━━━ 清原和博 25 ━━━
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シーズンへの誓い
'05 泥水を飲む覚悟でやる :打率0.212、打点52、本塁打22
'06 死ぬ気でやる :打率0.222、打点36、本塁打11
'07 光をみつける 、もう一度死ぬ気でやる:打率0.000、打点 0、本塁打 0
'08 心にスイッチが入った 戦闘モードに入った :打率.182、打点3、本塁打0
'09 子供に背中を見せれるのか : 不倫旅行 ◆1989年9月23日
死球を受け激高。平沼にバットを投げつけ、豪快なフライングヒップアタックでKO。
その後、怒り狂った野獣ディアズに恐れることなく立ち向かい、死闘を繰り広げる。
◆1997年8月20日
藪の陰湿極まりない内角攻めにシーズン三度目の選手生命にもかかわる死球を受ける。
「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、卑怯な藪を煽る。
その結果、藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と意味不明な池沼とも受け取れる発言を見事引き出す。
◆2001年9月18日
阪神ハンセルに非常に危険な死球を受け激高。
恐怖を覚えたハンセルは引きつった半笑い浮かべ、謝罪のため手招きで呼び寄せる羽目に。
◆2003年5月25日
プロ初先発の20歳の横浜、東から前打席に危険な死球を受けていた清原はセンター前に見事タイムリー!
一塁へ駆けながら若手東に対して、鬼の形相でにらみ、「ボケッ」と叱咤激励か己に対する気合注入かはわからないが、
プロの洗礼・厳しさを教え込んだ。東にとって、スーパースター清原との熱い対戦は一生の思い出となった。
◆2003年7月23日
広島の巨漢デイビーと一触即発の事態に。熱くなったことを恥じた清原は謝罪。
無冠の帝王から謝罪されたデイビーは動揺を隠し切れなかった。
◆2005年4月21日
500号HRのかかった試合、2アウト満塁における阪神藤川の、
プロ野球という興行のエンターテインメント性を失いかねない投球内容に
プロ野球の未来を案じた清原は激高。「チ○ポコついとんのか」と多少過激な発言はあったが、
藤川は納得し切磋琢磨、藤川の直球は日本屈指のものとなった。
その後の中日戦においては、清原に影響を受けた中日の連夜の直球勝負にファンは熱く燃えた。
◆2005年5月6日
楽天の暴れ馬ホッジスに危険な死球を受けるも紳士的なふるまいで一塁へ。
その後、報復ではないが闘志あふれるプレイでセカンド高須と接触。清原の超パワーにより高須は負傷。
◆2005年5月12日
対オリックス戦で頭部に危険球を受ける。生命の危険を感じるも鬼の形相で耐える清原。
「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる。
帝王の咆哮に、山口は青ざめその場に立ち尽くした。
◆2005年7月13日
痛め止めの座薬を効かせることのできないトレーナーに、プロとして厳しい態度で臨んだ。
プロの厳しさを学んだトレーナーは困惑しながらも、その後の業務に精進した。
*「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷。
7番に降格されるも見事HRを放つ。その後、不人気であり、選手からの人望や信頼もない最低監督堀内とのハイタッチを拒否。
2軍落ちになるも、指導者としての適性に欠ける堀内に対する抗議は、ファンや同僚選手たちの胸をうった
渡辺智男。西武の同僚・清原は甲子園で対戦し3三振!号泣し素振りを繰り返した!
https://middle-edge.jp/articles/1pN65
高知県・伊野商のエースとして、3年春に選抜高校野球大会に出場し、優勝。PL学園の清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」とは準決勝で対戦。清原から3三振を奪う快投をみせた。西武ライオンズ入りしてからは怪我と戦った
伊野商で背番号「1」のエースとして、3年春に選抜高校野球大会に出場。当時全国的にはあまり知られていなかった同校にとってこれが初の全国大会となった。
…準決勝では清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」を擁する優勝候補の一角、PL学園と対戦。
伊野商が初出場だったこともあり、試合前の予想では圧倒的にPL学園が有利と言われていた。一方で、PL学園側は投手対策を特に立てておらず試合に臨んだとも言われている。
試合では、渡辺が清原を3三振に封じ込めた。ど真ん中の速球で強打者の清原から三振を奪ったのは非常にインパクトがあった。そして、PL学園打線をホームラン1本による1失点と見事に抑えた。納得の好投で、3−1で勝利し、大金星を挙げた。
「KKコンビ」は結果的に、1年生の夏から3年生の夏まで全ての甲子園大会に出場することになる。その内優勝2回、準優勝2回と信じられないような記録を残しているが、唯一決勝に進めなかったのがこの大会であった。
決勝の対帝京戦では、渡辺自らホームランを放つなど打撃でも活躍。後にロッテに入団する小林昭則と投げ合い、13奪三振を奪う快投を見せた。最後は内角高めの空振り三振で打者を抑え、完封勝利で優勝した。
キメ原「尿検査しろよぉオラァああ、するまで帰らんぞぉおぉ!オラァ!」 明菜と結婚してたら今のようになってなかったかもな・・お互い キメ原「尿検査しろよぉオラァああ、するまで帰らんぞぉおぉ!オラァ!」 千日計画の松井との対比で清原は「最初からフルに起用せずに、下や後ろでじっくりと育てれば…」って言われるけど、
立浪だって初年度からレギュラーであれだけの成績残したこと考えたら、
起用法自体は間違っていなかった気がする。 >>91
西武時代?
黄金時代の四番をはれて
何の問題もないと思うが。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています