横浜ベイスターズ 森祇晶監督はなぜ大失敗したのか
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初年度3位だったし戦力も揃っていた
なぜあんなことになったの? 単に木庭スカウト時代の選手が優れていただけでそれらの選手が抜けて本来の姿に戻っただけだから 西武みたいに戦力が揃ってなかったのに森が西武時代の同じような野球をした
黒江、森繁、辻のコーチ起用、2番のバントなど バントするのを逆手にとって
エンドラン多用してた気がする 古葉が連れてきた一派が優秀すぎた
佐々木を腰痛理由でプロ拒否させた上で獲得
広島と相思相愛の谷繁にあいつは頭悪すぎと怪情報流して単独で獲得
東洋大進学予定の野村を3位で獲得
プロ拒否東洋大進学予定の石井琢朗をドラフト外で獲得
こういう裏ワザで集めてた有能な選手で勝ってただけ
このノウハウは古葉派閥一掃ですぐに消えて元に戻ってろくな選手を取れなくなった >>9
87年
PL学園・野村弘樹投手(3位)
高岡商・進藤達哉内野手(ドラ外)
88年
江の川・谷繁元信捕手(1位)
足利工・石井琢朗内野手(ドラ外)
89年
東北福祉大・佐々木主浩投手(1位)
凄い当たり率 田辺学なんかもプロ入り拒否していたのに
大洋が最後の最後に指名して
1年遅れでシラーっと入団していたもんな
まあ、前評判のわりにはクソPだったけどw 選手とのコミュニケーションが取れてないとかで
叩かれまくってなかった? そもそも権藤のやり方が間違ってたんじゃないの?
森と谷繁は森と言うよりも谷繁の性格の方が問題 西武時代は根本が取ってきて、広岡が育てた選手の力が大きかった >>13
谷繁は現役時代の監督で合わなかったのは森だけ
ヤクルトコーチ時代からミーティングで選手を名指しで批判しいつも「広岡監督はこう言ってだが」と言い、伊勢が広岡が監督辞めるとき聞いたら「私が選手に対して言うときは直接言う」と >>15
最低だと言っていた近藤とは合っていたのかね? 森繁と二回喧嘩してるのもスゴい
考えてみたら中日が中村を出さないと言えば実現しない移籍になり、落合が来ないで二回目の邂逅は無かったことになるわけか >>13
森は伊東勤にも嫌われてる
谷繁は大矢権藤と寵愛され一流捕手と呼ばれたところに、森が一から鍛え直す、と毎日しごかれ険悪になった >>19
落合(監督選手としては最高)、あと山田久志
捕手は監督に嫌われたらすぐ干されるポジションだから、最多出場の谷繁はそれなりの関係は築いてる ローズって過大評価されがちだけど、「4番」としてはいかにも物足りなくなかった?
1999年こそ驚異的成績だったが、他の年は20本塁打前後。
二塁手としては守備範囲もあまり広くなかったが、何が良かったんだ? 2001年は勝ち越してAクラスだから決して悪くなかった
本塁打こそ3桁に届かなかったけど、打率が.267もあった
防御率も3.749で十分健闘してる
チーム力は十分安定してた
2002年に暗黒化したのは、谷繁離脱と金城が嘘のように打てなくなったことだった 古葉・森・野村・落合・原は共通してる。 就任当時に前政権が育てた大砲がいて
それに守備的野手と投手強化して優勝。 野手たちが衰えて焼野原にしてチームを去る
古葉大洋 森横浜 野村阪神楽天と大砲いないチームの監督になったら全然ダメ
育成ができない。
もしかしたら筒香そだった15年あたりに森監督してたら勝てたかも >>23
野村阪神は大砲(新庄)育成したら覚醒してアメリカ行っちゃった
楽天では使い物にならないと思われてた古い大砲(山崎)を使える様に整備し直したぞ >>22
森は一年だけの話だからいいけど
暗黒化は山下がまだ選手が残っていた時点で立て直せなかったことと
TBSのやる気なさというか間違ったやる気がずっと尾を引いたことだな
森に全責任負わせてるよりもその次の体制がその後の10年を決めた決定打じゃないの?
2003年とか谷繁はいないかも知れんが90敗もするチームの戦力ではなかった
せむて牛島が後3年やってればなぁ
あれも辞める理由がTBSの消極的な態度に嫌気がさしたんだろ? とんねるずなんか入閣させてる場合かと
しかも巨人ファン なぜこのチームは6チームしかないリーグで
こんなにも優勝できないんだろうね
1回目は事故のようなもんだし
その後38年間も優勝できず
さらにその後21年間も優勝できてない
森云々よりももっと根本的な問題だろ
あまりにも安易な他球団の優勝監督持ってれば良いという低レベルな監督選び含めて
近藤昭仁は否定されがちな権藤がおいしいところ全部持っていった形になってるのもね 戦後の清新な新しいチームというわりに利権やお家騒動に関しては古参の巨中阪並みに酷い >>21
得点圏打率(カッコ内はその年のシーズン打率)
'93 .372 (.325)
'94 .323 (.296)
'95 .339 (.315)
'96 .367 (.304)
'97 .349 (.328)
'98 .337 (.325)
'99 .394 (.369)
'00 .354 (.332)
とにかくチャンスで打ってて、回せばなんとかしてくれる・駄目なら仕方ないと思わせる打者だった
二塁手というのも大きいかもしれん 落合(監督)と谷繁も最初は仲良くなかったよ
配球が気に入らなくて落合が捕手を替えようとしたのを
森繁がなんとか留めた 野村監督のときの阪神もそうだけど、低迷しているチームと言うのは弱いくせに選手個々のプライドが高いんだよな。
困ったことにプライドが高いから新しく就任した外様監督の指示なんて本気で言う事聞かないのよ。 >>32
別にヤクルトの選手のプライドが低かったとは言わないけど
野村監督就任時のスワローズは若くて素直な選手が多くて幸いだったな。
ベテランも尾花、八重樫、角、杉浦と言った、弱いくせにプライドだけは高い
と言うタイプの選手はいなかった事もよかった。 >>33
ヤクルトは適度にノムさんの文句を流せる選手も多かったね
森横山とは野村阪神は選手たちが真に受けて逆ギレしてしまうという
悪循環になった。阪神に至ってはメイブロワーズ大豊が舌禍事件起こしてたし 低迷しているチームの中には弱いくせに選手個々のプライドが高いチームがある。
と言った方が正確かな。 ヤクルトと言うチームは伝統的に弱くても素直な選手が揃ってるんだろうね。
癖のある広岡のときにも日本一になってるし、チームとしては外様でも監督として能力のある人には大筋では素直に従うという。 >>18
伊東は「森さんの愛弟子と言われるのは嫌でした」と
>>22
2001年だけ勝利数で順位3位だが、勝率は4位
>>25
その一年が酷かった、貧打、守備崩壊、投壊で独走の最下位 ・斎藤隆のリリーフ転向
・金城の外野コンバート
・トレードで種田を獲得、二遊間をかためる
・谷繁の後釜に相川を育てる
・なんとか多村を育てようとした。本人が故障していると言っても
強制的に出場させたこともあった。
失敗と言われながらも、名将だと言われるだけあって
光るものが所々にあったのも事実
最終形は、牛島がやったときみたいなチームにしたかったのではなかろうか 森祇晶監督の野球は意外に正攻法なんだよね
マシンガン打線の野球は邪道と言うと言葉が悪いけど
突然変異みたいな野球だった
野球でヒットが続けて何本も出るなんてそうそうあるケースじゃないんでね
あの時はたまたま上手くいった野球であって、ずっとは続けられない 2001年谷繁元信
.262 20本 70打点 4盗塁 出塁率.367 ops.815
盗塁阻止率.543 守備率.997 捕逸3
チーム本塁打王の正捕手が抜ければ、弱くなるわ 2002年中村武志
.201 5本 19打点 0盗塁 出塁率.243 ops.526
盗塁阻止率.256 守備率.993 捕逸5 まあ、しかし
よく中日は善意で中村を譲渡してくれたな 山下は不協和音を収束させるのが精いっぱいという感じだったな。 森が谷繁のリードを気に入らなかったんだよな
森の不満や愚痴を人づてに聞いた谷繁は嫌気がさして横浜を出ていった
谷繁がずっといたらどうだったか 谷繁が後述しているところによれば
森監督は、本当は相川を使いたくて、自分を追い出そうとしているのではないかと感じた
と言っているけどな >>41
次の年に弱くのるのは仕方ないにしても
ずっと弱いままなのはなぜ? 谷繁は確かにいなくなったけど
相川や中村武がいたんだから
大幅な戦力ダウンにはならなかったはず
守備にしても打撃にしても >>39
金城を潰した森
名将というか戦力がないと勝てない人 打線は何と言ってもローズの抜けた穴が大きすぎ
投手だと大魔神の穴は意外と斎藤隆が埋めてる
1年目はバワーズと谷口がひどい
2年目は福盛と斎藤隆以外のリリーフ崩壊、先発が無援護で負けすぎ
2001年(セ平防3.78)、2002年(セ平防3.58)
https://imgur.com/Ts5nOcC.jpg
https://imgur.com/kZkB08q.jpg エースに三浦を指名したのも森だし
進む方向性としては間違っていなかったよ 佐々木は移籍したの1999年オフで、森が投手コーチで森繁和呼んだら投壊した 権藤博監督時代
1998年(優勝)防御率3.49(2位)打率.277(1位)本塁打100本(同数3位)
1999年(3位)防御率4.44(5位)打率.294(1位)本塁打140本(4位)
2000年(3位)防御率3.92(4位)打率.277(1位)本塁打103本(6位)
森祇晶監督時代
2001年(3位)防御率3.747(3位)打率.267(4位)本塁打94本(5位)
2002年(6位)防御率4.09(5位)打率.240(6位)本塁打97本(6位)
こうして見ると、ベイスターズはやっぱり打つチームですな
優勝したシーズン以外は防御率はそう良くはない
本塁打は100本前後で安定してるが、問題は打率の極端な低下だった 権藤時代のバントでアウトを献上しないやり方は時代の先を行ってたな
当時は統計とか全然知らなかったからあまり好きじゃなかったけど 結局権藤の野球は長続きしないよな
権藤自身もこりゃダメだと3年で契約更新しないとクビだし
どこからもオファーがないわけだし >>54
あと辻も引っ張ってきて
大洋時代から定評のあった
内野守備も崩壊させましたw
辻は西武監督で優勝したが
前政権からの戦力とドラフトで源田ら当たりに恵まれてるだけな感
弱小チームではヤクルト宮本の二の舞になりそうw >>56
巨人も98年清水2番においてそれやった。 横浜は知らんが巨人は投手力当時3本柱
が全盛過ぎたからそれやった全盛期の時は川相2番でバントした
権藤は高め速球信者だねWBCのアメリカ戦で菅野が好投したが実は速球が高めに
浮いたらしい。 それに対し権藤は高目だから抑えてるそのまま続けろと指示した
低めの速球なら外人だと逆に餌食になるといってる 権藤は新しい物好きなのかな。 ツーナッシングから外す阿部と小林のリードを
ぼろくそいう >>60
でもツーナッシングからギリギリのストライクだとボールを取られるがちだよね。
試合のスピードアップって、こういう悪習を改善すべきだよね。
申告敬遠とかワンポイント廃止とかじゃなくて。 ノムさんは
「マシンガン打線は打ち出したら止めようがない。データ云々が全然通用しない」
とよくボヤいてた 石井と波留は勝手にサイン出してエンドランしてたらしい
つまりコーチのサインだけ監視してても分からなかったってことになる なるほどねー
野村お得意のスパイ野球には天敵だなw 西武森は良くも悪くも編成にあんま力入れなくて良かった
堤西武王国とか根本とかが凄すぎたから
ある意味メジャーみたいな分業制の現場監督だった ドラフト後のインタビューで森がブチ切れてたことがあったな >>57
権藤は、自分の経験もあって
仰木監督に対して阿波野を使いつぶすな!!
ってケンカしたぐらいだから、監督としての結果より
選手のことが大事な人だったんでしょ。
悪い言い方だが、そんな人じゃ優勝はできないよね。
仰木さんや、星野仙一みたいなオノレの結果のためには
選手も使いつぶす!って人じゃないと優勝はできないでしょ。
よっぽど選手層が厚いチームじゃないかぎり 優勝したからもういいやってチームの方が多くて連覇にこだわるチームは少ないんだよね ・優勝する事によって選手が増長・怠惰する
・親会社が会社のアピールを果たしたと満足してしまう
・親会社が優勝しても旨味が無いと気が付く
大体こんな感じか。 結果論だが森の野球はあの後どこでやってもダメだったろうね
あくまで今から見ての話しだが あの頃なら地上波で中継してたから巨人戦に勝てばいいやぐらいだったはず 前任監督を腐すタイプの人はどこの組織でも失敗するな
阪神星野仙一なんかはしっかりノムを持ち上げるスピーチをしてたし 当時の横浜には
監督はどんなに結果を残しても、3年で自動退任
という不可解な原則があった tbs派閥
大洋派閥
フジサンケイ派閥で揉めてたからな
ちょっとでもほころび出るとすぐに足元をすくわれた
フジサンケイが大矢権藤
tbsが近藤昭仁山下
で大洋が大堀がか突き出した森 谷繁がいた2001年までは、
暗黒阪神に勝ち越して帳尻で3位を確保出来ただけ
ベイスターズは元々そんなに地力のあるチームじゃなかった
優勝翌年から防御率が良くないから、暗黒化するのは時間の問題だった
打率が.260を切った途端に阪神にも勝てなくなって一気に来たという感じだね 98年ころ盛んに横浜黄金時代はとうぶん続くとメディアで盛んに言われててたが二軍のメンツのヒドさとドラフトの外れ続きで俺は否定的だった
ここまで落ちるとは思わなかったが 就任中に、オーナーが変わって
新オーナーがいきなり「森監督の野球は暗い」だもんな
そりゃ、やってられんよ 98年の後数年内にもう一回くらい優勝してほしかったが金が続かんかったかな 西武黄金時代は堤+根本+広岡+森の合作なんだよな
おそらく一人でも欠けると成立しなかった 本当は状況ごと分けないといけないけど無理なんで単純なバントの数
選手の能力にもよるけど権藤は圧倒的に少ない
・バント数/リーグ全体
・リーグ内占有率
・バント数のリーグ内順位
の順
大矢
96年 133/644 20.7% 1位 130試合
97年 132/641 20.6% 1位 135試合
権藤
98年 _68/615 11.1% 6位 136試合
99年 _57/623 _9.1% 6位 135試合
00年 _61/620 _9.8% 6位 136試合
森
01年 151/811 18.6% 2位 140試合
02年 110/684 16.1% 5位 140試合 180度方針の変わった首脳陣、主力のトレード、TBS譲渡は選手に凄く不安与えただろうな >>76
なんか野村がいなくなったあとの南海みたい… >>73
TBSの経営になってから砂原幸雄オーナーと会談した際、
権藤を批判した事に砂原が激怒したという話が週刊誌(何だったかは忘れたが)に出ていたな。 >>73
仰木も土井に投手を育ててくれたと賛辞を送っていた 当のノムさんも阪神監督に就任した時は前任者に敬意を払ったとは
とても言い難かった
結果3年連続最下位で暗黒指揮官の難しさをひしと感じたことだろう >>87
内川とか吉村とか多村とか若手は育ってたけどな
キャッチャーだって中村武がいるし
それこそ相川や鶴岡なんかいたわけ
ピッチャーもクアトロ4とか先発もそこまでひどい訳ではなかった >>89
いろいろ時代がむちゃくちゃで森時代じゃない話が混じってる 広岡・森の御両人は能力あったのに運がなかったね。
この2人に80年代の巨人を任せればよかった。
藤田監督はまだ良かったにしても王時代は明らかに時間のムダだった。
2人ともヤクルトで能力を見せたのに本家に呼ばれず西武で結果出したものの
そのあとの行き場が見つけづらくてロッテや横浜になってしまって球界の損になった。 とにかく暗かったな
暗くても変に切れたりはしなかったけど
あとここで皆言っている通り権藤野球を否定しすぎていた
JスポのCMですらバカにされるほどバント厨だったし
バントの多かった大矢と違って主軸にもバントさせていたからな
1年目で開幕数試合後の試合(大阪ドームでの阪神戦)で意味もなく鈴木尚典にバントさせたのは引いた
外人のドスターにもバントさせていたからな
それと先発投手を早く降ろし過ぎたこと
1年目の序盤は小宮山と野村の防御率が数試合だけだが4桁だったし
権藤は先発を最低でも4回くらいまでは投げさせのに、森は3回未満で変えることが何度かあった
オープナーかな?と言いたくなるほど2番手をロングで使っていた >>89
森の最後ダメだったけど
選手自体は揃ってて次の山下がもうちょっとマトモだったら
持ち直してたんじゃ無いの?
牛島だって一年目は3位だし >>93
山下は権藤の後任だったら谷繁の出奔は阻止できたと思う
でもローズは流石に難しいか? 極端なんだよ
セオリー無視の権藤野球で伸び伸びやってたのに
セオリー通りの森だと
選手もうんざりするだろ
でも2000年に権藤の野球に不満を持ったのも選手たちだったんだよな
だから球団は解任したわけ
結果出してうちはいいけど出さなきゃきついだろ >>76
そもそも運の良さなんだよな黄金期
もともと暗黒阪神がいたから5位にはなれたが5位どまりのチームなのが
97は中日がナゴドショックと巨人の崩壊
98は広島が暗黒仲間に入り4位以上が軽くなった
99はヤクルトが監督が代わり、00は巨人が強すぎて流れが下位いじめになって01は中日崩壊とルールに救われた
本来こんなとこはシリーズで化けの皮が剥がれるが、よりにもよってあの年の西武は最弱で >>89
多村は山下の時でしょうどう考えても
クアトロ4は牛島
内川は大矢の時
>>91
長嶋解任の時、新監督の藤田が森にコーチに誘ったけど森が断った かりに2001年以降権藤が続投し、ローズが残留していたらBクラス落ちはなかったんじゃないか? 中日近鉄ダイエー横浜
高木二期目の中日と権藤がやめたあとはどこも投手力が底まで落ちる傾向にある
権藤がたいしたことない投手力の球団をうまくごまかしてたのか権藤が育成下手なのかわからないが >>98
そうじゃなくて
森で一時的に最下位になっても
谷繁がいなくてなっても
キャッチャー含めてその後の代わりの選手はそれなりにいたのに
あそこまでの暗黒期になってしまったのは全部森だけのせいなのか?って話
南海は選手がいなくなったけど横浜は違うだろ
山下やTBSが立て直していれば森もここまで言われる筋合いも無いはず 山下のときなんか
打線とか、別に悪いとは思えないのに
ぶっちぎり、弱かった
単純に戦力とか、監督とかで
原因を特定することはできないな 谷繁は01年は扇の要兼主砲だろ?
代わりが相川でも厳しいよ >>104
>谷繁は01年は扇の要兼主砲だろ?
>代わりが相川でも厳しいよ
南海ホークスも捕手兼主砲兼監督の野村が抜けてからガタガタになり優勝どころかAクラスにさえ入る事ができなくなったな 鈴木やドスターにバントさせるのがセオリー通りの野球だとは思えない >>100
近藤中日とダイエー退任後は前者かね。
当時の俺のバイト先の社員の人は権藤さんの指導力を高く評価してた。
簡単に交代させないきびしい方針が投手を成長させるという話。
近鉄、横浜、高木中日のほうは、
主力投手のピークが過ぎた/劣化したのが主要因かと。
近鉄阿波野、中日浅尾なんかは継続的な優勝争いのなかの酷使で
壊されちゃった感じだよね。 西武のときは攻走守すべてにおいて駒が揃ってたから
ひたすらセオリーどおりの野球をやっていれば勝てる陣容だった。
広岡が育てた選手に加え、
就任後は清原、デストラーデ、石井丈、新谷らも入団し
多分に運にも恵まれていた。
佐々木、ローズと投打の柱が抜けた後の横浜じゃそうはいかないわね。
ただ、谷繁に逃げられたこと、鈴木尚、木塚らをだめにしてしまったあたりは
大いに反省してもらいたいが。 広い球場でバント中心の手堅い野球というのはわからんでもないが横浜球場は狭いしな 球場が狭いこともあって、谷繁はベイスターズ時代打つ捕手だったんだよね
(2001年、打率.262、20本塁打、70打点)
相川と中村武志は打てなかった
(2002年相川、打率.224、1本塁打、12打点)
(2002年中村武志、打率.201、5本塁打、19打点)
DHの無いセリーグで捕手と投手で2回打線が切れると、
他がよっぽど打ってくれないと点が入らない そもそもバントが手堅い作戦という論は近年の統計で否定されてる
実際は限定的な状況でしか有効性を発揮しない奇策 >>110
しかし中村が打てない捕手になるなんて予想外だったわな
今でいえば相澤みたいな選手だったのに 谷繁に逃げられる段階でかなりやばくないか
正捕手が消えるとはあり得ない
中村だって星野続投なら来なかっただろうし、矢野次第では阪神に行っただろうよ
そうなると矢野が横浜か? 谷繁がいなくなったことで
その後10年も立て直せないほど存在感があって
リード含めて代わりになる選手など全くいなくてすごい選手だったの?
一年二年は育てるために苦しんでもずっと10年も最下位になるぐらいに 谷繁だけが凄いんじゃなくて木庭スカウトが連れてきた選手たち全般が凄かった。 相川がレギュラー正捕手になってればそれなりにやれてたと思うが
TBS時代に低迷したのは一体感のなさというか
勝つための何をするべきが全くなかったベンチの空気感だろうな
バッターで駒は揃っててもそれじゃ勝てない
11年間で8回の最下位は最低のオーナー企業として非難して然るべき
谷繁も言ってたがファンはよく我慢できたな >>115
2002年以降の中日みていればわかるじゃん。
11年連続Aクラスで、4度の優勝。 中日黄金期はウッズノリ和田ら右のスラッガーを絶え間なくいれた補強が一番だろ
ナゴドを考えばみな信じられないほど打ってるし >>119
両チームとも二遊間が固定出来たことが大きかったな。 >>120
ブランコと大砲まではいかないけどアレックスも追加で
当時は統一球じゃないけどナゴヤのHRPFは毎年0.5前後、得点PFも常に1.0未満で安定して低いね 谷繁相川鶴岡と同一リーグに捕手移籍は駄目だろ
フロント何やってたんだ このチームの空気感は門倉の辞めた時のコメントが全て 森さんにしてみれば、編成はフロントのお仕事で選手育成はコーチがやるんだよということだろう
監督は各試合の指揮とシーズン全体の闘い方を考える仕事で >>126
そのコーチが連れてきた
森繁と辻で投手陣と内野守備を
崩壊させたのも暗黒への一因w 暗黒は立て直せなかった100%TBSの責任
プロ野球経営の資格はなかった
ナベツネが横槍入れずにあのままニッポン放送だったらなぁとは今でも思う >>128
だがニッポン放送だったらホリエモン騒動にガチで巻き込まれていたというね 森と谷繁が信頼関係というか上手くやっていればな
谷繁の穴がやはり大きすぎた(投手陣も崩壊)
谷繁は捕手出身の森の苦言、小言が耳に入ってきて
このままじゃ自分の立場が無くなると思って
メジャー移籍も考えたが結局引き取り手が無く中日へ
その中日も谷繁の晩年から正捕手が固定できず今に至るんだが
森は谷繁の何が気に食わなかったのか? >>130
多分投手に合わせたリードができないところ。
どんなピッチャーにも自分の青写真通り要求してくるところがあった。
中日時代も初期は落合に嫌われてた キャッチャーなんて谷繁ほど打てなくても
リードさえしっかりしてる奴が後任ならば投手は信頼関係築けて
持ち直すしそれで穴は埋ってたんじゃないの? その打てるのが大きかった
谷繁がいた頃からベイスターズはそんなに防御率のいいチームじゃなかったから
それ以上に打ち返さないと勝てないのよ 89年も破滅的状況になったけど翌年から須藤が持ち直した
空気感を払拭できなかった山下時代がなぁ >>128
そもそも毎日系は野球経営の才能がないよ
毎日のほかにMBSが参画した南海でもダメ
そもそもTBS系はタニマチをつれてくるがチームを腐らせるばかり
ABCCBCRCCと利権が酷い
>>134
阪神が暗黒抜けてきたってことは、いままであっためていた最下位の席が空席になったという危機感がなかったのかなあ?
パリーグも昔の猫鷹公下位固定構造の崩壊に気づけなかった檻が…だし >>135
5年連続Aクラス後の最下位1度くらいだと危機感は出なかったかもね。
実際05年はAクラスにカムバックしたわけだし。
しかしその数年後大洋末期よりはるかに弱くなっちまったのは理解できない。
あと>>134指摘の90年3位はラッキーだったよね。
広中弱体化、ヤ本格化前の間隙をぬってA滑り込みみたいな。 今思うと、打てて守れる谷繁と石井琢を同年で取れたのは奇跡だよな
育成が難しいポジションで2人とも大成するのは珍しい 再三、言われているけど
古葉側近の木庭スカウトが優秀だったからだよ
木庭が辞めてから
小桧山だの、東瀬だの、有働だの
まあ、ひどい >>137
石井ってドラフト外入団なのね
大学進学が決まってたからって書いてあるけど投手としてはあんま評価高くなかったのかな 石井はピッチャーとしても成功したと思うよ
プロ野球ニュースで石井が打者転向のニュースが流れたとき
平松氏が、ピッチャーとして、いいものを持っているのに
なんか勿体ない、とコメントしてた 1年目に1勝するくらいだから、いいものは持ってたけど、投手やるには身長が低すぎた
タクロー首脳陣の英断だよね 石井谷繁佐伯斎藤隆三浦は長寿な名選手だったのに、それをいかせなかった球団が悪い 石井の投手時代見たものから言わせてもらえば
あんなイチローがお遊びで投げてるような投げ方してたんじゃ無理 >>123
いかにもノム信者が言いそうな事だな
投げるのは投手なんだから >>144
ノムでなくても言うわ
谷繁相川は肩よく、打撃に長けた捕手だから、同一リーグ放出は普通あり得ない 谷繁の代わりには人的みたいに(実際は人的ではなくプロテクトされていた)中村が来たからおあいこでは >>146
>>41、>>42
全く割に合わん
中村が使えないのがわかったから、慌てて中嶋を獲った まあ同一リーグでなくても二番手よりも確実に経験と実力のある正捕手が次々流出するのはまずい 谷繁に比べて相川は打てなかったからとかいうけど
打撃成績見れば及第点じゃん
三割打ってるしキャッチャーとしては合格点だろ 殿堂板でもリード信仰者っているのか…
2ちゃんの野球板みたいだな ベイスは歴史的に見ても捕手には恵まれているチームだからな。土井・伊藤勲・福嶋・若菜・谷繁・相川等々。 中村、それ自体が横浜のぬるま湯に劣化したんじゃないか
ボケッとしていたら殴ってくる星野がいないし、いった先の選手がみんなダラダラ怠けっぷり
そこを改善しなかったのが限界だな
工藤秋山が福岡に行った時の雰囲気見てああこれは弱いとすぐ感じ改善につとめて今があるみたいな話にならなかった 中村武志は年齢的に限界だったと思う
横浜に来たのは35歳だから100試合以上出場すると打率が2割そこそこになり、
2年目に79試合、打率.268、11本塁打、37打点も打ったのは一杯一杯だったんじゃないかな
田村藤夫も日ハム最終年36歳でガクっと力が落ちてる
谷繁だって30代後半になったら2割後半は打てなくなった
30代後半はアスリートの下り坂よ 昔の辻や若菜から現在の伊藤光のように良い捕手をとってくるのに長けてる球団だが
この時期は野口やら中島やら大失敗が続いたな >>153
タケシは繋ぎであくまでも後継は相川だろ
相川はそれなりに期待に応えてやってたと思うよ (遊)石井 295 10本
(二)内川 287 17本
(左)佐伯 322 19本
(一)ウッズ 298 45本
(中)多村 305 40本
(右)金城 302 13本
(三)村田 242 15本
(捕)相川 263 8本
これで、首位と20ゲーム差の最下位w >>156
投手は言うまでもなく論外
OPSはリーグ平均以上の2位だけど1試合あたり得点が平均以下の3位
盗塁成功率が50%しかないのとバントがリーグ2位の多さ
盗塁失敗とバントで無駄なアウト与えすぎて得点効率落としてる山下の責任だと思う >>129
既に本業がじり貧モードに入っていたLFが買収していたら親会社ごと倒産してたぞ。
LFよりはるかに図体がでかいTBSでさえ球団赤字に苦しんだのに >>157
ウッズにもバントさせたことなかったっけ 森の後、
同じRBS系列使うにしても
山下ではなく星野型の牛島だったら変わってたのかしら
放任の極致の権藤にその反動でも
その真反対いる川上式管理野球の森
そのあとまた放任的な山下だと選手もついていけないだろ 近藤昭仁→tbs
大矢→フジサンケイグループ
権藤→フジサンケイグループ
森→大洋本社生え抜きの大堀推薦
山下→tbs
牛島→tbs
大矢→フジサンケイグループ
田代→フジサンケイグループ
尾花→フジサンケイグループ
DeNA売るまでのベイスターズは延々権力抗争してただけ >>160
あれはあまりに得点圏で打てなかった渦が
咄嗟にやったってあとで言ってた
(確かファールになったはず) 中日牧場に成り下がっていた時代もいいとこだよな考えてみたら
反対に中村とかが天下りしてくる始末で 今思うとあの時期って珍しく中日が野球に資金突っ込んでた時代だった。
権藤にとてつもない契約金払ったりしたのとかを除くと
基本的に契約でもめたりする事が多いとこだったがあの時は違ったな。
何か成功した事業でもあったんかな?
今は中日がTBS末期みたいな感じだが >>135
TBSだってやりたくて球団経営した訳じゃないから そもそもやりたくて球団始めた会社の方が希少だろw
長い歴史で見てもオリックスとか大映とかそのくらいや 10年間で8回最下位って
阪神の時もそうだけど優勝後に数年で真っ逆さまに落ちていき10年以上にわたる暗黒時代
何が要因だったんだろう
森や山下やTBSのせいにするのは簡単だけど 95〜01年からのドラフトだろう
戦力になったのは川村、金城、小池、木塚、内川、吉見だけ
あとは何もかも駄目だった >>741
「面白くない」という人と討論したかった/森祗晶
https://www.nikkansports.com/m/baseball/column/kunikaraheisei/news/201811090000321_m.html?mode=all
「森の野球は面白くない」。判で押したような手堅い攻撃に、アンチの声は少なくなかった。
「よく言われたな。そこで一番大事なのは、ファンは何を望んでいるのか、ということよ。『面白かったから、今日は負けてもよかった』というファンばかりなら、気楽よ。
だけど、ファンが本当に喜んでくれるのは、応援しているチームが勝つことよ。勝つことが最大のプレゼントでしょう」
「何のためにペナントがあるのか。勝ち負けで争い、頂点に立つため。じゃあ、勝たなきゃいけない。勝つためには、持てる戦力が最大限、生きる方法を編み出さないといけない。それが監督じゃないかな。
だから、僕は何を言われようとも、送るところは送った」
「面白くないと言われようが、勝てば選手は喜ぶ。日本シリーズ優勝の瞬間。ベンチから飛び出す選手たちに演出は何もない。人間の自然な姿。あれを見たら、やっぱり勝たなきゃいかん。負けてよかったとやるのは、弱いチームよ」 送ることが勝つことに繋がるシチュエーションは少ないって話なんだがな >>171
>>172
ハイハイ、サラリーマン野球万歳w いくら不作でも田中一徳を単独一位とか正気の沙汰でない
チビで非力で高校野球レベルでレフトの選手とか >>171
これ見ると当時の森はあの歳で今の広岡みたいな耄碌だったのがよく分かるな…
あれで勝とうとしてたんだ、本人の中では 言ってる事は間違ってないが
そういう事ができるチームかどうか考えて
やって欲しい ノム阪神と違って勝ててたチームを落としたんだから余計に凄い
ハワイ逃亡も納得出来る 谷繁と上手くやってればな
とにかく谷繁が気に入らなかった当時の森 海外断念の場合は横浜残留の予定が、TBS譲渡問題がありフロントも積極的に引き留めなかった
監督との相性といい、全て詰んでた >>181
そりゃあ主力選手がこれ以上の成長を見込めなくなった上にオーレが抜けたからな。 >>178
前任者の権藤を鼻で笑って馬鹿にした挙げ句にあのザマだもんなw
>>179
谷繁もだが大魔神が残っていたら
祇晶とも森繁和とも対立して
遅かれ早かれチーム崩壊してたかも 森監督の時代はそれでよい
しかし今は最下位でも大谷みたいなのがいないとファンは増えない。 今の子は
チームのファンでなく個人にファンがつく 98年でさえ勝率.583(うろ覚え)だからそこまで強いってわけでもないんだよな
メンバーが揃って全盛期だったわりに >>184
逆に言えば最下位だろうとスター選手さえいれば集客が可能なんだよな。その辺は南海末期や川崎ロッテよりも恵まれている。あの頃は門田・落合・香川・牛島・愛甲がいても閑古鳥が鳴いていたし。 >>184
そんなことないだろ
筒香ファンで筒香がメジャー行ったら
横浜ファン辞める奴なんかほぼいない
村田が巨人行って巨人ファンになったやつなんか聞いたことない 森が悪いと言うよりも森を抜擢した大堀の責任じゃないの?
選手たちが権藤に反旗を翻して、3年でクビにしたのも大堀
権藤の野球は結局3年持たなかったわけでその後のどこからもオファーがなかったわけだし
どっちかと言うと近藤昭仁と大矢がいらんやつをクビにしたり
選手を固定化させたりしてチームを徐々に作り上げて
権藤が美味しい所を取った印象 秋山・石毛・工藤が根本に誘われてホークスに移籍した時にライオンズファンも挙って鞍替えしたのは記憶に新しい 大矢はもともと森までのつなぎで2年限定だった
98から森の予定が巨人監督の目がまだあったからまとまらず結局スペアの権藤になった 2週続けて4回で有働に代打出したり
無死三塁でスクイズ失敗したり
近藤の采配はアレだったが
要らん奴を一気に整理したのは評価できる >>192
その代わりに木庭さんが結果を出したのでセーフ >>190
他球団の監督した人を巨人が起用するわけないと思うんだがね
本当に話があったんだろうか? >>194
あのNHKで長嶋退任森監督決定とまで流れた
森がNHK解説だったから情報がはやかった
で長嶋がごねにごねて原を後釜に担ぎだして契約延長を勝ち取った NHKの話は知らなかったな
日テレの氏家さんが視聴者ウケしそうにない森監督就任に賛成するわけないと思ってた
横浜を買ったTBSだって同じように考えてたはずだし 大補強してほぼ最下位だった97
で98も惨敗で長嶋の信頼は落ちに落ちていた 基本的にこのチームの監督人事は安易だからな
で、ほとんど失敗
須藤や権藤や中畑みたいなモチベーター監督しかダメなのか?
体質が腐りきってるのか? 権藤って森のことどう評してるんだろう
死ぬ前に対談企画でも誰か組んでくれ 森が死んだらこの時期の組織の腐らせ方を誰か本にしてくれんかな >>199
権藤と野村は不仲で有名だし
その野村の親友として名高い森と
合うとは思えん 日本人には「個」がないと
よく言われるのだがな。
今の日本の閉塞状態は
「個」の無いところから始まっている。
「個」を圧殺する野球というものを
日本の若者があまり観なくなったのは
ある意味において好ましい傾向といえよう。 >>171
これを見ていると森のつまらない人間、暗さが出ているよな
同時期の仰木や大沢親分を見ていると真逆のようだ
強い西武だから勝っているからいいって意見もあったけど、横浜に暗いつまらない野球を持ってきちゃあね
森のような野球はもう誰もしないと思うし流行らないでしょ 清原デストラーデのダブルスチールとかやってる野球は面白かったけどな 秋山が40-40やってた頃に森が
「盗塁はしなくていい」
って言われてそこで一気にガッカリきたと引退後に言ってたな
それだけが理由でも無いだろうが秋山が出て行ったのも
それが1つの原因な事は間違い無い 後続がキヨとオーレだったから盗塁は要らんってなるのも解かる。 秋山が盗塁しなくなったのは盗塁王とった年に思ったほど年俸上がらなかったからだろ 90年の35本91打点はまだ良いけど打率.256は流石に酷すぎ 長打打てる選手が盗塁王とると翌年から盗塁数ががくんとおちる傾向にある
多分思ったほど評価されないから >>212
FAで根本の所に行かれる位なら前もってトレードで出してしまえって球団側の判断だったのかも。 だいたい、秋山が3番ってのが適正打順だったとは思えないんだよ
アベレージ残せるタイプじゃないし
足があったって、後ろがホームラン打者だったら
盗塁するのは自爆行為である
打撃好調のときは機能するが、不安定だし
だから、石毛が3番打ったりしたことも、度々あった 秋山が出されたのは離婚騒動で首都圏から放して故郷の田舎で根本に預けたほうがいいとの判断 別に私生活については秋山だけがひどかったわけではなかったからね。
石毛や伊東は特に懲罰を受けたわけでもないし。
秋山が放出されたのはやはり清原を先に1億円プレーヤーにした球団の思惑や
バント拒否→代打といった森との対立の方が大きいだろう。
両雄並び立たずで清原がいる以上、秋山は西武ではNo.1にしてもらえなかったわけだから
トレードでホークスに行ったのは結果として悪くなかったわけだし。 西武最終年の秋山は、明らかにヤル気がなかったな
打率240台はもとより
イージーフライをポケットキャッチしようとして、ポロリとやったりとか スライダー投げとけば全部三振してたし
すでに精神的に限界だった >>205
森の野球って川上の野球なんだよ
川上の野球もセオリー通りで詰将棋を見てるみたいで非常に詰まらなかった
石橋を叩いても渡らないとか揶揄されてた
その川上の野球を野村が目指してたわけ
横浜ファンが見たいのは優勝シーンだよ
近藤みたいに走りに特化した面白い野球して4位とか意味ある? 川上は知らんが森は積極的な走塁を推奨してたから全然違う
仰木のが詰め将棋に近い 森と言うよりもチームに合わなかったのに起用したフロントの問題
このチームに管理野球は合わなかった
逆にいえば管理野球が成立しないぐらい子供的な感じだったんだろ
じゃ選手が不協和音で権藤を全否定して解任した後に
当時の横浜に合う監督って誰だと言われれば?
星野型恐怖監督の牛島で引き締めてたか?
アホキャラの山下で大味な野球を継続させてたか? 秋山を出したのはFAで出ていかれる危険性があったのと清原が右だから左の強打者が
欲しかったのではないかな。 >>221
百が一にも有り得ないけど再度古葉監督木庭スカウトで良かったのでは?今回は大下ヘッドも追加で。 98年の森監督巨人というのはNHKだけでなく日本経済新聞にも出てたような
気がする。 秋山出して三年連続二桁のでまだまだ20代前半の村田と
走れて率も打てる中距離打者の佐々木くれるのなら西武大儲けで万々歳だろ
村田が活躍できなかったのは結果論
橋本だって中継ぎとして大車輪の活躍したわけだし
ダイエーの方が秋山が距離を捨てて思ったほど活躍しなかった点を考えても損しかなかった 長嶋が原を後継者と指名して原を育てるって大義名分できたからその後3年間監督をやることができた
00年しか優勝せず視聴率もジリ貧と結果はイマイチだったが
原は長嶋に利用されと言えるしそのおかげでスムーズに巨人監督をゲットできたと言える >>225
世間は秋山を獲得したホークスが得と言われてたような気がする。
俺は佐々木もよい選手 村田とれた西武が得と思ったが村田ダメだった
村田は中日いって復活すると思ったけどな >>227
でも逆に渡辺智男もダメだったからお互い様
ただ村田はダイエーのエース、渡辺智男は当時の西武では5番手ぐらいだったからな
その辺も加味しないと いや、一番得だったのは
オマケで数合わせ程度だった
橋本武広でしょ >>214
数字的には3番に出塁率高い清原、その次にデストラーデ
、5番に長打はあるけど出塁率.350くらいの秋山が理想
そうすれば長打期待しづらい下位打線で秋山を盗塁させる価値も上がる
でも日本は4番信仰あるし、ブラウンの2番前田みたいに大失敗した可能性あるから無理だったかな >>230
2番前田はブラウンの現役時代のイメージをそのまま引きずった事が原因。 いや、ブラウンは、短絡的に出塁率順に並べただけだよ
たまたま、前年の2番目に出塁率が高かったのが前田だったってだけ
過去のデータを調べてみればわかる 1年違いでニアミスしてしまったが、森監督から見たらR・ローズはどう捉えたかな。
.320前後の打率をコンスタントに残し、守備範囲は広くはないがゲッツーを取れる強肩。
ただ、併殺打が非常に多いのでチャンスをことごとく潰す上ほとんど四球を選ばず強引な打撃が目立つ。 出塁率.400越え4度のローズがほとんど四球を選ばない? 強引な打撃って評価が全然わからないな
四番なんだから進塁打よりも打って返すのが役割で
ラミレスはおろかブーマーよりも四球を取ってる。
右の強打者にとって併殺打はつきもので、
これも年平均18本のうち得点圏でやらかしたのはどれだけあるんだが
打撃自体も右中間に鋭いライナーを放つのが持ち味で
数字的にも技術的にも「強引な打撃」のそぶりは感じられないんだが
まあローズの現役を見てないんだろうな 強いて言えば激高する性格と、権藤二年目からやめるやめる詐欺を繰りかえして
クロマティみたいになってた性格の方を気にしたんじゃないかな 森とローズがもし一緒になったらバント強要させたり、滅多に交代させられないローズに終盤で代走や守備固めの選手と変えたりしてぶつかりそう
ローズはプライド高いし権藤のこと慕っていたし、扱いに困ると思うよ
一緒にプレーしていたの見てみたかったけどw 森の時代にローズがいたとしたら
ファーストに回されそう >>81
西武時代の森は恵まれ過ぎた
フロントでは堤と根本がいてあらゆる戦法(反則スレスレ)で選手を入れて
その選手を預かった現場の広岡が厳しい規律で統率して
選手を育て勝てるチームにしていった しかも森本人は既にコーチで傍らに
広岡から引き継いだ時にはチームは強豪となり
普通にやっていれば勝てるチームなっていたから >>233
得点圏打率(カッコ内はその年のシーズン打率)
'93 .372 (.325)
'94 .323 (.296)
'95 .339 (.315)
'96 .367 (.304)
'97 .349 (.328)
'98 .337 (.325)
'99 .394 (.369)
'00 .354 (.332)
チャンスをことごとく潰す?? >>221
今のDeNAはともかく、当時の横浜は管理野球が成立しないぐらい子供が多かったというより
自分のことしか考えないずるさだけ一人前のクソガキ的な選手たちの声が大きく、
管理野球というか勝つことを最優先することに対する反対が強かったので
外から実績のある監督がきても中々根付かなかったのではと思う。 森は横浜の選手に西武監督時代の清原みたいに接すれば良かったのでは 黒江「川上さんの野球を忠実に守っていたのは森さん。大量点差でもバント。横浜時代は選手に話を聞いてもらえなかった。森さん自身も自分の野球のイメージから抜けられなかった」 黒江「川上さんの野球を忠実に守っていたのは森さん。大量点差でもバント。横浜時代は選手に話を聞いてもらえなかった。森さん自身も自分の野球のイメージから抜けられなかった」 川上と森のバント数
状況ごと出すのがベストだけど無理なんで数で
川上も多めだけど森は明らかに多い
占有率は16.7%超えると多い、未満だと少ない
川上
バント数(リーグ)、占有率、バント多さ
61年 84(546)15.4% 5位
62年 76(446)17.0% 2位
63年 70(472)14.8 4位
64年 67(505)13.3% 6位
65年 92(537)17.1% 4位
66年 100(491)20.4% 1位
67年 81(423)19.1% 3位
68年 70(436)16.1% 3位
69年 74(423)17.5% 3位
70年 65(547)11.9% 6位
71年 81(537)15.1% 4位
72年 75(484)15.5% 3位
73年 91(555)16.4% 3位
74年 80(456)17.5% 4位
森
西武
86年 119(590)20.2% 2位
87年 109(612)17.8% 3位
88年 129(659)19.6% 1位
89年 169(741)22.8% 1位
90年 170(744)22.8% 1位
91年 160(728)22.0% 1位
92年 145(745)19.5% 2位
93年 142(574)24.7% 1位
94年 105(514)20.4% 2位
横浜
01年 151(811)18.6% 2位
02年 110(684)16.1% 5位 当時の西武ならバントしてもよかった。 選手揃ってたから93年以降はどうかなと
思う
バントは圧倒的に強い時に使うもの。 逆にそんな差がないときは使わないのが
良い。 日本は国際試合でバントをするから負ける 横浜のマシンガン打線時にバントしてたら間違いなく勝てなかった。 バントに関しては統計で完全に答えが出てるのに、未だに抜け出せないよな >>248
V9の巨人や森西武の92年まではなんだかんだ他を圧倒してたから終盤で3点くらい
離せば勝てる可能性高いからバントはあり。 89年は抑え崩壊でV逸したが・・・・
しかし今なんてそんなチームないしバントは不要。 せいぜい菅野とか千賀の
好調時に巨人やホークスがやるならまだまだわかる。 逆にこれらと対戦するなら
初回に叩き潰すくらいの覚悟が必要。
国際大会のバントは不要。 ペナントと違い悪ければ替えまくるから合う投手
のことで点を多く取る覚悟が必要 17年WBCのアメリカ戦で初回のバントは負けフラグ。 ましてたWBCは先発の辞退は
多いがリリーフは強力なのが出てくるから先発潰さないといけない
藤田監督は83年の日本シリーズの初戦の初回バントを生前後悔されてた。 バントによって、1アウト3塁という状況をつくれるのだったら
バントは大きな意味があるだろう
外野フライでもボテボテの内野ゴロでも1点が入るからな
でも、バントでランナーを2塁に進めて、1ヒットで1点という状況をつくったところ
ヒット1本って言葉では簡単だけど、そんな生優しいものではないわ
あと、走者の走塁技術も加わってくるし
そういうバントはムダである >>251
併殺がないから逆にバントいらないし右打ちで進められるからあばよくばをねらう 川相とか今になって自分の野球人生の大部分を否定されてかなり悲しい気持ちになってるんじゃなかろうか 近鉄にいた新井なんか
バントをやらせたら、百発百中決められた名手だっただろう
でも、普通にヒットを打てるから
バントをしてもいい場面でもさせなかった
打てれば、バントなんかさせないってことだわ >>253
そうかな?あの当時バント全否定な野球だったら川相自体レギュラー獲得すら出来なかったのかも? >>256
川相よりも全然、上に行ったってことだろ
だから、バントをしてもいい場面って言ってる 森祇晶時代の横浜は
監督が目指す野球と、チームに出来る野球とが余りに違いすぎた
チームが監督の要求に答えようと努力するのと同時に
監督の方もチームに合わせた野球にシフトチェンジすべきだった
森政権はちょっと短すぎてお互い出来なかった 自由奔放な権藤ベイの野球に
森の緻密な野球が"加わった"ら
強くなると石井琢朗は想像してたみたい
実際は前任者否認の方針180°変更なんで
かなり混乱を生じさせたとのこと むしろこれで森の監督としての限界が見えたのは幸いだったのかも。
ここでそこそこの結果を出してしまったらまた次の監督やる機会を得てしまってたかもしれない 隠居してくれたおかげで広岡みたいにならなくて良かった 98年→03年
(遊)石井琢→内川
(中)波留→金城
(左)鈴木尚
(二)ローズ→村田
(一)駒田→コックス
(右)佐伯→ウッズ
(三)進藤→古木
(捕)谷繁→中村
同じチームとは思えない守備力 古木はドライアイで守備時には見えにくかったらしいが、
それが解決されても採用する球団は無かったな 古木はドライアイ以前の問題
恵まれた素質があったのに野球脳が足りなかった 打撃も守備もロボットみたいなぎこちない動きの古木にそもそも素質があると言えるのか
上原相手みたいにロボットな動きでもハマれば打てたが 古木はスイングスピード、飛距離、右投げとは思えない逆方向への打球、若さと凄い逸材だった
実に惜しい 古木は03開幕シリーズで不格好な三振しまくってたのみて絶対大成しないと思ったけどな 古木は最高にうまくいって大田泰示位だっただろう。
肉体的には恵まれていたが打っても守っても不器用だった。 古木の場合は横浜という最低の環境だったのは同情できる >>169
大味なチームというか弱いチームの共通点は
勝つときは無駄な大量得点
競った試合には勝てない
勢いだけがある時はいいが、なくなればもともと勝ち方を知らないチームなんだから勝てなくなるのは必然 ドジャース戦法がなぜバントを使用したか考えたら今なら絶対バントしてはいけない。
当時のヤンキースはしてなかったわけだし。
球場は今でも広いとこで当時の性能の悪いバットとボールしかもドライスデールとコーファックス
がいて守りに特化してた。 逆に狭いヤンキースはそんなことしてない。
当時の横浜でそれやっても返せる4番はいない先発もいないではそもそも無理 川上御大自身が当時の戦力だからドジャース戦法取り入れただけで、
その後別のチームで采配したらまた違った戦法を取っていただろうっていう話をしてたな 森監督も当時の西武はバントでよかった。 原監督は去年2番坂本にしたのは
ある意味弱いと認めて先に点を多く取ろうという考えから来たんだろうし
弱いチームだからバントではなく弱いからこそ数少ないチャンスで複数得点を
狙うというのが俺の考え
強いチームはいつでも取れるから逆に1点2点リードしてるほうが良い
原監督は3連覇時はバントしたけど 去年は2番坂本でいった。 古木って、ベンチで堂々とタバコを吸っているところを
カメラに撮られたよね
その後、齊藤明雄に怒られて、やめた タバコは迷惑ではあるけど野球には大して害ないし
投手ですら大丈夫 ベンチ裏の通路だってよ
詳しくは古木のYouTubeチャンネル いやいや、YouTubeにも
ベンチで吸ってるところ、あがっていたから 古木とか田中一徳とかロマンあったなあ
森の時はいなかったけど那須野とかもいたし ブレイク1年目の古木はロマンの塊だったが田中はねーわ >>279
だからそう見えるだけで、実際はベンチ裏の通路でテレビモニター見ながら吸ってたと、
球場の構造なんかも含めて本人が自分のチャンネルで説明してるよ >>281
そうか?
高校時代の活躍があったから最初は期待したけどなあ 古木の能力をスパイダーチャートで表示したら歪な形になりそう。
長打力だけ突出していて後はかなり0に近い。 最初にブレークした頃の古木はあの歳で腰の回転で打ててたもんな。
今の宮崎が何年もかかってようやく一流になったみたいな打撃をあの頃にしてた。
で、2、3年したら上であるようにロボットみたいなガコガコしたフォームになってた 古木はシーズン後のインターコンチネンタル杯でも打ってたから翌年の活躍楽しみだったわ >>286
ウェイトの後のアフターケアしなかったのが原因だと思う
ウェイトは直線的な動きが多くて捻りとの動きが少ないし
かなり慎重にケアしないと競技と違った動きになってしまう 森時代の打撃コーチ
2001年 高木由一
2002年 黒江透修(ヘッド兼任)、田代富雄 田代が
「2軍で(古木と)二人三脚でフォーム固めても上でまた違うこと聞いてなびいちゃう」
って話してたな。
ちょっと意思が弱かったんだよ古木は。
結局それは自分に還ってくるのにね 古木は意思が弱いというか情報を取捨選択する頭がなかったタイプじゃないか?
しかも1軍で必ずしも必要とされている立場ではないから、
コーチ陣からの受けが悪くなったら2軍に落とされることも
考えて従順だったのかもしれない。
まあそれでも賢い選手なら、自分に必要ないと思ったら
その場だけ言うことを聞いて後はスルーとかできるだろうが、
そこまでの賢さもなかったと。 コーチがいじって駄目になる選手は意外に多い
ロッテの安田がそうならなければいいが 横浜大洋みたいなヤクザ球団で
森や古葉のような大企業の管理職タイプがうまくやっていけるわけがない 田中眞紀子が大臣時代に横浜を新潟に移転させようとしていたのは横浜の利権に関わるやつらが清和会に近くて焼き払いたかったらしいからな
新潟は今の自民は偽物で野党共闘こそが昔の自民を理解した党だとして選挙でなかなか勝てないのもそれが理由
そもそも清和会は体育利権が強い派閥で有名だったりするが 土井、球団OB
関根、長嶋までのつなぎ
近藤、他球団の優勝監督
古葉、他球団の優勝監督
須藤、他球団の名コーチ
近藤、他球団の名コーチ
大矢、内部昇格
権藤、内部昇格
森、他球団の優勝監督
なんだこの安易な人事は >>297
近藤昭は球団OBかつ他球団の名コーチ、かな?
あと須藤と近藤の間の江尻(球団OBかつ内部昇格)も途中から正式監督だった。 >>294
西武時代の森は堤の関係を見ても中間管理職タイプ 間接的に何人殺したか分からないオーナーの下でやってきた森だもんなぁ V9巨人や西武黄金期なら退屈な王道野球で勝てただろうけど
資金も駒も意識も低い球団だからね >>297
阪神の方が安易だぞ
ABC解説者と内部昇格と優勝監督ばかり >>297
生え抜きの名選手をポンと起用する方が安易だと思うが >>301
無理無理
あの時期の横浜を弱くした手腕は別格レベル >>303
横浜はほぼ3年で破滅の繰り返し
ところで最後勝ち越した近藤と大矢は何でやめさせたの?
須藤は負けが込んでの引責
五割で終えた江尻は悪くなかったが次が決まってたから
権藤は森がOK出したのと選手から反発があったからそれを踏まえて解任
なのはわかるけど 大矢は完全に2年限定のつなぎ
2位になるとは誰も想像してなかったから混乱したが
近藤昭仁は3年でそろそろお役御免で次はニッポン放送フジサンケイグループのターン 最終年勝率5割こえたが特別秀でた成績でもなかったし
横浜ベイスターズは大洋よりTBSとフジサンケイの球団という側面が強かったからこの2社で縄張り争いを繰り広げてた
大矢もフジテレビにいわれてコーチになったと言ってたし フジに横浜OBが多いのもそういう理由だよな
あと、ベイスターズ特有の軽さがある 大矢さんはヤクルトの監督はしなかったんだよね?
あそこもフジサンケイが出資してるはず ヤクルトは新谷広瀬のダブル指名で駒大から関係たたれたから大矢もその余波をモロに受けたと思う 進藤とトレードでカープ江藤が入ってたらなんか変わってたかね >>310
守備の酷さは後に入団してくるケデブと変わらんしファイヤーフォーメーションが完成するだけで終わりそう。 >>309
ややこしそうな事情があるんだろうかね
関根さんがフジサンケイ人脈で大洋やヤクルトに絡むのはわかるし
土橋さんがヤクルト監督になるのも同様なんだろうけど
大矢さんがヤクルト監督にならないのは不思議に思ってた ヤクルトはフジサンケイのほかに出資はしてないがテレビ朝日が食い込んでたように見える >>312
野村がフロントの予定通り95年で辞めてたら
呼び戻してなってたかもな
当時だと大矢か若松の二択だろ ヤクルトって多分大矢が引退した以降駒大出身の選手やコーチスタッフ一人もいないんじゃないか
在京志望だった若田部に入札すらできなかったし そのおかげで石井一久がとれたが >>311
こいつリアルで見てない世代だな
それはその後目に打球受けてからだろw 仮にそれが上手く行っててもその後野球中継による放映権ビジネスのバブルが崩壊するのと
親会社TBSの経営が傾くのは変わらないのだから結果は遅かれ早かれ同じになったろうね
南海から野村が出なければどうなってたかとかと同じ ・佐々木の海外FAを認めない
・松坂をドラフトで獲得
・森監督以外の就任
・江藤をFAで獲得
・谷繁の放出阻止
どれか一つでもできてたら、あそこまでチーム崩壊しなかったと思う >>309 >>315
駒大というか、太田誠との関係だろうな。
>>313
武上が監督退任後にテレ朝で解説者をしていたり、
テレ朝の解説者だった野村が監督になったり。
テレ朝が大洋からヤクルトにシフトしたのは1981〜1982年あたりだったと思う。 >>309
>>315
もしそれがなかったらヤクルトで監督かコーチはやっていただろうな
>>314
角盈男がヤクルトの投手コーチになった時も
野村監督が1年契約だから他が軒並み断った話がある 辻とか森繁とか大石とか杉本執拗に叩いてるやつが殿堂に一人いるよな
どんだけコーチに恨みあるんだよ
有名な森繁辻はまだしも大石とか地味なおっさん叩いて楽しいのか? >>319
大洋の横浜移転で放映権がテレ朝から
フジテレビとTBSに移ったけどしばらくはその名残があったんだろうね
その後のテレ朝はフジよりもヤクルト戦を多く中継してたイメージがある 松原さんは監督にならなかったね
ニッポン放送じゃなく文化放送だったから?
>>319
若松さんもたしかテレビ朝日だった 「気」が見えない選手は使わないだろうから監督はちょっと… 若松は90年~92年の解説者時代を充電期間と言ってたから野村の後は若松に
決まっていたのだろう。若松本人は2軍監督やったのは大きかったと言ってる
大矢が横浜のコーチになったのは近藤昭仁がヤクルトのコーチやった時
選手だった関係か
>>322
大石は20年以上やって控え捕手すら育てられないから
森と辻が横浜時代全くダメ、杉本は説明不要の無能 杉本は10年以上前から壊し屋、デス杉本と酷評され、投壊、解任ばっかりになっている
大石はコーチとしての実績が全くない
森はハム、横浜時代結果出せなかったのを大島、選手、球団のせいにしてた 上のほうを読んでると、阪神にはABC枠あるようだし
大洋・横浜にはフジサンケイ枠やTBS枠があって
ヤクルトはフジサンケイ枠やテレ朝枠があるんだろうな 阪神が優勝から真っ逆さまに90年代あそこまで低迷したのはなんでなの? >>331
オリックスもそうだけど優勝しても親会社には大して旨味が無い事が分かったから 阪神は観客動員が本業の乗客数に直結するし旨みあるだろ 佐々木 ローズ 谷繁
続々抜けて 外人 ドラフトもへぼばかり >>328
辻は中日コーチ時代までと西武監督とで
選手との接し方では別人になったような気がするな。
短期決戦での弱さはあるが。 打線の破壊力で勝ったチームは、必ずその反動が来るのよ
ずっと打ち続けることは出来ない
常勝軍団になるには、やっぱり安定した投手力が必要になる
森祇晶時代にもう少し安定した投手力があったら
結果は全然違ったよ 98年の選手は骨太で華があるよな
今のベイスターズは強いが、味気ないというか何か物足りない >>337
そもそも暗黒を脱出したとなんて思ってないし
中日ヤクルトが崩壊して巨人阪神が不安定になり惰性で最下位から逃げられただけの構図
強くなるべくして強くなったとは思わない
長期暗黒な阪神広島ロッテハムあたりが上位に当たり前に来るようになった時のとは違うなにかがあるんだよね
(そこいらもそろそろ怪しくなってきたが) >>330
だから新興球団のくせに古参3球団のように派閥が強くてお家騒動起こすんだよな 阪神が優勝した翌年からストライクゾーンとかがすごく厳しく修正されたんだよね 年俸で毎年揉めてたから
他球団が取ろうとしたが年俸で揉めた外国人選手はなるべく取らないって暗黙の了解がまだあったからどこも取らなかった >>339
日シリも他球団不振の恩恵を
受けてCSからの出場だからな。 逆に他球団が不振にならないで日本シリーズ出る方法ってあるんか・・・? うむ
去年の巨人も広島と横浜が10連敗してなかったら優勝してなかったし >>344
このキチガイのレス気持ち悪い改行のおかげで勝手に目がスルーする >>344
ローズは94年と96年解雇されそうになってる。 94年は解雇されたら巨人が手を挙げたらしい >>331
90年代後半は地震のことで会社が大変だったんじゃないかな ローズが退団する時にローズ本人のネガティブ情報(チームで浮いてる、日本語を覚えないetc)がマスコミに流れていたけど
あれはきっと他球団獲得を阻止するために球団がリークしたんだろな。
ローズから見たら「一試合も指揮していない森に2億5000万もやるのに何故自分は減俸なんだ」という気持ちだったろうな 肩が強い反面守備範囲イマイチ(深く守る分まだマシ)だったから三塁にコンバートしようとした大矢の気持ちはすごい分かる
実際はうまくいかなかったが ローズは毎年毎年引退する引退するといって嘘ついてたから球界から弾かれた
オオカミ少年状態だった 2001年の4番打者
鈴木尚典→打率.315、6本塁打、57打点
佐伯貴弘→打率.302、14本塁打、73打点(佐伯の4番は消化ゲームの9月末以降)
2002年の4番打者
グラン→打率.226、10本塁打、34打点
石井浩郎→打率.208、0本塁打、2打点
ヤング→打率.173、8本塁打、16打点
ロドリゲス→打率.262、18本塁打、60打点
鈴木尚典→打率.282、9本塁打、42打点
古木→打率.320、9本塁打、22打点(古木の4番は消化ゲームの9月末以降) 谷繁のFA流出が痛すぎた
谷繁がFA移籍した中日はその後黄金時代
衰えたらBクラス 1試合辺りの得点の多さ、失点の少なさ
(リーグ平均) リーグ内順位
権藤
98年 4.72(4.04) 1位 3.85(4.03) 2位
99年 5.27(4.43) 1位 4.73(4.43) 5位
00年 4.24(4.24) 4位 4.11(4.24) 3位
森
01年 4.00(4.12) 4位 4.04(4.12) 3位
02年 3.37(3.97) 6位 4.43(3.97) 5位
山下
03年 4.02(4.53) 5位 5.18(4.53) 6位
04年 4.64(4.73) 3位 4.83(4.73) 3位 >>356
あの後の投手ならシゲいてもどうしようもないだろ。
逆にあの後の中日の投手陣なら仮に捕手が相川とかでも優勝できるわ >>358
いや、相川では中日の優勝はないだろう
落合が相川に任せることが想像できない 地元高校大スターの松坂は指名に行かない手はあり得ないとしても
その後の誰もが狙うスターの指名をスルーして2番手級を狙う今みたいなやり方してたら
多少は違ってたかもね。あくまで多少はね。 >>357
2000年と2001年で、得失点のバランスはそう変わってないんだね
監督が代わったのに
2002年以降はやることなすこと悪循環ですわな
2002年は全然打てない、2003年は投手陣ボロボロ
2004年は打っても抑えても勝てない >>361
弱いチームの特徴は接戦に勝てない
勝つ時に無意味に大量得点をする
この頃はそんな話ばかり >>361
同じ時期に暗黒に突入していったオリックスもそんな感じで噛み合わなかったな
投手陣がそこそこ頑張っても勝てない
打つ方が良くなってきたと思ったら投手と守備崩壊 森と谷繁の師弟関係は1年だけだったが
その1年、谷繁は異様に気が立っていた印象
打席のとき再三、近めに攻められて
その度にキレていた >>364
01年は完全に攻守の要になり、内角責めが激しくなったから威嚇してたんじゃね?
ウィキみると、01年は10個も死球喰らってる 西武時代の傲岸不遜がユニを来て歩いてるをそのまま横浜に適用したしな
体質が違うし横浜はすぐお家騒動なるから厳しいわ >>351
>リーク
球団もだが森の意向も汲んでの事かもなw
>>367
>厚顔不遜が服を着て
森繁和や辻のコーチ連中なんて
まんまそれだなw
その連中が我が世の春を謳歌した
成れの果てが今の中日
ようやく森繁和らを退団させて
建て直しの最中だが >>33
>野村監督就任時のスワローズは若くて素直な選手が多くて幸いだった
それノムさん自身が事ある毎に述懐してたな >>369
その中身は石井労働党員、もしくは石井ランサーズというべき石井信者 >>38
楽天嶋は野村在世中は野村チルドレン呼びされるのを嫌っていたが野村が死んだ途端野村チルドレンアピール 後になって人に対しての見方が変わることはよくあることだけど
嶋がそうなのかは知らん >>368
結局森繁って中日以外で全く成果残せてないのにね
あれだけで長く中日に居座って人生安泰なんだから上手く立ち回ったものだわ アンチ森繁
アンチ杉本
アンチ大石
アンチ辻
同一人物だろうな こんなの二人いたらいやだ マシンガン打線の攻撃力を低下させるチマチマとしたバント多用、
辛気臭いベテラン重視の選手起用と横浜の明るいチームカラーに合わない野球をしたから
打線のチームの近鉄も守りのチームのオリックスも優勝させた仰木なんかと違い、
その程度の采配の引き出しの無い無能監督だったって事よ 前任者を馬鹿にして腐した挙げ句が
あの結果だからな
西武での結果が自分一人の実力だと
過信してたんだろう
誰がやっても勝てるチームの番人をしていただけだと言ってた
広岡の言葉通りになった 広岡達朗「誰が監督やっても勝てる戦力」
伊東勤「広岡監督の下で鍛えられた選手達が主力になった時期に森さんが来られたので
特に森さんはやることはなかった思いますよ。」
杉下茂「寝ていても勝てるような戦力」
土井正博「オーナーに言われて清原を使ったのに、自分の手柄にしていた」
田尾安志「言っていることとやっていることがあまりにも違う人」
野村克也「清原があんなようになったのは森さんのせい。森にそれを言ったら
俺は関係ないと言っていた。」 森が西武の監督で果たした唯一の功績は上手い投手運用で主力投手を誰1人壊さなかった事だけ
攻撃の采配はワンパターンでつまらないし秋山伊東辻渡辺工藤らを育てた広岡と違い誰1人も名選手に育成できなかった凡将
前任権藤がマシンガン打線の全盛期を使い果たして、
ロートル化して下り坂になってたチームの建て直しを一番任せてはいけないタイプの監督だったのさ 森をあまり評価してない感じだった堤は正しかったのか? 戦力整えたからといって誰が監督やっても勝てるということはないと思うよ
たぶん根本監督ならたまにしか優勝できないし、
森ヘッド無しの広岡監督ならムラができる >>380
投手を壊さずに常勝チームを作ったことは、もっと評価されてもいい。 え、森繫やオトマツは人知れず引退し、根本が面倒を見た
根本が獲得、広岡が育成、八木沢が投手コーチで維持管理。
森は何もしとらんように見えるのは俺だけか?
杉下は、当時の西武に清原和博・秋山幸二、投手も工藤公康などが揃った黄金時代だったことから「寝ていても勝てるような布陣」と述べている
同時に、「選手を、というより森(投手コーチ)を一人前にするのが仕事だった。郭・渡辺・工藤・潮崎・鹿取らが主力だからコーチなんか要らない。
色んな球団に行ったけど一番楽だった」と述べている 根本監督ではあんなに勝てないし、森ヘッド無しの広岡監督は万全ではない 西武時代の森ほど戦力に恵まれた監督はいない
あのまま勝ち逃げすればよかったのに
横浜時代は完全に黒歴史 古葉さんでも駄目だったように当時は球団が悪かった
初優勝からまともな球団になった >>初優勝からまともな球団になった
それもつかの間・・・ 森が横浜の監督として機能しなかったのは結果が示す通りだろうけど、
当時の横浜のフロント陣には問題がなかったのかね? 森さんの契約は知らないけど、古葉さんは5年契約を3年で打ち切り
主軸のポンセも不調になりスーパーカートリオ?だったかな、あれも駄目になり確か投手陣も崩壊
広島野球も西武野球も結局は外様野球で、チームとフロントを変えるまでには至らなかったのかなと
セリーグは巨人の存在が大き過ぎるので、野村さんや星野さんのような大改革をバックアップするフロントと連携取れないと厳しかったと 横浜は小泉一族ともつながりがある港湾筋がなあ
DeNAに球場共々移せたのは小泉一族と敵対してる田中真紀子が文部大臣になったのもでかい
最初は新潟に移そうとしてた >>367
横浜は以前からよくお家騒動の話が出ていたけど、親会社のどうでもいい意向が
現場の人事に反映するとか面倒な事情があったのかね?
>>393さんがあげている港湾893の問題とは別の原因があるような気がする。 >>385
そのチームを作ったのは近藤時代。
権藤の時は主力選手の年齢が戦力的にピークだった。
中継ぎにローテーションを用いた部分は評価できる。 0353 神様仏様名無し様 2013/04/25 18:46:25
>>352
森は西武でデーブを追い出しても伊東がいたから名将になれたが
横浜では谷繁を追い出して相川しかいなかったからそれが
裏目に出てしまった
好き嫌いで選手起用してヤクルトで成功し阪神で失敗したノムに似てる 清原事件まで森のせいにされるのはこじつけすぎ
清原は野村のヘルメット被ってプレイしてたからシャブ事件は野村のせいって言うのと同レベル 広岡「森が育てた選手はいない。清原放任して甘やかしただけ」
93〜94の西武投手コーチ杉下「清原、秋山、辻、石毛、郭、渡辺久、工藤、潮崎、鹿取、石井丈。寝ていても勝てる戦力」
森自身も最近出たらナンバーの西武関連本「西武の時はフロントと選手に恵まれていた」と 広岡「清原が問題を起こしたのは西武監督の森が甘やかしたせい」
広岡「東尾が問題(麻雀賭博)起こしたのは(前任者ではなく)監督の森が甘やかしたせい」
広岡「江夏が引退後問題(覚せい剤使用)起こしたのは西武時代の森コーチが甘やかしたせい」
流石に全部森のせいにするのは無理な気がするね 西武黄金期スレでは森が育てたと言えるのは田辺だけだと結論づいたぞ。
石毛が三塁コンバートしてから清家と争わせ田辺がレギュラーを掴んだ。
また、森西武時代はバックアップも充実しており野手では日替わりレフトの安部笘篠に広橋森駒崎仲田デーブ白幡清家
中継ぎも小田西本山根岡田のちに潮崎に谷間の先発もできる高山横田と粒ぞろいだった。
森黄金期スレではなぜか東尾西武が再評価されていたw末期は白にゃんこ打線だったが 森って日本シリーズ7戦目で負けてるのに投手の石井をそのまま打席立たせたり
清原を途中で引っ込めたり結構ギャンブルしてる
そういう細かいところって絶対評価されないんだよな
「戦力が整ってたから誰でも優勝できる」で片付けられる 戦力整ってるほど俺をもっと出せ、いい打順打たせろ、好きなようにプレーさせろとか出てきてまとめるの大変
チームスポーツでは外国でもあるある (戦力整ってる)+(チームとして機能する)
と勝てる、その部分で監督の力量はある
前者はほぼ必要条件みたいなもんで決して十分条件ではない
誰でも勝てるっていうのは見当違いすぎる >>402
森って投手を酷使して潰したのって杉山くらいか??
野村や星野・長嶋と比べたら少ないよね。
伊東に関してだけど広岡監督が83年のシリーズで黒田だと走られる・大石だと
リードが読まれるで森ヘッドが広岡監督に伊東起用を進言されて広岡か
教育はできてるのかと言い大丈夫ですというから起用したと答えてる >>405
侍ジャパンの監督候補に野村とか落合が上がってた時期あったが森監督ようなこそ
ジャパンの監督にふさわしいと思ってる。
いくら勝って当然といったって9年やって8回リーグ優勝・6回の日本一はすごいと思うよ
野村とか落合なんてかすむわ。 この2人に比べて投手壊すこともあまりしてないし
むしろ郭泰源なん当時ではゆとりローテだし 森の凄いところは戦力整ってるベイスターズを弱体化させたとこだわな
ここが並みの凡将(変な表現だが)とは違う 佐々木・白薔薇のいないベイスなんて飛車角落ちもいい所だろ、AK砲のいない猫みたいなもん。 森の1年目は斎藤隆抑えにして ローズ谷繁も抜け 駒田も引退して 使えない外国人とってきて 弱体化したピストル打線でもなんとかごまかして3位になった
翌年もまるで使えないカス外人とってきて崩壊した 谷繁はまだ1年目いたな ハマスタなのにチーム本塁打は阪神の次に少なかったし 得点力も低かったからしんどいわな マシンガン打線もローズいないだけで別物だもんなあ
どこで誰が打点あげるんだっていう 04年の村田(まだ未熟)・多村・ウッズがいて投手がやばすぎるときのベイを
森監督が率いてたほうが面白かったかも マシンガン打線
1番石井
2番波留
3番鈴木
4番93年94年のブラッグス
5番ローズ
6番駒田
7番進藤
8番谷繁
これ組めたらマシンガンはどうなってたかな。 ブラッグスが流れ止めたかな 6石井
4ローズ
7鈴木
9ブラッグス
3佐伯
8波留
5進藤
2谷繁
1野村
これ見てみたい >>128
原因は選手に好き勝手やらせて、逃げ切ったマルハだろ。 谷繁って森のこと語ったことある?
落合との関係よりも気になる YouTubeで高木豊との対談で、FAの経緯で軽く触れてた気がする
別に横浜出たくはなかったんだけど、色々あってー相性がどうのこうの、みたいな
もちろん森がとか名前出したりはしてないけど
桜塚チャンネルだったかな さすがに相性が〜みたいに有耶無耶な感じでなくて詳細には語ってないか 森が監督の頃は選手の面子がだいぶ変わってた印象があるな
01年はローズも駒田も抜けてたし、中継ぎ陣と抑えの斎藤隆が頑張ってた印象は残ってる
バワーズとドスターはもう1年見てみたかったけど02年に連れてきた助っ人はあまりにも酷かったな
谷繁も抜けたし02年のチームは最下位でもしょうがない感じだった >>399
森のやったことは、民間企業で言うと既存の業界最強ブランドを
時々微調整しながらも大きな変化を加えることなくブランドの価値を保ち、
業界1位の座を守り続けたみたいなものだな。
ただ、そのやり方は元々強いブランドとそれを守る優れた人材、
マネージメント機能があったからできることで、当時のベイスターズみたいに
ブランド力もないし人材もイマイチ、マネージメントもダメなところに入って
自分から周囲と自発的にコミュニケーションを取って改善するには向いていない。
>>45 のエピソードとかを踏まえても、森が自ら選手とコミュニケーションを取り
お互いに共通認識を合わせる作業をやるタイプとは考えづらい。
森は、80年代後半のライオンズみたいな成熟した選手たちで構成されるチーム限定の監督だね。 中村勝広
森さんの横浜時代?
人の痛みがわかるように
なったんじゃないですか。 >>420
以前プロ野球ニュースでコーチ辞めたいきさつ言ってたけど、
別にたいした話じゃなかったな。
何かについて文句言われた、と言ってたが、
そのエピソードが「ふーんそうなんだ」程度で、
具体的にどんな件だったかも忘れた。
もしエグい話なら覚えているからw >>424
森「人の痛みと負ける苦しさがわかったので、ハワイで余生を過ごすことに決めました。」 森が就任する時、何となく波留とは衝突しそうな気がしてたw 波留と種田トレードしたのも森の時だったか?
進藤と小川のトレードもあったしなんか嫌だった印象があるわ 作戦的に言うと森はバントと盗塁を多用する野球
前任の権藤と真逆なので合わなかったのかもしれない
1試合あたり
バント(リーグ平均)順位 盗塁企図
権藤
98年 0.50(0.76)6位 0.72(0.99)4位
99年 0.42(0.77)6位 0.76(0.78)5位
00年 0.45(0.76)6位 0.69(0.81)6位
森
01年 1.08(0.97)2位 0.89(0.80)2位
02年 0.79(0.81)4位 0.73(0.66)2位
山下
03年 0.56(0.78)6位 0.92(0.80)2位
04年 0.67(0.56)2位 0.67(0.65)3位
権藤はバントも盗塁企図も少ない
森はバント多め、盗塁多い
山下は盗塁が多め 1年違いで見ることはできなかったが、森監督からしたら往年のローズはどう映ったかな?
「打率だけでチャンスに弱すぎ、ゲッツーが多すぎ、ホームランも少ない。話にならん」
で切り捨てられたようにも思えるが。 >>431
>>240をみても、ローズがチャンスに弱いなんて思ってる奴がいたら、それはもうバイアスかかって見てるんだとしか思えないわ >>423
森だったらヤクルト時代に広岡と一緒に
弱いチームを立て直す方法を学んだはずだけどな。
横浜に来た時点でもうガタがきていたのか。 >>432
同じやつが期間空けて同じこと言ってんだからただのガイジだろう >>432
レオンが「チャンスに弱い」でリリースされた球団 前年首位打者の金城も、4番を任された鈴木尚典も打てなくなって微妙になった印象があるな...
金城は後々復活したけど、尚典は全くダメになってしまい悲しかった。 攻撃はローズ、守りは前年に佐々木いなくなったのが痛すぎる
誰が打点稼ぐんだって打線
村田、内川とかも出てくる前だったし 工藤はあと1回で西武・森の優勝回数に並ぶ
☆日本一
西武・森 工藤
86年 ☆1位 15年 ☆1位
87年 ☆1位 16年 2位(CS敗退)
88年 ☆1位 17年 ☆1位
89年 3位 18年 ☆2位
90年 ☆1位 19年 ☆2位
91年 ☆1位 20年 ☆1位
92年 ☆1位
93年 1位
94年 1位
1170試合 *835試合
*673勝 *498勝
*438敗 *316敗
**59分 **21分
勝率.606 勝率.612
☆6回 ☆5回 もつ鍋わたりの店主さんは奮闘してたよな
木塚と共に中継ぎ陣を支えてくれていた 1,2年ズレて多村、古木が救世主になるような活躍を見せてくれてたら違ったんだろうけどな
森監督の時は苦しかったことぐらいしか浮かばない 2004年はあれだけの打線を擁して最下位...
マシンガン打線より強力じゃなかった?
野球は投手力が大事だよな 森監督は多村を高く評価していた
しかし、故障続きで期待をずっと裏切り
ついに、故障しているのにも関わらず
数試合、スタメンで強行出場させ、多村を激高させた 多村はケガさえなければ、とずっと言われましたよね
守備も打撃も期待値が高かったので
多村 金城 相川 木塚 中野渡の世代にはみんなが期待してましたし彼らがチームの中心になり活躍した時代もありましたな
故障してるのに使い続けるのはちょっとダメですね...
やはり2001〜2002年は、選手の入れ替わりもあったしあの頃はうまくいかない時代でした 曖昧だけど2001年春季キャンプで落合が臨時コーチできた時に多村は熱心に打撃指導受けてたはず
(才能が開花したのが2003年途中から)
2001年はローズと駒田が抜けて、尚典とか佐伯、谷繁も? を4番にしないと 他に務まる人がいなかった
上に書かれてるけど戦術が機動力野球に変わって選手達も戸惑いがあったと思う
あと先発を早い回で降ろして小刻みな投手起用も中継ぎピッチャーは負担が大きかったんじゃないか?
木塚はフル回転でよく使われてて好きだったよ 斎藤隆の抑えは唯一の功績?
仁志の同点本塁打がなかったらどうなってたのか
斎藤隆も抑えの経験があったから先発に再び配置転換された時やメジャーで活躍出来たって言ってたけど 金城の外野転向や種田仁の獲得も
後の牛島時代のAクラスに貢献したのではないか ウッズ残留させられたら2005年は優勝争いできたんじゃないか?
まぁそんな資金なかったけど 森野球に合わなかった選手を簡単に放出させてるのがね
フロントの責任とも言えるけど酷すぎた あー。その頃からプロ野球を見始めたからよくわからないんだけど、
テレビ中継がはじまると先発が4回ぐらいで早々に降板してて中継ぎの木塚がロングリリーフしてたり、谷口、中野渡、竹下、杉山とかが投げていたのよく見た。中継ぎピッチャー酷使しすぎでしょ。
先発に長いイニング投げさせてほしかったし、アレじゃ翌年以降投壊したと言われても仕方ないね。
あの監督は自軍のチームを壊して去ってったイメージ。 >>448
だったら選手に合った監督を招聘しろよとは思うわ 最初に好きになった選手は佐伯でした。投手なら斎藤隆かな。
移籍してきた小川もパンチ力あった気がするし、種田も欠かせない選手だったかと。進藤も波留もいい選手だったけどトレード失敗していたとは思わなかったかな むしろ、波留を出して
種田を獲ったのは上手かっただろ
種田と一緒に来た山田も
一時期、ローテに入っていたし 森が谷繁嫌っていたし
捕手目線でリードとかが気に食わなかったんだろう 斎藤隆は抑えになった時は佐々木にアドバイス貰ったの? 山田博士は先発ローテで投げてて防御率が良かった時期があったな
前田 ⇔ デニー
石井義 細見 ⇔ 中嶋聡 富岡
このトレードもあったけど、石井義人が西武移籍してイチローみたいに毎試合ヒット固め打ちしまくる活躍をするとはな 森時代の外国人選手
投手 バワーズ ドミンゴ ホルト
野手 ズーバー ドスター グラン ロドリゲス ヤング
野手は失敗だけど投手は残留してたけどどうなの?
スライリーに水掛けたのはどっち? ホルトはドームでの巨人戦で完封した試合なかった?
現地で見た気がする
ロドリゲス懐かしいw >>447
当時の阪神めっちゃ強かった
ウッズが居ても優勝はできなかっただろうが2位まではイケたかもなw 森は、谷?が抜けた後も
相川を故障するまで我慢して使っていたし
斎藤隆抑え、金城外野コンバート、種田の獲得など
方向性としては間違っていなかったんだよ 森監督は見る目がありましたね。
苦しんだ1年半でしたが近い将来を見据えて若手に経験を積ませてました。
コンバートやトレードもチームを立て直す中で間違ってなかったと思います。 >>73
持ち上げるというかノムさんが整備した
美味しいところを星野は使ってだんだから
そりゃ感謝するだろ 負け犬根性染み付いたチームを勝たせるのが何より難しい
それを美味しいところとか言うあたりがアホ丸出し
弱いチームで若手を使うなんてそれこそ誰でもできる >>458
ホルトはオールスター明けの後半戦の初戦で完封してた
バワーズのインタビューてっ言うかチョー疲れましたは笑った >>462野村「(カツノリ重用について訊かれ)だって親子だも〜ん」 ←これ絶対忘れない 優勝するために招聘した監督だろ?
育成重視なら山下や田代とかOBでよかっただろ ただこの年からローズも駒田もいない状態
思うように戦力補強ができなかったチーム事情があったしタイミングがよくなかったけどな ドクターズーバーは酷すぎるってほどじゃない
ズーバーに関しては年俸も安いし残留させても問題なかった
バワーズだって良くはないが防御率4点前半でローテ守ったなら及第点の成績 ズーバーは長打力がなかったとは言われるが前任の駒田なんてOPS.700を割るようなバッターじゃんっていうね
ドスターだってセカンドを安直に外国人で埋めようとした割には守備も上手いし2割7分は打てるし上出来
ローズみたいなのがポンポン来ると思ってたならお花畑としか >>473
実際牛込時代は初期ローズですら外れ扱いされる位には外国人打者には困らなかったからな >>472
00年 ローズ
.332 21本 97打点 OPS.957 589打席
01年 ドスター
.272 *9本 27打点 OPS.720 339打席
01年 ズーバー
.310 *2本 27打点 OPS.801 266打席
02年 ロドリゲス
.262 18本 60打点 OPS.789 510打席
02年 グラン
.226 10本 34打点 OPS.674 263打席
02年 ヤング
.172 *8本 16打点 OPS.676 124打席 >>475の助っ人外国人は全員30代
この成績なら日本人選手使うし、再契約せず来年の外国人探すに決まってる
唯一もう1年待っても良さそうなロドリゲスは36歳 ローズの代わりに入れた外国人はそれなりだった
ローズの代わりに入れた外国人をクビにして取ってきた外国人がハズレだったが正解 ローズいるのにセルビー取ってたのはなんだったんだろ ローズ以降に入団した外国人ってハズレばっかりだったよな
惜しかったのはポゾくらい 2001年にローズの代わりに入ってきた外国人野手
そりゃ良くて日本人と同等程度なんだから助っ人外国人としては失敗だってw
<二塁>
ドスター(30歳)
.272 *9本 27打点 OPS.720 339打席
種田(30歳)
.278 *4本 42打点 OPS.739 278打席
<一塁>
ズーバー(31歳)
.310 *2本 27打点 OPS.801 266打席
佐伯(31歳)
.302 14本 73打点 OPS.797 555打席
<外野>
サンダース(27歳)
.114 *1本 11打点 OPS.386 *49打席
金城(25歳)
.271 *3本 49打点 OPS.685 579打席
鈴木尚(29歳)
.315 *6本 57打点 OPS.794 516打席
中根(35歳)
.263 *7本 33打点 OPS.745 305打席 サンダースとか、公表では188センチくらいで
森横浜にも、ようやくデストラーデみたいな大物打ちが来るのか
これからチームをつくっていけるだろうと思っていたら
どう見てもそんな大柄ではないであろう、明らかなサバ読み助っ人
なんじゃこりゃと思った記憶がある >>483
成績貼られても「酷すぎた」が言い過ぎだって印象を強くするだけだよw カブレラ ローズ 中村紀とかが異常なぐらいHR打って覚えがあるけど、この時代は飛ぶボール使用してたっけ?
横浜の選手は狭いハマスタならもっと本塁打量産してもよさそうだけど、実力が及ばなかっただけなのか...
でも谷繁はキャリアハイだったしな ドスターズーバー グレンクールボー
は双璧
これを超える外国人コンビは出ない >>489
一応セは02年-04年、パは01年-04年がラビットって言われてる
当時は球団ごと使用球バラバラだけど
02年は新ストライクゾーン影響で少し落ちてる
年度 セ パ
01年 *781本 1021本 (140試合)
02年 *826本 *869本 (140試合)
03年 *987本 1000本 (140試合)
04年 1074本 *936本 (セ138 パ133)
19年 *837本 *851本 (143試合)
横浜スタジアムHRパークファクター
01年 0.78
02年 0.67
03年 1.27
04年 1.09
19年 1.15 >>491
01年ってセパでこんなに差があるんだな >>292
高木由「あの子は性格がよすぎる子だったからいろんな人のアドバイスをみんなそのまま聞いてしまう。」 >>308
野村政権が長すぎたのがな。
それでスワローズでコーチ入閣の話がなく、ベイスターズに入閣した。 >>32
>>439
もう、もつ屋は廃業して会社員 選手のプライド高くて云々は強いチームにも当てはまるからなあ >>494
駒大監督だった太田誠とヤクルト球団が選手のドラフト指名を巡って揉めて、
駒大とヤクルトが疎遠になった影響もあるらしい。 監督がどこまで編成に関わってたのかは知らんが
助っ人主砲の狭間になって運も悪かった
00年 ローズ
01年-02年 監督森
03年 ウッズ、村田 コックスの怪我で出遅れなければウッズは1軍に残れない感じだったけ?
ウッズは開幕から使ってもらえて運もあった 森と言えば琢朗、金城、尚典の打撃にもの足りなさを感じたシーズンだった >>498
森だったら気難しいローズは100%操縦出来なかった >>501
というか権藤と性格が真逆だからな
放任でバントも最小の権藤
支配的、管理的でバント多い森
ローズとは多分揉めてただろうな 近藤の元でもやってんだから問題ねーだろ
結局金目だよ 近藤の頃のローズなんてまだ不慣れで小さくなってた頃だしなぁ
森の頃のローズは「俺はローズ様だぞ分かってんのか」状態だし 1年目から大活躍して打点王ベストナイン取ってるんだから小さくなったままなわけないじゃん
ビジネスライクで日本に溶け込もうとしなかったのは一貫して変わってないし デストラーデなんてチームバッティングなんか何もしてなかったしな
外国人相手には管理どころか甘々だったんだから金さえ出してりゃプレーしてたし金出さなきゃ同じく辞めてるよ ローズは96年まではブラッグスと比較されていたからな >494
捕手出身の野村政権が結果出してスタッフでの復帰が遠くなった。そこでヤクルト優勝時のコーチ近藤が横浜監督。
その前の大杉のように当時横浜にはフジサンケイの斡旋があった。因みに大杉、大矢ともに横浜在住だった。 森監督や古場の中身や技量は変わらない
川上や長嶋がベイスターズの監督をやっても同じ結果
結局ベイスターズには小粒ばかりで良い選手が少ないし集まらない
巨人や西武に比べたら資金も少ないし魅力のない球団だ
森監督の失敗じゃなく、選手のレベルが低い
V9時代の川上監督が、もし大洋と巨人を監督を入れ換えて大洋の監督やったとして大洋は日本一になれますか? よりによって大洋を出してくるのが草
6年連続最下位のチームを日本一にした監督がいるのに 西鉄3年連続日本一より、大洋日本一の方が凄いよな
万年Bクラスのチームを日本一にさせて、その後38年間優勝してないし 結局、森じゃなくて広岡が凄かっただけだな
規則正しい生活しろ、節制しろなんて、当時の監督は誰も口うるさく言わなかったと思う
工藤も夜遊びや暴飲暴食で結果を出せなくなった時に広岡の言葉が無かったら生活改善してなかったろう
石毛だったかな?
監督に就任した森のミーティーングで「広岡さんと同じことしか言ってないじゃん」と思ったそうだ 813どうですか解説の名無しさん (ワッチョイ 9f33-5AqE [153.221.0.195])2021/04/29(木) 21:20:34.57ID:qxyj9Boy0
>>778
森は神外人の不動の4番のロバートローズが抜けて
それで1年目は10連勝も記録してAクラス入ったけど?
2年目は新外人など外人が投手野手と4枠全滅して
その上で鈴木タコ、石井、佐伯、三浦などが主力全員が故障、不調で主力陣が壊滅して
ローテは三浦、吉見の2人以外は全員谷間という惨状
こんなの最下位で当然で、あの2002年なんかそれでも37で収まったから >>513
森がライオンズで優勝し続けていたときも、
「あの投手陣と守備陣がいれば誰でも勝てる」とか言われて評価低かったね。
ちなみに、スワローズ時代も自分から考えを発するというより
チーム内のルールを破った選手を見つけて廣岡にチクる役割をしていたので
森KGBとか陰で言われていたとか。 古葉も森も投手王国の球団から来た
守りの野球が信条の2人に投壊している球団は無理だったのだ 投壊している球団の再建なんていう得意でもない役割を
勝手にできると勘違いしてできなかったおじさん。 (遊)石井琢
(二)種田
(左)鈴木尚
(一)外国人
(中)多村
(三)内川
(右)金城
(捕)相川
(投)三浦
森横浜の最終完成型は
こんな感じだったんだろうか >>521
一から育てる手腕がある指導者のほうが希少。 >>394
大洋漁業中部謙吉オーナーの時代から球団フロント幹部らが
オキニの選手と懇ろになり共闘して
気に入らない監督の足を引っ張って粛清したりしてた魑魅魍魎の世界
三原別当青田古葉etc
古葉は佐川スキャンダルとの併せ技で退団になったが 権藤→森→山下っていう一貫性もクソもない順番がもう
フロントもゴミ そもそも鯨・ベイスで成功を収める監督の方が稀なのだからそこまで落ち込むほどじゃ無いよな >>249
バントの効用については概ね同意だけど、投手戦の試合で2点か3点勝負が
予想される試合なら、ノーアウト1塁でバントもありなのでは?
打者が俊足でダブルプレーはほとんどない、最悪ランナーを2塁に進めてくれる
というのであれば、そのまま打たせてもいいだろうが。
味方の投手にとって、1点でも欲しい場面でランナーも進められず1点も取れない
という展開が続くと、結構ストレスかかりそうではある。 V9捕手、根本・広岡が作った後の西武で実績
焼け野原の大洋じゃ無理でしょ どちらかというと育成というより運用がうまいタイプだしね
石毛もそんな感じのこと言うてたわ 広岡が育成しておいしいところ持ってった >>526
酷いチームだな。
今は三浦が散々非難されているけど、本来非難されるべきなのは
球団の体質そのものじゃないのかね。 横浜は前球団社長かなんかが野球の成績おかまいなしに
自分がいかに商売がうまいかをあちこちで語ってるが
そんなこと誰も興味ないわ 西武黄金時代の選手構成だったら、大矢・山下でも優勝できるだろ 石毛宏典、辻発彦、平野謙、秋山幸二、清原和博、デストラーデ、田辺徳雄、伊東勤の打撃陣、
渡辺久信、工藤公康、郭泰源、東尾修、石井丈裕、渡辺智男、潮崎哲也、鹿取義隆の投手陣。
https://www.seibulions.jp/expansion/history/seibulions/86_94.html >>515
広岡のやり方じゃ長続きはしないと思う
西武もあのまま続けても内部で崩壊してたと思う
あの時期の西武の強さはやっぱり森だからできた 横浜球場
エスコバー156キロ前後連発
1球だけ163キロ計測
左で163キロは凄いな
155キロスリーランホームラン打たれてた
右手首に打球を当てられた
後から登板の山崎が8キロ位遅いから、エスコバーよりも遅く見える さっきあがったYouTubeのデーブ大久保ちゃんねるでゲストの谷繁が森について語ってるわ 権藤から 森へはチームカラー的に無理だったか
直接大ちゃんなら谷繁も出ていなかったかも >>540
杉浦だったか八重樫だったか忘れたけど、優勝できたのは広岡さんのお陰だし感謝しているがもう勘弁…、みたいなこと言ってたな >>536
あの人はスポーツビジネスのプロだから、経歴を盛ってでも自分を大きく見せて、
ナイーブなおっさんたちを騙して金を稼ごうとするのは当然のことです。 >>411
あと2年目に森繁と辻をコーチ加入させて投手陣と内野守備陣を崩壊させた >>188
大堀が選手側にたちすぎたという点もあるわな。
「感動を与える面白い野球しろ」に昭仁はかなりなやまされたそうだから。 >>255
守備力が安定していた強みもあった
岡崎 堅実だが守備範囲狭過ぎ
鴻野 身体能力高く守備範囲広く肩も強いが致命的なスローイング難 >>269
高木由「あの子は性格がよすぎた。素直すぎるからいろんな人のアドバイスをそのまま受け入れちゃう。それで迷ってしまった」
古木「グラブを下から出せ、と指導されてきたが、どういう意味か理解したのは、引退後に通った清家さん(阪神→西武の控えショート)の野球学校で、だだった」 >>518
93年・94年投手コーチだった杉下茂曰く「デストラーデは退団していたが
清原、秋山、伊東、辻、石毛、郭、渡辺、工藤、石井、潮崎、鹿取。
寝てても勝てる戦力だった。森コーチの指導で西武にいったようなもんだった。」 西武では根本が素材を集めて広岡が徹底的に教育した戦力があったから森は勝てた
相手チームより手駒の数も能力も勝っているんだから、手堅く負けない野球(要するにつまらない野球)をやってれば勝ち数は稼げる
ただそれだけの話
それを「これが森の野球だ」と勘違いしちゃったんだろう
参謀として優秀なのを、自分は監督として優秀なのだと思ってしまった
森が自分の得意な能力は「個性的な監督の後をソフトランディングさせながら引き継ぐこと」だと
きちんと理解できていれば、やることは権藤野球の否定ではなく権藤野球を引き継ぎながら修正することだった
それぐらいマイルドに取り組んでいれば横浜の良さはなくならずに、あそこまでチームが崩壊することはなかったかもしれない >>526
横浜はそもそもフロントがゴミなんだね。 >>554
自身の指導方針を明確にするために前任者の取組を否定する人っているよね。
組織の結果よりも自分の功績を誇りたい人がやりがち。 >>509
>>518
V9終了後、一旦退団して解説者に就いた牧野茂氏が出した本に、
こんな要旨のことが書いてありました。
「『王、長島を擁していれば誰が監督でも優勝できる』なんて言う
人もいますが、そんな甘いものではありません。他所様のことは言い
たくないけど、松原、平松がいて外人にも恵まれている大洋が、毎年
あの体たらくなのはどうにも解せない。」 巨人V9末期ごろの大洋っていい選手がそろっていたよね
松原、江藤、シピンを主軸に、ボイヤー、江尻、中塚、長崎
投手では平松、坂井、山下
巨人にもう少し迫ってもおかしくない ローズまでの横浜大洋の外国人打者って、ポンセやブラッグスが例外で
他の多くは一発よりもアベレージに長けていたよね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています