岩波講座東洋思想のチベット仏教の巻で、中沢新一がしっちゃかめっちゃか叩かれてたのを読んだことがあるな。
カギュ派かなにかの論考の注釈でだったけれども。
「チベット仏教であればなんでもよいというのは学者として頭がおかしい」的な。

「なんでもよい」というのは、思想としての質がよいとかわるいとかそういう意味もあるし、
現代社会にそっくりそのまま使える的な安易な思想の使われ方を指してもいる表現だったと記憶している。
刊行時期はニューアカ末期だったと思うが、初期中沢批判はここに尽くされておるだろうな。