榎本喜八
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契約金で抵当に入っていた親の農地を買い戻す孝行息子 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00000002-baseballo-base
首位打者を獲った東京・榎本喜八の変人ぶりが話題となっていた(これまでも何度かあったが)。
ドジャース戦対全日本で、試合前ベンチの片隅で座禅を組んで動かなかったり、
早朝から球団事務所にやってきて、職員の椅子に座って壁側を向くと、目をつむって動かなくなったこともある。
このときはお茶を出されても誰があいさつしても、まったく反応なく、およそ7時間じっとしていたという。
周囲は、
「打撃を追究すると禅につながるのだろうか」
「おかしくなってしまったのか」
など心配していた。 俺は椅子に7時間座るつもりなので水分は摂らないでおこう
とか事前に考えていたとしたら面白い セリーグだったらもっと有名になってたのかな
それとも露出が増えてもっとやりづらくなってたか
後者のような気もするけれど あの本を見る限り長島に恐ろしいまでのライバル心を燃やしていたわけだから
もしセだったら更に近くにいたわけだしいろんな意味でヤバい事になってたかもしれん 近鉄の永淵がデーゲームの日生で
おそらく二日酔いでゲロ吐いたのを何気にみたけど
あれも当時のパリーグだからこそ >>109
栗橋や新井とか朝まで飲んで試合場に直行とか近鉄では普通だったらしいね
ただ当時の近鉄はそういう体質でもAクラスの常連で強いチームだったんだよな OBは昔を美化してドヤ顔でエピソードを披露するけど、二日酔いで試合してたのは流石に恥ずかしいから誰も言わなくなったか 二日酔いでも活躍できる低レベルな野球 ってのを自らバラすとか
二日酔いでも活躍できる俺凄いだろう とか思っているのは本人だけ 野球は休憩だらけだからな
二日酔いでもデブでも余裕 週に1度たった1時間半走って球回しする短足チビ猿のお遊戯があってだな 当時は打撃3指標+盗塁が圧倒的な評価方法だったのに無駄打ちせず四球選びまくってたのは凄い
王にも同じことが言えるけど そりゃあ自分が打たなくても他の選手が打てばよかったからな。強力打線だからこそ出来る技。 榎本は飛ばないボール時代の選手の中で
得点力が非常に高い選手なんだよね
だから4番とかに置かれるようになっておかしくなった上に
内向的だから奇行が増えてった 野村が榎本のことを選球眼日本一と書いていた位だからね 子息(長男)はきわめて真っ当な人物だ。
まあ父親の奇行を受継ぐわけもないが。 「関係者の方からは『ご存命中に殿堂入りしていただきたかった』といったお言葉もいただきますが、
他界した後で功績を評価していただけたというのも、不器用な父らしくていいのではないかなと思います」
なんか息子さんも解ってる人だよなぁ 何かの間違いで金田ロッテの時代まで在籍していたらえらい騒ぎになっただろな シフト全盛期の今ならセカンドゴロ製造機だったのかな 荒川は榎本の指導に成功したから、王を任せられたんだっけ。 五大別格:長嶋、張本、榎本、落合、イチロー
資質と奇行変人率5分の4の、凡人では到達不可能な領域
張本以外は触れただけで信者か実害続出の極端さ
彼らが「永遠の少年」な凸凹さだからこそ突出する また紙一重の別格の下:川上、大下、中西、王、若松、藤田平、篠塚、青木その他
阪神三大奇人の藤田は打撃の職人、性根が捻れている川上、良い人過ぎる遊び人のポンちゃん、野村もお手上げの六分割理論篠塚なども「ちょっとアレだが人畜無害なお隣さん」に過ぎない 一番の凄さは選球眼かな
数字に現れる部分だと四球数、安打数、三振の少なさとかがやばい
四球多いのに三振少なくて安打数多いという特殊なタイプ 榎本は長距離打者ではないので、敬遠はそれほど多くない。
それにも関わらず四球が多いのは、その選球眼によって四球になったということだ。
安打数も多い上、バットの芯でとらえたライナーが多かったと言われる。
「ボールを完全に見極めて、確実にミートできる」打者だったと言える。 高卒1年目からかなり凄い
1955年
率.298 16本 67打点 出.410 長.473 OPS.884
12盗塁(57.1%)
率.246 _7本 54打点 出.301 長.340 OPS.642
17盗塁(64.2%)
榎本と同じ打席数のパリーグ平均 榎本は終身打率こそ3割をわずかに切っているが、出塁率は川上、与那嶺、長嶋より高い
打率は2割9分くらいなのに、出塁率は4割というシーズンもあった 宮本武蔵の様な古武士そのものの打者が、打法も含めて現代野球に適合した打者となっているのに驚き。 榎本は野村克也が現役時代に最も恐れた打者の一人である。野村が対戦相手
の打者を「ささやき戦術」でかく乱した事は広く知られているが、榎本
に対しては独特の雰囲気に呑まれ、ささやく余裕を無くしたと後年に証
言している。また野村は榎本について、「王は榎本と似てましたね。
同じコーチに習ったせいでしょうけどね。まあ、こっちはいつも榎本
と対戦しているんで、王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王
の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ」、
「王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとして
も攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ……。ホント、あんな恐ろ
しいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」と語っ
ている。また、野村は「榎本ほど選球眼のよい選手を私は見たことがな
い。ボール球に手を出さないのは勿論のこと、苦手なコースというもの
も殆どないのだから、捕手としてはお手上げである。唯一苦手なのが内
角高めなのだが、そこも余程速い球でないと手を出してくれない。私の
囁きもまったく通用しなかった」、「ボールを見送るとき、頭がピク
リとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすか
った。あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったこ
とがない」、「あれほど雰囲気のあるバッターはいない」、「捕手野
村として、一番対戦したくなかった打者」とも述べている。
この件については稲尾和久や森安敏明も同様の証言をしており、
ストライクゾーンぎりぎりのコースに投げても、榎本はそれがボール
球なら首を少し動かすだけで見送り、身体やバットは微動だにしなか
ったという。 張本「私は7回首位打者をとっているが、一騎打ちで負けたのは、榎本さんだけ。
左打者、右打者で(史上最高のバッター)5、6人づつピックアップするなら、左打者は、大下弘さん、王、榎本さん、イチロー、私の5人。
理想のバッターは川上(哲治)さんだと思っていたこともあるが、
私が持っている50人ほどのバッターの連続写真を見てみると、榎本さんがもっとも理想だ」 張本氏は、榎本氏のバッティングのどこが理想かをさらに詳しく説明した。
「野球は動くボールを打つのだから動かないのが理想だが、それではボールの速さに負けるので、普通は反動をつける。
足を上げるにも、そのひとつ。だが、榎本さんは、まったく動かなかった。バックステップ、テイクバックもなかった」
微動だしない精密な打撃フォームに正確なミート力。そしてミリ単位で見極めてと言われる、
その選球眼……榎本氏は、毎日、大毎、東京、ロッテ、そして最後の1年プレーした西鉄を含めたプロ18年間で、通算2324安打を放ち、
最多安打4度、ベストナイン9度、最多四球4度など数々の記録を残した。 「究極の打撃」を追い求め続けた安打製造機・榎本喜八選手が、打撃の真髄に触れた期間があります。
1963年7月7日に行われた阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の米田哲也選手との対戦で、自分の身体の動きが寸分の狂いもなく認識でき、
どのコースにどんな球種が来るか手に取るようにわかる感覚を体験したそうです。
榎本選手はその感覚を以下のようにコメントしています。
「野球の神様から“神の域”に到達する機会を与えていただいたんですよ」
「臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映るようになったんです。
ちょうどタライに張った水に、お月さんがきれいに映る感じ。寸分の狂いもなく、
自分の姿が映って、
どんなふうに動いているのかまでよくわかった。
ボールがバットに当たった瞬間から、バットに乗っていくところもよくわかった。
すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。それまでは、タイミングは合った、
狂ったと一喜一憂してたけど、
この時期は相手とのタイミングがなくなったんですよ。最初からタイミングがないから、タイミングも狂わない。だから、打席で迷うこともなくなったんです」 「神の域」7月7日から8月1日までの成績
19試合 打率.411(73打数30安打)
さらに、7月14日からの11試合に絞ると、打率.558(43打数24安打)を記録し、4安打2試合・3安打2試合・2安打4試合という驚異の固め打ちを披露しました。
また、アウトになった打球も全てバットの芯でとらえた完璧な当たりだったと言います。 「左打者の理想は榎本さん。教科書になるフォーム。ほとんど動かない。体も開かない」張本勲氏
「バットコントロールが素晴らしく、あれだけの打撃の名人はいなかった」
「バッターとしての完成度 到達した域は王より榎本の方が上」荒川博氏(王貞治氏を指導した打撃コーチ)
「今までに見たバッターの中で一番”正確な”バッターは誰かと聞かれ場、躊躇なく榎本と言うな。」西本幸雄氏
「長嶋を超える唯一の天才」川上哲治氏 >>140>>141
「神の域」に達した1963年シーズン
.318 18本 64打点 出.376 長.466 O.843 (587打席)
パ・リーグ平均
.244 13本 55打点 出.299 長.368 O.667 (587打席)
怪我しないで「神の域」が続いてたら数字的にもキャリアハイになったんだろうか 玄人受けするというか、「野球を知っている」人から評価の高い打者だったように感じる。
一般のプロ野球ファンからの人気はどうだったのだろうか? ノムさんいっちゃったね
ノムさんには現役時代はどうだったかもっと語って欲しかったなあ 選球眼測る一つの目安として
ほんとは突出度から出さないといけないけどセリーグの野手だけの成績出すのがめんどくさすぎるんで
やっぱ榎本は数字でも凄い
敬遠除外したBB/K
BB/K 四球 敬遠 三振 NPB年数
榎本 1.52 1062 *81 *645 18年
王 1.49 2390 427 1319 22年
張本 1.28 1274 228 *815 23年
落合 1.16 1475 160 1135 20年
長嶋 1.05 *969 205 *729 17年
イチ 0.89 *384 *98 *333 *9年
松井 0.85 *844 *46 *934 10年 >>109
その話は本人のインタビューにあるから日生もデーゲームも事実だが、
実際に見たってあんた何歳?
当然関西人だよな?
とことん突っ込もうかな〜w 1969年の話か
ありえないほどではないな
まあ十中八九どこかで見た話だろうが 一塁のベストナイン回数
1位 王 18回
2位 川上 10回
3位 榎本 *9回
4位 大杉 *5回
4位 加藤 *5回
パリーグだと最多
セパで分けた歴代ベストナインなら候補に入る あの時代ではあり得ないぐらいフォームが綺麗
大半の打者は上半身が上から覆い被さるようなフォームだけど、榎本は綺麗なステイバックラインで回転軸が一直線 >>155
高校野球を見ても、例えば松山商対三沢の松山商の打者なんて、
9人全員同じか?ってくらいに猫背で球にバットを当てているだけ
榎本は振り切っている 色々語り草になっているけど、通算打率3割切っているし、シーズン30本塁打も100打点も無いんだな >>158
https://ranzankeikoku.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
傑出度だと
打率 _6位(7000打席以上)
OPS 12位(7000打席以上)
1950、60年代の殆どが違反球より打低だから見栄えの数字で損してる
ただ首位打者回数と長打力はたしかにイマイチ 榎本のすごさは出塁率の高さ(四球の多さ)だと思う
長距離打者ではなく敬遠も少ないのに四球が多い
川上、与那嶺、長嶋より出塁率が高い >>158,159
張本みたいにブルーム直伝のバントヒットで打率を稼ぐ術があれば、もっと首位打者が獲れたと思うけど、「あんなのはヒットとは思っていない」とか言い出しそうな御方
だしなあ。
又、>>109のオッサンが首位打者争いしていたシーズン中の座談会でエースの草魂さんが「ハリさん調子が悪くなるとパッと休むから。」と、彼や当時「無冠の帝王」と
言われた土井正博に話しかけていたりと、当時から張本に対してそういう認識はあったみたい。
張本と榎本に関するエピソードも、1961年シーズン終盤の試合欠場&榎本に対する四球攻めで辛うじて打率争いを制し、張本が初の首位打者に輝いたとされた
り、1966年にも首位打者争いが榎本・張本の一騎打ちの展開となった際には、榎本が自己最高打率(.351)を記録し張本が完敗したり(榎本自身にとっては
「あのシーズンは死人が打席に立っていた様なもの」と振り返っているが)とあって、張本も榎本の話になると「この人とはまともに勝負したら永久に勝てないと
思いましたよ。」等と語っているな。 >>160
たしかに出塁率を貼るべきだった
通算出塁率/現役時代リーグ平均出塁率(投手除く)
×.330
7000打席以上
1位 王 .467
2位 落合 .415
3位 榎本 .414
4位 張本 .414
5位 長嶋 .409
4000打席以上
1位 王 .467
2位 与那嶺 .418
3位 イチロー.415
4位 落合 .415
5位 榎本 .414 1955-1963までの9年間山内とチームメートだったんだよな
山内の前に高出塁率の榎本という理想的な組み合わせ さらに好球必打の葛城もいたから、選球できる榎本が打線でよく機能していた
ミサイル打線解体後の榎本は、今だったらレッズのボットーみたいに責任丸投げ四球と言われていただろう >>164
葛城も合わせて3人が1955-1963の9年間被ってるね
期間中山内が最多敬遠3度だからたしかに葛城の役割も重要だわ この人は前田智徳みたいな求道者だよね
女遊びや野球以外の遊びには
全く興味がなかったみたい ぶっちゃけ昔の野球選手(特にパリーグ)は愚連隊みたいなもんだと思うわ
今もそこそこいるけど >>168
そう、だからどこのチームも八百長やってた。
南海だってやりまくってたよ。鶴岡はうそつき爺 大和球士の著書によると
若手時代の榎本は、スランプにおそわれると、
ひとり静かに横笛を吹いた、とある。
空気銃で蛙を殺したのも、この頃か? 猟銃で蛙を打つトレーニングをすることで集中力を鍛えた
今の選手も見習ってもよいトレーニング法ではないか https://baseballking.jp/ns/column/210376
コロナない場合最年少記録更新するには
五輪の変則日程で99試合で116本(7/18まで)らしい
143試合で168本ペース
まあセは4チーム屋外で雨ばっかで多分無理だったと思うけど 引退後はアパートと駐車場を経営して悠々自適だったらしいが、一体どれほど収入があったのか 打撃以外には全く関心がなくて「飲む打つ買う」を避けていた事が良かったんだろう
70年代の野球選手の給料は安かったと言われているけど
一般人よりは遥かに稼いでいたからそれがまるまる手元に残っただろうしね 70年代の年俸が安かったというが他スポーツと比べるとそんない安くない
昔は芸能界がもうかりすぎた。 サッカーなんかも世界の年俸見たら
いうほど高くない
むしと今のほうが世界のスポーツと差をつけられて魅力ない。 今やもうそのどれもが
崩壊してしまった
人間のせいで >>176
実家が農家だった榎本は練馬に先祖代々の土地を多く持っていたから
他球団の4番より、森、柴田、土井、末次らV9脇役のほうが年俸の多い時代だから、年俸も1千万ちょっとじゃないか >>179
大嘘。ON以外の脇役は安かった。
一軍半クラスだとさらに安く、
意外だがセの他球団の二軍クラスの給料だった。
これは親会社の讀賣新聞への配慮。
讀賣が発行部数1位になるのは80年代以降。
70年代までは朝日の後塵を拝し、苦戦していた。 >>180
なんで大嘘と言い切れるんだ
V9後期は黒江や末次でさえ1千万以上なのに >>176
榎本って両親いなくてすごい祖母に育てられてすごい極貧家庭だとかウィキに載ってた
>>180
巨人は副収入で儲けてたんだろうけど。 この時代はON除いてセパ格差というより
野手が高くて投手が抑えられてた印象。 パリーグでもノムは別格としても
ハリーとか長池あたりもかなりもらってたのではないかな 四球や選球眼はデータ的にも証明されてるけど
この手のタイプだと確信を持って見送ったボール球がストライク判定とか結構ありそう
当時のパなんて映像すら残らないし 榎本が幼かった頃の練馬は大部分が農村。働き手が年寄一人では
畑仕事で精一杯で現金収入になる副業が出来なかったろう。
戦後に宅地化が進んでからは、農地をアパートや駐車場にすれば成金。
たしか、石神井農協って、全国の農協で貯金高一位になっていた時期が有る うろ覚えだがあの自伝で、契約更改の時にもめた時の提示額が800万とかそのくらいだったはず。
大映の経営悪化もあってか相当に低く抑えられてたのでは 1964年の成績で年俸ダウンって
本当に打率しか見ていないどんぶり勘定ってかんじ 週べ回顧にも出てくるが昔はホントにシブチンだよ
張本はタイトルをとっても減俸だったりしたはず
榎本、江藤、張本は打撃は一流でも守備は酷い代物だったって話だが
昔は査定で守備なんてチェックしてないのでテキトーになったってのもあると思う >>187
ノムが二冠王になったのに給料下がったのは有名な話 昭和46年のシーズンオフに大沢がロッテの監督に就任したとき、「高年俸のベテランを
整理する」といって、放出されたのが榎本、江藤、ロペスだった
だから、榎本はチームの中では高年俸のほうだったんだろう
1500万〜2000万くらいだろうか? 普段は年俸に関しては無頓着だけど
全く向いてないキャプテンやらされた挙げ句年俸800万だか700万だかを提示されて
さすがにキレて球団事務所で座禅したまま固まったと書いてあったはず 日米野球通算成績
榎本喜八 59試合 114打数 20安打 2本塁打 8打点 15三振 21四死球 打率.175
↑やっぱりメジャー相手には厳しかったんだろうか?
まぁ昔の日米野球は王と長嶋ぐらいしかまともに打ててないんだけどさ。
川上も藤村も張本も野村も落合も全然だからね。(中西と山内は結構成績良かったけど) 1966
1 前田(三) 率.250 本13 打点40
2 八田(二) 率.251 本5 打点26
3 榎本(一) 率.351 本24 打点72
4 パリス(左) 率.263 本18 打点69
5 森(右) 率.213 本17 打点43
6 井石(中) 率.256 本10 打点39
7 醍醐(捕) 率.213 本6 打点45
8 藤原(遊) 率.209 本2 打点8 >>170
特技が横笛だったのは確かだが、大和球士の著述はウソ
現役時代の雑誌インタビューで本人が否定している
若手時代の榎本は目つきが柔らかくて笑顔の写真も多いんだよね 三振率の少なさ・四球の多さ比率でぶっちぎりの歴代一位じゃなかったっけこの人 現代野球でもこのレベルのスイングフォームに達した人間なんて殆どいないんじゃないかと思うわ
バリーボンズ位か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています