中央大学から多摩美大に移って芸術人類学研究所を開所したとき、
中沢の講演を聞きに行ったな。
あのときは「もうぜったい失敗はしません。失敗のしようがありません」と冒頭から言っておったよ。
いささか唐突な発言で、若い聴講者はわけがわからんかったかもしれん。

中沢は、自分の思想をそのまま安易に社会で実践するとえらいことになるということを体感したからな。
やはりクッションを置かねばならないと考えたわけだろうね。
中沢の考える「芸術」とか「経済」というのは、
思想を実践するために必要な「あそび」「余裕」「間」であろうと思う。
カイエソバージュシリーズは、そういうスタンスで書かれていると思うがね。

まあ、まだ未成熟だったころは中沢の本には希望を感じたもんだ。
そういう意味で元オウムくんにシンパシーを抱いてしまう。
わからなくもない。
しかし大人になって、要するにすれまくってしまって、金勘定ばかり達者になると、
中沢の思想も「おはなし」みたいに思えることがある。
悪い大人になったということだ。
初期衝動は大事にせねばなるまいよ。