虚数は存在するか?
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虚数は現実世界に存在するのでしょうか?
単に数学遊びの可能性を広げるために定義されたのでしょうか? 今日1=2の証明というやつの動画を少し観た
https://www.youtube.com/watch?v=5LY6zyFr6Z0
今どきの人はもうコンピュータ科学的な思考を自然にすることがわかった
細かいことはわからないがもし数論や代数学などで1=2の証明に相当するような
ことに対して虚数を定義していたらっていう空想をしてみた
現在は定義を公理のように使うやり方が応用数学で要請されている
そのような数学の流儀でどこまで本当に数の実在性を文字で表せるのか
というのに疑問を感じるのは当然だと思った
これから数論や代数学を学ぶ人は常に実際にある数を意識して
証明をしてゆかなければこれら応用数学を外側から観たときに
空疎空論になりかねないだろう
そもそも「1=2の証明」という日本語が生まれてしまった時点で
数学の担い手は消滅したのかも知れない >>126
そういうのは昔からあるような。
そういう偽の証明を、延々集めたソ連の本を見たことがあるぞ。
1960年代の本だったと思う。 >>128
ああそうなんですか
コンピュータプログラム的発想ですね
等号という記号が厳密に同値関係を意味するようになったのは
いつからなのか知らないですけど
1=2なんて書くことは許されないという立場とそうではないという立場があって
後者はなんでも偽の仮定をしてしまうというコンピュータ理論のための証明方法ですね
これも時代の流れなんでしょうか でも悲しいかな1=2の記法に敏感になりすぎて
たとえば文字式
x=y
と書くなという人まで出てきてしまった
理由はxとyという文字はそれぞれ別個のものを表している
最初から別のものを表しているのにそれらを等号で表すことは間違っている
もし同じもの同士ならば初めからx=xまたはy=yである
という主張でした
これは現に数論幾何学を専門にする人の話です
つまり代数学の基礎である同値関係を用いることに慣れているにもかかわらず
このような間違えが発生する時代になってしまいました
たしかに高校数学や大学数学のほとんどの本は
全称と特称の明示がありませんので
混乱する人が多いと思います 僕はそのような指摘をうけて
文字と文字の中身について考えるようになりました
文字と文字の中身を対応させることはたしかに難しいです
先のx=yとは何でしょうか
たとえば
x=1のとき
y=2/2
という場合でしょう
つまり表示は異なるが
中身が同じものである場合に
等号で二つの関係を表すことができる
ということです
しかしx=yを1=2と考えx=yを偽の命題だと考えるというのが
もしかしたらどこかで発生したのかもしれません
僕はこの立場を採らないです x=yの存在命題
1+2=3
x:=1+2
y:=3
1+2=-1+4
x:=1+2
y:=-1+4
ちなみに
x=x(真) ⇒ c+d=e+f(偽) (c+d=x,e+f=x) :偽 ←異論は認める(これはx=yと表示してはならないという立場に近い)
ですので
2=2 ⇒ -1+3=-2+4
というような命題は偽です
さてx=yの問題を集合と写像で一般に全称記号で記述することは難しいです
とういうのもそれは集合と位相の問題になってしまうからです
写像における
和や差の定義(演算の定義)という日本語も
先に和や差の現実がなければならないからです
つまり集合算としての和や差などが担保されなければ
写像における演算が使えません
本来集合における和の定義というのは和集合の存在証明になるかと思います
もちろん現在刊行されているほとんどの本は先に和の定義(公理)で終わっていますが
僕は定義より定理の証明が可能だという現在の主流とは外れた考えをするので
なんでも難しいです
そして高校数学で全称記号や特称記号を簡単には付けられないのもこのためです
ただし集合算を公理と看做す立場であれば論理記号の使用も可能ですが
それはいかにもコンピュータ的でバグの発生が見込まれます
バグの発生を抑えるのはもちろんですし
数学の原論を学びたいです どうでしょうか
写像の演算までも公理化された現在
たとえば群の公理やベクトル空間の公理なんて言う人まで存在します
このような下では直積集合から集合への写像によって演算が定義可能です
つまり公理の下に定義が可能かどうかという問題しか扱わなくなってしまったのです
これはすべて応用数学や計算機科学のためにあります
前時代は宇宙空間の解析や原子爆弾のためという背景があったと思います
現在の最先端科学というのはやはりコンピュータ科学のことでしょう
それなので数学もそれに合わせて発展したのだと思いますが
僕は定義が公理・公準だとは思えません
どうにかしたいです 僕が恐れるのは
・定義より自明
・定義より成立する
こういう言葉です
実際新妻弘著の『群・環・体』において
整数の定義にのみ基づいていくつか初等整数の演習問題を解いてみたのですが
具体的な数値を文字に代入することが不能だったという覚えがあります
今はもうその本を持っていないので再現不能ですが
定義の公理化によって計算不能なものまでも文字で包含してしまうという結果を
招いています
これを僕はバグと読んでいますが
文字と数とを全称命題で対応させることは相当な困難があると思います
それなのである文字や文字式が出てきた場合
高校数学のように論理記号を無記載にするか
あるいは存在記号のみを用いるという方法を採らざるを得ません
全称命題の難しい所はものの全体を観れないことです
ですから述語論理的に全称命題と特称命題とを組み合わせて
認識をするという方法を採ったのだと思われます
ですが定義が公理化しているため
全称命題が存在命題化していると解釈しています
それは全体のある部分から全体を認識したとしても
全体をわかったと言えるかどうかは難しいと思われるからです
位相空間が当たり前の時代にこんな疑問をもつことはおかしいのかも知れません
ですが全体をその部分すべてに制限し定義したとしても
それを公理と看做し
以下の証明がすべてその定義に基づいて証明しているというのは
部分と全体が一致するある特別な場合ですべてを包含していると言えます
つまり定義が公理化された証明において
部分と全体が一致する場でのみ示せばよいということです
そうすると具体的な部分というのはよくわからずともよいということになり
これを抽象と呼ぶのは間違っているのではないかと考えます 数には大きさがない
っマリ自然には存在しない
虚数とか全ては理解のために造られた
有限は実在しないな >>118
こういうことしか言えないから数学はダメなんだな
ほぼすべての人がそういう「感想」を持っているのに
自分の世界に閉じこもって
その中だけで説得しようとしても無駄よ 自然界の力学はベクトルを用いて規定される
この際、並進と回転の概念が不可欠である
例えば多粒子系の法則や電磁気学では複素数を用いなければ回転の要素を持つ現象を記述することができない
その意味で虚数は存在する
なお、ベクトルの回転は行列式を用いて記述することができるが概念としては同じである たしか複素数は2次の正方行列で表せたよね
こういうものは大事だね >>137
数学を知らないド素人が支離滅裂な「感想」を持ったところで、
数学がダメだということにはならない。
ダメなのは支離滅裂な感想を持ったド素人の方である。
そして、何が支離滅裂なのかというと、
「自然数や実数は具体的な投影によって実感できるが、
複素数は具体的な投影を見ても実感できない」
というダブルスタンダードをかましているところが支離滅裂なのである。 ましてや、複素数が明確に実感できる具体例は>>122で既に述べている。
それにも関わらず「実感がない」というのであれば、それは実際には
実感できないのではなく、ただ単に君が生理的に受け付けてないだけであり、
「生理的に受け付けないので、どんな投影先を見ても生理的に納得がいかない」
という、循環論法的なワガママを表明しているだけである。
要するに>>84-85なのであって、自分の世界に閉じこもっているのは君自身である。 >>84-85に触れたので、>84-85に関連したレスをしてみる。
実は、>>84-85のような現象は、負の数を習いたての中学生にはよく見られる光景である。
たとえば、負の数を習いたての中学生は (−1)×(−1)=1 に納得しないことが非常に多い。
その納得しない様子は極めて 頑 固 であり、(−1)×(−1)=1 に対応する現実世界での
投影先をバリエーション豊かにいくら見せつけても、中学生は 全 く 納得しないのである。
多くの中学生は、
「それを投影先と呼ばれても何だか人工的な感じしかしないぞ」
としか思わないのである。まさしく>>84-85と同じ光景である。 では、中学生はいつになったら負の数を受け入れるのか?
簡単な話である。実際には全然納得してないにも関わらず、
「投影先として機能していることは紛れもない事実なので、なんとなく納得した」
ということにして、そこで「いい意味で思考停止する」ことで、
気づいたときにはいつの間にか負の数が頭の中に確たる地位を築いているのである。
その境地に達した段階で、改めて (−1)×(−1)=1 の投影先を見つめ直してみると、
かつて感じていた「人工的な感じ」は消し飛んでおり、逆にその投影先こそが
存在性の根拠だと感じるようになり、「負の数が確かな存在として再確認される」のである。 つまり、同じ投影先について、最初は
「人工的な感じしかしない」
と突っぱねていたのに、今となっては
「これこそが負の数の存在性を実感できる確たる根拠である!」
と真逆の捉え方をするようになるのである。中学生のこのような変化は
「手のひら返しにも程がある」と言わざるを得ないが、まあ中学生ならしょうがない。 そして、複素数は>>84-85の高校生バージョンである。
高校生の場合、中学生よりも中途半端に思考が訓練されているので、
中学生のような「思考停止」ができず、延々と屁理屈をこねて
複素数に拒否反応を起こし続ける可能性が出てくる。
複素数に納得が行かない例の人は、そのような人間の一人であろう。
つまり例の人は、負の数に納得できない中学生の「高校生バージョン」であり、
中学生レベルの躓きと本質的に同じ躓きから未だに抜け出せてない人間だということだ。 おかしいよね。複素数の投影先(>>122)だって、
「具体的な現実の操作への投影であることは紛れもない事実」
「投影先として機能していることも紛れもない事実」
であり、負の数だったら例の人はそのような "手口" によって納得しているのである。
それなのに、対象が「負の数」ではなく「複素数」になった瞬間に、
全く同じ手口であるにも関わらず、例の人は複素数の存在性に納得しないのである。 いや、複素数が存在しないと思うなら、それはそれでいい。
しかし、複素数が存在しないなら、全く同じ抽象度で負の数だって自然数だって
「存在しない」のである。しかし、例の人は自然数や負の数なら「存在する」という
ダブルスタンダードをかましている。ここが例の人の滅茶苦茶なところね。しかも、
「自然数や実数は具体的な投影先によって実感できるが、
複素数は具体的な投影先を見ても実感できない」
という、存在性を論じるための "手口" が全く同じであるにも関わらず、
自然数と実数には納得して複素数には納得しないという、どうしようもない有様。
ほんとに頭がおかしい。
そして、このダブルスタンダードは「負の数に納得できない中学生」と同じメカニズム。
つまり、例の人は中学生レベルの躓きから全く進歩してない。
いつまでそんな中学生レベルの躓きを続けてるんだっていう。 >>147
りんごの個数の概念は幼稚園児でも理解できる。
小学生でも借金は理解できる。
これと虚数の違いを理解できないとか、どんだけ頭悪いんだろ。 >>148
自然数は小学生で勉強し、小学生なら自然数の概念に納得する。
というか、小学生でも納得できるからこそ、
自然数は小学生のタイミングで勉強するようにカリキュラムが組まれている。
また、整数は中学生で勉強し、中学生なら整数の概念に納得する。
というか、中学生でも納得できるからこそ、
整数は中学生のタイミングで勉強するようにカリキュラムが組まれている。
全く同様に、複素数は高校生で勉強し、高校生なら複素数の概念に納得する。
というか、高校生でも納得できるからこそ、
複素数は高学生のタイミングで勉強するようにカリキュラムが組まれている。
そして、自然数・整数・複素数における学習の "手口" は全て同じであり、
現実世界への具体的な投影先を先生が生徒に見せつけることで納得させる。
複素数でも現実世界への具体的な投影先は明確に提示できる(>>122)ので、
中学生までと手口は全く同じ。それでも納得できずに中学生レベルの躓きを
続けてるバカがこのスレに1人だけいるようだが、よほど頭がおかしいのだろう。 >>149
りんごの個数と借金と同じレベルで実在する具体例を挙げてからほざこうな。 キミが持ってる15cmの定規に×iと書き込めば
それで計った距離は15icmだよ^^ >>149
それと複素平面で表わせるから複素数が実在するという主張は数直線で表わせるから実数が存在すると主張するのと同じように明らかな誤り。
数直線なんてなくても、個数と借金は実在する。
これほど明らかな論理的誤りにすら気付かないとはセンスなさ過ぎる。 >>140
>数学を知らないド素人が支離滅裂な「感想」を持ったところで、
>数学がダメだということにはならない。
>ダメなのは支離滅裂な感想を持ったド素人の方である。
数学がダメなんだけど?
支離滅裂というのは数学の「内部」での話
一般の人には通じないのが分かってないのが可哀想だ 15cmの実数定規で計って線を引く時、虚数は関係ない事と
純虚数の定規で計って線を引く時に、実数は関係ない事は同じなのだ
その時、実数は定規から外れた明後日の方向にあるんだから >>154
i^2=-1なのにどうして虚数は実数と無関係だと勘違いした? >>156
純虚数定規なので実数は関係ありませんw >>158
純虚数定規の一次元の話をしてるのに
キミがもし-1を主張するなら複素平面を認める訳でしょ?w
つまりキミは二次元で考える事が出来たって事じゃないかな?
具体性がないという主張自体が間違いだよねw >>159
複素数の定義を話すことがどうして実在を実感できることになるんだ?
お前がi^2=-1という定義を無視して虚数は実数と無関係だと主張してるのは明らかに論理的に破綻してる。
ID:H6Bqo37e, ID:X4e/gpiz
複素数はさておき、行列だったら存在すると思う?
それとも、行列も存在しないと思う?
もちろん、ここでの行列ってのは
「ラーメン屋の前に行列ができている」の行列じゃなくて
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/行列
こっちの行列な z=x+ i y
zj= x-i y
x,y は実数です。
このとき zとzjは独立ですか ?
x+yとx−yは独立ですか?
わからなくなりました。 >>163
で?行列は存在するの?行列は存在しないの?
「行列は存在すると思います」
「行列は存在しないと思います」
のいずれかの返答ではっきり答えてほしいな。 >>164
話逸らすよな。
りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げてからほざこうな。 >>165
実数も複素数も行列も、数学的には特定の代数的構造を持った
「代数系」の一例に過ぎない。そしてあなた方は、
それらの3種類の代数系のうち、行列を除いた
「実数」「複素数」
の2種類に対してだけは、なぜか "存在性" とかいう概念に固執し、
「実数は存在する」「複素数は存在しない」と強弁している。
そこで、あなた方が言うところの その曖昧な "存在性" の概念が、
「行列」という代数系に対してはどのように適用されるのかを観察してみたいんだよ。
で?あなたはどう思うの?行列は存在するの?行列は存在しないの?
「行列は存在すると思います」
「行列は存在しないと思います」
のいずれかの返答ではっきり答えてほしいな。 ひとが勝手に作ったものを指して「それって実在しないよね」って言うのなら、
借金だって実在はしないな
証文に金額が書いてあるだけのもの
証文は実在したとしても
借金は実在しない りんごの個数も実在しないな
ひとが勝手に「りんご」と呼んでる素粒子の群体に
ひとが勝手に数字という記号をつけてるだけ
りんごが実在したとしても
個数は実在しない そもそも数学的概念に実体はない
ただそれと対応する写像が存在するだけ >>166
数式は単なる情報表現
きみが紙に文字を書いたとき、その文字は実在するのか、といってるのと同じ
インクや黒鉛という形では実在するが、インクなどの配置パターンであるところの文字が実在するかどうかといえば、情報としては実在するね
さらに紙ではなく、きみの脳内で文字が浮かぶならそれは情報(神経電流のパターン)としては実在する
その意味で、情報としては行列は実在する
たぶんこれが正解 独立だと思うけど代入の数の単位によってはそうともいえない面もある。実数は変化していくから常には独立じゃないということだ。 >>166
あのさ、先に言われたことから逃げ回るのはみっともないぞ。
りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げられないなら、ちゃんとそう認めろ。
頭悪い上に卑怯だなあ。
行列についてはいくつかの属性を持つ物が複数あることは実在してるよね。
そんなことすら自分で思い付かない頭の悪さを紹介されてもこっちは呆れるしかない。 >>167
アスペだなあ。
本気でそう思ってるなら会話が成立しない。
会話における文章の意味を分かってるなら、いちいち説明を求めるのは面倒くさいから止めろ。 >>168
お前の中じゃりんごは実在しているのか、そこからはっきりしてくれ。 >>169
りんごの個数は明らかにりんごという実体から生じた概念だが。
りんごの個数と虚数の間にあるレベルの相違を認識できないほど頭が悪くはないだろ? ・りんごや借金の実在性について
すべてのものはイデアにより認識される
幾何的対象はイデアである(1つのりんご)
幾何学とはイデア論である
したがって
代数学と解析学は幾何学上に成り立たなければ
空疎空論である
すなわち純粋な数というのはイデアであり
幾何的対象を離れた観念は持ちえない
これが数の概念である かつてデカルトは
数に番号を付ける(座標で図形を表す)ことを発見したが
これは発明だったという時代が来てしまったのかもしれない
つまり解析的手法による幾何学の構築は構成主義であり
一般にものの実在性が喪失している
すなわち解析による幾何学上の解析学とはイデアの崩壊を意味する
これからどの道を行くべきなのか
また数学における発見は可能なのか
時代の流れにより発明と発見の違いはなくなってしまったのではないか >>172
>行列についてはいくつかの属性を持つ物が複数あることは実在してるよね。
日本語の文章としてちょっと変だね。何が言いたいの?
どうして奥歯に物が挟まったような言い方しかできないの?
これが行列ではなく「実数」「複素数」だったら、
あなたは「実数は存在する」「複素数は存在しない」と 即 答 してるでしょ?
それなのに、どうして「行列」だと即答できないの?
確かに話が逸れ気味かもしれないが、これはとても簡単な質問でしょ?
「存在する」「存在しない」のたった1レスを即答するだけで
この質問は終わるのに、なぜその「即答」ができないの? >>172
要するにあなたは、
「そもそも行列が存在するかしないかなんて今まで考えたこともなかった」
ってことでしょ?
なぜ今まで考えたことがなかったの?
・・・なんて質問をすると話が広がりすぎてしまうので、
まず行列の存在性についてはっきり答えてほしいな。
行列は存在するの?行列は存在しないの?
「行列は存在すると思います」
「行列は存在しないと思います」
のいずれかの返答ではっきり答えてほしいな。 >>178
え?
「いくつかの属性を持つ物が複数ある」の意味を理解できないお前の国語力が低過ぎる。
それより、りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例をさっさと挙げてくれ。
挙げられない時点でお前の主張のおかしさを自覚しような。 >>179
スレの内容は
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
に要約されることも分からない認識力の低さよww。
「りんごの個数と借金」と「虚数」は違うという話なんだから
「行列」が出てこないのは当たり前だろ。
勝手に「行列」を持ち出して「今まで行列について出てきてないのはおかしい!」と
言い出すお前の脳みそがおかしいな。 >>180-181
「即答できるでしょ?即答してみてよ」とこちらは質問してるのに、
結局あなたは即答できないんだね。
日本語としてちょっと変な文章を提示して、それで返答したつもりですか?
「この文章だけで十分だろ。あとはお前の方で "察してくれ" 。これ以上は詮索するな」
とでも言いたいの?なにそれ?なぜそんなに直接的な返答から逃げ回るの?
「行列は存在する」「行列は存在しない」の1レスで即答した方が
遥かに簡単に終わる話なのに、なぜあなたは即答できないの?結局あなたは、
「そもそも行列が存在するかしないかなんて今まで考えたこともなかった」
ってことだよね? では、なぜあなたは、行列が存在するのかしないのかについて、
今まで考えたことがなかったか?
簡単な話だよ。要するにあなたは、
行列については "すんなり受け入れている" ということだ。
これがもし複素数だったら、あなたは複素数を受け入れてないので、
そこから誘発される形で、
「複素数は受け入れがたいので、複素数の存在性が気になってしょうがない。
こんなもの本当に存在するのか?いや、存在しない」
というおかしな方向に話が流れていってしまうわけで、
ここまで話が流れて初めて「存在性」とかいう
ナンセンスな概念があなたの頭の中に登場するんだよ。 >>180
「りんごの個体」や「借金」で数を肉付け詐欺しといて具体例とか言ってんじゃねぇよ
所で経度緯度を複素数表現できる事を具体例として認めないからには
長さを実数表現できる事も具体例として認めないよな?二枚舌すんなよ? 行列についても全く同じことで、もしあなたが行列を受け入れてないなら、
「行列は受け入れがたいので、行列の存在性が気になってしょうがない。
こんなもの本当に存在するのか?いや、存在しない」
と考えていたはずなんだよ。この場合、行列を受け入れてないあなたは、
行列に対して強い不信感を持っているので、すなわち行列が憎くてしょうがないので、
行列が存在するかしないかと質問されたら、これ幸いと言わんばかりに
「行列もまた存在しない!」
と気持ちよく返答したがるはずなんだ。それが人間の素直な感情というものだ。
だから、もしあなたが行列を受け入れてないなら、
あなたは「行列もまた存在しない」と即答していたはずなんだ。 しかし、あなたは行列についてはこのようなアクションを起こしていない。
つまり、あなたは行列については最初から "すんなり受け入れている" わけだ。
言い換えれば、あなたは行列について "特に不満を持ってない" ので、
「行列の存在性が気になってしょうがない。こんなもの本当に存在するのか?」
というナンセンスな思考回路に "辿り着く必要がなかった" わけだ。
だから、今になって「行列は存在すると思う?」なんて質問されても、
君たちはうまく答えられない。そんなこと今まで考えもしなかったし、
考える必要性すらないから。
そういうことでしょ? なので、ちょっと質問の仕方を変えよう。
あなたは、行列のことはすんなり受け入れていますか?
「行列のことはすんなり受け入れている」
「行列のことは受け入れていない。あんなものはインチキだ。間違っている」
のどちらかではっきり答えてほしい。
これなら返答しやすいよね?素直に答えてほしい。 >>182
最初に出された
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
にいつまで経っても回答できないくせに何言ってんだ?
行列については話がずれてると指摘してるだろ。
会話が成立しないほど国語力が低過ぎる。 >>184
意味不明過ぎるなあ。
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
これに回答できないんだから、素直に自然数と虚数の違いを認めような。 >>185
>>186
>>187
「りんごの個数と借金」と「虚数」は違うという話なんだから
「行列」が出てこないのは当たり前だろ。
勝手に「行列」を持ち出して「今まで行列について出てきてないのはおかしい!」と
言い出すお前の脳みそがおかしいな。
明確に書かれている内容も理解できないほど知能が低い奴だった。 >>188-190
あなたがもし行列のことを受け入れてなかったら、
あなたは行列が憎くてしょうがないので、
話題が少し逸れていたとしても、>>185で既に書いたように、あなたは
「行列もまた存在しない!」
と気持ちよく返答していたはずなんだよ。それが人間の素直な感情というものだ。
それがないということは、あなたは行列をすんなり受け入れているということ。
実際、あなたのレスの書き方は怒りの感情に満ちている。
よほど複素数が憎たらしくてしょうがないんでしょう。そのような人格のあなたが、
もし行列もまた受け入れてないのなら、話題が少し逸れていたとしても、
あなたは怒りに任せて「行列もまた存在しない!」と返答していたはずである。
それがないということは、あなたは行列のことをすんなり受け入れているということ。 つまり、あなたが行列のことをすんなり受け入れている根拠は2つあって、
まず最初の根拠は、>>185で既に述べたように、
・もし行列のことを受け入れてなかったら、行列が憎くてしょうがないので、
話題が少し逸れていたとしても、「行列もまた存在しない!」と即答していただろう
ということ。そしてもう1つの理由は、あなたのレスの書き方が怒りに満ちていること。
そんな人格のあなたが、もし行列もまた認めてないなら、怒りに任せて
「行列もまた存在しない!」と返答していただろうということ。
こちらの理由はとても大きい。あなたの人格なら、絶対にこのような行動パターンになっている。 >>191
行列については既に
「いくつかの属性を持つ物が複数あることは実在」
と回答済み。
んで、
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
の回答はいつ?
w 行列を習うのは高校生の段階なのだから、もし行列が受け入れられないなら、
あなたは高校生のときから今現在に至るまでずっと、
「行列は受け入れられない。こんなのインチキだ」
という負の感情がくすぶっていたことになる。
すると、そのような累積した負の感情を、話題が少し逸れていたとしても、
あなたのような人格の人間がここでぶちまけないわけがない。
実際、行列ではなく複素数の場合なら、あなたは高校のときから
今現在に至るまでずっと「複素数は受け入れられない。こんなのインチキだ」
と本当に考えていたわけで、つまり負の感情がくすぶり続けていたわけで、
だからこそ複素数については、
「複素数は存在しない。存在するというなら実物を見せろ」
というナンセンスな話を、怒りに任せてここにぶちまけているわけだ。 しかし、行列についてはそのような行動が全くない。
せっかくこちらから質問を投げて機会を設けてるのに、
「行列は関係ない」
だってさ。これはつまり、あなたは行列のことをすんなり受け入れているということだよ。
言い換えれば、あなたは行列については「特に不満がない」ということ。
あなた、分かりやすい人間ですね。 >>193
>「いくつかの属性を持つ物が複数あることは実在」
>と回答済み。
そのような、日本語としておかしな文章を提示することで、それで返答したつもりですか?
「この文章だけで十分だろ。あとはお前の方で "察してくれ" 。これ以上は詮索するな」
とでも言いたいの?なにそれ?
こちらの質問はシンプルだよ。
あなたは、行列のことをすんなり受け入れていますか?
「行列のことはすんなり受け入れている」
「行列のことは受け入れていない。あんなものはインチキだ。間違っている」
のどちらかではっきり答えてほしい。・・・と、こちらはそのようにしか質問していない。
まあ、もう答える必要はないけどね。既に書いたように、
あなたが行列のことをすんなり受け入れているのはバレバレだから。 >>196
お前はITについて見識がまったくないバカだからお前のレベルまで下がって説明しないと分からなかったか。
「属性 データベース」とかで検索してお勉強してから出直してくれ。
んで、「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」 には回答できない訳だ。
違いをお前も認識してるだろ。素直になれよw。 いったん、まとめておこう。
あなたは行列のことをすんなり受けれており、行列について特に不満がない。
また、不満がないからこそ、
「行列の存在性が気になってしょうがない。こんなもの本当に存在するのか?」
というナンセンスな思考回路に "辿り着く必要がなかった"。
つまり、行列が存在するかどうかなんて一度も考えたことがないくせに、
あなたは行列のことをすんなり受け入れていた。 ID:vk3tA0Nfちゃんは超イライラしちゃってるけど落ち着きなよ。
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
に回答できないくせに、自然数・負数と虚数に差異はないと言い張っても呆れるだけ。
現実をちゃんと直視して論理的に思考しよう! 言い換えれば、あなたにとって、ある数学的対象を受け入れるのに
「その対象は本当に存在するのか?」
というナンセンスな話題は必須ではないということ。
実際、「行列」という対象だったら、行列が "存在する" かどうかを
考えたことがないくせに、あなたは行列のことをすんなり受け入れているわけだ。
これは当たり前の話であって、先にその対象を受け入れ済みなのであれば、
既にその対象を受け入れているがゆえに、もはや
「その対象は本当に存在するのか?」
なんて考える必要性はどこにもないわけでね。 そして、行列のことをすんなり受け入れているということは、
行列が織りなす各種の代数的構造についても、
あなたはすんなり受け入れていることになる。
なぜなら、受け入れがたい代数的構造がもしあるなら、
そこを起点にして行列そのものにも不信感が出てくるわけで、
つまり行列を「受け入れない」からだ。 では、そろそろ本題に移ろう。a,bを実数として、
(a -b)
(b a)
という形で表される2×2の実行列だけを考える。
すると、このような限定された行列たちは、行列の和・積によって
「体を成す」ことが証明できて、この体は「複素数体」と
体として同型になることが証明できる。
つまり、「行列が織りなす各種の代数的構造」の一例として、
「複素数体」
という代数的構造が行列によって生成可能である。 このことは、「複素数 行列表現」でググればいくつも解説が見つかる。特に
ttp://senkei.nomaki.jp/complex_number_matrix.html
のサイトには、文末に良い言葉が書いてあり、
>実数を成分とする行列を計算することで複素数の計算が出来てしまうのです。
>たった2次の実行列でも複素数の計算を内部に含むほど奥が深いのです。
と書かれている。実に良い言葉である。 んで、いつになったら
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
の例を出せるの?
w さて、あなたは行列のことをすんなり受け入れており、
行列について特に不満がないのだった。
よって、あなたは行列が織りなす各種の代数的構造についても
すんなり受け入れており、そのような代数的構造について、あなたは特に不満がない。
ところで、>>202により、行列が織りなす各種の代数的構造の一例として
「複素数体」という代数的構造が挙げられる。
ゆえに、あなたは「複素数体」という代数的構造を、
自分でも気づかぬうちに既に受け入れてることになり、
「複素数体」という代数的構造について、
あなたは特に不満がないことになる。 そして、複素数体という代数的構造を既に受け入れていて不満がないのであれば、
行列のときがそうであったように、あなたにとって
「複素数は本当に存在するのか?」
というナンセンスな話は必須ではなくなる。
なぜなら、その対象が "存在するかどうか" について考えなくても、
既にすんなり受け入れている構造については存在性の話なんて必要ないからだ。
あなたは、行列のときはまさにそうであった。
よって、複素数についてもそうなるべきである。
というか、そうならなければスタンスが一貫していない。 つまり、
「行列については特に不満がないので、存在性なんて気にしてない」
というあなたは、全く同じように、
「複素数体という代数的構造については特に不満がないので、存在性なんて気にしてない」
と主張しなければならない。
それにも関わらず、あなたは複素数については、
"存在性" というナンセンスな考え方にハマり続けている。
これはダブルスタンダードである。
あなたはまず、あなたが抱えているこのダブルスタンダードを解消しなければならない。 >>164
アホとしか言いようが無いw
何かが存在するしないを数学の「内部」だけで考えて
「ミソも糞も一緒だろ?」と言い続けているって気が付いてないなんてね >>208
結局あなたも、行列については "すんなり受け入れている" わけね(>>182-183,>>185-187)。
だったら、あなたもID:hsC+0jCwと同じダブルスタンダードに陥っているね。
ま、詳しくは今までのレスを読み直してくれ。 要するに、虚数を「数」と呼ぶのが気に入らないだけだろう。
複素数のことは、「有理数体上の代数的閉体」とでも呼んでおけば納得したはず。 >>209
他人には回答しろとしつこく言って
それにはちゃんと「いくつかの属性を持つ物が複数あることは実在」
と回答済みなのに、
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
には回答せずに逃げ回ってるお前がダブルスタンダードだろ。
卑怯な上に頭も悪いとか救いようがねえな。 >>211
だから、なぜあなたはそこで「複素数の存在性」とかいう
ナンセンスな話に固執するの?
「行列については特に不満がないので、存在性なんて気にしてない」
というあなたは、全く同じように、
「複素数体という代数的構造については特に不満がないので、存在性なんて気にしてない」
と主張しなければならないでしょ?
それにも関わらず、あなたは複素数については、
"存在性" というナンセンスな考え方にハマり続けている。
これはダブルスタンダードでしょ? バカなID:vk3tA0Nfをまともに相手しても無駄だな。
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
自然数・負数については具体的な実例を挙げられるのに、
複素数については挙げられないんだから、違いは明らかである。
証明終わり >>213
「存在する」とかいう話題はナンセンスであると何度も指摘している。
そのようなナンセンスな話題がスレタイになっている以上、
こちらが指摘できるのは
「その話題はナンセンスである」
ということのみ。 >>215
スレタイに沿ったレスをしてるのに
スレタイからずれたお前にケチ付けられるとか意味不明過ぎて。
論理的に頭おかしすぎるよお前。 >>213-214
それともあなたは、
>いくつかの属性を持つ物が複数あることは実在
というおかしな日本語によって、行列に関する具体例は指摘済みだって言いたいの?つまり、
・行列についても、現実世界への投影先は重視している。
また、行列については、りんごの個数と借金と同じレベルで実在する具体例がある
と言ってるわけ?もしそうなら、「複素数体という代数的構造」が
「行列が織りなす代数的構造の一例でしかない」がゆえに、すなわち
「複素数体という代数的構造は行列の中のサブセットでしかない」
ことにより、あなたが挙げた "行列に関する具体例そのもの" によって、
「複素数もまた、りんごの個数と借金と同じレベルで実在する」
と言えてしまうけど? >>217
「りんごの個数と借金と同じレベルで複素数が実在する具体例を挙げろ」
自然数・負数については具体的な実例を挙げられるのに、
複素数については挙げられないんだから、違いは明らかである。
証明終わり
具定例を出せないんだからお前の負けは論理的に明白。 >>218
具体例は既に挙げたでしょ。
>いくつかの属性を持つ物が複数あることは実在
これが具体例だよ。あなたにとって、このおかしな日本語は
「りんごの個数と借金と同じレベルで実在する行列の具体例」
なんでしょ?だったら、
「複素数体という代数的構造は行列の中のサブセットでしかない」
ことにより、あなたが挙げた上記の "行列に関する具体例そのもの" が、
複素数に関する具体例そのものだよ。 >>219
i^2 = -1が行列のどこで定義されてんの?
wwwwwwwww >>220
無知なんですね。
>「複素数 行列表現」でググればいくつも解説が見つかる。
と既に書きましたが? >>221
このバカはi^2 = -1が行列で定義されてると本気で勘違いしてる? >>221
「複素数 行列表現」はまともな知能があれば
「複素数を行列で表現できる」という意味であって
「複素数が行列のどこかで定義されている」という意味ではないことは分かるんだが…。
相当ヤバイ人だったようだ。 >>222-223
複素数体とは、特定の代数的構造を持った代数系の一種であり、
本質的に同じ代数的構造を持った体系は、――すなわち、
「体として同型である」
ような他の全ての体系は、数学では等しく「複素数体」と呼ばれる。
行列表現を使った場合、それらの行列全体は、代数的構造が
複素数体と同型になるので、これらの行列全体そのものが再び
「複素数体」と呼ばれる。この場合、この "複素数体" の
それぞれの元は "行列" ということになるが、それで構わない。
なぜなら、それぞれの元がどのような "カタチ" で表現されているかは
単なる実装上の都合にすぎず、代数的性質を扱う上では何の意味もないからだ。
このことはまた、体として同型である他の体系も等しく
「複素数体」と呼ぶ流儀に合致している。
つまり、君の認識は間違っている。 これも数学における定義の公理化の落とし穴だな
たしかにソ連の初等整数論には定義という言葉自体が存在しなかった
イングランドのある環論には現在では使うべきところで
定理や命題という言葉が使われなかったりもする
つまり流儀があるわけでその思想は不明
一番重要なことはたとえ考え方が違っても
数学は人々が罵り合うためにあるものではない
現在では定義と考えられるものも証明していたりもする
しかしその根拠は述べられることがなくそれは1940年程度の代数学だ
おれもよくわからんが
どうにかしたいとだけは思う
でも考えることは体に悪いしほどほどにしている
あと何年数学を考えられるかなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています