★エースと呼ばれなかった名投手といえば★
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成績は抜群なのに目立ったエースに隠れてエース呼ばわりされなかった投手ってたくさんいるよね 山根はもう致命傷だったから
他のチームにそれが知られて無かったからいい条件で放出した
西武で中継ぎで復活出来たのが、良くやったと
西武では自分の投げた球の速度表示見るのが嫌になったとか >>138
それにしても広島は山根には冷たいイメージだった
あと中日も杉本を一年勝てなくなっただけで放出した印象
星野さんや中日フロントは小野和幸と西本を補強して近藤も取れたから出したのかな?
杉本と鈴木孝政は余力あったのに88年あたりから影薄くなった
鈴木孝政は年齢的にお役御免になるのはわかるが、杉本の使われ方は違和感あった >>139
致命傷というかずっと腰痛で、
腰に鍼入れたまま投げてたんでしょ。
あだ名が「銀バリ」?だったかな。 俺のようにファミスタから入った人間にとってはカープのエースといえばきたへふというのが刷り込まれてる。
しかしながらそれ以前の時代ではそういう印象でもなかったんだな。 >>136
西崎入っても柴田は落ち目にならなかったのは凄かった 西崎柴田は二人ともノーノーやってるね
二人とも、全盛期を過ぎた頃にやっているのが面白い
久信とか佐藤義さんもそうだけど、意外とそういう頃にやるんだよなぁ ディクソン、スタンリッジといった先発の3番手ぐらいの立ち位置で9勝9敗ぐらいの成績を安定して残してくれる助っ人投手 郭泰源 槙原 川口一久クラスが3番手ならそりゃ強いわけだ 大リーグにも行ったがオリの長谷川は
四番手先発だったよね >>147
>>148
ただ西崎の入団した1987年と翌年の1988年は柴田はイマイチだったようだ
じゃ誰がナンバー2をやったかと調べると
佐藤誠一、松浦、津野にあたりになる
本格的なバブル期だと西崎と柴田は両方活躍だな
酒井とかも単年で活躍してありする 此処ですら触れられない野田やゲンちゃんって一体…。 マツウラの出た船橋法典って野球が強くはないよね。
体も大きくないし、よく日ハムは見出したな。
松浦を紹介した漫画だと、実家は個人タクシーだったんだような。
その漫画だと西崎と仲が良い感じだけど、実際は津野と親しかったらしい。 松浦とか白井はドラフト外だったから
それ考えるとかなり活躍したよね
日ハムで 松浦とオリックス野田はエースと呼ばれなかったが
エースと遜色ない投手だった 松浦は無いワ(笑)
山ア慎太郎、吉田豊彦、湯舟・・
ここいらも絶対に無い。 >>163
最多勝取った年の松浦はリアルにナンバー2
あの年だけだが >>165
最多勝を獲った88年も、ドームのおかげって言われていた>松浦
あの頃は東京ドームが広い球場だった。
(玉が跳ぶ、とは言われていたけど) 東京ドームが出来た当初は巨人からHR王が誕生する事はもう無いのでは?と言われていたよな >>163
吉田豊彦は消去法で一年だけエースの年あった 稲尾以外の投手
河村とか西村とか川崎とか
取り上げられないのは気の毒だな >>169
ヤクルトだと西村と岡林と川崎とかか、あと山部とか?
石井一久はエースのイメージだが >>87
自分は87年は北別府だと思う
エースを任された投手が大不振だったという感じ エースの定義自体があいまいだが岸あたり
新人の頃から波が少なく通算成績は通算WARはすでに杉内や西口も超えてるんだが
誰でもこの年とわかるキャリアハイもない >>175
勝喜はダイエー暗黒期のエースだろ
福岡ドーム公式戦杮落としでは野茂と投げ合い >>180
なぜか文字化けした
杮落としは「こけら落とし」 >>174
17勝とか18勝とかが二回くらいあればな
岸はそういうのないからな
渡辺久信みたいな最多勝インパクトがある人は強い
この手の話だと >>39
清水と金村は十分エースだよ
前川や岩本とは違う 俺の勝手な基準だが
20勝を100点満点とすると、
7割の14勝がエースと呼びたい最低ライン
そうすると槙原や大野は頑張っても
やはりエースにまではなれなかった
岸や岩本も然り 高橋直樹はエースだったと思うよ
四天王と山内新一と直樹というパリーグエースの位置づけ >>187
カネヤン・ヨネカジコンビ・クサ・トンビを代表する様に弱小チームからこそエースが輩出されるイメージだわ >>186
15勝が一回でもあるとその年限定でエースの仕事した印象になるね
1986年の近鉄の小野、1988年の中日の小野、日ハム松浦とか
最近だと西武の多和田は2018年は勝ち星はエースだった、防御率はダメダメだが
中日の大野は名実ともにエースと呼んでいいと思う
暫定エースの域は超えた 88年の大野は沢村賞とったけどあまりエース感はなかった。
個人的に当時のエースなら200イニングは投げてほしいというのと、当時の野球ゲームの先頭の投手が北別府だったからエース北別府というのが刷り込まれてる。 その年の北別府は平凡な成績だけど、大野より20イニング以上多く投げてる
イニング数では前年の大不振年≒大野のキャリア最高年 北別府 大野 川口
斎藤雅 桑田 槙原
渡辺久 工藤 郭 川口は15勝しても勝ち頭でエースではなかった
60年前半古葉監督は高木を先発に川口を中継ぎに回してた
後半、高木が不調、川口が先発に 大野もこの時はまだノーコンで立ち上がりが悪く投げてみないとわからない、3回以降リズムに乗っていくタイプで
川口、高木と広島の先発左はみんな同じような投手ばかりだった 大野は本格型でモノになった30過ぎからは故障が増えて200イニング放れなかった。
郭泰源は一度だけ15勝ったが 大野は沢村賞取った年は確かにエースだった
対して川口は山本昌同様に永世2番手のイメージだ 西武の渡辺智も入団から3年連続2桁勝利、3年目は最優秀防御率だったのにエースとは呼ばれなかった。 そら さらに上に3人もいたし
弱いチームならエースと呼ばれてたかも >>202
ヤクルトの尾花くらいのポテンシャルあったよね
尾花のが実労が長いから通算成績は差があるが
西武は渡辺智や石井や新谷がローテの4番手とかだから強いはずだわ ファミスタやパワプロで一番上に表示される投手がエース、という刷り込みはたしかにある
だからヤクルトのエースは岡林 >>206
初代ファミスタならかわぐちじゃなくてかわはただな 北別府 成績不振でもエース扱い
大野 どんな高成績でもエースと呼ばれない(悲劇性が88年の沢村賞にピッタリ)
川口 要領良い(だからFA入団では珍しく巨人で引退) 北別府は貧打1991年でもかなり勝ち越しているので勝ち運がある
野球人生トータル勝ち運まみれの投手 長身で右の正統派投手はエースと呼ばれやすい
左やサイドは呼ばれにくい 左で明らかにエースと呼ばれたのは、
大昔は言うまでもなく金やん江夏
割と働かない年もあるけど工藤はエースかな
星野はどうだろう
昌さんはやや微妙かも知れんが、
今中は間違いなくエースだったんだろうね
サイドは斎藤一択かな >>214
荒巻と梶本と小野正もエースって呼んでもいいかと オリックス金田や戎はエースだったのか
何とも言えない暗黒時代 2000年前後のパは松坂のいた西武以外はエース不在と言っていいんじゃないの
田ノ上とか岩本とか前川とか金田とか、ギリギリ黒木はアリかな
だから当時は今とは逆にパリーグ弱すぎと言われてた 平成元年
西武 渡辺久 15勝11敗
近鉄 阿波野 19勝8敗 最多勝 最多三振
オリックス 星野 15勝6敗
ハム 西崎 16勝9敗
ロッテ 村田 7勝9敗 最優秀防御率
ダイエー 加藤伸一12勝8敗
巨人 斎藤雅 20勝7敗 最多勝 最優秀防御率 沢村賞
中日 西本 20勝6敗 最多勝
広島 大野 8勝6敗 防御率1点台
阪神 キーオ 15勝9敗
大洋 新浦 8勝13敗
ヤクルト 内藤 12勝5敗8セーブ 伊藤昭光
このスレタイっぽいというか、
多分エースと呼ばれないタイプなんだろうけど、
背番号18で黙々と投げてるのが好きだったな
謎の最多勝は評価が分かれるだろうけど、
前年の先発14勝は純粋に最多勝争いレベル >>220
黒木は当時のロッテって考えたら個としては十分にエースでいいじゃないか? 50試合全て抑え登板で120イニングとか酷使過ぎる >>220
田之上 永井 星野 若田部らの見栄えのしない地味ローテ
特に星野は特徴無しの平均値投手って印象 >>227
石本貴明は70試合(最高勝率・最優秀救援)⇒64試合(最優秀救援)で投手寿命短かったな >>227
石本貴明は70試合(最高勝率・最優秀救援)⇒64試合(最優秀救援)で投手寿命短かったな >>223
伊東昭光は93年は消去法でエース扱い?
この年はチーム最多勝、最多イニング。
他が前半のエース伊藤、日本シリーズ開幕投手の荒木、4連連続10勝以上の西村、日本シリーズMVPの川崎
どれも決め手に欠ける >>235
この年の野球ゲームではファミスタもパワプロもヤクルトの先頭投手は伊藤智だった
西村は野村ヤクルトで安定してたのにエース扱いされないな 西村はキャッチボールみたいな華の無い投げ方 かつ仏頂面で損していた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています