南海ホークス22
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鶴岡親分率いる栄光の時代からどん底の低迷期、そして杉浦監督時代の涙の身売りまで
南海ホークスのことなら何でも語ろう!
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスの話題はご法度。
あくまでも南海ホークスを語るスレです。
【前スレ】
南海ホークス21
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1585879557/ 鶴岡とか野村とか発言力がある人たちが自分で操作しやすい組織を作った、
加えて南海のフロントもグラウンドとそれ以外で責任分担しなかったことが
属人化体制が維持できなくなった後に弱体化した大きな要因じゃないの?
外から監督とかGMを招き入れれば違った結果になったかもしれないけど。 野村の後任は誰がやっても一緒や
無理矢理杉浦にして顔に泥塗る訳にもいかん
それならアホの広瀬でええ
そんな流れで広瀬になったのかも >>492
当時言われてないし
明らかなホームランが多く
ギリギリのホームランの方が記憶に無い。
野村を箱庭専門なんて言いだしたのは90年代以降長嶋シンパのライターでしょ、彼らは野村の現役時代を生で観てないのにとにかくなんでもいいから野村にケチをつけた。 野村を箱庭専と貶していたのは青田昇だな
愛弟子長池に立ちはだかった相手だからというのもあるだろうが
逆に野村は誰よりも打球を飛ばしていた、
球場なんて関係ないと評していたのが岡本伊三美 張本は
遠くに飛ばそうがギリギリだろうがホームランはホームランだから
野村さんは割り切ってコンパクトにスイングして率も残せる方を選んだ
もともと腕力があるからそれでもホームランになった
と言っていた もしも広瀬の代わりに円月打法の杉山が監督になったら
ますます混乱しただけか 飛距離を競う競技じゃないし、箱庭とかただの負け犬の遠吠えじゃねーか。 皆川さんは阪神のコーチ辞任直後だから、いきなり監督の交渉するのは無理か。 皆川もど真ん中の球を気合いが入ってないからボールだとジャッジされて納得するような人間だしおよそ指導者向きでない
穴吹にせよ岡本にせよ南海黄金期の選手はみな好人物ばかりで
闇の部分はみな一手に野村が引き受けてたとさえ思える 青田自慢の巨人が本拠地にしていた後楽園もそんなに大きくないのに 野村のホームランは実際に大阪球場レフトスタンドで生で見たけど
スタンドの中断に突き刺さるライナー性のホームランだったわ >>503
球団内の数少ない野村理解者の蔭山さんが生きていたら違ったんだろうか?
というか蔭山さんがいきていたらノムさんが監督になる時期もずれるから歴史も大分変わるか >>500
フェンス超えたら飛距離は関係無いという考え方は山内一弘がそうだったな ナンボ、OB外様の名監督名コーチ優秀な人材連れてきても、南海、阪神のフロントのバックアップが無かったら、意味ないしな。
今でこそ、関空開港し外国人で南海が潤うけど。
昔は南海は親会社がヤル気無かったのが残念。
まぁ陸の孤島和歌山と大阪南部を走るバスと鉄道会社やから体力が無かったし。
近鉄は田舎路線でも奈良を中心に名阪と京都、
伊勢行ってるのは大きいやろ。
阪急も大阪北部起点に京阪神と宝塚を行ってるし。阪神は文字通りやし。 西鉄と南海は三原と鶴岡で何とか持った球団。
国鉄も金田で持ったような球団やし。 南海は野球も名門だし鉄道事業の方も民間資本鉄道会社の中で名門中の名門で老舗ですよ
何せ創業が一番古いんだから
阪神も阪急も京阪も近鉄もみんな最初はチンチン電車から出発したのですよ
南海は最初かられっきとした鉄道を運営しておりそこだけでも他の大手私鉄とは毛色が違う >>510
歴史はあっても、阪急近鉄と比べて会社の規模や経営体力が違いすぎる。 >>510
軌道ではなくいきなり鉄道からスタートしたってことは
それだけ田舎走ってたってことやわな
高野山と四国連絡が命綱なのにその2つ共倒れ。
関空輸送でなんとか持ち堪えたがどう転んでも野球やる余裕は無いわな 後から考えると野村の後継監督は部外者以外に無かったな。
77年も2位とチーム自体は好調だったんだから、野村を切るにしても戦い方の基本路線は継続させるべきだった。
かといって野村追放直後にそんなことやりたがる南海OBいるわけないし。
もしくは、野村路線完全放棄するなら、チームを基礎から組み立て直すために根本陸夫的なGMを招聘すべきだったかな。
広瀬の「泥まみれ野球」は考えうる限り一番の悪手な気がする。広瀬が悪いんでなくて、ロクな運営できてない球団の責任だけども。 >>512
南海は沿線に政令指定都市堺を擁してますよ
昔の畿内地域は京と大坂と堺が突出して都市化されていて神戸なんて鄙びた港町に過ぎなかった
戦前の大阪府は人口の七割以上が大阪市と堺に集中してたのです
昔からそれだけ市街化されてたので人の流動が多いので南海の開業は早かった
そして和歌山も徳川御三家紀伊藩のお膝元として昔は日本有数のトップ10内に数えられる程の大都市でした 監督候補はたくさんいたけど、金がないんで10年選手制度で年棒が高くなると
移籍せざるをえないし、昔はコーチ枠の人数も少なかった。
岡本、大沢、飯田などは他球団で監督や幹部になるくらい世渡り上手。
鶴岡、野村が長期間突出していたので文句言われるけど、
逆にこんな長期間、いい成績を残した球団は、巨人と西武くらいなんで
贅沢は言えないのでは。在阪球団は、低迷が長いし、西鉄だって三原の時だけ。 南海とか西鉄は路面電車の路線を保有していたから、1960年代に入り、
モータリゼーションが進行すると、何らかの形で経営に悪い影響を
受けていたと思う。 >>514
堺の政令指定都市も維新によって破壊されようとしてるがな
大阪市を破壊したら即堺市破壊だろ 杉山光平さんってwikiに没年記載ないけどまだご存命なのかな えもやんの先日のトークショウで
記憶に残った選手として
遊撃の小池をあげていたな とにかくうまかったと >>518
捕手の松井さんもご存命ちゃうの?
杉山さんも表舞台に出てきてないよな、
コーチとかの話は無いしな謎やな。 >>521
せやな。松井さんも没年書いてないし、存命であってほしい。
先輩捕手の立場から見た入団当初の野村評も聞いてみたいわ。 >>503
皆川は巨人コーチ時代に性悪が露呈したから別の意味で向いてないわ
落ち目の西本をイビり、
若手エースの桑田にゴマすり。
晚節を汚したな 江本は著書で外人のパーカーがむちゃくちゃ守備が上手かったと挙げていた
打たれて「抜かれた!」と思ったがパーカーのグラブに収まっていたことが何度もあったそうだ パーカーはドジャースでは守備専のファーストとして長年レギュラーだったしな。
元メジャーとはいえ渋い通好みな選手だった 東映が江本を放出した本当の理由ってなんなんだろ。
実際に東映は2年目の江本期待してたっぽいし。 東映の監督・コーチも「アイツは間違いなくエースになれる投手。フロントは何考えているんだ!」と激怒したらしいね。
ノムさんに依ると江本以上に期待されていた若手投手・高橋直樹を執拗に要求して、東映側が困り果てた所で
「なら高橋直樹は諦めて、今年入ったばかりのノッポの投手居るでしょ。彼でエエわ。」とボソッと言って、
「江本ですか?彼で良いならどうぞどうぞ(;´∀`)」との返答を引き出したらしいね。
勿論勿論ノムさんの狙いは始めから江本で、本音は高橋直樹くれるなら江本は諦めるって辺りだったろうけど。 高橋博はかなりな戦力だったからね
打てるしどこでも守れるしね
トレードは当時の東映の事情もあったんでしょうね 黒い霧でガタガタ→大川博が急死→息子の毅が総帥になりかける→クーデターで岡田茂がトップに→毅を干して独裁へ→身売り話が再燃→身売りへ
当時の東映球団はずっと内部がゴタゴタしていたからな。
71年に博が亡くなった直後のオーナーは毅だったが早々と追い出されたようで72年オフの身売り時は岡田になってた。
野村の高度な交渉なんて本当は無くて余裕が無い東映フロントがあっさり江本を出したのかもしれない 日ハムフライヤーズにしたらハエを連想するから、ファイターズにしたよな確か?
頭文字のFを継承か。 1968年ドラフト1位で十二球団一の守備の名手と言われた
大橋穣を放出したのも1971年オフだし東映の内部がゴタゴタしてたんじゃね >>530
日本人でハムとフライって文字を見てハエを連想する人はお前くらいだろうな 当時の東映って武闘派って感じだよな。今の駒沢公園周辺のイメージとは似ても似つかないw
江本はそういう意味では南海は同級生も多くてやりやすかったみたいだね。そもそも南海って武闘派イメージないしね。 武闘派と言えば…日大時代の輪島大士をも恐れさせた佐藤道郎 日大1年の時、新宿のガード下で4年生部員をボコボコにしたエピソードあり >>515
世渡り上手ってのは大沢だけだな
選手としての実績が岡本飯田の足下にも及ばず南海時代は人望無しの嫌われ者だったのがアソコまでのし上がった
のだからw
岡本飯田は実績もさることながら
人柄が買われて周りが持ち上げてくれた感 筆頭の鶴岡さんは口は悪いけどその裏表のない実直な人間性でみんなから愛されてたからね
だから南海には人柄がいい選手がみんな集まって来たんだよ
例外の野村も黒化して性格が歪むまでは普通にいい奴だったと杉浦や広瀬も口を揃えているからね >>536
野村著『私の教え子ベストナイン』では杉浦も広瀬も教え子扱い >>536
60年代の南海で喧嘩っ早そうなのは大沢や国貞のイメージだけど、
東映のメンツと比べたらお子ちゃまみたいな感じやなw 八名信夫のように東映の投手からヤクザ俳優に転身した人もいるくらいで >>532
グレートリングだって、最初は気付いてなかったわけだし。 鶴岡親分時代は大沢氏が嫌われ者でそういう意味では
団結していた
飯田さん岡本さん穴吹さんもええ人やったな
皆川さんは巨人だからやりにくかったし外様ゆえの悪評かな
野村さんは批判したえもやんと西岡三四郎を出したのが間違い 72年頃の東映は撮影所で労組が大々的なストをやり、それを経営側が893を使って潰しにかかったりと現場が非常に混乱していた。
有名な映画「さそり」は労組が撮影所を占拠する中をゲリラ的に撮影されたらしいし、人気ドラマのキイハンターもこの混乱が一因で打ち切りになった。
こんなんじゃ東映フライヤーズの存続なんて無理だわな
江本は早く出られて幸運だったかもしれない >>525
パーカーのドジャース時代のチームメイトが
前後して来日してるのよね
66年WSメンバーだった
73年ラフィーバーと77年W・デービス
ラフィーバーはWSと日シリ制覇経験した第1号
ラフィーバーはロッテ日本一
デービスは満塁ランニングHRと印象に残る活躍をしたがパーカーって好守備以外にどんなエピあったっけか?
南海を1年で退団後に阪神が獲得しようとしてたが断念して急遽獲得したのが
アルトマンだったと助っ人列伝で読んだが >>545
日本での有名なエピソードは無いな。
野村いわく「守備は確かにうまかった記憶がある。だけど打撃が期待外れだった」
定岡に対して「高い送球は捕れないが、低く送球してくれたら何でも捕ってやる」とアドバイスし
定岡の肩の強さをアピールさせるため一役買ってたくらいかな >>544
アニメを制作している東映動画の労働組合といえば、宮崎駿がの名前が
知られているけれど、東映動画がモデルとなった、なつぞら(朝ドラ)では
存在が登場しなかった事を思いだした。 大沢って長嶋・杉浦の人質的役割を自覚していたから、球団内ででかい顔出来てたのかな。 生来の性格もあった(笑)ろうけどな。
そもそも横浜・湘南系の人って、良かれ悪かれ自分は関係なかろうと正しいと思った事をズバッと口に出さずにおれないタイプが多いんよね。
あの辺の街中で知り合いと口論していた時に、通りがかりの人が横から口出しして来て「アンタ誰だよ?関係ないだろ!」となったりw。
東京は言うまでも無いけど、大阪も争い事については自分が関係する事柄となるとこの上なく自己主張するけど、関わりない事だと
こっちまで災難が降り掛かっちゃたまらんと足早に遠ざかろうとする土地柄だし・・・・・、争い事じゃなければ気さく且つ勝手に赤の他人でも
愛想振りまく様なとこあるけどw
それにしても分からんのは、日ハム球団社長の三原さんが何故に大沢だったのか?なんだよな。
当人は温厚な性格ながら魑魅魍魎が跋扈する食肉業界に長らく関わっているからか、大下剛史の様な気性の激しい人を好んだ大社オーナーに合いそうな人
とまで考えての指名だったかもしれんけど。
食肉の世界なんてアメリカでは屠殺場が発祥というシカゴがあんな街となったり、日本でも同和や同和系893が・・・・・・おっと余計な話だな。 同じケンカ別れでも大沢は自分の今があるのは南海のお陰と自覚し
日ハムで出世しても南海OBとしての立ち位置を忘れなかった
嫌われ者だったか知らんが南海時代のチームメイトとも普通に交流を続けてたしな
一方野村は死ぬ間際までホークスを恨み身売りまでに至る苦闘する南海球団にざまあみろと悪態をつき
生涯に渡り自らを育てた恩義のある母体に対しこれでもかとばかり砂をかけ続けた
本当の南海ヲタならどっちを支持するか明らかだろ
野村叩きは単なるノムアンの繰り言ではなく南海ファンの心からの叫びだ まあもうノムも死んだしな
エモヤンがなんばパークスに自分の写真を削ってでもいいから野村の名前を出すよう懇願してるらしいが…
カツノリは了承するだろうけど南海電鉄自体が当時を知る人はもういないだろうし、良くも悪くも思い入れも少ないだろうから叶わないだろうな >>550
沙知代が死んだら南海に謝罪するかと期待していたが結局謝罪しないまま自分も死んでしまった 江本はツイキャスで野村の追放について墓場まで持ってく的なこと言ってたけど、
それこそ公開してほしいわ。 でも江本はその時点で阪神にいたからどこまで知ってるんだろ? 謝罪なんかする気は更々
無かったと思われる
有ればサッチー他界後にしていたろう 江本は騒動の発端の一人だし江夏にその後の顛末は聞きだしたりはしてるだろう 謝罪言うても謝る相手がおらんしな
杉浦が生きてたら和解したかもしれんけど 相手が死んでたとしても野村本人が結局死ぬまで謝らなかったんだから話にならんわな
カツノリだって要らん事に関わりたくないやろし 野村はなぜあそこまでのガチクズになってしまったのか 野村の回顧だと56年春のハワイキャンプで一軍定着したことになってるけど、
ハワイ前に既に筒井敬三の19番貰ってるし、実際は2年目の55年に見込まれてたんじゃないないかと思うわ。
だからこそ55年は一軍出場もなく(=カベで帯同なく)、じっくり2軍で調整させて貰えてたと思う。
期待されて無かったらわざわざ19番貰えないと思うし。 最初の妻との家庭関係が上手く行かず一番の理解者だった蔭山がまるで自殺のような最期を遂げ
幼くして父をなくしたので本当の父親代わりに思っていた鶴岡監督から三冠王をとってもお前は何にも貢献してないと自分の存在を完全否定され
プレイングマネージャーになったことで戦友であり親友でもあった杉浦や広瀬との関係にも亀裂が生じた
監督になっても若造だと舐められてまだ鶴岡を慕う選手たちから何度も造反され
まあ野村も可哀想な男だと思う
沙知代に捕まって闇落ちするのも仕方ない面もあった >>566
まあ、プレイングマネージャーを打診されたのが終わりの始まりだったとは思うわ。
鶴岡には(より)睨まれ、杉浦・広瀬とは確執、かついくらブレイザーがブレーンとはいえ、
監督としてチームの矢面に立たなければいけない。それに加えて捕手で4番。
いろんなプレッシャー物凄いと思うわ。それまで鶴岡に任せっきりで、蔭山の急死によって、
飯田経由とはいえ、急造すぎる。いくら兼任監督が流行とはいえ、無理があるわ。
野村は南海のいい加減かつ属人的な運営の被害者とも捉えられるね。もちろん公私混同は責められるべきだけどもね。 野村は、兄の想定通り、峰山高校→鐘紡淀川に行って、
都市対抗で活躍して、鳴り物入りでのプロ入りだったらまた違った人生だったろうな。 たられば言っても仕方ない
野村はあのタイミングで入団したから球史に残る名選手になれたのだ 社会人に言ってたらファースト転向してだ可能性も高いしな 沙知代に人生狂わされた人は本当に可哀想だが、野村本人は確かに当時の南海球団の運営に振り回された側面は実際あると思うよ。
ただ南海時代のトラブルが無ければ後年の、名将野村のイメージもなかったはずだし、野村本人にとってみればそんな悪くないんじゃないかな。
高卒で地味なパリーグにプロ入りしてから約70年も大好きな野球を仕事にできてたわけだし、一般的知名度もプロ野球関係者の中ではトップクラスでしょう。
死ぬ直前まで野球の仕事で民放ゴールデンに頻繁に出られてたし、亡くなったら亡くなったで、速報流れて特集番組や追悼雑誌も複数出版されてる。
実績は相当な米田とか福本、門田なんてそこらへんの一般人はまず知らないだろうし、身の振り方によっては野村も彼らのようになってた可能性は十分ある。 俺はノムシンじゃないが、選手としての実績は抜群だし、兼任監督としても
他と比べては優秀と思うよ。
ヤクルト監督以降はマスコミ受け重視になって、タレント化したんで、
話盛ったり、ボヤキもわざとらしかった。
阪神と在阪マスコミだけはどうにもならなかったけど。 そもそも関係者がもういないけど
当時責任取らさせて放逐されたんだから
南海に謝る部分は残って無いよね。
鶴岡にもあの発言は形の上では謝罪したし、
川勝に感謝の言葉くらいあるべきとかそんな処でしょう。
謝罪が無いと言ってる方は何を謝って欲しかったのか。 鶴岡除くと表立って野村と確執のあるOBも意外と思い当たらない、穴吹岡本も広瀬も嫁は嫌いでも野村の事は普通に語ってるし最後までって杉浦くらいじゃないかな。 港東ムースの関係者だって、沙知代は大嫌いだけどノムには同情しとるんやで…
https://youtu.be/1vYpSrBf-N0 >>574
確かに、それこそ大沢や国貞は野村嫌ってそうだったけど、
他にはあんまイメージないね。広瀬も野村追悼本に手記寄せてるし。 広瀬は野村と昔から家族ぐるみの付き合いをしていて
広瀬の嫁は野村の前妻とは親しくサッチーのことをどうしても許せなかった
南海選手合同の家族の集まりで広瀬の嫁がそこに堂々と顔を出していた沙知代に
あなたは何でここにいるのですかと問い正し場が凍りついたとか
野村はもちろん激怒して広瀬との関係は修復不能となった そもそも岡本伊三美は確か鶴岡一派の中で唯一騒動後もノムと親交あったんやろ >>578
それでも野村が阪神監督時代には解説者だった広瀬の取材を受けるくらいには
関係修復していたみたいだね
広瀬の本にも、会えばお互いの健康の話で盛り上がったって記述がある
野村から歩み寄るとは思えないから、広瀬の方からまた歩み寄ったんじゃないか >>575
ムース出身者のGG佐藤もノムを慕ってるしな 少年野球や社会人野球の監督までしたり、ノムは野球に対してだけはまっすぐだったな そんな野球にひたむきな野村が野球より女を選びその選んだのがよりによってあの沙知代とはな
南海も野村のクビをいきなり切ったのでない
沙知代のせいでチームが分解しそうになったから野村にまず別れろと説得した 野村の野球の情熱を知っていた川勝は野村は野球を絶対選ぶと確信してた >>578
広瀬夫人やるなあ
さすがにサチヨも何も言い返せなかったんだろうか 個人個人では皆川だって野村と終生通じてたわけだし、
やっぱ、邪魔なのはサチヨだよ。旦那の人間関係に介入なんて。
しかし、鶴岡さんはすげえな。
テスト生から大卒まで、いくら当時600人テスト受けに来たと言っても
岡本、野村、広瀬を引き上げるんだから。宅和、皆川も無名だったし。 >>585
腹いせに藤原夫人にビンタかましたぞ
だから本来野村派であるはずの藤原は野村に追随しなかった 嫁さんがでしゃばるとは社宅の世界やな
造幣局の官舎でもそれはあると聞いたことがある
半沢直樹と同じやな
チャイは江本西岡と三人で野村を諫めに行って
唯一トレードに出されなかった >>586
広瀬は広島の知人経由で既に見出されていたみたいでテストは形式的なものだったみたいだし、
皆川も立教進学も視野に入れつつプロのスカウト複数来てた中で南海選んだみたいだし、全くの無名だったわけではない。
本当の意味でのテスト生からの成り上がりは野村、岡本あたりだな。 沙知代は間違いなくアレな人だがそれをよしとしたのも野村だからな… ここではボロクソに叩かれるサッチーだが(まあ当然)
一般人と比べたらやはり野球その物には詳しかったのかな? >>586
親分の眼力は凄いな。
今のソフバンの育成枠に近いな。
まぁ、あっちの福岡ホークスは設備投資の金の掛け方えぐいわ。ダイエー時代もえぐいけど。
南海電鉄の体力では金掛けれへんわな。 鶴岡親分は本人も素晴らしいプレイヤーだったからいい素材を持つ選手を一瞬で見抜くことができる
入団してすぐホームラン王を取った翌年には出征して選手として一番脂の乗った時期を軍隊で過ごしたのは惜しかった
戦後兼任監督で復帰したけど選手としてのピークは過ぎてたし他のプレイングマネージャーと違い
本当の監督指揮とGMのような仕事までしてとても選手に専念できる環境じゃなかったしね
それでも個人成績はそれなり以上のものを残してるんだから本物の超人だね
もう少し若く兼任してなかったら川上に匹敵するプレイヤーとしての評価があったかもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています