主の祈りについて
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天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳) >>1
これ、日本基督教団の方が歯切れがいいな
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは皆をあがめさせ給え
御国を来たらせ給え
御心の天になる如く地にもなさせ給え
我らの日曜の糧を今日も与え給え
我らに罪を犯すものを我らがゆるす如く 我らの罪をも赦し給え
我らを試みに合わせず 悪より救いいだし給え
国と力とさかえとは限りなく汝のものなればなり アーメン 『誓ってはならない』
★マタイによる福音書 05章 33節
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、
『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と
命じられている。
***** 感想 *****
これは旧約のモーセの律法を指しているようです。 ここでイエスが言っていたのは、以下の箇所の聖句では
ないかと思われます。
★民数記 30章 03節
人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、
その言葉を破ってはならない。
すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。 ★マタイによる福音書 05章 34節
しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。
天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
***** 感想 *****
イエスは「そもそも誓いを立てるな」ということを言います。
さて、ここからイエスは◯◯にかけて誓うな、と言い続けます。
まずは、「天」についてです。 「天は神の玉座だから、天にかけて誓うな」ということのようです。
どういうことかというと、
「天はお前の所有物ではないだろ?」ということのようです。
次々と、この論法でイエスの説教が続きます。 ★マタイによる福音書 05章 35節
地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。
エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
***** 感想 *****
地も神の足台だから、そこにかけて誓うな、とイエスは言います。
エルサレムは大王の都なのだから、そこにかけて誓うな、とイエスは言います。
さて、それではいったい、人間には誓うべきものとして
何が残されるのでしょうか? ★マタイによる福音書 05章 36節
また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。
髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
***** 感想 *****
自分の頭にかけて誓ってもいけない、とイエスは言います。
結局、自分の頭であっても、その人の所有物ではないのです。
人の頭について、所有権があってコントロールしているのは神というわけです。 ★マタイによる福音書 05章 37節
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
***** 感想 *****
「誓い」というのは、誓う人が「このことを絶対にやる」と
宣言することに他ならないと思います。
しかし、何事においてもそうですが、神の許しがなければ
人は何も成し遂げることが出来ません。 ★マタイによる福音書 05章 37節
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
***** 感想 *****
この聖句の意味は、案外わかりにくいです。
人が行うすべてのことは、『然り、然り』『否、否』です。
どういうことか、解説します。 人は、様々な局面において、
常に何らかの選択を迫られることになります。
そして、その選択肢のうちの一つに『然り』と選択し、
それ以外のものは『否』という選択をするのです。
生きているということは、選択することの連続になります。 その人がどのような人生を送るのか、についてもそうですし、
その人が大物になれるかどうかについてもそうなのですが、
これは、その人がおこなった数々の選択の結果ということになります。 自分の肉体でさえ、自分の所有物ではないということです。
人が何かにかけて、誓うということは出来ません。
価値があると思われるものは、ことごとく自分の所有物ではないからです。 以上です。
また気がむいたら、別の「山上の説教」にある
イエスの言葉についても書いてみるかもしれません。
では、またね。(^^)/ 人の罪を赦すことが出来るのは神だけ、という間違った考えが
教会内にも存在することについて、かつてこのスレで指摘しました。
この考えが間違っていると言える根拠は、もちろん聖書の聖句です。
人の罪を赦すことが出来るのは神だけだと考えている人は、
ぜひ、次の聖句をご覧になってみてください。 ★ヨハネによる福音書 20章 22〜23節
彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 人には、人の罪を赦す権限があるようです。
イエスによれば、
「あなたが他者を裁くその秤であなた自身が裁かれる」
ということになっています。
ですので、他者に対して、その罪を赦せば赦すほど
その赦した人も同様に罪が赦される、ということになります。 ですから、このように考えることもできます。
他者に対して、その罪を赦すということは、
自分自身に対して、その罪を赦しているのと同じです。 グノーシスの教え
永遠の愛を誓う若い男女も時がたてば愛は冷め、中には憎み合い別れる者までいる。
地に誓ってはならない。そこは無常だからだ。天に誓ってもならないそこもまた無常だからだ。
あなた方がいくら永遠の若さを願い求めても、髪は白くなり老いさばらえる。それと同じく
貴方方の心もまた無常なのだ。無常なものに誓いを立てたところでそれは偽りである。
だから貴方方はただ、是なら是。否なら否とだけ言えばいい。
わかったかい?ネトウヨのダニエル君。 ネトウヨがイエスの弟子でありたいなんて、悪い冗談か? >>148
いつまでも2ちゃんねるに粘着してるキモいやつ。 >>148
お前みたいなやつは、一日中キムチでも食ってろ。 建設的なことを書けずに、他人に2ちゃんねるで嫌がらせするくらいしか
できない、哀れなやつ。
一生、2ちゃんねるでもやってろ。 「天にまします『我らの』父よ」
イエスは、「神の『独り子』」などではなかったのであるw。 >>150
おぉ、もっとやれ。民族憎悪は楽しいだろ。エゴのいいエサだからな。
エゴの命ずるまま、どんどんお前の霊を腐らせろ。お前も聖書に親しんでいるなら
イエスの説く隣人とはどういう人か知っているだろう。お前は隣人に石を投げる人だ。
ネトウヨが悔い改めず、イエスの弟子でいたいなんて何の冗談だよ。 >>151
建設的な話は随分書いてるけどな。そしたら決まって君と同類項の人が、
お前の話など誰も聴いてない。あげくに出て行けと始まるんだよ。誰も聞いてないのは
お前の話なんじゃないのか。ま、君らはあのヘブライ人と同類項なんで
ある意味仕方ないと思うけどね。 日本人は特別です。日本人だったうんぬんかんぬんと、
ネトウヨの幼稚な自画自賛を聞いてたら笑けてくる。アホ丸出し。
精神性に関しては国際社会の日本人の評価は正反対なんだけどな。
もちろん日本人にも人格者はいる。全部が全部そうだとは俺は思わない。
だがネトウヨは間違いなく精神性が低い、ある種の病気だろ。
国際社会が問題にしている慰安婦問題は、あくまで女性の人権問題な。
ペテン師吉田の強制連行の証言が嘘だから、慰安婦問題は無かったことに
してしまえるネトウヨの思考回路は意味不明。中国側のプロパガンダの数字が水増し
されてて実際の数が合わないからと南京虐殺事件そのものまで無かったことに
してしまえるネトウヨの思考回路は意味不明。君らが詭弁でどう正当化しようとも、
他の先進国から歴史認識問題で日本の味方はいないのはなぜなのかよく考えてみよう。
先天的な人格障害のネトウヨにいくら言ってもわからないと思うけどさ。 どこの国の出身だとかはイエスに対する信仰においては、もはや
意味はありません。
そんなことに、いつまでも囚われているから、グノーシスみたいな汚物にまみれて
喜んでいるわけです。 とにかく、>>155 は悲しいほど、致命的なほど信仰についてのレベルが低い。
まず自分自身の持っている、おかしなコンプレックスとか劣等感を
捨てることが出来なければ、無垢に神を信じることなど出来ないですよ。
あなたに親切にする必要もないので、これ以上は書きません。
後は、あなた自身が、その考え方を改めて、生活するかどうかです。 >>156
どこの国の出身だからに囚われているのはお前のほうだろう。
92 名前:ダニエル ◆o31oshrvYE [] 投稿日:2014/06/12(木) 20:36:35.03 ID:ftZPpR/0 [1/2]
>>74
>どこが人のせいにしてるんですか
>罪深い人ばかりだと述べただけですよ
人のせいにしてるじゃないですか。
日本人は、人から優しくされなくて怒るのではなく
自分がまず人に優しくするべきだと考えますよ。
人のことを「罪深い人ばかり」だ言うのではなく
自分も罪深いのだから人のことを悪く言うのはやめよう
と考えますよ。
あなたにはまったく、そういう考えがないじゃないですか。
人のせいにばかりしているのはなぜですか?
日本人にもいい人はいれば悪い人もいる。韓国人だって同じ事。
あのよ、日本人だったらこう考えるじゃなく、そこは、まともな人ならこう考えるだろ。
日本人だったらこうするこう考えるなんて幼稚な自画自賛のネトウヨ脳は笑えるとこだ。
自分も罪深いのだから人のことを悪く言うのはやめようといいながら
当該スレのスレ主のこと暗に悪く言ってるよな、おまえ。ちゅうかおまえ。別のスレで
ネトウヨだって指摘されたら、即効で自分のプログの政治的な記事は差j駆除したよな。
あれは笑えたよ。ネトウヨ。 >>157
おかしなコンプレックスとか劣等感をって、妄想は楽しいか?
民族としてそう思ってると思ったら大間違いだ。実際韓国人のほうが
日本人より優秀だと思うよ。ただ近代化が遅れただけだろ。
日本はメーソンノの後ろ盾でアジアの中で近代化が早く進んだだけ。利用されてるだけだけどな。
明治維新の影にメーソンが噛んでたのは公然の秘密だし。
実生活でもそれなりの生活させてもらってるんで俺は自分の能力に対してのコンプレックスもない。
もちろん容姿に対してもだ。なんで俺らが帰化しないと思う?日本人にはなりたくないからだよ。
民族的なものでコンプレックス持ってると思っているなら勘違いもはなはだしい。
ちなみに日本人は民族浄化の対称だよ。それはモンゴロイド全般だけどな。
朝鮮人は少し違ってな、プロトヨーロッパ族なんだよ。多くのモンゴロイドはキリスト教を
受け入れなかったが、唯一朝鮮民族だけは宣教師が来なかったにもかかわらずキリスト教を
選択した。にもかかわらず、隣国の過ちをいつまでも許さず裁き続ける
韓国人は間違いなく裁かれるだろうけどな。福島の事故は偶然だと思うか?偶然だとして
なぜ神はそれを許した。なぜ守らない。2年ほど前から日本の人口は急激に減り始めている。
放射能の因果関係は全くないと思ってるのなら誠に御目出度い。アメリカはドイツが
脱原発に動いても口を挟まないが、日本には口を挟む。利権の構造の枠に嵌めたら平気で
国民の命を差し出す日本人の指導者達。これで滅ぼされたって自業自得だわな。
神が約束した次の時代は、白人種とその亜種しか残らない。救われる人々の足を引っ張る旧い世代の
精神性の低い民族は、次の時代にいてもらっては困るってさ。残念だったね、ネトウヨ君。 なんだ、バカラスはこんなところ荒らしてんのかw
カラスよけのネットでも張っとくしかないのか。困った害鳥だな。 集団的自衛権の行使容認に喜んでるネトウヨは馬鹿丸出し。あれアメリカに言われて
やってんだよ。民族浄化作戦の一環としてな。アフリカ大陸にはエイズの蔓延と、エボラ出血熱。
俺には民族浄化作戦が粛々と行われているような気がしてならないんだよね。
グノーシスの一部の文献には明確に業報輪廻転生が説かれている。自分が今どの民族に属していて、
今の自分の属している民族が民族浄化の対象だからと聞いて頭に来るものはなにも分かっていない。
人は業に従って輪廻転生しているのなら、次はどの民族に生まれるか分かったものじゃない。
だから自分は日本人だからと民族意識に執着するのは愚かなことだ。むしろ民族意識の執着はエゴイズムを
生み、あなたを滅ぼすだろう。俺は韓国人も民族浄化の対象だとしてもなんとも思わない。
次の時代の恩恵には預かりたいとは思うけどね。まさに神よ、僕を見捨てないで下さい。だな。
彼の子羊は誰に言われるまでも無く彼の言葉に耳を貸す。グノーシスをよく知りもしないでグノーシスを
忌み嫌う心理が意味不明。君ら本能的にグノーシス嫌ってるだろう。俺はトマスの福音読んだ時、ビビビっと
来たぜ。 イエスの弟子でいたい。イエスを愛している。僕は真理を求めているといいながら、
民族憎悪の炎を燃やし、それを悔い改めようともせず、イエスの教えと反する事を愛し続けていながら
自分の異常性に気付かないのは、何かの病気だと思うよ。 このあたりのカラスがいたずらがすぎる。
みんなの嫌われ者。 >>164
実際そうだろうがよ、ネトウヨがどの口で僕はイエスの弟子でいたなんていえるんだよ。
ここのスレ主は、俺には親切にする必要がないといった。聖書のサマリア人の話は、要は好き嫌いの分け隔て無く
万人に平等な愛を示す人が貴方方の隣人ですよとイエスが教える話だ。そして最後に、行ってあなたも同じようにしなさいと
イエスは命じるわけだ。そのお教えに背き、全く聞く耳を持たないで民族憎悪の炎を燃やし続けるここのスレ主は
おかしいだろうがよ。大体悔い改めようともしないネトウヨが、イエスの弟子でいたいなんてしたり顔でいってること自体
異常なんだよ。ネトウヨのアホみたいな自画自賛を聞くにつけ、わらけてくるのは万国共通だろ。幼稚な自画自賛は
アホ丸出しなんだよ。 2chを見てみろ。匿名の陰に隠れては陰険陰湿な牙を剥く日本人の本質を見て取れるだろう。
まともな神経してるなら、とてもじゃないが日本人を自画自賛できないぜ。口汚くヘイトスピーチを繰り返しながら
日本人の美しい心を世界に誇りたいなんてネトウヨの発言はよく見かけるが、ここまできたらキチガイだろ。
民族憎悪の炎を燃やし続けながらイエスの弟子でいたいなんて平然といいのけ、自分の負の感情を悔い改めようともしない
ここのスレ主といい、君らは先天的な人格障害を疑ったほうがいいとお思う。ここのスレ主は我の強さ故、敵が多い。
その中でも庇う人がいた。でもここのスレ主はその人に石を投げた。ここのスレ主はイエスの弟子でいたいといいながら、
平気で隣人に石を投げる人なんだよ。ま、私=エゴが神の名なんて言ってるトンデモさんだから仕方ないんだろうけどさ。 また地上げ屋が暴れてんのかw
カラスよけネット張っとこう。 >>168
>「私=エゴが神の名なんて言ってるトンデモさんだから仕方ないんだろうけどさ。」
一応、説明しようと思います。
「神のエゴ」は「絶対善」です。わかる人だけわかればいいと思いますので
詳しくは説明しません。
一方、人のエゴについては仏教系の宗教では否定するべきもののように認識
しているケースが多いのですが、これは、まったくの間違いです。
未だかつて、エゴを消した人物などは存在しません。
仏教とか唯識とかいうものは、脱我を言うので、これは間違っているわけです。
そんなことが出来る人はいないからです。
彼らは自分でわかっていないことを偉そうに言うことが得意です。 人は誰でも生まれながらに「エゴ」とか「我」を持っています。
自我とかエゴを抹消しろ、という馬鹿な仏教が多くあるのですが、こうした教えは
すべてがインチキですし、何もわかっていない人が発した教えです。
こうした教えは、なんとなくもっともらしいので、多くの軽薄な人が
こうした教えに心酔し、そして何も出来ないままに一生を終えることになります。 聴く耳のある人だけ聴いてください。
今、ここではっきりと書いておきます。
イエスは「自我を抹消しろ」などという馬鹿げたことは
一切、教えていません。 僕らクリスチャンがすべきことは、自我の方向性を変えることです。
丁度、ラジオのチューナーで周波数を合わせるように、
自分自身のエゴの方向性を、神のエゴと一致させることなのです。
自己のエゴを捨てるのではなく、神のエゴと一致させるのです。
仏教には「創造神」という発想がないので、どうしても自己のエゴを捨てる、
という説明しかできません。これが多くの誤解を今日に至るまで産んでいます。 次のイエスの言葉を、じっくり味わってみることは
こうしたことに、何かのヒントを与えてくれるものと思います。
じっくりお読みになってみてください。
■ヨハネ5章19節
そこで、イエスは彼らに言われた。
「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。
父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 自意識の質を変えようということですね。主にあって。 話が次に言っているようだが、その前にしておくべきことがないだろうか。
>>147-159
ダニエルさん、カラスの唄氏のこの指摘は大事な点ではないのか。
政治的な問題は、各国ともにあるだろうし日本もあるだろう。
そう言った範囲なら、指摘されないのではないかな。
やり取りで、キムチと言ったね。
ああ、それだったのか、と思いましたよ。
ダニエルさんの他民族に対するその感性に異様なものを感じ取った人が
指摘してくれているのではないか。
こういう事を飛ばして、クリスチャンのすべき事もなにも・・・
それ以前ではないのか? >>174
カラスさんのことは何も知りません。
彼が在日なのかどうかも持ちとん知りません。
彼がこちらを「ネトウヨ」だとdisってきたので、
そういうことをするのは在日が多いと聞いていたので
こちらの挑発に引っ掛かって、正体を白状するかなと思って
カマをかけてみただけです。
結果、彼は自分から在日だとか、日本人になるつもりはないとか、
こちらが聞いてもないし、興味もないことを書いてきたわけです。 >>174
>ダニエルさんの他民族に対するその感性に異様なものを感じ取った人が
>指摘してくれているのではないか。
まあ、勝手にレッテル貼りをすればいいじゃないですか。
あなたもカラスさんと同じような人なわけです。
僕はユダヤ人以外は大したことはないと思っているので
日本人だろうが、何だろうが、つまらない民族どうしで
よくもまあ言い合いが出来るものだと呆れているだけです。 聖書よりも、自分のこと(民族も含め)を誇りたいような人は
ここのスレには似つかわしくありません。 聖書に関するご質問を受け付けます。
ご遠慮なさらずに、
「こんなことはわからないだろうから恥をかかせても悪い」などと
思わずに、ご質問ください。
あるいは、自分はこう思うがどうか?といったことでも歓迎します。
ただし、聖書を読んでいない人、神を信じていない人からの
投稿は歓迎しませんので、ご了承ください。 >>176-177
?????????????
>>175
なんの経過もなしに突然、「ネトウヨ」と言ったというのは、
不自然ですね、ダニエルさん心あたりは、何もありませんか??? ユダヤ人はあくまで偶像。
ヒトラーと変わらない思想の持ち主は○○さんですね? >>179
>なんの経過もなしに突然、「ネトウヨ」と言ったというのは、
>不自然ですね、
それはカラスさんに聞くべきだと思います。
在日の人は、自分たちにとって都合の悪いことを書いた人を
「ネトウヨ」と書いてdisるそうですから。 >>179さんに警告します。
これ以上、くだらない汚物みたいな話題にこちらを誘い込むのは禁止します。
あなたが書いているような内容は、こちらから見れば汚物に等しいほど不潔なのです。
あなたにとっては普通のことでしょうが。 汚物好きの人ではなく、
聖書が好きな人のためのスレですので
汚物好きは、ここには近寄らないように願います。 >>181
日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。
それは、さておき、
自分の都合の悪い事を書いた人をとありますが、
在日の人が都合が悪いと感じるような事を
はたして聖書の話で、出るでしょうか? >>184
>在日の人が都合が悪いと感じるような事を
>はたして聖書の話で、出るでしょうか?
何が在日の人にとって気に入らないのかは僕にはわかりません。
あなたがよく知っているのであれば、まずそれを書いてください。 >>182-183
ダニエルさんもカラスの唄氏もよく存じないが、
聖書を大切に多少なりとも思っている自分は、かえって
>>147-159
>ダニエルさん、カラスの唄氏のこの指摘は大事な点ではないのか。
と尋ねたのだが、おかしい事か? >>186
自分ばかり、こちらに答えさせようとしないで、
まず、こちらの質問にも答えてください。 こんな馬鹿げたことでスレを消費するのは、本当に遺憾ですわ。
>>186 みたいな人にとっては、他人を貶めることの方が、
僕が先に書いた、「自我」についての指摘よりも、関心があるとは情けない。 >>185
うん?
いや、ダニエルさんがそういったのだ。
それで、聖書には在日の人が都合悪く感じることが書かれてあるのかと、
聞いたのだよ。 もし、ここを見ている人のなかで
僕に質問したい人がいるならば、なるべく早くご質問ください。
いつまでお答えできるかわかりません。 一番大切なものは「命」です。
「命」とは、「永遠の命」です。
議論をしたいのではありません。
少しでも多くの人に、希望を見出してほしいと思っています。
そのために僕の得たことが役に立ってほしいのです。
いつまでも2ちゃんねるにいるとは限りません。
ですので、早急にご質問をお願いいたします。 >>188
貶める?
何も経過なしに、突然「ネトウヨ」は腑に落ちませんが、カラスの唄氏が
ここを今読んでないなら、聞けないし一端この話は横に置くこととする。
>>191
議論をしたいのではない、多くの方に希望を見出す役に立てばだな。
聖書は、現実に役立つものだと自分も考える。
(だから、二人のやり取りが大事であると思ったわけだ) 質問させてください。
出エジプト記3:14は神がモーセに向かって自己開示された節だと思います。そのなかに
こうあります。
「わたしはある。わたしはあるという者だ」(新共同訳)
「わたしは、『わたしはある。』という者である」(新改訳)
ダニエルさんはこの神による自己開示を、どのような意味に解釈されていますか。
自分は神が率直に「わたしは存在である」と自己規定されたものだと解釈していますが、
非常に謎めいていてなかなかよくわかりません。
また、ヨハネによる福音書1章との関係については、どのようにお考えでしょうか。
よろしければお考えをお示し下さい。もちろんおおざっぱなところででけっこうです。
よろしくお願いします。 >>193
こんにちは。
>「わたしは存在である」と自己規定されたものだと解釈しています
そのとおりだと思います。
>非常に謎めいていてなかなかよくわかりません。
どのあたりがわからないのか、詳しく教えていただけると助かります。 何度か2ちゃんねるに書いているとは思いますが、
2ちゃんねるにあまり来られていない方がご質問していることもあると
思いますので、同じようにお答しようと思います。
石ころであれ、空気であり、生物であれ、それらが存在しているということは
「神」を表現していると思ってください。 すべてのもの(つまり、この世に存在しているもの)は、
神があるから、あるわけです。
このことは、あまり難しく考える必要もないし、難しく考えたとしても
極めることは出来ないように思います。 神は「神のイメージとして」人を作った、と創世記にあります。
日本語では、神のかたちに作った、と翻訳されている部分です。
つまり、神にはかたちがないようですが、神を形として表現すると
人のようになる、ということのようです。
万物の中で、一番神に近いのは人だ、ということになると思います。 「ある」ということの反対には「ない」ということがあります。
この両方が混在しているのが、この世界ということのようです。
創世記では、「地は混沌であって,闇が深淵の面にあり」と書かれています。 「ある」ということは、存在のことであって、
「ある」わけですから「永遠」と言ってもいいと思います。
「ない」ということは、そもそも神から離れたことを意味します。 ちなみに、この世界においては「ある」に従うことも
「ない」に従うことも、可能な世界なのですが、
この世界が終わる時には、
切り離されてしまうことになります。
ですから、神の側に付くのも、神から離れるのも
自己責任ということのようです。 >>194
ありがとうございます。
存在者は存在する。ただそのままのことであると解釈するべきなんですね。。
「者だ」「者である」という部分が、存在者とも読めるかもなあと思ってしまって。
神は存在であると実は同時に存在者でもあって、この世を超越しまた内在されるということかも、と。
僕は考えすぎですね。なんか滅茶苦茶ですみません。もっと素直に読みます。 >>201
意味がよくわからないのですが、神に人格(神格)があるとか
ないとかの話だったのですか?
どうして質問したいことを明確にしてくださらないのですか? 神が発言しておられるのだから
神に人格があるのは当たり前の話だと思います。
もう一度、あなたが本当にお聞きになりたいことを
明確に、意味が相手に伝わるように書いてもらえないでしょうか? 待っていましたが、返事がないようなので、
とりあえず、>>201 さんのことは忘れることにします。
他にもっと質問はないでしょうか。
なければ、別にそれでもいいのですが。 誰も質問する人がいないようですので、
>>184 さんが書いていた内容が的外れである件について
書いておこうかと思います。
>>184 さんはこう書きました。
>日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。 >>184さんは、【日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。】
という文章を、おそらく以下の僕が書いた内容に対して書いてきたものと思います。
>>176
僕はユダヤ人以外は大したことはないと思っているので
日本人だろうが、何だろうが、つまらない民族どうしで
よくもまあ言い合いが出来るものだと呆れているだけです。 >>184 さんの主張は、おそらくこうです。
「どんな民族であっても、その中には良い人もいれば悪い人もいるのだ。
だから、一概にどの民族が優れているとは言えないのだ。」
こんな趣旨だろうと思います。 神は超越的な存在とされています。
それならば神は神ご自身をも超越されますか。 この理屈というのは、レベル的には次のような考え方とまったく同じです。
「犬といっても、頭が良くておとなしいのもいれば、頭が悪くて気が荒いのもいる。
ひとくちに犬といっても、それぞれなのだ。」 「良い人もいれば、悪い人もいるのだ。」
ある特定の集団について、このように言う人がよくいるのですが、
そもそも「良い、悪い」とかいうのは、ある人から見た主観に過ぎないのです。 聖書的に見てみると、ユダヤ人とかイスラエル人と呼ばれている人たちが
人種的に特別の恵みを得ていることは疑いようがないことです。
そのことについて、いちいち、ひとつひとつ聖句を拾い上げて
実証していくことは可能ですが、僕の希望としては、聖書を読む人が、
それぞれ、ご自身にて確認する作業を行ってほしいと思っています。 そもそも、良い人が評価されて、悪い人は評価されないだろうという
考え方自体が、聖書と関係があるとは言えない考え方です。
こうした考え方というのは、おそらく日本だけでもないとは思いますが
古来から土着している一種の信仰みたいなものです。 「良い人もいれば、悪い人もいるのだ。」 と言われても、
こちらからは「それがどうかしたの?」としか言い様がないです。
もしあなたが救われたいのであれば、良い人であるか悪い人であるか
に関わらず、洗礼を受けなければなりません。
聖書を読まなければ、人がどのように生きていけばよいかについて
知ることは決してできないだろうと思います。 以上です。
聖書を読んでいない人(読んでいたとしても、
不完全にしか読んでいない人)からの質問というのは、
答えるこちら側とでは、立っている場所が既に違ってしまっています。
ですから、ある程度は聖書を読んでおられる方からの質問でないと
質問としてのレベルをクリアできないし、こちらからの回答も
質問者には何を言っているのかわからない、ということになると思います。 >>215 さんの感想以外には、感想のある者はいないのかな?
タダで、この世界で一番価値のある聖書の教えを解説してあげると
言っているのに、欲しい人は誰もいないのかな? ダニエルさんって、御自身でブログを御持ちなんでしょ?
それなら、ブログで展開なさればよろしいことを、
なぜ、わざわざ2chに出張して来てまで、行う必要がおありですの?
ダニエルさんが真面目なキリスト者だとおっしゃるなら、
今でも2chなんてしていないと思いますし、2chをしているということ自体、
御自身が不真面目なキリスト者である、ということを証していらっしゃるのだ、
ということにお気づきにならないというのは、常識的に見てもおかしいことですし、
言動不一致という点で、かなり矛盾していると思いますわ。
そのような、キリスト者としても言動不一致かつ不誠実な御方から、
私たちが学ぶことは何もございません。
どうぞ、お引取りを。 >タダで、この世界で一番価値のある聖書の教えを解説してあげると
>言っているのに、欲しい人は誰もいないのかな?
プププ それでは、そろそろ締め切りますよ。
25日まで待ってみますが、それ以降にご質問をいただいても
お答えしないものとします。 25日以降は『霊肉二元論』という考え方の不備について解説します。
これはとても重要なことなので、楽しみにしていてください。
おそらく世界でも、まだ誰も解説していないかもしれません。
まあ、聖書には書いてあることなのですが。
それが終わったら、ここのスレから離れます。 そのような解説よりも、中途半端に滞っているブログの更新をすることのほうが、あなたにとっては【最重要事項】だと思いますけど?
「それが終わったら」と言わず、今すぐ、このスレを離れて、ブログの更新に勤しむべきです。
中途半端なことをしている人の言動は、所詮、どっちつかずの中途半端です。
何をどれだけ語ろうと、中途半端なところが災いして、結局、誰も導くことなどできず、盲人の手を引く盲人となるだけです。
誰かを導けるのは、中途半端なことをしない、「本気の志」を持つ者だけです。
あなたからは、その「本気の志」が感じられません。
二人の主人に私たちが仕えることができないように、二兎を追う者は、一兎も得られないのです。
また、あなたは御自身のおごりが邪魔をして、客観的に御自身を見ることができていないようです。
私から見た感じですが、今のあなたは「自分が教えてやっているんだぞ」という上から目線で相手を見ているように思います。
誰も、そのような人から聖書のことを学びたいとは思いません。
聖書を知らない人の目線までおりて来られない、相手の立場に立てない、というのは、キリスト者として致命的な欠陥です。
そのような人が、「隣人愛」を果たして実践できるのでしょうか?
あなたは、ここまで言われても、「隣人愛を実践できている」と御自身で自負できますか?
キリスト者は、「他者に奉仕する者」とならなければなりません。
「奉仕する者」とは、「上から目線で相手の上に立つ者」とは違い、「自身を他者よりも低くできる者」のことです。
長い間、このようにして、他者より高い位置に在ろうとしてきたあなたです、「奉仕する者」の境地にたどり着くには、
これまでの倍の年数がかかることでしょう。
ですが、神様が人間を信じて待っておられるということを、私たちは忘れてはいけません。
神様は、御自身の臨在を証しするために、あえて欠陥のある人間を用いるのです。
ダニエルさんは今でこそ中途半端な言動をする御方ですが、神様によって、彼が中途半端ではない者、欠陥のない者に変えられることを信じて、
皆さんと共に祈りたいと思います。 ダニエルの愚かしさは見ている人間には明らかなのだが、
どれだけ言葉を尽くしても本人には伝わらないだろう。
端的に言えば、こいつはクリスチャンでもなんでもないのだ。 >>220
>おそらく世界でも、まだ誰も解説していないかもしれません。
かくのごとく、神学史の基礎すらもを知らないというのは実に気楽なことである。
17世紀〜18世紀のキリスト教神学が何をやっていたかを知っていれば
かくも愚かしく己を高くすることもなかったろうに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています