>>496

複雑繊細なものにタグやらラベルをつけて整理するのは、
西洋東洋問わずどこでもやることだ。
複雑繊細なものをパッケージ化して誰かに手渡す。

ファイルの圧縮みたいなもんよ。
受け取った人間はある特定の手順にのっとって圧縮ファイルを展開するわけだが、
つねに元のファイルと同じものが展開できるとは限らんだろう?
知というものはそういうものだ。

インドから三国時代の中国に移入された仏教もそうだったから、展開すると中国禅や浄土教になった。
中沢はフランスのポストモダンを日本に持ち込んだが、あまりにパッケージ化が過ぎて、
たとえばドゥルーズのバロック論とかの解釈が恣意的だと批判を受けた(この批判は妥当なものだった)。

しかし、展開の過程で別なものが生まれることもある。
オリジナルと違ったものが展開されたからと言って、オリジナルより劣化しているわけではない。
別のものと受容すればよいのだ。

「ロマン主義的な青年の思想」というのは、中沢が好むゲーテに呼応したもので、
別に悪口でも何でもない。
中沢の複雑さをじゅうぶんに加味しているとオレは考えるがね。
ちゃんと読んでる人間でないと出てこないコピーだ。
こう書かれたら、むしろ中沢本人は喜ぶであろうよ。
若々しさを貴ぶひとだからね。