>>497
>その加法が自然だとか本質的だとかいう議論は、
>Nが0を含むほうが自然だとか含まないほうが
>自然だとかいう議論と同種のものに見える。

俺は、αもβも自然な加法の演算だと言っているが、N が 0 を含む方が自然とは
言ってないし、含まない方が自然とも言っていない。また、例のガイジですら、
そういう話はしていない。俺が言っているのは、

「 s は (X,β) においてゼロの役割をする」
「 s は (X,α) においてゼロの役割をしない」
「 ゆえに、s にゼロの役割を与えるか否かは、単なる流儀の違いに過ぎない」

ということである。単にこれだけが言いたいのなら、α・βが「自然である」という
言い方をする必要は無いように見えるが、そうではない。もしαとβがペアノシステムに
沿ってない荒唐無稽な演算なら、s が (X,α)や(X,β)においてゼロの役割をする・しないと
言ったところで ほとんど無意味であろう。しかし、実際には、αとβはペアノシステムに沿った
自然な演算であると考えられる。よって、s がそれらの演算でゼロの役割をする・しない
という言い方をすることには、一定の意味があると俺は考える。
だから、「α・βは自然な加法の演算だ」と書いた。そして、俺が書いたこれらのことは、
「N に 0 を含める方が自然・含めない方が自然」という話とは違うものである。
また、例のガイジが言っているのは、

「ペアノの公理系だけを用いて、0 は絶対に含まれず、1 は絶対に含まれることが結論される」

というたぐいの主張である(何をどう勘違いしたらこんな考えに至るのか理解不能)。
これもまた、「N に 0 を含める方が自然・含めない方が自然」という話とは違うものである。