★エースと呼ばれなかった名投手といえば★
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成績は抜群なのに目立ったエースに隠れてエース呼ばわりされなかった投手ってたくさんいるよね 逆にこんな奴がエースかよって思った投手 池田親興 新谷博 有働克也 前川勝彦 紀藤真琴 >>33 最多勝2回(うち一度は21勝)、防御率1位1回、2桁勝利6回に加えて完全試合達成をしてるのに名投手でないと? 今井の通算成績(特に防御率)が物足りないのは年によっての好不調が激しかったのと衰えてからも40代まで戦力にされたから 00年前後のパリーグは他にロクなのがいないから本来ならエースと言えない奴が消去法エース扱いされてた 岩本、金村、清水直、川越、前川など >>38 当時の阪急・オリックスは山田〜佐藤〜星野とエースには困らなかったから今井がエースだった事は無いね >>37 有働って何故か開幕投手だったことはあるけどエースと言えるほどの立場ではなかったような 短い全盛期である1993〜1994年頃はエースに野村がいたし斎藤隆も頭角を表していた >>45 日本シリーズの第1戦が小野だったから小野だろ スレタイに該当しそうなのは槙原寛己、川口和久、大野豊、郭泰源、石井丈裕、佐藤義則、斎藤隆、川崎憲次郎、小林宏之、渡辺俊介あたりか? 大投手だが和田毅も斉藤、杉内、千賀とかぶっているのでエースと評価すべきか微妙。 山本昌は今中が壊れて野口川上が台頭する前の1997年は最多勝も取ってるし、エースだったと言えそう。 G 斎藤(1989-1996)-桑田(1997-1998)-上原(1999-2006)-内海(2007-2013)-菅野(2014-) T キーオ(-1990)-仲田?湯舟?-藪(1994-2000)-井川(2001-2006)-安藤?能見?-メッセンジャー(2011-2018)-??? D 西本(1989-1990)-今中(1991-1996)-山本昌(1997-1998)-野口(1999-2001)-川上(2002-2008)-吉見(2009-2013)-大野(2014-) W/YB/DB 野村(1990-1998)-三浦(1999-2013)-井納(2014-2017)-石田?今永? C 北別府(-1990)-佐々岡(1991-1993)-紀藤(1994-1996)-大野?山内?-佐々岡(1998-2000)-黒田(2001-2007)-ルイス(2008-2009)-前田(2010-2015)-ジョンソン(2016-2017)-大瀬良(2018-) S 西村(1990-1991)-岡林(1992-1994)-ブロス(1995-1996)-石井一(1997-2001)-藤井(2002)-石川(2003-2012)-小川(2013-) B/Bw/Bs 星野(1989-1999)-金田(2000-2003)-川越(2004-2007)-金子(2008-2014)-西(2015-2018)-山岡(2019-) H 村田(1990-1993)-工藤(1995-1999)-若田部(2000-2002)-斉藤(2003-2006)-杉内(2007-2011)-攝津(2012-2015)-千賀(2016-) F 西崎(-1996)-グロス(1997)-岩本(1998-2001)-金村(2002-2005)-ダルビッシュ(2006-2011)-吉川(2012-2013)大谷(2014-2016)-有原(2017-) O/M 村田(-1990)-小宮山(1991-1993)-伊良部(1994-1996)-黒木(1997-2001)-清水(2001-2008)-成瀬(2009-2014)-涌井(2015-2017)-石川(2018-) L 渡辺(-1994)-西口(1996-1999)-松坂(2000-2006)-涌井(2007-2011)-岸(2012-2014)-菊池(2016-2018) Bu 野茂(1990-1994)-高村(1995-1999)-前川(2000-2001)-パウエル(2002)-岩隈(2003-2004) E 岩隈(2005-2010)-田中(2011-2013)-則本(2014-) 開幕投手 3回以上ならエース 5回以上なら真のエース 7回以上ならた大エース 10回以上ならレジェンドエース WBCイヤーとか出場したエース級投手の疲労考えて格がないのが開幕投手したりする 小宮山6回も開幕投手になってるのか でも全然エースと思ったことないわ 2年連続同じ顔ぶれはセリーグの2005-06年だけ 川上井川石川上原黒田三浦 文句のないメンツだろう >>54 ハンカチが開幕投手だったんだよな>2012年 確かにあの年は「何か持っている」と幻想を抱かせた。 2013年に田中マーの大活躍もあって、一気に評価を落とした感じ。 2012年の前半は田中が怪我もありよくなかった。 対して斎藤の方は「最強の24才」宣言まではそこそこ頑張ってた。 そのこともあってか斎藤信者が調子に乗って田中をディスりまくってた 今年限りになりそうなハンカチは確かに2011~2012は戦力になってたんだよな、違反球補正とはいえ。擁護するなら2013年の怪我で終わった。 そして意外と田中もハンカチと同年の2012年しか開幕投手がないんだな。 >>54 これを見ると万年2番手とか万年10勝10敗と言われるカツオは普通にエースじゃん。むしろ、スレタイには館山が該当しそう。 涌井の似顔絵だけ陰が入ってるのが笑える。 >>32 1990年代の広島はトータルで見ればいちおう佐々岡がエースかな、99年までの10シーズンで集計するとチーム勝ち頭(91勝)のはず。 >>37 紀藤がエースと呼ばれたのは3年連続規定投球回+2ケタ勝利(16、10、12)挙げた頃だな。(佐々岡が抑えに回されてた94〜96年) 80〜83江川 84西本 85斎藤 86江川 87桑田 88ガリクソン 89、90斎藤 91桑田 92斎藤 93槙原 94桑田 95、96斎藤 97ガルベス 98桑田 99上原 80年代90年代、Gの年度別エース >>63 その年に一番成績が良かった投手ではなく、エースとはある程度固定された存在だと思うけどな。 1989~1996年はずっと斎藤だと思う。 1997年に開幕から不調でエースが桑田に交代し、その桑田も1999年に今一つで上原の交代したようなイメージ。 >>65 森監督は渡辺久信と工藤と郭泰源だと誰を一番信用してたかな 休まないし、不調の年がない渡辺久信かな?やはり 東尾や松沼兄ヤンじゃないのはわかるが 工藤はダイエー時代は間違いなくエースだったからいいじゃん 泰源はスペだしナベQは91年以降は禿げたし工藤は隔年投手だしどれも決定力に欠けるな ダイエー時代は武田とのダブルエースじゃないか? 99年は間違いなくエースだけど 工藤・武田の外様組にローテ1番手の座を追われた豊彦はまさにこのスレ向きの投手 いたいた このスレのおかげで10年ぶりに思い出したぞ 軟投派、貯金なしまたは負け越し、左腕、横手下手投げ、打たせて取るピッチング、完投が少ない、大人しい性格 残した数字がよくてもこれらの要素が重なるとエース感が薄れていく ロッテの仁科だな 村田が故障したら水谷が代理エースになり 水谷が不振に陥ったら深沢・石川が代理エース、 この3人ともダメになったら村田が復活と一度もエースとして扱われなかった 80福士?山根? 81北別府 82北別府 83川口 84山根 85北別府 86北別府 87北別府 88大野 89川口 90佐々岡? 91佐々岡 92北別府 93川口 94紀藤 95チェコ 96紀藤 97沢崎 98ミンチー 99佐々岡 80年代90年代、鯉のエース 2年連続の優勝&日本一を狙うチームは前年退団したエイドリアン・ギャレットに代わる新外国人としてマイク・デュプリーを獲得し、山本浩二やジム・ライトルとともに強力な外野陣を形成。投手陣ではエース池谷公二郎を筆頭に、北別府学や山根和夫、福士敬章などが先発陣の軸となり、さらに中継ぎ・抑えには大野豊と江夏豊が控えるなど充実。 90年代 エース今中 2番手山本昌 00年代 エース川上 2番手山本昌 大洋の斉藤明夫 成績抜群‥って感じではなかったけど、先発にリリーフに、印象に残る投手だった 大洋の斉藤明夫 成績抜群‥って感じではなかったけど、先発にリリーフに、印象に残る投手だった 川口和久や斉藤明夫は勝ち頭であったことはあるけれどエースではなかった しかし斉藤明夫はリリーフエースだった ブレーブスのマダックス、グラビン、スモルツは誰がエースか? 左からマダックス、グラビン、スモルツ(ATLの成績み) 89年 __勝、14勝、12勝 90年 __勝、10勝、14勝 91年 __勝、20勝、14勝 92年 __勝、20勝、15勝 93年 20勝、22勝、15勝 94年 16勝、13勝、6勝 95年 19勝、16勝、12勝 96年 15勝、15勝、24勝 97年 19勝、14勝、15勝 98年 18勝、20勝、17勝 99年 19勝、14勝、11勝 00年 19勝、21勝、全休 01年 17勝、16勝、3勝10セーブ 02年 16勝、18勝、3勝55セーブ 03年 16勝、__勝、0勝45セーブ 斎藤も桑田も同時期に同時に「エース」と呼ばれてたよ。 しかし槙原はエースとは呼ばれなかった。 晩年はリリーフエースとは呼ばれてたけど。 桑田が持ち上げられるのは甲子園のスターとキャラの濃さもあるだろうな 安定感では斎藤の方が圧倒的にエースなのに優等生すぎてマスコミ的には面白みに欠けたか 江川という球史に残るアンチヒーローエースの後だっただけに尚更 1998年は斎藤に代わって開幕投手を務めて16勝の桑田がエースだった 斎藤が衰えたのに先発の柱ではなく抑えに回ったのだから槙原はエース扱いではなかったと言える 日ハムの津野とか松浦とか? 柴田→西崎と同時期だから二番手だが 津野なんかは新人で開幕とかやってたな 88年の松浦なんかは西崎と並ぶエースの投球だった 松本幸 安田 坂井 テンポが異常に速い この三者いずれかが絡んだ試合は 二時間半で試合終了 当時8時から始まるテレビ中継は間もなく終了というところしか放映出来ないということが本当に起こってました 日ハム津野も近鉄小野もエース 村田辰美はエースでは無い 中山裕章、トラボルタ中田、マイク仲田は微妙 宮本和知は左のエースだったな。 巨人には同時にエースが3人いたわけか。 しかしながらパーフェクトやったり3連弾喰らったり、日本シリーズで無双したりと話題性では槙原がさらっていくわけですよ。 斎藤 実績ナンバーワン 桑田 知名度ナンバーワン 槙原 ネタの豊富さナンバーワン でもセイバー指標的に見ると槙原は他球団のエースより上の歴代上位の好投手だけどね もちろん斎藤はさらにその上いってるけど セイバーだと三浦大輔が強い 暗黒球団だから勝ち星が少ないが >>89 村田は草〜阿波野までのつなぎのエース感あり もっとも阿波野も短かったが 武田勝 常に絶対的エースのダルビッシュがいたため 2012も確変吉川がエースだったし >>98 村田より小野のイメージだわ 草魂→村田→小野→阿波野→野茂 岩隈が出るまで岡本や前川とか暫定エースでしかなかった >>102 だね 金田とかもエースではないよな 安定感はあったけど 小松が一回確変したが 西武のローテの凄さで隠れがちだか 阪急の山田、佐藤義則、今井も凄かった あとオリックスの星野、野田、長谷川もよかったね もしもっと早くに今井に登板前に一杯ひっかけることを勧める人がいたらどうなってたんだろ? 上田阪急はタフで頑丈な少数精鋭の主力で投手陣を回していたから 山田以外もエースと呼ぶに相応しい実績を残してるな 前後期制時代はそれで優勝できたけど長丁場の1シーズン制になったらその戦略だと投手の駒不足が露呈してしまったな 山田、佐藤義則、今井雄太郎、星野伸之、これに山沖までいたからな 80年代後半は西武の先発陣と遜色ない 逆に近鉄は阿波野と小野の次が山崎慎太郎だから 西武の先発陣と比べると三番手が落ちる 加藤哲郎がローテだったのも貧弱な感じするし >>101 巨人時代は4年間はエースだったよ、 でもまだ堀内もいてローテに入ってたし、 チーム内では微妙な位置だったな。 何故かコーチに認められてなかった。 (投手コーチではない) >>101 新浦は1期長嶋時代の安定エースかな 年によって小林繁や堀内や加藤初が突出してるが ファミスタの大洋 にら にはノーノーやられたわ。友達と対戦して。 近鉄なら石本もかな 短い間ではあったけど 高橋一三も堀内の陰で割を食った 杉浦の陰に隠れる皆川と森中 三浦 >>113 新浦がエース? 呼ばれてるとしたら小林が抜けた年だけだな。 翌年は文句なし江川だし。 江川入団してから輝きがなくなったな新浦 藤田になってからはほとんど出番なし >>115 石本はリリーフで勝ち星稼いだだけで 先発では勝ってないぞ ダイエーのエースは、もれなく大エース なんちゃって 笑え 松浦は88年は西崎と同じくらい信用していた 近鉄の小野の89年90年も阿波野に次ぐ信頼感あった >>116 馬鹿丸田し。 小林繁自身が「自分がいた頃のエースは堀内さん、新浦さん」と生前何回も語ってるよ。 エースとは「勝ち頭」じゃないの。 当時の巨人のエースは阪神に強くないといけない、 小林は左の掛布や藤田平、ラインバックがいた阪神には弱かった。 阪神に出されたのもそれが一因。 >>122 じゃあ北別府や斎藤雅やナベQはエースじゃ無いのか >>123 は?斎藤は阪神にメチャクチャ強かったし、 「当時の巨人」の話をしてるのに何で北別所府が出てくるんだか? 今と違って73年76年は最後まで優勝争いしたし、 阪神は強敵だったんだよ そもそもそのエースとやらの定義はどこに書いてあるの? 北別府のエースは85年から 85年開幕当初、大野先発時の中継 実況「エースの山根不在の今、この大野が広島のエースと言っていいんじゃないでしょうか?」 解説「そうですね、大野か若しくは北別府になるでしょうね」 松田オーナードラフト指名の杉本をマスコミに対し「山根の次のエースにと期待している」 それまでの北別府といえば1987年以降と同じく、なんか知らない間にそんな勝ってたのかと言う様な投手だった 85年までは高橋里志、福士と同じく勝ち頭ではあったがエースではなかった 広島にトレードされた高橋直樹はエース候補 斎藤雅樹は推しも押されぬエースだった 渡辺久信もエースと呼べるのだがこの時代、工藤の方がエースだった 84年までは東尾がエース ご指摘感謝する 北別府はいつもランナー背負ってモッさぁ、モッさぁとしたピッチングだった 防御率も結構失点多いイメージがシーズン終われば何故か3点代でもっと取らてたんじゃないのか? と言う感じだった 対して山根はいくら失点少なく抑えても孤立無援、好投報われず 確かに古葉監督は山根登場以前にはここ一番では池谷、北別府を起用していたが、山根の登場を持ってここ一番は山根に任せるようになった 北別府と小林誠ニはよく似ていた 頬っぺたの赤い方が北別府だ この2人は不仲を噂されていた そういえば高橋里志とか川端という投手もいたな 他チームにいたらエース扱いされてたのに 川口 大野 長冨 川端 北別府 長冨は16年間で10シーズンが勝率5割か勝ち、負けどちらかが1つ多いというおもしろい投手だったな。 生涯勝率もぴったり5割。 まあ、移籍後は先発ではなくなったけど。 ロッテの水谷則博は村田離脱時に代理エースと呼ばれた時期はあったが最後まで真のエースいう扱いではなかった 西崎入団後に復活した柴田保光 安定感なら西崎以上だったが勝ち星には 恵まれなかった 山根は1984年までエース級なのに その後の2年間怪我に苦しんだだけで西武に出されたな 今の時代なら故障しても毎年二桁勝ってた投手は 4年くらいは囲い込みして放出しないわなぁ 当時の広島は投手陣揃ってだとはいえ よくエース級を出したなぁ 放出された西武でリリーフとして山根は復活してるしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる