生創価さん、見事ですよ。
批判側はあまりのことに言葉を失っている。
朝、起きてパソコンを見て、宝生創価さんの書き込みを読んで、
私は息が止まりました(笑)。
自分が何か読み違いしているのかと、何度も読み直しました。
でも、あなたは止息を呼吸法や息を止めることだと思っているのですよね?
私もユビキタスさんもあなたのこの反応に身体から力が抜けてしまい、
再度、あなたに説明しようという気力さえも失った。
宝生創価さんが、桐山さんを阿含経から密教に行ったと逆に書いた時も
知性を疑ったが、今回はそれ以上です。

丸一日、ユビキタスさんが手を変え品を変えて、止息について
説明したのに、宝生創価さんはついに一言も一句も理解できなかった。
一番基本的なことが理解できなかった。
本当に宝生創価さんも1.5来補さんも他人の文章をまったく、
完全完璧、パーフェクトに理解できないのですね。
他人の文章の意味や主旨を読み取る読解力がない。
読解力が低いのではなく、無い。
0161深山 ◆lDoupiXSYZNC
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2019/01/13(日) 09:52:35.78ID:Ikdeeoep
>>158神も仏も名無しさん2019/01/13(日) 02:05:33.61ID:qvQ4qbcB
>>157 3分間息を止めると多くの人は酸欠になりますが、大丈夫ですか?

他人の文章をまったく理解できない宝生創価さんも1.5来補さんも、
自分では他人よりもむしろ知性に優れていると自惚れている。
その落差にはひたすら驚かされる。
自分がどの程度の知性なのか自覚がないばかりか、正反対に信じ込んでいるのです。
その落差を作り出しているのが慢心と無明です。
釈尊が「慢を捨てないから輪廻が止まない」と述べた理由が、
あなた方を見ていると実感として良くわかります。

宝生創価さんのために素晴らしい修行法を教えてあげましょう。
3分間ではなく、10分間息を止めてください。
あなたがそれをすれば周囲の人たちは歓喜奉行して、とても救われます。
たった10分なのに、あなたは人々に大きな喜びを与える力を持っているのです。
さあ、宝生創価さんの大好きな人類救済を実践してください。
0162ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 11:43:50.78ID:3ERqZddX
>>158 神も仏も名無しさん 2019/01/13(日) 02:05:33.61 ID:qvQ4qbcB
>>>157 3分間息を止めると多くの人は酸欠になりますが、大丈夫ですか?
>    その後に酸欠を補う必要上、>呼吸を沢山しますよね其では
>    修行に成らないんじゃなかろ>うか?心の安定に結び付くとは思われません。
>    そんな無暗に苦しいのは無意味じゃないですか、貴方の体験では如何でした?

ひょっとしてその話は>>157で貼った止息経の↓の部分ですか?

第四禅正受の時、出入息寂滅し、

出入息はやはり呼吸です。
これについては私は>>148で呼吸を止めると言うかまぁ調整制御するという風に解釈を書いています 。
インドには昔からクンバカという本当に呼吸を止める修行がありますよね。
釈尊も6年間の苦行の中でそれをやって いるわけです 。
もちろんそんな修行に何の意味もないと 悟って これを捨てるわけですが 。
クンバカと言うと、 オウム真理教がやっていた水中クンバカを思い出しますよね 。
テレビでもその修行風景を多少おもしろおかしくも紹介されていたが、 麻原ソンシが弟子に水槽の中に入れと命じる。
弟子は我慢できずに出てくる。「何やってんだ 」とソンシは叱る。
こういうクンバカみたいなものであるかどうかはわかりません。
と言うか四禅におけるそれは少し違うのではないかなとも思います。
私はクンバカ修行の経験もないし ヨーガ禅定の 修行経験もないから、わかりませんから、想像で言うならば、
この四禅の禅定というのは今ではヨーガとして伝わっているわけですよね 。
そしてヨーガ禅定に入ると 基礎代謝を下げることができると ありますよね 。
冬眠に入ったような状態にもなるわけです。
そういう時は心臓の拍動数やら呼吸数も減るわけです 。
こういう状態のことを言っているのではないかなと思われます。
初禅では言語止息するとあります。
まあ基本的な話で、ペチャクチャおしゃべりをしながら瞑想なんてありえない 。
四禅くらいまで来ると こういう呼吸の方もより少なく調整できるのではないのかなと、まあこれは単なる想像です。
しかし 人間は常に冬眠していればいいというものではありませんよね。
やはり禅定を解いて日常生活をしなければならない。
その時は呼吸も普通に戻るし、言語もおしゃべりも必要になってくるわけです。
そういった中でやはり煩悩も出てくるわけです。
だから禅定だけでは 解脱に至れない 。
それよりもそんなものを止息するよりも 、貪瞋癡の煩悩をねがわない 、楽しまない解脱の止息こそ最上だと止息経は説くわけです。
だからこれは 当時インドにおいて やはり止息という言葉 があったのだと思います。
それは仏教以前からのヨーガ禅定において行われていた。
ところが 釈尊は止息するならこちらだぞと示したのが、この止息経ですね。
0163神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 15:29:27.69ID:wELfAETi
出入息止息とか寂滅とかは、息を止めるという意味ではない。出入息禅定が滅するということだね。言語止息とか覚観止息とか、他の経では声消滅とか覚観消滅とかになっている。これは九次第定までの同じ内容を違う表現で説いているだけだね。但し、勝止息とかは違う。
0164神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:40:46.24ID:wELfAETi
止息経は九次第定を止息という表現で説いている。色界の第四禅までを、言語〜出入息止息と説いているわけよね。これらの禅定は欲界の三毒を無くしてこそ出来る禅定なのです。しかし、最後の勝止息〜無上止息でも三毒が出ている。これはおかしな話なのです。
0165神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:48:14.48ID:wELfAETi
↑このおかしいと思っていた内容が、桐山新書の表面意識の三毒、深層意識の三毒、という解説でなぞがだいたい解けたわけね、私には。第四禅までの三毒は、表面意識で三毒が無くなっているに過ぎない。だから禅定を出ると煩悩が戻ってしまうわけです。
0167神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 15:55:55.03ID:wELfAETi
勝止息〜無上止息までたどり着いた修行者は、禅定を出ても煩悩が戻らないのです。やはり桐山解説は、私やユビくんの凡人が考える内容の数段高いところから経典を見ている。深山ユビくんみたいな凡人は、安般念経の桐山解説は奇想天外に思うだろう。が、天才の解説だね。
0168ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 15:56:01.18ID:O41k2maP
>>165
表面意識 、潜在意識、 深層意識。
さあこれで三つだ。
残り一つは何 ?
四つの止息ですよね。
0169ポッタン師
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2019/01/13(日) 15:59:06.62ID:N66TY5/a
168.それは心理学である。それは宗教ではない。
バカには理解できない。大爆笑である。
0170ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 16:08:11.11ID:O41k2maP
>>167
面白い着想だけれども、 九次第定の寂滅止息の方には貪瞋癡の煩悩については一言も書いてありませんよね。
最後の四つに表現される止息のところで初めて貪瞋痴の煩悩をねがわない楽しまない解脱としての止息が現れる。
潜在意識だろうが深層意識だろうが、とにかく貪瞋癡の煩悩を滅する 止息こそが大切なわけですよね。
0171神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 16:13:23.45ID:wELfAETi
表面意識潜在意識深層意識で三っつといっても、勝止息〜無上止息は不還以上の呼吸禅定法ですからね、私などには完全には謎は溶けない。ただ、止息経には八解脱の上があるよ、と教えているようですね。九次第定とは八解脱のことだよね。
0172ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 16:20:05.44ID:O41k2maP
>>171
桐山さんが止息経を四つの呼吸法と紹介した時には、 潜在意識や深層意識はもとより貪瞋癡の煩悩についての言及も一言もなかったね。
0173神も仏も名無しさん
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2019/01/13(日) 16:21:11.73ID:wELfAETi
なぜ九次第定を八解脱と呼ぶのかというと、一段高い禅定に入ると、前の禅定が滅するからだよね。その前の禅定が次々に滅して八つ滅するわけだよね。だから八解脱と呼ぶのでしょ、そういう解説はまだ読んだことないけどさ。
0175神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 16:29:56.80ID:wELfAETi
桐山師は四つの止息を説明しないで、パール瞑想法を指導した。先ず熱心に観想でパールを体のチャクラを廻らせよ、と指導した。驚く変化が起きるから、とね。熱心な修行者は煩悩など起こす暇がなかったろう、私と違ってね。
0176神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/13(日) 16:34:08.37ID:wELfAETi
呼吸にパールと意識を乗せてチャクラを廻らせる瞑想法だから、私が呼吸瞑想法と勝手に呼んでいた、失敬。
0177ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2019/01/13(日) 16:39:55.79ID:O41k2maP
>>173
八解脱とは、あなたの言う通り、九次第定において、貪著の心を捨てることだ。
前の禅定を滅するとか、苦しいことを考えなくても、以下にきちんと対比してあるよ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%85%AB%E8%A7%A3%E8%84%B1

そこで九次第定八解脱を 示した後に 四つの形容詞で表現される止息が出てくるのは、
もういい加減に禅定の深さだけに心をとらわれない方が いいわけですよ。
あなたにしても。
禅定の深さで言ったら九次第定とは本当に深い禅定ですよね =B
それこbサ表面意識、潜麹ン意識、深層意試ッなどと分類すb驍ネら、そちらbフ領域にも 触れていくはずなんですよ。
0180ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 16:48:41.86ID:O41k2maP
>>175
パールなどにうつつを抜かすのがやはり煩悩だと思うのだが、まあそれはさておき、
パール瞑想をしていない時はまた煩悩が戻るではないですか?
0181ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 19:20:03.20ID:nyPeMe3w
ひょんなことで 止息経の解説まですることになりました。
桐山止息法のネタは これが初めてではなく、もう既に何度か出ている話ではありますが、 それを再度示すチャンスともなりました。
ちなみに>>157に貼った止息経の冒頭にはこれが抜けてますね。

諸行は無常変易の法なるが故に
一切諸受皆苦なり。

又諸行は寂滅止息の法なるが故に皆苦なり。

次に云何が寂滅止息するや?
初禅に於て言語寂滅し、
漸次進み、
乃至想受滅正受の時に想受寂滅す。

そしてこの止息経原文を読み、私の>>148の解説を読めばその説く意味は 頷けるのではないかと思われます。
間違ってもこれが4種類の呼吸法を説く経典とは皆さん読まないでしょう。
4種類の呼吸法を説くというくらいならば 、桐山さんはそれを示す義務があり、また原文、訳文を示さねばなりません 。
しかしその義務はつい果たしませんでした。
果たせない事情というのが その原文にあるわけです 。
これで桐山さんの言う解釈のように読んでもらえるのは甚だ難しい。
最初に九次第定も説かれています。
ですからこの 九次第定の延長に説かれている秘法なのではないかと、ヨル公さんのように思う人がいるかもしれません 。
しかしこの時点で貪瞋癡の煩悩というものが 出てくるというのは 実は都合が悪い。
ヨル公さんでも貪瞋癡の煩悩が止まる、なくなると認めるしかありません。
呼吸法の件を聞かれると、 無理矢理屁理屈で呼吸を持ってくるしかないわけです。
皆さんは桐山さんの 示した 止息法の呪縛から離れて、素直に読めば この経典が分かるはずです。
0182ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
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2019/01/13(日) 22:14:49.51ID:nyPeMe3w
ちなみに安那般那念経の方は原文(書き下し文)は示しますが、現代語訳は無しです。
3つ理由がありまして、わからないから訳せないことと、単語を並べていた方がそれが特異な呼吸法のように思わせる効果を狙ってです。
もう1つは、これはヨル公さんの示した有覚有観寂滅純一などという境地だけでなく、
出入息にしても、長い息は長い息のままにとらえ、短い息は短い息のままにとらえる、これは
普段の呼吸のありのままに観察するヴィパッサナーとわかります。
つまり呼吸法ですらない。
手を洗う時とか常に日常の自分の行動の観察を説いている。
だから「訳したくない」。
0183ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR
垢版 |
2019/01/13(日) 23:39:37.62ID:nyPeMe3w
新著 「仏陀の真実の教えを説く 下」の「あとがきにかえて」と阿含宗教学部が載せているのが、
桐山さんが生前書いた「輪廻する葦」からの引用です。
阿含宗を立てて阿含経を 広めようというのは、阿含経が釈尊直説の唯一の経典だからというのではない。
「あらゆるお経の中で、ただ一つ、阿含宗にだけ、成仏法があるからだ 」
と、この部分を強調しています。
その阿含経を 広める目的で書かれたのがこの著書ですが 、その桐山成仏法の 技術としての核であり真髄であるはずだった
安那般那念経、止息経については結局解説なしです。
大切な成仏法の技術の鍵があるかのように匂わせたに過ぎない。
これは解説不能だったのです 。
止息経に至っては雑阿含経止息法などと示し、正しい経典名すら示せない。
ちょっと単語を目にして、うろ覚えだったのでしょう。
単語だけで 自分勝手な想像を示したのはこの経典だけではない。
七覚支もそうですよね。
念覚止のところで ちゃんと大念処経などの経典を調べて、その正しい意味を勉強したのですらなく 、
仏教語大辞典を読んで、こんなことではないだろうと判断しただけなんです。
だから単語だけで何かわかったような気になっているのは、実はヨル公さんだけでなく、桐山さんがそうなんです。
0184神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 00:05:20.69ID:hhNIT88f
阿含宗邪団の開祖桐山靖雄さんが死んで今年で三年だが、阿含宗は
いまだに『開祖霊諭』とかいうインチキ霊諭発行しているぞ。
インチキの証拠はこれだけで充分。阿含宗なんてデタラメの邪教よw
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ーーーーーーーーーー
「開祖霊諭」について
去る八月二十九日、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下は遷化されましたが、十月例祭の御法話にも
ありましたように、生前に開祖より指名を受けた本山の僧侶・職員によって、引き続き、解脱供養、
冥徳解脱供養、廃絶家供養他のご霊視が行われております。
今後は、「管長猊下メッセージ」につきましても、生前に開祖より指名を受けた本山僧侶・職員が
開祖のご霊示を仰ぎ、文章にまとめたものを「開祖霊諭」として下付いたします。
同封しましたのは、来年の第四十四回星まつりにむけた「開祖霊諭」でございます。
開祖 桐山靖雄大僧正猊下のお諭しとして、謹んでお受けください。
合掌
平成二十八年十二月吉日
阿含宗本山
ーーーーーーー

「さらに、来年の星まつりでは、私の真身舎利を結界祭壇中央に安置し、
桐山流護摩法による大柴燈護摩をお焚き上げする。」

「では、ニルヴァーナとはなにか?
それを論じれば大部の書物が出求てしまうが、要するに最高最上
の霊界であると考えていただければよい。」

「私は肉体をはなれ、完全に霊魂となっ てニルヴァーナに入り、
最高最上の霊界、すなわち仏界に至った。」

「私は、仏界から諸君を手助けしようと考えていたのだ。」

『諸君、私の舎利に集中せよ。私の舎利を奉安した星まつりの聖地で
最高最上の霊界に達した私の霊力を受けるように。』

「私は、世界は今年から大変動の時代に入ると考えている。
それはなぜか?
世界のそれぞれの国の因縁が噴出するからである。
私が、かねてから言っていることであるが、世界中の人びとから
霊性が失われつつある。そ して霊性を失った人びとが自分の因縁
の赴くままに生きようとしている。
それらの人びとの集合体である固にも、良い因縁、悪い因縁があり、
その因縁が噴き出て、 世界中の国で大変動が起きるのだ。」
(開祖霊諭、『アゴンマガジン』88号、2017年、7頁)
0185神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 00:19:37.97ID:h3ksijah
>>184 こんな霊言無くたって好いよ、内部で主導権云々やっとるんでしょ。
   権威を借り倒すキツネ、狸の仕業さ。田畑を食い荒らすと
   始末される、そりゃ外部にも伝わるものです。
 ひとはかならずひっこすそれじゃあいいところにいかんよ。←是が本当の霊言
0186神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 00:47:56.43ID:hhNIT88f
>>185
主導権争いダァ〜w
また知ったかぶりかよ、芸が無えなジジイw
おまえ、『開祖霊諭』は今や阿含宗邪団の稼ぎ頭のシステム
なんだぞ!
仏界の桐山偽佛からの通信だけが阿含宗の正統指導なのだぞw
これで護魔木を信者に買わせて銭集め(みかじめ料金)を稼いで
なんとか保っているんだ!
おまえも邪団の一味ならジャンジャン木切れを購入しろw
氏示!
0187神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 01:54:29.88ID:hhNIT88f
阿含宗なんか仏教だとか言って仏陀を利用して
銭を集めて、893系統にみかじめ料金支払っているデタラメ邪団
だろうがw
桐山靖雄が生きていたときから893系統右翼系統
いろいろなよからぬ俗物と付き合っていたゴミ屑だろう。
知らなかったのは信者だけで、桐山靖雄だけがすべてを知って
いたのだろう。Wダだって全部は知らなかったと思う。
桐山靖雄の爺さんが足腰が動かなくなって ようやく
やってる内状をWダも把握したのだろう。
内状知って家族もドン引きで全てを譲ったんだ。
桐山靖雄の作ったものなんか全部デタラメでインチキだよ。
くだらねえことだよw
0188神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 08:36:14.24ID:O98DLo1L
ユビくんの根本的な勘違いの一つを指摘する。ユビくんは、仏教は業報を変えられないという教え、だと考えていたようだ。業報は因縁因果の法則だから変えられないと考えたのだろう。
しかし、釈迦は、「(仏道を歩まない限り)業報は考えられない」と、言っているのです。
0189神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 08:39:27.87ID:O98DLo1L
前レス×→業報は考えられない。
正   →業報は変えられない。
0190神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 08:47:16.08ID:O98DLo1L
釈迦が「業報は変えられない」と言っている場合、「(仏道を歩まない限り)業報は変えられない」と言っているのであり、多くの場合( )の部分が省略されているのです。
勿論、仏道を歩んでも、変えられるものに限界はあるでしょう。
0192神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 09:55:41.47ID:hhNIT88f
>>188
そうやって 桐山靖雄のインチキ密教モドキや
デタラメ偽仏教の珍説を この御時世に信じてりゃあいいよw
おまえな、そうやってデタラメ偽桐山教をスレ書いてれば
ものすごい悪業を積むぞ!

ヨル公のおまえの基地害な珍説はよお、
桐山靖雄のデタラメ偽仏教をさらに独自に変えた
自分狂だろうw
いいかげんにこねくり回すのをやめたらどうだw

ああ、そうか!
星まつりの護魔木販売から目をそらしさえすればいいわけだなw
それで自作自演の劇団ひとり三役やってんのかよ。
職業で手を染めるのも大変だなw
阿含宗は自然退会が続出だってなw
ざまをみやがれ!もう足元からグラんグラんよw

天皇陛下の今年の正月参賀で15万人だよ、星まつりの参拝者
なんか あの何十分の一しかおらん。
水かさ増しが得意技だからよお、阿含宗邪団はなw
桐山靖雄もWダ中僧正さんも同じ類いのロクデモナイ人間よ。
0193神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:08:54.38ID:XpFhF/9n
>>190
釈迦じゃなくてアナタの頭ン中の妄想がそう言っているのです。
反論あるなら文献なり証拠をしめすべきです。
桐山説に洗脳され、さらに自分の妄想を継ぎ足して勝手な思い込みで書き荒らすのはやめてほしい。
0194神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:30:25.15ID:hhNIT88f
>>190

コイツは狂っている。
桐山靖雄の偽仏教モドキに すっかり洗脳されている。
ヨル向、パール、創価、全部同じ人間がスレ荒らしでやっている
だけだからねw
阿含宗邪団なんか退会者続出で 足元から崩れているのによお、
こんなところへ来てスレ荒らししても無駄だよw
ざまをみやがれw
0195神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 10:42:31.07ID:hhNIT88f
>>188
>>190

「パール玉」「深山さん憎し」キャラ→ ペテン大作
「ヨル向 一本槍」キャラ→ 妖怪ヨル公
「深山さん創価回し者説」「意味不明レス」キャラ→ 宝生創価
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ようするに、アゴン狂団の回し者(洗脳狂信者にして職業)
『ペテン劇団ひとり三役』のゴミ屑ということです!
正体バレてんだよ!バカみたいだね WWW
せいぜい退会者続出の阿含宗邪団を擁護し続けてろ!
悪業積んで、人生の時間を無駄づかいしてりゃあいいんだ!
ざまをみやがれw
0196
垢版 |
2019/01/14(月) 11:30:55.12ID:l78qJ+EI
>>190
>釈迦が「業報は変えられない」と言っている場合、「(仏道を歩まない限り)業報は変えられない」と言っているのであり、多くの場合( )の部分が省略されているのです。
勿論、仏道を歩んでも、変えられるものに限界はあるでしょう。

↑どの経典を読んでかの示しがない場合、阿含経典を読んでの貴方の持論と考えますが、桐山さん視点での上記持論では勿体無いです。

貴方の文節をお借りするならば
「(仏道を歩まない限り《自己を形成する業力によって起きるこれからの報い》)業報は変えられない」…と私は解釈します。
何故なら、仏道は「自身を形成する業力を滅する道」だからです。桐山さんの視点とは全く異なります。
0197神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 11:32:19.31ID:h3ksijah
>>186 古参の会員は冷静に見て居る。
其れだけの事、斯様な混乱は収まるベきでしょう。
0198神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 11:50:22.11ID:hhNIT88f
阿含宗の元広報室長のM氏の告発!
(とても参考になります。阿含宗邪団の今を知るのに役立ちます)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
『銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類する
バブルな紳士たちが入り込んできて、 結局、宗教的な問題以外の
ところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
 そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを
膨らませていった。 というのも、億の金が荒っぽく動けば、
人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、
管長の一言で決まってしまう。 管長を利用しようという人間や、
だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても
不思議ではない。そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが
関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、
殺人といった全てが含まれているわけだ。 つまり、これまで日本では
暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかで
はじめたとき、 オウム事件の素地が出来上がったのだ。』
ーーーーーーーーー
現在、暴力団も法律の縛りや 団体の分裂で以前より運営が難しい。
銭集めも難しい状況がある。彼らは総本殿とか土地に関しての権利に
関与しているので絶対に金づる総本殿は手放さない。
信者さんはレンタル総本殿の背後を直視するべき。
それが証拠に阿含宗総本殿がこの28年の間、毎日稼働しているという
事実がない。簡単な話、レンタル料金が多額かかるから毎日使えない
というだけのことです。完全に自前ならとっくにブイブイ言わせて
得意顏で活用しています。
0199神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 11:55:57.44ID:l4a+j6gM
「仏道は自身を形成する業力を滅する道」ということに全く異論はありません。その通りです。しかし、ユビくんはそれを否定するわけです。詳しくいうと、業力によって業報があるわけですよね。
0200神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 11:57:56.06ID:hhNIT88f
>>197
おまえ何 古参ぶってんの?
おまえなんか会員かも疑わしい人間だろうが。
会員だったとしても知ったかの 会費だけ払っているかいないか
程度の信徒会員だろう。
テキトーこいてんじゃねえよ。

また混乱が収まるとか知ったかしてるよ。
会員の退会、護魔木販売数の激減で阿含宗邪団はガタガタよ。
収まるどころじゃあねえんだよ。このマヌケw
0201神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 11:59:28.71ID:hhNIT88f
>>199
おい、ゴミ屑。
劇団ひとり三役ですみませんと謝罪しろやw
バレてんだよw このマヌケw
氏示!
0202深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/14(月) 12:01:26.00ID:6mlKv7an
「釈迦直説の唯一の経此ハ「阿含経」を奉持してはいるが、釈迦の成仏
法の修行というより、戒律を守ることを、主とする戒律仏教である。」
(開祖霊愉、『アゴンマガジン』100号、4ページ、2018年)

ブッ界の桐山ゲイカより12月に新たに届いた開祖霊愉を
信者さんたちは読んだことでしょう。
例によって長文の霊界メールが届きました。
まるで誰かが書いたような長文の文章をデンパで受信すると、
宝生創価さんでさえも信じていないのに(>>185)、
信者さんたちが本気で信じているとすれば、失笑するしかない。
1.5来補さんとペテン大作さんも開祖霊愉は本物だという。

まるで生きているみたいに、次から次に霊愉が下りてくる。
そのどれもが、イベントを開催するのにお金を出せという話です。
そこだけは生前と一致している。
私は桐山さんの晩年の直筆でない管長メッセージの文面が気になっていた。
長年、桐山さんの文章を読んだ者から言うなら、文章の調子が違う。
信者さんたちは気が付きませんか?
晩年の管長メッセージも死後の開祖霊愉も、同じ人が指示を
出して作っていることを意味しているのです。
もちろん、それはW田さんに他ならない。
0203神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/14(月) 12:03:19.68ID:l4a+j6gM
深山ユビくんは業滅を否定し、慢という煩悩が人を再生(輪廻)させるという。しかし、見落としているものがある。慢で再生する場合、人間界に再生するのか、餓鬼界に再生するのかを何が決定するのか?ということです。煩悩と業の二つは、切り離せない問題なのです。
0204深山 ◆lDoupiXSYZNC
垢版 |
2019/01/14(月) 12:07:00.50ID:6mlKv7an
「釈迦直説の唯一の経典「阿含経」を奉持してはいるが、釈迦の成仏
法の修行というより、戒律を守ることを、主とする戒律仏教である。」
(開祖霊愉、『アゴンマガジン』100号、4ページ、2018年)

今回のメッセージで信者さんたちに良く見てほしいのが上記です。
なんという時代錯誤な感覚、そして歪んだ性格だろう。
「戒律仏教」という言葉です。
一つ目に、こんな差別用語を今時まだ使う愚か者がいるのだとあきれる。
二つ目に、阿含宗はミャンマーで護摩を焚かせてもらいながら、
その国の仏教を小馬鹿するほど歪んだ性格をしている。

一つ目の、戒律仏教などと差別用語を使う者は、知性と常識を疑われ、
無知で品性の卑しい愚か者にすぎません。
今の時代によくまあ、時代錯誤の差別用語を開祖霊愉などと出したものだとあきれる。
書いた人の知性が疑われます。
阿含宗はこんな程度の良識さえもなく、平然と差別用語を用いた。
大乗仏教が上座部仏教を小乗仏教と揶揄するのと同じくらい、
戒律仏教とは彼らを小馬鹿にした言葉です。
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