【大失恋から】ピッピの証し【の回復】
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ヨハネによる福音書/ 03章 16節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネの手紙一/ 02章 15節
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。 共通善を築くことを優先するあまり、ソロモンのような失敗を犯しませんように。 犯人の姉にリベンジレイプ
パキスタン
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14492872/
【AFP=時事】パキスタンの警察当局は27日、16歳の少女への性的暴行に対する復讐として、犯人とされる少年の姉(40)に対する性的暴行を命じた疑いで男10人を逮捕したと発表した。
事件は20日、中部パンジャブ(Punjab)州トバ・テク・シン(Toba Tek Singh)で起きた。
地元警察のナイーム・ユサフ(Naeem Yousuf)氏はAFPに対し「ワシームという名の少年が16歳の少女と性行為に及んでいたところを捕まり、近隣住民が集まって少年の殺害を求めた」と明かした。
ユサフ氏によると、少年の家族は少女の家族に対し、自分たちの家族の中の女性をレイプするという選択肢を与えた。少年の姉が選ばれ、少女の兄弟にレイプされたという。
双方の家族はこの件を忘れ、恨みを持たないとの手書きの合意書を作成。
地元警察のアブドゥル・マジード(Abdul Majeed)署長は、警察官の1人が合意書を入手し、署名した双方の家族の計10人が訴追されたと述べた。
家父長制の慣習が残るパキスタンでは復讐目的のレイプ事件が頻繁に発生しており、時間と費用がかさむ司法制度に代わり、男性間の争いの解決手段として女性がしばしば利用されている。
【翻訳編集】AFPBB News 「来なさい、わたしの花嫁」
イエズスはマグダラのマリアを天国に迎えるとき、こう語りかけたという。 私たちに啓示してくれるだけじゃなく、受肉して、人と同じ姿になって目に見える神となってくださったにもかかわらず、また下って行き信仰を放縦に変える人たちがいました。
心に割礼がないので読むことも理解することもできません。
私たちのまっすぐな心を汚すだけでは済まず引き込んだり殺そうとします。
そしてこういうのです。
「ナルシスはナルシス、エコーはエコー」
あなたがたの神々が呼んでいます。 私の職場は老人ホームでした。
特別養護老人ホームです。
健康そうな入所者でさえなんらかの障害を有していました。
相性もあり、仲良しから犬猿の仲まであります。
素直な人、疑い深い人、いつも不安な人、怒る人、ニコニコしてるけど認知症なのです。
寝たきり、目が見えない、心に深い傷。
サウロはステパノが石打ちされるのを見てました。いたるところで乱暴を働き牢にいれました。
ある日、聖母の祈りに応えたイエズスがサウロに光を与えました。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのですか」
サウロは神秘を経験してキリストを迫害することをやめました。彼は自ら「月足らずで生まれた」と証言しています。
満たされたから信じたのではありません。彼は強烈な感覚とその後の御霊の指示により不思議を経験するうちに変えられたのです。 弟子たちの欠点一覧表が欲しいです。万事を益としてくださる神が欠けだらけの私たちをふさわししいかたちで用いてくださいます。
私たちにまず考えられないのがみことばの否定です。
イエズスは悪魔の試みの最中で投げかけられた不適切なみことばを否定しませんでした。
次に私たちは十字架の贖いを信じます。悪魔は十字架以外でイエズスを殺そうとして何度も失敗しています。イエズスにはこの死に方しかありませんでした。それが父なる神のみこころなのですから。
この福音を信じることによって救霊され、最後の審判を過越できるのです。 痛いから泣くのでしょう?
怒りも、笑いも、不服も、私たちの中のモノサシが叫んでいるわけです。
イエズスは言いました。
「うわべだけで裁かないで正しい裁きをしなさい」
http://www.nishitani-church.jp/blog/2009/08/post-202.html チャック♂とハム♂が無事に帰りますように。
夕べ帰って来ませんでした。
枕元でチャック♂のか細い声が聴こえ、赤いこたつ布団みたいなものから出てくるビジョンを見ました。無事でいることを祈りました。
あやめ♀は夜中、不穏で、しきりに何か知らせたがっていました。
朝、QP♀も門の外でしきりに寝転がりパフォーマンス。しかし決して家には入りません。
カレシの野良もいないのです。
男連中だけ何事かが起きています。 まことの鏡はイエズスキリストにあります。みことばです。
世の言葉には二股、三股、揺れ動く波しかありません。 QP♀がカレシを連れて帰宅しました。
チャック♂、ハム♂も無事でありますように。
心配で心配でしかたありません。 パウロの心配
コリント 2
11章
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
28 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
29 だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。 チャック♂帰宅しました!
神様ありがとうございます。
ハム♂どうしたのでしょう。
一緒だと思ったのに。
脳内通信もありません。
どうぞ無事でありますように。 祈りながら眠くなり、ウトウトしてる間にハムが餌を食べてるビジョンを見ました。
夢で理由も示されました。
洗濯物を取り込みに外へ出ましたら、悠々とハム♂が現れ、私は今、大満足です。 油断なく祈り続ける一日
1. カラスも来たけど、鳩がよく啼いていたので見えないメッセージが投げかけられているだろうと信じました。
2. チャック♂がもしもどこかで閉じ込められているとしたら、その周辺の人が気づいてくれると強く信じました。
3. それでも心配はおさまらず、チャック♂の姿を確認するまでずっと祈り続けました。 「油断せず」と「間断なく」が混ざりました。
油断せず、間断なく祈り続ける一日 至聖三位一体
・御父
・御子
・御霊
聖家族
・ヨセフ
・イエズス
・マリア http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/holy_thu.php
聖木曜日
第1朗読 出エジプト記 12章1〜8,11〜14節
第2朗読 コリントの信徒への手紙1 11章23〜26節
福音朗読 ヨハネによる福音書 13章1〜15節 旧約聖書の神は夫であり男性です。
何千年もの間、私たちを抱いてくださっています。もう何度となく抱かれています。
申命記1章
31 あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった』。 父よ、と祈るのは
人々が信じるためです。
ヨハネ11章
41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
ヨハネ8章
50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。
ヨハネ12章
28 父よ、み名があがめられますように」。すると天から声があった、「わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう」。
29 すると、そこに立っていた群衆がこれを聞いて、「雷がなったのだ」と言い、ほかの人たちは、「御使が彼に話しかけたのだ」と言った。
30 イエスは答えて言われた、「この声があったのは、わたしのためではなく、あなたがたのためである。
ヨハネ12章
44 イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
45 また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。 十字架は神のみこころです。
ヨハネ10章
17 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。
18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
ヨハネ11章
49 彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、
50 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
51 このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、
52 ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
53 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。
ヨハネ12章
31 今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。
32 そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。
33 イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである。
黙示録1章
5 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、 十字架を否定する人は、十字架の御救いと何の関係もないと告白するに等しいのです。 ペテロには本当に泣かされます。
そしてもっと泣かされます。
私はこの「手も頭も」と主に望む場面で泣きました。
だって関係ないなんていわれたくないですから。
ヨハネ13章
6 こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
8 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。 ヨセフ亡き後、公生涯を始めるまでの三年間はどんな暮らしだったのでしょう。
父と母を敬えとあるように、イエズスがへりくだり仕えたことは間違いないと思います。
母はイエズスの優しい気質をご存知だから、イエズスの博愛にならい、神の愛を疑うことなく最期まで生きられたでしょう。 犬猫にも個性があります。
うちのあやめ♀は、ガラスや鏡に映る私を見たがります。
かつては鏡の中に入ろうとする猫もいました。
鏡に映る自分自身を見知らぬ者と思い、吠えまくる犬。
逆に不思議そうに眺める犬。
鏡に映る自分に恋した鳥などがいます。
侮るなかれ。 http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_holyweek.php
第1日目:ユダヤ暦の週の第6日
木曜日の日没から金曜日の日没まで。最後の晩餐からイエスの死、そして墓に葬られるまでです。 教会の典礼では、聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」にはじまり、翌日午後3時ころ(正式にはこの時間に典礼が行われます)に行われる聖金曜日「主の受難」の祭儀までです。 イザヤ53章
1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。 11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_holyweek.php
第2日目:ユダヤ暦の安息日
金曜日の日没から土曜日の日没まで。 教会は、主の墓のもとにとどまって、主の死をしのび、祭壇の飾りを除き、この日はミサもささげません。 ある日(今日です)、二人は同郷であることがわかり、話が弾む。
私は十字架のことばかり考えていた。「偶然ですよねー」上の空だった。
離れてからハッと気づく。
偶然というものはない!そこは「神のお引き合わせですね」
だろうが。
信仰がまるで身についてない。
恥ずかしかった。 GLA元会員スレに本日投稿のID:Q9UODxWfさん
591より
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1485339463#
キリスト賛美しておりながら理解はめちゃくちゃ。 イザヤ54章を読むといつも痛みます。やっぱり捨てられてたのだなと思い、そこに囚われて泣きます。
ここで、私は苦しみも悲しみもまだ絞りきっていないと感じます。
みじめさの現実から逃れることができません。
いっそ永遠の泣き女にでもなったほうがマシです。 いわゆる物資界もただ私たちの犯した罪のために囚われて、虚無に服しているだけのことで、本来は栄光体のように自由であると思います。
権威ある神のご命令には従うのですから。
ローマ8章
19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_holyweek.php
第2日目:ユダヤ暦の安息日
金曜日の日没から土曜日の日没まで。 教会は、主の墓のもとにとどまって、主の死をしのび、祭壇の飾りを除き、この日はミサもささげません。 どんな痛みが母を襲ったことでしょう。
反対者の憎しみが大きいほどに母の心も痛みました。
ルカ2章
34 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。――
35 そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。 聖書にも聖伝にも書いてないですが、この剣に込められた多くの人の思いは、マグダラのマリアに関することだったと私は考えています。
つまり嫉妬です。
「もう二人は永遠に引き裂かれ、幸せにはなれない。ざまみろ」
という妬みが、母の胸を刺したのだと思います。
私の霊的な体験からですが。 エンメリックの幻視によると、マグダラのマリアは半狂乱したような苦しみを見せています。
これはゲッセマネで祈っている時のイエズスが、悪魔たちに打ち叩かれ苦しむイエズスの描写と酷似しており、私にはまるで肉体のペアのように見えました。
グノーシスによる解釈から悪魔の考えを読むと、悪魔はマグダラのマリアとイエズスが愛し合っていて性的に結ばれたがっていると思い込んでいます。
このことを下品に表現したものがグノーシス文書です。
グノーシスによる解釈とは、マグダラのマリアとイエズスの霊的結合がすべての霊を開放する鍵なのです。二人は原始からの両性具有の魂であると教えています。
エンメリックは悪魔の攻撃の要所を視たのではないでしょうか。 下手な読み物の孫引きみたいな文章は、中身がわからないから支離滅裂に見えます。
信仰のない人が聖書を読むようなものです。
たしかに通訳が必要です。 神様のご計画は十字架による小羊イエズスキリストの贖いです。
この信仰がすべての人類を罪から救うのです。
しかし悪魔たちには永遠の罰が宣告されています。
彼らは十字架の御救いから人の心をそらせようとして、霊的存在である彼らと、かつて罪を犯して裁きの日のために待機している人の霊もすべて救われる仕組みがあると壮大な偽りを吹き込んでいます。
そのためにイエズスキリストよりももっと上の神々がいると思わせ、あらゆる悪の存在が根こそぎ救われると説き、善悪混濁状態から浄化される道を信じさせようとするのです。 http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message130714en.htm
◆ 「何が偽り、何が真実」 伝道師 岩住賢
・ 旧約聖書:エレミヤ書 第23章16−29節
・ 新約聖書:ヨハネの手紙一 第4章1−6節
・ 讃美歌:475、461
私たちが信じるのは、人間の霊や偽りの霊ではなく、神の霊です。神の霊は、神様と御子イエス・キリストより与えられ、病み、傷つき、疲れた者を立ち上がらせます。
偽りの霊は、人から出た霊は、耳心地の良い言葉を使い、一時の安心や、一時の平和を与えますが、時が経つと、人を疲れさせ、滅びに導きます。
神の霊は、神様に人を導きます。神の霊は神様に栄光が帰せられるように人を働かします。偽りの霊は、わたしたちを滅びへと導きます。しかし真理の霊は、わたしたちを罪と死の淵より救い出し、キリストに結ばれた新しい命の中を歩ませて下さいます。 教皇ツイッター
十字架につけられたキリストを見つめてください。そのキリストのうちに、永遠のいのちへと続くわたしたちの希望が芽生えるのです 五つのパンと二匹の魚をふやし、イエズスは五千人を満腹させられました。群衆がイエズスを追って来ました。
そこで、イエズスはまことのパンであられるご自身の肉と血を食べなさいと教えます。
人々はみ言葉を理解できないので弟子たちも去ってゆきました。
ヨハネ6章
51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 http://torii-bible.com/ot/jeremiah/no31/
7節の次の言葉は、翻訳の上の議論が注解者の間で存在します。
主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。
ヘッシェルというユダヤ教の聖書の研究者は、このところを次のように訳すよう提案しています。
おお主よ、あなたはわたしを誘惑し
わたしは誘惑されました。
あなたはわたしを強姦し
わたしはあなたのなされるままになりました。
(略)
誘惑は暴力を用いない点で強姦と区別され、誘惑された女性はその関係を承諾したとみなされる。 秩序を乱さないでください。
ヨハネ15章
12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。
それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。 愛がなければ無に等しい。
コリント 1、13章の美しいパウロの言葉にある「愛」とはアガペーである神のことを指しています。
つまり主イエズスキリストのことです。
もういいかげんに偽りの自己中心はやめてください。 夜が開ける前、復活の主が聖母の前に姿を現したというけど(エンメリックの幻視)、何時頃だろう。 http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_holyweek.php
聖週間
第3日目:ユダヤ暦の週の初めの日
土曜日の日没から日曜日の日没まで。 教会は、この夜を復活徹夜祭で盛大に祝い、翌朝の復活主日のミサ、そして復活主日の晩の祈りでこの日を締めくくります。 >>961
エンメリックを読み返したら、夜中じゃなくて朝だった。
墓の石がどけられた瞬間、聖母のとこに現れた。 http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/agreda/index.html#MOKUJI
尊者アグレダのマリアの記録
『神の都市』
(神の神秘的な都市)
(Mystical City of God)
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/agreda/agreda8-06.html
聖母が御逝去されたのは、八月十三日、金曜日、午後三崎で、聖母の享年は七十歳でした。救い主キリストの御死去の後、二十一年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時聞か継続しました。 http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/agreda/agreda8-07.html
第八書・第七章
乙女の埋葬と被昇天
これは主の御復活と同時刻、真夜中せ過ぎたばかりに起こり、墓番をしていた幾人かの使徒たちが目撃しました。天国で我らの救い主キリストの右に着座された聖母は、種々の金でできた着物を着ておられ、大変美しく、天の宮廷全員の賞賛の的になりました。 四月から私はカトリックの聖伝承と私的啓示による聖母の生涯や神の神秘について学びます。
アグレダのマリアとエンメリックには違うところもあるので、福音書のような異なる理解があるのだろうと捉えています。 『黄金伝説 1』を手に入れました。パラパラしてたら、私の体験そっくりの聖ルキア発見しました。 ヨハネには「まだ暗いうちに」と書いてあるので、主が真っ先に聖母の前に現れなさったのは夜明け前だったかもしれません。
ルカも「夜明け前に」と書いています。
1 さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。 はっきりしてるじゃないですか。
『黄金伝説1』p24
「おお、すべての民の王よ、来たりて、あなたが土からおつくりになった人間を救ってください神よ」ととなえ、「おお、インマヌエルよ、来たりて、わたしたちをお守りください。主なるわれらの神よ」と祈る。
われわれは、前者では「おお、すべての民の王よ」ととなえて、異邦人の救済を祈り、後者では「おお、インマヌエルよ、われらの王にして立法者よ」ととなえて、神が律法をおさずけになったユダヤ人たちの救済を願うのである。 他人事にしないで十字架から目を逸らさずにいましょう。
私たちもすすんで十字架を負いましょう。
マタイ23章
29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
http://ja.radiovaticana.va/news/2018/03/30/聖金曜日:十字架の道行き、教皇「恥と、悔い改め、希望をもってイエスを見つめよう」/1369142 『黄金伝説1』
聖アンデレはやんちゃな肉体を操縦することに難儀したそうです。
これは性欲のことではないですかね。
体が焼け焦げて死んでる人の姿を写真集で見たことがありますが、局部が勃起したまま炭のようになっていました。
男性は性欲なくてもいともたやすく勃起するらしいですから。
主も自然な肉体の持ち主でした。十字架にかかられた時はおそらく勃起していたと思います。 聖ニコラウスは純潔でした。
「われとわが肉体を苦しめ、女性との交わりを避けた」
聖ルキア(ルチア)
よく読んでみたら、彼女は婚約者を拒みその婚約者から複数人の凌辱者のもとへ連れ去られようとしたのであり、悪霊の幻惑に遭っているのではありませんでした。
聖トマスは新郎新婦にさえ肉体の純潔を求めています。二人はなんと洗礼を受けました。新婦は長い歳月の末、殉教し、新郎は司教になりました。 パウロが、不品行を避けるため結婚するようすすめたり、夫婦は互いに相手の求めを拒んではならないことを教えているのとは正反対ですね。 アダムとエバの話はモーセの作り話だとする一方で、アダムには前妻リリスともう一人の妻がいたなどと信じるのはなぜですか。
聖書は改ざんだらけで信用できないとしながら、他の文献は信用できるから聖書を改ざんして読むのですか。 尊者アグレダのマリア 『神の都市』
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/agreda/agreda1-04.html
第六日目に、神はアダムを創造しました。年齢は三十三歳で、キリストの享年と同じです。
アダムの体はキリストそっくりでした。アダムの霊魂もキリストに似ていました。
アダムからエワが創られました。エワは容姿に於て聖なる童貞に似ていました。
神はこの二人にたくさんの祝福を与えました。サタンは人祖の創造をじりじりと待っていたからです。
(略)
ルシフェルが誤解していたことを説明しましょう。アダムとエワのことを、キリストと聖母マリアであろうと勘ぐったのです。
アダムとエワの創造について無知であったように、受肉の神秘と時については何も知らなかったからです。
キリストと聖母マリアに対する自分の怒りは明瞭でしたが、御二人に征服されるであろうことは知っていても、納得できませんでした 『黄金伝説 1』
主のご受難の項によると、ピラトは兄弟と友人を殺しています。しかも最後は自害し生涯を終えたと書いてありました。
(外典的な歴史書による)
また『聖書物語』によれば、ユダヤ人から訴えられた。ピラトが不正と暴力によって幾人かの無実な人を殺したり、ユダヤ教の神殿に異教の神々の像をまつったからだという。
また賽銭箱から金を着服しその不正が明るみに出され、追放された故郷の人々から白い目で見られながら生涯を終えたと書いてありました。
ろくな余生、死に方ではなかったという共通した見方がありますね。 ピラトが追放されたところは故郷であり、そこの人々から白い目で見られた 聖アナスタシアもセックスがらみ。
まず結婚させられた相手と交わることを避けて病人のふりをする。
三人の女中は裁判官に閉じ込められたが、この裁判官が女中らとセックスしようとして小部屋に侵入する。すると気が狂い、鍋や釜に抱きついて思いを遂げたつもりになる。
二人目の裁判官は目を楽しませようとして女中たちを裸にするように命じた。(体に張り付いて脱がせない)
アナスタシアも別の裁判官から抱きつかれようとしたが、裁判官の眼が見えなくなる。
こんなのばっかり。 キリストの苦しみの足りないところってあるの?と私は長い間考えてきました。
それが性的な苦しみだろうか、どうでしょう。なんだかそう思えてきました。
コロサイ1章
24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。 聖ステパノ
パリサイ派の高潔なガマリエルはキリスト教徒の味方でした。しかも「つねに」だったそうです。
ニコデモと共に殉教したステパノの遺体を引きとり埋葬しました。
彼の死をおいおいと声をあげて嘆き悲しんだと書いてあります。
ガマリエルはキリスト教徒を迫害せず放っておきなさいと言っていた人です。 立ち読みしていて、私も若い頃同じような体験をしたことを思い出しました。
デパートでうろうろしていたら突然ネックレスがほどけて石が床に落ちたのです。三つの石のうち一個だけが見つかりませんでした。
紐はしっかり縛られていたはずなのです。どうしていきなりほどけたのか不思議でした。
もし主がこのいたずらの犯人でしたら、あの失くした石を持っていることでしょう。 『黄金伝説3』立ち読み無料
p50 聖女マルタの項に妹のマグダラのマリアが紹介されています。
https://bookstore.yahoo.co.jp/shoshi-235401/ 全然ピンときてねェーだろ。
マタイ27章(ヘブライ語の場合)
47 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
48 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
49 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
マルコ15章(アラム語の場合)
35 すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
36 ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
37 イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
https://www.kitakobe-christ-church.com/morning_service/detail.php?id=102 (失恋の)
痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!
最後は板トップでプレーしてくれ! 大川隆法によるイエス・キリストの証言
わたしは「エリヤ、ラファエル、迎えに来い」と言ったのです。 はっきりしてるじゃないですか。
『黄金伝説3』
聖母マリアの被昇天の項 p223
ウェスティトルという添え名をもつ聖コスマス(が聖母が亡くなられたときその場に居合わせた人びと子孫からすぶてを聞いた)によると
〈(略)つまり、あなたの息子にして天と地の創造主であるわたしのところへ召されるのです。 >>989
続き
p237
また、世の造り主を胸にお抱きになったかたが天の棲家にお住まいになるためであり、聖父によって花嫁に選ばれたかたが天の新妻の部屋にお入りになるためであり、おん子のものである生きとし生けるものがおん母にかしずくためである」ダマスケヌスは、このように書いている。
ヨハネス・ダマスケヌス(ギリシャ人)の説教集より さて問題の「いらっしゃい、わたしのお母さん」「来なさい、わたしの妻」の箇所ですが、
どうやら前者は詩篇45・11、後者は雅歌4・8だそうです。
出典は偽書で聖ヨハネ『婢史本』4世紀末から5世紀に成立。
『黄金伝説3』p204
前者
「たぐいない母上、あなたにわたしの玉座の飾りをお着せするためにまいりました。と申しますのは、王たる者は、あなたのうるわしさを喜びとするからです」
後者
「わが花嫁よ、レバノンからおいでください。レバノンの山からわたしのところに来て、冠をお受けください」
*
詩篇45:11
11 王はあなたのうるわしさを慕うであろう。彼はあなたの主であるから、彼を伏しおがめ。
雅歌4:8
8 わが花嫁よ、レバノンからわたしと一緒にきなさい、レバノンからわたしと一緒にきなさい。アマナの頂を去り、セニルおよびヘルモンの頂を去り、ししの穴、ひょうの山を去りなさい。 「わたしの妻」なんて呼びかけはどこにもありませんでした。これはマグダラのマリアが天国へ入る時と同じです。
二人とも「来なさい、わたしの花嫁」と雅歌4・8をもって呼ばれています。
史実というよりは宗教的真実のほうが強いです。黙示録の象徴的描写のように、こういう表現しかもう残されていないのでしょうね。
拍子抜けします。 『黄金伝説3』によると、聖女マルタはかつて長血を患っていた女だったそうです。そうすると、本当に福音書の出来事というのは、キリストとわずかな人間関係の物語といえるかもしれません。
妹のマグダラのマリアが天に迎え入れらる時は、マリアの魂を天使が運んでいく歌声を聴き、その様子を幻でみて「ああ、美しい」と感嘆しています。 もう1レス使うから 残りを計算して パフォーマンスしてくれ!
何億光年輝く星にも寿命があると 教えてくれたのはあなたでした
https://www.youtube.com/watch?v=67gCuTbS024
ID変わってるだろうけど≥>987です イースターから気が緩んで腑抜けになってます。
神を求める気持ちが弱くなり、また世を楽しむ方向に行きはしないかと恐れます。
悪魔が罪状書きを持って私を責めたてなくなったら、途端にこれです。
気を引き締めていきます。 すぐにでも死にたい気持ちでいっぱいだったのに、これからも生きるんだろうなとぼんやり考えて、食べること、勉強すること、働くことを生活の中に取り入れていく作業を迫られています。
神の御国と神のみ旨を第一にして求めていきます。 もう1レスつぶすぞ。実は私は2,3年前に初めて幸福スレにかきこんだとき書き込んだ時に
アンチ達から「ピッピが帰ってきたぞ」「いや、この書き方は葉っぱじゃないか?」と丸っきり的外れなことを書かれて
「やっぱアンチは阿呆だ。シンパや信者の数を2桁か3桁少なく見積もってる。模範的な信者は書き込みしないし、俺みたいな血の気が多い奴しかここにカキコしないんだから実数は数万倍いるという、ちょっと考えればわかることも気づかない。」
と思って、しばらく(1年以上)ほといたんだが、この2月に「唯物論の呪縛に捕らわれて虚無感に落ちそうな人を見つけて
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1508602106/90-n
他人ごとに思えなくて、レスするようになったんだ。”クンロク”が俺だ。参考にしてくれ。 明日は『黄金伝説A』の到着です。マグダラのマリアを読まなくちゃ。
主のご昇天、聖霊降臨も収められてます。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。