意外な起用・守備位置・打順・登板3
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意外な起用方法や守備位置や打順、先発や中継ぎ登板した選手について語るスレです 高木守道監督がセカンド森野ライト荒木をやったことがあった しかしまぁ、元ロッテオリックス近鉄の
五十嵐彰は凄いよな、最初ロッテは外野手でセンター?でショート?
また外野でオリックスで内野のユーティリティプレイヤーで緊急時の捕手
近鉄で内野外野やってたった一度の四番の打席でホームランで全打席本塁打達成 1994年消化試合で1番DH伊東勤 2番も打ってる
期待打席(当時は130試合×3.1 403打席)にのせるためにに前のほうを打たせたみたいね これは長嶋監督時代のレフト仁志だよな
なにトチ狂ったか仁志を人生初の外野起用
案の定、レフトへ打球が飛び仁志が素人みたいな守備で届かず敗けて戦犯 >>155
優勝を決めた後の残り5試合で足りないのが13打席だから
普通に8番で出していても到達したんだけど、シリーズの調整と規定打席を
両立させるべくの起用だね
80年の梨田は日本シリーズ後に行われた「前期」の未消化試合3試合に
いずれも一番で先発出場して計15打席を稼いで404打席
同年のベストナインとダイヤモンドグラブを獲得 >>157
川相や元木も外野やったな。
あれは何だったんだろう? >>159
元木のレフトは卒なくこなしてたな
パワプロでもFぐらいの適性、レフト マルティネスより使えた
川相は元ピッチャーでショート本職なら外野も卒なくこなせる >>163
王の時もあったかもしれないけど、1999年9月15日に2番レフト川相スタメンがある。
ちなみに9月17日は2番レフト元木。
この年、開幕はショート川相だが翌日はショート二岡、その後は川相と二岡が交互で5月下旬からショート二岡で定着。
川相はサードへ回る。
そんでもってマルちゃんがファーストやったりレフトやったりして、清水がセンター、松井がライトとか大忙しだったわ。 1999/9/15
4 仁志
7 川相
9 松井
5 清原
3 マルティネス
6 二岡
8 清水
2 村田真
1 入来
14日までは高橋由伸がいたんだけど、怪我したんだっけ?
ここから狂ったね。
清原サードだけど、二岡がショート定着後は川相、後藤、元木でサードを回してた。
石井ひろおもいたけど、ファーストしか守ってない。 代走元木は既に出ているけど、代走江藤にもビビった。 >>165
この頃って松井由伸清水以外にどんな外野手がいたのか
もうよく覚えてないな パワプロ99決定版だとマルティネス、広沢、後藤が外野手登録になってる >>167
広沢がサードやったのは前年の98年。
試合数少ないけど3割打ってる。
99年は怪我かね?ほぼ出番なしで翌年から阪神。 >>168
その3人で磐石ではあったのであとは外野専門だと斉藤宜ぐらいしかいなかった。
だから緊急時は川相、元木だったんだろうね。
その意味では後藤はサードも外野もファーストもできるから便利だった。 清原に広沢に石井浩にマルティネス…
明らかに余剰戦力だな >>172
ナベツネとセゲヲが結託して、他球団の主力を片っ端から強奪していた頃だからね >>170
ありがとう、清原のサードの年と同一かと勝手に思ってたが、違ったんだね 前スレでも言ったが
仁村弟がピッチャーとして1勝している >>146
キャンプでひざを故障したコックスが
5月14日に一軍登場したが(半月ほどで故障悪化のため姿を消した)
この直後に石井がしばらく離脱していて
一塁コックス、二塁村田、三塁古木、遊撃内川
左翼鈴木尚、中堅金城、右翼ウッズというセンター以外世にも恐ろしい布陣が
3試合だけではあったが敷かれていた
(この布陣で三塁が古木ではなく小川も7試合)
なお、コックススタメンの試合はすべて
一塁コックス、二塁村田、右翼ウッズと右方向の恐ろしさよ・・・ >>183
コックススタメン14試合5勝9敗
> 一塁コックス、二塁村田、三塁古木、遊撃内川、
> 左翼鈴木尚、中堅金城、右翼ウッズ
は1勝2敗 >>177
しかもこの試合は宇野掛布敬遠騒動の試合 ウッズは中日に来た当初もキャンプで外野テストやらされてたな
一発で失格になったが >>177
アマ時代は上尾高校で牛島香川の浪商を9回2死まで追い詰めたり
東洋大でも4年間通算で29勝
屈指のアンダースロー投手として鳴らしていたわけで
プロ生活を後から振りかえっての印象だね 97年ホームラン王のホージーは序盤8番とか打つ事が多かった 大阪球場の意外な1軍公式戦経験者
中根仁 赤堀元之 伊藤寿文 石井丈裕 石井浩郎
野茂英雄 橋本武広 酒井勉 ドンシュルジー ウィリーアップショー
ジムトレーバー 馬場敏史 リッチゴセージ ハーマンリベラ >>190
意外でも何でもねーだよ
大阪球場は直ぐ取り壊したわけねーだろ
住宅展示場としても使ってたな >>192
ただ1軍公式戦は90年までしかやってない上に試合数も少なかったから意外なことは確か 89年が9試合で
90年が8試合
全部近鉄主催でダイエー戦中心
だから同時期に近鉄ダイエーに在籍してた選手はあまり意外感はないな
それを外すとこの中では石井丈 酒井 シュルジーか
まあたまたま登板機会があったかだね 意外な1軍公式戦経験者
中村紀洋 川崎球場
松井稼頭央 ナゴヤ球場
新浦壽夫 山内孝徳 鈴木康友 小田真也 大宮龍男 千葉マリンスタジアム
谷中真二 ドミンゴマルティネス 藤田宗一 藤井彰人 フランクボーリック 藤井寺球場
ランディバース 柏原純一 福本豊 森繁和 東尾修 東京ドーム
田村藤夫 松永浩美 緒方耕一 野中徹博 山内嘉弘 大阪ドーム
広瀬哲朗 落合博満 福良淳一 高田誠 渡辺久信 ナゴヤドーム
牛島和彦 中尾孝義 長内孝 斉藤明雄 杉浦享 福岡ドーム
福澤洋一 田村勤 遠山奨志 伊藤敦規 弓長起浩 札幌ドーム 落合と西浦と小笠原がポジション争いしてたってのも感慨深いな
小笠原が捕手レギュラーなら歴史が変わってただろうしな 控え捕手だった小笠原が2120本安打、378HR打つとはね >>195
門田博光 千葉マリンスタジアム
村田兆治 グリーンスタジアム神戸 >>199
門田は東京スタジアムと千葉マリンスタジアムの両方で本塁打打っているんだよな >>200
門田はヤバいよな、時代を通り越したような選手
キヨもモミーも一塁守って恐怖を感じるわな
実際は打撃練習でレフト、センター、ライト順番に飛ばすらしいな
引っ張り専門にしなかったら4割打てたかもな 先発で完全に通用しなくなった山内孝徳をクローザーで起用した90年の田淵ダイエー
まぁ衰えたエースを抑えに回すというのはよくある話だけど
当時の山内孝徳は直球が130kmくらいだったんだよなぁ 1990年ダイエー
41勝85敗4分(最下位) 監督 田淵幸一
1 佐々木(右) 率.273 本14 打点52
2 湯上谷(二) 率.265 本5 打点22
3 アップショー(一) 率.220 本2 打点22
4 バナザード(DH) 率.275 本13 打点40
5 岸川(中) 率.258 本20 打点74
6 山本(左) 率.304 本6 打点25
7 藤本博(三) 率.211 本12 打点61
8 内田(捕) 率.250 本2 打点16
9 小川(遊) 率.251 本3 打点21
村田 27試合 7勝15敗 防5.79
井上 29試合 5勝8敗 防4.70
吉田豊 18試合 5勝10敗 防5.01
本原 11試合 5勝5敗 防4.48
杉本 16試合 3勝7敗 防4.94
高島 21試合 1勝3敗 防3.79
橋本 20試合 1勝5敗 防5.57
山田 20試合 0勝1敗 防4.50
矢野 47試合 2勝1敗 防4.39
青井 49試合 0勝1敗 防5.61
山内考 39試合 7勝7敗5S 防6.11
ゴセージ 28試合 2勝3敗8S 防4.40 宇野はセンターもやったことあるし星野の頃から外野で起用されてたぞ 阪神時代にファースト田淵
西武時代にキャッチャー田淵 >>213
意外でもなんでもない。
田淵で意外なのは外野をかなり守ってること。
3年目は外野での出場がいちばん多い。 王貞治もやってたけどね。今では珍しいだけで奇策でも何でもない。 8番投手というのは
通常、出塁重視のチャンスメーカーは1、2番だけど
9、1、2番にしたいということだと思うよ
王の前に出塁重視の打者が3人かたまれば機能したかもしれないけど
ラミレスは足の遅くて低打率の捕手を9番に据えたりしているから
意味がないと思う >>199
実は村田兆治はグリーンスタジアム神戸で完投勝利をしている 意外なバッテリー
大宮龍男と西本聖
大宮龍男と松沼博久 08年末期の落合中日
1 李炳圭(右)
2 荒木(二)
3 和田(左)
4 森野(中)
5 ウッズ(一)
6 中村紀(三)
7 井端(遊)
8 谷繁(捕) 濱中ってサードでは出たことあるけどファーストを守ったことがないんですね
桧山は不満タラタラながら一塁守ってたことがあるけど
素人臭いこと書くけど脱臼癖がついた後一塁で肩をいたわりながら使うという道はなかったろうか? 怪我で2003年・2004年と2度の手術を行った右肩はランナーを抑止できない“弱肩”と言われていた。
もともとのケガはただの脱臼だったが、完治しない状態での強行出場を監督に強く直訴して出場し
無理をして大ケガを負った。それが完治しない状態でふたたび強行出場し
やはり無理をして大ケガを負った。結果的には、最初の脱臼よりも、そのあとの二度の大ケガが致命的となった。
2006年に濱中が右翼手として復帰した際には
ランナーを二塁や三塁に置いて打球が右翼に飛んできた場合
二塁手が通常よりさらに深いところで中継に入り
濱中の弱肩をカバーするという方法が考えられた。
守備の負担軽減のため右翼手から一塁手へのコンバートも一時提案されたが
濱中本人がコンバートに難色を示したことと
広島から移籍したアンディ・シーツが正一塁手に固定されていたため、コンバートの話はなくなった。 シーツの一塁手というのもこのスレの意味とは違うが意外だった。 松永浩美と井口忠仁の三遊間コンビ1軍公式戦で実現していた ホームラン王争いしてる打者をシーズン終盤1番に置くのは大して珍しくない >>236
そのために、外野の守備がザルになってしまっては
元も子もない 2番田淵
73年にチラホラ。
ホームラン量産のためか。 >>240
レフト浩二、センター長嶋、ライト長内
ザルではないな。 https://youtu.be/kM-z8UkUMo4
シーズン最終盤でもないのに、
小川―衣笠―木下
というクリンナップトリオ。 >>236
外野からいきなりセカンドなんて、到底無理でしょ 代打高波
コールされた瞬間酔っ払ったおっさんが「高波かぁ〜」ってため息ついていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています