キリスト教初心者です。いろいろ教えて
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2005年(主日B年) 11月27日 待降節第1主日
イザ 63:16〜64:7 Iコリ 1:3〜9 マコ 13:33〜37
初代教会の人々が聞いた使徒的宣教が、聖伝と聖書という形でそのまま現代の教会にも伝えられているのに、私たちが知っている教会ではそれが語られることも聞かれることも僅かなのです。
まさに 「目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることがない」(イザ 6:10)というのがありのままの姿です。
物質的、経済的には豊かになったが、キリストの体である教会の 「破滅に心を痛めることがない」(アモ 6:6)という叫びが、読まれざる聖書の中に閉じ込められています。
私たちはこれまで、論ずることには雄弁でありましたが、聞くことには無能であることが多かったと気づくべきです。
「なにゆえ主よ、あなたは私たちをあなたの道から迷い出させ、私たちの心をかたくなにして、あなたを畏れないようにされるのですか。 立ち帰ってください、あなたの僕たちのために、あなたの嗣業である部族のために。」(イザ v.17)
私たちは無力であり、神の憐れみと恵みに期待する以外ありません。
しかし、たとえ無力であっても、「どうぞお話しください。 僕は聞いております」(サム上 3:10)という信仰の決断なしには、私たちが主の憐れみを求めることは出来ないのです。
典礼暦の新しい一年を、この信仰の決断を以て歩み始める人は幸いです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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宇宙に闇と光があるんだから
仕方ない仕組みなのでは。
地球を創造して善悪が生まれて
最終的に神が人間を滅ぼすんだから。
キリストは善人であり悪人=盗人であり
神だしね 2008年(主日B年)
11月30日 待降節第一主日
イザ 63:16〜64:7 Iコリ 1:3〜9 マコ 13:33〜37
イザ56-66章は、通常第三イザヤと呼ばれています。
第二イザヤ(40-55章)的精神をもって、おそらく若くしてパレスチナに帰還したこの預言者は、祖国の荒廃のただ中に立って、かつてのモーセの日を思い起こして “執り成しと嘆き” の歌をうたいました。
主がシナイ山に降ってモーセと語られた日のように(出 19:14以下)、「どうか、天を裂いて降ってください」(イザ v.19)と祈りました。
祖国の惨憺たる現状を直視することから、彼の預言と執り成しが発していることに注目しましょう。
「あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もいない。」(イザ v.6)
人々は “それぞれ自分の家のために走り回っており”、“まだ、主の神殿を再建する時は来ていない” と言っていました(ハガ 1:2,9)。
私たちが知っている我が国や西欧の国々のカトリック教会の実情は、まさにそのようであると言わざるを得ません。
私たちはその実態から目をそらしてはなりません。
“しかし、それにもかかわらず !”、 今年も典礼暦はキリストの再臨を待つ待降節から始まりました。
“しかし、それにもかかわらず !! ”、 今年も教会は、そのような “待つ” 共同体として、新しい一年を歩みます。
「しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工、わたしたちは皆、あなたの御手の業。」(イザ v.7)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 今年も 「17〜18年典礼暦」 をアップロードしました。
http://www.kuwaei2000.com/guide.html
→ ●資料集● の冒頭にあります。 ____
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老クリスチャン 降臨 ___
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> 老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!老クリスチャン万歳!!!<
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ユダヤ系宗教はYHWHのみを神としてエロヒムが多数いても神が複数いても仏も認めないどころかそれを悪魔としています
文化を破壊し殺戮や災いを引き起こしすべてをYHWHで塗り潰し世界征服しようとゆー悪魔のような宗教です ユダヤ系宗教を信じるとゆーことは他の神がみや仏すべてを悪魔と定め敵にまわすとゆーことです 信者たちからお金を集めたり、信者たちを集金要員にしたり、
集めたお金で組織を拡大したりします。
連中にとっては、神は「飾り物」「お神輿」です。
飾り物になれる、ふさわしい人物を、適当に神にして
真の目的は、組織を形成させて拡大させる事なんです。
神やメシアや救世主なんてものは「客寄せパンダ」であって
「客を集めるためのお神輿」であり、実際は、連中の創作です。
宗教も、需要と供給が成り立ってます。
信者たちも組織に入ると色々と出会いもあるし
組織内で出世することも可能です。
真の目的は「組織の形成」であり、神などは
客を集めてくれるものであり、それでいいのです。
客を集める為に、ウソを付いて、神格化させます。
イエスも、弟子や教徒や後世の人たちの作り話によって
神格化されてるだけで、実際は、普通の人間なのです。
このままでは地獄に落ちて消滅すると脅し、
ここに入って定期的に会費を払って
このように信じてこのように行動すれば
天国で永遠の命だから、と教え、服従させます。 2002年(主日B年) 12月8日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(IIペト v.13)
私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、この聖書の言葉にアーメンと応えます。
私たちが待降節第2主日のミサを共にささげるとは、そういうことなのです。
教会が誕生して間もない頃から今日に至るまで、福音はいつも “別の福音(ガラ 1:7)” に置き換えられる危険と共にありました。
キリストの復活が否定されたり、キリストの再臨と神の国待望とはまるで別物の主題が主張されることによって、人々の目には本来の福音が見えなくなる事態が繰り返されて来ました。
「生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト」(IIテモ 4:1)とは結びつかないような “別の福音” が、現代の多くの信者たちを誘惑し続けています。
今朝の聖書の朗読を通して私たちに語っておられるのは神です。
聖霊はミサをささげる会衆一同に働いて、今朝の朗読を通して神のことばを聞かせてくださいます。
「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。 そうではなくて、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 主の日は盗人のようにやって来ます。」(IIペト vv.9-10)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>56 訂正
× 私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、この聖書の言葉にアーメンと応えます。
〇 私たちが生きている今の時代の精神にあえて反抗して、教会はこの聖書の言葉にアーメンと応えます。 パウロ
イエスの再臨は自分たちが生きている間にあると言った(Iテサ4:15)
その後、その勢いは無くなって、
ただ待ち望んでいる(ピリピ3:20)に変わっていった。 ____
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人 モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、
かれらにこう言った。「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちが
バラムにそそのかされ、イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、
そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、
男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、
男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
(民数記 31章14〜18節) 神は怒り、モーセに対して、「イスラエルの民の長たちをことごとく捕らえ、
主の御前で彼らを処刑にし、白日の下にさらしなさい」と命じ、
モーセは裁判人に対して、「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕ったものを殺しなさい」
という厳しい粛正を命じた。2万4千人のイスラエル人が処刑された。(民数記25章)
神はモーセに「ミディアン人を襲い、彼らを撃ちなさい。彼らは、おまえたちを巧みに惑わして襲い、
ペオルの事件を引き起こしたからだ。」この神の命令に従って、モーセが、
「あなたたちの中から、戦いのために人を出して武装させなさい。ミディアン人を襲い、
ミディアン人に対して神のために報復するのだ」(民数記31:1〜3) モーセと祭司エルアザルは主がモーセに命じられたとおりにした。分捕ったもの、
すなわち兵士が略奪したものの残りは、羊六十七万五千匹、牛七万二千頭、ろば六万一千頭、
人は、男と寝ず、男を知らない女が全部で三万二千人であった。戦いに出た者の分け前は、
その半数であって、羊の数は三十三万七千五百匹、その羊のうち、主にささげる分は六百七十五匹、
・・・人は一万六千人、そのうち主にささげる分は三十二人であった。・・・部隊の指揮官である千人隊長、
百人隊長がモーセの前に進み出て、言った。「・・・わたしたちは、めいめいで手に入れた腕飾り、
腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど金の飾り物を捧げ物として主にささげ、主の御前に、
わたしたち自身のあがないの儀式をしたいのです。」モーセと祭司エルアザルは、
彼らから金の飾り物をすべて受け取った。それらはよく細工されたものであった。
・・・モーセと祭司エルアザルは、千人隊長と百人隊長から金を受け取り、臨在の幕屋に携えて行って、
主の御前に、イスラエルの人々のための記念とした。
(民数記31章31〜54節) ____
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人 660 :神も仏も名無しさん:2017/12/05(火) 11:47:01.70 ID:u8GBWhMn
信者たちからお金を集めたり、信者たちを集金要員にしたり、
集めたお金で組織を拡大したりします。
連中にとっては、神は「飾り物」「お神輿」です。
飾り物になれる、ふさわしい人物を、適当に神にして
真の目的は、組織を形成させて拡大させる事なんです。
神やメシアや救世主なんてものは「客寄せパンダ」であって
「客を集めるためのお神輿」であり、実際は、連中の創作です。
宗教も、需要と供給が成り立ってます。
信者たちも組織に入ると色々と出会いもあるし
組織内で出世することも可能です。
真の目的は「組織の形成」であり、神などは
客を集めてくれるものであり、それでいいのです。
客を集める為に、ウソを付いて、神格化させます。
イエスも、弟子や教徒や後世の人たちの作り話によって
神格化されてるだけで、実際は、普通の人間なのです。
このままでは地獄に落ちて消滅すると脅し、
ここに入って定期的に会費を払って
このように信じてこのように行動すれば
天国で永遠の命だから、と教え、服従させます。.
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|(___| |. `i" ノ:::::戒::::::Å | 2005年(主日B年) 12月4日 待降節第2主日
イザ 40:1〜11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
いつの時代にも、キリストの再臨と神の国の実現を(聖書に書いてあるように)文字通りには信じることが出来ない人々が、必ずいました。
確かに使徒たち自身も、そして初代教会の人々も、初めに期待したようにはキリストの再臨が実現しなかったために、失望したり疑問に陥ったりしました。
しかしそれにもかかわらず、新約聖書はこれに代えて別の終末論を、使徒たちが最初に伝えた福音とは異なる新しい宗教理解を構築したりはしませんでした。
「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(IIペト v.9)
「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(IIペト v.8)
「遅い」(IIペト v.9)とか、文字通りには理解出来ないというのは、人間の側の論理による試論に過ぎません。
“秘められた計画” は神の御手の中にあって、神が自ら救済史を完成されることを、私たちは信じましょう。
一・聖・公・使徒継承の教会は、今年も “待ち望む民” として、新しい典礼暦の一年を歩み始めています。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より キリスト教のおこなってきた異端狩りや宗教戦争や新大陸侵略にくられべれば、
オウムの破壊活動など、ほとんど取るに足らないものです。
聖書における神の殺人命令を否定することのできないクリスチャン、もっと一般的にいえば
人間的判断より神の意思を先行させる信仰原理を信奉する者には、麻原の命令にしたがって
殺人を犯したオウム信者を根本的に批判することはできません。こうして、
神が命令するとき殺人が正義となることは、昔も今も、キリスト教のような
伝統的宗教においても、疑う余地のない明白な事実といわねばなりません。
オウム殺人事件は、オウム真理教が偽宗教であることを決定する判断基準にはならないのです。
逆に言えば、もし殺人の教えが偽宗教であることの判断基準の一つであると信じるならば
ユダヤ教もキリスト教も、またその聖典である聖書も偽宗教であると判断する
一貫性を持たなければならないでしょう。 神や死後の世界が存在しても、殺人さえも、ゆるされるなら、「道徳は宗教を必要とする」
とか「宗教は道徳の根本である」というポピュラーな宗教思想の説得力は喪失します。
宗教における善とは、「人間の浅はかな判断」や「人間の小賢しい知恵」によるのではなく、
超越的権威である「神の意思」や「神の言葉」によるものとされており、しかも、その神が
殺人や略奪を命令するからです。神や死後の世界を信じる世界観の中でも、
やはりすべてが、殺人さえも、ゆるされるのです。 「愛と赦しと平和」を説く柔和なクリスチャンが、いったいなぜ、聖書における
神の殺人命令を否定できないのか。その答えは、これまで見てきたように、信仰の
原理、すなわち、人間的な判断よりも上位にあると考えられている、神の意思を
先行させる考え方にあります。信仰者は、常に、自分の「人間的浅はかな判断」や
「おのれの小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての超越的な権威
(聖書や教祖の言葉)に従うことを正しいとするのです。だから、信仰者にとって、
信仰者であるかぎり、神の殺人命令を否定することはほとんど不可能であると
言えます。もし殺人命令でさえ信仰者は神(聖書や教祖)の命令を否定できないと
したら、洗脳(伝道)、金集め(寄付・布施)、政治活動、その他諸々の神の命令を
信仰者が否定できるわけがありません。ましてや、宣教命令が、困った人々を助ける
ボランティア活動のような、一見誰も文句を言えない善意活動を通じて
なされることになれば、その命令を疑ってみる心さえ浮かばないかもしれません。
それゆえ、不幸中の幸いというべきか、オウム殺人事件は、はたして、わたしたちが
「人間的浅はかな判断」や「おのれの小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての
超越的な権威(聖書や教祖の言葉)に従うことを「正しい」とする判断が、本当に
賢哲な判断かどうか、それを考えさせる機会を与えてくれたことにおいて、
大きな意義があると思われます。 キリスト教徒による暴挙は過去形ではありません。現在進行形です。
世界の悪は、 我々が、それに全力で反対するよう、
聖書と主イエスに命じられている。(ロナルド・レーガン、大統領)
第十次十字軍は、米国のジョージ・W・ブッシュを大統領とする
ブッシュ政権の行った、アフガニスタン紛争 (2001年-)や
イラク戦争などの軍事行動をいう。
現在はトランプです。
ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略にしても、ブッシュのイラク侵略にしても、
聖書にあるモーセとヨシュアのことが大きく影響しているのです 。
ヨシュアが、神の命令で、「侵略」「虐殺」「略奪」を働いたことが、後のキリスト教徒にとって、
大きな手本・見本になっているのです。
「モーセやヨシュアがやったことは『聖絶』として正しいことになってるんだから、
我々キリスト教徒も同じことをやってもいいんだ。」と、とらえるのです。
キリスト教徒による侵略戦争がなくならない理由は、ここにあるのです。
異端狩り 異教徒狩り 魔女狩り 布教という名の他国への侵略行為 黒人奴隷貿易
キリスト教は惨憺たる惨劇をもたらしてきました。
約1600年間、ヨーロッパ文明の宗教として、宗教界のKINGとして君臨し続けてきた
キリスト教は、まぎれもなく「帝国の宗教」です。
この「帝国の宗教キリスト教」を潰さない限り、キリスト教による暴挙 悲劇 惨劇は、
永遠に続いてしまうのです。
戦争をしかけた人間 聖職者 信徒たちは、このことにまったく反省もせず、
この問題を堂々と正当化しているからです。
温厚そうな人でも、侵略戦争を「正当」と、させてしまうキリスト教。
宗教は「害の産物」です。
宗教は大変恐ろしいものです。 ただ、一番マシなのはカトリックです。
カトリックの総本山バチカンのローマ法王は
「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」
「アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について謙虚に謝罪したい」と
示している。 ____
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人 2011年(主日B年) 12月4日 待降節第2主日
イザ 40:1-5,9-11 IIペト 3:8〜14 マコ 1:1〜8
「しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(IIペト v.13)
待降節は、「御自身の血によって、ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた」(ヘブ 9:12)大祭司キリストを ・・・・・、
御自分の死によって “死” に勝利された王であるキリストを ・・・・・、
終わりの日に天から来て 「来るべき怒りからわたしたちを救ってくださる」(Iテサ 1:10)神の小羊なるキリストを ・・・・・、私たちが 「身を起こし頭を上げて」(ルカ 21:28)待ち望む期節です。
「悔い改め」(マコ 1:15)とは、本質的にはそういうことなのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2005年(主日B年) 12月11日 待降節第3主日
イザ 61:1-2,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」(ヨハ v.8)
使徒たちが宣教した 「御子に関する福音」(ロマ 1:3)は、洗礼者ヨハネから始まるものでしたが(使 1:21-22,10:36-38 参照)、しかし彼はメシアでもエリヤでも、またあの預言者(申 18:15)でもありませんでした。
彼は荒れ野で叫ぶ声として、神から遣わされた人でありました。
教会の歴史には、このような証し人たちの連鎖が満ちています。
彼らがどんなに偉大な人々であったとしても、救済史は決して彼らによって創られも変更されもしませんでした。
教会の頭はキリストであり、キリストの体である教会はその頭に向かって成長して(エフェ 4:15)今日に至りました。
洗礼者ヨハネが 「私の後から来られる方」(ヨハ v.27)と呼んだキリストは、既にその受肉と死と復活を経て、使徒たちの宣教の内容となり、さらにその伝承の主体として使徒継承の教会を導いておられます。
このような確かな事実の上に立って、私たちは今朝の福音書の朗読を聞いているのです。
ですから私たちが洗礼者ヨハネについての物語りを聞くとき、実は 「御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた」(ヘブ 9:12)キリストの宣教を聞いていることになります。
待降節第3主日の主題は、洗礼者ヨハネが来たり給うキリストを証ししたように、現代の教会もまた再び来たり給うキリストを指し示す証しに耳を傾けることであります。
私たちが待望している再臨のキリストは、かつて来られた方と同一の方であり、私たちは今年もその方の第一の来臨を祝おうとしているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2008年(主日B年) 12月14日 待降節第3主日
イザ 61:1-2a,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。」(Iテサ v.16)
これはキリスト教の美徳を列べたキャッチフレーズではありません。
当時のテサロニケの教会は苦難や悲しみに耐えていたのであり(Iテサ 3:3,4:13)、気落ちしている者や弱い者を抱えていました(Iテサ 5:14)。
しかし、主イエスはこの教会を留守にしておられた訳ではありませんでした。
彼らが “主にしっかりと結ばれている”(Iテサ 3:8)、“主と共に生きている”(Iテサ 5:10)ということを、使徒パウロは感謝しています(Iテサ 3:9)。
だから 「 “霊” の火を消してはいけません。 預言(福音の説教)を軽んじてはいけません」(Iテサ v.19-20)と勧めているのです。
この 「今おられ、かつておられ、やがて来られる」(黙 1:4)という事実を、使徒パウロは 「わたしたちは、今は鏡におぼろに映ったものを見ている。 だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる」 と説明しました(Iコリ 13:12)。
たとえ “鏡におぼろに映ったもの” のようであっても、信仰によって主にしっかりと結ばれているならば、主が “あなたがたの心を強め”(Iテサ 3:13)、その日には “非のうちどころのない者としてくださる”(Iテサ v.23)ということを、私たちは確信して良いのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
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人 2011年(主日B年) 12月11日 待降節第3主日
イザ 61:1-2,10-11 Iテサ 5:16〜24 ヨハ 1:6-8,19-28
「貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。 打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。」(イザ v.1)
死人の中から復活して 「天と地の一切の権能を授かって」(マタ 28:18)神の支配を開始されたキリストが、教会に御国を受け継がせる 「秘められた計画」(エフェ 1:9)をやがて完成してくださるということを、私たちは信じて良いのです。
私たちが今は “信仰によってしか知ることのできない” 王であるキリストが、すでに私たちの中におられるからこそ ・・・・・ 、待降節は待望の期節でありつつしかも喜びと賛美の期節なのです。
「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。 主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。」(イザ v.10)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 > これを信じることが条件です。
>
> 「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
> 父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
> 主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
> ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて
> 死に葬られ、陰府(よみ)に下り、 三日目に死者のうちから復活し、
> 天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
> 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
> 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
> からだの復活、永遠のいのちを信じます。」
>
> 信じられなければキリスト教には入れません。
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. ヘ!. ^,,_、 ` l
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. ヽ \ |
. k―t-、..,,__,!
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. (之ノ | ,!、 660 :神も仏も名無しさん:2017/12/05(火) 11:47:01.70 ID:u8GBWhMn
信者たちからお金を集めたり、信者たちを集金要員にしたり、
集めたお金で組織を拡大したりします。
連中にとっては、神は「飾り物」「お神輿」です。
飾り物になれる、ふさわしい人物を、適当に神にして
真の目的は、組織を形成させて拡大させる事なんです。
神やメシアや救世主なんてものは「客寄せパンダ」であって
「客を集めるためのお神輿」であり、実際は、連中の創作です。
宗教も、需要と供給が成り立ってます。
信者たちも組織に入ると色々と出会いもあるし
組織内で出世することも可能です。
真の目的は「組織の形成」であり、神などは
客を集めてくれるものであり、それでいいのです。
客を集める為に、ウソを付いて、神格化させます。
イエスも、弟子や教徒や後世の人たちの作り話によって
神格化されてるだけで、実際は、普通の人間なのです。
このままでは地獄に落ちて消滅すると脅し、
ここに入って定期的に会費を払って
このように信じてこのように行動すれば
天国で永遠の命だから、と教え、服従させます。.
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ヽ
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|二二| |.../ ヽ /_ヲトj|\ヾ、|
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人 2017/12/18 21:01
中国・瀋陽の大学でXマス禁止令 西側文化や価値観を警戒か
【北京共同】米政府系放送局のラジオ自由アジアは18日までに、中国遼寧省瀋陽市の
大学がクリスマス関連のイベント開催を禁止する通知を出したと報じた。キリスト教などの
西側の文化や価値観の浸透を警戒する政府の意向を受けた措置とみられるという。
報道によると、通知を出したのは瀋陽薬科大学で「一部の若者はクリスマスなどの
西側宗教の記念日に夢中になっている」と批判し「西側宗教文化の侵食に抵抗」するよう
呼び掛けているという。
中国では近年、キリスト教徒が多いことで知られる浙江省温州市など各地の教育機関で、
クリスマス関連の活動を禁じる動きが広がっている
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201712/0010829491.shtml
クリスマス
お断りします
お断りします
お断りします
ハ,,ハ ハ,,ハ ハ,,ハ ハ,,ハ
( ゚ω゚ )゚ω゚ )゚ω゚ )゚ω゚ ) お断りします
/ \ \ \ \ お断りします
((⊂ ) ノ\つノ\つノ\つノ\つ)) お断りします
(_⌒ヽ ⌒ヽ ⌒ヽ ⌒ヽ お断りします
ヽ ヘ } ヘ } ヘ } ヘ }
ε≡Ξ ノノ `Jノ `J ノ `J ノ `J 2002年(主日B年) 12月22日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
現代のキリスト者である私たちは、代々の歴史の教会と共に、今年も同じ一つの福音を聞いています。
それは使徒パウロが 「わたしの福音」(ロマ v.25)と呼んだもので、神の啓示に関する教義憲章はこれを 「使徒たちから伝えられたこと」 と説明しています。
福音は私たちが自分で考え出すものではなく、また各時代の思想によって生み出されるものでもありません。
それは 「イエス・キリストについての宣教」 であって、「世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。」(ロマ v.25)
教会はその歴史を通じて現代に至るまで、典礼暦と主日のミサの聖書朗読配分によって、このキリストの福音の秘められた計画の宣教を保持して来ました。
それは教会が神の国の相続人であって、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたち(ユダヤ人)と一緒に受け継ぐ者、同じ体に属するもの、同じ約束に与かる者となるということです。」(エフェ 3:6)
私たち教会が今年もその第一の来臨を追憶してクリスマスを祝おうとしているキリストは、その第二の来臨によって御自分の花嫁である教会を迎えてくださるのと同じキリストなのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 赤い十字架の協会がダメ、韓国人牧師で強姦される恐れあり。
平昌五輪にも悪影響懸念される犬食は、韓国の伝統文化なのか=韓国ネット「食べるか食べないかは個人の自由」「こうなったら肉食自体やめちゃう?」
https://news.nifty.com/article/world/china/12181-232121/
2017年12月17日、韓国・ニュース1が「犬の食用は韓国の伝統文化なのか?」と題する記事を報じた。
夏場などに滋養食として犬肉を食べる習慣がある韓国だが、特に欧米などではこの文化を問題視する見方が根強く、
韓国初の開催となる冬季五輪・平昌(ピョンチャン)五輪を目前に控え、海外のみならず韓国国内でも犬食文化に関し
議論が活発になっているようだ。
記事によると、近年、韓国では「他に食べるものが多い時代に、あえて犬を食べる必要があるのか」と犬食反対の世論が
形成されつつあり、犬肉を使った鍋料理「補身湯(ポシンタン)」を看板に掲げる店は急速に減っているという。 ----
† エペソ6章10-12節
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
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人 2011年(主日B年) 12月18日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
「天使は、彼女のところに来て言った。 “おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。” マリアはこの言葉に戸惑い、 ・・・・・ 」(ルカ vv.28-29)
マリアが戸惑ったのは、“恵まれた方、主があなたと共におられる” と言われたからであって、“おめでとう” と挨拶されたからではありませんでした。
“おめでとう” と訳されている語は、マタ 28:9 で “おはよう” と訳されているのと同じ言葉で、挨拶に使われるギリシア語(χαιρε)です。
これがラテン語に訳されて、Ave になりました。
各国で挨拶に使う言葉がいろいろあるとしても、あえてヘブライ語の “シャローム” や、アラム語の “喜べ”(フランシスコ会訳)に結びつける必要はないでしょう。
英語の Hail も含めて、挨拶に使う敬語と理解しておきましょう。
間違いなくマリアは、“神の子の母となる最高の役割と尊厳を授けられた”(教会憲章 53)という意味で、神からあふれる恵みを受けた方であります。
しかし、彼女が戸惑ったのは単にそのような私的な “幸い”(ルカ 1:48)のためではありませんでした。
彼女が 「どうして、そのようなことがありえましょうか」(ルカ v.34)と反問したのも、決してただ理解不能であるという意味ではありませんでした。
そうではなくて、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ 1:14)という出来事が彼女を通して起こるのだという、天使の予告に対して戸惑ったのです。
私たちはマリアの信仰の従順以上に、天使ガブリエルが語った 「神にできないことは何一つない」(ルカ v.37)という言葉の重みに、マリアと共に圧倒されるのです。
待降節第4主日の主役も神であって、決してマリアではありません。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ハ,,ハ
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人 あるとき天上の天使たちが神さまに疑問を投げかけた。
「神さま。日本人はあまりにも恵まれすぎています」
神さまは答えた。
「その通りだ。だからとなりに朝鮮人と中国人をおいたのだ」
天使たちは、その神さまの裁量に感嘆し、黙って頭を下げた。 2014年(主日B年) 12月21日 待降節第4主日
サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
「この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。」(ロマ v.25)
神が聖霊によって啓示されたこの “秘められた計画” を語らない宣教は、福音の宣教ではありません。
私たち現代のカトリック信者は、その気さえあれば、教会に伝えられた聖伝と聖書を通して “神のことばの食卓”(典礼憲章 51)に、自由に、そして存分に与ることが出来る時代に生きています。
現実には多くの司教や司祭の説教がほとんどこの “秘められた計画” を説明するという役割を果たしていないとしても、
それで信徒が自分で福音の内容を学ぶことを怠けていて、終わりの日の裁きの時に見逃してもらえる、あるいは怠慢の責任を教導職の人々に負わせて自分は神の裁きを逃れることが出来るということにはなりません。
「神は、(使徒継承によって現代の教会にまで受け継がれて来ている)福音の宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。」(ロマ v.25)
この “神は ・・・・・ おできになります” という言葉に、私たちの心は “喜び踊ります。”(ルカ2:47/フランシスコ会訳)
典礼暦は古くから、すべての信者が使徒たちの宣教によってこの “秘められた計画” を理解するために、教会において用いられて来ました。
それは “あなたがたの内におられる(秘跡的現存の)キリスト、(来たり給う第二の来臨の)栄光の希望です。”(コロ 1:27)
ともにミサをささげる会衆は、“救いをもたらす福音を聞き、そして信じて(いるのであれば)、約束された聖霊で証印を押されているのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり”(エフェ 1:13-14)ます。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より _________________________
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││││┝┥┌─────────────────--┴┐< お断りします
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│ ε≡Ξ ノノ `J .| カチ
. └─────────────────-――┘ カチ >>99
『老クリスチャンの長文コピペについて』
(1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。
(2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。
(3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。
そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。
(4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。
(5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。
(6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。
(7)まったく読む必要はない。
(8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。
(9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。
(10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。
(11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと
どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。
(12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。
(13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。
(14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。
(15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。
(16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。
(17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。
(18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。
(19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと
老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。
(20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。
【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ ____
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サム下 7:1〜16 ロマ 16:25〜27 ルカ 1:26〜38
現代のキリスト者である私たちは、代々の歴史の教会と共に、今年も同じ一つの福音を聞いています。
それは使徒パウロが 「わたしの福音」(ロマ v.25)と呼んだもので、神の啓示に関する教義憲章はこれを 「使徒たちから伝えられたこと」 と説明しています。
福音は私たちが自分で考え出すものではなく、また各時代の思想によって生み出されるものでもありません。
それは 「イエス・キリストについての宣教」 であって、「世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。」(ロマ v.25)
教会はその歴史を通じて現代に至るまで、典礼暦と主日のミサの聖書朗読配分によって、このキリストの福音の秘められた計画の宣教を保持して来ました。
それは教会が神の国の相続人であって、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたち(ユダヤ人)と一緒に受け継ぐ者、同じ体に属するもの、同じ約束に与かる者となるということです。」(エフェ 3:6)
私たち教会が今年もその第一の来臨を追憶してクリスマスを祝おうとしているキリストは、その第二の来臨によって御自分の花嫁である教会を迎えてくださるのと同じキリストなのです。
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││ /::ヽ'/:::::ハ:::どーy一''´ │ m 不 l___」 |bgl|
││ |:::::::≧=、{に{⌒ヽ_ -‐'''│ c 法 l |lic|
││ |、:://´ 、ヽー弋ノ ! │ f 侵  ̄ ̄〉 .|mbg|
││ |::`ーへ 丿 i │ g 入 ─‐'^ー |mk |
││ |::::::::::::::`l | │ m の ヽ三|ヨー |ml |
││__l___{____ j__ハ│ f 疑 `!>|< |mfh|
│ …‥‥……‥…‥‥ い '──‐ |gfb|
│lmgfbmillgfbbfmi` ┼ ‐┼` |fil| 2011年(主日B年) 12月25日 主の降誕
イザ 52:7〜10 ヘブ 1:1〜6 ヨハ 1:1〜18
「(神は)この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」(ヘブ v.2)
「御子は、 ・・・・・ 人々の罪を清められた後、天の高いところにおられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」(ヘブ v.3)
教会の信仰は、この “成し遂げられた”(ヘブ 9:12)神の御業の上に立っており、典礼暦はこの成し遂げられた “キリストの救いの業” を、教会が繰り返し想起して祝うために、古くからその役割を果たして来ました。
イエス・キリストは復活して、今や 「天と地の一切の権能を授かって」(マタ 28:18)父なる神の右の座に着き、時が満ちて “秘められた計画” が完成する日が来るのを待っておられます(エフェ 1:9-10)。
教会がクリスマスで祝っているキリストは、このような 「やがて来られる方」(黙 1:4)であります。
夜半のミサが終わると、大晦日と正月にはもう忘れられてしまう “飼い葉桶の乳飲み子” のお伽噺のようにしか、クリスマスを理解していない “並のカトリック信者” に、それでも神は “ことばの典礼” を通して今年も語り続けておられます。
「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ。」(ロマ 10:18)
私たちは天上のキリストの “かつての受肉の出来事” を、 “将来わたしたちに現されるはずの栄光”(ロマ 8:18)の確かな根拠として、感謝と賛美のうちに今年も祝っているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>108
>夜半のミサが終わると、大晦日と正月にはもう忘れられてしまう
> “飼い葉桶の乳飲み子” のお伽噺のようにしか、
>クリスマスを理解していない “並のカトリック信者” に、
自分の方が「上」と思い込みたい牧師崩れのコンプレックスによる妄想
だと思いますよ。 ____
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| ノ # (・ヽ /・) V ムキーーーーーーーーーーーー!!!
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( ( ( ( ( ( ) ) )| | .:+彡*★:ミ:♪:ミ。:.,
/ へ \ }__/ / .:彡'゜‡,※゜.ニュ▲:ミ,::.. ドシッ
/ / | ノ ノ .,;彡*;▲彡゜*★::.トーイミ+:..
( _ ノ | \´ _ ..*彡゜◎.从♪.:ミ,☆,゜〓:ミ:,,
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ヽ _,, -‐ ''" ̄""”” ;■■■■; ドシッ
人人人人人人
く チ キ ン 店冫
Y^Y^Y^Y^Y^Y
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
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l く <ヽ |│ ノ> r‐' └‐lニ,ニニ! / .!
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l. `丶、 l二二 二二! r'_rュ.、> ! ==│ ,. -''´ .l
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.. | いよんぢゃすこ | | イエスは神ではないメシアだ
だからキリスト教をメシア教という
イエスは神の言葉を伝えに来た如来様だよ
イエスをではなくイエスの言葉の中身だけを信じるのだ
イエスの性格は短気で所詮大工の貧乏な倅に過ぎない
ただの神のロボットに過ぎないのにロボットを信じるバカがいるか
そういうバカばかりいるから世の中おかしくなった 2008年(主日B年) 12月28日 聖家族
創 15:1-6, 21:1-3 ヘブ 11:8〜19 ルカ 2:22〜40
“イスラエルの希望” が、御子の受肉と死と復活によって実現しました。
ヘブ 11:13 は、昔の人たちを証人に引き出して次のように述べています。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。 約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」
しかし教会が宣べ伝えているキリストは、「ただ一度(天の)聖所に入って永遠の贖いを(すでに)成し遂げられた」(ヘブ 9:12)キリストです。
この希望は最初に父祖アブラハムに約束されましたが、それを実現したのは 「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト」(マタ 1:1)でありました。
神の国は地上の国ではなくて、来るべき国です(ヘブ 13:14)。
決してキリスト教は、地上に理想郷としての神の国を、イエスと一緒になって、これから建設しようとする宗教ではありません。
教会は、「揺り動かされることのない御国(の約束)を受けている」(ヘブ 12:28)のです。
私たちキリスト者の課題は、「約束なさった方は真実な方であると信じて」(ヘブ v.11)、与えられた信仰の生涯を 「忍耐強く走り抜く」(ヘブ 12:1)ことであると知りましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より キリスト教の人々は邪神不動明王に非常にだまされやすい!あなた方が吹き込まれて悪だと思ってるものは
善人で不動明王が実は本当の古代から続いてる古代から騙してる悪なのです。その洗脳をさっさとどけ、
自主的に弁償してくること。さもなくば強制的に3倍ぐらい弁償を取られて抹消されるでしょう。
初詣は成田山や不動明王神社へは絶対行ってはいけません! 2014年(主日B年) 12月28日 聖家族
創 15:1-6, 21:1-3 ヘブ 11:8,11-12,17-19 ルカ 2:22〜40
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ vv.29-32)
“この目であなたの救いを見た” という証しがある、そして両親に連れられて来た幼子イエスがおられるということが、降誕祭を祝う教会にとって最も大切な主題であります。
シメオンは “イスラエルの慰められるのを”、アンナは “エルサレムの救いを” 待ち望んでいる、共にミサをささげる私たち教会の象徴であります。
なぜなら教会は “(新しい)神のイスラエル” であり(ガラ 6:16)、来るべき天のエルサレムを受け継ぐ民だからです(ヘブ 12:22,28)。
私たちは、シメオンやアンナという敬虔な老人の私的な内面をあまり詮索すべきではないでしょう。
もちろん彼らはそれぞれに幸せであったに違いありませんが、それは彼らが救いの到来の証し人として教会のために用いられているということに比べれば、取るに足りない小さなことでありました。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 大阪を調べるとキリストに関連する
地域、施設、歴史上の有名な人物いろいろ出てくる。 明日、生まれて初めて近所の教会に行ってみる。
下調べした感じだとノーマルなプロテスタントみたいだから変なのにはひっかからないといいなあ 2009年(主日B年) 1月1日 神の母聖マリア
民 6:22〜27 ガラ 4:4〜7 ルカ 2:16〜21
「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(ルカ v.16)
「神を生んだ方」(テオトコス)マリアに授けられた “最高の役割と尊厳”(教会憲章 53)は、カトリック教会の信仰と典礼において卓越した崇敬を受けています。
過去においてマリア信心が、過度な強調と偽りの誇張によって歪められたために、第二バチカン公会議は神の御業に対して “従属的なマリアの役割”(教会憲章 62)を明確にしました。
天使のみ告げを聞いて羊飼いたちが見たのは、普通の夫婦であるマリアとヨセフ、そして普通の乳飲み子イエスでした。
他所の夫婦、他所の乳飲み子とは何か違っていたとは、語られていません。
天使が告げたのは、主メシアである救い主がお生まれになったということであって、羊飼いたちはその神の言葉を信じて賛美しました。
「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカ v.19)
「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。 これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」(ルカ v.21)
ルカ福音書の記述において、マリアは一登場人物であって、主役ではありません。
カトリック教会の崇敬は、「母がたたえられることによって、子が正しく知られ、愛され、たたえられ、その命令が守られるようにするため」(教会憲章 66)であることを、理解しましょう。
両親が、その信仰と従順の故に、二人で、幼子をイエスと命名しました。 (つづき)
「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラ vv.4-5)
初代教会は、当時の異端である仮現説に反対して、キリストの真の人間性を擁護し、イエスがマリアから生まれたことを強調しました。
ニケア・コンスタンチノープル信条は、「聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました」 と宣言しています。
「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。」(ロマ 3:25)
「神は ・・・・・ 罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」(ロマ 8:3)
「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人なのです。 この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。」(Iテモ 2:5-6)
ですから、公会議は 「人々に対する母としてのマリアの役割は、キリストのこの唯一の仲介を決して曇らせたり減少させたりするものではなく ・・・・・ 」(教会憲章 60)と説明しています。
それと並行して、初代教会はニケア・コンスタンチノープル信条が宣言したように、イエス・キリストは 「まことの神よりのまことの神」 であるから、キリストの母マリアを 「神を生んだ方(テオトコス)」 と呼ぶことが出来ると結論づけました。
従順、信仰、希望、燃える愛をもって、救い主の業に全く独自な方法で協力したマリアの母としての役割について、公会議は
「しかし、このことは、唯一の仲介者であるキリストの尊厳と効力から何ものをも取り去らず、また何ものをも付加しないという意味に解釈されなければならない」(教会憲章 62)と説明しています。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ____
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人 2006年(主日B年) 1月8日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
近代のキリスト教が、キリストの福音の核心である “秘められた計画” に無知かつ無関心になった原因の一つに、“ユダヤ人” という民族を教会とは何の関係もない存在であるかのように思ってしまったという事実があります。
「神の子としての身分、栄光、契約、礼拝、約束は彼らのものです。 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです」(ロマ 9:4-5)。
それに対して異邦人である私たちは、かつては 「キリストと関わりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、・・・・・ 神を知らずに生きていました」(エフェ 2:12)。
そんな私たちがユダヤ人と共に 「同じ約束に与る者」(エフェ v.6)とされたのは、ユダヤ人の王であるイエス・キリストの贖いによってでした。
「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として」(エフェ 2:15-16)くださいました。
本来ユダヤ人だけのものであった神の国の約束を、今や異邦人である私たちが一緒に受け継ぐ(エフェ v.6)という “秘められた計画” を、現代の教会は再発見しなければなりません。
ミサを通し、特に主日の朗読配分を通して語られる神のことばに耳を傾けることは、私たちに求められている現下の緊急課題であります。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2009年(主日B年) 1月4日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
「起きよ、光を放て。 あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。」(イザ v.1)
新しいシオン(主の都エルサレムの別名)の上に、主の救いと栄光が訪れるというこの終末的な預言に、「おののきつつも心は晴れやかになる」(イザ v.5)という高揚感を覚えることは、主の公現の祭日を祝う私たちにふさわしいことです。
教会は、神の国がイエス・キリストと共に私たちのところに訪れてくださったことを、賛美しているからです。
神の国は、悔い改めてイエス・キリストを受け入れたすべての人々のところに、未だ最後の完成を待ちつつではありますが、すでに来ているのです。
「しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ているのだ」(ルカ 11:20)と、イエスが言われたのを思い起こしましょう。
「こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。」(イザ v.6)
祭日や祝日だけでなく、根源の祝日と呼ばれる主日のミサは、神がキリストを通して私たちのために行われた終末的な救いの福音が、そこで常に新しく宣教される場であります。
・・・・・ 以下、本文参照。
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人 2012年(主日B年) 1月8日 主の公現
イザ 60:1〜6 エフェ 3:2〜6 マタ 2:1〜12
ミサの朗読用テキストでは、今朝のイザヤ書の朗読の冒頭に [エルサレムよ、] と補われていて、私たちがこの朗読において将来実現する “天上の典礼を前もって味わい、これに参加”(典礼憲章 8)していることを、明示しようとしています。
「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。 しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。 国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。」(イザ vv.2-3)
それは、徹頭徹尾 “説明のつかないこと” であって、信じる人々が 「忍耐して待ち望む」(ロマ 8:25)こと、パラドクスとしての “秘義” であることを、教会は今年も降誕節の最後の主日に祝って感謝するのです。
(パラドクスの解説 : つまり、聖伝と聖書に伝えられている事柄を、人間の宗教心に訴えるような、あたかもよく分かった話のように説明してしまうと、その本来の神学的な意味が見失われてしまうのです。)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より >>3
イエスとは、ヨシュアというのが本名で、最初に預言者といわれた人であり、
最後の預言者といわれたムハンマドを敵視するものは、預言者の現代での解釈がわかてない。
ヨシュアは、アルム語を話したが、ヘブライ語と古代ギリシャ語を翻訳して読んだ男である。
革命家としては負けて死んだが、その伝記は幻想小説の登場人物としては最も魅力的な実現すべき幻想概念であると考えられた。
ムハンマドは、口述筆記の話者としては最も魅力的な幻想概念を考え出した人と考えられている。
預言書。
預言書とは、実現したら史上最高の幻想小説だろうなという幻想文学のことである。
現在の預言書とは、幻想概念と科学の融合の実現である。
「想像したものはいつか必ず実現する」ということばこそ、歴史に名を残さなかった預言者である。
>>4
エヴァンゲリオンは何語か忘れたが、福音書という意味の外国語である。 ちなみに、おれは今年初めては荒井圏「トマスによる福音書」を読んでるんだけど、
東大名誉教授の神学者の書いたキリスト教の本は、1984年に出版された本でも、
かなりイエスのことばが格好いいな。
翻訳しだいで、こんなに聖書のことばが格好良くなるとは。
宗教板のグノちゃんと文学板のジャネットさんに相談したいが、できないのが残念だぜ。
1984年でも、日本の神学者、超詳しいじゃん。
「単独者」の日本語訳はキルケゴールの「おそれとおののき」に出てくるシンギュラテットらしいが、
これが自由や自主性を重視するということらしいので、
荒井圏の本に書いてある単独者の意味が原始キリスト教に見られるのか知りたいんだけど。
誰かわかるかなあ? >>1
>キリスト教初心者です。いろいろ教えて
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│ ニミ, ∠ニ │ <わしのサイトを見れば、すべて解決じゃての
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ト| | |ノ
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