広岡監督は当時フロントと対立していた点もあるが
今後の西武常勝チームを支えるメンバーの事を思い
阪神との日本シリーズにどう臨むか?を深謀遠慮していたとも見える。

故障者が多いという事情
仮に勝った場合 仮に負けた場合 の両ケースも頭に入れていたのではないか?

ペナントレースは獲れた。
でも後半は失速した。若さの露呈。チームの完成度の低さ。発展途上
84年の5月から一気にチームを切り替えての一つの結果
更に強くなるために何が必要か?どの戦力が?
机上でない実戦で示してそこをアピールしようとしたきらいもある。
実際シリーズ後のフロントの対談直前までやる気はあったのだから。

多分大いに空想も入るが広岡監督が本気でやろうとしたらシリーズが勝てたと思う。
果たしてそうした場合目指すゴールであったか?
理想のチーム像とはまだかけ離れていたと思う。
その辺の塩梅が評論家や多くのファンの采配の違和感と繋がるのではないか?