アンドロメダ銀河見聞録 2
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地球でお亡くなりになった方々が、アンドロメダ銀河で新しい生活を始めているという想定のSFです。
アンドロメダ銀河には地球で生存している方々は自由に往来が可能です。
ただし、お亡くなりになられた方々は、地球に帰還できないという設定です。 総務省に直談判。
「公平に扱ってくれ」。
こんな化け物日本人にはいない。 信長を遥かに超えている。
信長は桶狭間のような大勝負は人生でただ一度だ。
孫正義は大勝負を何度も仕掛けている。 今の韓国大統領とは全くの別人だ、別世界の人間だ。
孫正義
日本人よりも、遥かな高みにいることを認めるより他ない。
日本人でも恐れおののく大勝負を5度も仕掛けている。
私利私欲を捨てなければこんな大勝負を何度も仕掛けられない。 反省をする韓国人を始めて見た。
反省と決断の連鎖。 物作りで日本の復活はあり得ないと言う。
日本復活は「頭で勝負する」。
「第2次IT革命、モバイルインターネット」。
孫正義殿、日本演歌はどうすればいいですか? これだから朝鮮民族にはかなわない。別に悪口でいっているわけではない。
孫のことをあるときはクールに、あるときは故郷の英雄のように祭り上げ、その裏でこっそり金をせびる。
これが中国大陸にへばりつき、海のすぐ向こうに日本という経済大国を望むという地政学的な悪条件の下で、
数多の試練を乗り越えてきた彼らの強さの原動力となっているのだろう。
ただ、一点気になるのは、彼らが僑胞(キョッポ、*)の歩んだ苦難に無関心な点である。
アジア一の経営者となった孫正義の光の部分ばかり注目し、その影を見ようとしないのは、虫が良すぎる。
歴史を忘れた民族は、いつかしっぺ返しにあうことを肝に銘じなければならない。
この教訓は、無論、日本と日本人も例外ではない。 公水女将、「おんなの海峡」。
ふんまか?
美人なのは良いが、な、何で、いけてるじゃないか?
そこまで攻めなくても良い、美人なんだから。
口パクで、顔だけ見せていれば良いと思うのだが。
高域をあまり欲張らずあたりの良い声だ。
ただ、昭和のバイアスがかかった歌唱テクニカルに感じる。
しかし、それは何も気にすることはない。
演歌とはそういうものだ。
むしろ、正統を踏んだ演歌歌手と言えるだろう。 公水女将、昭和の時代には歌っていたのかな?
懐かしい昭和演歌の名残を残しているようなのだが。
あー、私が昭和時代を意識しすぎただけなのかもしれない。
公水女将の美人の横顔に昭和の夕映えの残照を想像して垣間見ただけかもしれない。
突っ込み過ぎか。 冬美坊、天下人都はるみ殿下の前で「おんなの海峡」か。
泣かなくても良いんだ。
みどり坊もか、イベントは押さえている。
ここまで歌えれば文句の付けようがない。
女王石川さゆり殿下、得意なハイ上がりに持って行く。
真打ち登場だ。
中村美律子さんもか、正装でステージに立つ。
泣いているのか、詳細、繊細に歌う。
情感を込めて表現し過ぎか。
続いて、亜矢坊、ベクトルは違うはずだ。
かなりパワーを落として歌っている。
あー、演歌の守護神松原のぶえ殿下。
虹色の声、黄金のエレクトーンは、心に響く。
何を食べればこんな声が出るのだろう?
このお方も、顔からこの声は想像の外だ。 それでは、天下人都はるみ殿下に歌ってもらおうか。
とても人間技ともは思えない。
パーフェクトにプログラムされたAIが歌っているようだ。
ステージの振り付け、身のさばき、イナバウアー。
完璧過ぎるのだ。
AIが都はるみのプログラムをされて歌っているようだ。
完璧過ぎると言うのを言いたかったのだ。 「白樺に涙あり」かな、これなども人間業ではあり得ない。
スーパーマシーン、エレクトーンの自動歌唱のようだ。
それでいて、感情は間違いなく伝わってくる。 「さよなら海峡」、由紀乃坊。
ラインは細いのだが、欠点は見当たらない。 歌手には二通りあると聞いたことがある。
1. 歌に専念して、テクニカルを聴いてもらう。
2. 皆を楽しませながら一緒に歌う。
はっきりと、このように分かれるわけではないらしい。
1.と2. を共有している歌手もいると思う。
ファンに選択の自由を奪うようなバイアスを与えるといけないので、私の考えも言わないでおこう。 孫正義
島国根性と牢名主根性を全く持たない日本人(現在)。
日本人としては、突然変異種である。
西郷隆盛と坂元竜馬を合わせて、割ったような人間。
大陸の雄大な気風を持ち、人間の心の進化を引き止める重力を断ち切ることが出来た男。
正統と異端の価値観、上下、左右、高低のしきたりと、仕切りに縛られない自由を獲得した男。
それが、孫正義だ。 確かに、宇宙の万物は重力によってデザインされている。
質量や重量を持たない人間の心まで重力によって歪まされている。
対抗性 部外者は敵。
求心性 教祖の元に集まる(言い方は悪いが)
規範性 上下、左右、高低に分ける、異端と正統、人種差別。 偽善者と偽装社会とパナマ文書
基地外を使ってテロを起こす、サンヘドリン
国は、原爆投下を知っていた ニュージーランド首相も同じ
アメリカのケリー国務長官が、「アメリカは、シリアのアサド政権を打倒するためにテロ組織ISISを結成した」
との異例の発言を行いました。
ケリー長官は、シリアにおけるアメリカの主要な目的がアサド政権の打倒であるとし、「アメリカ政府は、この
目的を果たすためにISISの結成を許可した」と語りました。
また、「アメリカは、ISISの結成やこの組織の権力増大により、シリアのアサド大統領にアメリカの望む
外交的な解決手段を見出させ、退陣に追い込むことを希望していた」とし、「アメリカは、この2つの目的達成の
ために、ISISの一部のメンバーを武装化した」と述べています。
この報告によりますと、シリアの反体制派グループの代表者との会談における、ケリー長官のこの談話の音声ファイルは、
これ以前にCNNやアメリカの新聞ニューヨーク・タイムズに公開されていましたが、アメリカのISIS支援に
関するおよそ35分間の部分は、アメリカのメディアにより検閲、削除されていました 演歌も重力によってデザインされているのだろうか?
人間の心までが、その影響を受けている以上、イエスと言うほかない。 対抗性
他人の不幸と引き換えの幸福
資格試験か、他人の不合格によって、自分の合格が得られる。
為替取り引きのようだ、自分の損は他人の得。
この重力ライン上の対抗性は一生続いて行く。
韓国では、どうやら重力闘争が日本よりもはるかに苛烈だ。
どの大学に入るかによって、一生が決まる。 規範性は分かりやすい、重力が有れば、上下、左右が決まる。
左翼と右翼、野党と与党、男と女、白人と黒人、正教徒と異教徒、社内と社外、もうきりがない。
もちろん、これらが求心力を持つ教祖の元で対抗性を持つ。 人間も動物も植物も重力をたくさん集めることに励む。
重力からは逃れられない。
重力ー腕力ー武力 と言う重力ラインからは逃れられない。
それには権力が必要だ。 素晴らしい歌を発掘した。
「霧降り岬」
顔を見たけれど誰だか分からないんだ。
こんな大人顔見たことがない。
あーっ、字幕が出た。
椎名佐千子さんじゃないか!
いつの間に、こんなに歌えるようになったんだい?
一体、どうなっているんだー!
天下無敵のプリンセス水森かおり殿下も仰天じゃないかー!
心臓に鳥肌が立ったじゃないかー! 高域をわざと詰めている感じか。
霧の中で灯台の灯が回転して、サーチライトの様に映える様子が浮かぶ。
それが煌びやかな声になるようだ。
このお方は、少し特殊な声を出してくれるんだよね。
そこが、たまらないのよ。
この歌では、天下無敵のプリンセス水森かおり殿下の歌のようなスピードとキレとは無縁だろう。
プロデューサーは、椎野佐千子さんに合う歌を提供している。 そうか、忘れていた。
椎野佐千子さんは、「漁火街道」を歌っていたんだ。
上手いはずだ。 公水女将、「さよなら海峡」。
このお方、中域を大変上手にまとめる、
癖も脚色も無い、いわば、素肌美人と言うべきか。
綺麗にトレイルして行く。
脚色は無いが、自身の歌唱テクニカル余す所なく前に出そうと、全身を使って押し出す感じ。
実力が有るのに、緊張感は感じる。
真面目すぎるような、性格か。
1曲、1曲が勝負はなのは分からなくはないが。 さよなら
海峡〜 語尾の母音の消し方が独特か。
彼女をのこの歌を十数回聴いてみた。
プロ歌手になれるのは、ほんの一握りと言うのが良く分かるような気がする。
もちろん、藤圭子さんのようなインパクトは無い。
フラットに感じるのだが、彼女にしかない、やはり
コクと言うのかな、味を感じてしまう。 歌手は色々個性があって、演歌は楽しい。
観音様大月みやこ殿下の「女・・・さすらい」
「女の駅」
うん、手話!
珍しい。 >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
>(島本町民は)みんなそう思ってる
↑
大阪府三島郡島本町では
イジメの責任を被害者になすりつける糞みたいな町だということを
町民自身が認めている 1987年 冬美坊 「あばれ太鼓」。
冬美坊、タンクローになっているじゃないか。
山出しは仕方がないか。
歌は、もちろん、文句無し。 冬美坊、コンサート上手。
どうすれば観客が喜ぶか良く心得ている。 寿美坊、着物を着たペコちゃんになっているじゃないか! 女王石川さゆり殿下「波止場しぐれ」。
天下人都はるみ殿下「白樺に涙あり」。
観音様大月みやこ殿下「白い海峡」。
三沢あけみさん「島のブルース」。
島の哀歌、では、やっぱり、ブルースのがスマートだ。
日本中が大揺れの大ヒット、私はホームランだと思うのだが。 歌とは何か?
論文を拾ってきた。
「歌う」ことをめぐる諸相は立体的であり、複合的に絡み合っている。
歌は表出させ、歌は表 現する。歌は伝え、歌は受け止められる。
歌は誰かとつながろうとし、自分自身をつなぎとめ ようとする。
歌は共有され、共感される。歌は純粋な詩の意味も、雑多な欲求のかたまりも、 メッセージとして発信する。
「歌」の半分は音楽で半分は文学である。
歌は社会的でもあり同時 に個人的でもある。感情的であり写実的でもある。
歌は日常であり、非日常である。歌を創り、 歌を歌い、歌を聴くという行為は、
多面的複合的要素の集合体のやり取りであり、連綿と受け 継がれた我々のDNAにプログラムされている。
「あなたはなぜ歌うのか」の答えは、あなたが歌う歌、歌うときの数だけある。 さあれ、かくして、そうなると、歌の最終表現者、歌手の立ち位置は何だろう?
こんな詩はあり得ない、何と下品な詩なんだ。
あるいは、この音符は何だ、ここで、何でこうなるのだ。
と、思っても、歌手は取り敢えず、この音符と詩に息を吹き込むしかない。
新曲を出す時は、歌手、作曲家、作詞家、プロデューサー他が集まって、ブリーフィングが行われるのだろうか?
聴衆は本能的に歌手の表現しか聴こうとしないはずだ。
前奏では、まだ歌を評価出来ないでいる。
歌を作る側と表現する側、どちらも上手くいけばヒットなのか?
あるいは、天下人都はるみ殿下や天下無敵の水森かおり殿下のように、どんなボロ作品でも、錬金術を使って名曲に仕立て直すのか? そうなると、カバー曲を上手く表現できることも歌手の実力と言えるのだろう。
作詞、作曲という海のものか、山のものか分からないものにとらわれずに、歌手の表現力が試されるのがカバー曲ではないか。
天下人都はるみ殿下や天下無敵のプリンセス水森かおり殿下の歌の表現力、テクニカルには、私たち聴取は降参するしか他ない。 平尾昌晃さんの「僕は布施明さんのお陰で作曲家として世に出られた」。
この人は、非常に謙虚で率直なお方だ。
これは真実だろう。 余談だが、藤圭子さんと島津亜矢さんの「霧の摩周湖」。
布施明さんを超えるのではないかと、思ってしまうほどだ。 藤圭子さんはともかく、亜矢坊、なぜ、「霧の摩周湖」を布施明さんを超えるほどに歌えるのだ。
支離滅裂、意味不明だ。
演歌とどう繋がっているのだ。
説明責任があると思うのだが。 藤圭子さんを地球に呼び戻したいのだが、宇宙の法則によりそうも行かない。
このアドロメダでも立派にやっているから、良いのではないか。 地球は、人間が宇宙に逃げ延びるように出来るように、三つの武器を与えた。
求心性、対抗性、規範性。
母なる太陽のエネルギーが枯渇する遥か手前で地球の生物は全滅する。
地球は、早く揺かごを捨てて宇宙に飛び立てと人類に迫っている。
地球の表面温度が100度を超えるのは、後、数億年先に迫っている。
種としての寿命が尽きるのが先か、太陽の魔の手が先か? 軍拡よりも、宇宙に金を使わなければ人類の未来はないだろう。 刹那的に、今日だけ、自分の代だけ生きればそれで良いというのであれば、座して死を待つ地球と運命を共にするしかないだろう。 このスレッドは1000を超えました。
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life time: 101日 7時間 19分 5秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。