マハーカルナー禅師の潔白を検証するスレ Part 2
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>>653
今回の問題、真相をはっきりさせなければ、パオにも、テラワダ
にも、宗教一般にもよくない。旧法友会の方々は勇気を出して、
真相を話してほしい。 法的、戒律的に証拠と正統性を公表できる形式に整えるまでは出てこないと思われ。
待つよろし。 分かってると思うが、そもそも2ちゃんで公式メッセージが出ることはあり得ないと思われ。 他人の不幸で飯がうまい
今日もメシウマ!
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キタ━━━//・\ ./・\\━━━!!!!
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ノ __ノ _ノ \ /| ノ \ ノ L_い o o >>655
本当にそれを考えると有耶無耶に出来る話じゃないよね。 >>655
> にも、宗教一般にもよくない。旧法友会の方々は勇気を出して、
> 真相を話してほしい。
勇気の問題じゃないから動けないと思われ… >>655
>>659
こういう人、定期的にpopするね。
みんなのためとか大義名分掲げるけど、あなたが知りたいだけだから。
別にどうでもいい人の方が大半だから。
色々とやらかしてるのはマハーカルナさんでしょ。
なんで法友会のひとが勇気出さないといけないの。
旧スタッフは一番の被害者でしょうに。
うやむやになればいいって言ってるんじゃないよ。
上座部仏教の信頼を失墜させる事件には間違いない。
本当に知りたきゃマハーカルナさんに聞けば?
http://mahakaruna.online/question 律によると、波羅夷になった人とは共住不可とのこと。
ただ波羅夷になった事実だけを告げて、あとは一切関わらないのが一番。
裁いたり、問題解決に向けて動き出したりすると、またそこで欲界のゲームが廻りだして、巻き込まれるだけ。 修行の名を借りたエゴイズムが目立つなあ。
同じ被害者が出ないように抑止する気持ちがあればテーラワーダ全体のことを考えたり、
疑いがある人物を批難するのは別におかしなことではないね。
当たり前だと思う。
教理に染まり自然な感覚を失うと理屈で動く冷たい人間になるからね。 意見は必ず両方出る。
一人の人間の中にも両方ある。
どっちの道を選ぶかは自己責任だが、わざわざ波羅夷の人を追いかけて行って、同じ世界に向かう必用があるのかどうか。 自分の師匠がハレンチだった疑いが発生したため困ったことになったという感じなんですか?
師匠が悟りを得ていた場合は例え殺人しても問題ないのでは?もちろん刑法上の罪は問われるでしょうが
戒律は悟りを得ていない人が対象では? >>665
ハレンチ行為や殺人を犯すなら、そもそも悟っているとは言えないでしょう
つまり偽物だったってこと 長い仏教史において、今回の事件と似たような出来事は沢山あったでしょうし、その度に伝統サンガは律に基づいて問題を処してきたはずです。
律は、サンガ全体を守り、修行者個々人の修道生活を支えるため、考え抜かれた上で制定されているものだと思います。
ですから、わたしたちはまず律について学び、律に基づいて問題に対処していけるようになることが望ましいのではないでしょうか。
在家であっても、律の趣旨を把握しておくことは、日本に正統なサンガを根付かせるうえで大変有用でしょう。 >>663
>同じ被害者が出ないように抑止する気持ちがあればテーラワーダ全体のことを考えたり
律はもともと、それらも考慮された制度なのではありませんか。
ところで今回の事件、アリー僧の事件を彷彿とさせる。
アリー僧については、「ミャンマー アリー僧」で検索のこと。 律とか言う前に、オウムの再来になったら大変じゃないのかって
ことじゃないのかな >>666
それは悟っていないものの勝手なイメージでは?
突っかかるつもりはないんですが 覚者は欲望が無いから放っておくと食事を忘れて餓死するんだろうか....謎だ _____
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(( |:d: :♯| ((・|・)) ! 「もしや!地橋先生では!?」
ヽ: : /^ヽ、 _ ノっ _ ノ−、
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/⌒\ヽ (⌒ヽ⌒) ))
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ある程度悟ってても解脱してない人なら、外道にも沢山いる。
でもそれは仏教の定義する四双八輩ではないのでは。 >>670
なぜそんな無謀な質問を・・・
と思ったけど、わかったふりするよりは疑問を素直に口に出した方がよっぽど仏教的ではありますな。
とはいえ、自分の不勉強を棚に上げた無謀な質問には変わりない。
藤本晃 悟りの階梯
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
こちらを参照される事をお勧めします。 読み直してみると改めて気付かされる事も多い。
やはり藤本先生は碩学だな。 > 悟りの偽物を出して騙すことは、人々が正しく悟りを目指す道を誤らせる、
>最悪の罪・誹謗正法の行為です。釈尊は、ご自分が個人的に中傷されても心も
>動きませんし、放っておきましたが、仏陀の教え、特に「悟り」に対する騙し・
>ウソ偽りには、決して黙っていませんでした。人々が悟りに向かう道を邪魔する
>ことは、それほど重大な過ちだったのです。
こことか・・・もうね ただし預流者は、どんな悪業をしても、それを隠し通したり、ごまかしたりするウソつきの性格だけは直っています。
自分の悪事を正直に告白して懺悔します。自分の犯した悪を隠し続けたり、隠すためにごまかしたりウソをついたりする、
その心のいや〜な気分に耐えられないのです。
預流者はどんな悪も正直に認め、自分できちんと懺悔します。このような人は結局、素直に頑張りますし、
悪を犯しても懺悔して立ち直れるでしょうし、それほど大それた悪事もしないでしょうし、
正直だから人々から結構信頼されるでしょうと、容易に想像できます。 聖者非難したら悟れないとか悪趣に行くとか
そういうの都合よく利用してたんだな
たたりとかの脅しの類じゃないか
他の瞑想会に行けば指導者は一緒に瞑想するのに
あの人はしないのも疑問だった
いいように解釈してたけど
合宿でも一緒に座らないとか
今となっては全てあやしい ちょっとお聞きしたいのですが、マハーカルナー禅師は、
自分のことを不還果とか聖者であるとか言っていたのですか? >>679
言ってないと思いますよ。
そもそもテーラワーダ仏教の旗を掲げて自分は聖者とか不還果であるとか言ってる人がいれば
100%偽物ですのでご安心ください。 >>682
これねー。
もう直接言ってるのと同じですよね。
私が審判なら迷わずアウトです。 >>682
私は涅槃を体験しているとほのめかす
↓
涅槃は預流果になって初めて体験できる
↓
私は聖者であると宣言すると同じ 比丘の四波羅夷
4.「宗教的な嘘をつくこと(大妄語戒)」
- 正しい覚りを得てもいないのに、自ら驕ることにより「自身が仏陀である」とか
「究極の覚りを得た」とか言い、また、仏教教団である僧伽(サンガ)の和合やその
あり方を乱し、人心を惑わすような行為に及んだ場合には、その罪を得る。
更に、阿羅漢でない者が阿羅漢を名乗ることもその罪を得る。 >>682
涅槃を初めて体験する直前の「高い山の頂に薄く霧がかかった佇まい」とでもいうのでしょうか、正にあれがここにあります。
ほのめましているね。
涅槃を体験している者だからこそ「言える」と取れるね。
これは遠回しの聖者発言でしょうな。 彼の嘘の付き方には特徴がある。
・事実を編集して伝えることで、事実とはまったく違う印象を与える。
・ほのめかしによる暗示の刷り込みで人の思考を操作する。
・相手の誤解を誘発することで、間接的に嘘をついておきながら、私は事実を述べていると主張する。 彼は、傳修院参加者を2ちゃんで発言させないように仕向けていると思うが、
(発言するとマイコンとその手口がバラされるからであろうが)、それも間接
的に、善心に留まるように、などという文脈で話されているであろうことは
容易に推測できる。
これも間接的な手法による操作。 よくよく考えたら袈裟を着て比丘だって言い張らなければ
アビダンマに詳しい在家の原始仏教実践家って事で
女犯だとか聖者の騙りだとかで誰にも非難受けなかったのかもね
なんでわざわさそんなリスク負ってんだろうな そういや盗まれたとか騒いでた機材とか車とかどうなったの? >アビダンマに詳しい在家の原始仏教実践家って事で
実践してればね。 >>690
地橋さんみたいにね
在家であっても私生活で問題起こすと指導者としての説得力は落ちるけどね
地橋形式でやるには経歴が弱いのか、あるいは虚栄心が強いのかもね 大雑把な個人的感想だけど、
上座部からは向上心、道に対する真摯を感じる。
大乗からは慈悲、寛容を感じる。
いや、どちらもそれだけじゃなく厳しさも慈悲もあるだろうけど
どちらも長所ではあるが、自分を見失うと
上座部の人は、本道からズレると常に何かと闘って非難したりする。
自分に向けるべき厳しさを他人に向ける
大乗の人は他者だけでなく自分にも甘くなる
そんな傾向があるように感じる。
いや、どちらも俺なんかよりずっと立派なんだけどね >>691
機材を地下に運んだ、荷物を外部の倉庫に預けた、とブログに書いています。
倉庫に預けるほどの荷物を、新たに購入した、布施された、と考えるより、旧法友会の機材が送られてきた、と考えたほうが、自然ですね。 >>691
11月13日のブログが最初にアップされた時は、機材が盗まれた、早く返してくださいと
攻撃的だったが
指摘があったので修正したとした上で、「持ち出されたままですが」とトーンダウンしてた。
訴えるという文言もいつの間にか無くなっていたし、案の定言い掛かりだったみたいですよ。
>>696
盗まれたと大騒ぎしておいて、戻ってきたことを黙っているとしたら感心しないですね。 >>697
あくまで想像ですが、そうだとしたら、感心しないですね。
そもそも、旧法友会の機材は、彼ら、傳修院の、所有物では無いと思います。
少なくとも、私は、彼らに布施をしたのでは、ありません。
私の過去の布施した物は、布施をしたのだから、私の所有物では無いです。
でも、それが、今後、彼らに、使われるのは、どうなんでしょう。 Pāramī card!
長らく在庫切れでご迷惑をおかけしておりましたが、明日の水曜瞑想会から、希望される参学者の方々に、
新しいPāramī Card/封筒をお分けできることとなりました。明日から再び、日々の誓願をしっかり
おこなって修行に活かしていきましょう。善哉、善哉、善哉! >>697
>>698
どうやらいわゆる”旧法友会の機材”は彼らの手に渡ったようです。
>>696氏の読みは当たっていましたね。
それにしても”在庫”とか。
言葉を失いますわ。 在家なら五戒が基本ですのでそれほど問題ありませんが、比丘戒で四波羅夷罪を犯して、すでに比丘でもないのに
比丘のかっこうをして説法をしている場合はいくら、説くダンマが間違っていなかったとしても問題があります。
そのような人から指導を受け続けることはテーラワーダ仏教の破壊に協力しているようなものです。
人前では戒律厳守のふりをして、実は破戒僧であったり、仏教の教えを自分の都合の良いように正当化するために
使ったり、相手を言いくるめるために使うような人は危険ですので避けた方が良いでしょう。 ”そのような人から指導を受け続けることはテーラワーダ仏教の破壊に協力している”
新団体に通っている方々、ゆめお忘れなさいますなよ。 パーラジカなんてもんは、世の中の人間の大半が破っているわけで、
M氏のことを、ことさらにこき下ろすことには賛成しない。
あくまでテーラワーダの比丘としての資格を問うているだけであって、
彼の人格を攻撃するのは間違いだ。
私はM氏の元から、今回のことで離れた人間だが、度を越した人格的批判は気分が悪い。
受けた恩には心から感謝している。彼には卓越した指導力と、精緻なダンマに関する知識があった。
ただ、惜しむらくは女性に対してだらしなかっただけ。
彼を全否定して、お釈迦様のダンマまで否定してしまう人が出ることを危惧している。 >>703
世の中の人間の大半は仏教の出家者では無いですよね? >>703
もちろん在家であればここまで非難しませんよ。
法律的な犯罪行為を行ったなら別だけど。
でもこの人、出家者しかもパオ長老から直々に秘伝を授かった選ばれし者という触れ込みでやってますよね?
>彼を全否定して、お釈迦様のダンマまで否定してしまう人が出ることを危惧している。
帰依の対象は僧ではなくダンマですから、ご心配なく。
ましてや僧かどうかも怪しい人間一人のためにダンマを否定するなんてことがありますか。
バカバカしい。 根拠もなしに批判をすれば、それは悪口でしょうが、
批判されるような事がある場合に批判が出るのは自然なことではありませんか。
単に事実を述べることは、悪口とは言わないはずです。
悪口だと決めつける前に、まず、その批判内容が事実なのかどうか確かめる。
そういう健全な姿勢が大切だと思います。 傳修院に道場開きの日に行ってきた人のブログ記事みつけた。
禅師の信奉者でも否定派でもなく、中立的な立場で書いてあるから参考になるかも。
結局この日も、まったく身に覚えがない、寝耳に水という話をするだけで
疑いを晴らせるような具体的な話は無かったっぽい。
そのわりには、HPには犯人を部外者2名・スタッフ8名と断定し
彼らの事情も知っていると書いていますから、本当に不思議ですよね。
http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/8980664.html いや、いや。
私は悪口が良いの悪いの言っているのではありません。
比丘としてのM氏には、悪口言っていただいて結構です。
ただ、「人として」のM氏に悪口を言う資格が、一体あなたにありますか?と言いたかっただけです。 やってることが犯罪すれすれだったら、言われても仕方ないと思いますよ。 あの解散の仕方ね。
ただの破戒じゃあ、あーはならない。 だーかーらー、そこを言っているんじゃないですよ。
いわばバランス感覚。
聖者だとかパオ修了者とか言って持ち上げていた人たちが、今、「騙された!」と騒い
でいるんですよ。
アホですか?と言いたい。
麻原を盲信するオウム信者と変わらないじゃないですか。
当たり前のことだけど、彼も煩悩に翻弄される一人の人間だったわけで..。
でもそれって、普通のこと、当たり前のことでしょう?
だったら、慈悲の気持ちも湧いてこようってもんじゃないですか。 確認はしています。
世間的には男女間の問題はそれなりに公正に裁かれますが、今回は男性が比丘という立場であったために、一方的に悪者になってしまった。
まあ、仕方がないでしょう。
でも、比丘として彼を非難するにとどまらず、人として彼を非難するならば、「ちょっと待て!」と言いたかっただけです。
そういう事例です。 それだけだったら、こういう問題にはならなかった。
それだけじゃないから問題だったんですよ。 人として避難している人なんているかなぁ
もし本当に経歴詐称しているのだとしたら、そもそも何故指導者になろうと思ったのか、そこからして怪しくなってくるし、皆怪しんでいると思いますよ
だからこそ、きちんと説明してほしいと思っているのではないですか?
こんなこと言いたくないですが、初っ端の動機は麻原のほうがよっぽど純粋だったのでは >>703
仰ることは部分的に共感致します。
私もご指導頂いた者でありますので、その報恩の念はあります。
ただ、ご指摘の「度を越した人格的批判」が具体的に何を指すのか、明確にされたほうがよろしいのではないかと。
また、「卓越した指導力」があったとは賛同しかねるところです。
本当にそれがあったのならば、このような事態を招いていたとは思えません。
M氏は「女性に対してだらしなかっただけ」ではなく、明らかな嘘を付いている点において、五戒すら守れない破戒者です。
その様な人がお釈迦様のダンマに詳しいからと比丘を騙り説き続けていれば、ダンマを辱める行為に他ならないのではないでしょうか。
仰るようにM氏が「精緻なダンマに関する知識」を備えている事は同意します。
しかしそれだけに、M氏が潔白だと主張し続けている限り、事情を知らず、ダンマを教わるに適切な指導者だと勘違いする人がいる事でしょう。
そちらの方がより危惧されるべき事態ではないでしょうか。
ことダンマにおいて、間違っている事を間違っていると指摘する事は仏教徒の取るべき態度だと思われます。
M氏が己の過ちを認める事のない限り、批判は続くのではないでしょうか。
私のM氏への報恩の念は、ダンマを辱めるような愚行を止め、正しい生き方をして頂きたい、という思いに尽きます。 >>715
つまり、不倫をしてたったてことは確定なんですね?
では、元スタッフが被害者がいることを匂わせていたのはなぜですか?
合意の上の男女関係ならば、被害者という発想にはならないですよね?
その他の疑惑はどうですか?
パオの看板を黙って降ろしたことについては?
今でもパオの継承者であることを匂わせるツイートしてますよね。
それと、ほとんどが比丘としての彼を批判しているのであって
人としての彼は批判していないと思いますよ。
具体的にどのレスの事を言ってます? 女性問題について詳らかに知りませんので、不用意なことは言えません。
問題発覚後にM氏がとった対応は、保身の為の嘘や論点のすり替えが目立ちました。
まことに残念で、失望しました。
私のコメントに「火消し」以外の意味はありません。こういうところに書き込んで、皆さんがご自身の心を汚していると感じましたので。
かく言う私もまた同様ですので、この辺りで退散したいと思います。皆さんが平安でありますように。 不倫していたなら問答無用ですな。
仏教を持ち出すまでもなく極悪だろ。
死後は地獄ね。 女性に対しても、サンガ破壊や聖者誹謗の悪業による来世の地獄行きの話等で精神的に縛りをかけたりして、やってることが結構悪質。
そしてそれが複数。
その状態で表向きの態度があれ。 >比丘としてはやってない。
これはこういうこと。
破壊行為の前に、「私は今から比丘じゃありません」と
やってから、外に出る前にまた今度は
「今から私は比丘です」とやって、
「(比丘としての)私は潔白です」と言ってるだけ。 「この辺りで退散したいと思います」と言いながら、最後にもう一言。
オウムを批判的に飛び出して別組織を作った上祐史浩氏は、その教義から「カルマ」や「輪廻転生」をかなり希釈したかたちで布教しています。
彼の新組織が良いか悪いかは別として、「カルマ」や「輪廻転生」の教えが、如何に麻原によって悪用されたかを知悉する彼の反省に立ってのことだと思います。
仏教の教義が捻じ曲げられ、カルト化する恐れがあるとすればこの「カルマ論」とそれから、修行の進み具合による序列化・ヒエラルキーの形成ではないでしょうか。
「最終解脱者」に、「俺の言うことに従わないと地獄に落ちるぞ」と言われると縮み上がって何も言えなくなり、ついには殺人でもテロでもしてしまうロボットになる。
くれぐれも気を付けたいものです。 なるほどね。恐怖、罪悪感を利用されると奴隷になってしまうんだね。 >>721
>女性問題について詳らかに知りませんので、不用意なことは言えません。
あなたのこちらの書き込みだと、女性の方にも非があったと読み取れますよ。
ですから、てっきり事情をご存知なのかと思った。
>世間的には男女間の問題はそれなりに公正に裁かれますが、今回は男性が比丘という立場であったために、一方的に悪者になってしまった。
女性の方は在家でしょうから、女性にも非があるとすれば
不倫か女性の方から禅師を誘惑した場合ですよね?
(そうであったとしても、禅師に情状酌量の余地はないですが)
詳らかに知らないにもかかわらず、女性の方にも非があるかのような
言い方をするのはよくないと思います。 >>721
テラワーダの比丘は、どんなときにも、女性と 1:1 になっては
いけないのだから、女性が誘惑したとしても、それに乗ったら、
アウトでしょ。テラワーダの比丘は病気の時、女医さんさえ
お断りするぐらい。地獄がどうのこうの、在家を脅すのは最低。 禅師の法話も、アビダンマの講義も素晴らしかったです。受戒の儀では、心が洗われ身の引き締まる何とも言えないおごそかな雰囲気に包まれました。
禅師の笑顔、物言い、立ち居振舞い、どれをとっても、その全てが、禅師はダンマに従って生きていらっしゃる、と感じずにはいられないものでした。
だから私は、破戒がどうとか、そういう事よりも、失望感が強いです。
いくらダンマを語れても、いくら高位の禅定に入れたとしても、それと平行して人間性が良くならないのなら、修行って何なんだろうって思います。
確かS長老の本に、知識の理解だけでも預流果に達する事ができると書いてあったと記憶しています。じゃ、禅師は?知識で三結が取り除かれてたら、預流果もあり得るんでしょうか。
なんかもう、訳がわかりません。 >>729
タイの日本人比丘、アチャン・カウェサコは38年間
修行して62歳で還俗、電撃結婚しました。
タイ人がどれだけ失望したか・・・。一か月程、タイの新聞、
一面記事を賑わしたものです。
私も、結構多くの僧侶に失望して、あいそをつかしましたけど。
結局、自分のレベルが高くないと、レベルの高い
僧侶に出会えないってこと。僧侶に依存せずに、
毎日の修行は、こつこつやればいい。儀式の雰囲気
なんてその場だけのものだし。
僧侶に依存しているとカス掴むよ。 >>730
あっ、そうか!
自分のレベルに見合った出会い。なるほど、目から鱗というか、自分の傲慢さに、恥ずかしい思いです。
気づかせて下さって、有り難うございます。なるほど、仰る通りです。 >>731
タイの僧侶、アチャン・チャーは阿羅漢だと言われていたけど、
ご自身は阿羅漢といわれるのを嫌っていた。
「私は森の一本の木。森の木自身が、大木ならいいとか、
小さいから嫌だとか、思う訳がない」と。
本物の聖者は淡々としている(と思う)。
ヨルカだからって、どれだけ偉い?
自分がなってみれば分かる。 >>728
彼の言い分では、自分はテーラワーダというより、原始仏教、つまりお釈迦さま直説の
仏教をやっていて、そこにはテラワダが定めるような細かい戒律などなかった(だから
戒律に縛られる必要はない)、という主旨のことをよく話している。
また、筏の喩えを用いて、すでに渡り終えた人に乗り物は関係ない(だから戒律に
縛られる必要はない)とも話している。
100歩譲って仮にそうだとしても、彼が表向きに言っている事、やっていることと
彼自身が行っていることの間には、かなり大きな開きはある。 テラワダじゃないんだ、原始仏教なんだ。
お釈迦さま直説の仏教なんだ。
わたしはアリヤで比丘なんだ。
と、こういう風に袈裟をきた姿で言われると「そうかな」って思ってしまう人
が一定数必ずいるってことでしょう。
でも、嘘ついてる時点で五戒も破ってますからね。 >>733
マハーカルナー教の開祖ですね。
最初からパオの名を騙らなければよかったんでしょうけど。 実際に何があったのか
彼が何をしたのか
誰も知らないわけでしょ? 今回の事件には、複数の<被害者>がいる訳だ。
ということは、アリヤだからいい、原始仏教だから
いい、という以前の問題。
60過ぎたおじさんが、おごり高ぶって、
やっていい事と悪い事を、はき違えたってことでしょ。 >>733 さんの証言を裏付ける録音みたいなものがあるといいんだけど。 戒律的に、テラワーダなら許されないけど 、
俺は原始仏教だから、何やってもいいのだ!
という理論は、一種のすり替えだね。
南洋の小さな島で生まれ育った日本人が、
大きくなって日本に戻ってきて、
「あっちでは私有観念が薄かった」と
淫、盗をやりたい放題やったらば、
それはやっぱり変なわけで。
大乗の国日本で、原始仏教やるなら、
テラワーダに準じて、慎ましく、
お願いしたいものですな。 >>740
彼の言行のパターンから推測するに、傳修院の法難の回の演説で
同じような主旨のことを話しているはずですね。
ですので、同じような話を聞いたという証言は、探せばいくらでも
でてくると思います。
似たような行動パターンとしては、パーラージカ疑惑を持たれると、
パーラージカについて教学的に正しい定義を説明することを通して
話をすり替える(疑惑の矛先を、パーラージカの定義についての話に
すり替える)とか、在家やサヤレーが比丘を裁くような前例をつくっては
ならない(正統な比丘であることが前提の話)、けしからん悪業であるとか、
そういう風にすり替える。
全部パーリ語(の単語)を駆使して話すから、なんとなく正しくて高度な
ことを聞いているような感じがしてしまうのかも。 もう一つ注意して観察しておくべき点は、公衆の前では被害者を装っているということ。
法話会や瞑想会では、彼は事実無根の中傷を受けている被害者を演じているはずです。 裏では、自分は原始仏教だからテラワダの伝統に縛られないといって四波羅夷を犯しながら、
表では、テラワダの伝統と権威を笠に着て、己の行いを覆い隠すのです。 今回の事件は単純に考えた方がいい。
原始仏教でも、テラワーダでも、大乗でも、密教でも、
仏陀の教えはただ一つ。
「清浄其自心」だ。
禅師が日々、「清浄其自心」で己を律しているのかどうか、
禅師自身が、一番知っている。
誤解でパーラージカを訴えられたら、禅師には、誤解を解く
義務がある。それが「清浄其自心」というものだ。
頬かむりしてやりすごそうなんて、仏陀の教えに背いている。
因果応報、いずれ困るのは禅師自身。 >>742
自分がパーラージカを犯すときは<おれ、原始仏教>
<何やっても、自由>で、サヤレーが事実関係を
問うたら<それ、比丘に失礼>って、
サブスタだねぇ(笑)。
私はタイで、在家(私の知人)が比丘を叱りつけて
いるのを何度もみてる。比丘も「あっ、すみません」
なんて謝ってるよ。M氏は、日本人がテラワーダ
をあまり知らないのをいいことに、悪用してるんだね。 >禅師が日々、「清浄其自心」で己を律しているのかどうか、
>禅師自身が、一番知っている。
ごもっともです。
正常な神経をしていれば、そこで話は終わりにすべきだとも思います。
ところが、このスレの最初の方ですでに何度か指摘されてもいますが、
彼の感性は、もしかしたら我々とは大分違うかも知れません。
隠されていた部分が見えてくると、(精神医学?的に)けっこう危険な実像が浮かび上がってきます。
気づいた人から、すみやかに離れて、二度と関わり合いを持たないのがベターかと。
まぁ、それも含めての清浄其意というのが仏のお心なのでしょうけども。 サブスタ → ダブスタ(ダブルスタンダード)
サヤレーは、M氏を批判なんかしていないよ。
騒ぎが大きくなったから、基本的な認識を
共有しましょう って言っているだけ。
これを「自分への威嚇、批判」と感じる所が、
心の病気だっての。 >>743
>>708のリンク先の体験談を読むとその通りですね。
論点のすり替えと演技力で人を騙す才に長けているんでしょうね。 >>733 の書き込み(M氏は自分が原始仏教を実践してるという自己認知/ふれこみなので、自分は戒律による制限を受けないという論理を用いているということ)は、事実なら、M氏の内在的論理を理解するうえできわめて重要。音声記録などの形で残っていてほしい。
聞いたという証言だけでもいいが、証言者の身元が不明なままだと、信用性は落ちてしまう。 >M氏の内在的論理を理解するうえできわめて重要
もっとも、>>733 のような倫理観でさえ、彼が身近な人間を説得するために
語った内容であって、本当の彼の価値観を言い表したものかどうかは、かなり
疑わしいところがあります。
というのも、精緻なアビダンマ講義で聴衆を魅了する姿からは、まったく想像も
つかないでしょうが、彼の裏の行いは、因果律(業と業果)さえも無視したもの
ですから、このことから考えるに、ひょっとすると彼自身は本当は仏教徒ですら
ない可能性さえあります。 やや飛躍しますが、彼の本当の動機は、聴衆を魅了したいということ
ではないでしょうか。
仏陀、如来に匹敵するほど特別な存在であるところの己が、それをする
のだという、ある種の陶酔があるように見えます。 >>682
これなんかも、芸術作品を発表して観客を魅了する。
そして、そのことに陶酔するアーティストの様です。
彼自身が、自分のことをアーティストになぞらえて語っていたこともありましたし、
他にもいくつか根拠はあります。 >>751
本当に悪因悪果とか輪廻を信じているんだったら、世俗の法律・道徳にも違背するような振る舞いは普通はやらないでしょうからね。
逆に言えば、「故意に不道徳ができる」というのは「輪廻を信じてない」ということを示唆してる(うっかり不道徳をやっちゃう場合は別=輪廻を信じていても過失犯はありうる) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています