(つづき)
ミサで聖書が朗読されることについては、「信者に神のことばの食卓の富を豊かに与えるために、聖書の宝庫を今まで以上に広く開かなければならない」(典礼憲章 51)と規定され、そのおかげで私たちは今朝も、定められた三つの朗読を聞くことが出来たのです。
さらに会衆がそこから神の呼びかけ、神の語りかけを聞くことが出来るように、典礼憲章は 「典礼の暦に従って、聖書に基づいて、信仰の秘義とキリスト教生活の諸原則を説明する説教を、典礼そのものの一部として、大いに奨励する」
「特に、主日と守るべき祝日に、・・・・・ ミサ聖祭において、説教を重大な理由なしに省略してはならない」 と定めました(典礼憲章 52)。

私たちが今朝、マルコ福音書からの朗読を通して聞いたガリラヤ湖畔カファルナウムの会堂での人々の体験は、説教を通して今日の私たち自身の体験となります。
なぜならこの福音書で物語られている主イエスは、私たちが今朝このミサでお会いし、その御聖体に与かるイエス・キリストと同じ方だからです。
私たちも今朝、この同じ神の子イエス・キリストにお会いして、その権威ある教え、権威ある救いに驚くのです。
それが私たちのミサなのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より