「大きなプレゼント」

国内外を問わずクリスマスの日になるとプレゼントを交換するという光景を目にする事がある。プロ野球界でも75年の12月25日、17年で
2435安打の日本ハム・張本勲と11年で110勝を挙げた巨人V9時代の左腕エース・高橋一三プラス富田勝の交換成立が発表された。
球団史上初の最下位に終わった巨人と同じくらいに、2年連続最下位に沈み苦しんでいた日本ハムは既に大ナタを振るっていた。前年までに
大杉勝男、大下剛史、白仁天らが移籍。この張本の放出にて“東映色一掃”はほぼ完了したといってよかった。日本ハムはこの日張本を含め
5件のトレードを発表、入れ替えによる大改造はエース高橋直樹を放出する80年まで続いた。

一方、張本獲得の巨人は新しい相棒を得た王貞治の復活やデーブ・ジョンソン、高田繁らにも打棒が戻りチーム打率と得点が大幅増。
75年は10年ぶりに3割を切り打点もプロ入り以来最低の46打点だった当の張本も2年続けての高打率でリーグ連覇に貢献した。
しかし、成功をもたらしたこのトレード成立までは長い紆余曲折があった。
元々は即戦力投手欲しさに吉田孝司で近鉄・神部年男獲得を狙ったのが始まり。だが鈴木啓示に次ぐ二番手エースを、矢沢正と併用の中堅
捕手で獲ろうとしたあたり、川上時代まで長らく「球界の盟主」として君臨してきたが故の巨人の感覚のズレがあった。
巨人は神部を断られると、今度は74年新人王、75年初の二桁勝利を挙げた21歳のロッテ・三井雅晴に絞って交渉を開始した。すると
ロッテ・金田正一監督が「新浦でなら」と応じたため長島茂雄監督は「新浦はエース候補、高橋一三を代わりに出す」と返した。この頃は
高橋も74年、75年と振るわなかった事から「成績が悪かったから出されるのは仕方ない。ロッテなら監督は(元同僚)の金田さんだしいいか、
なんて考えていた」と覚悟は出来ていた。だが水面下では金田が「高橋一にプラス倉田誠で」と要求したため立ち消えになり、新たに
関本四十四と末次利光で三井獲りの案に変わっていた。
結局、太平洋・加藤初をトレードで獲得出来た事で投手補強は一件落着、三井獲りは幻となった。長島は即戦力投手と並行して獲得を目指し
た張本に焦点、日本ハム新監督で大学の先輩である大沢啓二と根気強く話し合い張本獲得にこぎ着けた。そこでトレード話が流れて宙に
浮いていた高橋と、ジョンソン加入で出番の減っていた富田の2人が交換相手となった。

V9以前の巨人は、金銭で他球団の選手を補強するケースが主。しかし、この頃は主力放出も厭わぬトレードを次々と敢行。張本など4件の
交換は補強による戦力アップだけでなく誰にでも「出される」という危機感を煽る意味でも効果的な“プレゼント”だった。 (了)