昔のホームラン記録は狭い球場のおかげ
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野村の大阪球場は両翼公称84メートル
今なら外野フライか二塁打三塁打が多数含まれている。 田淵や清原は芯に当ててスタンドに打ち込んでるからな。
外野フライが得意な落合、王貞治、野村とは違う。 >>101
ノムさんは理に叶っとるやろ?
ノムさんが捕手から外野あたりにコンバートしたら800本は打ったな
ノムさんの理論はヘソまでボールをギリギリまで引き付けてコマの回転で飛ばす
生涯一捕手にこだわらなかったら >>102
それ狭い球場でしかホームラン打てないから >>1
1972までの大阪球場 両翼84m
大洋時代のフェンスの低かった川崎球場
この二つの休場はマジでヤバイ
少年野球並みw 逆に広くてヤバかったのは
ラッキーゾーンを撤去した両翼101mで右左中間が甲子園球場と同じの
西宮球場だろうな
あとは甲子園球場やナゴヤドーム 王貞治1964年の4打席連続ホームランは飛距離も抜群。
1963年、王貞治、長嶋茂雄、野村克也、稲尾和久、ヨーロッパ旅行。
https://ameblo.jp/hoseiyakyuubukenkyuu/entry-12603048888.html 落合の球場関係ない言い訳だけどさ、川崎とナゴヤでしか本塁打量産できなかったやつが遠吠えしても説得力ゼロw 落合が連続で三冠取った当時のパはラビット使ってたからねぇ
落ち目だった加藤英司が前年の14HRから26HRと大復活してたし 宝島系野球本のホームラン特集で
ON専用ライターみたいのが王は飛距離も一流今でも800本打てる!とか書いてる同じ誌面で
宇佐美さんが王のホームランは今の球場なら半分は入らないと冷静に書いてたのが印象的 王や野村が狭い球場でホームランを量産したのは事実だろうけど、
同じ条件でやってるチームメイトより抜きん出た成績を残してることも事実だし、そこは称賛されるべき。
門田や落合にしても、最晩年のオリックスや巨人でも普通に打ってたしな。 そういやラビット使ってた85、86年の南海は主催試合で飛ばない球使ってたらしいね
新井宏昌が今井雄太郎との対談で愚痴ってたけど、確かに当時の門田は他所の主軸と比べて相対的にHRが少なかった
たぶん人件費節約が目的だったんだろうなぁ ナゴヤはそれでも量産できる方だぞ
ナゴドに移った途端山アのホームランが20本減ったのがその証拠 >>116
証拠になるわけない。
キチガイだ。
ホームラン数の年度変化は大きい。 >>115
ちょうどその時期の門田は目の調子が悪かったんだっけ
逆に言うとそんな状態で20本以上のHRを打っていた
門田はやはりすごかったわけだ >>46
拡張前両翼91mの神宮や浜スタがナゴド以下のPFに
なるんだから使用球次第 >>99
阿部珍之助は典型的なラビット&東京ドームの恩恵に預かった輩。 >>118
年齢が年齢だけに
とうとうきたか あわわ 次が全然育ってねえ と絶望しかけたもんだが
39歳で3割30本と復活し 翌年の大活躍につながる
どのみちその後去られることになるが 佐々木や岸川がなんとか間に合った >>115
落合も南海戦ではホームラン少なかったね
落合自身は南海はキャッチャーが安定しないので傾向が掴めなかったとは言ってたそうだけど ホームランに飛距離は関係ない。
スタンドに届くように打てば良いだけ。
今の球場ならとかは、まったくのナンセンス。 掛布雅之は今の甲子園で何本打つかね
ラッキーゾーンに落とすのを非常に得意としていたらしいが >>125
今のセ・リーグの球場サイズや投手の球速だと半減の15〜20HR程度じゃないかな? 落合の全盛は異常な打高だったから飛ぶボール+箱庭のボーナスステージ
王さんの時代は飛ばなかったそうだが >>125
左中間右中間のふくらみは国内最大級の広さだから激減だろうね 史上最もホームランが出やすかった1980年パリーグだがホームラン王はマニエル48本
ホームランが異常に少なかった2011年西武中村と同数だ 結局ボールが全てなんだよな
掛布も2001〜2005あたりの飛ぶボールなら
甲子園でも48発打てたはずだよ 掛布雅之のWikipediaから一部抜粋
ランディ・バースは「バッティングは引っ張っても打てたし、流しても打てたからね。完璧だったよ。
日米野球だったと思うけど、ジョージ・フォスター(元シンシナティ・レッズの大打者)が彼のバッティングを見て、
『このチビは、なんであんなにボールを飛ばせるんだ!』って聞いてきたことがあったほどだぜ。
なにしろ腰の回転が凄かった。腕力はなかったけど、下半身の回転で打つ選手でミートも上手かった。右投手も左投手も苦にしなかったね。」
甲子園球場で本塁打を量産するために、左打者にとっては厄介な存在であった浜風と喧嘩するのではなく、
逆に利用しようと研究を重ね、逆方向であるレフトスタンドへ本塁打を量産する、独特かつ芸術的な流し打ちを身に付けた。
以降、レフトへの本塁打が飛躍的に増え、球界を代表するホームランバッターの一人となった。
↑
日米野球でも打ちまくっていた掛布雅之。 今のナゴドの「1人だけ統一球野球」はどう説明するの
やっぱ球場関係あるじゃん、からくりビッグエッグ、からくりクアーズとか ナゴドだってラビット時代は川上が流し打ちで放り込んでたんだし
最も左右するのはボールの反発係数 ブランコが天井にぶち当てた認定ホームランは推定飛距離220mだったしとんでもないバカボールだったな
谷繁が打撃練習で右中間の上段まで飛んで笑ったと言ってたな 昔の人をバカにするために球場が狭かったこと言い出すなら、逆に昔の投手はより凄かったという理屈になる 昔の投手はすごかった
シーズン300イニングとか投げてたからな >>130
セリーグも同じ球使っていたら、王も37,8本 打率も2割7分くらいいって
もう1年継続したかも試練 >>143
馬鹿か
飛ばないボールだっただけだ
だから打者の打率はものすごく低い
三割打者も少ない
相対的な投高打低だっただけ >>145
飛ばないボールだとなぜ打率が低くなる?
ベーブ・ルースが出現する前の大リーグは飛ばないボールの時代だが
タイ・カップやジョー・ジャクソンは普通に4割打ってたぞ >>146
日本では事実だから仕方ない。
投手防御率と打率の十傑比較してみろ。 >>146
それだけ日本人が非力ってことだよ。
だから完全な投高打低になる。
近年でも超飛ばない統一球(加藤球)なら、
あの斎藤佑樹が開幕投手で完投勝ちできたんだからなw 野球が大嫌いで日本人がどうしたこうしたばっかり。
キチガイだ。 >>127
球速が速いならば反発力が増して飛距離は伸びるんだけどな。 掛布が現代来ても普通に30発以上は打つよ
ナゴドじゃ無理だろうがな
あそこは異次元つーか魔鏡
ナゴドで47発打ったウッズはバケモンだわ >>146
あのな
本当に凄い突出したやつはボール関係なく高い数値になるんだよ
少しはその目の前の機械使って調べなw 大谷はメジャー史上最高のホームランバッターの一人だけど
王貞治や門田だってメジャーでやっていたら同じく最高のホームランバッターの一人だっただろう。
日本人だからホームランを打てないとかは無い。
日本人がどうしたこうした言うのはキチガイだ。 いや阿部慎之助がメジャーに行ってたら200本打てるかとなると無理じゃないかと思うけど。 ぶっちゃけ金属バットに成る前の
全国高校野球選手権はどう評価すんの?なんよ
一概に昔は低レベルっていうは暴論 >>50
森や中村剛、吉田がいる
無知って怖いな
お前はバレーボール観戦とかの方が向いてるから野球は諦めた方が良いよ >>50
野球が大嫌いで日本人も大嫌いなのに野球板に住み着くのはキチガイだからだ。 そもそもノッポでホームラン打者って少ないからね。
柳田とか大谷とか革命児よほんと。
メジャー見ててもホームラン打者って大きくても
メジャーリーガーの中では大きくはないのが大石大二郎 掛布が今の飛ぶボールなら40発だろう
さすがに2011あたりの統一球なら18発くらいだろうが 掛布はキャリアのピークがラビットで
更に阪神独自の超ラビットが使われた時代も
味わえたんだから相当に下駄履かされてるわな。
それ以降は大怪我したからボール云々じゃなくなっちゃったけど。
もう少し遅く生まれて87以降のまともなボールで
あの流し打ちが効くのか見てみたかった。 今だと両翼92の北九州市民球場での試合はボカスカHR飛び出すからな
中田翔あたりは昭和時代なら130試合制であったとしても毎年45HR前後は打ってただろうな
楽天と契約した西川も昭和時代なら15〜25HRはコンスタントに打てた筈 別に今って大してレベル高くねえからからな
佐藤輝明みたいに振り回すだけのゴミでも24本
打てるレベル >>171
昔はブルペンが低レベルだったけど、今は勝ちパターンのブルペンだとみな150km投げるでしょ
しかも球場がワイドになったしどう考えても今の時代HRを量産するのは厳しいよ 現在のホームランって弾道が低くない?
飛ぶボールの恩恵だな >>4
> じゃあ狭い球場で投げた昔のピッチャーは今の投手より高く評価していいな
↑通算200勝以上で被本塁打率のワーストは日生の鈴木啓か広島の北別府と思ったら山田久志だった
米田は金田よりわずかに高いが西宮のラッキーゾーン設置が無かったら逆転確実。
――
阪急西宮スタジアム(Wikipedia)
グラウンドデータ球場規模 両翼 - 101 m(ラッキーゾーン設置時は91.4 m)
中堅 - 118.9 m(開設時は120mとする文献もある[1])
■概要
1960年代頃、ラッキーゾーンを設置(この間1967年のプロ野球シーズン開幕前、阪急ブレーブスの選手(当時)であったダリル・スペンサーの要望により、3m前方にラッキーゾーンが移設されるというエピソードがある)。
1991年4月1日、「阪急西宮スタジアム」に改称。1992年、ラッキーゾーンを撤去し、両翼101mにまで拡張される。
投手も打者もトップ選手の能力は向上していない。
投手はイニング数を投げない投げられないから、劣化していると言われても反論するのは難しい。
投手の場合は劣化した部分もあるというだけだけど、トップクラスの打者ははっきり劣化したんじゃないか。
大谷が一人飛び抜けているだけで。 ソフトバンクが球場を狭くしたことで更に強くなったこと
未だに昭和基準(多少両翼が広くなったとはいえ)の球場でプレイしてるヤクルトが日本一になってしまったこと
更には広い球場の中日ハムが暗黒化している
ことなどを見れば今は狭い球場の時代なんだよ
ホークス中日ハムが球場を広くしたことにより
黄金化した00年代の揺り戻しが来ている ラッキーゾーンはもう一度建設すべき
球場が広いほうが野球が面白くなるなんてのは幻想だ 掛布雅之Wikipediaから抜粋
本塁打は「狙って打つもの」と考えており、「ホームランの打ち損じがヒット」というイメージを持っていた。
ただし、負傷による不調から復帰した1981年には「4番として全試合出場」を目標としたため、本塁打を意識しない打撃に徹した。
その結果、フル出場を果たすとともに打率も.341という高い数字(自身の最高打率)を残したが、
そのオフのイベントでファンから「もうちょっとホームランを見たい」(この年の本塁打は23本)と言われたことがきっかけで再び本塁打を意識した打撃に変更したという。
掛布は引退後に、この1981年が「一番自分らしかったのかもしれない」と語り、「今でも自分がホームランバッターとは思っていない。
(1981年のバッティングをやれれば)違うバッティング、違う掛布があったのかな、という思いが今でも強い」という。
↑今だと中距離打者かな。.350。20本を期待できるような。 >>181
掛布は珍しいタイプなんよ
本来はアベレージヒッターなんよ
ヤクルトの若松みたいな
それを無理矢理レフトに身体ごとぶつけてスピンかけさせて酷使しながら
首位打者0 本塁打王3 の想定外になりよった稀有な打者 カケは厳しい内角攻めもなく防具に守られてる現代野球のほうが合ってるかもな
山本浩二や落合はビーンボールを避けられるように開き気味に打ってたけどあれは
彼らが巨漢でパワーがあって球場が狭かったからこそのバッティングでちびの掛布があの打撃だったら全くと飛ばなかっただろう
当時はカケのうような身体ごとぶつかっていくようなフォームはいつか当てられて大怪我して終わるからな 今だと青木がそれだな
フォームは違うけどゾーンに覆い被さる様に構えてるから
これまで何度も頭に当たってる。
当たり易い構えしてるから当てられても心配されない。 >>183
落合も掛布については
「 おまえ身体もたないよ 」
と心配なのか?茶化してんのか?
分からんコメントしてたしな >>182
アシストがラッキーゾーンだからたいしたことない ランナー居る打席とランナー無しで打ち分けてたんじゃないのか? 掛布って、何というか「強打者」というイメージのない
ホームラン打者なんだよな
手首も柔らかそうだし、スイング後のバットの
巻き付き(?何と言えば良いのか分からんがw)
も柔らかい
他に例えようのないホームラン打者な気がする。
高橋由伸ともまた違うし、敢えて言うと
めちゃくちゃ長打力のある篠塚みたいな感じw >>188
逆に 篠塚 の方が
高校時代ホームランバッターやからね
ノムさんもコメントしてたが掛布は
阪神で何を指導したのか分からない育て方やった(笑) YouTubeで本人話してたけど高校時代の篠塚って
三塁手でしかも木製バットで甲子園で2HRしたんだろ?
それこそ掛布だよなw ショート守ってて年間41本塁打の宇野はすごかったなぁ 今の時代ならもっと評価されてるだろうね>宇野
MVPでもおかしくないと思う >>195
そこらへんの世代は全員飛ぶボールと
狭い球場に恵まれた世代だわな。
少し前か少し後ならとても無理な数字の打者が並んでる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています