悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 69
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておくだ
さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1533799421/ >>853
観念がないから単におっぱいが恋しいとかオムツが濡れたとかだと思うけど、
母親に怒られた記憶が重なって悲しみになるとは思う。 自分は日本に生まれたのは良かったな、と思っているのですが
社会に出ると思いのほか日本に生まれたのは不幸だと語る人が多い(というか目立つ)
ことに驚きました。
自分もあらゆる面で不満がないという訳ではないのですが、
こういうのは正解はなく、本人が感じた通りが本人にとっての答えなんでしょうか? >>857
その接し方、なんか悲しい。
もし自分が雑だったら、あなたから雑にされるんだなって思っちゃう。
でも、人によってキャラを変えてる人は多くいるね。 >>850 そうじゃ、それは観念の働きなのじゃ。
損得や利害を考えるのと同じなのじゃ。
慈悲ではないのじゃ。
>>851 本能ではないのじゃ。
自分という観念が在るから自分を承認されたいという欲も起こるのじゃ。
本能ならば一度承認されたらそれで終わりでよいと思うじゃろう。
もはや承認されたのであるからのう。
一度承認されても何度も何度も承認されたいというのが執着であり、貪欲ともなるのじゃ。
>>852 苦の原因は執着によるものなのじゃ。
その元には不安や恐れがあり、更に大元には自我があるのじゃ。
それが観察できれば消えるのじゃ。
>>853 違うのじゃ。
観念によるものなのじゃ。
自らの知識や経験で創られたものなのじゃ。
観察によって滅することもできるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>856 傷付くことの原因を探すのじゃ。
過度にそれを恐れることはその縁によって起こることに過ぎないのじゃ。
原因から傷付くことがあり、傷付くことを過度に恐れることが起こるのじゃ。
そのような縁起の全体を観るのじゃ。
>>860 そうじゃ、ただの感想なのじゃ。
外国旅行に行ったりするとやはり日本がよかったとか言ったりするのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。 鬼和尚はこんな俺でも光を浴びながら笑える日が来ると思いますか? dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd さん遠慮せず書いてねー
応援してるよー 鬼和尚は慎重になりすぎると運命も途方に暮れると思いますか? 鬼和尚もひとり涙と笑顔はかってみたら
涙が少し重かったりしたりしますか? >>861
敏感なんですね
私は鈍感だし
乱暴な人とは乱暴な付き合いを
できるだけ自分の中にある
同じようなものを相手に差し出す感じですよ
暗くどんよりした感じなら
自分の中の暗くどんよりした感じとかね
キャラを変えるとかそういう意識はないよ
あまりやり方について悲しんだりはしない
たぶん鈍感
自分としてはこのやりかたで結構良い感じですよ
もちろんとても親しくなってしまうと
こんなこともしないですけどね 鬼和尚さん質問ですが、死を超えたとは一体どういうことなんでしょうか。
鬼和尚さんが本当に死を超えていれば、
死すら平等ではないと言うことなんでしょうか。 修行によって得られた力を悪用することも可能ですか?
しかし、修行を始めたら悪の心も弱まっていくのでしょうか。
悪というか、欲望や逃避の心も。 >>868
自分を使い分けられて凄いと思います
他人を模倣すればいいんですか?
相手と同じものを自分の中で作れるってことだから
器用な人なのですね。 自分を他人のように見れば気が楽になりますか?
承認欲求なければ悩みもないんじゃないかと。 >>863 今かっけってゆくーのじゃ。
>>865 わしに逢いたくて逢いたくてしかたないのじゃな。
>>866 わしを失ったら人生終わりじゃな。
>>871 死を超えるとは死すらも観念でしかなかったと気付くことなのじゃ。
死んでも意識はあり続けると知ることなのじゃ。
肉体は自分ではなく、自分のものですらないからなくなっても何も変らないと理解することなのじゃ。
それは本来誰でもそのように在ることじゃ。
無明によってそうではないと認識しているだけなのじゃ。
無明がなくなれば誰でもそのように気づくのじゃ。
>>867 心のあざおおすぎじゃな。 >>872 そのようなこともできるじゃろう。
善事を常に行うようにしていれば悪心もよわくなるじゃろう。
それは習慣によって左右されるからのう。
実践あるのみなのじや。
>>875 そのようなこともあるじゃろう。
実践して確かめてみるのじゃ。
実践がすべてなのじゃ。 >>876
>死んでも意識はあり続けると知ることなのじゃ。
一応、阿頼耶識が肉体を認識しなくなるのが死とされてますからねぇ・・・
意識(第6識)は、死とともになくなりますよw
仏教の基本ですけどw >>876
ありがとうございます。
>>878
勉強になります。ありがとうございます。 >>797
鬼和尚さま、お返事を下さったみなさま、年下男性に想いを寄せている女性です。
14日に、自宅で縫い物をしながら、いろいろお話をしました。
その男性は、母親に愛された記憶がないこと、私といると、心が落ち着くことを話してくれました。
私もまた、親に愛されたと感じることが少なかったので、似ているなと思いました。
心地良い時間を過ごすことができました。とりあえずの報告です。 >>862
観念と言われますが、心臓のあたりがエネルギーが下がるように苦しいのです
このままではいられません、理解は出来てもこの感覚が離れてくれません
これらやその人が言っている、信じているのは自我のものだとはわかります、
でも感覚が取れない
私の罪悪感を取り払ってそれら(幻想)を後に出来る一切の情というか幻想への執着
を捨てさせていただけないでしょうか、取り払って下さい、無理でしょうか、自力ではできない
例えば悟った人が家族を捨てた、とか言うのもその時は悟っていないのだから非難されたり
罪悪感を感じることが足かせになるのではないでしょうか、人を大切にしなければ、優しく
とか言うのは確かにそうではあるのですから 鬼和尚はAV女優はすごいと思いますか?
スタッフが見ててカメラが回ってる中媚態をとれるんですよ
鬼和尚はカメラとかまわってるとこで変態なことをできますか? 全ては1つの意識であるなんて、悪いことまでも思ってしまう私には、恐怖でしかありません。
人が悪いことをまったく思わないようになるって、修行をしても、果たして出来るのでしょうか? おしゃれの極意を教えてください。
オシャレを目指してみても「なんかダサい」感じになります。
オシャレな人は何が違うのですか? マハルシが「私は誰か?」という探求を通して真我を実現するように説いていますが、
それは思考、感情、身体など、自分と同一化していたあらゆるものを観察し解離が起こること
と同じようなものと理解してよいですか? 楽しいことをしたあとの虚しさっていったい何だろう。 >>879 どういたしまして、またおいでなさい。
>>880 もはや結婚するとよいのじゃ。
優しさを持ち寄るのじゃ。
幸せになるがよいのじゃ。
>>883 それは自ら観察する事でなくなるのじゃ。
他人には何も出来ないのじゃ。
そのような人に優しくとか、人を大切にという観念から罪悪感が起こることを観察するのじゃ。
その観念が無ければ罪悪感も無いと観察するのじゃ。
罪悪感から心臓の辺りの苦が起こり、それがなければ苦は無いと観察するのじゃ。
それをただひたすらにありのままに観察するのじゃ。
確かにそうというのも植えつけられた条件付けなのじゃ。
観念であり、なくてもよいものじゃ。
慈悲はそうしなければならないというものではなく、自然に湧いてくるものなのじゃ。
>>886 どのようにやるのかおぬしがやってるところを撮影して動画を投稿してみるのじゃ。
>>888 それは感性であり、センスを磨くことなのじゃ。
自分がおしゃれだと思うものとか、人を多く学び、真似したりすることで磨かれていくものじゃ。
おしゃれの達人は多く学んだことで細部までよく気がつき、整えられているのじゃ。
学びが足りないと細部まで気がつかず、ださくなってしまうのじゃ。
精進在るのみなのじゃ。
>>889 そうじゃ、同じと言えるじゃろう。
確かに自分と感じるものを求めて心身の全てを観るのじゃ。
恐れずにどこまでも追及すればマハルシのように一日で悟りを得ることもできるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 >>891
鬼和尚さん、明日は>>887の回答もお待ちしております。 >>891
鬼和尚はエロビデオを見たことがないのですか? >>891
私にも慈悲や優しさがないわけではないんですが、そこからは痛みや罪悪感は絶対起こらないんですか?
他人を傷つければ(無理にではなくても)自分の心も痛むとか
釈迦などが家族に慈悲や優しさがあって、自分の目的のため捨てるときに泣き叫ばれたり責められたり
その後自分がいなくなったせいでぼろぼろになっていたとしても何の心も痛まないんですか?
そういう心なら人を助けたいとかも思わないと思うんですが 釈迦はもちろん自分のために出家したからその時に慈悲の心とかそんなものはないぞ 釈迦が悟ったとき人を助けたいなんて気持ちさらさらなかったのは
梵天勧請の話で有名だ 知らないのか 鬼和尚は鶴は千年、亀は万年、隣の婆さん後一年と思いますか? >>887
決めよう
>>888
調べよう
ま
我慢強い
>>889,890
調べよう シッダルタさんが
元から普通の人としての
慈悲とか優しさがあるなら
出家なんてしないだろうし
王子のまま嫁さんを養って
家業をついで人々のために
義務を果たす人生のまま
裕福なので暇な時間もありそうだし
少し悟りたい願望あるなら
優れた修行者呼びつけてお抱えにして
教え受けて瞑想して自分が悟るだけの
人生で十分なのでは 私の苦しみのもとは、私の感受性にあるのかも。
自己の感受性を受け入れるといいのかな。
またはそれらをまとめて、どこまでも自分を受け入れるといいのでしょうか?
何事も受け入れることで、自己は完成する気もします。 無知です、知りませんでした
ためになります
普通の人としての慈悲がなかった。。非情だったということでしょうか 会社は時代に合わせて業態を変えてうまく順応していく方が長続きするでしょうか?
会社を長く存続させるコツってなんでしょうか。
変化を嫌う年配の社員が過去に固執し、新しいものを拒否していたら危険信号と言えるでしょうか? >>892 何も思わなければ悪いことも思わないのじゃ。
思うことも観念の中の働きなのじゃ。
観念が無ければ思うことは無く、悪いことも思わないのじゃ。
無為なのじゃ。
ただあるがままにあるだけなのじゃ。
>>893 おぬしの主演作は見ていないのじゃ。
見せてみるのじゃ。
>>894 慈悲とは自他を一つに見ることから起こるものじゃ。
他人を傷めればいかんと思い、他人を癒すじゃろう。
自分の手を痛めつければいかんと思い、手を癒すじゃろう。
そこに罪悪感という観念はないのじゃ。
必要なことを行うだけなのじゃ。
罪悪感という観念に囚われて遊戯をすることは無いのじゃ。
自らが悟りを得て他人をも救うのが菩薩の誓願なのじゃ。
それも罪悪感によるものではないのじゃ。
熟慮の上で正しいと思うことを実践するのみなのじゃ。
>>897 おぬしは三分とか思うのじゃ。 >>900 全て受け入れたらよいのじゃ。
苦のもとは心の中の観念にあるじゃろう。
真摯に追求するとよいのじゃ。
集中の瞑想もすると善いのじゃ。
>>902 そうじゃ、変えていくのがよいのじゃ。
常に新しいことを追求していくのじゃ。
金の管理と人の管理と製品の管理をうまくやることなのじゃ。
危険といえるのじゃ。
もっと危険なのは手柄を立てた者を潰すような組織なのじゃ。
そのような組織は早々に破滅していくのじゃ。 下剤というか便秘薬で腸を綺麗にするようになったら、
だいぶ性格が楽観的になり神経質が直りイライラも強迫観念もなくなりました。
西式健康法も始めることが出来てとりあえず朝は抜くようになりました。
しかし、嫉妬心は無くすのは難しいですね。それ専用の本を読み漁るしかないでしょうか。 >>903
鬼和尚はエロビデオを見ているのですか? 鬼和尚は雌雄を決するという言葉は男女差別なので
使うと糾弾されると思いますか? >>900
では酸いも甘いも噛み分けよー
>>902
それが標準だ
信用第一が標準だ
一部にすぎんよ
>>905
調べよう >>903
じゃあお釈迦様は何故自分の家族を捨てれたのですか
他人の自我まで気遣っていたら抜け出せないからですか >>910
わたしたちの日常自体が、逃避なんです。
釈迦はその日常から抜けて、生老病死に直面するために、家族を捨てたんだ。 >>904
自我から観念が生まれて、観念から苦しみが生まれると観察しました。
ショートカットすると、自我から苦しみが生まれる、とも言えると思います。
自我に対する最適なアプローチとはなんでしょうか?
私自身、自我をも含む「自己を手放す」よう意識を向けるアプローチが(大変かも知れませんが)いいかと思っている今日この頃です。 >>913
なりきった所で、苦痛はなくなるのでしょうか?
煩悩即菩提、なのでしょうか?
>>914
さいの角のように、ただひとり歩む…。 >>912
あ、「自己を手放す」でもいいですが、
「自分を離れる」でもいいかと思います。 >>915
苦痛になり切るをアタマで考えると、みんな苦痛が増幅するだけでは?と考える。
やってみるとわかりますが、五分で決着が付きます。 >>917
煩悩即菩提ということでしょうか。
苦痛は治まるんですね。
ありがとうございます。 >>918
そう、煩悩とわたしの分離が苦痛です。
煩悩そのものになる。 >>919
https://www.youtube.com/watch?v=-N9-1i9L3Wk
JARO TVCM「JAROの歌(コダイ)」篇
コダイの中の人♪
(そう、煩悩とわたしの分離が苦痛です。
煩悩そのものになる。 )
相当盛りすぎじゃないの?
(大げさにいいました!)
こりゃ、こりゃ、みんなに通報だ。 >>913
苦痛そのものになると、苦痛ってよくわからなくなるね。
痛みが、単なる脳の情報になって
思い通りにならないもどかしさの苦痛が、心臓の息苦しさとそう変わらない。
だから、「ふーん、そうか」となって消えていく。 >>905 よかったのじゃ。
それを観察すればなくなるじゃろう。
嫉妬の原因から嫉妬が起こることを観察出来れば消えるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>905 おぬしの主演作は見ていないのじゃ。
>>907 おぬしが団地妻ならばそうかもしれん。
>>908 無何思
>>910 そのような理解で善いのじゃ。
大儀に生きるのじゃ。
>>912 それでよいのじゃ。
更に観察在るのみなのじゃ。
自我をただひたすらに観察し続けるのじゃ。
それが完全に厭離できなくても自らを知ることで多くの利益が得られるじゃろう。
手放そうとすれば出来ない故に苦が起こるじゃろぅ。
ただひたすらに観察し続けるが善いのじゃ。 以前まで結婚等全く興味がなくひたすら自分の趣味にだけ没頭してきたのですが
つい先日ついに自分以外の親族が全員結婚し、更には自分も今年で30歳になったこともあり猛烈に焦り始めました
しかし結婚しなければとあせる一方で、結婚することにより趣味の時間が減るのは物凄く嫌なのでやっぱり結婚はしたくないという矛盾のような、自分でも何がなんだかわからない状態になっています
このようなときはどうすればよいでしょうか…? >>928
自分が信じた正しい道を歩いて、成り行き任せ。 衝動に素直に振り回されて
誰か見つけて
結婚してみたらいいのでは
下らないと思えば離婚したらいいし
まんざらでもないなら続けたらいいし
自分がやってみれば
考える必要なく
自分なりにわかる >>929
自分が信じた道が、正しいんでしょうか?
他人から見たらおかしいとしても。 >>931
何が正しいかは、本当のところわからない。
自分を勘定に入れないで、正しいと思ったことをやり抜く。 妖怪や魔物、悪魔や幽霊に怪獣。
魔界とは何ですか?
悪魔、妖怪が住む異世界。
そんなものが想像の世界以外で存在してるんでしょうか?
僕は無いと思ってますが、悟った人はどう観察しているのか知りたいです。 >>924
自我は受容するといいと思いましたが、どうでしょうか?
観察して自我を知っても、しばらくすると知ったことを忘れてしまい、また同じ苦が再発してしまいます。 >>928
同じ趣味の人またはその趣味に理解のある人を探せば良いのでは? >>928
趣味に本気で没頭して、それでも満足出来なければ結婚すればいいんじゃないですか。
私は趣味に没頭して燃え尽きて、そうしました。 ただ、自我に納得したらいい気もします。どうでしょうか? >>925 本当の喜びとは一切の恐れも不安も孤独感もないことじゃ。
それでこそ憂いの無い永遠の喜びが感じられるのじゃ。
心に恐れや不安や孤独感が残っていればどんな喜びも逃避でしかないのじゃ。
それに至るまで実践在るのみなのじゃ。
>>926 日々の実践によって貫けるのじゃ。
五分でもよいから毎日実践し続けるのじゃ。
それによってどこまでも貫くことが出来るのじゃ。
>>928 多くの者と付き合って好きな者ができたら結婚するとよいのじゃ。
趣味を理解してくれるものも居るじゃろう。
そのような者と結婚すると善いのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>933 それも観念なのじゃ。
国家や社会や神と同じくそれを信じる者の心の中にのみあるものじゃ。
不可知な働きにそのように名づけているだけなのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>939 それを実践してみていかんとわかったら観察してみると善いのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>941
神様、自我の苦しみなく生きるすべを教えてください。 >>921
そうでもない
>>925
決めよう
>>926
余所見しないよう
>>928
並行しよう
>>933
組み合わせにすぎんよ
結局
>>939
どうとでも 「生きてても死んでても同じ!」な境地になると死への抵抗感ってなくなるのん? >>944 死そのものがなくなるのじゃ。
それは幻想であったと知るのじゃ。
ないものであったと気付くのじゃ。
抵抗も抵抗しないことも無いのじゃ。
全て無なのじゃ。 不健康から健康に変わる瞬間てどう判断したらいいの? >>945
生前も死後も、ただ意識だけが有るなら、全て有なのではないですか? それか、無意識であったり有意識であったり、変幻自在な感じなのでしょうか? この世界とは、無と有とが、自在に織り成されるところ? さっきふと家事をしているとき、過去なんて無いなと悟りました。
だったら過去に囚われている自分も、存在しないことになる。
あるいは無いモノにたいし疲弊していたことになる。すべての悩みがあほらしくなった。
というか過去がないから「していた」もないか。 >>933
魔界とは、それを観る者がそうだと思えば魔界に観えるぢゃろう
悪魔や妖怪も同じく、それを観る者がそうだと思えばそのように観えるぢゃろう
おそらくお主ら凡人が、そのように観えるものは、地球の地下深く、数キロ先にある
仏陀はその一角をシャンバラと呼んでおり、そこには人間でない者らが
人間よりも優れた精神と知性と身体能力と科学技術を有して住んでおるのぢゃ
地球の地下には、人間に好意的な者らもおれば、敵意や悪意しか向けぬ者らもおるし
中立的かあるいは不干渉な者らも住んでおり、彼らが地上で目撃される度に
目撃者である人間の観点で、悪魔や妖怪、あるいは神や仏のように観られ、語り継がれた
「ラケルタファイル」という文書に、地下に住む本当の地球人が言葉を残しておる
人間は、実は地球原産ではなく遺伝子操作された外来種であり、本当の地球人は彼らぢゃ
彼らは人間種が地上で起こした文明の盛衰を6度、見てきた。おそらくは、ぢゃ
「過去七仏」の釈迦以前の6人の仏は、それらの文明のなかで広く名が知られた者らぢゃ
和智ら悟りを開いた者らは、悟りに導く上では本来、こういう話しをせずに
「己の妄想に気をつけ、観念の世界から脱して、すべての事象には実態などないと知れ」
という説き伏せ方をするのが、一種の通例ではあるが、釈迦かて身長は4m85cmあって
地底の者らの血でも混ざっておったか、あるいは地底人だったのぢゃろう
北極や南極、あるいはすべての大陸に地下へ通じる入り口があり、有名なのはチベット
そこの密教僧たちが彼らの一種族と通じており、教えを乞うたり助力を得ておるのぢゃ
何の教えかと言うと「バブルが2つに引き離れる際に、良いバブルに残るため」の教え
これは凡人が理解できぬ宇宙の構造で、それを簡単に説明すると、この世界には
良い子も悪い子も一緒に住んでおるが、幾度も「住み分け」がされており
その状況がバブルが2つに別れて千切れるように、良い子と悪い子がサヨナラするのぢゃ (-人-) 和智ら、悟りを開いた者らは、皆良い子ちゃんの住むバブルに入り、縛りから抜ける
この世界の「条件づけ」に縛られた生き方をしとる凡人の多くは、悪い子のバブルに入る
何をやっても苦から逃れる事が出来ないのは、この世界の「相対的な価値観」に縛られ
いつまでもそこで足掻いておるからぢゃ。この世界の学びが「普遍を知ること」ぢゃから
この7度目の文明において、それを知れなかった凡人たちは、時間切れでサヨナラぢゃ
だから和智ら、悟りを開いた者らは「相対的な価値観の観点でばかり事象を観るな」と
そういうニュアンスを含めて「あれにも実態は無い、これにも実態は無い」と説くのぢゃ
鬼和尚や和智らは、良い子ちゃんのバブルでお気楽極楽にのんびりよろしくするのぢゃ
間に合わんかった凡人たちは、相変わらず仕事や家庭の人間関係や、政治や経済や戦争で
勝ったり負けたり、盛況したり衰退したりの状況のなかで齷齪と切磋琢磨させられるのぢゃ
名残惜しいが、もうじき大きな戦争が始まりよるし、地底人もそれを理解しておるのぢゃ
良い子や悪い子が、互いに殺されたり死んだように見えても、別のバブルに行くだけぢゃ
「住み分け」が完了して、次のバブルの弾けまで、何千何万年もサヨナラなのぢゃ (-人-)
ーーーーーーーーーー
どうですか?和智の妄想は。楽しいですか?人生は楽しまなきゃ損ですよ?
「汝、己の (観念の) 奴隷になるな。己の (観念の) 主人であれ」。ゴータマの教えぢゃ
悪しからず (-人-) ♪ アレックスコリヤーも、ラケルタも「バブル別れ」の話しをしとるのが奇妙なのぢゃ
フリーメイソンの上の、イルミナティの上に、イエズス会があってその上に悪魔がおる
イエズス会で有名なのはNo.2のフランシスコ・ザビエルぢゃ。ザビエルは日本人が嫌い
仏教国の日本で布教するのが大変に疲れたし、日本人を滅ぼしたかったのぢゃ
イエズス会はカトリックぢゃ。カトリックはピラミッド型の社会を構築する教えぢゃ
対するプロテスタントは、横並びの尊重社会ぢゃ。イエズス会は対プロテスタント教団
プロテスタント系のアーミッシュの生活は、質素で自然調和的で、侘び寂び日本と同じぢゃ
インディアンと白人との戦争が、「相対的な価値観と普遍的な価値観の衝突」を
よく表しておるのぢゃよ。物理的に戦いに勝つのは、相対的な価値観を持つ者らぢゃ
先ず白人は、アメリカ大陸入植後にインディアンの長であろう人物に贈り物をして
その土地を購入したつもりでいたが、インディアン達には「土地所有権意識」が無く
天地は誰の所有物でもないから、どうぞ勝手に自由に住めば良いと思うておって
インディアン達も白人が住む土地に自由に出入りしてたら、争いが起こったのぢゃ
白人達はやはりピラミッド構造で指示命令系統がある軍隊の、集団戦闘で銃で戦った
対するインディアンの戦争は「自由参加」が基本。彼らは言うなれば完全民主主義で
インディアン社会には実は部族長も、戦士長もおらず、統括者が存在しなかった
「クー」と呼ぶ接近戦で相手にトドメを刺すことを美徳とするインディアンは侍と同じ
明治以前の侍と同様に、彼らの多くは白人が放つ銃弾や爆弾で滅ぼされた
アーミッシュの暮らし、インディアンの暮らし、侘び寂び日本人の暮らし。敗けて当然
しかし彼らは「良い子のバブル」に行っただけかもしれない。でもここは悪いバブルぢゃ
あらゆる「所有権意識」によって、土地や物品だけならず精神をも縛られて苦しむ世界
自我を有してるつもりでいる事も、命があるつもりでいる事も、所有権意識の苦しみぢゃ (-人-) キリスト教スレに来られる霊能者であるカフェラテさんは、「悪魔」は存在し時々見ることがあるとおっしゃっています。
悪魔は全て堕天使なんだそうです。
仏教の世界観で言えば、六道輪廻で天界にいたものが地獄界などに落ちてしまった、ということかもしれません。 お釈迦さんは乞食になった。所有権競争の社会のルーキーがすべてを棄てて乞食になった
和智らの話しを聴いたところで、会社や世間からガミガミ言われるぢゃろう
ガミガミ言う者らは必ず「何かしらの所有権を侵害するな!協力しろ!」という
空も土地も物品も、精神や命ですら誰のものでもない。と言うたら争いが起こるぢゃろう
所有権意識を顕著に示し、囚われておる者らは非常に臆病で、臆病であるがゆえに
物理的にも社会的にも強いぢゃろう。それはこの上なく面倒な話しなのぢゃ
臆病な悪い子は、勝つのぢゃ。勝って悪い子のバブルに行ってしまうのぢゃ
悟りを開いた者らは、揃いも揃って「負け犬」ぢゃ敗けて得するチンチクリンぢゃ (-人-) ♪ ソロモン王が呼び出して使役してた悪魔は、ゲーティアに書かれとる
アフリカ起源の悪魔はサンテリア教徒が呼び出して使役しとる
それ以降の人物が堕落して悪魔になることもあるぢゃろう
堕天使の話しは、ウガリト神話やギリシャ神話にも共通点が見えるのぢゃ
王を意味する「バアル」は「ゼウス」なのぢゃ。どちらも雷を落とすのが得意ぢゃ
最初に海の神「ヤム」あるいは「ポセイドン」を2つのハンマーで倒したのぢゃ
次に冥府の神「モート」あるいは「ハデス」に戦いを挑んで、敗けてブッ殺されたのぢゃ
それを聞いた奥さんの「アナト」あるいは「ヘラ」が冥府の神をズタズタに引き裂いて
バアルあるいはゼウスが奥さんに復活させられて神の王になったのぢゃ
最強なのは奥さんの方ぢゃが権力欲は無く、ソロモン王でも呼び出せなかったのぢゃ
その戦いの最中に玉座を奪おうとして失敗したのが「アッタル」ぢゃ
キリスト教ではルシファーと言い、イスラム教ではイブリーズと言う、堕天使のことぢゃ
6大柱の悪魔と72柱の悪魔の王で、イエズス会の上にそのルシファーがおるのぢゃ
もはやバアルよりも偉いが、さすがに奥さんのアナトには勝てないが
だからと言ってアナトは悪魔よりももっとずっと残酷で強いから、触らぬ神に祟りなしぢゃ アナトの強さは、不死身であり不滅であり、死者を自由に蘇らせ、魔獣を無尽蔵に産める
アナト武勇伝は凄まじく、敵に回したらもはや為す術なし。たった一人で軍隊を滅ぼせる
Wikipedia で見ると良かろう。もはやドラゴンボールの世界ぢゃ
ピッコロ大魔王とフリーザと界王さまを足してアゲマン女にしたような能力者なのぢゃ
バアルが神の王に決まったのは、アナトが無理やりそうさせたからぢゃ
腹痛を装う先代の神の王に神殿を建てさせたのも強引にやらせたからぢゃ
とても一途で嫉妬深いがバアルただ1人にゾッコンで、浮気症のバアルは他の女に子を産ませ
バアルが頼むから仕方なくその子にオッパイを飲ませただけでその子が強くなった
それがヘラクレスなのぢゃ。ヘラ (アナト) の栄光という意味なのぢゃ
オッパイを飲ませたにも関わらず自分の子供ぢゃないから何体も魔獣を放って苦しめた
バアル神殿が建つと、歓喜のあまり扉をすべて締め、豪傑揃いの500人の私兵を
ズタズタに引き裂いて殺し、脳髄や臓物や肉や骨が浮かぶ血の大池を作り
高笑いを上げてご機嫌にプカプカ浮かんでおったのぢゃ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。