数学基礎論・数理論理学 その16 [転載禁止]©2ch.net
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数学基礎論は、素朴集合論における逆理の解消などを一つの動機として、
19世紀末から20世紀半ばにかけて生まれ、発展した数学の一分野です。
現在では、証明論、再帰的関数論、構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、
多くの分野に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、代数幾何学、
英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化 などを参照)
従ってこのスレでは、基礎的な数学の質問はスレ違いとなります。
他のスレで御質問なさるようにお願いします。
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その15
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/math/1415660285/ 「素朴集合論における逆理の解消などを一つの動機として」
は
「集合論・解析学等の数学の基礎付けなどを動機として」
にして欲しかった >>3
>「集合論・解析学等の数学の基礎付けなどを動機として」
「解析学」削除依頼 理由:関係ないから 毎回、スレを立ててから文句が出るけれど、テンプレを変更したいのなら
スレの終わり頃にコンセンサス得るようにして頂けません? >>4
横レスすまないが、プリンキピアマテマティカって最初は解析学を基礎付けるために書かれた、
結果的にはそこまで到達できずに終わったけど 基礎論しらねーやつがくだまいてんじゃねー
やんのかこら。リンドストルム定理くらい知ってるかわれ >>7
あなたが知らないのは関係無い理由にならないでしょ?
18世紀〜20世紀初頭くらいまでの
数学史について書いた本一冊くらい読んだら、
無関係じゃ無い事は分かると思うよ ああ、もちろん ID:NoHNoowI に対して、な >>1
ルベーグ積分と基礎論の関係について教えてください >>17
その部分をいま読むと「上手いことを言おうとして...」と言ってる香具師が
一番滑っていることがよく分かるなw http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-11723-3/
基礎数学シリーズ 23
数学基礎論入門 (復刊)
B5/216ページ/2006年03月20日
ISBN978-4-254-11723-3 C3341
定価3,672円(本体3,400円+税)
前原昭二 著
これは「最初の一冊」にふさわしいですか? まあまあ
ただ同じテーマでも最近は
共立出版から出た「不完全性定理」の方が分かりやすいと思う。
何か某yさんがやたらdisってるけど。
著者との間に何かあったんだろうか。 その某yさんってのは前スレ848, 851, 855辺りで叩かれてる人でしょ?
気にしなくていいのでは? 某yについて検索したら、こんなの見つけた:
http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/105675503178
集合論の言語には定数記号も関数記号もないってことすら分かってないらしい。
三ダース以来の良ネタの予感。 >>22
菊池さんの「不完全性定理」のプロ向けお薦めの読み方は脚注だけ読むことです。
10分で1冊全部読めて、この本の神髄がわかります。 >>23
それ違う人じゃないの?
私は某yさんがそういうこと言ってるの見た事無いけど
>>24
>集合論の言語には定数記号も関数記号もないってことすら分かってない
ってことは無いだろうけど、そのCZFAの存在具体性については
本人自身が訂正してなかったっけ?
ちょっとした間違い自体は誰にでもあるもんだよ
ってか「検索したら」って書いてるけど多分24はその件前から知ってたでしょ >>26
前スレ848で書いてある通りに実際にask.fmでトンデモ扱いしていた。
その直後にトンデモ扱いされたと思われる人がこっちに移って来たのではっきり覚えている。
前スレ393とか423とか。
前スレ855の指摘は>>24のリンク先に
「『CZFA は直観主義論理上の体系であり,存在具体性などは担保される』と書かれています」とあって
本人が「そんなこと言っていない」とも言っていないので実際に言ったのでしょう。
確か>>24のリンク先のやり取りの直後に
同じ質問者と思われる人が「定数記号も関数記号もない」と指摘したものの
それをトンデモ扱いしたやりとりがあったと記憶している。 >>19
それ私だけど、どこかおかしいことを言ってる? 481 :132人目の素数さん:2012/05/16(水) 03:19:02.84
3ダースの次は北田均か。叩く対象の「プロ研究者度」がどんどん上がってるな。 なんで実名を出さないの?
矢田部俊介さんでしょ。
大学教員なんだから公人扱いでよい。 批判と人格攻撃は区別した方が良いと思う。お互いに。
>>27
yさんが書いた文章の中にそういう文章あったと思うよ。
ask.fmのその質問の直後の質問、って
辿るのがめんどくさ過ぎるんだよなあ……
あの仕様は何とかならないのかなあ。
yさんはask.fmは面白いボケとツッコミになることに主眼置いてるでしょ。
ブラックジョークの域に入って一部の人に不快感を起こさせることは
自分でも分かってると思う。 日曜数学者であるy氏をよってたかって叩くのは気が進まないけど、
あれだけ玄人面して素人を叩いているのだからブーメラン。
今回の件では擁護する気は失せる。 定数記号も関数記号もない言語で項は変数のみ。
従って存在具体性は
「∃xA(x)が証明可能ならばある変数yに対してA(y)が証明可能」となる。
一般化規則「変数yに対してA(y)から∀xA(x)を導いて良い」と合わせると
「∃xA(x)が証明可能ならば∀xA(x)が証明可能」。
よって空集合の存在から「すべての集合は空である」が導ける。
ωの存在から「すべての集合は自然数全体である」が導ける。
これでも「ちょっとした間違い」なのか?
根本的に分かっていない、というべきではないか? 関数・定数記号がない言語がどうこうの前に
「直観主義論理上の理論は存在具体性を持つ」のなら
古典論理も直観主義論理上野理論なのだから
「古典論理が存在具体性を持つ」ことになってしまうんだな。
前スレの851等でとっくの昔に指摘されてのな、スマソ。
とにかく二重三重に根本的な間違いだな。 >>27
前スレ848というのはこれかな?
http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/122163554634
>「『CZFA は直観主義論理上の体系であり,存在具体性などは担保される』と書かれています」
これは以下の論文(査読済みらしい!)の12頁下から7行目。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/173335/1/phs_7_1.pdf
>>24のリンクの次の質問は見つけれなかった。
>>35が書いている指摘もask.fmで質問があったと思うけど本人は理解できなかったんだろうね。 その論文「循環性を受け入れる」の主旨は、
余帰納法のある体系CZFAは存在具体性が成立するので構成的と言える、
ということだから話の大筋から誤りなわけだけど、
>>26の言う通り本人自身が間違いを認めているのなら
erratumとかcorrigendumとか出ていないのかな?
査読で通す方もどうにかしているけど
哲学の国内誌の査読なんて期待しちゃいけないのかもね。 >>24の次というのはこれ?
http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/105686652490
ツイッターからならすぐに見つけられる。
集合論の言語の項というのに、
何をどこまで仮定も何もないだろうと思うが。 ソーカル事件はソーカルの人格攻撃に終止し哲学学界は何も変わらなかった そうか、分かったぞ、矢田部さんは日本版ソーカルになろうとして
意図して間違った内容の論文を出したんだ。そうに違いない。
そうでなければ、数学出身で数理論理の訓練を受けたのに
「集合論の言語の項は変数しかない」という基本的な事実に
気づかないなんてことは説明できない。
「公理を増やして矛盾が解消される」という区体論の人を
「少し考えれば簡単に分かる」と批判している人が
同じレベルの基本的な事実を見落とすなんてことがある筈がない。
そうだ、間違いなく、日本版ソーカルになろうとしているのだ!! 凄いよ、数学の哲学では中心人物に上げられてる。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1327213645/324
これで「ソーカルやってました」宣言したら日本の数学の哲学は吹っ飛ぶんじゃない?
本物のソーカル事件以上のインパクトだよ! 「正則性公理を追加しないと矛盾する」というのと同じレベルというが
公理を追加して矛盾がなくなる訳がないのは論理体系が如何なるものか学んだことがあればすぐに分かる。
集合論の言語に定数記号や関数記号がないからと言って項が変数だけになることはそんな簡単なことではなく一部の集合論の専門家でないと分からない。
両者を同列にしてあげつらうのは悪意があると考えるのが通常の感覚だ。 言語の拡張による理論の保守拡大のことを考えれば
φとかωとかと同様に、一意に定義可能だったら
それは存在すると思って良いんじゃないのかな >>43
鴨のは正則性公理の存在理由にはダンマリだから、ただの愚者への見下しとなっている。 >>43
>集合論の言語に定数記号や関数記号がないからと言って項が変数だけになることは
>そんな簡単なことではなく一部の集合論の専門家でないと分からない。
??項の再帰的定義見ればすぐに分かるだろ?
>両者を同列にしてあげつらうのは悪意があると考えるのが通常の感覚だ。
正に同列、同レベルの話だと思うが、本気で言ってるの?
ネタで言ってる?(>>40も明らかに皮肉だろうし)
>>44
>言語の拡張による理論の保守拡大のことを考えれば
>φとかωとかと同様に、一意に定義可能だったら
>それは存在すると思って良いんじゃないのかな
数学の「○○と考えて良い」「○○として良い」は
その適用範囲を分かった上で意識して使っている限りではいいが
そこを疎かにして理解したつもりになった途端にトンデモ化する。
今回の某y氏(特に>>38の回答)は正にこのパターン。
哲学業界で数学に詳しくない人相手に
「技術的な理解を疎かにして」「言葉遊びに終始している」とか
色々批判しているようだけれど、完全にオマユウ状態。 >>46
『逆数学と2階算術』って Amazon で高騰してるけど、「あとで買う」に入れてたら2k円に下がったとき有ったからそのときに買ったな。
あとは図書館で借りて全部コピった。 >>46
中村 徹『超準解析とファインマン経路積分』については
大幅増補したものが『超準解析と物理学』日本評論社 https://twitter.com/georg_logic/status/433766978533076993
>>24や>>38で指摘された後でも根本的におかしいことがまだ分かっていないらしい。
「不思議な話」だって。
しかし秋吉氏が成り立つと主張する「普通の形」ってなんなんだ? わざわざRathjenの論文が引いてあって
そこにweak existence propertyとはこういう性質で〜〜とか
existence propertyとはこういう性質で〜〜とか
定義まで書いてあるのに何で読みもしないで人を叩いてるの?
>>53の神経が分からない 「循環性を受け入れる」で矢田部さん自身が定義している存在具体性と
秋吉さんが引いているRathjenの論文のexistence propertyは別物だね。
集合論の言語で前者が根本的にナンセンスなのはこれまで議論された通りだけど
秋吉さんは後者ならCZFで成立するという意味で言っているの? >>56
そんなことはないようだよ。何故ならその秋吉氏の呟きは
http://ask.fm/ytb_at_twt/answer/107955957834
を受けてのものだと思われるから。
リンクされている論文はそのものずばりのタイトルだけど
秋吉氏の引用していたRathjenの論文でのexistence propertyの定義に基づき
それが成り立たないという結果。
むしろ「普通の形」は標準的な論理学の教科書に出ているexistence property
すなわち「循環性を受け入れる」で採用している定義と考えるのが自然かと。
この「普通の形」からRathjen型は直ちに出るので、
Rathjen型が不成立なら普通の形も不成立なのは自明なので
秋吉氏がそこまで頭悪いという前提で推定するのもなんなんだけど
(そもそも変数しか項がない言語ではナンセンスなのは何度も言われてる通りで)
だからと言ってそれ以外に普通といえるほど有名なEPの定式化もないしね。 >>57
>リンクされている論文はそのものずばりのタイトルだけど
秋吉氏の引用していたRathjenの論文でのexistence propertyの定義に基づき
それが成り立たないという結果。
推敲ミス?文意が取れない。 >>58
「循環性を受け入れる」で採用しているものを存在具体性と呼び
秋吉氏の引用していたRathjenの論文で定義されているものをEPと呼んで
両者を区別することにすると
CZFではEPが成立しないというのが>>57でリンク貼ったSwanの論文の結果、
ということ。 世界の現場では、標準的な論理学の教科書に出ている普通の形のEPは集合論ではナンセンスなので
集合論で意味がある形に変更して成立不成立の研究をしている(>>53や>>57のリンク)。
対して日本の数学の哲学の中心人物たちは、
ナンセンスかつ不成立が自明な普通のEPで論じた上に成立すると主張(某Y氏)したり、
世界の現場では自明に不成立だから定義が変更されていることを理解せずに
普通のEPは成立すると主張(某A氏)していたり。
雑誌論文の中で堂々と主張してしまうY氏に比べればA氏の罪は軽いが、
変数しか項がないような言語であることに気付かないとか
「勉強不足で」で済まされるレベルではないだろう。 数学の哲学というか論理の哲学は最近活発になってきたなと思ってたのだががががが
研究ごっこ? >変数しか項がないような言語であることに気付かない
さすがにそんなことに気付かない訳無いでしょ……
こんなの公理論的な集合論について勉強し出した
一、二年生でも自明に分かることだし、一応集合論で博士号貰ってる人なんだし。
仮に勘違いしてるとしても、無意識のうちに
もう少し意味のある存在具体性のformulationと混同してるとかじゃないの?
もう少しprinciple of charityに沿って人の言葉を解釈するべきだと思う ここ最近youたちのtalkするcontentは非常にdifficultなので
take part in a discussionできなくて悲しい。 Come on. Donnt hesiate. Enjoy with kus. >>64
それじゃprinciple of charityに沿った解釈をして見せてよ
矢田部さんの場合、論文にformulationが明記されている以上
それ以外の解釈の余地はないように思うけど? > >変数しか項がないような言語であることに気付かない
>さすがにそんなことに気付かない訳無いでしょ……
>こんなの公理論的な集合論について勉強し出した
>一、二年生でも自明に分かることだし、一応集合論で博士号貰ってる人なんだし。
いや全くおっしゃる通りで。
そんなレヴェルで考えられないあり得ない間違いだからここまで叩かれている。
ふつうにあり得る間違いならここまで叩かれたりしない。
秋吉氏も、そこで初めて聞いた話題で間違えたのなら同情の余地はあるが、
それまでに矢田部さんの講演を勉強会等で聞いたことあったはずだし
自身でも集合論の証明論について講演したりしているわけだから
批判は免れない。 「俺様の研究は世界の偉い人に認められてる」アピールするのに
その研究が国際的な雑誌に出ているのを見たことないなと思ってた >一応集合論で博士号貰ってる人なんだし。
何のひねりもないお約束のツッコミで恐縮だが、世界の人生。 人生さんと比べると
「ありえない」「ありえない」と言いながらも叩いている人は愛があるなw
ask.fm等での指摘に耳を貸さなかったんだから
人生に向けられる同じ眼差しを向けるのが普通と思うが 戸田山 和久 (著)
論理学をつくる 2000/10
名古屋大学出版会
これが最良の入門書ですか? >>72
そうだよな、こんなひどい間違いに周りの研究者は何も言わなかったのかよ
(一緒に叩かれてる秋吉さんはともかく)と思うけど、
ask.fmのやり取り見ると、言ってたとしても当人が理解できないんだもんなあ >>75
俺が読んだことのある入門書の中では前原昭二先生の記号論理入門と数理論理学序説が良かった。
論理学をつくるは範囲は広いけど、それぞれの分野の専門書を個別に読んだ方が効率良いと思う。 >>70
journals.cambridge.org/abstract_S0022481200002875
秋吉さんは論文を1つきちんと一流誌に載せている その人は哲学系の人だから、Ph.Dを取ってはじめて一人前、とかいうのはややアンフェアかと 彼は既に博士号持っているみたいだから
ベテラン研究者が一二年生でもしないような初歩的な間違いをした
というわけだね 少なくとも彼の頭の中では完全に意味が通ってるし
trivialな結果でもない訳で、じゃあどういう風に
誤って意味が通ってしまっているのかを分からないと
価値のある批判は出来ないんじゃないの、と言ってるんだけど。
価値があるかも知れない誤りに対して明白に意義の無い批判を返すことになる。
こういうことを内在的理解と言うのだけど。
数学含めて理系の人はこれがどういうことなのか分かってない人が多いよね。 人生も南堂も内在的理解してやらないとだなw
少なくとも彼らの頭の中では完全に意味が通っている訳だし >>82
君がどのレスを書いたのか明記しないと意味が通らない。 >>82はまず数理神学とかを叩いている矢田部氏にこそ
その内在的理解とやらを教え諭してやるべきじゃね? なんかvariable以外のtermがないことばかり言われているが、
直観主義述語論理で知られているexistence propertyが
非論理公理を加えた理論でも成り立つとどうして考えたのかが気になる。
『循環性を受け入れる』見ると、証明なしに直ちに導けると考えていたようだが。
前スレでも指摘受けていたが
排中律を非論理公理として追加すれば古典論理がexistence propertyを持つはずで
同じ論文の別の箇所で自分で言っていることに明白に矛盾する。
existence propertyを保存するには公理の形に条件があるはずだが
その条件に言及もしてなければ満たすことを確認している形跡もない。
そもそも何の変哲もない論理式Aに対し∃xA(x)を公理として追加したら
A(t)となる項tが勝手に生成されてしかもA(t)を導く公理まで生成される
なんて考えているとも思えないのだが。 まあSkolem化って割と自然な操作だけどね。
彼がそういう事を考えていたと前提するのは無理かもしれないけど。
>>86
何事かが得られそうな場合に、
内在的理解、内在的批判をするんだよ。
明らかにナンセンスっぽかったらスルーするだけ。
数理神学云々は、私は全く価値の無い理論だと思うから無視している。
yさんの紹介してるような海外の学者の論文などは普通に価値がある論文だと思う。 紹介されている論文そのものに価値はあっても
y氏という紹介者とその紹介文は明らかにナンセンスでスルーすべきってことだろ そんなこと言ったって紹介が無きゃ知ることも出来ないじゃん
誰でも知ってる基本的な文献ばかりではないし
海外の業績の紹介って普通に業績に準じるものだよ >海外の業績の紹介って普通に業績に準じるものだよ
……。 生半可には厳しくと言ってる鴨はどうして矢田部には甘い? 確かに「生半可」って言葉がぴったりだよな
対象にしている概念そのものもがナンセンスなことに気づかなかったり
証明が必要であることを自明扱いしていたり >そもそも何の変哲もない論理式Aに対し∃xA(x)を公理として追加したら
>A(t)となる項tが勝手に生成されてしかもA(t)を導く公理まで生成される
任意の論理式Aに対して項tが存在して
直観主義論理+∃xA(x)においてA(t)が証明可能とする。
演繹定理により∃xA(x)→A(t)が直観主義論理で証明可能である。
古典論理は直観主義論理の拡張であるから:
任意の論理式Aに対して項tが存在して
∃xA(x)→A(t)が古典論理論理で証明可能 こういう人に論理学を教えさせている京都大学ってなんなんだろな 北田均さんよりだいぶマシだと思います
文系学部の講義だし 文系学部だからいいってもんでもないが
確かに北田氏と比べると非常勤講師というだけマシだな 矢田部・秋吉両氏にいま一番聞かせたい講演
鈴木信行(静岡大理)
直観主義述語論理に付加してdisjunction propertyとexistence propertyを保存する公理型について
9月16日(水)午前 於京都産業大学 充足可能な一階述語論理の式で、領域が可算であるような構造では充足できないものは何ですか? >>98
数学会かあ、なんというタイミングでこんな講演が。
世界の現場というか日本の研究の現場でも
非論理的公理を加えたら無条件にはこれらの性質が保存されないことくらい
当然気づかれている話だよね。 別に聞かせたい云々言わなくても
正に興味のど真ん中だろうから聞きに行きたいんじゃないの?
ただ仕事しながらやってる場合、平日に行われると
休みが取れるかって問題があるけどね
専業で数学をやってる人に言わせれば、
アマチュアがごちゃごちゃ偉そうにするな、と言いたくなるのだろうけど、
仕事しながらやってる立場からみると
税金使って数学をさせて貰ってる癖に偉そうなこと言うんじゃねえ!
と言いたくもなるだろうなあ え?京大の非常勤講師の給料って税金から出てるんじゃないの? ご本人がどう思ってるかなんて知らないよ?
>>102はあくまで私の考えなので 彼が税金で専業をやっていけなくなったのは淘汰の結果であって
他の件まで一般化はしないが彼に限ればその淘汰は適切だったんじゃね? あとああいう技術的な細かい話は「興味のど真ん中」じゃないと思う。
そういう面倒なところを避けつつ(仕事で時間がないから?)
でも哲学的にカッコイイことを言いたいってとこだと思う。 技術的な細部を疎かにしない人はあんな初歩的なミスを二重三重におかしたりしない。 擁護する側がまったくやる気ないから盛り上がらないね 一流雑誌に一本載っただけで英雄扱いとか
海外の紹介が業績になるとか
文系の連中って一体全体なんなの? 突然すいません,現在僕は受験生なのですが,大学の学部で数理論理学(数学基礎論)を学べる大学の数学科ってどこなどがあるか教えていただけないでしょうか?.
少し調べたのですが中々分からないので… 基本的には東大や京大に在籍しつつ
数理論理に関しては自学する、というのが良くあるパターンかと。
数理論理が強くて有名なのは逆数学とかで東北、
モデル理論で筑波、集合論で神戸大(ただし数学科ではない)
だと思います。東北と筑波では学部で論理の講義もあるみたいですよ。 論理学自体はもう先がないだろうから東大京大行っとけば無難じゃね。コンピュータサイエンス系の学科にはどちらにも論理学に詳しい先生いるし。 同じように理学部の別の学科の人は
良く知らずに数学にはもう先が無い、とか言ってるんだろうな >>112
教えて下さってありがとうございます!.
僕は数学以外の教科が出来ないので(数学も全国で僕より出来る人は割と居ますが),東大や京大は厳しいんですよね…
ですので筑波大や神戸大を目指したいと思います.
あと千葉大にも教授が居るということを聞いたことがあるのですが授業は無いんでしょうかね… 数学で必要な英語なんて高一レベルだ
筑波や神戸を目指す人ならその点は全く心配ない 千葉大には数学会で一番名誉のある秋季賞を取った
日本の数理論理の第一人者がいるにはいるが。
学部4年間だけ好きな数理論理を学んでおしまいのつもりなら
講義のある大学っていう短絡的な選択でいいが、
その後もずっとやって行きたいのなら長い目で考えて
学部で身につけるべきは数学の基礎体力。 >>121
お教えいただきありがとうございます!.
千葉大は就職率最悪みたいですが,僕は院に進むつもりですし,素晴らしい教授の元で数理論理学をやりたいとも思っているので,千葉大を第一志望にしようと思います.
大学ではやはり基礎をきちんとやるべきなんですね.ありがたいお言葉です. あっ,ID変わってますが
118と122は同一人物ですw. >>122
あのな、言ってることが通じていないようだけど
学部での数理論理関係なんて高々一つ二つの授業だけだろうし、
そんなの他所の大学から潜ればいいし取れなくても大した話じゃない。
しかもその教授だって君の在学中に別の大学に転任するかも知れないぞ。
数理論理の有無なんかで学部(院ならともかく)を決めるな、ということ。 >>124
あぁ,そういうことですか.
ということは基礎体力がちゃんとつけられる所に行くべきで,それなら出来るだけ偏差値の高い所を目指すべきということでしょうか? 最近はネットで大学の細かい情報が簡単に手に入るけれども
教員がいても一人か数人の分野だと他大学に移ることもあるし
開講科目もサバティカル等の理由で中止の年もあったりするから
進学先の選択にはそういうことを差し引いて参考程度に考えないと
後悔することになるよ 受験生からちょくちょく質問が来るようだし
テンプレでも用意してはどうだろうか?
本人の興味と分野によって千差万別の院の選択と違って
細かい分野まで決まっていない(そして決めるべきでもない)
受験生相手なら統一的な回答を用意できるんじゃないか? 「先生に相談しよう」が最も万能な解答だと思う。身もふたもないが。 基礎論の事情を知っている高校の先生はほとんどいない。
いや基礎論の存在すら。 近年でロジシャンが出て行ってしまった大学って、
北見工業大と中部大くらい?
どっちもF案件だけど。 出て行ったというか、単に研究者が一人
もっと研究環境の良い大学に移っただけじゃないの 数理論理学の未解決問題ってありますか?.
僕は超有名所のP=NP問題しか知らないのですが,それ以外に何か知ってますか?. 竹内外史先生のwikipedia小さすぎだろ誰か書けよ… >>132
en.wikipedia.orgを読もう Awodeyの圏論の和訳が出ますね
「圏論の歩き方」の単行本化も進んでいるらしい
今年のサマースクールの講義録も来年出るらしいし楽しみ 日本人の論理学は基本、独学なのかそうなのか
英語圏の記述をもりもり読むしかないのかそうなのか ある宇宙人は有限の時間の間に非加算回の操作ができます
この宇宙人が実数の部分集合の濃度をチェックしたら連続体仮説の真偽が分かるのでしょうか? >>138
ZFCからは独立で真とも偽とも言えないけど
その宇宙人が使う論理体系は推論に非可算回の操作が使える、ZFCとは異なる体系ということですか?
その体系の論理式・公理・推論規則・セマンティックスはどんな感じになってるんだろう・・・? >>138
その宇宙人が濃度を評価することができても、毎回同じ結果が出るとは限らない。 それらしい発明・発見があった場合、どのジャーナルに発表したいですか?
それともブログやkindle本なんかですましますか? 数理論理学 『鹿島亮』を用いて勉強してます
三章までの一階述語論理までは理解できたのですが、四章以降のモデル理論についてよく分かっておらず困ってます
特にモデル理論に関する"証明"がどういう意味でやってるのかつかめずに困ってます
モデルに関する言語を作ってその上で一階述語論理を用いてるという理解でいいのでしょうか?
それとも一階述語論理の証明とはまた別の証明なのでしょうか? モデルというのはある種の集合の事なので
何かしらの集合論の上での証明だと思ったら良いんじゃないの ペアノ公理系のモデルとして自然数をあげられたときには参った。
死ねよ、とも思った。 >>145
数理論理学の教科書は普通、集合論の初歩を前提としているはずだろう 全てが「基礎付け」の為にある訳じゃないからね。
特に、モデル理論の概念はあまり基礎付けとは関係無い。 集合論で構成した自然数ならいいんだよ
論理学の教科書に出てくるのはそうじゃないだろ? 論理学の教科書でペアノ公理系のモデルとして自然数を挙げたのなら、それは集合論で構成したωのことだろう
そうじゃないとしたら何なのだ? >>147
ありがとうございます
基礎付けそのものが目的でないと聞くとかなり読みやすくなりました たとえば計算機科学ではテューリング機械の計算能力を分析する。
テューリング機械を分析すれば「計算」を分析することになる、というのがChrch-Turingの提唱であるが、この提唱の是非を議論するのは哲学の仕事。
計算機科学では淡々とテューリング機械の計算能力を数学的に分析する。
その際、自然数などの存在は無条件に認める。
同様に論理の形式的体系の証明生成能力を数学的に分析するのが数理論理学。
論理の形式的体系を分析すれば「論理」や「数学」を分析することになるのか?という疑問には、数理論理学は答えない。
そういう疑問のことを「基礎付け」と言い、それを議論するのは数学でなく哲学。
数理論理学は淡々と形式的体系の能力を分析するだけ。
その際、自然数などの存在は無条件に認める。 >>151
「その際、自然数の存在を認めない」って立場はないの? >数理論理学 『鹿島亮』
ちょっとワロタ
『』を付ける所が逆 >>152
自然数の存在を認めないのは自由だけど、普通の数学をやるデフォルトの立場は「認める」でしょ。 >>155
普通の数学で?
それは違うと思う。
>>151 が言っている「その際」は普通の数学をやるときの話ではないだろう。 >>155 です。
普通の数学という言葉遣いが不適切でした。
数学を公理的数学と素朴数学に分けたとき、素朴数学のことを意図していました。
>>151 は数理論理学を素朴数学の範囲で行うことを言っているんでしょうね。 >>157
わけのわからない用語を持ち出して来やがった。 >>155 >>157 です。
公理的集合論と素朴集合論、のアナロジーです。
大学数学と高校数学、と言ってもいいかもしれません。 自然数云々というのは、考えている公理系がペアノの公理を含むかどうかの差なんじゃないか? >>160
その言いかえは、「こいつ何にもわかってねぇ」という印象を与える。 大学以上の数学でも1、2、3…は与えられたものとして使うからね
フレーゲだっけ?1、2、3…を定義して使おうとした最初の人は
公理的集合論は大雑把に言うと集合の概念を使って1,2,3…(飛んで)ω、ω+1、…と定義していく >>155 >>157 >>160 です。
>>162 確かに何にもわかってねえのかもしれませんが、
わかってねえ、ということを自覚するのは不完全性定理により原理的に無理かと。
それよりも >>151 がどうデタラメなのか、教えてください >>151 のどこがデタラメなのか聞いたのはオレだ。真似するの良くない。 自分の無理解を自覚するのが不完全性定理により
無理だというのはどうしてそうなるの?
まずはそういう濫用をしないところから始めよう。
「ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド」に載ってるような
おかしな使い方はしない方が良いよ。
それ以前のレスにも個人的異論はあるけどそれ以前の問題。 気を悪くさせてしまったら御免なさい。
真似したわけでなく、>>159 の質問に対して答えが出てこないので
デタラメと言った人に答を催促したかったのです 私が個人的に気分が悪いとか良いとかそういう問題ではなく
「わかってねえ、ということを自覚するのは不完全性定理により原理的に無理」
という言葉が数学用語の濫用だと言っているだけ。
自然数の存在を認めない立場なんてほとんどないけどね。
ultrafinitismでも個々の数の存在は基本的に認めるし。
あとこういう話題は基本的に数理論理の話題というより
数学の哲学の話題だから、そこらへんはきちんと分けて考えた方が良いと思う。
たとえば「リーディングス 数学の哲学」とかシャピロの「数学を哲学する」
とかの本に載ってるのが数学の哲学だけど、ちょっと眺めるだけでも、
いわゆる数学の一領域としての"数学基礎論"とか数理論理学とは
議論の内容や方向性が違うのが分かると思う。 >>168 (=155,157,160,165)です。
私が御免なさいと言ったのは >>166 に対してです。
不完全性定理の濫用については勉強します。
数学の哲学と数理論理を分けるべき、は正におっしゃるとおりで
それこそ >>151 の言っていることではないでしょうか まあ基本概念の定義が調べたいものの定義になってようが
そうでなかろうがどうでもいい、みたいなのも極論だけどね >>169
> あとこういう話題は基本的に数理論理の話題というより
> 数学の哲学の話題だから、そこらへんはきちんと分けて考えた方が良いと思う。
・・・
> いわゆる数学の一領域としての"数学基礎論"とか数理論理学とは
> 議論の内容や方向性が違うのが分かると思う。
上には全く同感なんだが、数理論理学を数学の哲学と混同する人間が多い原因の一つとして考えられるのは、
海外ではずっと前から哲学臭を排除して技術的な分野名としてmathematical logicを常用してるのに
日本では相も変わらず「数学基礎論」なんて時代遅れで哲学厨が喜びそうな名前のほうが
「数理論理学」よりも使われているって悪習が続いてしまってるのがある
なにしろ日本語で書かれたこの分野の最も充実した内容の教科書のタイトルが
『数理論理学』じゃなくて『数学基礎論』なんだから何をかいわんや
現代なら海外で"Foundations of Mathematics"と言えば、
「文字通り数学の基礎付けに関する内容を主題とし多少とも哲学的な議論が避けられないもの」というのが
通り相場なのに、日本の場合は単なる数理論理学の標準的な内容でさえ「数学基礎論」だからねえ
いつまでこういう(世界から見れば)非常識な言葉遣いを続ける気なのかね、日本の数理論理学者は? >数理論理学を数学の哲学と混同する人間が多い原因の一つとして考えられるのは、
あまり関係ないと思うけどな
歴史的にはほとんどずっと論理学は哲学だったんだから
哲学(史)を多少なりとも知っていれば、頭に「数理」と付いていようと論理学を哲学と関連付けるのが自然 混同を避けたいのならメタ数学と呼ぶ方が効果的なんじゃないか >>172
たいした話じゃないし、それか原因で弊害が発生している訳でもない。 こないだのサマースクールの話題の様相論理なんて
正に哲学と論理学・数学の両方に跨る話題で、
論理学とはそういうものなので仕方ないと言えば仕方ないのだけど。
「圏論の歩き方」発売されたね。厳密に論理をフォローする本ではないので
個々の例は適当に読み飛ばせみたいな事が書いてあるけど、MacLaneの本とかと同じだな。 俺がバカなのか知らないがというがバカなのは前提としてだが
なんか複数の本とかwebとかさらっても言葉とか記号の意味や関連付がグニャグニャした感じで
誰の言ってることが正しいのか全員同じ事言ってるのを俺が判んないだけなのかすらわかんね!
と言う漠然な悲しみに包まれた曖昧な悩みに対してなんか道筋を照らしてくれ >>178
大学の先生に尋ねるのが良いが、独特のこだわりを持つ先生もいるから厄介だな。 178が何を問題にしてるのかいまいち分からないけど
数学用語について言うなら、記号論理は慣例的な訳語が
決まりきっていない用語が多いので
その本に書いてある定義に従うしかない。
基本的に大学以上では、この本ではこういう意味で記号/用語を使う、
と宣言して細かい点についてはその規約に従う。
別にどの本が正解とかそういう事は無い。 >>178
自分の印象だが、
英語の専門向け教科書は self contained の概念が浸透していて
1から積み上げるように説明してくれているのが多い印象
WEBとかの、説明を端折ってたり明快に説明してない文章を読んでも
理解できないのは当然な気がする はじめまして。神戸大学の大学院で数理論理学を研究したいと思っている私大学部生です。
神戸大学で博士号を取ったら、University of Notre Dameでポスドクをやったほうがいいでしょうか? 数理論理学を志向する人間のわりにはぶっ飛んだレスだなあ 自分も人のこと言えないけど、レスの一つで能力がわかってしまうな。 「∀y y∈f(A) ⇒ P(y)」という命題と「∀x x∈A ⇒ P(f(x))」という命題が同値であることを
基本的な論理演算だけで示したいんですけど、分かる方いますか?
ちなみにAは集合で、Pは適当な述語、f(A)は{ f(x) | x ∈ A }を意味してます。 University of Notre Dameだと、1年生で基礎科目6つをやって合格しないと2年に上がれない。
だから数理論理学の研究ができるのは2年生からになってしまう。それと4月入学できないで秋しか入学できない。だから神戸大学のほうが良い。 数理論理学に興味があったのに神戸大は眼中になかった これは失敗だった 神戸大学に超優秀なロジシャンがいるようだけど
いつまでおられるのかわからないよね。 すごく別な個人的な話に飛ぶんだけど、ブール代数の勉強してたら強制法の話出てきたんだけどこれってモデル理論に足掴まれちゃったのかな >>196
文章も変な感じ
デデキントの本に震災時の政府の対応について書いてたり 突然ですまんFloating Pointって言うゲームやってて
調べてみたら浮動小数点って意味?らしいんだが、つまる所この浮動小数点って言うのはどういうことなのかね?
軽く調べてはみたんだが
72と言う数字を表すために 7.2×10 0.72×100とか言う表し方があると言う事でいいの? 123.4とか12.34のように小数点が移動するのが固定少数点で、
1.234e2とか1.234e1のように小数点が移動しないのが浮動小数点。 従ってこのスレでは、基礎的な数学の質問はスレ違いとなります。
他のスレで御質問なさるようにお願いします。 アウディの圏論の和訳本
今日書店で売ってたから買ってきた 生協で15%引きで売ってたから買って来たけど内容はちょっとガッカリ どうがっかりだったのか具体的に言えよ
ロジシャンなんだろ? ageついでに質問なんだが、このスレでは竹内外史ってどんな評価なんだ? 竹内外史はゲーデルの弟子。確か日本語でゲーデルの小伝を書いてた。
このへんじゃ評判の悪いブルーバックスで「集合とはなにか」を書いていて、
一刀斎先生がほめてた。 ゲーデルに師事した事はなくて
同じ研究所に所属していて
論文を読んでもらったり数学の議論をしたことがある、
くらいの間柄だったはずだけど どうでもいいけど、伝記を書く間柄って言いなおそうか(笑 伝記なんて直接交友の深かった人が書くこともあれば
本人と会話したこともない後世の人が書くこともあるから
それだと意図不明 循環論法によって基礎づけられた論理体系というのは作れないだろうか?
これまでの論理はAの基礎づけにBを使って、Bの基礎づけにCを使って、・・・
という階層的な基礎づけで構築されているが、
論理Lの体系内でLが無矛盾であることが証明できないなら
基礎づけはどこまで進んでも終わらず不完全にならざるを得ない
そこで線形な基礎づけでなく輪になって閉じた基礎づけを考えてみる
ざっくりした例だが、
東、というのは、西の反対の向きと定義する
西、というのは、東の反対の向きと定義する
とすると循環的定義となって西も東もきちんと定義されていないと見なされることが多いが、
この閉じたループ自体が構造を作っていると見なすと
「互いに反対の向きを持つ構造」というのを定義していると見ることができるのでは?
しかも、西も、東も、何かの土台上に基礎づけられているわけでもなく
それ自体として閉じた構造を作ることで定義を生成しているかのように見える
まだぼんやりしたアイディアだが例えば
この西東の構造を論理定項「¬」を定義するパーツのように
使ったりするような新しい論理体系を構築することはできないだろうか? どうでも良いことだが、それでは東西じゃなくて南北でも南西と北東でも良い訳で
西と東の定義になってないけどね。
218の言うようなのは公理による無定義術語の定義という意味でなら
既に今のロジックで達成されてることでしょ。
たとえば¬は⊥(矛盾)から定義できるし、⊥は¬から定義できるけど
どちらもないところから片方を定義することはできないので
この二つはお互いにお互いを定義し合っていると考えることが出来る。 確かに循環的定義自体はすでに今の論理のあちこちで見ることができる
¬から⊥が定義でき、⊥から¬が定義できて、確かにお互いを定義し合っている
でもそこから先がちがう
今までの論理では次に進むために¬か⊥のどちらかを先に定義すことで
結局は線形な定義列に解消してしまう
そうではなく¬も⊥も定義せずに進めて
¬と⊥の間に存在する互いに定義し合う関係性の構造自体を
使って何かできないかという考えです
ちょっとざっくりし過ぎていて自分でもあまり分かってはいないですが ¬や⊥の性質を規定する命題を
公理ないし推論規則として認めなければ何も言えない訳で、
221は¬や⊥のみたす命題のいくつかを公理として認めて先に進む、
という事になるより無いんじゃないの?
だとしたら今のロジックと本質的には何も違わないと思う。
なんかLawvereによると論理定項は随伴である、らしいよ こんな書き込みをしているけど圏論に関しては全くの無学で
「論理定項は随伴」の定義も何を意味するかもさっぱりです
¬と⊥が互いに定義し合う関係を表す命題を公理として認めなければ
というのは確かにそうかもしれない
純粋一階述語論理の範囲では完全性が成り立ち
かつ論理としての基本的道具がそろっているので便利だから
一階述語論理上の命題として公理を置くという
のは最初の一歩として手を付けやすそう
で、公理の置き方によって
1.矛盾する
2.無矛盾性が証明できなくなる
3.無矛盾な体系になる
という違いが生まれて
2.だと今のロジックと変わらないけど
3.ならすごいことになるも
循環論法と無矛盾性の間に何か使える性質があるか
ということだが何か新しいことはないのかな? とはいえ
一階述語論理の完全性の証明も
集合論の上で証明されることであって
集合論自体は無矛盾性が証明できないから
結局
循環論法の論理を考えるなら
一階述語論理以前のおもちゃのような論理から
スタートすべきかもしれない
2chだしざっくりした出たとこ勝負で
ポエムぎりぎりの線を論理的に適当に考えていくのは
息抜きにもなって面白いと思っている あまりにも哲学的すぎて
数学の数理論理学のスレには
そぐわない気もしてきたから
退散しようかな
かといって他に合いそうなスレも無いけど 数理論理学研究所(仮称)を作るべきだ。理研みたいな感じ(学生を指導しないで研究できる)で。 >>224
一階述語論理以前のおもちゃのような論理って何だ?
純粋に一階述語論理だけを使えば、自然数も仮定しないことになるんじゃないか? >>228
一階述語論理が使えるのは仮定していいのかな・・・良い気もするけどちょっと分からない
対象言語内にはペアノ算術が含まれなければ自然数を仮定しないと言えるかもしれないが
でもメタ言語には自然数が含まれていてその自然数が一階述語論理の導出に使われているような気がする >>229
メタな自然数を使わないって意味だよ。
ペアノ算術なんてただの理論なんだから特別な位置付けじゃない。 少なくとも一階述語論理を(何らかのメタ言語で)定義するだけなら
自然数を直接使う必要はない
だが、定義した一階述語論理の完全性を証明しようという段になると
(メタレベルで)一階述語論理が必要になるだろうし、
集合論も必要になるかもしれない
自然数は集合論の公理の上で定義できるから
集合論の公理を認めた時点で、明示的に自然数を定義していないとしても
暗黙的に定義されているも同然ではなかろうか
しかし、そもそもメタ言語を定義するためにメタメタ言語が必要になって
メタメタ言語を定義するために(ryとなるからね・・・ うんそう。それでおもちゃのようなと言ったのは
完全性の証明まで疑って(メタ)*レベルの、というか
形式論理が生成してくる前の時点の原初の論理まで
突っ込んでいくべきなのかもと考えて言った
でも一階述語論理が使えるのは考えやすいし
どちらにしろその上に循環論法で新しいものが
構築できるかということを考えるのがメインなので
一階述語論理を使うか使わないかは
どちらから手を付けてもいいんだ 一階述語論理の上に命題論理の言語Lを構成する
普通は
1)Aが命題を表す文字ならA∈L
2)A∈L ⇒ ”¬A” ∈ L
3)A,B∈L ⇒ ”A∧B” ∈ L
とやるが、
これは 1) が最初の起点となって線形定義になっている
循環論法的に L を構成するなら
1) A ∈ L ⇔ s(A) ∈ L
とやって A が L に含まれるとも含まれないとも定義せずに
構造 s からのみ決定されるようにする
・・・ことなんてできるか? A∈L ⇔ ”¬A” ∈ L
A,B∈L ⇔ ”A∧B” ∈ L
が成り立ってることに気付いてないのか?
これが成り立つから論理式の構成に関する帰納法が使えるんだぞ ああ 234 を書いている時点では失念していた
4) 1−3 で定義されるもののみが L の元である
と >>235 はほぼ同値なのかな?
まあ既存の論理の中にすでに循環的な構造がたくさんあるというのは
>>221 でも書いた通り確かにそうだけど
じゃあ循環論法的に行くならどうかというと
1) を消して 2) 3) を >>235 に置き換えた言語がどうなるか?
ってことになるのかな メタレベルの議論は捨てて、都度構成すればいいんだよ。
それで言えない主張は、一般に成り立たないとすればいい。 当然というか、残念ながらと言うか、論理的安定性は捨てる。
つまり、同じ論理を使っても同じ結果が導出できるという保証はない。
3の次が必ず4であるとは言えない世界だ。 その論理的安定性というものは通常どうやって保証しているの? 明らかに自分よりバカな男を見て気持ちが落ち着いている自分に気付いた
ある種の癒しキャラだな >>239
そんなものは通常暗黙の前提としている。別に保証されているわけではない。 >>239
(以降、論理的安定性が保たれた体系のみを考える)
という条件を付けるだけじゃね? 上のレスは哲学的な議論などではなくて
ただの曖昧で不明瞭な議論だと思う。
哲学的って、別に曖昧だということではないからね。特に分析系は。
循環論法も何も、一般にことばは、事物の直示的定義などを除けば
語の意味は循環的に規定されていて、
各語の意味はその使用、用例によってのみ定まっている。
こんなことはWitgensteinが半世紀前に考え尽くしていたことだと思う。
>>223
>3.ならすごいことになる
というなら、実際に無矛盾な公理系を作ってみて欲しい。
話はそれからだと思う。
そもそも数学的公理無しの述語論理は無矛盾性が証明できるし、
数学的理論でも自然数論を含まなくて良いなら
無矛盾性が示せるような理論はそれなりにある。
何がやりたいのか不明。
それからメタ言語を定義するためにメタメタ言語が……
とか言ってる人は、meta/objectとsemantics/syntaxの区別が
付いてないことが多いと思う。semanticsとはmetaなもの、
objectはsyntacticalなもの、みたいな適当な理解をしている気がする。 >>244
「みたいな適当な理解をしている気がする。」
とか言うんのではなく、メタとは何のことで、そこで何が成り立っているのかハッキリ述べてみては? >>244
そうかな。自分では理解できているつもりだけど
>meta/objectとsemantics/syntaxの区別
semanticsは意味論 syntaxは統語論 どちらもメタレベルの話だね
意味論は文の意味に着目する議論のこと
統語論は文の構造に着目する議論のこと
数理論理学だとモデル理論は意味論寄りで証明論は統語論寄りなのかな?
objectって議論の「対象」という意味でもあるんだろうけど
具体的な「物体」って意味でもあるんだろうね
とりあえず書いてみたけど、
「object languageを対象として議論するのはメタレベルの話である」ということと
「object languageを定義するのにmeta languageが必要」ということには
あんまり関係がないと思う(全く関係がないという訳でもないと思うけど) >上のレスは哲学的な議論などではなく …
>哲学的って、別に曖昧だということではない
同意。自分は気をつけているつもりだったけど
哲学の語を不用意に使っていたらスマン
>循環論法も何も、一般にことばは、…
>語の意味は循環的に規定されていて、…
>こんなことはWitgensteinが半世紀前に考え尽くしていたこと
半世紀にすでに考えられていた、は同意。尽くしていたかどうかは不明。
循環論法の考えで論理を何らか拡張できれば
その点に関しては考え尽くされてはいなかったことになる。
>話はそれからだと思う。
いや、話はそれで終わり、
それから、ではなく、それが最終目標。
すぐに最終目標を示すか、示せなければ去るか、の選択では
あまりにも全か無か過ぎるだろう。 >>244
あ、読み間違えていたかも
> 実際に…を作ってみて欲しい。
> 話はそれからだと思う。
何か作ってみる、話はそれから、というならその通り。
1つ作ってみたやつが >>234-236 ではあるが・・・汗
まだおもちゃみたいであるがどう思う? 否定論理(というのがあるかは知らないが)の言語 Ln を
Ln-1): ├ B ∈ Ln ⇔ "¬B" ∈ Ln
で定義する。B はスキーマで何らかの文字列であるが
単体では B ∈ Ln とも ¬(B ∈ Ln) とも指定しない
という循環論法の論理を考えてみる(?) 悪いけど個人的ポエムは他所でやってくれないかな
どう思うと言われても内容の無いレスだな、と思うとしか言いようがない それはこのスレの総意かな
まあこのまま反応が無ければ去ります 総意なんてない。署名が回ってくるわけでなしね。
ただなんと言うか、こういう定理が出てきました、みたいなものがないと、
それこそおもちゃみたいな性質でいいからそういうものがないと、
もう一つ面白味が伝わらない面はあるな。 今月の数セミのしょっぱなの記事にも書いてあったけど
第一階述語論理の恒真論理式は全て決定可能かつ導出可能(ゲーデルの完全性定理)
第二階述語論理の恒真論理式の中には決定不可能なものが存在する、つまり恒真であっても導出可能でないものもある(ゲーデルの不完全性定理からの帰結)
ということなんやね。 導出可能な論理式であるためにはまず決定可能でないといけない。
自然数を含む論理体系だと恒真であっても決定不可能な論理式がでてくる。
つまり恒真であるのに導出不可能な論理式がでてくることになって完全性が言えなくなる。
なので(広義の述語論理に対する)不完全性定理と呼ばれるようになった、んじゃまいか。 論理よりも自然数の方が基本的な概念だとされてるの?
自分の感覚だと自然数はだいぶ派生的な概念で、論理をきちっとしてから段階的に導入していくものと捉えていたんだが。 フレーゲが言い出したことだが数は対象じゃなくて性質というか述語の述語。
例えば0だったら
(Fを満足するxは存在しない)
O(F) : not(∃x.F(x))
みたいなかんじで述語の述語Oを数0とみなして論理体系上で数論はては数学全体を構成しよう
というのが論理主義の大体の妄想。
数セミ記事にも書いてあるが二階述語論理だといろいろ定義できるようになってその顕著なものが
自然数を自前で定義できるようになるというところだ。
というわけで、ゲーデル論文において、自然数を含むような論理体系というのは暗に高階述語を使える
論理体系(二階述語論理、ヒルベルト的には広義の述語論理)のことを指しとる、というのが当時の暗黙の了解だったんだろう。 >>262
>というのが論理主義の大体の妄想。
妄想なんですか? 妄想。数学の基礎付け論争の勝者は結局ブラウワーだった(とようやくわかった)から。
「基礎付け論争の勝者はいない」といっとった人の文庫本を強くプッシュしとったが
それはもう完全に撤回する。ちゃんと調べたらいろいろおかしかったし。もうすんませんだわ。 啓蒙書というものは色々な意味で危険だ
啓蒙書しか読まない人は、著者の思いもよらない勘違いをすることがある あんたらの一部が圏論にこだわる理由は数学の基礎付け言語として二階の論理じゃなくて
圏論で(形式主義的に)できるんじゃないかという妄想があるからやね。
妄想だし出典示されない噂話で分野全体が歪むからやめてほしい。
自分の分野で道具として使いたいと思ってる人が使えなくなる。 集合論で圏論を展開できるし、圏論で集合論を展開できる
代数であるかどうかは見た目の問題 あんたらがなんでそういう(”形式主義的な”)数学の基礎付けにこだわるのかというと
要するになにか数学的対象の存在の「確信を持った主張」を行いたいからっしょ。
普通、自分の判断に確信を持たせたいという場合にはなんか努力して調べるとか勉強するとかで
担保させるもんだけど、(事情は実は薄々わかっているのだけど)それができないので、
物理のシミュレーションみたいに基本となる方程式を入れてそこから導出(計算)するようなイメージの形で、
その確信を持って主張したい数学的な言明を(他の他者に対抗できる形で)根拠付けたい、とかそんなとこでしょ。
なんでそういうシミュレーションを行う道具としてのシミュレーターみたいなもんがどうしても
ないと困るわけで、それが「数学基礎論」の道具立てであったり「ケンロン」の道具立てだったり
ふらふらふらしてる。 >普通、自分の判断に確信を持たせたいという場合にはなんか努力して調べるとか勉強するとかで担保させるもんだけど
数学の基礎付けってそんな日常的なレベルの話だっけ…? 他の他者に対抗できる形、というのはおかしいな、他者に突っ込まれたときに対抗できるように
だな。 >>275
自分の主張の確信を数学の基礎付け問題に帰着させようとしてるからそういう疑問が出てくる。
普通に数学的な言明を確信をもって主張したいだけなら単に勉強するか、調べるかすればいいじゃん。 君にとっての数学の基礎付けというのは日常的・個人的なレベルの話なんだね
おそらく君は誰とも噛みあわないよ >>278
そうだよ。当たり前だろ。100年近く前の論争の結果がそうだ、という話なんだから。
あんたらは誰とも噛み合ってないという感覚を延々と受け取るわけはそういうわけなんだって俺はいうとるの。 皮肉が通じてないのか
君の言ってるのは基礎付けではなくて(個人が)数学的概念をよく理解できるかどうかというだけの話だよ
「基礎付け」と無理矢理結び付けて、おかしいとは思わないのか >物理のシミュレーションみたいに基本となる方程式を入れてそこから導出(計算)するようなイメージの形で、
>その確信を持って主張したい数学的な言明を(他の他者に対抗できる形で)根拠付けたい、とかそんなとこでしょ。
>自分の主張の確信を数学の基礎付け問題に帰着させようとしてるから
純粋に疑問なんだけど、君のこういう偏見はどんな経緯で産まれたの? >>280
俺の仮定は、数学的概念がよく理解できるようになるためには、まず数学の基礎的な概念を
よく理解している必要があるという推論(ここまでは妥当)を進めすぎて数学の基礎付け問題に
帰着させとるやつらが一定数いる、ということだ。
なんで答えればそういう仮定で話をしているから。 萎らしくなったと見せかけて、ただの開き直りだね
>>275への返答が偏見によるものでなくて何だと言うんだ
言うに事欠いて「そういう仮定で話をしているから」か
呆れて物も言えねえ 偏見だ偏見だというわりには、よくあそこの部分が重要な主張だと一瞥するだけでよくわかったね。
こんなにすぐ何を言っているのか正確に理解されるなんて予想だにしていなかったよ・・・。
多分、本当にひどい偏見であるのならば、慧眼の>>285 以外には、そんな偏見にまみれた話の
主旨なんてすぐには理解できないよ、そういう見方を持ったことがある人を除いては。 ところで、>>279の「100年近く前の論争の結果がそうだ」とは何のことだ?
100年前の論争をしてた数学者達も
よく理解している必要があるという推論(ここまでは妥当)を進めすぎて数学の基礎付け問題に帰着させとるやつら
だった、と言ってるようにしか解釈できないんだが >>284
重要な主張だと見抜いたのではなく、君が明らかにズレたことを言い出したから、思わずツッコミを入れたんだよ
明らかにズレてると分かる程の偏見だということだ
そういう見方を持ったことがない者こそ、すぐに違和感を覚える
皮肉というのは普通、言ってることは正しいけれど裏の意味を持たせたもの、であるべきだろう? >>286の最後の一文は君の渾身の皮肉に対する批評だよ
はっきり言わないと君には通じないだろうから、念のため 数学の基礎づけなんて食品のトレーサビリティと変わらない。
経路をはっきりさせることは有益だがそれ以上のものではない。 アンカー間違えてたな>>283だった
>>285
そこは単に数学の基礎付け論争の勝者はブラウワーだという話を言ってる。ヒルベルト追悼文でワイルがそう総括もしていた。
数学的言明の確信は形式的証明の有無じゃなくて、人間活動として直観に由来しているというほうが妥当だ、というのが今の俺の主張だし。
過去の論争の結果になぞらえてみただけ。混乱させただけであんまりよくなかったかもしれん。 >>289
ワイルは偏見の強い人だから、その発言は根拠にはならない。 とにかく、いい加減まわりに引っ張られて思ってもないことを公的に言うのはやめてくれよ。
原子核工学の建造物がどうのこうのとかにも対抗できくなってる遠因はそこだぜ。なんの因果か
骨折り損のくたびれもうけだぜ。 百年前は、実際にある論法が数学で認められるか否か、
というレベルで一流の数学者の間に意見の齟齬があったんだよ。
Zermeloの整列可能性の証明もそうだし、
Hilbertの不変式論の論文もそう。
Weylは彼自身が直観主義者だから、彼の言う事を
言葉通りに鵜呑みには出来ない。
こないだの集団的自衛権反対デモで、
民主議員や支持者の言う、法案は可決されたが
実質的には勝利した、という言い分を
疑いなく信じるようなものでね。 基礎論論争は、数学は人間の直観に根差したものか
そうでないか、という論争じゃない。そうではなくて、
数学に堅固な基礎を保障するために認められる
概念や証明法の範囲は如何なるものか、という論争。
Brouwerはこの問いに、数学的対象は
人間の心的構成に根差していなければいけないから、
非構成的な概念、例えば選択関数やら排中律やらは、
数学の論法として排除される、それによって数学の
確かさが保障される、と主張したのでしょ。
どうして彼が勝利したことになるのか謎。
現代に彼が蘇ったら、二一性の直観とかの
自分の直観主義が欠片も残ってないとか怒りそうな気がするよ。 数学の論法に反省の目が向いたのは当時物理学が全盛で経験による検証が席巻していたからだろうかね。 学問に最終的確定はありえるのか、無ければ学問が司法に取って変わることはできない、
という問題意識があったと思われる。 数学を基礎づけるというのも変な話だ。
実際に構築して見せれば誰からも文句は出ないのだから。 その「構築する」とは何か、どんな方法が許されるか、ということを問題にしているのだが >>297
2の2^65536乗を10進法表記で書いてみて。 >>299
諦めるべきだ。
だが、無から自然数概念を構築する可能性はあると思う。 なんだかこれを連想したな。 「道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」老子 ただし論理的公理とか推論規則とかの規約は(形式化されていれば)好きなだけ設定してもいい。その点では無とは言えないのかも。 その規約を設定するときに自然数概念は使っていいの?記号列の操作とか >>303
それはダメです。
それ認めたら教科書にある通常の数学の展開になってしまう。 ん?記号列の操作?
操作はできるけど再現は出来ない、と言い換えます。 >>306
そうですよ。
できるだけ弱い仮定からどこまで数学が作れるか考えてるので茶化さないで頂きたい。 結局記号列という概念が歴史的所産という話になっちゃうんだよね原始的にやろうとすると 「論理的安定性」とか、3の次が必ず4とは言えないとか意味不明だから。
当然そういう言葉の意味は他人も分かっているという前提で話しされても
ポエムのようなものにしか聞こえない。
そのポエムのようなものに対して、正確な意味も定まらないままで
議論みたいなことをしようとしている人が居るのも不思議。 >>309
はあ?
物事には順序というものがある。俺は少しずつ前提を揃えていこうとしてるだけだ。
言語を導入して、規則を導入して、自然数概念を獲得して、と段階的にな。
途中の段階では常識的な前提条件が得られていないのもしょうがないだろ。 >>310
「順序」「段階的に」ね…
「3段目の次は4段目」とは言えないんだろ? >>311
そうだよ。だからなに?
自分の意見を言えよ。
「3の次が必ず4になるとは言えない」のどこが意味不明なんだ?意味は明確だろ。
それに対して
「そんな世界はあり得ない」とか
「そんな世界を考えても得るものはない」
とかいう意見ならまだ議論にはなるが。 >>312
>「3の次が必ず4になるとは言えない」のどこが意味不明なんだ?意味は明確だろ。
明確じゃないな。
3の次が4じゃないとして、どうなったらID:HrL9QQrmは満足なんだろう?
4を飛ばして5にしたいのか、4を5と呼ぶことにしたいのか、2に戻るのか、0や1に戻るのか、
「たくさん」ということにしたいのか、4以外なら何でもいいのか…
ID:HrL9QQrmが何をしたいのか分からないし、やる意義も分からない。 「3」「4」「次」
この三つの意味が不明瞭だしな
というか、これが例えなのか、それとも喩えなのかすら判断しづらい ID:HrL9QQrmは「3の次が4になるとは限らないモデル」を実際に構築してみたらどうだ?
もちろん、「3」「4」「次」の意味が他人にも分かるような書き方で >>314
何をしたいか?
それは論理的安定性が保証された世界を実際に作ってみせることだよ。
俺だって昨日証明したことが今日も有効で、3の次が常に4だと思ってはいるが、それは単にそう確信してるに過ぎない。
記号と公理と推論規則があるだけでは論理的安定性なんて一般には導けない。人間が勝手に確信してるだけさ。
一般には無理だけど、論理的安定性が保たれていて自然数概念も存在できるような世界を一つ見つけられればいい。 >>317
その「論理的安定性」って何なんだよ。
ID:HrL9QQrmは、どうなっていたら「論理的安定性が保証され」ていると思うんだ? >>318
論理的帰結がいつも同じであること。言い換えると推論に副作用がないってことかな。
どうすれば保証されたことになるか?それは難しいな。 >>323
そりゃ算盤があったら状態の保存から演算からいろんなことができるからな。 3の次が必ず4になるとは言えない世界でどうやって算盤を使う? >>326
算盤のある世界ではそりゃ成り立つんだろう。 なこと言われても少なくとも私が住んでいる
この世界には現に算盤はあるんで……
自分の世界にはあるという確証が無いとか異世界から書き込まれても、
こっちも327が住んでる異世界で何が確かで何が確かじゃないのかなんて知りようがない だいたい状態の保存って何だよっていう
別に常識とされていることを疑うなって話じゃなくて
掲示板に何か書くんだったら極力、他人が読んでも意味・意図が通じるような
書き方をしろってだけの話なんだけどな
いきなり3の次は必ずしも4じゃないかも知れないとか言われても
「はあ?4の定義は"3の次の数"じゃないの?そもそも何が言いたいんだ?」
という反応になるのは当り前 >>329
論理の公理とか推論規則「だけ」しかない世界を考えているのさ。
ある時ある結論が証明されても、次にやったとき同じ結論が出るとは限らない。
チューリングマシンみたいなものを例に出せば、紙テープのある場所に1と書いても次に見たときには1とは限らない世界さ。
公理と規則「だけ」しかなくて、状態が保存されなきゃこうなる。 自然数にこれを当てはめると、昨日求めたS(3)と今日求めたS(3)はどうも違う性質を持っているようだぞ、となる。
これでは自然数概念が安定的に存在できるとは言えないだろう。 で、脳とか算盤とか紙テープなんてものが用意されてない一般の世界で、自然数概念をどうやって獲得するか、を問うている。 「昨日求めたS(3)と今日求めたS(3)はどうも違う性質を持っているようだぞ」
と記憶は脳内ないし心の中に都合良く保存されることになっているのも変な話で。
いずれにせよそういった「今日太陽が東から登ったからって
明日太陽が東から登るとは限らない、それは根拠の無い仮定に過ぎない」
の類の、世界の斉一性に関するヒュームの議論みたいな話は
論理学じゃなくて哲学の話だと思うのだけど。
そりゃ論理や数学よりもっと根本的な話なのかもしれないけど、
論理学・数学の話題ではないと思う。
ぎりぎり論理学の哲学の話題ではあり得るかもしれないが。
論理学や数学をやってる人にそういう話題振ったって仕方ないと思うよ。 「〜である」という命題自体と「『〜である』と我々が認識する」ということも
明らかに水準の違う話で、論理学は前者に関する探究だけど
332の考えていることはどちらかと言えば後者だと思われる。
つまり、論理的事実や数学的対象を我々が認識しうる為には、
認識の対象の(或る種の)斉一性がなければならないか、みたいな認識論の話題。
あと、実在する紙テープのような物理的対象は、
時間経過とともに存在の在り方を変えるけど、
論理的概念や論理の法則はそういう範疇には属さないとする考え方の方が一般的だと思う。
332みたいな思考が無意味だという事ではないけど、特異な感覚だと思う。
哲学ではこういう何を自明視して何を疑うかということは
明示的にはっきりさせた方が筋の良い議論だと見做される。
そこらへんを曖昧に済ませた方が、哲学を知らない人は上手く騙されるから
うまい議論だと思ってしまいがちだけどね。
哲学板で振られた話題だったら私もこういうレスを躊躇なくするけど
ここは数学板だからなあ。 もちろん「一般の世界」にいつまでも居たって面白い結果は出てこないので、論理的安定性の保たれた通常の世界で数学をやりたい。
だがその前に、「通常の世界」を一般の世界の中に実際に作ってみせる必要がある。そうしないと凡てを自前で揃えた事にはならないからね。
論理的公理と推論規則だけから生成されうる複数の世界の中に、通常の世界を見つけることに成功すれば、
「自分はこの世界の人間なので、ここで数学をします」
と宣言してしまえばいい。 >>335
「論理的安定性」で何を言いたいのかは結局分からないけど、
いずれにせよたぶん「凡てを自前で揃え」るのは無理そうだから諦めたら?
ゼロから堅固な基礎を築くのは無理だ、というのが前世紀前半の
基礎論の分野としての結論だろうし。 数学基礎論としては、そもそもそんな類の議論はしてないんじゃないかな 議論してないというか、議論をする必要があると誰からも思われてないよね 方向性はともかく、とりあえず一歩進めるために
>「3の次が4になるとは限らないモデル」を実際に構築してみたらどうだ?
たぶん ID:vR+zhsWp は口では「あーでもないこーでもない」と言いつつ、
実際には「あれ」や「これ」なんて欠片も考えてないタイプの人でしょ >>338
数学基礎論としてそういう議論があったとも無かったとも、俺は言ってないよ?
あくまでも俺の問題。
>>337
全てを自前で揃えなくては、俺は全くもって満足できないのでね。
これは聞きかじりだし信じているわけではないけど、宇宙論で「人間原理」ってあるじゃないですか。
無数の世界があるけれど、自分は人間が存在できる世界にしか存在しえない。
パラメータがある数値の場合がこの世界だった。だからこの世界のパラメータはそういう数値だ、みたいな。
それと同じような話なので、それほど特異な考え方でもないと思う。 宇宙論の例でいうと、人間原理で満足するとしても
「このパラメータの場合は今のこの宇宙になる」という確認ができないとダメだ。
論理的安定性の保たれた通常の世界を実際に作ってみせる、というのはそういう意味だ。 >>340がバカというのは
「3の次が4になるとは限らないモデル」を実際に作ることが「3の次が必ず4になるモデル」を作ることと同じく難しいことだ、
というのを分かってないから言っている。 万能機械が既に全能性を獲得しているのに
条件を緩めたところで得るものは無いだろう そういう進化論的説明を考えるなら、logical harmonyの話とか割と関係ある話なんじゃないの?
p |- p tonk q、 p tonk q |- q という論理結合子tonkが何故ダメかという話で、
導入則と除去則が可逆な関係になってい
論理定項の付加が保存拡大になっていることが論理の特徴だ、とかそんな感じの話
新しい記号についてのトートロジーが
世界についての新しい変な(非通有的な)情報を付け加えないことが、
論理の法則が、世界について独り善がりな決め付けせずに、
ただ世界の在りようを効率良く捉え、ヒトの行動に反映させる為の
道具として機能する為に必要で、
だから我々は一階述語論理のような推論法則を真理と考えるように進化した、
とかありそうな話で。
Lawvereの随伴としての論理定項というのも正にそういう話
可逆性だけじゃなくて推論の方向性に対する何かしらの対称性も要求してるけどね >>344
単に関数が一価か多価かという話だよ
ひょっとしてモデルという言葉を難しく考えすぎてるんじゃないかな
モデル理論でいうところのモデルだよ 自分は不満だと表明すると周りが反応してくれると思っている。
僕は赤ちゃん好きだから反応するけどそんな奴ばかりじゃない。 Cherylの誕生日ってのが以前に話題になった。
論理の問題として面白かったね。 誤解があるといかんので断っておきたい。
「論理の公理と推論規則しかない世界で〜」とか「論理的安定性は保証されておらず〜」と何度か発言したけど、
前者は信じて後者は疑うというなどというスタンスを取っている訳じゃないです。
公理とか推論規則は単に規約として導入されるものとして考えています。自分は真理概念は持っていません。
論理的安定性は「成り立つのか、成り立たないのか」という真偽の問題になってしまい、規約として導入するわけにはいかないと思っています。 いや、規約主義を採って
論理の公理や推論規則はただの便利な規約だと考えるなら
自然数概念だって獲得も何もなくて、ただの便利な規約に過ぎないだろ
と思ったけど、もう良いや さすがに板違いだし
さすがに言語哲学大全 II を今から読み直して考え直す気はしないし 自然数概念を規約としては書き切るのは無理ではないか? 言語哲学大全 II の
「数学的真理は規約によって真であるか?」
のとこにもそんなことが書いてあるけど、
そもそも我々は書き下しえないものとしての
自然数という一つの概念を本当に共有しているのか?、
共有しているとするならどのようにしてそんな超越的な対象について
共通了解を共有しているのか?って話だよね >>355
日常的にみかん1個、2個・・・と数えたり、店だったら商品の個数ごとに販売したり、
今の予算編成とかでもお金対象で計算している。それぞれその関心対象の自然数論を展開して
いるわけで、その関心対象に関する自然数論というか関心対象の数え上げは確実に存在している。
それを前提の上で、
・みかんが1個、みかんが2個、・・・及びその自然数論
・商品が1個、商品が2個、・・・及びその自然数論
・お金が1円、お金が2円、・・・及びその自然数論
の抽象
・「 」が1個、「 」が2個、・・・及びその自然数論
の空白「 」を省略表現として、自然数の存在と自然数論の妥当性は言えるだろう。 答えてなかったな、
その関心対象を抽象化した自然数論について共通了解があるかどうかは推論するしかないが、
関心対象を明示したかたちの自然数と自然数論は(社会通念として共有しているといえるのなら)
個々に共有しているもんだろう。そのための小学校じゃね。 「書き切るのは無理」というのは不完全性を
念頭に言っているんだろうから問題にすべきなのは
「すべての n は〜〜」という形の文の
真偽が本当に定まっているのか、ということ。
例えば群とは何かということについても今の数学では共通の了解があるけど、
「群」というのはただ一つの定まった対象ではなくて
加法群としてのRのような無限群もクラインの4元群 {1, i, j, k} みたいな有限群もある。
「どうやって」「唯一の対象として」共通の認識が成立しているのか、ということが問題。 唯一の「対象」じゃなくて、唯一の「性質」でだろ。
自然数なり群はあくまで性質であって、個別具体的な対象で日常的にその性質を利用した操作を
行っている人だったら個別具体的な対象の性質として(付属物として)その存在は確固としているだろう。
推論を進めて、共通してその性質をとらえられるもの一般に関してそういう一般性質(自然数とか群)が
存在するというのはなんとか認められるけど、それが性質じゃなくて対象ですとなると
実体もなんもないんだからそれは別次元の話になるぜ。
つまり、
「群」という性質が見出せる、ということと「群」という対象が存在する、
との言い換えの間には、方便です、というには大きなギャップが存在するんじゃね。 あと群というものに対する共通の認識というものはないと思う。
あくまで共通する(抽象した)ルールが存在してそれを共通して使っているという事実だけから
共通認識があるのではないかという話になっているだけだと思う。
なんつーか説明しずらいけど法律で窃盗犯を取り締まる取り決めに該当する人は「窃盗犯」の
くくりに入るけれど、窃盗の方法も様々で、あるスリを念頭に「窃盗犯」を知っていても、
ある空き巣を念頭に「窃盗犯」を知っている人の間で共通する認識と言われれば、
それはあくまで法文で示されている窃盗行為を行った人という共通性しかない、みたいな。 同型を除いて一意的であると言えるかどうかを問題にしてるんだよね?
よく分からんけど、その「規約」とやらを書くのに二階論理や集合論を使ってはいけないという縛りでもあるの? 別に359に大きな異論無いけどその言い方だと
N で成り立つ命題って、性質についての性質になるでしょ。
議論領域に属する対象に関する性質それ自体も
新たに対象であると考えるのが
集合論の(クラスに関する)外延性公理であったり
単純型理論だったりするんだと思うけどね
358で言いたかったのは、「 N で成り立つ命題の範囲について
共通の合意があったり、 構造 N が範疇的であるかのように見えるのは何故か」
ということ。集合論のuniverse V では既にそうではないのに。
理由としては356も触れているような現実の日常的な操作に根差していることが
大きく寄与していると思うけど、それを根拠にΠ1文、更にはもっと量化の複雑な
Πn文、Σn文についても完全な合意があると考えて良いのかどうか。
つまり、自然数論でも将来的に連続体仮説のような、意見の分かれる
独立命題が出て来る可能性は決して排除されていないし、排除され得ないように思う。 二階の対象ではあるけれど、認識を問題としているのであれば、個体じゃない性質は
社会通念として対象とはみなさないし、人間にそんな性質や概念を確固とした対象として認識する
機能はないからそうしたまでで。形式的存在ということであればいくらでも対象とはできるだろうけど
どう認識すればいいかという話からは完全に乖離する、つまり実践的応用は利かなくなる。
集合論のuniverse Vとかは知らんな。そもそもそれは認識云々の対象とできる形式体系なのか?
数学的に正しく建造されたもの==意味論的に認識できるもの
とは限らないし。それにそういう構造なんだから別に認識として外れたものが形式体系から
出てきても別にかまわんだろ。 成程ね。人間は、或る意味で手続き的な形で自然数という概念を把握しているだけ、
ということか。確かにそれっぽい。
>>361
完備アルキメデス順序体の構造は一意であるというDedekindの定理があるけど
これは、要は一意性を背後で使ってる集合論の強さに押し付けただけ。
だから実際は実数の性質に関する独立命題なんて腐るほどあるし、
人間の思ってる「実数体」は一意だとは全然言えない訳でしょ。
根本的な解決になっていない。
二階論理も同じ。こういう気持ち悪さがあるからこそ、こそQuineは
二階論理は論理の皮をかぶった集合論の一種だ、とか言ってたんだと思う。 なんというか素朴な不可知論を深淵であるかのように捉えている。 あなたが主張しないといけないのは
ignorabimusだから駄目だという個人的願望の表明ではなくて
このようにして我々は知ることができる、という実際の方法だよ >N で成り立つ命題の範囲について共通の合意があったり
そんな馬鹿な でも N ではこういう命題が成り立つんじゃないか、
その証明は〜〜だ、という主張に大して
その証明は〜〜という原理を使っているから不当で、その命題は成り立たないんじゃないか、
という反対説が出て来て数学者間で論争になったケースとか、
この二千数百年の間に無かったんじゃないかと思うけどなあ。 >>367
>ignorabimusだから駄目だという個人的願望の表明
頭おかしいわ あんま関係ないかもしれんが、分析哲学系の人はこれから来ると思うよ。
文系学部整理とか話出てるし、分野横断研究しなきゃという話になっとると思うし、
言語哲学と数理論理学の関係なんてまさにその代表みたいなもんだから。
実際観点がいいと思うし。 >>371
限定算術って、別に一般の帰納法は原理として不当だから
制限しましょうというようなものではなくて、
計算量理論との関連とか、もっと技術的な興味の下で
研究されている分野だと思ってたけど。
証明能力を調べる研究対象としての理論が弱いだけで、
メタ数学での証明には普通に帰納法を使っている訳だし。
Peano算術の無制限な数学的帰納法を採用しないのは
そのどういった部分が怪しいと考えているのか?、とか言われても
限定算術の研究者だって当惑するんじゃないかな。
厳格な有限主義者が採用するのが限定算術、みたいに考えてるとしたら
それは端的に間違いだと思う。 >>373
限定算術と計算量が結び付いたのはBuss以後だよ。 そりゃ限定算術というものを導入したのがそもそもBussなんだからそうでしょうね。 ごめん、帰納法の限定的使用と計算量理論が結び付いたのはBuss以後と言いたかった。 日本ウィキペディアでのUniverse、凄いまとめ方してるなと思ったら英語版を翻訳してたのか スコープを越えた記憶を持たない。
グローバル変数がない。 素敵なメンズがみんなでお祭りを開催♪
URL貼れないから
メーンズガーデン ってググってみて
※正しいサイト名は英語。 素朴な自然数(加法と乗法)が無矛盾だという仮定を置けば
ゲーデルのあれが消えて集合論も無矛盾と言えるのでしょうか?
どうでしたっけ? まず論理学をきちんと勉強しなよ
矛盾したり無矛盾だったりするのは数とか数の為す構造そのものではなくて、
数などの数学的対象に関する言明の集まりだよ
だからロジックでは公理系が主役
あと定理が消えるってどういうことだよ
意味不明 集合論のモデルはデカすぎてここに書くにはユニバースもといスペースが足りない >>385
言いたいことはわかるが、その表現だと「数とか数の為す構造そのもの」には矛盾が含まれない、と断定していることになるぞ。 あ、そっか、矛盾するから無矛盾であるという証明もできちゃうってことか 何言ってんだ……矛盾無矛盾あたりは論理学の本に書いてあるからよく見てこい…… wikiの[Monadic predicate calculus]の項目に
●Adding a single binary relation symbol to monadic logic, however, results in an undecidable logic.
●admitting even a single binary function letter results in an undecidable logic.
とあるのですが、この2点をきちんと勉強するのに良い参考文献はありますか? >>390
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/3540423249/ref=mp_s_a_1_1?qid=1449581762&sr=8-1&pi=SY200_QL40&keywords=GurevIch+classical&dpPl=1&dpID=41LRm4v7KgL&ref=plSrch
とかに出てそう ちょっと高価な洋書ですが検討してみます。ありがとうございました。 >>393
いわゆるfirst order logicのdecidable fragmentsというやつだからそれで検索していけばなんか出てくるんじゃないか?
たぶんminsky のcounter machineに帰着できるんだろう
携帯からなので適当なことをしらべず書いてるだけだし
図書館で見れないならわざわざ買わなくても.... どっちもKalmarの1930年代近辺の業績っぽいですね
原典はドイツ語っぽくて、392の本にも触れてありそう
前者の決定可能性についてはLowehheimも1915年に得ていたとか そうですか。
いまは健康状態がアレなんで、また元気になったらいろいろ調べてみようと思います。
どうもありがとう。 数理論理学ってどこから入るのがやりやすいんだろうか 俺は松本和夫から初めたけど少し微妙だったのかもしれない 不完全性、決定不能性周りについて言えば
最近だと照井先生が青土社から出してる啓蒙書と
あと数学基礎論講義とかかな
あと歴史的経緯についても一応知っとくと良い
歴史的事情については数学の専門書には書いてないから
岩波文庫の「不完全性定理」の訳者解説とか
ロジカル・ディレンマ(ゲーデルの伝記)とか 戸次さんのは好きだった。証明論に寄りすぎなきらいはあるが ラッセルのタイプ理論は集合論を含むものだから侮れないものがあると思う。
それと前原の数理論理学やゲーデルの不完全性定理の原論文でもタイプ理論を
使って説明しているから知っていて損はない。手っ取り早く知りたければ、
三浦の「ラッセルのパラドックス」がお勧め。
あとフレーゲは最近数学の方面でも再評価されているらしい。そこら辺ところは
足立の「フレーゲ・デデキント・ペアノを読む」がお勧めかな。 一階述語論理って最近は等号(=)を論理自体に述語として含むようになったん?
メンデルソンで勉強したので等号を後から追加で定義していく流儀に慣れている
単に慣用かもしれないがその辺の慣用の変遷について何か知ってる人いたらお願いします >>407
例えば集合論ZFCで
X,Y,Z を集合とするとき
「X=Y]とは「(∀Z)(Z∈X ⇔ Z∈Y)」を意味するものとする
のように
「=」を“使われていない述語”として実体を「∈」で定義するような場合 一階述語論理の等号って何
一階述語論理といわゆる「等号を持つ理論」(ペアノ算とか)を合わせたもの、ということじゃなくて? こんなんがアマゾンのレビューにあって笑ったん
STSさんのレビューにあるようにレーベンハイム=スコーレムの定理などまでサラリと述べられており、
モデルの理論の入口まで案内してくれるという面白い本です。
論理学に不慣れな人は、論理学独特の表記に慣れておくためにも、他の論理学の書籍も参考にするといいでしょう。
(寧ろ通読の後、論理学の基礎を学んでからもう一度読むほうがいいかもしれません。)
さて、世の中には「脱背理法論者」という困った教義を掲げる人たちがいます。
個人で勝手にやっているのは自由なのですが、「イイガカリ」の類で誤解を広めるのは害悪であると考え、彼らによる、ある特定の間違った批評に、
多くの人が惑わされないように「背理法」の記述に関して解説させてもらいます。(本書のレビューそのものはSTSさんのものを参考にしてください)
脱背理法論者の主張や行動には大まかに以下のものがあります。
(1)背理法は証明すべき事柄の意味内容を直接的に追っておらず(ある解釈論において)
意味が理解できないから初学者にはそれを用いた証明を極力示すべきではない。
(2)一般の意味での修辞、「背理法によってしか証明されない数学的定理がある」という文言に執拗に噛みつく。
(3)背理法を用いてなされた正しい証明は背理法以外の方法によっても正しくなされる(これは正しい)。 こういった主張をつまみ食いで繋げることによって、論理学を専門に学ばない人たちや理系の初学者に脱背理法のドグマを布教しようというのです。
さてこれに反論しましょう。
*(1)について:ある命題や集合が標準論理(古典論理ともいう)での概念において無限などを含み、
あるいは具体的概念の構成が困難なほどに複雑であったり巨大数を含んでいたりという場合はそれらを含む証明は
「有限の立場」「構成的な立場」などからは厳密な意味を証明の流れから理解できないということがあり得ます。
また、否定や補集合などが論証の流れを複雑にしている場合もあります。
これは背理法という間接証明(の一部)のみがその証明の直接的意味を理解できないという訳でもなく、他にもそのような例があるということでもあり、背理法のみが糾弾される理由はありません。
また歴史的には直観主義論者や構成主義論者なども、背理法ではなく無限の扱いにこそ悩んだのであり、そのとばっちりが排中律に向かったともいえます。
(結果として良いことと悪いことがあったともいえます。)
また理系・理学を志すならば素朴であっても抽象的論証に慣れておかねばならず、「証明中の各段階の意味(概念)が具体的に想起できなくとも、
その証明が計算として正しいことが理解できる」ということも大事です。
寧ろ、背理法などの伝統的レトリックから初学者を遠ざける甘やかしは初学者のためにならないといえます。背理法がキライだというのは自由ですが、教義とするのはイタダケマセン。 *(2)(3)について:確かに「P→(矛盾)を示せば¬P」という構文形式の背理法のみを考えるならば、
これを用いて証明されるならば、この構文を用いずとも証明可能であるというのは事実です。(当たり前のことですが。)
ここで「背理法」という古くからの証明法に由来する言葉の意味を整理しておきましょう。
まず、ある命題を直接に正しいと証明することが困難であるか煩雑であるような場合に「間接証明」という発想が生まれました。
ここで「間接証明に用いられる背理法」とは「広義の背理法」としばしば呼ばれることがあり、一般の意味で用いられる「最も妥当な背理法の解釈」であり、これは以下の意味を含んでいます。
(a):Pを仮定して(矛盾)が導ける から ¬Pを結論付ける
(b):¬Pを仮定して(矛盾)が導ける から Pを結論付ける
ここで間接証明に重要なのは(b)であり、これが無くて(a)だけならPに¬Pを代入しても「¬Pを仮定して(矛盾)が導ける ならば ¬(¬P)を結論付ける」
となるだけで二重否定は消えません。つまり¬Pを仮定して矛盾が導けても¬¬Pしか導けず、間接証明としては使えないのです。
ここでもう一つの「背理法」という言葉の解釈として(a)を指す場合もあります。(a)は「否定(¬)の導入の公理」と呼ばれ、
形式が背理法の形であるので「背理法の原理(という公理)」とも呼ばれることがあります。
以下「広義の背理法=(a)+(b)」を「間接証明の背理法」、「否定(¬)の導入の公理」を「公理の背理法」とも呼ぶことにします。(一般的な用語ではありません)
さて比較のために、対偶法も考えます。対偶法も間接証明に用いられるのですが、「定理としての対偶法の原理」と「間接証明としての対偶法」は、やはり背理法と同じく異なるものです。 標準論理ではなく直観論理においては「二重否定の除去の公理」あるいは「排中律の公理」を認めないのですが、
「否定の導入の公理」:P→(矛盾) から ¬P が導ける
「否定の除去の公理」:P∧¬P から (矛盾) が導ける
は扱えます。これらを主に用いて、「定理としての対偶法の原理」が導かれます。つまり、
「定理としての対偶法の原理」:P→Q から ¬Q→¬P が導ける
です。これも同じく間接証明として用いるならば「二重否定の除去の公理」などの標準論理の解釈が必要で、
これらを認めないならば 「¬Q→¬P から ¬(¬P)→¬(¬Q)」でしかなく、P→Qと¬Q→¬Pは同値とは言えないのです。
つまり「間接証明の対偶法」は「二重否定の除去の公理」などをメタに要請されている解釈だといえます。
ここで、脱背理法論者が用いる「背理法を使わない証明」はこの「間接証明の対偶法」を用いて書き換えていることが多く、
「二重否定の除去の公理」などを扱える標準論理の範囲で論じているのです。しかし先に述べましたように、背理法には「間接証明の背理法」と「公理の背理法」の少なくとも二つの解釈があり、
脱背理法論者も「間接証明の対偶法」を用いる限りは「公理の背理法」を排除できていません。これを排除するには「間接証明の対偶法」を公理にするしかないのですが、実質「二重否定の除去の公理」を含む標準論理の体系と同等です。 さてこれまでの説明によって、「間接証明の背理法」とは「否定の導入の公理=公理の背理法」+「二重否定の除去の公理」ということは理解されたと思いますので、
実質は「間接証明の背理法」とは「二重否定の除去の公理」によって体系を標準論理として特徴づけられる(つまり直観論理ではない)方法の一つに数えることができます。
したがって「間接証明の背理法」を公理のように扱うことも(古代の偉大なる先人に倣って)妥当だといえます。
蛇足ですが、公理として「二重否定の除去の公理」と「排中律の公理」のどちらかを選択するかは好みの問題なのですが、それなりの違いを書いておきます。
「否定の導入の公理」ではPと¬Pとは「異なる」という関係にあると決めているといえます。
メタに自然数の概念を認めるとしまして、n∈Nとし、ここで多重否定としてP(n)=(¬^n)Pを考えますと、
P(0)=P, P(1)=¬P, P(2)=¬(¬P), ,P(n)=(¬^n)P,
となります。
「排中律の公理」の言いたいことは「全てのnにおいてP(n)はPか¬Pのどちらかに限る」ということです。
また「二重否定の除去の公理」は「nが偶数ならP(n)はP、nが奇数ならP(n)は¬P」と言っているのです。これで分かるように後者の方が強い公理です。 このように公理にも個性があり、どのように公理を選択するのかは流儀の問題であって、それらの流儀の違いを認めるのならば、殊更に「背理法によってしか証明されない数学的定理がある」という修辞法に噛みつくことは意味を成さないといえるでしょう。
これはある意味で正しく、ある意味で間違っている訳ですが、文脈からそれらを理解することが大事なわけです。そういった解釈の引き出しを学ぶことも理系・理学では重要です。
解釈が変えられるという自由さとそのことによる不便さの兼ね合いをとるために素朴な意味での公理というものが考え出され、多くの先人たちによって洗練され、
それが一応の形式に対する解釈の指標となってきたのでした。その意味では形式はそれに意味を与えるメタな解釈論がなければ単なる記号の羅列であるということを忘れてはなりません。
さて、著者が「 概念のなかには, 定義が何かもとになる概念の否定として定義されているものがある. 略 ということを仮定し,矛盾を導くという以外の方法はない.」という文言を書いておられるのですが、
これに対して[Jimmy_N_A氏]と[NK24氏]が批判していることは全く頓珍漢な揚げ足取りであり、つまみ食い論法による不当な評価であり、この本への侮辱であります。
ここまで読まれた方ならば、この本の著者が該当箇所で書いているのは「否定の導入=公理の背理法」のことであり、ヨハンソンの最小論理でもない限り、
矛盾命題を用いた「否定の導入」とは公理であり通常は必須といってもよいのだと理解できるはずです。もし論理学からのアプローチで超準解析の触りに興味があるのなら、実際にこの本を手に取って、彼らの批評の頓珍漢さを確認してください。 著者の江田氏は該当箇所で「背理法によってしか証明しえない」とは一切書いておりません。飽くまでも否定の導入による証明から始まって、
通常の背理法の解釈は(a)+(b)であるとしつつ、否定の導入の公理も背理法と呼ぶ場合があるときちんと書いておられます。[NK24氏]は明らかにまともに読んでいません。
Jimmy_N_A氏などはおそらく、とある理系の玄人であるかその教え子であると思われますが、論理学を基礎から理解していません。おそらく書評でもまともに読んでいないでしょう。
この本の草稿段階で上江洲忠弘先生なども関わっており、彼らはそういった先生方にも喧嘩を売っていると考えてよいです。
最後に、論理学の本は大抵難しいものです。難しいという感覚もほかの数学の分野とだいぶ違います。論理学に不慣れな人はこの本を読んでもおそらく躓くでしょう。しかし、あきらめずに幾つかの他の論理学の成書で勉強しながら合間に戻ってくるのも良いと思います。 (追記)
論理学の教科書を読む時間のない方々にも即席で脱背理法論者の詭弁の構図を説明するならば、実数の連続性公理というものを思い出してください。
幾つか学ばれたかと思いますが、例えば「デデキントの切断公理」や「上(下)に有界な集合は上限(下限)を持つ」、「アルキメデスの原理+コーシー列の収束性」などの幾つかの公理によって実数の連続性を特徴づけたかと思います。
ここで脱背理法論者の言い分と比較できるように「実数の連続性とは『デデキントの切断公理』以外によっては説明しえない」という表現を考えれば、それは誤りだといえるでしょう。
しかし、背理法はこれとは別の事情があります。
背理法という言葉の解釈は何も断りがなければ、
(a):Pを仮定して(矛盾)が導ける から ¬Pを結論付ける
(b):¬Pを仮定して(矛盾)が導ける から Pを結論付ける
の両方が自由に扱える弁証の方法論を指します。
なぜなら、古来からの弁証の方法論として、一般の意味での背理法とは間接証明に用いられるものであり、Pという命題の正しさを直接に示すのが困難であるか煩雑であるような場合にPの否定から出発する論法だからです。
ここでPの否定から出発しているのにPそのものの正しさを証明できているといえる根拠こそが標準論理(古典論理)と呼ばれる解釈体系のなかでの「二重否定の除去の公理」であったり
「排中律の公理+否定と矛盾の諸公理」」であったりするのですが、(a)を「否定の導入の公理」、(b)を「背理法の公理」と呼ぶ場合に(a)+(b)をまとめて公理としても呼び方が違うだけで同じことなのです。
そして、各学派や教科書の方言で(a)を背理法と呼んだり(b)を背理法と呼んだりすることがあります。しかし方言であるからと言ってそれが間違いだというわけではなく、それぞれの場面でそのように名称を定義さえしていれば間違いではありません。 それは背理法という弁証法のなかで「否定の導入の原理」に本質を見るのか(b)の方に本質を見るのかの視点・流儀の違いでしかありません。
例えばコンパクトという表現においても素朴な点列コンパクトの発想と一般位相のコンパクトも文脈で判断する場合があるのと同じことです。
そして脱背理法論者のいう「背理法を使ってなされた正しい証明は背理法に依らなくても正しくなされる」という言い分は実数の連続性公理の例えで言えば、
「デデキントの切断公理によって説明される実数の連続性は他の方法によっても示される」と言っているだけのことです。例えば「アルキメデスの原理+コーシー列の収束性」や「アルキメデスの原理+区間縮小の原理」などで示されるわけなので当たり前のことです。
事実、彼らの示す「背理法を用いない証明」とは「否定の導入」+「否定の除去(矛盾の導入)」+「排中律」であったり「否定の導入」+「二重否定の除去」
であったり、「選言三段論法の原理(矛盾からはあらゆる命題が導かれる)」+「排中律」などで書き換えているというだけのことです。
背理法を(a)+(b)もしくは(b)として、さらに公理として扱うのなら上記の書き換えはその意味での背理法の原理によって導かれることになります。
一般的な理解としてはそれで十分であり、論証としても妥当です。だから普通の数学をやる上においてはその理解で何ら問題はありません。
彼らは自分たちが扱う背理法の解釈を明白に定義せずに特定の書籍の文言を抜き出しているに過ぎません。
竹内外史先生の記述に同様の言葉がありますが、もちろん脱背理法論者の言うような意味で使っているのではありません。 >>411
何で長々と貼るんだ。
しかも何の本のレビューかも書かずに。
人に伝えようという気のない、独りよがりの愚か者。 コピペすることが生きがいのキチガイっているからね。
その類いだよ。 URLか書名だけ書けば1レスで良いのに無駄にスレ消費してるよね
まあそんなに流れ早いスレじゃないけどね
しかし、数理論理の教科書書いたら
背理法がどうだとか下らん事にこだわる奴らにばかりレビュー書かれて可哀相だね
直観主義だって、背理法は何故無条件に認めることが出来ないのか、
そのココロが最も大事なのに。
構成主義とかもそういう深い洞察の元に生まれて来た直観主義の解釈なのだし。
背理法を使ってるとかいや使ってないとか、そんなことばかり議論してる奴らは
そういう根本的な事が全然分かってないと思う。 >>410
実質的に、述語の入れていない一階述語論理に、
等号の述語を導入したのと同じことで、
単に習慣のちがいというだけなのですが、
最近の文献をみると「等号をビルトインされたものと考える」
という記述を見かけるので、最近はそういう習慣になってきているのかと
疑問に思ったので。
確かに等号をビルトインと考えておけば
何か非論理の述語を入れないと論理を定式化できないというようなこともなくなるので
バニラな述語論理として都合がいいと言えるのかもしれないと思います >実質的に、述語の入れていない一階述語論理に、
>等号の述語を導入したのと同じこと
意味論を考える時に、等号は大抵は、指示対象の同一性そのもので解釈することが多いので
単なる二項述語の一つとはちょっと言えないかと。
実用上、たとえば算術や集合論を考える時に、
等号公理を満たすような関係なら何でも良い、とすることは多くない。 田中尚夫の公理的集合論以外で1階述語論理から集合論を展開してる本を教えて下さい 「軽い」ってのがあまり意味がよく分からない
或る意味KunenやJechは田中尚夫より書き方は軽い
(rigorousに書いていないという意味で)
日本語の本はそもそも選べるほど多くないよ
難波「集合論」とか難波・西村「公理論的集合論」とか
一応竹内外史「現代集合論入門」とかも。
図書館じゃないと読めないけど倉田令二郎の「公理論的集合論」というのもある
あとKunenの訳書。
レベル的には倉田≦田中、竹内<キューネンって感じかな
あと竹内は限られたトピックしか書いてない 矛盾許容論理(dialetheism)が認められたら現代の数理論理学は壊滅しますか? な訳ないだろ
非古典論理ってのはそういうものじゃないよ 「認められる」という言い回しから察するに、経験科学における仮説のようなものだという認識だろうか 非ユークリッド幾何が認められたら
近代の幾何学は崩壊しますか?
とフレーゲあたりの時代の人が言ってるようなものだな。
正に、つい最近足立さんが言及してるように。 足立恒雄は志村五郎へのデタラメな批判以来信用してない 頑固な爺さん感は普通に出てるから
話半分にして自分できちんと判断した方が良いよね
まあ頑固爺は志村五郎もそうだけどさ 束縛変数と自由変数についてそれらについての説明はよくみるのですが定義は見たことが無い気がします。定義を教えて下さい。 ヒント:論理式の構成について帰納的に定義する
ちょっとテクニカルに無駄にこまごまとした部分もあるけどね 集合って一階述語論理の上になるものですよね。
一階述語論理の言語は変数の集合や述語記号の集合などからなるらしいですがこれだと循環してしまわないですか? >>438
記号の集合などは集合論でいう「集合」とは別のレベルのもので、極論すると無関係ということになるみたいだよ。
そういった概念が成立する根拠はなにもない。自然数についても同じことだと思う。 公理で許された集合操作を行えるからこそ、集合論は数学を記述するめの言語となり得る
・どんな述語に対しても、それを満たす要素だけを取り出して集合とする
・部分集合全体というものを考えることができて集合とする
など
単なるモノの集まりでは数学を記述することはできない
一方、形式的体系の中で形式的証明を行うときの「記号の集合」は単なる記号の集まり
単なる集まりであるとは、文章中の記号に対して、
これは述語記号あれは変数記号…、この述語記号とあの述語記号は別物…
と区別できるということ
文章中の記号に対して、この意味での区別ができれば十分であり、ZFのような集合操作は必要ない
だから本当の意味での集合ではなく単なる集まり
ただし、意味論まで考える場合は本当の意味で記号の集合として扱う ZFCを一階述語論理上の理論として、
文字列の為す体系として形式的に行うことを考える。
このときZFCのそれぞれの論理式φは有限の記号列だが、
変数の集合や述語記号の集合を考える時は、
φなどの対象に対してメタなレベルで物事を考えていることになる。
一方で、ZFCの中でも有限列を扱うことは出来るから、
ZFC内の対象(オブジェクト)として文字の有限列である論理式 f や、
論理式の有限列である証明 p などを考えることが出来る。
この f や p などは厳密にはあくまで何らかの
(多くの場合遺伝的に有限な)集合であることになる。
また或る式が或る理論(公理として扱われる論理式の集合)から証明可能である、
ということも同様にZFCの上で形式的に定式化することが出来る。
またモデル m が f を満たすという充足関係 satisfaction m |= f や
φのクラス M への相対化 relativization φ^M などを考えることも出来る。
後者は M |= φ と書くこともあって紛らわしく、
多くの場合ほぼ同じ議論が通用するが、これらは論理的に厳密には別物になる。
ここで充足可能性 m |= f と証明可能性については完全性定理が成り立つ。
これはZFCの上で(objectレベルで)semanticsを考えていることになる。
特にこれは、meta/objectとsemantics/syntaxの区別が違うものだという例にもなっている。
こういうきちんとしたことってどの教科書にも載ってなくて
各人がそれぞれ述語論理と集合論を勉強して気付くしかないのに
実は個々の定理の証明の細部とかより余程技術的に繊細なので、割とアレだったりする。 という訳で438に応えるなら、
「変数の集合」「述語記号の集合」と言っても
メタレベルかオブジェクトレベルで考えているかで別物なので
元のところに戻って来て循環する訳ではない、というのが答えになる。
440みたいなことって実際に公理的な集合論とロジックの教科書を買って
自分で証明の細部が厳密にはどうなっているか考えてみたりしないと
本当には理解し辛いのではないかと思うけど。 438です
勉強不足で全ては理解できませんでしたが詳しくありがとうございました ZFCの対象物と記号の有限列をどうやってマップするの? なら>>444はどういう状況を想定した質問だったの 文字の数が有限種類なら自然数論でもコードできるし、
集合論は自然数論を解釈できるんだから集合論でもコードできるというだけ。
>>438が集合論と一階述語論理が循環してないかと聞いてるから
集合論の話になってるだけだよ >>449
>一方、形式的体系の中で形式的証明を行うときの「記号の集合」は単なる記号の集まり
>単なる集まりであるとは、文章中の記号に対して、
>これは述語記号あれは変数記号…、この述語記号とあの述語記号は別物…
>と区別できるということ
文字そのものにこれ以上の性質を仮定する必要はない
例えば変数記号とは素数のことだと思えばよい
解釈は意味論の話 >>450
「これ以上の性質を仮定する必要はない」?
じゃ、ふたつの記号からなる記号の集合も常に存在するの? 記号というのは「原子」なんだよ
それ以上分解することは想定していない
「ふたつの記号(a)からなる記号(b)」というものを考えたいなら、記号(b)から長さ2の記号列(a)への写像を考えればよい
それと、紙の上に書かれた記号列(例:x_1)であっても、
理念上の数学の議論の中では単一の記号として扱う、ということも付け加えておく ひょっとして「ふたつの記号からなる記号」とは単に長さ2の記号列のつもりだったのかな
もしそうなら452の三行目は無視してほしい
奇数a、b、cを記号と思えば(2^a)(3^b)(5^c)は長さ3の記号列abcと見なせる
記号列に必要な性質は「長さ」と「i番目の記号を特定できること」だけだから
これまで記号や記号列に必要な性質と言ってきたが、これはメタ数学的議論に必要な性質という意味 ああ、ごめんなさい
「ふたつの記号からなる 記号の集合」のことだよね
今までずっと「ふたつの記号からなる記号 の集合」だと誤解してた
「ふたつの記号からなる 記号の集合」
どんなメタ数学的議論なのかによるだろうが(そもそもこのような集合を考える状況があるか知らないが)、
これは本当の意味での集合ではなく単なるモノの集まりのことだと思ってよいだろう >>440を参照
数学ではたまに群(G,*)のような表記をするが、実際に順序対(G,*)を考える必要性などなく、
台集合Gと演算*、群は二つの構成要素からなることの略記でしかない
単なるモノの集まりを集合と呼ぶのも似たようなもの 「解釈」ってのはきちんと厳密な定義がある言葉だぞ
「文字の集合」を解釈する、というのは
いまいち何を言っているのか分からない ちょっと横道にそれるかもしれないけど
お前らウィトゲンシュタインについてはどう思ってる?
やっぱり理論に関してはメチャクチャ?鼻で笑う程度なのか、それとも ウィトゲンシュタインは、言ってることは兎も角
生き方が真摯でカッコいいよね。
実存主義的論理実証主義者、という感じ。
前期ウィトゲンシュタインのあの鼻に付く独善的な感じは
それが味なので、そういうものだと思ってニヨニヨしながら読むのが
正しい読み方だと思う。
そういう感じは中期の数学論にも表れてると思う。
純粋に哲学的には、やっぱり後期の探究とか
日常言語学派とかのほうが優れていると思うけどね。 理論を知らないからって好き嫌いしか語っていない馬鹿がいますね(^_^;)
ウィトの理論知らないなら黙っててね^^; 論理哲学論考とその解説書は読んだけど?
その上で、やはりあれは独善的だとしか言いようがないし、
彼の数学論は、数学をあまり知らない人の意見だとしか言いようがない。 数学は相関関係
哲学は因果関係
因果関係は辞書式順序か 因果列の大小を距離の大小だと思えば
推移律が成り立たないことが分かる
行間を埋めれば距離が変わる 「因果はめぐる」
めぐってる時点で順序じゃないじゃん この場合、「めぐる」はあらゆる所に存在するという意味でしょうね 「数学における証明と真理 ―様相論理と数学基礎論―」が出たね。
なかなかレベルが高い本で面白い。 AFAという正則性公理を否定した公理系では循環定義が出来るってWikipediaに書いてあるんだが、何で? 数学基礎論ってもう先がないよね
ZFCで終わっちゃったじゃん ZFCで終わっちゃったってちょっと意味が分からん
474の中ではどういうイメージなんだろう 普通に考えれば、
主要な問題はだいたい解けたし新たなテーマもない
手詰まりとなりヒントも見つからない
のどっちかということだろう。
門外漢だから知らんけど。 まあ数学はどこも似たようなもんじゃないかね。感じ方は人それぞれだろうけど 恒真だがZFCでは証明不可能な、自然な命題って何かあるっけ?
ペアノ算術に対するグッドスタインの定理みたいなの。 >>478
zfcで証明できないなら恒真だと万人が同意するのは無理なんでは?
あるいみzfcの整合性はそういうもんじゃね ロジックの専門家は、集合論はCohenが強制法を開発して
やっと研究分野として始動した、という認識だと思う。
だからツェルメロ・フレンケルの時代に終わってしまった、
という認識はかなり珍しい。
群論はバーンサイドの時代に終わった、とか
解析学はワイヤシュトラスの時代に終わった、よりもっと極端。
もちろん数学の厳密で堅固な基礎付けに対する哲学と問題意識は
1940年代に終わってると言って良いのだけど、474はそう書いてないしね 堅固な基礎付けなんて無から有を産み出さない限り出来ないんだよ >>472
http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320111486
数学基礎論は数学や哲学に興味を持つ専門家および非専門家から強い関心を持たれている分野であり,
計算機科学や哲学,言語学の基礎でもあることから入門書,教科書,啓蒙書が数多く出版されている。
しかし,それらの多くは数学基礎論の古典的な結果であるゲーデルの完全性定理,
不完全性定理までの解説にとどまっており,数学基礎論の最近の展開には触れていない。
本書は、古典的な数学観,真理観を覆す見方を具体的に提案する最新の理論を紹介することで,
これまで専門家以外にはほとんど知られていなかった数学基礎論の新しく深い魅力を伝えるものである。 数理論理学か。
name っていう概念がよくわからなかったなあ。 目次だけでもどうぞ
https://books.google.nl/books?id=SJvt8ELnMakC&pg=PR7&hl=ja&source=gbs_selected_pages&cad=2#v=onepage&q&f=false 問題です。
こないだ、一番の親友に
「生まれ変わったら何になりたい?」
って聞いたら、
「ん〜クワガタかな〜」
って言ってました。
僕は、頭いいでしょうか?
論理学的に答えよ。 命題論理や有限ブール代数で
積和標準形(disjunctive normal form)と
和積標準形(donjunctive normal form)という二種類の標準形があります。
∧と∨は互いに双対ですが、直観的にはDNFの方がずっと分かりやすい気がします。
また、直観的にはDNFを求めるのは多項式の展開に、
一方でCNFを求めるのは因数分解とそれぞれ似ていると思います。
計算上、式の展開は機械的に簡単に出来るが、
因数分解はより難しいというのは、ほぼ共通了解と言って良いかと思います。
計算複雑性の面でも、3SAT問題など、両者に大きな差が出て来る場面があるようです。
以上のことを鑑みるに、与えられた式を積の和とみる見方は、
その式を和の積とみる見方よりも、より根本的である場面が多いように思われます。
某木玄さん界隈の掛け算の順序botの人達の言っている事
(多項式を書くときの、積を和より優先するルールはただの規約で根拠は無い云々)
を見ていて、そうだとしてもそういう積優先の方が便利な理由があるだろ、
と思って何となく考えた事なのですが、何かこの辺りの事情について詳しくご存じの方が
いらっしゃったら、教えて頂けないでしょうか。
高校〜大学一年レベルの初歩的な質問で済みません。 多項式の場合、和の積=0なら各因子=0の問題に帰着するわけで、結局、考察すべき対象は積の和ということになる
作用素の積の場合、積は作用素の合成なので、これも個々の作用を考察すればよいことになる
より単純な問題に還元するため「分解」した後に残った生の数式が、例えば積の和の形をしていたりするわけだ 志村氏の『数学で何が重要か』の第1章に「コの字型の原理」なるものが出てくる。
この原理は、収束する2つの数列の和数列はまた収束する、連続関数の和はまた連続であるなどの
証明で、普通に使われる。
それは数学以前の形式論理に属する原理で明白な原理なのだが、それが分かっていない学生が
案外(できる学生の中にも)多い、と言うのだが、果たしてそんなことってあるだろうか? なぁ、3か月くらいこれで悩んでるんだが...たのむ...
論理ってのはすべての基礎だから、集合論も論理に基づいてるわけだ。
一方で論理体系を作るときには「自由変数」っつう一種の「集合」を使うわけだ...
ここで卵が先か鶏が先か問題が俺の中で発生するわけよ
一番基礎になってるのはどれなんだ? >>491
どれか好きなのを選べばいい
・循環
・無限再帰
・無からの概念生成 素朴集合論は矛盾があるから使っちゃいけないことになってるんじゃ...? >>494
使っちゃいけないわけではないよ
よくない使い方があるだけで 686 :STS446:2012/09/08(土) 16:09:36.88
おっと逆だった、すまない。
訂正
>Type0=Σ^0_1=RE⊆Δ^0_1=R=RE∩co-RE=CLH1⊆Type1=IL⊆CLH2⊆Type2⊆Type3
Type0=Σ^0_1=RE⊇Δ^0_1=R=RE∩co-RE=CLH1⊇Type1=IL⊇CLH2⊇Type2⊇Type3
373 :132人目の素数さん:2014/12/28(日) 15:34:00.38 ID:3KsUA0jk
叩き台です
正規文法(Deterministic Finite Automaton)は統語論的にも意味論的にも完全
文脈自由文法(Push Down Automaton)は統語論的にも意味論的にも完全
文脈規定文法(with Backtrack)は統語論的には完全だが意味論的には不完全
句構造文法(Turing Machine)は統語論的にも意味論的にも不完全
ちなみに計算機屋の直観に過ぎず数学はあまり知らないです >>490
ほんとに「数学以前の形式論理に属する原理」だったらそんなことは起きないだろうね。
志村さんの本ちょっと見たけど、コの字型の原理の表現が形式論理的にダメだねw [
形式論理に無頓着な志村さんらしいが、あれじゃ学生もわからんはずだ。
それにあれは「数学以前の形式論理」ではないよ >>494
日本語は矛盾があるから使っちゃいけないって思うか? >>491
>>438あたりからのレスを読んでみたら?
こういう点って割と多くの人が一度は疑問に思う問題だと思う。
次の質問してる人も似たような疑問を持っている。
一階述語論理と集合論は循環していませんか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13108980443 「言語に矛盾がある」が矛盾した命題を表現できるという意味で
「理論に矛盾がある」が相反する命題が導かれるという意味だとしたら、
前者は使っていいけど、後者は使っちゃダメだと思うんだが、 >>490
「できる学生の中にも」ではなくて、
「自分では平均以上にできると自認している学生の中にも」でしょ。
書いてある事は正確に読まないと。
初等解析や初等幾何に出て来るああいう定理は、一見自明な命題だけに、
何が定義や前提として使って良くて、何が示すべき目標であるのかは、
割と自覚的に整理して考えないとはっきりしない。定義の仕方にも当然依存する。
志村五郎は自分が初めてああいう数学を勉強した
七十数年前の頃の事をきっと忘れているんだろうと思う。 >>502
「できる」でも「平均以上にできると自認している」でも主旨には関係ない。
むしろ「平均以上にできると自認している」は志村独特の皮肉蔑視の表現に過ぎないんだから、
そこは聞き流すほうが正しい読み方w
> 七十数年前の頃の事をきっと忘れているんだろう
忘れてるんじゃなくて元々形式論理はよく分かってないんだろ 結局>>496ってどうなのですか
「Σ^0_1文を表現可能なΔ^0_1理論は決定不能」が不完全性定理ですよね
Type0、Type1、Type2、Type3がチョムスキーの階層ですよね 志村が言ってるのは、将棋なんかでよくある、「問題として出されれば即答できるが、実戦では気づかなかった」ってやつだろう。
ゼミ等でコの字論法を使えば直ぐに言えることを、詰まったり長ったらしい議論で示したりする学生のこと。 >>503
もちろん「コの字論法」的な問題が分からなかったからって
必ずしも出来ない学生かどうかは分からないが、
少なくとも志村五郎は彼らを出来る学生だとは評価してないでしょ。
本当は優秀な学生だと思って高く評価しているが、
敢えて皮肉を効かせた表現をしている訳ではない。
基本的に勝手に自分の主観を織り交ぜて読まずに
書いてある事は書いてある通りに受け取った方が良いよ。
志村五郎の価値観とあなたの価値観は違うのだから。 >>506
志村はアランベイカーやグロタンディークも評価しない人だということを念頭におく必要はある。 集合という言葉で別のものが指されているってことはわかった
メタと対象があって、循環はしてないんだな。ありがとう
別の疑問が生じたんだが...メタな素朴集合論の方はなんで矛盾していいんだ?
普通にやったらすべての命題が真になってしまうから、
たぶん推論規則を制限したりなにか工夫をするのだと思うが、
メタレベルの論理体系がどうなってるのか教えてくれないか
これで疑問が全部解決すると思う >>509
俺の中にあるモヤモヤがなくなるという程度の意味だ メタな素朴集合論の方は矛盾して良いなんて誰も言ってないよ。
ただ、ベリーのパラドックス
「三十字以内の日本語で定義できない最小の自然数」は(22字)で定義されている。
やリシャールのパラドックスのことを等を見ればわかるように、
我々が現に行っている数学の水準の中では、
自分達の行っている数学の全体を完全には分析できない。これは私見では、
二十世紀初等の論理学者が発見したことの中でも最も重要な原理の一つだと考える。
だから、我々の数学の構造の骨格の玩具のような
形式的対象を定義してそれを調べる事で、我々の数学についても知見を得るしかない。
ちょうど地球そのものと地球儀の関係だと思えばいい。
つまり、形式的理論として矛盾が起こると分かっていることは、
メタなレベルでもやってはいけない。たとえば無制限な内包公理
(任意の述語 φ(x) に対して x∈P⇔φ(x) となるような P が存在する)
などは、やはりメタレベルでもただ素朴に考えることはできない。 記号の集合に対して、
「素朴集合論のうち xxxx の範囲が成り立っているものとする」
または
「自然数論の xxxx の範囲が成り立っているものとする」
とか
明確に限定した仮定を置けばいいだけのような。 メタを対象にすれば循環する
メタを対象にしなければいい
人の直観はそれが分かる メタを数学的対象でないとして、じゃあそれがどういう性質を満たすかで意見の不一致が見られるのではないだろうか。 オブジェクトレベルとメタレベルの区別って単なる慣習だと思うのだけど。
対象とメタの区別についてのメタメタな理論、とか考えだすと、
認識についての認識っていうカント風認識論の不毛に陥りそうではある。 >>512
素朴集合論という言葉で指している内容が違う気がするな
今話してる「素朴集合論」は、
「素朴集合論に矛盾があることがわかって、公理的集合論が建設された」
と言う時の「素朴集合論」とは違うのか?矛盾がない素朴集合論があるのか...? カントとかはわからんが、論理法則ってどのメタ階層でも成り立つような普遍性が
あるものじゃないのか? 普遍性とかわからんが、すべて単なる規約なんじゃないの?
個人的には自然数の性質とかにはあまり普遍性が期待できないんじゃないかと思うけど。 対象の水準とメタの水準は、両者を区別せずに混同して議論すると
容易に矛盾が出て来るからそういうものが考えられている
(というか考えざるを得ない)だけで、ただの慣行だから
それに従わなくても良い、というものではないと思うけど。
我々の知識は内部で矛盾していてはいけない、という考えを放棄しない限りは。 >>518
私は、
「自分は『メタな素朴集合論は矛盾して良い』という主張はしていない」
という部分以外では素朴集合論という言葉は使ってない。
意味の確定しない曖昧な言葉だと思うので極力使わない。
素朴集合論という言葉で何を意味するにせよ、
メタなレベルでは矛盾して良いとは誰も言ってない。
矛盾すると分かっている理論のことを素朴集合論と呼んでいるのなら
それはメタレベルでは使っちゃダメ。 通常の数学においては数学的対象を決め打ちするから
素朴集合論でも矛盾は無い >>522
俺が知ってる素朴集合論を使っちゃだめなら、また
『メタレベルで「集合」と言われたらこれは何のことなのか?(どの集合論の意味での集合なのか?)』
という問題が発生するんだが...
メタレベルでも矛盾しちゃいけないというのはわかったが、
「メタレベルではどんな論理体系が使われているのか?それは本当に無矛盾なのか?」
という点がまだわからない >>520
例えば三段論法は普遍的に成り立つはずだ
それも、ゲームのルールのように「人間が成り立つと定義したから成り立つ」のではなくて、
自然法則のように「成り立つことが発見された」種類の法則だと思わないか?俺は思う
>自然数の性質とかにはあまり普遍性が期待できないんじゃないか
そうなのか?具体的な内容を知りたい >>524
現実的には誰も気にしない、というのが答えだろう。
無矛盾性を議論するには公理化/形式化しか道はないわけで、そのルートでは無矛盾性は証明できないんだから。 例えばゼロ除算は数学的対象じゃないので定義域から外す
通常の数学においては定義域を決め打ちするので矛盾は無い >>525
普遍的に成り立つと思うのはそりゃ自由としか言いようがないけどさ。 >>528
成り立たないと主張するなら反例を挙げてくれないか
そうすりゃ議論になる >>529
うん、いま反例を探しているところ。
そっちは成り立つことの証明を準備しといてね。 >>525
なんか論理学から離れて哲学っぽい話になってしまうからアレだけど、
三段論法を成り立たせる真実が人間から独立に存在するというよりも、
人間の(脳の)構築する概念や命題の把握のシステムが
三段論法を成り立たせるように出来ているだけじゃないの?
そういうシステムが進化上ホモ・サピエンスの生存に有利だったから
そういう論理体系を我々が抱くようになっただけで。 推移律を維持しながら拡張するのだろうな
そうしないと矛盾律が成り立たない >>527
真のクラスを集合と錯覚する恐れがあるから、それだけでは駄目だよ >>532
中井拓志の小説でそんなん見た気がするな。 >>532
論理に対しては2種類の問題があると思う。
1つは、人間の思考体系、言語体系における「論理」に対して、何が正しくて
何が間違っているのかという問題。この視点では、もし三段論法が進化によって獲得されて、
人間は三段論法を信じるように生まれつき強制されているのだとすれば、三段論法は (続き)
三段論法は"成り立つ"といえる。
もう1つは、自然法則の体系において三段論法が成り立つのかどうかという問題。
俺たちが見つけた法則を検証する方法が
「あらゆる状況で実験してみて、反例が見つからなかったら暫定的に正しいとする」
しかないわけだが、この基準的には三段論法は採用するに値する実績を持っていると思う。
たとえこいつが人間に知られたきっかけが「進化によって獲得された」だとしても、
これが自然法則として本当に成り立っている可能性は否定できないはずだ 自然法則の根本(ミクロ)にあるのは(多分)ただのラグランジアンで、
それが勝手に時間発展していくだけで、「三段論法」のようなものは無いでしょう。 >>538
> 「あらゆる状況で実験してみて、反例が見つからなかったら暫定的に正しいとする」
> しかないわけだが、この基準的には三段論法は採用するに値する実績を持っていると思う。
これはナンセンスだよね? >>539
例えば、ラグランジアンに関する正しい式にはTを、正しくない式にはFを割り当てて、
真理値によって「ならば」という概念を定義する。
この時、「PならばQ」「QならばR」であるにもかかわらず「PならばR」が
成り立たないことがあるのか?
物理に詳しくないから分からないんだ、教えてくれ 大小関係や包含関係といった自然な抽出物が三段論法だと思うけどなあ >>542
相手の前提によって返答の前提を変えてるんだが、本当は俺も
真理値で「ならば」を定義するのは不自然だと思ってる
ただ、自然法則が数式で書かれてさえいれば、その「=」に対して
真理値的に「ならば」を定義できて、その意味で三段論法が正しいかどうかを
問題にすることができる >>541
たとえば未婚の未亡人は存在しないけど、
それは必然的に成り立つ物理法則だからではなくて、
未婚という概念と未亡人という概念が
ことばの意味上両立しないからでしょ。
哲学の言葉で言うなら綜合的真理でなく分析的真理だということになる。
だから、こういう事実を立証する為に町中の女性を全数調査して、
暫定的に正しいと考えられるが今後は他市町村や他国なども含めた
より広範囲での詳細な調査が必要である、
などというのはナンセンス以外の何物でもない。
同様の事がおそらく「⇒ ならば」にも言えて、
「PならばQ」「QならばR」が成り立ってて、かつ
「PならばR」が成り立っていないような状況を考えられないのは
この世界の物理法則がそうなっているからではなく、
「ならば」という言葉の意味がそれを許さないからでしょ。
もともと世界には概念とか言葉とか命題のようなものは無くて、
そういう類のものは人間が勝手に世界から彫像したものに過ぎない。
539や540に同意。 >>544
「勝手」に案外任意性が乏しいことは学問的考察に値する。 >>544
たぶん本題からそれてるが...
1.もしお前の言う通り三段論法が分析的判断ならば、
三段論法が普遍的に成り立つという俺の主張は正しい。
三段論法に反論の余地はなく、どのメタ階層においても成り立たなきゃいけないことになる。
2.もし「ならば」の真理値が規約によって与えられて、三段論法がそこから (続き)
2.もし「ならば」の真理値が規約によって与えられて、三段論法がそこから "分析的に判断できる"ものだとするならば、
a.初めに『ならば』が定義されていない状態があって、
b.それから『ならば』を定義し
c.その定義に基づいて三段論法を証明する
というステップを踏んだことになるが、これをするには
b'『ならば』という語彙が無い状態で『ならば』を厳密に定義し、
c'三段論法がまだ正しいかどうかわからない(つまり三段論法を前提としてはいけない)
状態で三段論法を『証明』しなければいけない。
できるのか? 話の流れを書くと、
・「集合論と数理論理って循環してるんじゃね?」から始まって、
・「対象の集合論とメタの集合論は別の物だから循環はしてない」ってことになって、
・じゃあ、「「メタの集合論」とかメタで使ってる論理体系って厳密に言うと何なんだ?
それは無矛盾なのか?」という話になってる。
なんだか長い議論になっちまってるが、安心してくれ、あと2日で俺は立ち去る。 メタは数学じゃないから矛盾して良い
数学は矛盾律や推移律が成り立つようにしたもの
素朴集合論は数学のみを扱えば矛盾しない やっぱ、「メタは矛盾していい」派と「メタでも矛盾しちゃだめ」派がいるよな? >素朴集合論は数学のみを扱えば矛盾しない
後出しとその場しのぎで数学の範囲を取り換える気満々だぞ、この人
そういうスタンス自体は別に悪くないと思うけど、詭弁を弄して問題を隠蔽するのはよくない >>551
「後出し」「その場しのぎ」「詭弁」「隠蔽」
こういうのを印象操作といいます。 >>552
否定的な言葉を使ってほしくないだけじゃないかw >>555
まず>>551の意味は分かる?
分からないなら説明するけど 数学・哲学の話なんだが『印象操作』とか気になるか?
新しい意見も出なくなってきたし、俺は今日を最後にここを去る。またな! すまねえE-mailのところに入れようとしたらミスった , '´ _. -‐'''"二ニニ=-`ヽ、
/ /:::::; -‐''" `ーノ
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| |::/ / / | | || | | ,ハ .| ,ハ|
| |/ / / /| ,ハノ| /|ノレ,ニ|ル'
| | | / / レ',二、レ′ ,ィイ|゙/
. | \ ∠イ ,イイ| ,`-' |
| l^,人| ` `-' ゝ | このスレには馬と鹿と豚さんしかいないのね。
| ` -'\ ー' 人
| /(l __/ ヽ、
| (:::::`‐-、__ |::::`、 ヒニニヽ、
| / `‐-、::::::::::`‐-、::::\ /,ニニ、\
| |::::::::::::::::::|` -、:::::::,ヘ ̄|'、 ヒニ二、 \
. | /::::::::::::::::::|::::::::\/:::O`、::\ | '、 \
| /:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::::'、::::\ノ ヽ、 |
| |:::::/:::::::::/:::::::::::::::::::::::::::::::::::'、',::::'、 /:\__/‐、
| |/:::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::O::| '、::| く::::::::::::: ̄|
| /_..-'´ ̄`ー-、:::::::::::::::::::::::::::::::::::|/:/`‐'::\;;;;;;;_|
| |/::::::::::::::::::::::\:::::::::::::::::::::::::::::|::/::::|::::/:::::::::::/
| /:::::::::::::::::::::::::::::::::|:::::::::::::::::::::O::|::|::::::|:::::::::::::::/ 「数学における証明と真理」の第4部の途中まで読んだけど、
様相とKripke意味論の関係の面白さを存分に伝える本だと思う。
小野先生の「情報科学における論理」にも様相論理の章はあるけど、
シーケント計算で定式化してる為にS4とかS5しか綺麗に扱えない点で問題だと思う。
Prawitzの本は自然演繹の本もS4、S5とかしか扱ってない。
様相論理は演繹定理が大域的に成立しないこと自体がポイントの一つなので
Hilbert流に定式化するのがおそらく最善なのだと思う。
様相に関する公理は、論理的な規則よりも寧ろ
数学的概念についての公理に近い性格を持つものだという事を示しているように思う。 第1部は和書の中で様相論理について最もコンパクトに、
かつ数学的に高い水準の内容まで扱っている。
p.35の(vii)は {T, B} |- ◇φ→□◇φ と書いてあるけど、{T, 4, B}の書き間違いのはず。
p.60で有限前束全体のframe classの中でS4.2が有限フレーム性を持つことの証明は
W'の定義で(v,t)に必要な条件が抜けている。元の文献[14]の記載は正しい。
第2部は誤植は少なくて精確だと思う。数学的にはおそらく、
対角線補題を使ってΣ2となるSolovay論理式を構成する所が最も本質的だと思うけど、
この部分の議論は省略されている。Solovayのような超一流の学者は、
あの直観的に意味が分かりにくい対角線補題についてもそこらの学生より
遥かに深く理解をしている事が見て取れる。
あとこの部の著者って紗倉まなの母校で教えてる先生なんだね。良いなあ。
第3部は細かい誤植が割と多いけど内容的には強制法とmodal logic of forcingの
要点だけを掻い摘んで教えてくれていて良い感じ。ただこの結果から分かる事は、
強制関係について一般的に成立する事は、T、4、.2とKと必然化しかないという事、
要は強制の二階の反復および積が単なる強制になるということ
くらいしかないという事になるので、つまり強制の性質は
それぞれ各強制概念Pによる個体差が非常に大きいということになる気がする。
この、半順序全体で成り立つ構造定理の少なさはTuring degreeとかと同様だと思う。
有限群全体の作る半順序とかとも割と似ているかもしれない。 スレチかもしらんが、
いま数セミで等式論理の連載が唐突に始まってるのだが、
いま頃(いまさら)あれはどういう意図なの?
筆者の身元も不明だしw >>564
∧_∧ ┌────────────
◯( ´∀` )◯ < 僕は、メイリンちゃん!
\ / └────────────
_/ __ \_
(_/ \_) 初学者の疑問です.
モデル論では,形式化された世界における正しさの基準を
そとの世界(既存の数学)に求めているように思えます.
例えば,論理式の充足性では,∧や∨についての真理値を
「かつ」,「または」といった言葉を用いて定義していますが,
その「かつ」,「または」とは何か?については触れられません,
また,理論の無矛盾性がモデルの存在と等価であるという性質でも,
既に数学に群論があり,それがモデルとなるので,
形式化された群の理論は無矛盾であるといった内容なら,
数学の群論の無矛盾性は誰が保証してくれるのか?
更には勝手な閉論理式の集合に対して,
その要素を普通の言葉に書き下したものを定義とする数学の分野が
存在するか否かといったことは,どのようにして判るのか?
などと問いたくなります. >>576
どうやら数学は無から有を生むものではないらしいよ >>576
前半についてはむしろ外の世界の正しさを形式化しようとしたからそういう定義になってる
後半については、理論という単語で混乱しているような。群の理論というのをその文脈で解釈すると全ての群で成り立つ閉論理式の集合だろうけどそれが無矛盾なのは群の存在には関係ないんじゃない? ゲンツェンってやつが自然数論の無矛盾性を証明したってマジ?
ゲーデルとどっちを信じたらいいんすか? 証明の前提条件を良く考えれば分かるけど
ゲンツェンもゲーデルもどちらも正しい 数学基礎論・数理論理学を勉強し始めた学生ですが、ゲンツェンの
カット除去定理の意義がよくわかりません。
カットのある証明が作れればかならずカットなしの証明も作れる、ということ
らしいのですが、カットのある体系を作ってそれがいらないことを示すのであれば、
初めからカットのない体系を作ってその性質を調べる、という考えでは
いけないのでしょうか?
それとも、カットありだと式が証明できることは容易に示すことができるが、
カットなしだと難しい、そこでカットありだと証明できることを示して、
続いてその証明がカットなしに変換できることを示す、という論法なのでしょうか?
勉強し始めたばかりなので何か的外れなことを言っているかもしれませんが、
このあたりの事情が分かる方、どうか教えていただけないでしょうか。 >>594
カットが除去出来るという証明は形式的な証明の範疇を越えているのでは? 前原昭二:記号論理入門 新装版には、オブジェクトレベルとメタレベルの区別の説明は載ってますか? >>594
カット除去定理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E9%99%A4%E5%8E%BB%E5%AE%9A%E7%90%86
>George Boolos の論文では、カット規則を使えば1ページで表せる証明(導出)があったとき、
>その解析的証明が完了するまでに宇宙の寿命より長くなる例が示されている。
>ある論理体系でカット除去定理を示すことができれば、その体系の無矛盾性をもただちに導くことができる。 数学の無矛盾性を証明することも不可能なわけではない >>598
参考になるページをありがとうございます。
カット除去定理がないと原理的に証明可能でもとてつもなく長くなって実時間では証明できなくなる可能性があること、
またカット除去定理から体系の無矛盾性が帰結すること、は理解できました(間違っていたらすみません)。
しかし、カットがあってもなくても体系の原理的な証明能力に違いがないのならば、カットありの体系を定義して
そこからカットが除去できることを証明するのではなく、最初からカットなしの体系を定義して、そこからカットに
相当する規則を補助定理のような形で証明すれば(可能なはずだと思います)、原理的な意味でも実際の証明の手間と
いう意味でも同等の証明能力を有する体系にすることができるのではないでしょうか。
そして、最初からカットがない体系というのは、もともとカット除去定理が成立しているようなものなので、
カット除去定理から帰結する体系の無矛盾性なども当然示すことができるのではないでしょうか。
つまり、カットなしの体系を定義してそこから補助定理のような形でカットが成立することを示すのではなく、実際に
行われているようにまずカットありの体系を定義してそこからカット除去定理を証明する、という方向で議論を進める
ことに、本質的な意味があるのか、それがいまいち理解できないように思います。 >>600
横からだけどカットを後から導入しようとすれば結局カット除去と同じ証明になるんでは。
その上でカットありの体系をはじめから考えるのはまあ歴史的事情もというか風習なんじゃなかろうか 数学的公理加えて拡張させたらカット除去は成り立たないしね ペアノの公理をZFの記号"∈"を用いて書いてるpdfが多いのですが
ペアノの公理とはZFの公理いくつかは既に認めた上で展開してるのでしょうか?
例えば下のようなページです
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.ozawa.phys.waseda.ac.jp/pdf/kazu.pdf&ved=0ahUKEwiZwaj4oNPNAhUHoJQKHXdeDZQ4ChAWCC4wBg&usg=AFQjCNEEAWAfyqU7sAiQcWjTN8KCbcwc3Q&sig2=uZTyP_JwE-opRxUeOlSpWg http://imgur.com/fOZoNbc.jpg
↑の画像の(3)はどうやって証明するのでしょうか?
以下のような証明を考えましたがあっているでしょうか?
また、 A ∨ A ≡ A のような基本的なトートロジーを使って
形式的に証明するにはどうすればいいのでしょうか?
【証明】
A ≡ B
B ≡ C
がいずれもトートロジーであるとする。
A ≡ B の定義により、 (A ⊃ B) ∧ (B ⊃ A) はトートロジーである。
B ≡ C の定義により、 (B ⊃ C) ∧ (C ⊃ B) はトートロジーである。
v を任意の付値とする。
(ケース1)
v(A) = t の場合。
v(A) = t かつ v(A ⊃ B) = t だから、 v(B) = t である。
v(B) = t かつ v(B ⊃ C) = t だから、 v(C) = t である。
よって、
v(A ⊃ C) = t である。
(ケース2)
v(A) = f の場合。
v(A) = f だから、 v(A ⊃ C) = t である。
明らかに、
C ≡ B
B ≡ A
であるから、同様にして、任意の付値 v に対して、
v(C ⊃ A) = t である。
以上から、
(A ⊃ C) ∧ (C ⊃ A) はトートロジーである。
いいかえると、
A ≡ C はトートロジーである。 http://imgur.com/hwcuEds.jpg
↑の画像で赤で囲ったところが分かりません。
C がある命題変数 q に等しいとき、明らかに、 p = q だと思います。
ところが、この著者は、 p = q の場合と p ≠ q の場合に場合分けして証明しています。
一体どういうことなのでしょうか? 大学学部レベル質問スレ 2単位目 [無断転載禁止]©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/math/1465307158/
で同じ質問をしましたが、回答がないため、同じ質問をしました。
↑のスレッドでもこのスレッドでもどちらでもいいので回答をお願いします。 pとqは別々にとってきた任意の命題変数
p=qの場合とp≠qの場合があり得る >>653
ありがとうございます。
何か根本的に理解できていないようで、理解できません。
命題変数を説明している箇所を見直しましたが、どうも
クリアな説明ではありません。
q を命題変数として、 C = q のとき、 C に現れる命題変数を p とすると、
q = p しかあり得ないように思います。 僕の理解では、命題変数 p とは、 p ∈ {t, f} であるような普通の変数です。
この考えがそもそも間違っているのでしょうか?
t は True、f は False です。 例えば、
f = x^2 + 2*x + 1
に現れる変数は、 x のみである、というのと同じで、
C = q や D = q ∧ q に現れる命題変数は q のみであるように思われます。 命題変数について説明している箇所をアップロードしました。
http://imgur.com/jcV2KYd.jpg
この本は、小野寛晰 著『情報科学における論理』です。 >>654
その証明ではCの部分論理式について、
もっとも単純なもの(命題変数)から順に徐々に複雑なものへと、どの段階でも定理の主張を満たすことを確かめる
という方針をとっている(論理式の構成に関する帰納法)
Cを構成する命題変数qにはpもp以外もあり得る >>668
ありがとうございます。
すみませんが、意味が全く分かりません。
q を命題変数として、 C = q のとき、 C に現れる命題変数は明らかに q しかありません。
ですので、 C に現れる命題変数を p とすると、 q = p が成り立つと思います。
↑のどこに間違いがあるのか教えていただけるとありがたいです。 x を変数として、 f = x のとき、 f に現れる変数を p とすると、
明らかに、 p = x であって、 p = y ではない
というのと同じことであると思われます。 C がある命題変数 q に等しいとする。
Cの中に命題変数pが現れているかどうかは、この情報だけでは
何も言えない。
pとqが同じ変数なら「Cの中に命題変数pが現れている」と言える。
pとqが同じ変数でないなら「Cの中に命題変数pが現れていない」と言える。 ちなみに
例1.7の(1)には「C に現れる命題変数を p とする」なんて表現はでてこないよ。 >もっとも単純なもの(命題変数)から順に徐々に複雑なものへと、どの段階でも定理の主張を満たすことを確かめる
Cを(p∧r)∨(s→t)とすれば、Cを構成するs→tやr、s、tについても、定理の主張を満たすことを確かめる必要がある
その本には今まで「論理式の構成に関する帰納法」は出てこなかったのか?
悪いけど、これ以上俺から言えることはないよ みなさん、ありがとうございます。
p ∈ {q} かどうかを確かめるのに、 p = q ならば p ∈ {q} がであり、
p ≠ q ならば p ∈ {q} でない
みたいな感じですか?
>>673
「論理式 C に現れる一つの命題変数 p」と書いてあるところで混乱したようです。
でも、それでも分かりません。
分からないのは、例1.7での p とは一体何なのか?
p が何なのか何も書かれていません。
例1.7の(1)を読む限りでは、 論理式 A および B で置き換えるターゲットとなる命題変数
のように思われます。 C = q が論理式 A および B で置き換えるべきターゲットである p であるかないか
を問うているように思えます。
で、 p は一体何なのかが分かりません。 たとえば、
C = p ∨ q
のようなケースでは、 p は C に含まれるある命題変数と言えば済むかと思います。
C = q かつ q ≠ p のときに、 p は一体何なのか?と疑問に思ってしまいます。 4)を次のように書いてあったとしたならば納得します:
p を任意の命題変数とする。論理式 C に p が現れる場合には
p を論理式 A および B でおきかえて得られる論理式をそれぞれ
C_A および C_B と表わす。そうでない場合には、 C を C_A および
C_B と表わす。このとき、 A 〜 B ならば C_A 〜 C_B。 帰納的に証明するって書いてあるんだから、定理のCと証明のCは違うものだよ
証明のCは定理のCの部分論理式を動く
pは定理のCに現れる命題変数。これは証明のCによらず、固定されている >>679
ありがとうございます。
多分、分かったと思います。 教科書の証明を部分的にしかアップロードしなかったため、
一応、すべてアップロードしました:
http://imgur.com/IorREpQ.jpg
http://imgur.com/2P0M25X.jpg
実質的に
>>679
を証明しているんですね。 訂正します:
教科書の証明を部分的にしかアップロードしなかったため、
一応、すべてアップロードしました:
http://imgur.com/IorREpQ.jpg
http://imgur.com/2P0M25X.jpg
実質的に
>>678
を証明しているんですね。 最後に一つだけ質問させてください。
定理1.4の(4)をなぜ自明の一言で済ませないのでしょうか?
通常の数学書であれば、自明と書く、いやむしろ、自明とすら
書かない、つまり何も書かないかと思います。
f, g, h を関数とし、 f = g であるとする。
このとき、 f + h = g + h が成り立つなどとわざわざ書いてある本
を見たことはありません。
論理学の本だから当たり前のことでも書くということでしょうか? これからよく使う論法を簡単な場合に用いたということ。 >>696
そうですか。
自明じゃないような面白い定理も出てくるということですね。
これから読み進めるのが楽しみになってきました。
ありがとうございました。 基礎論の本でZF公理系の導入以前に集合論の記法や概念が出てくるのは何なの。
そういうのは素朴集合論なの? 英語圏のプログラミングの本が英語で書かれてるのと同じ 俺はこれ(>>698)に関しては教科書がクソだと思ってる
初学者が絶対もつ疑問に解説がないのも、
注もなく違うものを同じ名前で呼んで見た目循環論法みたいにしてるのもダメ ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5470 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/06(土) 17:43:47 ID:???
> ¥
>
>5471 :kmath1107★ :2016/08/07(日) 06:25:49 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5472 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/07(日) 08:32:51 ID:???
> ¥
>
>5473 :kmath1107★ :2016/08/07(日) 17:43:49 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5474 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/07(日) 17:54:48 ID:???
> ¥
>
>5475 :名無しさん :2016/08/08(月) 04:30:59 ID:C9rjCaNs
> 人への念の盗み見による介入を阻むことができれば、多くの人に明るい未来が来る?
>
>5476 :kmath1107★ :2016/08/08(月) 10:05:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5475 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
> 基礎論の本
今度はPeano算術の導入前に命題論理の補題の証明で「帰納法」が出てきました・・・???
まあいいか。数学的帰納法とは別物なのでしょう。「自然言語的帰納法」とでも言えばいいに違いない。 >>730
成り立つのか成り立たないのか。問題はそこで、捉え方は二の次だよね。 自然数に関する数学的帰納法を前提とせずにそれを正当化できるか?ってことを言いたかったんだけど、
やっぱいいや ★★★『芳雄とは何ぞや?コイツに親の資格がアルのか?
⇒息子の邪魔してるだけ。そやし焼いてしまうべき。』★★★
親ともあろうものが子供の向上心を砕き、そして近視眼的で打算的な考え
から「安全パイを取って、そして安易な人生を選択させる」なんて発想を
押し付けたらダメ。
こんな考え方をスルから国家がダメになり、そして学問が閉塞するだけ。
★★★『芳雄が頻繁に連呼する「研究者としての基本的態度」とは何ぞや?
⇒中身の安っぽさをメッキで誤魔化し、偉く見せ掛ける偽善的態度。』★★★
現役の研究者を自称する理学部教授ともあろう者が、こういう近視眼的で打算的な
考えを持つのみならず、周囲の若輩にこういう安易な態度を高圧的な物言いで押し
付けるとは何事か。しかも恩着せがましい指導者を気取り、周囲に毒を撒き散らす。
こういう無責任な卑怯者は『自らの身の処し方』をきちんと考え、死を以て逃げ切
る安易な逃亡行為を行ってはならない。きちんと自分の毒を認め、そしてソレを
広く世間に知らしめ、その恥ずかしい愚かさを深く悔いなければならない。
研究者を自称する者が、こういう『科学を冒涜する態度』は決して許されない。
芳雄の様な野郎は、粉末にナルまできちんと砕いてしまうべき。こういう無責任
で卑怯な野郎には、そのケツに「無責任と卑怯者の二つの焼き印」を焼き込んで
烙印を押し、罰とするべき。きちんと烙印を押してこういう不見識者を毒物だと
社会が認識するまでは、決して安易に見逃してはならない。こういう奴が居るか
ら日本の教育がダメになる。
¥
>>593
そうなんですか?私はそういう事は何も知らないので、ココでそれをちゃ
んと解説して貰えませんかね。もしその内容を私が理解し、そして納得し
た場合に『のみ』、その「芳雄の研究業績の素晴らしさとやら」を認めな
い事もありませんがね。あの『糞みたいな人格』は別としてですが。
¥
>593:132人目の素数さん 2016/08/09(火) 16:54:15.88 ID:tButZE2x
>でも芳雄は素晴らしい研究業績を残したよね
>
>そのことについては?
> >>732
さあ?
証明できれば成り立つし、できなければ疑わしい。それだけだ。 その証明可能性を研究するのが本来の意味での数学基礎論の仕事なんですけどね
それによって、数学が根本的に疑わしい学問なのか厳密で確かな学問なのかがわかれる 現代の分類だと文学部哲学科の論理学徒の研究課題になるだろうけど
今は数学の基礎に興味ないやつも数学基礎論やるんだもんなぁ ★★★『芳雄とは何ぞや?コイツに親の資格がアルのか?
⇒息子の邪魔してるだけ。そやし焼いてしまうべき。』★★★
親ともあろうものが子供の向上心を砕き、そして近視眼的で打算的な考え
から「安全パイを取って、そして安易な人生を選択させる」なんて発想を
押し付けたらダメ。
こんな考え方をスルから国家がダメになり、そして学問が閉塞するだけ。
★★★『芳雄が頻繁に連呼する「研究者としての基本的態度」とは何ぞや?
⇒中身の安っぽさをメッキで誤魔化し、偉く見せ掛ける偽善的態度。』★★★
現役の研究者を自称する理学部教授ともあろう者が、こういう近視眼的で打算的な
考えを持つのみならず、周囲の若輩にこういう安易な態度を高圧的な物言いで押し
付けるとは何事か。しかも恩着せがましい指導者を気取り、周囲に毒を撒き散らす。
こういう無責任な卑怯者は『自らの身の処し方』をきちんと考え、死を以て逃げ切
る安易な逃亡行為を行ってはならない。きちんと自分の毒を認め、そしてソレを
広く世間に知らしめ、その恥ずかしい愚かさを深く悔いなければならない。
研究者を自称する者が、こういう『科学を冒涜する態度』は決して許されない。
芳雄の様な野郎は、粉末にナルまできちんと砕いてしまうべき。こういう無責任
で卑怯な野郎には、そのケツに「無責任と卑怯者の二つの焼き印」を焼き込んで
烙印を押し、罰とするべき。きちんと烙印を押してこういう不見識者を毒物だと
社会が認識するまでは、決して安易に見逃してはならない。こういう奴が居るか
ら日本の教育がダメになる。
¥
>>593
そうなんですか?私はそういう事は何も知らないので、ココでそれをちゃ
んと解説して貰えませんかね。もしその内容を私が理解し、そして納得し
た場合に『のみ』、その「芳雄の研究業績の素晴らしさとやら」を認めな
い事もありませんがね。あの『糞みたいな人格』は別としてですが。
¥
>593:132人目の素数さん 2016/08/09(火) 16:54:15.88 ID:tButZE2x
>でも芳雄は素晴らしい研究業績を残したよね
>
>そのことについては?
> >>76
>数学が根本的に疑わしい学問なのか厳密で確かな学問なのか
何その幼稚な両極端 両極端ではなく、互いに否定の関係にある命題を言い換えただけだと思うが 根本に疑いがないのなら確かである
何か変なこと言ってるか? いやまあ、君の誤解は理解できる
「根本的に」という副詞句には「程度が甚だしい」という意味がつきまとうことが多いから ★★★『芳雄とは何ぞや?コイツに親の資格がアルのか?
⇒息子の邪魔してるだけ。そやし焼いてしまうべき。』★★★
親ともあろうものが子供の向上心を砕き、そして近視眼的で打算的な考え
から「安全パイを取って、そして安易な人生を選択させる」なんて発想を
押し付けたらダメ。
こんな考え方をスルから国家がダメになり、そして学問が閉塞するだけ。
★★★『芳雄が頻繁に連呼する「研究者としての基本的態度」とは何ぞや?
⇒中身の安っぽさをメッキで誤魔化し、偉く見せ掛ける偽善的態度。』★★★
現役の研究者を自称する理学部教授ともあろう者が、こういう近視眼的で打算的な
考えを持つのみならず、周囲の若輩にこういう安易な態度を高圧的な物言いで押し
付けるとは何事か。しかも恩着せがましい指導者を気取り、周囲に毒を撒き散らす。
こういう無責任な卑怯者は『自らの身の処し方』をきちんと考え、死を以て逃げ切
る安易な逃亡行為を行ってはならない。きちんと自分の毒を認め、そしてソレを
広く世間に知らしめ、その恥ずかしい愚かさを深く悔いなければならない。
研究者を自称する者が、こういう『科学を冒涜する態度』は決して許されない。
芳雄の様な野郎は、粉末にナルまできちんと砕いてしまうべき。こういう無責任
で卑怯な野郎には、そのケツに「無責任と卑怯者の二つの焼き印」を焼き込んで
烙印を押し、罰とするべき。きちんと烙印を押してこういう不見識者を毒物だと
社会が認識するまでは、決して安易に見逃してはならない。こういう奴が居るか
ら日本の教育がダメになる。
¥
>>593
そうなんですか?私はそういう事は何も知らないので、ココでそれをちゃ
んと解説して貰えませんかね。もしその内容を私が理解し、そして納得し
た場合に『のみ』、その「芳雄の研究業績の素晴らしさとやら」を認めな
い事もありませんがね。あの『糞みたいな人格』は別としてですが。
¥
>593:132人目の素数さん 2016/08/09(火) 16:54:15.88 ID:tButZE2x
>でも芳雄は素晴らしい研究業績を残したよね
>
>そのことについては?
> どうも命題論理の論理式は無限に沢山あるようですね。無限に。 ★★★『芳雄とは何ぞや?コイツに親の資格がアルのか?
⇒息子の邪魔してるだけ。そやし焼いてしまうべき。』★★★
親ともあろうものが子供の向上心を砕き、そして近視眼的で打算的な考え
から「安全パイを取って、そして安易な人生を選択させる」なんて発想を
押し付けたらダメ。
こんな考え方をスルから国家がダメになり、そして学問が閉塞するだけ。
★★★『芳雄が頻繁に連呼する「研究者としての基本的態度」とは何ぞや?
⇒中身の安っぽさをメッキで誤魔化し、偉く見せ掛ける偽善的態度。』★★★
現役の研究者を自称する理学部教授ともあろう者が、こういう近視眼的で打算的な
考えを持つのみならず、周囲の若輩にこういう安易な態度を高圧的な物言いで押し
付けるとは何事か。しかも恩着せがましい指導者を気取り、周囲に毒を撒き散らす。
こういう無責任な卑怯者は『自らの身の処し方』をきちんと考え、死を以て逃げ切
る安易な逃亡行為を行ってはならない。きちんと自分の毒を認め、そしてソレを
広く世間に知らしめ、その恥ずかしい愚かさを深く悔いなければならない。
研究者を自称する者が、こういう『科学を冒涜する態度』は決して許されない。
芳雄の様な野郎は、粉末にナルまできちんと砕いてしまうべき。こういう無責任
で卑怯な野郎には、そのケツに「無責任と卑怯者の二つの焼き印」を焼き込んで
烙印を押し、罰とするべき。きちんと烙印を押してこういう不見識者を毒物だと
社会が認識するまでは、決して安易に見逃してはならない。こういう奴が居るか
ら日本の教育がダメになる。
¥
>>593
そうなんですか?私はそういう事は何も知らないので、ココでそれをちゃ
んと解説して貰えませんかね。もしその内容を私が理解し、そして納得し
た場合に『のみ』、その「芳雄の研究業績の素晴らしさとやら」を認めな
い事もありませんがね。あの『糞みたいな人格』は別としてですが。
¥
>593:132人目の素数さん 2016/08/09(火) 16:54:15.88 ID:tButZE2x
>でも芳雄は素晴らしい研究業績を残したよね
>
>そのことについては?
> お前とその議論する気ないけど、主張したいなら論じたら? ★★★『芳雄とは何ぞや?コイツに親の資格がアルのか?
⇒息子の邪魔してるだけ。そやし焼いてしまうべき。』★★★
親ともあろうものが子供の向上心を砕き、そして近視眼的で打算的な考え
から「安全パイを取って、そして安易な人生を選択させる」なんて発想を
押し付けたらダメ。
こんな考え方をスルから国家がダメになり、そして学問が閉塞するだけ。
★★★『芳雄が頻繁に連呼する「研究者としての基本的態度」とは何ぞや?
⇒中身の安っぽさをメッキで誤魔化し、偉く見せ掛ける偽善的態度。』★★★
現役の研究者を自称する理学部教授ともあろう者が、こういう近視眼的で打算的な
考えを持つのみならず、周囲の若輩にこういう安易な態度を高圧的な物言いで押し
付けるとは何事か。しかも恩着せがましい指導者を気取り、周囲に毒を撒き散らす。
こういう無責任な卑怯者は『自らの身の処し方』をきちんと考え、死を以て逃げ切
る安易な逃亡行為を行ってはならない。きちんと自分の毒を認め、そしてソレを
広く世間に知らしめ、その恥ずかしい愚かさを深く悔いなければならない。
研究者を自称する者が、こういう『科学を冒涜する態度』は決して許されない。
芳雄の様な野郎は、粉末にナルまできちんと砕いてしまうべき。こういう無責任
で卑怯な野郎には、そのケツに「無責任と卑怯者の二つの焼き印」を焼き込んで
烙印を押し、罰とするべき。きちんと烙印を押してこういう不見識者を毒物だと
社会が認識するまでは、決して安易に見逃してはならない。こういう奴が居るか
ら日本の教育がダメになる。
¥
>>593
そうなんですか?私はそういう事は何も知らないので、ココでそれをちゃ
んと解説して貰えませんかね。もしその内容を私が理解し、そして納得し
た場合に『のみ』、その「芳雄の研究業績の素晴らしさとやら」を認めな
い事もありませんがね。あの『糞みたいな人格』は別としてですが。
¥
>593:132人目の素数さん 2016/08/09(火) 16:54:15.88 ID:tButZE2x
>でも芳雄は素晴らしい研究業績を残したよね
>
>そのことについては?
> >>748
今の自分を恥ずかしく思う日が来るよ。
来なかったらヤバい。 >>750
ここで言ってもしょうがないけど、俺は反対の態度を見せたり中傷したり
するだけで一向に本題に関して内容のある論述をし始めないやつは相手にしないの
以下、お前の全発言ね。
>何その幼稚な両極端
>甘いの反対は辛いみたいな事を言ってるな
>根本と根本的の違いもわからんのに誤解とか
>今の自分を恥ずかしく思う日が来るよ。
>来なかったらヤバい。
まずこの5行を反証を書く事に使えるようになりな 性懲りもなく…
本当に「言ってもしょうがない」相手だったな ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> 通常の数学で登場する具体的な個々の証明を正当化するために、基礎論におけるメタな定理が必要になるのか?
それは「不用」だ。
個別の証明はそれぞれ有限の長さなんだからメタな帰納法を持ち出す必要なんてありゃしない。
数学そのものの正当性が基礎論に依存してるなんて発想はおかしい。 おいらの師匠の初対面でのお言葉
私の専門が○○だと考えて指導を望んでいるようですが、それは少し違います。
私の専門は数学であって、○○はたまたま現在興味を持つ分野にすぎません。
あ、私の言う数学には数理物理を含みますが基礎論と数学史は入りませんので、
そちらに興味があるなら、別の先生のところへ行きなさい。
数学の範囲に入れてない、、、 ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> 初歩的な質問ですみません
完全性証明などに現れる
任意のモデルについて真
という時の任意のモデルという考え方がよくわかりません
現存しているモデルについて真ということならわかるのですが、今後現れるだろう
未知のモデルについても語れるためにはモデルの構成の仕方(帰納的にだったり)が決められていないと
いけないと思うのですが、なぜそのようなことがいえるのか教えて下さい >>768
今の集合論学者が何を目的に研究してるのかは俺もよくわからないけど、
体系としての集合論は数学を記述する言語として機能してる >>780
モデルであるための必要条件から推論してる。
例えば、「俺の任意の妻は女性である」は、今の妻が誰だとか、今後妻になるのは誰だとか
に関係なく成り立つけど、それみたいなもん
モデルという言葉の定義から出てくる ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> >>737
> 現代の分類だと文学部哲学科の論理学徒の研究課題になるだろうけど
これはその通り
> 今は数学の基礎に興味ないやつも数学基礎論やるんだもんなぁ
「数学基礎論 (Foundations of Mathematics)」なんて大時代的な呼び方を
恥ずかし気もなく今でも平気で続けてそちらの呼び方が次のよりもメジャーなのは
日本ぐらいのもの
日本以外の世界は「数理論理学 (Mathematical Logic)」と呼ぶ
つまり論理に係る問題や諸概念を数学の手法で分析するという
この分野の技術的な実態に対応した正直な呼び方
>>730がメタ言語レベルでの数学的帰納法の使用に素朴で自然かつ素直な疑問を抱いたように
数学の基礎付けを問うことはある意味では無意味になったというのがゲーデルの不完全性定理
もちろんGentzenの無矛盾性証明に始まる還元主義的な証明論による無矛盾性の研究や
それによって得られる形式的体系の「難しさ」を表す証明論的な順序数とか逆数学の研究は
大いに意味があるのは認めるが、所詮は「なぜ対象言語レベルの数学的帰納法を疑って
その無矛盾性を示す必要があると主張するのに、それを示すさいに平気で数学的帰納法を
メタ言語レベルで無神経に使えるの?」という>>730のような素朴な疑問に対して
正面から堂々と答えられるわけではなく、基礎論屋以外の人間から見れば素朴な疑問に対して
はぐらかして正面からは答えずに誤魔化しているに過ぎない
言い方は悪いが、数学基礎論の正に「基礎論」と呼ぶべき部分の現在の姿は
基礎論のプロという同好の士の間だけで通用する価値観でオナニーしているだけと
言えないことはない >>785は自分の問題提起に自分で答えておいてまたその問題を投げかけているのでキチガイ 通りすがりで基礎論全く分からないですが、数学の中で使われてる数学的帰納法みたいなやつを数学の外の世界では正しいとして使ってるってことですか? >>780
言語が定まってれば、ある集合Uと言語に含まれる関係記号にU上の関係を割り当てるのがモデルで、任意のと言った場合、そういうUと関係の組全体を考えているということで帰納的云々は必要ないと思うが。
モデルの定義をみなおしてみたら? >>780
そもそも数学では、或る時点で存在しなかった
数学的対象が、我々の構成の時点から初めて
存在するようになるとは考えないので。
考え得る任意のモデル、くらいの意味だよ。
任意の実数、とかと同じ。 >>787
普段数学者がやってる数学の外側にメタ数学があって、
メタ数学に関する考察は普通の数学を超越する、
みたいな捉え方は数学観として誤り。
そういう主張するから一般の数学者から
基礎論は中二病患者の集まりだ、みたいに
偏見持たれる羽目になる。
実際はテクニカルなところで躓いたに過ぎない
小平邦彦とかから、ああいうのは数学じゃない、
みたいな理不尽な暴言を吐かれる事にもなる。 >>791
偏見だとは思うが、理不尽とは思わないね。 >>790
>そもそも数学では、或る時点で存在しなかった
>数学的対象が、我々の構成の時点から初めて
>存在するようになるとは考えないので。
そう考える立場もあるよ >>787から「メタ数学に関する考察は普通の数学を超越する、みたいな捉え方」を読み取ったというなら、それは被害妄想では… ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> >>790-791
そこで数学観なんてものを持ち出して説明するのは不適切だよ。 いやまあ787への返答としてはやや外れてて、
「数学の中」「数学の外」が曖昧だから
その意味をハッキリさせるのが先決だけど、
上で話題になってるメタレベルでの帰納法の話については
791 の内容で良いと思う。それに、その話題の流れを
受けての787だと思うし。 それにしてもイエスかノーかで答えられる質問になんでごたごたした答え方をするのかねえ 世の中、本当にイエスかノーで答えられる質問なんて
そう無いものだよ。
799は、自分の両親を虐待するのはもうやめたの?
「はい」かいいいえ」で答えてくれ 特に哲学的な問題の場合、話を擦り合わせて問題を定式化するのにとても労力を使うからね 数学の無矛盾性は数学者の自己申告による性善説に委ねます 数学者の自己申告による性善説とは?
こんなふうに哲学風味の言いっ放ししてたら返答のしようがないでしょ
返答のないのを都合良く捉えちゃうことだってあり得るし >>800
少なくとも>>787は言葉の定義につぃて多少の想像を交えたうえで「はい」か「いいえ」で回答可能なはず。
俺はYESと答えたが。 ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5535 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 18:53:14 ID:???
> ¥
>
>5536 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 21:08:24 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5537 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/13(土) 21:25:44 ID:???
> ¥
>
>5538 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:23:07 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5539 :kmath1107★ :2016/08/13(土) 23:41:45 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5540 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:05:47 ID:???
> かつて僕(増田哲也、痴漢で逮捕)が大阪大学基礎工学部の学部学生であった時、大学院の指導教官となってくれそうな先生を
> 探して各地のいろんな先生方を訪ねて回った時の事である。理論物理学を大学院で専攻しようとして理
> 論物理学の初歩をかじっていた僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は、当時京都大学数理解析研究所に居られた超一流の理論物理学者で
> おられる中西先生にこんな質問をした事がある。
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「理論物理学では円周率が様々な所に出てきますが、それには何か深い物理的な理由があるの
> でしょうか?」
>
> 中西先生: 「そういう事を何時も頭の片隅に置いておくのはとても大切な事です。でもそんな事ばかり
> 考えていたら研究論文が書けなくなります。研究者とはそんな甘いものではありません。」
>
> 僕(増田哲也、痴漢で逮捕) : 「は−そうなんですか−」
>
> 結局僕(増田哲也、痴漢で逮捕)は京都大学の中西先生ではなく、別の先生に大学院の指導教官になって頂き、理論物理学ではな
> く純粋数学を専攻した。しかしこの時の中西先生のお言葉は今でも何となく「気になって」いる
>
>5541 :名無しさん :2016/08/14(日) 00:22:38 ID:???
> いい加減、芳雄に謝罪しろ
> 結局のところ、基礎論で使われている「メタレベルの帰納法」とは
「我々人間の自然な論理的思考として当然容認されるべき論法の一種」・・・(i)
ということ?そしてそれ自体は定式化されないと。
帰納法以外にも『数学みたいな概念』がいろいろと基礎論に出てきますが
それらも(i)と考えるべきものであり、あくまで数学的概念そのものではないと?
(数学的概念そのものだったとしたら明白な循環論法になってしまいますからね・・・)
だとすると(i)は何によって正当化されるのかという話になりますが・・・ 「我々人間の自然な論理的思考として当然容認されるべき論法の一種」ということ?
→ No
そしてそれ自体は定式化されないと。
→ Yes() yesかnoかで答えてほしい質問に長々と前置きするやつはバカだと思うけど、
わからなくて聞いてる質問にyes/noだけで答えられてどうすんの?盲信するの? >>809
では基礎論の各種議論の正しさは何によって保障されるんですか?
例えば命題論理に関する証明の中で命題論理のような論法がよく出てきますが(「ならば」とか「対偶」とか「背理法」みたいな論法とか「同値」とか)、
これらは命題論理ではなく人間の自然な論理的思考でもないのなら何でしょうか。 証明は正しさの保証というより、考えの根拠を明らかにする意味合いの方が大きい。
トレーサビリティーみたいな感じ。 >>811
命題論理ではなく、
かつ
人間の自然な論理的思考であり、
かつ
正しさを保証などしない ゼロから何かを示すのは、数学だろうが論理学だろうが
それ以外だろうが無理だよ。
何の前提も無い所からは何も証明出来ない。
よく勉強すれば分かることだけど、
19世紀末〜20世紀初頭の基礎論論争では
論理主義も直観主義もHilbertの公理論でも
何らかの非常に単純で基礎的なシステムについては
信頼できるだろう、という事を前提にして、
その上に堅固な数学を築こうという道筋になっている。 メタレベルでの自然数の扱いとか数学的帰納法とかは、
その信頼出来ると仮定された前提にあたる。
数学の基礎付けの事を考えるとき、Peano算術などの
形式的な理論での帰納法は、その構造について探求が
為される研究対象で、メタな帰納法は研究の為の手段に相当する。
だからそういう意味では
メタレベルでの帰納法≒普通の数学での帰納法
と言うことになる。 ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>814
>ゼロから何かを示すのは、数学だろうが論理学だろうが
>それ以外だろうが無理だよ。
>何の前提も無い所からは何も証明出来ない。
"示す"ってのが「PならばQ」の型のものを指してるなら定義から「P」が必要だけど、
『判断』ということなら前提なしでいける。
ある種の自然法則は経験から得られるし、アプリオリな判断というのもある。
>19世紀末〜20世紀初頭の基礎論論争では
>論理主義も直観主義もHilbertの公理論でも
>何らかの非常に単純で基礎的なシステムについては
>信頼できるだろう、という事を前提にして、
>その上に堅固な数学を築こうという道筋になっている。
この「基礎的なシステム」というのが形式体系における公理とか推論規則とか
を指してるなら間違いで、例えば直観主義者が排中律を拒否したりするのは、
哲学的思索からの帰結であって議論の前提として置かれたものではない。
この意味での「基礎的なシステム」をHとすると、
「HならばP」の型の主張もたくさんあったけど、このHの部分を攻撃したり防御したり
する論争も普通にあったから、基礎論論争をHに関してノータッチだったかのように描く
のは不正確。
>>816
>メタレベルでの自然数の扱いとか数学的帰納法とかは、
>その信頼出来ると仮定された前提にあたる。
自然数という存在がいきなり前提となってるわけでは必ずしもなくて、例えば
フレーゲは「算術の基礎」で「数に関する知識や直観を前提とせずに、数はどのようにして
我々に与えられるか?」という問題を論じていて、文脈原理とヒュームの原理とから
自然数の存在論的身分を確定する議論をしている。 メタと対象という区別があるけど、「メタ論理として何が正当なのか」という問題に関して
何も言わない理論はなんか物足りないと思う。 >>818
そのような議論の意義は認めつつも、いまとなっては背景に押しやる必要があるだろう。
その「基礎的なシステム」というのは数学の絶対性や無矛盾性を示すのを諦める限りにおいては、
数学の基礎付けには実は必要ない、と考えている。 >>819
メタ理論がないと言えないことと無くても言えることを分けて認識したい。 ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>818
>ある種の自然法則は経験から得られるし、アプリオリな判断というのもある。
たぶんKant的な考え方を念頭に置いているのだろうと
思いますが、それに沿って考えても我々に可能なのは
物自体の認識ではなくて、物自体の一側面が
純粋理性によって加工・塑像されて得られた
間接的な認識ですよね。だからアンチノミーのような
原理的に解決不能に思われるような命題があり得る訳で。
まあこういう数学と直接関係無い哲学の話をするから
哲学嫌いの数学者に疎まれるんですが。
>この「基礎的なシステム」というのが形式体系における公理とか推論規則とかを指してるなら
そういう意図で書いたものではありません。
Brouwerの直観主義についていえば、無条件的に正しいと
仮定されるのは、我々人間による心的構成です。
>>816
>フレーゲは(略)文脈原理とヒュームの原理とから
自然数の存在論的身分を確定する議論をしている。
確かにHumeの原理と高階論理から自然数の性質を
導出するのは数学の哲学・論理学的観点からみて
極めて興味深く重要な議論ですが、ただHumeの原理が
どうして無条件に信頼出来ると見做せるのか、という
Boolos等による批判もありますよね。
何にせよFregeの内包公理(X)は矛盾してた訳ですから。
まあ御存知の話だと思いますけど。 Hilbertの公理論や、現代の数理論理に関して言っても
計算機で可能なような、有限の記号列に関する
パターンマッチングは最低限の前提とされている。
有限記号列に関する理論(≒遺伝的有限集合の理論)と
弱い算術は無矛盾等価であり、ほぼ同等のものと
見做せますから、やはり弱い算術は出発点として
仮定せざるを得ないものだと思います。 >>834
「我々人間」なんて杜撰な表現するなよ。 >>835
有限の記号列に関するパターンマッチングとは、
具体的に与えられた個々の文字列に対してではなく、
文字列一般に対して何かを言うものなの? >>836
済みませんが仰る意図が良く分かりません。
「我々」は余計だった気もします。
>>837
それは「最低限のメタ理論」をPRAのような
量化フリーなものに取るか、
PAのような全称量化を含むものとするかによって
両方考え得るのではないでしょうか。ですので敢えて
「弱い算術」という大雑把な書き方をしています。
もちろん前者の方がより制限的で信頼性が高く、
その代わりそこから言える事は少なくなる訳です、 >>834
返答ありがとう。
1,2か所かみ合ってない気がするけど意味はわかったし
書きたいことも書いたのでまたROMる ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> 数理論理学(数学基礎論)は思ったより主観的というか、人の頭で考える論理に依拠するんですね。
形式的な体系を定める事はできたが、その体系についての議論は形式化できないと。 http://imgur.com/aaNZzNA.jpg
↑は、松坂和夫著『解析入門3』の問題です。
解答を見ると、
i ≠ j のとき、 X_i ∩ X_j = φ であると仮定してよい
と書かれています。
その理由を教えてください。 >>842
|∪Xi| ≦ ? を言えば十分だからじゃない? >>843
なんとなく言いたいことは分かります。
もっと詳しくお願いします。 >>845
i ≠ j のとき、 X_i ∩ X_j = φ である、と仮定した場合の議論をもとに
Aleph ≦ |∪Xi| ≦ Aleph
というふうに挟めるってことじゃないの? ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>845
横からだが有限の場合を考えると直感的にわかりやすいんでない?共通元がないときとあるときを比べたら和集合の濃度はないときの方が大きい >>846
>>858
ありがとうございます。
イメージ的な説明ではなく証明をお願いします。 算術とかパターンマッチングは「人間を計算機と考えたときに、どのような機能が
備わっているとしてよいか?」という話であって、数学的帰納法は
「正しい知識にたどり着くにはどの推論が許されてどの推論が許されないか」という
話だからちょっと問題が違う気がする。 >>860
>>858に書いてあることを式で表現したら? >>863
A 〜 A'
B 〜 B'
全単射 f_A : A → A'
全単射 f_B : B → B'
f_{A∪B} :
A ∋ x → f_A(x) ∈ A'
B-A ∋ x → f_B(x) ∈ B'
f_{A∪B} : A∪B → A'∪B' は単射
A 〜 A'
B 〜 B'
C 〜 C'
全単射 f_A : A → A'
全単射 f_B : B → B'
全単射 f_C : C → C'
f_{A∪B∪C} :
A∪B ∋ x → f_{A∪B}(x) ∈ A'∪B'
C-(A∪B) ∋ x → f_C(x) ∈ C'
f_{A∪B∪C} : A∪B∪C → A'∪B'∪C' は単射 A'∩B' = B'∪C' = C'∪A' = ∅
とします。 A' ∩ B' = B' ∩ C' = C' ∩ A' = ∅
とします。 ↓のような疑問もあります:
A ∩ B ≠ ∅
ときに、
A 〜 A'
B 〜 B'
A' ∩ B' = ∅
であるような A'、 B' は存在するのでしょうか?
A' = A
B' = (B-A) ∪ {{x} | x ∈ A ∩ B}
これじゃダメですよね。
{{x} | x ∈ A ∩ B} ∩ (A - B) ≠ ∅
かもしれないですもんね。
A = {1, 2}
B = {2, 3}
A' = {1, 2}
B' = {3} ∪ {{2}}
この場合はOKです。
A = {{1}, 1}
B = {1, 2}
A' = {{1}, 1}
B' = {2} ∪ {{1}}
この場合は駄目です。 http://imgur.com/aaNZzNA.jpg
↑の問題の解答に、
i ≠ j のとき、 X_i ∩ X_j = φ であると仮定してよい
と書かれていると書きましたが、このことはそんなに簡単な話じゃないと
考えていいでしょうか?
少なくとも、
i ≠ j のとき、 X_i ∩ X_j = φ であると仮定した上で、この問題を解くことよりも
難しい話のように思われます。 >>867
単に
A' = { (a, 0) | a ∈ A }
B' = { (b, 1) | b ∈ B }
とでもすればいいと思うんだが? ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>868
上でも書かれてるけど、x∈Xiに対して
順序対(x, i)を対応させる。すると i が違えば
違う元になるから良い。
こういう事を考えないといけないというのは
正しくて、キチンとやる人はこういう行間を
自分で埋めている。
因みにこういうものの集まりを集合として
考えていい事は対の公理とか冪集合の公理とか
分離公理とかの集合論のから出て来る。 >>869
ありがとうございます。
X_i 〜 X_i×{i}
とすれば、
∪_{i∈I} X_i×{i}
X_i×{i} ∩ X_j×{j} = ∅
になりますね。
I が可算集合の場合には、
>>864
のやり方で、
∪_{i∈I} X_i から ∪_{i∈I} X_i×{i} への単射が存在することが分かります。
I が非可算集合の場合にはどうしたらいいのか分かりません。 訂正します:
X_i ∋ x → (x, i) ∈ X_i×{i}
とすれば、
X_i 〜 X_i×{i} が成り立ち、
X_i×{i} ∩ X_j×{j} = ∅
になりますね。
I が可算集合の場合には、
>>864
のやり方で、
∪_{i∈I} X_i から ∪_{i∈I} X_i×{i} への単射が存在することが分かります。
I が非可算集合の場合にはどうしたらいいのか分かりません。 >>881
>因みにこういうものの集まりを集合として
>考えていい事は対の公理とか冪集合の公理とか
>分離公理とかの集合論のから出て来る。
そのあたりは難しそうですね。
微分積分の教科書を読むことが目的なので、
あまり深入りしないようにします。 ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>841
形式化しようと思えば出来るけど、したところで循環になるだけだから
何か目的があるとき以外はわざわざ考えないというだけじゃないかと。
形式体系に関する形式的・統辞論的なメタ推論はPRAで形式化されると
いうことになっているんじゃないかな。 「何か目的があるとき」というのは例えばゲーデルの不完全性定理を示すときね。
形式体系についてのメタ推論を形式体系の中に形式化するという
循環を積極的に使っている良い例。 >>835
>遺伝的有限集合の理論と
>弱い算術は無矛盾等価であり
たしか同値性の証明は指数関数を使う必要があって、
弱い帰納法しか認めない立場では証明できないんじゃなかったっけ? どなたかご存知の方へ
公理体系に対するものではなくて自然演繹に対する完全性定理について
書かれてる本や資料はありませんか? ¥
>1 :名無しさん :2006/04/30(日) 01:41:01 ID:KPnB.CH2
> 迷惑かしらん
>
>5568 :名無しさん:2016/08/17(水) 18:26:13 ID:???
> うるさい
>
>5569 :kmath1107★:2016/08/17(水) 21:46:32 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5571 :名無しさん:2016/08/17(水) 23:39:07 ID:???
> うるさい
>
>5576 :kmath1107★ :2016/08/18(木) 20:58:14 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
>5577 :名無しさん :2016/08/18(木) 21:05:02 ID:???
> >>5575
> うるさい
>
> >>5576
> 賛同致します
>
>5578 :kmath1107★ :2016/08/19(金) 08:46:22 ID:???
> 人への念の盗み見による介入を阻め。
>
> Re:>>5577 人への念の盗み見による介入が無くなれば世の不和が無くなるだろう.
>
>5582 :¥ ◆2VB8wsVUoo :2016/08/19(金) 08:53:36 ID:???
> 芳雄が理想とし、自ら体現する大学教授とは?
> 0.自分が『お教授である』という利点を徹底活用して、偉そうに振舞う。
> 1.年寄りや権威には擦り寄って顔色を窺い、ラクして損しない様にスル。
> 2.難しい分野や困難な研究テーマは徹底して避けて、努力を最小化する。
> 3.高い学歴とか権威を効率的に利用して、自分を飾って偉く見せ掛ける。
> 4.他人に見える部分だけを巧みに繕ってメッキし、人格者のフリをする。
> 5.相手のオツムの質を窺い、シッタカだけで見識がある様に見せ掛ける。
> 6.自分よりも優秀な人間は絶対に敵に回さないでヘラヘラと仲良くする。
> 7.自分から見てダメオツムな野郎は、上から目線で威圧して屈服させる。
> 8.大して中身が無いカラッポ知識を針小棒大に騒ぎ立て、蘊蓄を傾ける。
> 9.自分の大脳が働いてない低能ぶりは、口先で適当に誤魔化して逃げる。
>
> ¥
> >>893
ほかにも、巨大基数間の無矛盾不等価性を示すのに
弱い理論での証明可能性を強い理論の内部で形式化する必要がある。
もっとも最後には第二不完全性に訴えるんだけどな。
>>894
「弱い算術」というのは「PAより弱い算術」という意味では?
I\Sigma_n でも PRA でも EFA でも、指数関数はあっても
「弱い算術」と呼ばれると思う。 指数関数を含むかどうかが哲学的に問題になることがあるんですか? 知らんけど加法と乗法があって帰納法が許されてれば指数関数は自ずから含まれることになるんだよね? >>908
よくは知らないけど可述算術では問題になるらしい(以下参照)
http://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=79018
>>909
「加法と乗法があって帰納法が許されてれば」それはもうPAでしょ。
弱い算術というにはそれらの内どれかを弱めないと。 >>907
「無矛盾不等価性」って初耳だわ。英語だと inequiconsistency とかいうの? 可述性についてはS. Fefermanがいろいろやってたね。
こないだ亡くなってしまったけど。
>>895
何が聞きたいかよく分からないけど、
取り敢えず「公理体系」と「自然演繹」を
そういう風に対比させるのはかなり変だよ >>912
>>895が言いたいのは、自然演繹の述語論理について直接完全性定理を証明している本ってことだろう
じぶんには思い当たらんが >>912
>>910のリンクにあるのは Nelson の可述性であって、
Feferman の可述性では指数関数なんて問題にならないでしょ。
無限基数の冪は問題にするけれど。
用語に惑わされちゃだめだよ。 限定算術はNelsonだけが問題にしてるんじゃないよ >>917
> Feferman の可述性では指数関数なんて問題にならないでしょ。
Fefermanが可述的だって主張してる概念が実は思いっきり非可述的だって竹内外史が書いてた記憶が、、、 >>914
そういう意味であれば、例えばvan Dalanの
Logic and Structureという教科書が、
シンタックスとしては自然演繹を採用した上で
完全性定理を証明している。
この流儀の教科書は、⇒の導入の時の仮定のdischargeの
取り扱いとかが面倒そうなので少ない。
戸次の数理論理学とかにあるように
自然演繹もシーケント計算もヒルベルトスタイルの
公理系も証明能力は同じだから、どの体系で証明しても
実際は構わないんだけどね。 >>921
ありがとうございます
いろいろ調べてみて戸次先生の本のことを知って購入しました
VAN DALENの方も見てみたいと思います >>920
同じ「可述的」という言葉でも
論者ごとに意図しているものはてんで別物だからね。 今年のサマースクールもおもしろそうだね
このスレ的にはモデル理論はあんまりはやってないみたいだけど 今回のサマースクールは、連絡先とかも特に何も
設けてないようだし、気の知れた知り合いだけで
やりたいんじゃないの?
多分面識の無い人が行っても、
「何この人…呼んでないんですけど……」
とかいう感じだと思うけど。
数論幾何の専門家とかなら歓迎される可能性も
あるけど。多分、神戸で哲学とかの屑が集まったから、
今後はそういう有象無象はお断りという事なんだろうな。 >>939
なになに?お前面白い話できそうだな
基礎論クラスタのそういう感じとか、数学徒と哲学徒が喧嘩する話とか聞かせてくれよ >>908
亀レスで申し訳ないが、Wrightらの新フレーゲ主義では
指数関数のない限定算術が重要になってくる。
フレーゲの論理主義の文脈では、数は集合の等濃性による同値類なので、
和と積は、それぞれ(排他的)和とデカルト積として再現できる。
ところが冪は関数全体に対応するけれど
関数一つ一つが二階の対象なので
関数全体を考えるには2階の範囲を越えてしまう。 なんか知らんが哲学的興味を持ってる住人が多いのか、ここは。 基礎論の専門家が何と言おうと、一般の数学者が基礎論に興味を持つとすれば、文字通りの基礎論、数学の基礎に対する興味でしょうな 基礎論の本を読んでると、
「メタ的な背理法や対偶証明」
がよく出てくるんですが・・・
これらは使っていいんでしょうか?何を根拠に?
あと、一般の数学書で基礎論にちょっと触れているものはよく
「ZFCと一階述語論理で全数学を形式的に展開できる」
などと書かれてたりしますが、
一階述語論理だけだと全数学の記述には不十分なんですよね?
二階述語論理が必要だったり。
そもそも全数学を記述できるかどうかなんて確かめようがない気がしますが。 命題論理の完全性定理の証明にZornの補題が出てきてしまいました。
公理的集合論の章はまだ先です。
これはなんでしょうか。
メタ的なZornの補題?
循環論法? 循環論法のわけないだろ
集合論の入門書は読んだことあるはずだけど、完全性定理なんて出てこなかっただろ 集合論の形式化に使われている基礎論において定理の証明に集合論のZornの補題が使われるのは循環論法だと思いました。 循環論法が定義されてないからあれだけど、少し言い過ぎたかも。
公理的集合論が完全性定理に依存してる訳じゃないからな。 と思いましたが、集合論の形式化に使われる類の述語論理の完全性定理の証明には
Zornの補題は必要ないようですね。なら別に循環論法ではないですね。 書き込みが被りました。すみません。
>>954 は >>952 の続きです。 いや、そうじゃなくて…
集合論の初歩的な部分ではメタ的な考察は必要ないから、完全性定理の出る幕はないって言ってんの その完全性定理を完全な形で証明するためにはZornの補題のようなものが必要なんですよね
このZornの補題は何者でしょうか?
公理的集合論の公理または定理ですか
素朴集合論の公理または定理ですか それはどちらにでもできるんじゃないかと思う。けど... そもそも、モデルという概念自体に
本質的に集合の概念を使ってるじゃん
メタレベルという事と
意味論を考える事は別の事だからね >>947
そういう諸々の基礎付けをするために公理を揃えて無矛盾性を示そうとして、無理だとわかったのが不完全性定理だから、背理法に限らず現在の数学に根拠はない
後者については数学の各分野について述語論理でかけることを一つ一つ確かめていくだけだから別にめんどくさいだけで、途方もないと言うほどではないんじゃないかね いまどき確実な根拠の上に数学を基礎づけようとなんて誰もしていない訳で
(不完全性定理により不可能と分かったのだから)
いまは>>893辺りで言われているように循環論法を積極的に使って
新しい結果を得ていこうというのが最近の基礎論の方向性なんじゃないかな。 >>962
根拠付けと不完全性はそれほど関係ないだろう。
すべてを決定したいわけじゃないからな。 決定不能な命題があるとか無矛盾性を証明できないとか、そんなことが「数学で用いられている論証が確かな根拠に基づいているか?」という問題意識にどう影響するのだ? ゲーデルの不完全性定理を根拠に数学の基礎付けを諦めてるやつは半可通 >>966
自分には公理的な方法以外で万人が納得する基礎付けが想像もできないんだが、他にアプローチがあるなら教えてほしい 基礎付けを無矛盾性証明の同義語と捉えてる人、いるんじゃない? >>968
現代では「基礎づけ」に様々な意味を与えているけど、
「数学基礎論」・foundations of mathematics という言葉が生まれた当初は
無矛盾性証明とほぼ同義語だったんだろうね。 無矛盾ていうのは個別の理論の性質に過ぎないわけじゃん。
もちろん自然数とか集合は数学全体の基盤に「極めて近い」からその無矛盾性が基礎付けに寄与するのはわかるけど。 ZFCが数学全体とぴったり一致はしないまでも
少なくとも数学全体を含む(形式化できる)というのは
専門家の間で合意が形成されているのでは?
その合意に異議があるということ? >>972
ZFC以前の述語論理による証明プロセスの根拠付けのことだろう 質問なんですが、本橋信義さんってトンデモなんですか?
現代論理学入門とか情報時代の論理とか論理学は数学の役に立つかとか数学的帰納法関連の本とか何冊も出してますが
このスレにおられる基礎論や数理論理学が専門の方々から見て本橋さんの論理学関連の本はトンデモなのでしょうか?
なぜ、そういう疑問を抱いたかと言うと、以前、本橋さんの本の1冊を読んだ時、「ゲーデルの不完全性定理は
計算可能性とかとは全く関係ない。他方、完全性定理は計算可能かどうかと深く関わっている」という趣旨のことが書かれているのを
見たからです。(多分、岩波からの『現代論理学入門』だったと思います)
自分は基礎論とかは素人で趣味で勉強しているだけですが、ゲーデルの不完全性定理の証明(例えば林先生が訳された
岩波文庫の)を読むと、証明(というか論理体系の構文的な側面)に関する諸概念を自然数とその上の原始再帰関数として
エンコードして扱おうとしているように見えて、従って不完全性定理は計算可能性の概念と深く関わっていると感じ、
他方、ゲーデルの述語論理の完全性定理が主張している内容およびその証明は計算可能性とは全く無関係に感じたからです。
でも素人なので自分の判断は間違っているかも知れないと思い、基礎論が専門の方々に本橋さんの本に関するご批評を
伺いたい次第です。宜しくご教示くださるようお願いします。 >>974
完全と不完全を入れ替えたら意味が通る。
ただのタイポか、原文が合っていてあなたがうろ覚えなのかどちらか。 どのような根拠で実際にどのように書かれていたのかはっきり示さずに
「トンデモなんですか?」と質問するw >>562
様相論理はゴミ
中学校レベルの数学にすら到達できないギリシア時代の論理 数理研研究集会の講演タイトルを見ていてギョッとした
9 月 27 日(火)
10:00-10:50 新井敏康(千葉大)
角田先生,証明論を分かって下さい >>981
造語って言うか数学基礎論が目指していた(いる?)ところのものが「数学を基礎づける」という意味で使っているが、そんな特殊かな 別の言い方をすれば、無矛盾性の証明以外で何をすれば数学基礎論が進歩したとおもわれてるの?最近の研究者のあいだで。 >>983
文字列配置だけを頼りに言葉を同定してる人なんだろ >>983
全く通じない
そもそも「目指していた」というのは思い込みで既に達しているから
基礎という概念を理解してないからこんな造語を出来る >>983,988
定義されてない妄想を前提に議論が出来ると思ってる奴は数学基礎論に向いてない
集合と論理を根本的に理解してないな >>1に
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも若干の個人差があるようです。)
とあるように、自分と>>986では「基礎」が何かについて差があるんだとして、
>>986は数学基礎論が何を「すでに達した」と考えていて、何を「基礎」と考えてるのか教えてほしい。 >>990
これは0点
数学基礎論は確立している
確立していないと主張する方が定義した上で議論を始めなければ論外
証明責任を果たしていない 既に定義されたことしか議論できない人は数学基礎論(哲学の一種)には致命的に向いてませんよ >>992
バカだから哲学なんて言い出す
知能指数足りてない >>992
自分が語ろうとすることすら定義出来ないのはただの無能
知能が低いバカだから数学基礎論は向いてない 自分が語ろうとすることすら定義出来ない無能は常に「新発見」をする
車輪の再発明に過ぎないのになw
オカルトに走るのもこういうガイジ >>992
もう既成論文の継ぎ合わせで研究者人生を全うできる。 >>991
いや、だから>>991が何を「基礎」で何が「数学基礎論」だと思ってるのかを書いて証明責任を果たしてくれよ >>993
>>1に書いてある現実を受け入れることだ
君の考えるTHE数学基礎論を主張するのは、君の哲学的信念の表明に他ならない このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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