榎本喜八
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打撃の真髄っていう本読んだけど面白かった
選球眼が凄かったと言われてるけどBB/Kで数字的にも裏付けがある 生前に殿堂入りすべきだった
亡くなった後にエキスパート部門ってふざけてるだろ >張本やイチローが、とにかくどんな球でも捉えて左右に打ち分ける、言ってみれば
“ヒットをかせぐ打ち方”なのに対し、榎本はグリップを一杯に長く持ち、
いかなるコースでもミートしたらフルスイングして引っ張るプルヒッターだった。
それでいて、この数字は脅威としか言い様がない。 ゲストスピーチに立った首位打者7度の張本勲氏が榎本氏を絶賛した。「昨日(17日)あらためて連続写真をみたが、
理想的なフォームです。余計な動きのない、教科書です」。
史上3人目となる2000安打を31歳7カ月で達成した。
この最年少記録は今も破られていない 彼はテキサスヒットや内野安打の類を極端に嫌った。
榎本は“安打製造機”の異名を取った日本最初の選手だといわれるが、のちに同様の呼び名を受けた張本勲やイチローなどとはその辺が根本的に違った。
長年に渡りチームメイトだった醍醐猛夫の証言によれば、榎本はポテンヒットや内野安打性の当たりだった場合にはしばしば全力疾走せず、
そのためにアウトになってしまった打席が幾つもあったそうである。 当時では考えられないくらいフォームが洗練されてる
回転軸がまっすぐだしステイバックも効いてる ノムさんが唯一恐れた打者
ささやき術が通用がしなくてささやけなった
王長嶋は榎本の事を語った事はあるの? セの選手にとってはオールスターと日本シリーズしか接点がないからな
語れるネタがないんじゃないか
パの選手はほとんど「榎本は史上最高クラスの打者」で意見は一致している 前田智徳をもう数段尖らせた感じなのかねえ
関係者の評価は非常に高いが成績自体はそこまで突き抜けてないのも似てる 生前殿堂入りがなかったのは既にNPBと縁を切った事と榎本本人が拒否したのかどっちだったのかな? https://imgur.com/a2h9CwS.jpg
https://imgur.com/WDVwFwu.jpg
傑出度を基に
打率.270 出塁率.330 長打率.410 OPS.740
で修正した成績
打率.321 出塁率.414 長打率.507 OPS.921(通算)
とかなりの強打者 >>14
ホホウ
>>15
確かに前田智徳とイメージかぶるわ >>10
ホームランでも首をひねりながら憮然とした表情で走った前田みたいだね。理想の打球ではなかったって 20
広島市民だからそんな余裕あるんだ
甲子園なら泣きべそかくぞ ネットでしか凄さを知らないが
少年ファンは多かったという補足が大下弘に被る
西鉄に半分コーチとして呼ばれた所も >>15
最晩年亡くなる前の
榎本のインタビューで聴き手が
前田智を引き合いに出して榎本も前田に関心を持っていたから
当時榎本が存命だったら対談も実現したかも >>24
豊田泰光の話だけどプロレベルじゃないカーブを放ったって逸話ならあったな。 稲尾は葛城を苦手としていたのに葛城には使わなかったのか 1955〜1963までの9年間山内一弘とチームメイト
高出塁率の中距離打者、本塁打打点稼げる万能打者とバランスも良い
二人とも凄い過小評価 四球と安打で稼ぐ中距離打者は前後の打者によって打線で孤立するタイプだよなあ
選手個人としての評価は高いが、勝利に結びつくとは限らないヤツ
ミサイル打線の頃の榎本は、前に柳田、田宮、後に山内、葛城という好球必打とホームラン打者がいたから機能していたが、それ以降はねぇ・・・。 葛城は榎本と同期だったな
田宮も山内も葛城もオリオンズを去って孤立してしまった感
葛城は中日時代水原に干されず八百に連座せず現役を全う出来たら2000安打到達出来たろうか? 水商売の店が大嫌いで山内に連れて行かれたとき、こんな不潔な所にはいられませんと言って練習しに帰ってしまった
清原に聞かせてやりたい笑 連れて行ったのは荒川
かっぱえびせんも職人肌の堅物だったが、
適度に息抜きすることを心得ていた
逆に榎本は野球以外で発散できなかった 荒川が冗談半分で言った事を有言実行したエピソードもあったし 王とは4つ違いで同じ早実、共に荒川の元で練習
なのに王とのエピソードは殆ど無し
リーグ違うとはいえ相当の変わり者だったはず >>28
榎本は現役後半晩年の奇行
山内はパからセ移籍で成績低下
(パでしか通用しないの?)
辺りが過小評価の一因かな
同じくパからセ移籍の張本大杉は全盛期に及ばずともそれなりの成績は残したし >>30
葛城は榎本より勝負強い打者だったと
訊いた記憶がある
榎本や葛城のプロ同期や同学年の選手は巨人森昌彦 阪神村山実
大洋桑田武 中日中利夫 広島古葉竹識 南海広瀬叔功とチームの中心選手が多いな 1960年大洋との日本シリーズ第1戦1回表無死一・二塁
3番の榎本三振が痛い、確か送りバント失敗の後の強攻のはず
第2戦では先制2ラン、更に例のスクイズ失敗前の送りバントは成功させ
一死二・三塁にしたのだが
1970年巨人との日本シリーズにも出場して第4戦タイムリー打ったり
日本シリーズと全く相性が合わなかったわけではなく
西本・濃人監督とはまだウマが合わなかったわけでもないが 通算3割切りたくなかっただろうな、最後の西鉄移籍が余計だったのかな
と思って西鉄時代の成績抜きで計算したけどそれでも.299だったw
まあライバル稲尾の誘いも粋に感じたんだろうしね 王がHRを30本打ったのに引退したのは
あのままだと通算打率が3割を切るのが確実だった為 猟銃もって家に立てこもるとか
今やったら、逮捕されてチームも解雇だな >>43
そんな事やらかしておいて
引退後コーチのオファーを待ってたそうだからプライドの塊だったんだな
村田有藤山崎のコメントからしてもチームプレイ無視に後輩に質問されてもソッポ向いてた様だし でも逆に周りに関係なく自分が思った打撃を突き詰められたからこそあの時代に現代的なフォーム完成できたのかもしれない
失礼だけど軽度の自閉症みたいな 有藤と山崎が言うには打者としては史上最高クラスだったが
打つしか関心ないから一塁守備は酷かったそうだ
ファーストが前田になって守備面では助かったって 1970年春、SFジャイアンツがキャンプの後日本に立ち寄って
ロッテと東京球場で対戦、ゲイロード・ペリーから榎本ホームラン打っていたんだな
亡くなったパンチョ伊東が東京球場で試合見ていて、
ペリーが投げた後、ファールになったボールをボールボーイに取ってきてもらって
ボールを見るとワセリンがか何かでボールが汚れていたみたいなことを
コラムに書いていた。ペリーは不正投球で有名だったので
この試合だったのかな 18シーズンでベストナイン9回も獲ってるのね
他の選手見てもゴールデングラブに比べてベストナインの選考はかなりマシだと思う 大杉・加藤英が本格化するまえに荒稼ぎ出来たのが大きいな。運よく小玉やコユキがB9受賞したのと同じケース。 守備は村田曰く「手の届く範囲」だけしか動いてくれなかった
まあ村田が一軍に定着した頃は晩年にさしかかっていたがね
新人の有藤がバッティング指導を仰いだら「バッティングとは自分で得るもの〜云々」と説法されたという(その時の有藤は榎本の性格を知らなかった)
こんなんじゃ指導者は無理だし、荒川とのエピソードを見る限り選手をぶっ壊しかねない 中西太は史上最高の名コーチと言われているが
伊東勤はライバルチームの西武の選手なのに
中西に指導してもらえた事があったそうだ >>52
名選手で名コーチって少ないね
まあそもそも名選手でコーチやる人の分母自体が少ないっていうのもあるけど >>54
山内一弘は指導がとまらないんで「かっぱえびせん」と呼ばれていた
名コーチという評もあるけど「イチローを干した張本人」という汚点もあるんだよな >>52
敵に指導するとか完全に舐めているな
プロは相手を殺してでも勝とうとするような
心構えを持ってくれていないと見ている側は萎える 伊東程度なら指導したところでどうせ打てないと判断されたんだろ >>56
えびせん山内は
中日監督時代のカープ戦で
試合前頼まれてもいないのに
自ら高橋慶彦に打撃指導をしていたw >>58
たしか山内(臨時コーチ?)の指導で大幅に打法改造した結果、
83年に24HR打ったんだよね。
だからと言って、敵味方に分かれてからも指導はないだろ、
と言いたくなるけどw 長嶋茂雄も、巨人監督時代(一時政権時代)阪神の掛布氏に指導したしね。電話で。 山内は70手前の時に台湾へコーチしに行ったぐらいだからな
カブレラがMLB昇格、NPBで大活躍する下地を作った 実働18年、通算打率.298、3割6回
素晴らしい成績だけどもっとコンスタントに3割打ってるイメージ持ってた
因みに
前田智徳、実働23年、3割13回
イチロー、実働28年、3割17回
まあ時代が違うってのもあるし榎本は規定打席未到達は最後の2シーズンのみ 投手を除いた打撃での傑出度を
打率.270 出塁率.330 OPS.740 のシーズンに全て修正したもの
打率 https://imgur.com/0Mn1xsQ.jpg
出塁率 https://imgur.com/NILDVAN.jpg 山内一弘・西村徳文に並ぶ典型的なオリオンズ・マリーンズ顔 日本シリーズにもっと出て日本一になったりV9と被ったりしなければ評価は上がってたのだろうか
当時は圧倒的にセ>パだろうし 週刊ベースボールで榎本が表紙に使われたのってゼロなんだよな
広島監督時代の根本監督とか東映の金田留やら松木監督あたりでも
単独で表紙になっていたのに 週ベ回顧は良い企画だが60年代の時点で巨人一人勝ちになっていたのがよく分かる
やっぱり巨人選手の表紙率が高い 榎本は選球眼抜群だったけど目が良かったのかな
それともスイングスピードが速くてギリギリまで見れたのか
はたまた両方か 榎本のバッティングフォームだけは現代でも通用すると思うわ
長嶋とか今見るとフォームが汚い 川上が言うには
「長島のアウトステップ打法は長島にしか出来ない打法
他の打者があんな打ち方をしたら打率1割も行かない」そうだ >>73
当時ではありえないほど頭から足先までの回転軸が一直線で綺麗だよね
>>74
長嶋は筋肉のしなやかさが落ちたOB戦では打席に立っても引っ掛けてゴロばっか打ってたわ
かなり身体能力に頼った打ち方だと思う 長嶋のアウトステップ打法
王の一本足打法
落合のアッパースイング
みんな変則的なんだよな
フォームはある程度は結果オーライで良い気もする
落合も「アッパースイングを矯正するべきだ」とさんざん言われたとか >>76
有名どころだと松井が一番打ち方のクセが少ないかもね
山本浩二も結構なアウトステップだし 引退したあとも自宅から東京スタジアムの場所まで毎日ランニングしてたんだろう
すごいな。20キロ以上はあったとか。 過大という意味ではないが、エピソードが誇張されて残した実績以上に評価されている選手
本来ならば榎本以上に山内が評価されなければならない その辺は沢木耕太郎「さらば宝石(「敗れざる者たち」内の1編)」の功と罪って所だね。
ノンフィクションやドキュメンタリーを標榜する作品にありがちな話らしいけど、皆に
広く知って欲しいとの思いから、エピソードを誇張して書いてしまったり、酷くなると
創作や作為(=ヤラセ)までやらかしてしまったりと。
沢木さんも榎本への取材が叶わなかったのもあって、想像という名の実質上の創作
に頼らざるを得なくなった面も少なからずあったのだろう。
只、この作品が無ければ、スポーツライター松井浩氏の長期間に亘る榎本本人への
取材(榎本氏への接触・打診等の準備にかかったであろう期間も含めて)の末の労作
「榎本喜八伝」も世に出なかったろうし、ひいてはネット上での再評価や、野球殿堂入り
も果たせなかったかもと思うと、功とすべきだろうけど。
と素人の俺でも長々と書きたくなる人物ではあるなー(´・ω・`) ノンフィクションはどうしても作者の熱が多少入ってしまうが、その度が過ぎると客観性が失われて白々しいものになる(例:木村政彦はなぜ力道山〜)
ドキュメンタリーは完全に演出が入る
ただ撮る側以上に撮られる側が演技に入ってしまうことも(例:ゆきゆきて神軍)
こう言うと元も子もないけど結局は作者のサジ加減になる このひと現場からは触れちゃいけないひとみたいな扱いされてたから引退後はホント語られなかったもんね
生ける伝説どころか訃報が流れた時には名前は知ってたけどまだ生きてたんだとか意外と若かったんだなとか
そんな声も多かったもんな 幸いだったのはその後にちゃんとした本が出てことだな 糖質かは分からないけど晩年に精神病んで奇声あげたり、猟銃持って自宅に立てこもったりはマジ
本人に取材した本に書いてある テラさんは他の作家の連載を止めさせろと言ったが無理で引きこもった位だろ 晩年はアパート経営が何かで
悠々自適だったようだね
野球以外はキ印っぽいけど
その辺しっかりしてたのが偉い 榎本の一番の凄さは選球眼だと思う
選球眼の目安になる BB/K=(四球−敬遠)/三振
(パ平=パリーグ平均)
55年 87四球 _5敬遠 55三振 BB/K 1.49 パ平0.5856年 95四球 _6敬遠 41三振 BB/K 2.17 パ平0.52
57年 68四球 _2敬遠 46三振 BB/K 1.43 パ平0.50
58年 52四球 _5敬遠 68三振 BB/K 0.69 パ平0.41
59年 69四球 _1敬遠 47三振 BB/K 1.45 パ平0.3960年 67四球 _5敬遠 33三振 BB/K 1.88 パ平0.38
61年 43四球 _2敬遠 22三振 BB/K 1.86 パ平0.39
62年 36四球 _0敬遠 28三振 BB/K 1.29 パ平0.40
63年 48四球 _3敬遠 23三振 BB/K 1.96 パ平0.46
64年 86四球 11敬遠 19三振 BB/K 3.95 パ平0.51
65年 60四球 _4敬遠 29三振 BB/K 1.93 パ平0.45
66年 68四球 _8敬遠 20三振 BB/K 3.00 パ平0.41
67年 83四球 10敬遠 33三振 BB/K 2.21 パ平0.40
68年 62四球 10敬遠 62三振 BB/K 0.84 パ平0.47
69年 54四球 _2敬遠 42三振 BB/K 1.24 パ平0.45
70年 49四球 _5敬遠 46三振 BB/K 0.96 パ平0.51
71年 10四球 _1敬遠 15三振 BB/K 0.60 パ平0.54
72年 25四球 _1敬遠 16三振 BB/K 1.50 パ平0.61
通算BB/K 1.52
パリーグ平均(55〜72) 0.47 ごめんなさい、ズレたんでもう1回失礼
55年 87四球 _5敬遠 55三振 BB/K 1.49 パ平0.58
56年 95四球 _6敬遠 41三振 BB/K 2.17 パ平0.52
57年 68四球 _2敬遠 46三振 BB/K 1.43 パ平0.50
58年 52四球 _5敬遠 68三振 BB/K 0.69 パ平0.41
59年 69四球 _1敬遠 47三振 BB/K 1.45 パ平0.39
60年 67四球 _5敬遠 33三振 BB/K 1.88 パ平0.38
61年 43四球 _2敬遠 22三振 BB/K 1.86 パ平0.39
62年 36四球 _0敬遠 28三振 BB/K 1.29 パ平0.40
63年 48四球 _3敬遠 23三振 BB/K 1.96 パ平0.46
64年 86四球 11敬遠 19三振 BB/K 3.95 パ平0.51
65年 60四球 _4敬遠 29三振 BB/K 1.93 パ平0.45
66年 68四球 _8敬遠 20三振 BB/K 3.00 パ平0.41
67年 83四球 10敬遠 33三振 BB/K 2.21 パ平0.40
68年 62四球 10敬遠 62三振 BB/K 0.84 パ平0.47
69年 54四球 _2敬遠 42三振 BB/K 1.24 パ平0.45
70年 49四球 _5敬遠 46三振 BB/K 0.96 パ平0.51
71年 10四球 _1敬遠 15三振 BB/K 0.60 パ平0.54
72年 25四球 _1敬遠 16三振 BB/K 1.50 パ平0.61
通算BB/K 1.52
パリーグ平均(55〜72) 0.47 王貞治 2390四球 1319三振 BB/K 1.81
落合博満 1475四球 1135三振 BB/K 1.30 1960年代(1960-69)のNPB安打数5傑
1. 長嶋茂雄(巨人) 4809打数1528安打 打率.318
2. 榎本喜八(大毎) 4820打数1505安打 打率.312
3. 張本 勲(東映) 4474打数1431安打 打率.320
4. 近藤和彦(大洋) 4713打数1398安打 打率.297
5. 野村克也(南海) 4801打数1390安打 打率.290 >>91
王貞治
2390四球 427敬遠 1319三振 BB/K 1.49
落合博満
1475四球 160敬遠 1135三振 BB/K 1.16
ちゃんと敬遠引いてね
あとリーグ平均が年によって違うからもっと細かく出さないと比べるのは難しい
セリーグは投手除外しないといけない 榎本のライバルは誰だったのだろう
張本 ブルーム 広瀬あたりか >>95
本人いわく長嶋らしい
野球部分より人気や待遇面での方らしいけど
かなり意識してたとか >>97
なんか意外だな
そういう世俗的ものからかけ離れてるようなイメージだった 東京のチームの背番号3同士だな
満員の後楽園 閑古鳥の東京スタジアム
大卒のエリート 高卒の叩き上げ
という違いがあるが >>97
プロ入りまでの極貧生活、実家への仕送りや自分の家族を養わないといけないプレッシャーや不安がそう思わせたらしい
お金で苦労した分金銭面での羨望は特に ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています