2002年(主日A年) 3月3日 四旬節第3主日
出 17:3〜7  ロマ 5:1〜8  ヨハ 4:5〜42

「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。 今がその時である。」(ヨハ v.23)

ことばの典礼においてキリスト御自身が福音を語られ、感謝の典礼において (御自身の代理者である司祭によって) キリスト御自身が過越のいけにえの会食に信者を招いてくださるミサこそが、
すべてのキリスト教団体を貫く 「まことの礼拝」 なのだということを、今朝の福音書から私たちは学ぶのです。

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ v.8)

私たちの罪のためにキリストが御自身をいけにえとしてささげてくださったことを記念する教会は、そのことによって私たちの神に対する罪を思い起こします。
四旬節は、主の受難の出来事を通して私たち自身の罪を学び知るときでもあります。

罪とは、神を試し神と争い(出 17:7)、神の子を十字架につけた、徹頭徹尾神に対する人間の不信仰と反逆なのです。
正に神の人モーセを石で打ち殺そうとしている反逆のただ中で、神は御自分の民イスラエルを愛し通されたのでした。
そのように主イエスの十字架に至る道は、罪のただ中にある私たちへの愛の苦難の道でありました。
ですから私たちは、このことを深く理解しましょう。
「実に、ミサの中にキリストにおいて世を聖とされる神の働きの頂点があり、また人々が、神の子キリストによって父にささげる礼拝の頂点がある。」(ミサ典礼書の総則 第一章 1)

・・・・・ 以下、本文参照。
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