数学は大きくなりすぎてつまらなくなった
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入試問題みたいに証明が1ページに収まるうちはいいけど、
「この証明を理解するには数年の勉強が必要です」みたいになったらもうだめ。
エレガントじゃない。
数学は宗教に近づいてるね。
宣教師が「神はABC予想が真だと言いました」って伝えたら一般人はそれを信じるしかない。
「証明を読んで確かめよう」とはならない。理論の勉強だけで10年かかる。
こうなってしまったら面白くない。 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 >>2
なんでそのコピペ貼ったのか知らんけど、
数学は一般化を目指すものだから必ずしも応用範囲は狭まらない。
ただし証明は長くなる。 >>2
なんでそのコピペ貼ったのか知らんけど、
数学は一般化を目指すものだから必ずしも応用範囲は狭まらない。
ただし証明は長くなる。 聞いた話によると、プロでも証明を理解せずに定理を引用することがあるらしいな。
それ楽しいんかね。 >>6
証明を読むのをやめた時点で数学じゃないと思うわ
数学以外の何か 証明を理解していない定理は使ってはならない云々みたいな思想って宗教に見える >>9
いや、自分が使ってる定理が証明できるかどうかが数学専攻とそれ以外のやつの違いだろ。
証明を読まずに定理を使うとか、文系と一緒。 停止性問題があるから、どんな数学の問題でも解けるソフトウェアは存在しない。
だから現実的にはオブジェクト指向になって、どんどん増えてく。 >>10
勉強において定理の証明が大事というだけであって「証明を読まずに定理を使ってはならない」なんてのは無意味で合理性皆無の縛りプレイに過ぎない お前らマジか...やっぱ数学はデカくなりすぎたな。
他人の定理Pと自分の結論QをくっつけるP→Qの部分だけ考える分業になっていて、
公理から定理Qを導く全体の証明は誰の頭にも入ってない。
数学はいつからこうなっちまったんだ。 人生200年位は時間ないと間に合わない
というのは理想で現実の研究は7年周期で動いてる気がする 数学者に「それ証明できますか?」っていきなり口頭試問を仕掛けたらどうなるの? >>10
証明を理解すべきものと理解しなくても(使えたり感覚的に明らかだと思えれば)いいものがある、例えば
・準同型定理のような簡単に証明てきてかつよく使うものはいくらなんでも証明を理解すべき
・証明自体が定石パターンでなされるものもいくつかは(そのパターンの典型例として)理解すべき
・ジョルダンの閉曲線定理は証明を読まずとも感覚的には明らかだし、その感覚さえあれば十分
・逐次近似法のように証明が計算方法のアルゴリズムになってるようなものはとりあえず使えればいい(自然に証明もできるようにはなる)
・奇数位数定理のように証明がやたら難しいけど定理の主張は簡明で誤解のしようがないものならとりあえず使えればいいと思う いや、「感覚的に明らか」とか言って命題を真だと仮定するのは数学でやっちゃいけないことだろ そうじゃない例もあると具体的に挙げてるのが >>26 なんだろ
数学も他の学問と同様、研究対象としての性質以外に道具としての性質を持つ。
たとえばひとくちにIT系研究者と言っても研究分野は人によって様々で、
* コンパイラの研究をしているからコンパイラの中身まで詳しくしっていないといけない
という場合もあれば
* アルゴリズムの研究をしていて、コンパイラはよく使う道具にすぎない。中身まで詳しく知る必要はない
という場合もある
数学者も同じ。ジョルダンの閉曲線定理に近い領域を研究する人はその証明を細部まで理解している必要があるが、他領域の数学者(ジョルダンの閉曲線定理は道具として使うかもしれない。)にとってはその限りではない。もし証明の中身の理解まで必要になればそのときやればいい話でもあるしな。
もちろん「自分が使う定理は必ず証明すべきだ」と考えること自体は立派だし、そう考えてる数学者は少なからずいるだろう。
ただその宗教観を他人にまで押し付けて「数学者は全員こういう考えをもつべきだ」とするのはまた違う話。 ハッカーは自分が使ってるシステムを隅から隅まで理解してないといけない
どこかに何かが仕込まれてやいないか確認しないと危なくて使えない ハッカー、警察、軍人は「弱みを見せない」ことに注力する人々。
使う道具に不備があったり、使い方に不備があると敵につけこまれる。他人は信用できない。
研究者、クリエイター、技術者は「自分の強みを生かし新しいものを創造する」ことに注力する人々。
使えるもの(発明済の道具)は使い、新しいことを生み出すことが本質。巨人の肩に乗る、と言われる通り基本的には他人(先人)を信用する。
もちろん、ハッカーにも創造性は必要だし、研究者にも他者の発明を批判的に検証する能力は必要。
ただ限られた時間をどう使うかを考えるとき、「弱みを消す」ことに本質があるハッカーと「強みを伸ばす」ことに本質がある研究者を比べるのはナンセンス ハッカーは9正しいことを行っても、1間違えれば仕事は失敗。
研究者は9間違ったことを言っても、1正しいこと(そして新しいこと)を見つければ仕事は成功。
間違いはすぐ周りの研究者に検証・棄却されるし、真実を発見すればそれは未来永劫残り続ける。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています