0.999...は1じゃないことを数学的に厳密に証明したったwwww パゲェヤァああww
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0.999...9(9がn個)=a_nとし、
0.999...:=lim(n→∞)a_nと定義する.
1=0.999...と仮定すると、
N(1)を1の開近傍系として
任意U∈N(1)に対して、ある自然数N_0が存在し、
n≧N_0ならばa_n∈U となる
しかし、{1}∈N(1)であるが、任意の自然数nに対してa_n∈{1}ではない
これは矛盾
したがって0.999...は1ではない
はい1=0.999...論者全員死亡wwwwww
くそわろおおすww 有を無で理解しますから、限りなく0に近いが、という論理も1=0.999・・・の論理も対象との関係で成立するということでしょう 謎 こういうのにこだわる人って
1/3=0.33333…
は疑問視しないのかな?両辺を3倍してみれば? >>138
だから、=という答えを疑っているんじゃないの?
1/3=0.333・・・じゃない
割り切れないから正確な答えじゃないし
つまり=じゃない
0.333・・・×3は限りなく1に近いが1じゃない
0に限りなく近いが1じゃないというのを認めるのなら、これもアリかなと
もともと数学というのは基本無理があると思うけど
というかあらゆる学問の基礎はそうなんじゃないかなとも
数学という学問の基礎みたいのがここに集約されている気がする
個人的にはそれで良いとは思っている
=というのは、そう考えればいろいろ便利ということだと 1というか数自体の相対性みたいな
自然存在としての一つというか1は在り得ないし
精確な1というのは、ということ
数は自然の抽象で
数の定義は部分を持たないだし、抽象である事を示しているんじゃないのかなと
元々が仮定だから、1=0.333・・・も仮定、0に限りなく近いが0ではないというのも仮定
それで理解できるのだから、その仮定は有効ということで
個人的には1=0.999・・・というのは便宜上だし、それで良いと思うけど、やはり=というのは無理がある
数も論理もそういうものだと w
この辺は、ある意味理解ということ自体を示していることのように思えて面白い 正確、精確、とかいろいろ論理に対して、というか数学という学問に対して幻想がある
どんな理解も=なんてことは無い
本当は≠だがそれをを=として扱うということ 1/3=0.333・・・じゃあない
≠ということだけど、数学というか論理は本質として≠
両辺を三倍にしたら1=0.999・・・
論理の不等号性を前提にしたら、それで良いや、良いよ、ということ
引くという行為自体は本当は終わらないわけだが、対応ということで終わらせる
無限さえも終わらせる、数にするのが数学
ただ理解なんて大体だし、理解の本質は損なわない 高校3年の数学(昔の数3?)をちゃんと理解してればこういう疑問の生じる余地はないけどね。
つまり、0.999‥の「意味」は、単に
0.9、0.99、0.999、....という数列の「近づき先」
というだけ。それは1以外の何物でもないでしょう。
ちなみに無限小数一般の意味は厳密に考えると格段に難しいから勘違いしないように。
つまり、「近づき先」があるか?という問題が生じる。
ああ、>>1とか最初の方のいくつかのレスは数学科レベルの(数学的内容は正しい)ジョークだから、子供が読んでもわからないよww >「近づき先」
だから=1を意味しない
個人的には排中律そのものが厳密には成立しないと考えている
=ではなく≠
でも、まあ=にしておきましょうということ
ていうか、みなそうだし
そういうのが前提だから1で良いんだろう 論理は近似だからなあ
それだけの話だけど
厳密に=が成立することはないけど=にしましょう、というだけでしょう >>144-145
この証明を読んで厳密に寸分狂いなく1=0.999...が成立することが理解出来ないのならお前は池沼確定
0.999...<1が成立すると仮定すると、
0<1-0.999...より、
0<1/10^N<1-0.999...となる自然数Nが存在する
したがって0.999...<1-1/10^N
また、
0.999...9(9がn個)=1-1/10^nより、
N<nなる自然数nに対して、
0.999...<1-1/10^N<1-1/10^n=0.999...9(9がn個)
したがって0.999... <0.999...9(9がn個)
これは矛盾
したがって1=0.999... 面白いなあ
いろいろな論理が捻られて登場
だったら0.999・・・に無限に近い数が在るとすると=
さらに遡ると、あら、不思議1=0に成りそうだよね
てか0=∞とか w 自然数(しぜんすう、英: natural number)とは、個数、もしくは順番を表す一群の数のことである。
数は部分を持たないし w
有限の中の無限とか
有限がその否定である無限で、とか
無限がその否定である有限で、とか
不思議な話満載です
学問もまた基礎的なところで適当なんだよなと思うけどね
排中律も頭の中にだけしか成立しないし
正直、その辺明らかにしたら学問はまた新たな展開があるような気がしている
完成しているかと思うからおかしくなるんじゃね?
科学で数年前テレビで新たな理論が求められていると著名な人が、またネットでも量子力学は混乱していると
現場、ないしは近い人が投稿していたな
本でも、どうもおかしいと日本人科学者たちは書いているし、欧米でも居るし
個人的にはまだ違う展開があると思うけどな 値が定まらないのを数にして定数と同じというのもなあ
なんか論理というか学問の本質なのかな 繰り返すけど、それで良いんだと思っている
論理、ひいては数もまた厳密には成立しないし
排中律もまたその程度だと 超準解析(non standard analysis)なら無限小という「数」があるからそれを1から引けば、このスレの何人かの期待通りのものが得られるだろうけど、それを0.999…と表すのは普通の数学とバッティングするからダメだよww。やっぱりそれは1にすぎない。
超準解析は普通の数学の否定じゃなく拡張だから。 いろいろあるけどさ
=幻想ってのは癌だと思うけどね、学問には
面白いけどね、繰り出す理屈は
それで進展している面もあるのかな、なんて
論理は対象のそのままの反映じゃないし
部分を持たない数という規定は理解鍵のような気がする
いずれにしても、この問題は面白いなあ
学問の次への展開の鍵だったりしてw (妄想 >無限小という「数」
それは数にしましょうという仮定
それを下にすればといううこと
0に無限に近いが0では無いとか
だったら1に無限な近いけど1ではないという数もあって良いし
前提次第で=、≠ということで良いというのなら承知する
数学では=も≠も成立するという不思議w 無理数という数をピタゴラス学派は隠蔽した
でも基本数学というのは、そういう対象も数にしてきて発展したんじゃないかな
虚数とか、いろいろあるし
数というのは基本定数であってこと数みたいな印象があるけどね
まあ、不定数も数にしましょう、無限も数にしましょう
そうすればいろいろ便利だし
正直1という数も自然界に定数として在るわけじゃないし
それを定数にする
まあ排中律そのものは観念の問題だし
意外と深い問題じゃないのかなと思う
論理は大体というか近似値というか w 数学という中では解決しない問題じゃないの?
そんな気がしてきた 1=0.333・・・
で×3=1
右辺、不定数×3で、1という定数に
不定数を定数化する
数を言語だと主張した人が居たな
無限も無理数も定数、数という言語にする
可能無限はある意味正しいけど、実無限は数学の本道なんじゃないの?
なんというかな
わたし、という物理状態はいろいろ変化しているけど、とにかくわたしで括る
自然も、物理もすべてそう
1というか、数もまたむりから括る
抽象と言い換えても良い
1はそれ自体で自然には存在しないし、頭の中だけ
数は部分を持たない w
仮定の下に科学も展開しているし、数学もまたその仮定の下、辻褄が合えばということかも
厳密な=は無い
排中律もまた仮定 厳密ではないこと自体は、厳密にされるべきということか 無限小というと限りなく0に近いが0ではない、というのを思い出す
0次元には大きさが無い
一次元には幅が無い
二次元には厚みが無い
三次元には運動が無い
四次元は三次元の無限集合だけど、運動しない三次元を無限に集めたらあら不思議、運動しましたとか w
基本ないない尽くしなんだよなあ、数学の基本は
次元でわかるように、自然は有るんだが、それを無で理解しているんだよなあ
有を無で理解するから、0に近いが0ではない、ということになるんじゃないかな
無限小とはその言い換え?
わからんから、やめとくか w 飛ぶ矢は空間の一点に必ず存在する、静止もまた空間の一点に存在するから
飛ぶ矢は飛んでいない
やはり運動という有を無で理解するということだろう
つまり論理は静止、否定であると
規定は否定であるということ
わたし、という理解はどんなに成長しても変わらずにわたし
自然を理解する場合は静止
わたしという表現は、自己を他者から認識し表現した言葉
そしてクレタ人でわかるように、それは決定不能となる
光速度一定の原理は何を意味するのか
座標原点の実在否定による、自然の無矛盾、論理の実在の否定
互いが無矛盾であることを証明するが、自身では証明不能
論理は矛盾だと理解しているが、実在ではないということでは矛盾しないのでは? 対象をその否定で理解する
運動ー静止
無限ー有限
有限ー無限
自己ー他者
いずれにしても学問はこれから進展があると思うけどね
論理、自然観などなど
こっちは年寄りなんで観ることは叶わないだろうが
これからの人に少しでも寄与できればとは思うが、いたって混乱したかな w
自分のために、学問のために、これからの人のために励んでください
そうそう、運動とは存在すると同時に存在しないこと、とは飛ぶ矢の逆説からでしょう
対象を否定で理解するから決定不能命題が在る
わたし、という表現もまたこの意味ではわたしであってわたしではない
おつきあいありがとうございます
ただ、やはりそれで良いのだとは思うが、それは理解の観点からで、厳密な=は幻想に素人には映ります
では失礼しました 0.999999......が1になってしまったらそれは無限じゃないと思ってしまう。
有限だから1に繰り上がるんだろうと。 1300
ふうL@Fu_L12345654321
学コン1傑いただきました!
とても嬉しいです!
https://pbs.twimg.com/media/D-IuUuqVUAALnAB.jpg
https://twitter.com/Fu_L12345654321/status/1144528199654633477
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 連続関数の線上に異なる2点A、B(A<B)を取り
BをAに限りなく近づけるとAB間の距離は
限りなく0に近いが
さらに、同線上にB<Cな点Cを取ってBに限りなく近づけると
AC間の距離はAB間の距離の2倍になるのか >>12
1という点 と 1の隣の点
隣の点を仮定すると 1と1の隣の点の間に更に点が存在してしまう
ここで問題になるのは区別がつかないという概念なんだが
1と1の隣の点は区別がつかないかないから1点として良いかどうか >>165
>= とは何か?
=は区別が出来なければ1個を表現してる
A=B の場合いAとBは同一の一個を表現してる >>155
>まあ排中律そのものは観念の問題だし
現実の問題だけどね
等しいか
等しくないか
等しいか等しくないか区別がつかないか >>137
1と0.99999・・・が区別がつかない
↓
区別がつかないものは同一で1個
↓
1と0.99999・・・が区別がつかないから同一で1個
問題は上記の推論に普遍性があるかどうかだが
残念ながら普遍性はない
電子の場合は区別の出来ない同一の電子が複数存在していしまう 古代ギリシャ時代の有限数学では 0.999… 其の物が認められない。有限数学では無限概念と共に無限小数が排斥される為。
実数体では 1=0.999… である。実数体では無限小差が排斥されるArchimeds性によるArchimedes roundingにより無限小差が丸められる為。
超実数体では 1=0.999…;…999… である。超実数体では無限小超々実数差が排斥される超Archimeds性による超Archimedes roundingにより無限小超々実数差が丸められる為。
超々実数体では 1=0.999…;…999…;…999… である。超々実数体では無限小超々々実数差が排斥される超Archimeds性による超々Archimedes roundingにより無限小超々々実数差が丸められる為。
累超実数体では 1=0.999…;…999…;…999…;… である。累超実数体では上位の無限小累超実数差が排斥される累超Archimeds性による累超Archimedes roundingにより上位の無限小累超実数差が丸められる為。
超現実数体では 1=0.999…;…999…;…999…;…+ε である。超現実数では任意の無限小差、違いも加味する為。
超現実数体上の 1 1/3 √2 π について ε=(:最小超限順序数ωの逆数) とすれば
1=0.999…+ε=0.999…+0.999…*ε+ε^2=0.999…+0.999…*ε+0.999…*ε^2+ε^3=…
={Σ[k=1,ω-1]0.999…*ε^k}-ε^ω
1/3=0.333…+ε/3=0.333…+0.333…*ε+ε^2/3=0.333…+0.333…*ε+0.333…*ε^2+ε^3/3=…
={Σ[k=1,ω-1]0.333…*ε^k}-ε^ω/3
√2=1.414…+√2*ε=1.414…+1.414…*ε+√2*ε^2=1.414…+1.414…*ε+1.414…*ε^2+√2*ε^3=…
={Σ[k=1,ω-1]1.414…*ε^k}-√2*ε^ω
π=3.141…+π*ε=3.141…+3.141…*ε+π*ε^2=3.141…+3.141…*ε+3.141…*ε^2+π*ε^3=…
={Σ[k=1,ω-1]3.141…*ε^k}-π*ε^ω
1と0.999…の差を認める講義は超現実数体で漸く言及が出来る。一方で、上述した通り
標準数学で語られた事が世界でも殆ど皆無の超々実数体より更に上位の累超実数体でさえ
1と0.999…は差を零として扱う。 訂正
>>177文中全ての
Σ[k=1,ω-1]
は
Σ[k=0,ω-1]
の誤り >>177訂正と詫び 実数⊂超現実数 に就き超現実数でも 0.999…≠1 に成らない御免 論理的には1>0.999…
今の数学界では1=0.999…
しかし=ではないから新たな記号を作る必要がある。「その数が近づいている先の数である」という事を示す記号を。その記号がないから=で代用しているようなもん。 0=0.00000000000000000000000000…
0=0.00000000000000000000000000…
…
0=0.00000000000000000000000001…
…
0=0.00000000000000000000000002…
…
…
0=0.1…
…
…
0=0.2…
…
…
…
0=1
…
…
…
0=2
…
…
…
…
0=100
…
…
…
…
…
…
0=∞
「誤差0.000…を∞回試行すれば全ての実数はイコール」<証明終了> 0.0000…(1)+0.0000…(1)=0
=0.0000…(0.01)=0.0000…(3)=0.0000…(100)=0.0000…(極大(ただし0.00001以下))=1=100=∞(∞試行)でしょ 空位記号の使用は古くからあった。
シュメール人 4000〜5000年前
バビロニア人 B.C.950
中米マヤ人 B.C.350
ブラーマグプタ(インド) は
0を単なる空白記号としてではなく、一個の「数」ととらえた。
演算規則 a+0 = a = 0+a と共に与えた。(628年ごろ)
N にも N~ にも属さない新しい数(+の単位元)としての0を。 (参考)
吉田洋一 著「零の発見 −数学の生い立ち−」岩波新書、赤版R13 (1979)
http://www.iwanami.co.jp/book/b267041.html
R. カプラン:「ゼロの博物誌」河出 New Science (2002/Apr)
303p.2530円 松浦俊輔 [訳]
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309251578/
C. サイフェ:「異端の数 ゼロ」ハヤカワ文庫NF (2009/May)
320p.946円 林 大 [訳]
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/90349.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています