チベット仏教では、クンダリーニヨーガ的な行法と、禅的な悟り、がうまく統合されている。。

ただ、智慧的な面で言うと、禅には敵わんと言うか、ニンマ派の経典とかは、未熟だな〜、と思ってしまう、中沢さんには悪いが、彼の訳したものとか読むとね。。

だけど、カギュ派だったか、マハームドラー系の本とか、トゥルンパ師の本とか読むと、すげえなとか、感心したこともある。。

まあ、最後に虹になることを目指すのと、闊達な智慧の発露みたいなものを重視するのとでは、方向性がちがうかも知らんが。。

おとぎ話的なことを言うと、ダンテス・ダイジの言うには、古代アトランティスでも、禅とヨガを統合した修行体系があったという。。

悟りを、実際に活かす、と言うことを考えるなら、禅で悟ったものも、ヨガやったら、もっといろんな微調整が効き、パワーも倍増して、みたいなメリットもあるんではないか、とも思うが。。