珍しい記録 Part48
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>>286
たわだ
じゃないん??
ちなみにジャパネット″たかだ″
だと思ってま 息長い <日本ハム一筋を貫いた主な選手>
◆岡持和彦 東映時代の70年に入団
主に外野の控えとして88年まで19年プレーし、通算1218試合に出場。引退後は1、2軍の打撃コーチを務めた
◆菅野光夫 75年入団
内野のユーティリティープレーヤーとして85年まで11年在籍し、通算1009試合に出場。引退後はコーチを務めたほか、05年からは鎌ケ谷の「勇翔寮」で寮長を務めた
◆五十嵐信一 78年入団
内外野こなすマルチプレーヤーとして96年まで19年在籍し、通算1069試合に出場。引退後は2軍監督、コーチ、スコアラーなどを務め、現在は球団の査定担当
◆田中幸雄 86年入団
07年まで22年プレーし、球団最多の通算2238試合に出場した「ミスターファイターズ」。引退後は1、2軍の打撃コーチ、2軍監督を務めた
◆金子誠 94年入団
14年まで21年プレーし、通算1996試合に出場。
引退後もコーチを務め、今年も1軍の野手総合コーチとして在籍27年目 日本ハム・金子
今季の目標に50試合、120イニング登板を掲げた
50試合&120イニングをクリアした投手は00年以降、わずか4人
■50試合かつ120イニング以上投げた投手(00年以降)
01年・具台晟(オリックス)
03年・小林宏(ロッテ)小倉(オリックス)
11年牧田(西武)の4人
直近の牧田は、開幕から10試合先発した後、抑えに配置転換。55試合で127回2/3を投げた
日本ハムでは97年下柳が最後。この年は先発1試合を含む65試合に登板。ロングリリーフもこなし、救援で5イニング以上投げた試合が5試合もあった。投球回は147で、規定投球回をクリアしていた >>292
に触発されて調べてみたけど、リーグ最多登板と最多イニングの同時達成は1975年東尾が最後かな?
この年の東尾はリーグ最多先発も兼ねてるけどこの三部門同時1位は2リーグ制以降は結構レアだったと思う。
最多登板兼最多イニングなら稲尾が1957〜59,61,63年に達成。
>>292
のレスを当てにして1999年までしか調べてないけど登板数、先発登板、投球回数の三冠達成者は以下
1937年春 野口明(セネタース)
1937年秋 野口明(セネタース)
1939年 野口二郎(セネタース)
1941年 福士勇(朝日)
1942年 林安夫(朝日)
1943年 藤本英雄(巨人)
1944年 若林忠志(阪神)
1946年 真田重蔵(パシフィック)
1949年 V.スタルヒン(大映)
1955年 金田正一(国鉄)
1956年 島原幸雄(西鉄)
1957年 秋山登(大洋)
1961年 権藤博(中日)
1973年 江夏豊(阪神)
1975年 東尾修(太平洋)
年度別のリーグ最多投球回を調べているときも思ったけど、エースが先発救援フル回転してた時代は
エースよりも2番手以下の投手のほうが先発登板多いケースが散見されるのね。エースは先発登板を
多少削ってでも、リリーフ待機させて勝てそう試合展開なら中盤からロングリリーフさせるのがトレンドだったのだろう 先発と完了の同時リーグ1位は1944年の若林だけだったはず >>292
そのスレに登場する下柳を含めた過去の投手の所属球団が全部リーグ優勝とは無縁だったりする
しかも2011年3位西武を除き全てBクラス(西武も4位とは僅か1毛差)
それでいいのか金子w >>295
つまりは投手陣崩壊を食い止める為に調子が良い一人の投手をフル回転させているってケースが基本って事ねw 今年の金子は、オープナーとロングリリーフ専用でいくつもりなんだな 日本ハムにはシーズンを通してオープナーを続けてもらい、
シーズン最多先発の記録更新と予告先発制度の無効化→廃止を実現して欲しいです。
予告先発賛成派の方々には申し訳ありませんが。 オプーナーでもシーズン最多先発登板51更新は困難じゃね? >>299
ズブの素人且つ記録を精査しないで書くので説得力はないのですが・・・
近年先発投手がイニングを稼げなくなった原因のひとつに
予告先発(相手打線は前日から対象を絞り込んだ対策を立てられる)があるのでは?と思っていまして、
その予想が正しいのかどうかを確かめたくて、というろころです。
予告先発廃止で相手の先発の予想が全く立たないということはないですが、
偵察メンバーのベンチ入り→ブルペン投手の削減などデメリットの方が多いかもしれませんが。 トリプルスリーってすごいと言うより珍しい記録だよな。 >>302
さいころのゾロ目のような見た目の整った感じよね
珍しさということでは3割40本塁打20盗塁のほうが珍しい 小ネタ
実働6年合計でわずか13試合の登板だった元横浜、ヤクルトの岡本直也
シーズン防御率が全て整数ぴったりのキリのいい数字
2002 0.00
2003 6.00
2004 9.00
2006 54.00
2007 27.00
2011 27.00 >>303
3割40本20盗塁でパッと思い付いたのが小鶴誠やね(´・ω・`) >>307
別当、ピーコは思いついたが
どうしてももう一人思いつかず2000本安打への道見てしまった情けなや
あと一人は長池だったか。1950年藤村富美男は39本21盗塁で惜しかった。
別当は34盗塁。トリプルスリーで40本塁打って別当だけか。 そうだ岩本もトリプルスリーで39本塁打だったわ
もうボケてきてるなあ悲しいなあ 3割20本40盗塁の達成者はどれくらいるかね?
福本がやってるのと、秋山がやってないのは調べたけど 沢山回答ありがとう
高橋慶彦
1983 .305 24本 58点 70盗塁
1984 .303 23本 71点 30盗塁
イチロー
1995 .342 25本 80点 49盗塁
井口資仁
2003 .340 27本 109点 42盗塁
佐々木誠
1991 .304 21本 71点 36盗塁
1992 .322 21本 54点 40盗塁
1983年の高橋慶彦の「.300 20本 70盗塁」は不滅の記録かも
佐々木誠は今度のセンバツ高校野球で鹿児島城西高校の監督として出場するね すいません
1984年の高橋慶彦と1991年の佐々木誠の記録は条件満たしてないですね 王貞治は江本と安田は大の苦手の筈だが
江本は王を鴨にしてた筈だが
>>284
> >>280
> 江本は確かその時期に2年連続開幕戦で王に満塁ホームランを打たれているな >>293
> >>292
> に触発されて調べてみたけど、リーグ最多登板と最多イニングの同時達成は1975年東尾が最後かな?
> この年の東尾はリーグ最多先発も兼ねてるけどこの三部門同時1位は2リーグ制以降は結構レアだったと思う。
> 最多登板兼最多イニングなら稲尾が1957〜59,61,63年に達成。
> >>292
> のレスを当てにして1999年までしか調べてないけど登板数、先発登板、投球回数の三冠達成者は以下
> 1937年春 野口明(セネタース)
> 1937年秋 野口明(セネタース)
> 1939年 野口二郎(セネタース)
> 1941年 福士勇(朝日)
> 1942年 林安夫(朝日)
> 1943年 藤本英雄(巨人)
> 1944年 若林忠志(阪神)
> 1946年 真田重蔵(パシフィック)
> 1949年 V.スタルヒン(大映)
> 1955年 金田正一(国鉄)
> 1956年 島原幸雄(西鉄)
> 1957年 秋山登(大洋)
> 1961年 権藤博(中日)
> 1973年 江夏豊(阪神)
> 1975年 東尾修(太平洋)
> 年度別のリーグ最多投球回を調べているときも思ったけど、エースが先発救援フル回転してた時代は
> エースよりも2番手以下の投手のほうが先発登板多いケースが散見されるのね。エースは先発登板を
> 多少削ってでも、リリーフ待機させて勝てそう試合展開なら中盤からロングリリーフさせるのがトレンドだったのだろう 打率無視でシーズン30本+40盗塁は張本だけ? 150試合制だった1963年の記録だからある意味参考扱い的になるが…
蓑田はあと1盗塁足りんかった >>315-316 >>301
たとえ予告先発がなくなっても投手の完全分業化は止まらない
それどころか加速するだろうな
今やアマチュアを含めて投手の球数を制限していく考え方は常識になりつつある(むしろ日本においてその考え方が広がるのが遅過ぎた感じ)
「今年は規定投球回をクリアする投手が不在の球団が優勝する」と、日記には書いておこう >>319
そう、当時は「巨人軍全記録」付録のホームランカレンダーを記入するぐらい王ファンだったので、開幕戦での苦手からの一発はよく覚えている
ちなみに巨人が三年連続リーグ優勝を逃した年 >>324
1978年の開幕戦で王は江本から満塁ホームランを打っている。
王の「開幕戦満塁ホームラン」は前年に続く2年連続だったが、
前年に打った相手は江本ではなく松本(中日)。 それから前年の開幕戦で満塁ホームランを打った中日の松本も独特の間合いで投げてくる左腕で決してやりやすい相手ではなかった(王に苦手意識はなかったようだが)
あと安田に関して言えば、あの756号ホームランの翌日にサヨナラホームランを打っている
テレビ中継が終わった後にラジオで聴いていて歓喜したもんだ >>325
さすがに二年連続で同一投手からは考えにくいね
まず同じチームと当たる確率が低いうえに、同じ投手と同じ満塁で当たることを考えるとベンチがアホでもない限りあり得ないでしょう >>311
大石はやってないのか。
生涯成績だと3割のシーズンがあるんだが
29本塁打46盗塁の年は打率3割に届かず。 バレンティン:通算300本塁打まで12
300本塁打以上の助っ人は過去3人(カブレラ、ローズ、ラミレス)か >>330
その三人に比べたら格落ち感が酷いな
いや、素直に考えたらすごいけど それでも本塁打王3回はラミレス(2回)、カブレラ(1回)よりは多い
30本以上打ったシーズン回数(8回)でいえば三者よりも多い
安定しては打つけど大爆発が一回しかないのが地味か その大爆発が球史に残るレベルだから格としては十分だと思うけどね
通算OPSもタフィと同レベルだし ローズは大爆発した年も中村紀が居たりで過小評価されがちだな バレンティンが格落ち感なんてないとは思うが、
やはり助っ人である以上チームを優勝に導いていないとと思ってしまう
ほかの三人はチームが優勝してMVPになっている >>335
カブレラが本塁打王1回だけというのが、ちょっと意外感あるかな
打点王も1回だけだったかな 【相撲】大関1人の春場所 38年ぶりに「横綱大関」が記載へ 横綱が不在大関兼ねる
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1580302453/
大相撲だけど珍記録が出現。
そういや大相撲の引き分けを見た記憶がないが幕内で最後に出たのが1974年らしい >>339
来日当初の3年で49、55、50本と打ちまくったがローズの全盛期と被って
本塁打王は55本の時だけ
以後は40本に到達したことすらない 来日初年の前半にもの凄いペースで打ちまくって最速記録の30号だったからな おいおい野球スレに相撲博士がおるぞ
そのうち「天竜と能代潟は・・・」とか言い出すんじゃないか? 助っ投では珍しいノーノー達成の近鉄・エルビラ、逝った ネタがないとしばしば相撲の記録関係のレスが続くことがよくあるし 大相撲だとここ10年以内で、不祥事で本場所中止、63連勝記録達成、日本出身力士優勝、日本出身横綱誕生、幕尻優勝、そして久々の横綱大関が思い浮かぶ >>352
まさか谷嵐の息子がここまで出世するとはね
ボクシングの杉谷の息子も頑張ってほしい と思い杉谷の年度別成績を調べたが、2017年を除いた8シーズンで50〜87試合出場の100打席台
このレベルでこれだけ安定してる選手もなかなかいないな 杉谷拳士のことか??
アイツはリアル野球盤ていうレギュラーあるし 逆どすこい山口パターンだと
ヤクルト尾崎亀重の息子が隆乃若 杉谷は夏の甲子園で打者一人だけマウンドに上がって初球デッドボールという珍記録の持ち主 >>358
>逆どすこい
野球を示す掛け声といえば”かっとばせ”や”しまっていこう”あたりかな? 実際のところ、「どすこい」は、相撲甚句の掛け声以外にはあまり聞かない マホームズの息子パトリック・マホームズ
が今度のスーパーボウルでも注目されてるけど
NPBで出場した選手の息子がNFLで活躍
も珍しいのかな? >>363
アップショーの息子が、
NFLでそこそこ活躍したね >>359
厳密に言えば佐賀ノ海で一度十両まで行って、陥落してから本名に戻して再び十両に昇進してる >>361
野球・・・かっとばせ
サッカー・・・オーレーオレオレオレー
ラグビー・・・ワンチーム
ボクシング・・・行けー
卓球・・・チョレイ
綱引き・・・オーエス
ボディビル・・・キレてる
ウルトラマンレオ・・・戦えー
あと何がある? 親マーティ・キーオMLB11年NPB1年
子マット・キーオMLB9年NPB4年 >>368
バスケ…ディーフェンス!ディーフェンス!
なんかどうかなあ
後ラグビーは以前は
ノーサイド
が象徴的な用語だった気がする。 親フロイド・バニスターMLB15年NPB1年
子ブライアン・バニスターMLB5年NPB0日 フロリダ・マーリンズのカーティス・グランダーソンが引退
2007年にはメジャー史上4人しか達成してない「20盗塁・20二塁打・20三塁打・20本塁打」を達成
2011年にはメジャー史上初めて「25盗塁・10三塁打・40本塁打」を達成
2016年には30本塁打・59打点という「30本塁打以上の史上最少打点」を記録している プロ初打席がセーフティバントは居ますか?(セーフ、アウト問わず) >>371
ドラマと小説もあったし正直ノーサイドのほうが流行語にふさわしかったな
先日発表されたサラリーマン川柳でも何句かで使われていた
キックオフやプレーボールと同様のよく知られた用語であり「新語」ではなかったけど >>374
史上4人しかいない20-20-20-20が同じ年にジミー・ロリンズも達成してるのも凄いよね
珍しい記録が両リーグで出たって点では
NPBの85年の両リーグ三冠王とか2015年の両リーグでトリプルスリー出たのと並ぶか超えるぐらいの珍記録かな? バスケ風にいうとダブル・クアドルプル・ダブルとなるんだろうか?
>20-20-20-20
NPBだと20犠打を加えてダブル・クィントプル・ダブルをと思ったけど
NPBの三塁打シーズン最高は18止まりか。 20二塁打、20本塁打、20盗塁、20犠打は
1981年石毛、1982年簑田が達成しているけどほかに誰かいるかな? 通算だと先日亡くなった高木守道が「346二塁打、236本塁打、369盗塁、200犠打」だけど、1シーズンだと石毛・蓑田以外には見つからないね
その石毛も通算で「314二塁打、236本塁打、243盗塁、218犠打」を記録している
4部門全部200以上なのは、プロ野球史上この2人だけ 前田があのまま大怪我もせずに2番打者として起用され続けていたらとは思った。 石毛は西武以外のチームで主力だったらクリーンアップを任されるだろうから犠打は激減しただろな MLBの200三塁打達成者で本塁打最多はカッブの118で、
二塁打、三塁打、本塁打、盗塁、犠打の5部門200以上は該当なし
二塁打、三塁打、盗塁、犠打の4部門200以上は
サム・クロフォード、タイ・カッブ、ホーナス・ワグナー、トリス・スピーカー、フレッド・クラークが達成。
MLBの200犠打達成者で本塁打最多はハリー・ハイルマンの183が最多 >>377
両リーグトリプルスリーは1950年、両リーグ三冠王は1986年にも例がある >>375,384
与那嶺が有名だね。
初打席で水原監督からの送りバントの指示に対して、自らも生きるセフティーバントで応えたという。
首位争いに加わりながらも、前年優勝の松竹や、金田を掘り当て最下位争いの前年から一転首位争いに加わっていた
国鉄(金田曰くこの時の国鉄が「春の珍事」と言われた最初だそうだが)等の下位チームとの差を広げられず、混戦模様
の状況下での彼の入団は、巨人にとって大きく、以降下位球団を大きく引き離して独走体勢を築く事となった。 >>386
しかも相手は中日の大エース杉下
杉下は記録の舞台の脇役を務めることがわりと多かったようで(樋笠のアレとか金やんのアレとか) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています