珍しい記録 Part48
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
三年連続首位打者の調査はMLBでの該当者があまりに多すぎて断念 MLBで3年以上連続で首位打者になった選手
【ナショナル・リーグ】
ホーナス・ワグナー 1906〜1909
ロジャース・ホーンスビー 1920〜1925
スタン・ミュージアル 1950〜1953
トニー・グウィン 1987〜1989、1994〜1997
【アメリカン・リーグ】
タイ・カッブ 1907〜1915、1917〜1919
ロッド・カルー 1972〜1975
ウェイド・ボッグス 1985〜1988
ミゲル・カブレラ 2011〜2013
クリスチャン・イエリッチが現在2年連続首位打者
現役のカブレラを除く引退している7人は、全員1回目の投票で殿堂入りしている 日本球界で3年以上連続で首位打者になった選手
【セントラル・リーグ】
長嶋茂雄 1959〜1961
王貞治 1968〜1970
A・パウエル 1994〜1996
【パシフィック・リーグ】
張本勲 1967〜1970
落合博満 1981〜1983
イチロー 1994〜2000 3年連続以上首位打者もNPB分だけは作るだけつくったので投稿する
1/2
長嶋茂雄(1959〜61年)
打率.3403 *71本塁打 232打点
その他打撃タイトル
本塁打王1回(1961年)
張本勲(1967〜70年)
打率.3479 106本塁打 320打点
その他打撃タイトル
なし
王貞治(1968〜70年)
打率.3321 140本塁打 315打点
その他打撃タイトル
本塁打王3回(1968〜70年) 2/2
落合博満(1981〜83年)
打率.3275 *90本塁打 264打点
その他打撃タイトル
本塁打王1回(1982年)
打点王1回(1982年)
三冠王1回(1982年)
Aパウエル
(1994〜96年)
打率.3391 *53本塁打 212打点
その他打撃タイトル
なし
イチロー(1994〜2000年)
打率.3590 117本塁打 521打点
その他打撃タイトル
打点王1回(1994年)
ここでもON登場。3年連続打点王に比べると他の打撃三部門と掛け持ちは少ないか
そして全員少なくとも1度はシーズン20本塁打達成 3年連続以上本塁打王これもNPBのみ
1/2
中西太(1953〜56年)
打率.3164 131本塁打 *361打点
その他打撃タイトル
首位打者1回(1955年)
打点王2回(1953,56年)
野村克也(1961〜68年)
打率.2937 315本塁打 *849打点
その他打撃タイトル
首位打者1回(1965年)
打点王6回(1962〜67年)
三冠王1回(1965年)
王貞治(1962〜74年)
打率.3156 597本塁打 1395打点
その他打撃タイトル
首位打者5回(1968〜70,73,74年)
打点王9回(1962,64〜67,71〜74年)
三冠王2回(1973,74年) 2/2
Oデストラーデ(1990〜92年)
打率.2652 122本塁打 *285打点
その他打撃タイトル
打点王2回(1990,91年)
Wバレンティン(2011〜13年)
打率.2754 122本塁打 *288打点
その他打撃タイトル
なし
予想通り打点王の掛け持ちが多かった
3年連続首位打者本塁打王MLB編は気が向いたら ベイスのソトも3年連続本塁打王の可能性が
両リーグの本塁打王がともに3年連続以上が並立というのは
1964〜68年王、野村以来か 本塁打王6回の中村おかわりは2年-2年-2年なのね >>183
金田と高木といえば、私が覚えている最も古い日本シリーズ(1974年)で対決していますね
もっとも、金田は監督としてですが >>186
ジョン・マグローは、シーズン中に現在のヤンキースの監督からジャイアンツの監督になっている。
現在のヤンキースはそもそもア・リーグ新設時にボルチモア・オリオールズとして設立された(事実上の復活)球団で、その流れで前のオリオールズ(1899年解散)の
主力選手であり最後の監督でもあったマグローが監督に就いたが、ア・リーグ会長との確執やその会長主導でニューヨークへのフランチャイズ移動が画策された事
への反発から、逆にア・リーグ側に先手を打つ格好でナ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツ監督に就任し、オリオールズの主力選手をごっそり引き抜いたという。 同じタイトルの並立最長は本塁打王(王&野村)1962〜1968年の7シーズン
違うタイトルだと1971〜1978年セ打点王の王とパ盗塁王福本で8シーズン
また、王は1967〜1974年では本塁打王と最高出塁率を、1971〜1978年では打点王と最高出塁率をそれぞれ8年連続で独占
ゴールデン(ダイモンド)グラブやベストナインなどの表彰を含めたら物凄いのがありそう >>202
当時のセは最多出塁数ですね
最高出塁率は1985年から 田渕が打たなかったら15年連続本塁打王もあり得た
50本塁打以上: 3回(1964年、1973年、1977年、日本記録)
40本塁打以上: 8年連続含む13回(1963年 - 1970年、1972年 - 1974年、1976年 - 1977年、日本記録)
30本塁打以上: 19年連続19回(1962年 - 1980年、日本記録、20本塁打以上でも日本記録)
10本塁打以上: 21年連続21回(1960年 - 1980年、日本タイ記録) ベストナイン3年連続以上獲得者
【投手】
セ:該当者なし
パ
稲尾和久(1961〜1963)
松坂大輔(1999〜2001)
【捕手】
セ
広田順(1953〜1955)
藤尾茂(1957〜1959)
森昌彦(1961〜1968)
木俣達彦(1969〜1971)
田淵幸一(1972〜1976)
古田敦也(1991〜1993、1999〜2001)
阿部慎之助(2007〜2014)
會澤翼(2017〜2019)
パ
土井垣武(1950〜1952)
野村克也(1956〜1968、1970〜1973)
梨田昌崇(1979〜1981)
伊東勤(1985〜1988、1990〜1992)
城島健司(1999〜2001、2003〜2005)
【一塁】
セ
川上哲治(1955〜1958)
王貞治(1962〜1979)
谷沢健一(1982〜1984)
バース(1985〜1987)
ペタジーニ(1999〜2002)
パ
飯田徳治(1950〜1953)
榎本喜八(1959〜1964)
大杉勝男(1969〜1972)
加藤秀司(1975〜1977)
投手は稲尾と松坂の3年連続が最高
捕手は野村の13年連続
一塁は王の18年連続 福留が狙える記録
・史上最年長での打率ベスト10入り
現在の打率順位は落合(96年・14位)
・・10傑入り最年長は42歳
56年・戸倉勝城(阪急)5位 95年・落合(巨人)4位
・43歳以上で規定打席消化&打率3割 96年・落合(.301)のみ
・満43歳以上で規定打席消化(プロ野球史上2人)
門田博光(91年・43歳)落合博満(96年・43歳)
・NPBで2000安打(あと103)
・日米通算2000安打到達後にNPBで2000安打
過去3人(ラミレス、中村紀洋、松井稼頭央)のみ
・NPBで2000安打到達最年長
和田一浩(中日)の42歳11カ月
4月26日に43歳の誕生日。達成なら史上最年長
・NPBで400二塁打(過去12人)あと6
・NPBで1000四球(過去15人)あと29 【二塁】
セ
千葉茂 1950〜1953
井上登 1955〜1958
高木守道 1963〜1967
R・ローズ 1997〜2000
荒木雅博 2004〜2006
山田哲人 2014〜2016
パ
山崎裕之 1969〜1971
マルカーノ 1977〜1979
辻発彦 1991〜1993
浅村栄斗 2016〜2019
【三塁】
セ
藤村富美男 1950〜1952
長嶋茂雄 1958〜1974
掛布雅之 1976〜1979
江藤智 1993〜1996
パ
中西太 1953〜1958
小玉明利 1962〜1965
有藤通世 1969〜1975
落合博満 1984〜1986
松永浩美 1988〜1991
中村紀洋 1999〜2002
【遊撃】
セ
平井三郎 1951〜1953
吉田義男 1955〜1960
藤田平 1969〜1971
高橋慶彦 1978〜1980
池山隆寛 1988〜1990
石井琢朗 1997〜2001
井端弘和 2004〜2007
鳥谷敬 2013〜2015
パ
木塚忠助 1950〜1952
豊田泰光 1959〜1962
小池兼司 1964〜1966
阪本敏三 1968〜1971
大橋穣 1972〜1976
石毛宏典 1981〜1983
松井稼頭央 1997〜2003
二塁は高木守道の5年連続
三塁は長嶋茂雄の17年連続
遊撃は松井稼頭央の7年連続が最高 長嶋の入団から引退までベストナインってのは二度と出て来ないだろうな そういや去年の中日は6年ぶりに神宮球場で勝ち越したんだな。
その前に勝ち越したのは07年だから12年間で2回しか勝ち越してないが、何でこんなに苦手にしてるんだろ?
ヤクルトがドベに沈んでいる年でも負け越してるし >>198
ソトは本塁打だけはポコーンと簡単に打つから可能性高そう >>203
一覧の数字も確認していたのに大ボケをかましてしまいました・・・
ご指摘ありがとうございます 1970年以降の一軍監督で
現役時代1度も規定打席・規定投球回こなした実績のない人、他に誰がいたっけ?
(外国人監督も念頭にMLBで規定こなした実績ある人は含めないものとします。
ちなみに栗山英樹は88年だけ到達・森繁和も入団3年目まで先発多く普通にクリア)
---
上田利治
森脇浩司
デーブ大久保
与田剛
バレンタイン
ヒルマン >>214
高津は今年からヤクルトの監督だったのか
90年代以降は1イニング限定起用が主体になって分業化も深化し引退まで規定未到達の抑え実績者も目立つが
佐々木や岩瀬が監督就く日は来るか >>70
いやいやあなたのレスの方が意味不明だよ
通算記録を評価する名球会になんで1シーズンの記録が関係するんだよ
せめて野球殿堂の方だと思うんだけど
杉浦忠は殿堂入りしているから別にいいでしょ
その殿堂入りだって投手五冠でも斉藤和巳は通算記録がイマイチだから難しそうだし
アメリカの野球殿堂でも2年連続MVP&シーズン本塁打新記録のマリスは殿堂入りしていないし
引退後に評価されるのはやはりシーズン記録よりも通算記録だよ 5年連続サヨナラ本塁打の達成者はいないらしい
鈴木誠が狙える('16に2本、'17 - '19に各1本) >>219
「4年連続」の達成者
飯田徳治 1948-51
毒島章一 1962-65
野村克也 1966-69
廣澤克己 1991-94
鈴木誠也 2016-19
こんなところか 横浜大洋に在籍したミヤーンはあと35本で日米通算2000本安打だったのに1980年限りで引退
当時は日米通算の記録なんて言われない時代だったからか、もし今なら記録を達成するまで現役続行してたかな?
ちなみに日本で通算2000本を達成なら、セ・リーグの助っ人として史上初となるところだった。
その後1981年に巨人在籍時のホワイトが達成していて、パ・リーグでは1976年に太平洋在籍時のアルーが達成しているが、当然報道は一切無し 生涯通算打率10割の奴って何人いるの?
いくら検索しても塩瀬とシュルジーの話をドヤッて書く奴ばっかでもうブチ切れそう >>223
昨年末までで17人
4打数4安打が1人、2打数2安打が1人、1打数1安打が15人 >>224間違えた
昨年末までで27人
4打数4安打が1人、2打数2安打が1人、1打数1安打が25人 メジャーではジョン・パチョレックの3打数3安打が「生涯打率10割の選手で最多安打」なので、
高岡英司の4打数4安打というのはすごい記録だね。 >>226
ジョン・パチョレックは5打席3打数3安打2四球で5打席全出塁しかも4得点だったり >>225
サンキュー、それを知りたかった
パチョレックは知っていた 1972年当銀秀崇(.048)より低い打率で日本シリーズに
出場した選手っている? .000およびシーズン出場なしは除く >>229
野手では1972年の当銀選手以外には見当たりませんでした。
投手ですと、10人以上該当します。
特に打率が低かったのが
チェン(11、中) .023(44 - 1)
山根和夫(79、広) .023(43 - 1)
でした。 >>218
杉浦は通算でも187勝してる
200に届かないからと弾かれるのはおかしい >>228
なお、1901年以降のMLBでは91人が「通算打率1.000」
3打数3安打が1人、2打数2安打が9人、1打数1安打が81人 磯部が近鉄の時酷かったし楽天では出てないような...
と思って調べたら酷いどころか打率.000だったのね 関川
磯部
和田
だね、ドツボにはまってそのままチームも惨敗した三人
和田だけ次に出場したシリーズで雪辱を果たしたが 金田正一が死んだから緩和か
杉下茂投手が入ってないのはちゃんちゃら可笑しい
>>57
> >>32-38
> 最近緩和されたらしい投手の名球会資格をまだ確認してないけど、
>
> 長谷川良平、杉浦忠、松岡弘は
> (通算勝利×10)+通算
安打の合計で2000クリアしている。 どうやって調べたんでしょうか?
>>145
> 引退選手で2000本安打かつ通算打率.300をクリアしている選手について
> シーズン区切りで通算4000打数に到達したシーズン終了時点での通算打率、
> 通算4000打数到達後の通算打率ピークを調べてみた。
> 以降の文脈での通算打率は4000打数以上での通算打率という意味。
> 選手の並び順は通算安打数順。
>
> 1/2
> 張本 勲 2752試合 9666打数3085安打 .31916 1959-1981
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.3122(1967年4049打数1264安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3254(1977年8513打数2770安打)
> 王 貞治 2831試合 9250打数2786安打 .30119 1959-1980
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.2942(1968年4154打数1222安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3057(1977年7959打数2433安打)
> 長嶋 茂雄 2186試合 8094打数2471安打 .30529 1958-1974
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.3226(1966年4290打数1384安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3226(1966年4290打数1384安打)
> 落合 博満 2236試合 7627打数2371安打 .31087 1979-1998
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.3264(1989年4234打数1382安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3264(1989年4234打数1382安打)
> 川上 哲治 1979試合 7500打数2351安打 .31347 1938-1958
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.3142(1951年4220打数1326安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3200(1956年6600打数2112安打)
> 若松 勉 2062試合 6808打数2173安打 .31918 1971-1989
> 通算4000打数到達シーズン終了時点打率.3257(1980年4258打数1387安打)
> 通算4000打数到達後通算打率ピーク.3257(1980年4258打数1387安打) マリスは年間何本打ってるの?
>>218
> >>70
> アメリカの野球殿堂でもシーズン本塁打新記録のマリスは殿堂入りしていないし ロジャー・マリス
通算:1463試合 5101打数 1325安打 275本塁打 850打点 .260(打率.300超が一度もない)
1961年 ア・リーグ最多本塁打 : 61(後の3選手はドーピング疑惑あり) なぜ高岡英司の4-4が注目されなかったか謎だな。
当時は投高打低(あまりボールが飛ばなかったらしい)だから尚更今より価値がありそうなのに野手転向の話は無かった模様 @何試合制度A達成西暦お願い致します
>>239
> ロジャー・マリス
> 通算:1463試合 5101打数 1325安打 275本塁打 850打点 .260(打率.300超が一度もない)
> 1961年 ア・リーグ最多本塁打 : 61(後の3選手はドーピング疑惑あり) ジーターが全397票のうち、396票を集めて殿堂入り
マリアーノ・リベラに続く2人目の満票での選出ならず ID:56NacDug
ID:qtxFrjca
いちいち他人のレスをペタペタ貼り付けてアンカ付けるって気色悪いよ
wiki見るだけで分かるようなことを調べようともしないし
荒らし? >>185
来日前にドクターストップがかかって契約まで至らなかった。
(ただ週べだかの名鑑には掲載されてるが) かなり昔の1949年とはいえ皆川定之の打率178で得点80は凄い 谷繁の2012年の規定打席到達で15得点は少なすぎる
5本塁打だから他の打者に返してもらったのは10得点だけ 同年の大島の631打席13打点も異常
2リーグ制以降の規定打席到達者の最少打点が12(2人)だけど達成者はともに400打席台だし >>251
>>252
それでも2位だったのが不思議 谷繁といえば、
1989年10月10日 石井琢19歳-谷繁19歳
2013年7月13日 山本昌47歳-谷繁42歳
で勝利してるけど、これは最年少と最年長バッテリー記録? 細かくやると、谷繁は1970/12/21生まれだから、その時は18歳だね
あと当時はまだ石井琢郎ではなく忠徳だった
1989年10月10日 石井忠19歳46日-谷繁18歳293日
2006年3月26日 涌井19歳278日-炭谷18歳250日
強いていうなら大洋バッテリーかな >>256
サンクス
石井ー谷繁バッテリー、同期で共に40過ぎまで活躍し、2000本安打とは誰も想像できないな
漫画みたいな展開だ 1950年4月30日
浜崎真二 48歳141日
山下健 18歳267日 谷繁とバッテリー組んだ投手で最年長は新浦(1951年生)、最年少は鈴木翔太(1995年生)かな 長嶋(1936年生)とチームメイトだった投手とバッテリーを組んだ事がある捕手とバッテリーを組んだ鈴木翔太(1995年生) 2004年のボンズはダントツで得点王かと思っていたらプホルス133に次いで129で2位だった
単純に出塁数ではプホルス287 ボンズ376でボンズの後ろの打者達はどんだけショボかったんだか
一方で日本の王はタイトル獲った年は順当に全て得点王になっている >>261
2004年SFジャイアンツ「5番打者」のOPSは.705 >>257
大河ドラマでやってくれたら毎週録音するわ >>262
貧相だな
そりゃ敬遠が得策なのも分かるわ >>262
>>265
その年のSFジャイアンツの5番は
後年巨人に来たエドガード・アルフォンゾあたりか?
このアルフォンゾ含めその年のSFでMLBに出場した選手が後年NPBに来てるな
ランサム、デーモン・(マイナー)、リンデン、ブラワー
この年のSFとCOLは抑えが壊滅的だったな。 >>265
この年のボンズが .362 45本 101打点だからそれより多いのか >>265
むしろ少なくないか?ww
常時ボンズが塁にいるのに107打点て ああ、ops705のクセに107打点も稼いでいた
ってことか。失礼しました >>267
「5番」最多出場は御明察のアルフォンゾ
他にフェリッツ、ピアジンスキ、スノウら 2003,2004年のアルフォンゾを見て打率・本塁打の割に多い打点って
本当に勝負強いということでいいのだろうかと疑念を抱き始めたのはいい思い出 >>272
得点・打点はチームに依存する度合いが高いからね 多和田真三郎とか
普通、苗字が三文字なのに三文字の名前をつけるかね
地味にDQNネーム 阪神・西勇輝
阪神に国内移籍した投手が開幕戦で先発勝利なら江本孟紀('77・'79)以来2人目
江本は76年に、江夏豊らとの大型トレードで南海から加わった。初年度から15勝とエースの働きをしたことが買われ、タテジマ2年目の77年に移籍後初の栄誉を手にした。
期待に応え、ヤクルト戦で3失点完投勝利。79年広島戦では終盤につかまったが、救援がしのいで開幕投手として2勝目を挙げた。
ここから阪神の移籍開幕投手は、苦難の道を歩む。空白の一日で巨人から79年に加わり22勝を挙げた小林繁は、80年広島戦でソロ本塁打5本を許し降板。チームはデュプリーのサヨナラ本塁打で黒星発進。
82年大洋戦では、前代未聞の敬遠サヨナラ暴投をやらかし敗れた。その後の野村収、星野伸之、下柳剛も結果を出すことができないまま。小林以降の移籍投手が先発した開幕戦8試合で、阪神は7敗1分け。 小林繁は
82年 2点しか取れず11残塁の拙攻が響いて最終回逆転サヨナラ負け
83年 4回までに7安打、計10安打放つも小林の捕ゴロによる1点のみ
とかなり味方にも足を引っ張られてるな >>275
赤根谷飛雄太郎は3文字+4文字だからセーフだな >>256
つまり後者の時に前者は二人とも現役だったのか
そりゃタイトルを取れば得点王だわな
>>260
そんなんキリないぞ
一例
若林→投手→捕手→投手
>>266
楽天って40年前は近鉄ってこと? >>280
江本は確かその時期に2年連続開幕戦で王に満塁ホームランを打たれているな 多和田真三郎
初見では中々「たわた しんさぶろう」とは読めない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています